【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
イングラシア王国への旅立ちに向けて、過去の俺は早速行動を開始した。
向かった先はテンペストの迎賓館の一室。
そこには、ブルムンド王国からやってきてこの町に滞在しているお馴染みの冒険者三人組――カバル、エレン、ギドの姿があった。
過去の俺が用事があるという名目で呼び出したのだ。
「――というわけで、イングラシア王国まで案内を頼めないか?」
過去の俺が単刀直入に用件を切り出すと、三人は目を丸くして顔を見合わせた。
「えっ!? リムルさんがイングラシアに行くんですか?」
エレンが驚いたような声を上げる。
「まあ、俺たちもちょうどブルムンドに帰る予定だったし、イングラシアならその先だから道案内くらいは構わねえけどよ……一国の主が、護衛もつけずに人間の王都に行くなんて、何か訳ありですか?」
カバルが顎を撫でながら尋ね、ギドも不思議そうに首を傾げた。
「実は、俺が人間の姿に変わるきっかけになった……シズさんの心残りだった子供たちに会いに行こうと思ってな」
過去の俺が静かにそう告げると、先ほどまでの間の抜けた空気が一変した。
カバルたち三人は、かつて短い間とはいえシズさんと共に旅をし、そしてこの町で彼女の最期を見届けた人間だ。
シズさんの遺志を継いだ俺が、どれだけの覚悟でその言葉を口にしているか、すぐに察してくれたようだった。
「……シズさんの」
エレンが少しだけ目を伏せ、寂しそうに、けれど優しい顔で微笑んだ。
「そういうことなら、断る理由なんてないわね。私たちでよければ、喜んで案内させてもらうわ」
「全くだぜ。シズさんのため、それにリムルの旦那の頼みとあっちゃあ、嫌とは言えねえな」
カバルがポンと胸を叩き、ギドも「ええ、リムルさんには世話になりっぱなしですしね。俺たちにドンとお任せくだせえ!」と力強く頷いた。
「ありがとう、助かるよ。ただ、タダでとは言わないぞ。案内してくれたお礼に、お前たちの装備をうちのドワーフたちに新調・強化させようと思ってるんだが……」
過去の俺がニヤリと笑って条件を付け足した瞬間、三人の目の色が完全に変わった。
「ほ、ほんとですか!? カイジンさんやクロベエさんの打った武器や防具なんて、お金を積んでもそうそう買えない一級品ですよ!?」
「や、やります! 絶対やります! 一生着いていきますぜ、リムルさん!」
「うわあああい! リムルさん大好きー!」
しんみりした空気はどこへやら、三人はあっさりと現金な本性を丸出しにして大喜びし始めた。
俺の記憶にある本来の歴史と全く同じ、憎めない反応だ。
俺は、空間の隙間に身を潜めながら、その微笑ましいやり取りを静かに見守っていた。
道中の表向きの護衛と案内役は、これで確保できた。
そして裏の護衛として、ソウエイの『分身』が一体、常に気配を絶って周囲を警戒し、過去の俺の影の中にはランガが潜んでいる。
俺が事前に指示した通りの、本来の歴史と同じ完璧な布陣だ。
数日後。
新しい一級品の装備に身を包み、ご機嫌でテンペストを出発するカバルたち三人。
そして、その中心で人間の姿になり、冒険者のような服装に身を包んだ過去の俺。
シズさんの形見である『抗魔の仮面』を斜めに被り、すっかり見慣れた出で立ちになっている。
「それじゃあ、しばらく留守にするけど……後を頼んだぞ、皆」
過去の俺が振り返って声をかけると、見送りに集まっていた幹部たちが次々に別れの言葉と名残惜しさを口にし始めた。
「リムル様ぁぁ! このリグルド、リムル様がご不在の間、命に代えてもこの国を立派にお守りいたしますぞおぉぉ! どうか、どうかご無事で……っ!」
リグルドが滝のような涙を流し、筋肉隆々の体で大げさに咽び泣きながら地面に崩れ落ちている。
相変わらず暑苦しいが、その忠誠心は痛いほど伝わってくる。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、リムル様。道中のお着替えや、私が特別に用意した保存食などは、全て収納にしっかりと納めておきました。……どうか、ご無理だけはなさらないでくださいね」
シュナが淑やかに微笑みながらも、少しだけ寂しそうに目を伏せた。
彼女が丹精込めて織った一級品の服は、今の過去の俺がバッチリ着込んでいる。
「あああっ、私も! 私もお供したかったです、リムル様ぁ! なぜ案内役がその怪しい人間三人なのですか! 私がリムル様の剣となり盾となり、イングラシアの有象無象など全て蹴散らして差し上げますのに!」
シオンがハンカチをギリギリと噛み引き千切りながら、案内役のカバルたちを恐ろしい形相で睨みつけている。
殺気を向けられたカバルとギドが「ひっ」と情けない悲鳴を上げてエレンの後ろに隠れた。
「シオン、我儘を言うな。リムル様は人間の国へ表向きの用事で向かわれるのだ。俺たちがぞろぞろと付いていけば、無用な警戒を招くだけだろうが」
ベニマルがやれやれと溜息をついてシオンをたしなめる。
そして、過去の俺に向かって力強く、頼もしい笑みを浮かべた。
「リムル様。道中、くれぐれもお気をつけて。テンペストの防衛や近隣の監視は我らにお任せを。……万が一何かあれば、すぐに飛んで駆けつけます」
「うむ。リムル様、旅の道中といえど鍛錬を怠らぬよう。戻られた際には、再び厳しく剣の稽古をつけさせていただきますぞ」
ハクロウが目を細めて穏やかに言うと、過去の俺は「げっ」と一瞬顔を引きつらせた。
「ご武運を。街道の補修部隊には、リムル様たちが通りやすいよう、念入りに道を整備するよう指示を出しておきました」
ゲルドも重々しく、深く一礼した。
「みんな、ありがとう。それじゃあ、行ってくる!」
見送りに来たベニマルや仲間たちに大きく手を振り、過去の俺はカバルたちと共に街道を歩き始めた。
(さて、俺もこっそり付いていくとしようか)
俺はカバル達に悟られないように隠密スキルを駆使し、彼らの死角となる上空や木々の影を縫うようにして、一行の尾行を開始した。
向かう先は、自由組合(ギルド)の本部があるブルムンド王国を経由し、人間の国家の中心地であるイングラシア王国。
シズさんの心残りである子供たちが待つ場所。
西側諸国への旅は、魔物の国(テンペスト)にいる時とは違う、人間社会特有のきな臭い思惑が絡みつく。
本来の歴史では、この道中やブルムンド王国での滞在中にも色々と面倒な出来事があったはずだ。
ブルムンド王との会談や、自由組合の試験など、過去の俺が乗り越えなければならないイベントは多い。
俺は上空から一行の和やかな旅の風景を見下ろしながら、魂の奥底にいるシエルへと意識を向けた。
(シエル。過去の俺の道中の安全確保はランガとソウエイに任せるとして、俺たちは別行動でイングラシアに向けた『仕込み』のシミュレーションを進めておこうと思うんだが)
《ええ、お任せください。イングラシア王国での布石と、ヒナタ・サカグチとの接触に関する最適解はすでにシュミュレーションをしています。……それで、マスターはブルムンド王国に到着するまで、過去のマスターの呑気な旅を観察し続けるおつもりですか?》
(ああ。俺が見てないところで、何か変な事態が起きないとも限らないからな)
少し呆れたようなシエルの声に苦笑しつつ、俺は過去の俺たちの珍道中を、完全に気配を絶ちながら見守り続けた。
結論から言うと、道中は驚くほど順調だった。
ゲルド率いる工作部隊によって、ジュラの大森林からブルムンドへ抜ける街道はあらかじめ綺麗に整備・舗装されており、かつてカバルたちが命からがら逃げ惑っていた頃とは雲泥の差だ。
歩きやすさが格段に向上しているため、旅の疲労度も進行スピードも全く違う。
さらに、俺が案内役の報酬として与えたドワーフ製の特注武具のおかげで、カバルたち三人組の戦闘力は以前とは比べ物にならないほど跳ね上がっていた。
魔物の侵入を阻害する装置がない一部の区間では、森の奥から迷い出た低位の魔物が襲いかかってきたものの、カバルの構える強固な盾が攻撃を弾き返し、ギドの鋭い短剣が的確に隙を突き、エレンの魔法が容赦なくトドメを刺す。
過去の俺や、影に潜むランガが手を下すまでもなく、彼らだけであっさりと蹴散らしてしまっていた。
「ひゃっほー! この杖、魔力の通りがすっごく滑らか! 私、大天才魔法使いになれちゃったかも!」
「バカ野郎、油断すんじゃねえ! ……って、おおっ!? この鎧、さっきの魔物の爪をまともに受けたのに傷一つ付いてねえぞ! すげえ軽さだ!」
「こりゃあスゲエや! テンペストの武具は本当に破格の性能ですねぇ! これならAランクの魔物だって狩れちまうかも!」
新しいおもちゃを与えられた子供のように大はしゃぎする三人を、過去の俺は「はいはい、あんまり調子に乗って怪我すんなよ」と呆れ半分、すっかり保護者気取りで見守っている。
夜の野営でも、過去の俺の『胃袋』から取り出された豪華で快適な魔物毛皮のシュラフや、シュナ特製の美味しい携帯食(というよりほぼ豪華なフルコース)が振る舞われ、三人組は感動のあまり毎晩のように涙を流して過去の俺を拝み倒していた。
そうして、何の危険も悲壮感もない、まるでピクニックのような道中が数日続き――
やがて、ジュラの大森林の深い木々が次第に薄れ、切り拓かれた平野の向こうに、堅牢な石造りの防壁と人間の営みを示す無数の煙が見えてきた。
小国とはいえ、西側諸国への玄関口として活気づく商業と情報の要衝だ。
「見えてきましたぜ、リムルさん! あれが俺たちの故郷……ブルムンド王国です!」
ギドが誇らしげに指差す先。
冒険者たちと商人たちの活気が入り交じる城塞都市を前に、過去の俺はシズさんの仮面をそっと撫で、小さく頷いた。
人間たちの社会、その最初の関所。
過去の俺がブルムンド王国の門をくぐるのを見届けながら、俺もまた、静かにその街の影へと降り立った。
*
ブルムンド王国の門をくぐった過去の俺は、カバルたちの案内で真っ先に『自由組合(ギルド)』の支部へと足を運んだ。
人間の国々をまたいで移動し、大国であるイングラシア王国の王都へスムーズに入り込むためには、身分を証明するための冒険者カードを取得しておくのが一番手っ取り早いからだ。
ギルドの受付で登録手続きを済ませ、すぐさま実力を測るための実技試験へと移行する。
案内された試験場にいたのは、ジーギスという名の試験官だった。
左足を失い、義足をつけている歴戦の元冒険者だ。
人間の子供のような姿にシズさんの仮面を被った得体の知れない過去の俺に対し、彼は油断なく、実力を値踏みするような視線を向けていた。
試験の内容は、彼が使役する『悪魔召喚』によって呼び出された悪魔を相手に立ち回り、その戦闘能力を証明するというものだ。
ジーギスが呪文を詠唱し、魔法陣から喚び出されたのは下位悪魔(レッサーデーモン)。
一般の冒険者なら複数人で挑まなければならない厄介な相手だが、魔王種として進化の途上にある過去の俺にとっては児戯に等しい。
結果は言うまでもない。
過去の俺は、襲いかかってくる下位悪魔の攻撃を欠伸が出るような余裕で躱し、周囲に被害が出ないよう手加減に手加減を重ねた一撃で、あっさりとその悪魔を消滅させてみせた。
「な、なんだと……!?」
一瞬の出来事に、義足の試験官ジーギスは驚愕に目を見開いて硬直し、見学していた受付嬢もあんぐりと口を開けて固まっている。
カバルたち三人だけが「まあ、リムルさんなら当然だよな……」とどこか遠い目をしていた。
こうして、なんの波乱もなく(周囲の人間たちの度肝はきっちり抜いたが)、過去の俺は無事に冒険者としての身分証をもぎ取ることに成功した。
だが、下位悪魔を瞬殺するような実力を持った謎の人物が、しかも高名な『爆炎の支配者』の仮面を被って現れたという事実を、ギルドの上層部が見逃すはずがない。
冒険者カードが発行されて間もなく、過去の俺は「支部長が面会を求めている」と伝えられ、ギルドの奥にある特別な執務室へと案内されることになった。
俺も気配を完全に遮断したまま、過去の俺の影に潜むランガのさらに奥深くへと同化し、共に執務室へと潜入する。
重厚な木製の扉が開かれた先。
そこには、雑然と積まれた書類の山に囲まれたデスクの奥で、頭を抱えるようにして座っている一人の男がいた。
ブルムンド王国自由組合支部長、フューズ。
かつてテンペストを訪れて数日間滞在し、俺たちとはすでに面識のある、この国のギルドのトップだ。
「よう、フューズ君。久しぶりだな」
過去の俺が気さくに声をかけながら仮面を外すと、フューズはこれ以上ないほど深い溜息を吐き出して顔を上げた。
「……誰かと思えば、やっぱりあなたですか、リムル殿。下位悪魔を一撃で粉砕した上に、シズさんの仮面を被った得体の知れない子供が現れたって報告を受けた時は嫌な予感がしたんですがね。まさか一国の主が、護衛もつけずにフラッとギルドの試験を受けに来るなんて思わないですよ普通……」
頭をガシガシと掻き毟りながら愚痴をこぼすフューズの背後で、案内役のカバルたちが気まずそうに目を逸らしている。
「まあまあ、そう固いこと言うなよ」
過去の俺が笑いながらフューズの向かいのソファにどっかりと腰を下ろした、その直後だった。
俺はかけていた隠蔽スキルを解除し、過去の俺の隣の空間にふらりと姿を現した。
「そうだぞ。フューズ。あまりストレスを貯めると皺が増えるぞ」
俺はそう言ってニヤリと笑い、驚愕に目を見開くフューズの目の前で、過去の俺の隣のソファへとごく自然に腰を下ろした。
「なっ……!? み、未来のリムル殿!? なんであなたがここに……!?」
フューズが咥えていた葉巻を落としそうになりながら立ち上がり、背後に控えていたカバルたち三人も「ひぇっ!?」「えええっ!?」「み、未来のリムルさん!? テンペストでお見送りしてくれたはずじゃ!?」と素っ頓狂な悲鳴を上げて壁際まで飛び退いた。
無理もない。
国でおとなしく留守番しているはずの俺が、何もない空間から突然ブルムンドのギルド本部に現れたのだから。
「ああ、ちょっとイングラシアの方に野暮用があってな。こいつの護衛も兼ねて、こっそり影の中に付いてきてたんだ。道中、カバルたちには世話になったな」
俺が軽く手を上げて挨拶すると、フューズは頭を抱えたまま、呻くように声を絞り出した。
「……おいおい、勘弁してくださいよ。ジュラの森の盟主一人だけでも緊張するっていうのに、わざわざ二人揃って俺の執務室のソファで寛いでいるとは……。寿命が十年は縮んだ気分ですよ」
現実を直視したくないのか、フューズはドッと疲れ果てたように自身のデスクの椅子に崩れ落ちると、深く、深ーく溜息を吐いた。
そして、気を取り直すように鋭い、ギルド支部長としての油断ならない視線を俺たち二人に向けた。
「……で? そのヤバすぎる魔物のお歴々が、揃いも揃ってこんな人間の小国に何の用です? まさか、また物騒な計画を考えてるんじゃないでしょうね?」
警戒心と疲労が入り交じった顔をするフューズに対し、過去の俺は手元の仮面をコトリとテーブルに置き、真剣な表情で本題を切り出した。
「物騒だなんて、人聞きの悪いことを言うなよ」
過去の俺は苦笑しながら両手を振って否定した。
「単なる通り道さ。イングラシア王国に向かう道中で、ちょっと冒険者登録と挨拶に寄っただけだよ。俺たちの国とブルムンドは、これから正式に国交を結んでいく間柄なんだからな」
「イングラシアですって……? 西側諸国の中心地に、ジュラの森の主が自ら乗り込むというのですか?」
「ああ。シズさんの心残りだった子供たちに会いにな。カバルたちにはその道案内を頼んでるんだ」
フューズは背後のカバルたちをチラリと睨み、特大の溜息をついた。
「お前らなぁ……一歩間違えば国際問題になるような超特大の爆弾を、よくもまあホイホイとここまで連れてきてくれたもんだな」
「だ、だって逆らえるわけないじゃないですかぁ!」
「そうそう! それにリムルさんたちは俺たちの命の恩人ッスよ! 断れるわけないじゃないッスか!」
エレンとギドが涙目で必死に弁解する。
「まあ、あんまり彼らを責めないでやってくれ。それよりフューズ、直接礼を言いたかったんだ。例の『英雄ヨウム』の計画では、色々と協力してくれてありがとうな」
過去の俺が真面目なトーンで切り出すと、フューズは少しだけ表情を和らげ、鼻を鳴らした。
「オークロード討伐の功績を人間のならず者に押し付ける……いや、譲るなんて、前代未聞の計画でしたがね。だが、自由組合(ギルド)としても、あなた方魔物の脅威を徒に煽るよりは、人間の英雄をでっち上げた方が民衆を安心させられる。ギルドの裏の情報網を使って、ヨウムの噂は西側諸国に上手く流してありますよ」
「助かったよ。あんたがブルムンドの支部長で本当に良かった」
過去の俺が素直に感謝を述べると、俺も横から口を挟んでニヤリと笑った。
「実際、フューズのおかげで人間社会への根回しが格段にスムーズに進んでるからな。これからもテンペストとブルムンドの『良好な関係』のために、一つよろしく頼むぜ」
「……未来のリムル殿にそう凄みのある笑顔で言われると、どうにも逃げ道がない気がして胃が痛くなるんですがね」
フューズは呆れたように肩を竦め、新しく取り出した葉巻を咥えて火を点けた。
紫煙をくゆらせながら、彼は再び真剣な瞳で俺たち二人を見据える。
「まあ。あなたがたの目的がイングラシアへの通り道ってのは分かりました。だが、いくら冒険者の身分証を手に入れたとはいえ、魔物の国の主が人間の王都を歩くのは危険すぎますよ。向こうには『西方聖教会』の本部もあるんですから」
「分かってる。だからこそ、こうして人間の姿で大人しくしてるんだしな」
過去の俺がシズさんの仮面を弄りながら答える。
俺たちの強さなら正体がバレても強行突破は容易いが、それでは今後の人間社会との共存という目標が遠のいてしまう。
あくまで「シズさんの縁者」という冒険者の身分で潜り込むのが最適解だ。
「……で、そっちの『未来のリムル殿』は、どうやって王都まで行くつもりなんですか?まさか堂々と歩いて…?」
フューズの矛先がこちらに向いたので、俺は肩をすくめてみせた。
「ここまで来たのと同じように、こいつの影の中に潜んでいくさ。俺が本気で気配を絶っていれば、聖教会の連中だってそう簡単には気付けないからな」
俺がそう答えると、フューズは少しだけ安堵したように息を吐き出した。
「……なるほど、そういうことなら安心ですが。しかし、全く……一国の主を二人も相手にしていると、私の胃に穴が空きそうですよ」
「ははっ、そいつは悪いな。まあ、ブルムンドに関しては本当にただの通り道だから安心しろって。……ただ、一つだけ気になってることがあってな」
俺はソファに深く腰掛けたまま、少しだけ声を潜めてフューズの目をまっすぐに見据えた。
「俺の知る本来の歴史だと、俺たちがこの街に滞在していると知った後、あんたを通じてブルムンド王から秘密の会談を持ち掛けられるはずなんだが。……今回もそうなりそうか?」
俺のその言葉に、フューズは咥えていた葉巻をポロリと落としそうになり、目を見開いて硬直した。
「なっ……!? いや、まだあなた方が到着したことすら上に報告していませんが……未来のリムル殿には、うちの上層部の動きがそこまで正確に見えているというわけですか。……全く、未来を知られているというのはやりにくいことこの上ないですね」
フューズは深々と溜息をつき、拾い直した葉巻を灰皿に押し付けると、観念したように頷いた。
「ええ、おっしゃる通りになるでしょう。国王陛下もベルヤード男爵も、ジュラの大森林を治める盟主がこの国を訪れたと知れば、間違いなく直々に言葉を交わし、今後の両国の関係について腹を割って話したいと仰るはずです。極秘裏に会談の場を設けるよう、間違いなく私に命が下るでしょうね」
「やっぱりか。この国も、ファルムス王国や東の帝国に挟まれた小国だからな。俺たちテンペストという新しい勢力と組むことで、国の安全保障を盤石にしたいってのが本音だろう」
「……そこまでお見通しですか。ええ、その通りです。ただ、陛下も魔物の国の主がどのような御仁なのか、直接会って見極めたいと考えておられるはずですので」
フューズが真剣な表情で過去の俺に向き直る。
「リムル殿。イングラシアへ向かう道中でお急ぎのところ申し訳ないのですが……数日だけ、このブルムンドに滞在していただくわけにはいきませんか? もちろん、その間に私から上に報告を上げ、会談の場はこちらで万全に整えますので」
過去の俺は、隣に座る俺と一度顔を見合わせると、シズさんの仮面を手遊びに回しながらコクリと頷いた。
「ああ、構わないよ。俺としても、西側諸国の中で一番最初に国交を結ぶ相手としては、ブルムンド王国が一番信用できると思ってるからな。それに……」
過去の俺はニヤリと笑い、俺の方を親指で指し示した。
「こっちの未来の俺から、会談の時の上手い交渉術や、ブルムンド王が喜ぶ手土産の話なんかもバッチリ聞いてあるからな。今回も良い関係が築けると思うぜ」
「……それは、我が国としては非常にありがたいやら、手札を全て読まれていて恐ろしいやら、複雑な心境ですがね」
フューズが引きつった笑いを浮かべながら頭を掻く。
「ともかく、承知していただき感謝します、リムル殿。会談の準備が整うまで、しばらくはこの街でゆっくりしていってください。ギルドの施設や宿は自由に使っていただいて構いませんから」
フューズの計らいにより、俺たちはブルムンド王国の高級宿で数日間の休息を取ることになった。
エレンたちも同じ宿に泊まる事を許されたので、彼らも喜んでくれていた。
そして約束の日の夜。
フューズの案内のもと、過去の俺はブルムンド城の奥深く、人払いがされた秘密の謁見の間へと通された。
俺も当然、気配を完全に絶って過去の俺の影の中に潜み、一部始終を見守っている。
謁見の間に待っていたのは二人。
一人は、温厚そうな外見の国王、ドラム・ブルムンド。
もう一人は、この国の実務を取り仕切る切れ者の貴族、ベルヤード男爵だ。
本来の歴史であれば、魔物の国の主という未知の脅威を警戒し、まずは実務担当であるベルヤード男爵が俺と面会して安全を見極めてから国王との謁見へ……という、二段構えの慎重な手順が踏まれるはずだった。
だが今回はその手順がすっ飛ばされ、最初から国のトップが同席している。
理由は単純だ。
数日前のギルドでのやり取りの際、俺がフューズに対し『テンペスト側はブルムンドの思惑を完全に理解した上で、極めて有利な同盟を提案する用意がある。変に探り合いなどすれば、逆に心証を損ねるぞ』と釘を刺しておいたからである。
未来の俺に全てを見透かされているという事実と、千載一遇の好機を逃すまいとするフューズが、血相を変えて上層部を必死に説得した結果、この異例の直接会談が実現したというわけだ。
「ジュラの大森林の盟主、リムル=テンペスト殿。よくぞ参られた」
国王ドラムの重々しい挨拶から、西側諸国との初の正式な首脳会談が幕を開けた。
本来の歴史では、この時の俺は人間の王族を相手にするプレッシャーでかなり緊張し、探り探りの交渉になったものだ。
だが今回は違う。
事前に俺がブルムンド側の狙いやベルヤードの性格、さらには交渉の落としどころまで完璧にレクチャーしてある。
《……過去のマスターの心拍数および精神波形、極めて安定しています。堂々とした見事な態度ですね》
影の中でシエルが感心したように呟く通り、過去の俺は一国の主としての威厳を保ちつつ、友好的で余裕のある笑みを浮かべてみせた。
「お招きいただき感謝します、ドラム王。我々テンペストは、人間との共存共栄を望んでいます。西側諸国の玄関口であるブルムンド王国とは、是非とも良い関係を築きたい」
過去の俺が淀みなくそう告げると、国王とベルヤードは微かに目配せをした。
そこからの交渉は、まさにダイジェストのようにスムーズに進んだ。
ブルムンド側はジュラの大森林の安全保障と通行の保証を求め、テンペスト側は人間の技術や物資の取引、そして何より『テンペストの存在を不当に脅かさないこと』を要求した。
そして約束の日の夜。
フューズの案内のもと、過去の俺はブルムンド城の奥深く、人払いがされた秘密の謁見の間へと通された。
俺も当然、気配を完全に絶って過去の俺の影の中に潜み、一部始終を見守っている。
謁見の間に待っていたのは二人。
一人は、鋭い眼光と王としての威厳を備えた初老の男、国王ドラム・ブルムンド。
もう一人は、この国の実務を取り仕切る切れ者の貴族、ベルヤード男爵だ。
「ジュラの大森林の盟主、リムル=テンペスト殿とお見受けします。よくぞいらっしゃいました」
国王ドラムの重々しい挨拶から、西側諸国との初の正式な首脳会談が幕を開けた。
本来の歴史では、この時の俺は人間の王族を相手にするプレッシャーでガチガチに緊張し、かなり探り探りの交渉になったものだ。
だが今回は違う。
事前に俺がブルムンド側の狙いやベルヤードの性格、さらには交渉の落としどころまで完璧にレクチャーしてある。
《……過去のマスターの心拍数および精神波形、極めて安定しています。堂々とした見事な態度ですね》
影の中でシエルが感心したように呟く通り、過去の俺は一国の主としての威厳を保ちつつ、友好的で余裕のある笑みを浮かべてみせた。
「お招きいただき感謝します、ドラム王。我々テンペストは、人間との共存共栄を望んでいます。西側諸国の玄関口であるブルムンド王国とは、是非とも良い関係を築きたい」
過去の俺が淀みなくそう告げると、国王とベルヤードは微かに目配せをした。
そこからの交渉は、まさにダイジェストのようにスムーズに進んだ。
ブルムンド側はジュラの大森林の安全保障と通行の保証を求め、テンペスト側は人間の技術や物資の取引、そして何より『テンペストの存在を不当に脅かさないこと』を要求した。
そして、交渉の最大の山場。
ベルヤード男爵が、探るような目で最大の切り札を切ってきた。
「……リムル殿。我々が独自に得た情報によれば、貴国ではドワーフの技術すら凌駕する、極めて純度の高い『回復薬』を製造しているとのことですが」
「ああ、フルポーションのことですね」
過去の俺は、待ってましたとばかりに『空間収納』から一本のガラス瓶を取り出し、テーブルの上にコトリと置いた。
ヒポクテ草から抽出された、純度99%を誇る完全回復薬(フルポーション)。
「口で説明するよりも、実際に効果を見ていただいた方が早いでしょう。フューズ支部長、例の彼を」
過去の俺が視線を向けると、フューズは静かに頷き、控え室に待機させていた一人の男を呼び入れた。
現れたのは、昼間にギルドで試験官を務めていた元冒険者の男、ジーギスだった。
彼は失った左足の代わりに義足をつけて、緊張した面持ちで王の御前に進み出た。
「彼の失われた左足を、今からこのポーションで治してみせます」
過去の俺の宣言に、ドラム王もベルヤードも半信半疑の目を向ける。
四肢の欠損など、高位の神聖魔法でもなければ修復不可能とされているからだ。
過去の俺はジーギスの義足を外させると、その切断された左足の断面に、蒼く澄んだフルポーションを惜しげもなくふりかけた。
直後、淡い光と共に肉と骨が凄まじい速度で再生を始め――ほんの数秒で、ジーギスの左足は完全に元通りに生え揃ってしまった。
「おお……おおおおっ!? 俺の足が……足が戻ったぞ!」
ジーギスが涙を流して床に伏し、己の真新しい左足を撫で回して歓喜の声を上げる。
その信じられない光景を目の当たりにしたベルヤードだけでなく、国王ドラムまでもが息を呑んで立ち上がった。
「なっ……これほどの純度、本当に欠損部位すら瞬時に治すというのか……!」
「これを、安定して供給できると仰るのか……!?」
驚愕で声を震わせる二人に、過去の俺はニヤリと笑って頷いた。
「なっ……これほどの純度、本当に欠損部位すら瞬時に治すというのか……!」 「これを、安定して供給できると仰るのか……!?」
驚愕で声を震わせる二人に、過去の俺はニヤリと笑って頷いた。
「ええ。ですが、このクラスの『完全回復薬(フルポーション)』をそのまま流通させれば、値段は国家予算規模に跳ね上がり、市場のバランスを完全に崩してしまいます」
過去の俺は一度言葉を区切り、真剣なビジネスの顔を作った。
「ですので、実際に取引させてもらうのは、これを適度に薄めた『上位回復薬(ハイポーション)』になります。薄めたとはいえ、現在市場に出回っているドワーフ製の最高級品を遥かに凌ぐ品質をお約束しますよ。月に提供できる数は制限させてもらいますが……その代わり、ブルムンド王国には優先的に卸しましょう。もちろん、国家の危機など、いざという時には先ほどのフルポーションを融通することも可能です」
これはブルムンド王国にとって、喉から手が出るほど欲しい条件だ。
小国である彼らが、強国や聖教会に対して発言力を持てる最強の外交カードになり得るからだ。
だが、過去の俺は唖然とする二人に向かって、さらに畳み掛けるように言葉を続けた。
「そして、これらの物資を西側諸国全体へ流通させるための『要』を、ブルムンド王国に担っていただきたい」
「流通の要、ですか?」
ベルヤードが怪訝そうに聞き返すと、過去の俺はニヤリと笑った。
「ええ。実は以前の取り決めで、テンペストからこの国へと続く街道の整備はすでに我々の手で進めさせてもらっていますが……同時に、将来的に大量の物資を一度に輸送するための『線路』の基礎も密かに敷設し始めているんです」
「せ、線路……? 一体何を……」
「我々は現在、馬を必要としない次世代の巨大な輸送機関の開発を進めています。それが完成した暁には、ブルムンド王国には西側諸国とテンペスト、ひいては武装国家ドワルゴンやサリオンを結ぶ『物流の中継地点(ハブ)』としての機能を持っていただきたい。……中継手数料や集まる情報だけでも、この国に莫大な利益と権力が落ちるはずですよ」
本来の歴史であれば、俺が魔王に覚醒したずっと後、テンペストの『開国祭』の折にようやくドラム王へと持ちかけた途方もない国家構想だ。
それをこの極めて早い段階で提示され、ドラム王とベルヤードは完全に絶句した。
大国に挟まれた小国であるブルムンドが、世界中の富と物資が集まる大動脈の中心になるというのだから無理もない。
沈黙の後、ドラム王とベルヤードは顔を見合わせ、やがて腹の底から湧き上がるような興奮を抑えきれない様子で深く頷き合った。
「……世界を結ぶ大動脈の中心、か。ならば我が国も、ただ指をくわえて待っているわけにはいかんな。ベルヤード、すぐに法整備と王都周辺の区画整理の検討に入れ。テンペストの次世代の物流網を万全の態勢で迎え入れるための準備を、今この瞬間から極秘裏に進めるのだ」
「ハッ。直ちに手配いたします、陛下」
王の即断即決に、ベルヤードもまた目を血走らせて力強く応じる。
そして、ドラム王は真っ直ぐに過去の俺を見据え、王としての威厳に満ちた声で告げた。
「……リムル殿、いや、リムル王。貴国の誠意、そしてその底知れぬ未来図、確かに見届けた。我がブルムンド王国は、魔国連邦(テンペスト)を正式な国家として認め、固い同盟を結ぶことをここに約束しよう」
ドラム王が力強く宣言し、ベルヤードとフューズが深く安堵の息を吐き出す。
こうして、過去の俺は俺の完璧なカンペとサポートにより、本来の歴史以上にブルムンド王国から強力な信頼と有利な条件を引き出すことに成功した。
西側諸国に、俺たちの絶対的な味方となる『盾』が一つ完成した瞬間だった。
会談を終え、城を後にする夜道。
「ふぅーっ! 終わった終わった! いくらお前から事前に聞いてたとはいえ、やっぱり王様相手の交渉は肩が凝るぜ!」
過去の俺が大きく伸びをしながら愚痴をこぼす。
俺は影の中から姿を現し、ポンと過去の俺の肩を叩いた。
「お疲れさん。でも、これでイングラシアに向かうための後顧の憂いは完全に断てた。いよいよ本番だな」
「ああ。待ってろよ、子供たち」
俺たちは月明かりに照らされたブルムンドの街並みを見下ろしながら、次なる目的地――シズさんの未練が残るイングラシア王国へと決意を新たにした。
*
ブルムンド王国を出発し、イングラシア王都へと続く街道。
フューズが手配してくれた馬車はサスペンションがしっかり効いており、整備された平坦な道を進む車内は思いのほか快適な空間だった。
ガタゴトと規則正しい車輪の音が響く中、俺は過去の俺の影の中からふらりと抜け出し、空いていた向かいの座席にどっこいしょと腰を下ろした。
「よっこらせ、っと。ずっと影の中に潜みっぱなしってのも、案外肩が凝るもんだな」
俺が人間の姿で伸びをすると、同乗していたカバルたち三人組が一斉にビクッと肩を揺らした。
「うおっ!? びっくりしたぁ……! 頼むから急に影から生えてこないでくれよ、未来の旦那!」
カバルが大げさに胸を撫で下ろす。
「あはは……でも、こうしてリムルさんが二人並んで座ってるのって、なんだか不思議な光景ですねぇ。まるで双子の兄弟みたい!」
エレンが興味津々といった様子で、隣同士に座る俺と過去の俺の顔を交互に見比べている。
その屈託のない笑顔を見て、俺はふと悪戯心を起こし、意地悪な笑みを浮かべてみせた。
「そうか? でもエレン……いや、『エリューン』お嬢様。俺たち二人と同乗するよりも、実家のエラルド公爵や『天帝エルメシア』の御前に引きずり出される方が、よっぽど緊張して心臓が縮み上がるんじゃないか?」
「ひゃうっ!?」
俺の口から飛び出した名前に、エレンはビクッと肩を跳ねさせ、馬車の座席から転げ落ちそうになった。
以前の会談の席で、俺が彼女たちの正体(サリオンの大貴族の令嬢とその護衛の魔法尋問官(メイガス))を言い当てた時のトラウマが蘇ったらしい。
「うぅ……お願いですから、急にお父様や天帝陛下のお名前を出さないでくださいよぉ……。本当に城に連れ戻されて、お説教されるところを想像しちゃったじゃないですか……」
エレンが頭を抱えて小さくなってしまう。
「ははっ、悪い悪い。ちょっとからかいたくなっただけだ」
俺は涙目のエレンに苦笑して謝りつつ、ふと今後の国家運営のロードマップを脳内に思い描き、無意識のうちに独り言をこぼしていた。
「……でも、サリオンともっと早く国交を樹立して向こうの技術団を迎え入れることができれば、今テンペストで構想を練ってる『魔導列車』の研究開発にも一気に弾みが付きそうなんだがな」
「ああ、それは俺も思ってた。ドワルゴンの工学技術に加えて、サリオンの精緻な魔導技術が合わされば、ジュラの森中に線路を敷いて西側諸国と繋ぐ計画も、かなり前倒しできそうだしな」
隣に座っていた過去の俺も、シズさんの仮面を少し上にずらしながら、うんうんと深く頷いて同調する。
魔物の国の主ふたりが、馬車の中でサラリと口にした途方もない国家プロジェクトの規模に、向かいの席の三人組は完全に顔を引き攣らせた。
「ち、ちょっとお二人とも!? アタシの実家や天帝陛下を、なんだか便利な技術提供のコネみたいに思ってませんか!?」
エレンが抗議の声を上げるが、俺はニヤリと笑って肩をすくめた。
「便利なコネというか、どうせお前の親父さんやエルメシアは、後々テンペストの噂を聞きつけて勝手に遊びに来るようになるからな。どうせならその時期を少し早めて、サリオンの技術と俺たちの発想を合体させた方が、世界がもっと面白くなるだろ?」
「天帝陛下が勝手に遊びに来る……!?」
「お、お嬢……リムルの旦那たち、やっぱり思考のスケールがヤバすぎて俺たちじゃ付いていけねえっす……」
ギドが頭を抱え、カバルも「魔物の国が、西側諸国を巻き込んで次世代の流通網を作るだなんて……本気で世界がひっくり返るぞ」と遠い目をしている。
「まあ、いきなりそんな大事業は無理だから、まずはブルムンド王国や友好国との地道な外交からだな。……とりあえずエレン、後でこっそりお前の親父さんに『テンペストっていう面白い国がある』って手紙でも送っておいてくれないか?」
「だからアタシをパシリに使わないでくださいよぉ!」
エレンがプクッと頬を膨らませて怒るが、その顔に先ほどの怯えはもうない。
馬車の中は再び賑やかな空気に包まれ、俺と過去の俺も「食堂車とかも作りたいな」「ああ、駅弁の構想も練っておこうぜ」と楽しそうに未来の計画に胸を膨らませていた。
(シエル。サリオンへの接触時期の前倒し、並行してシミュレーションしておいてくれ)
《承知いたしました。マスター》
俺の脳内でシエルが頼もしく応じる。イングラシアでの子供たちへの未練の解消、そしてヒナタとの和解。
それが済めば、いよいよ西側諸国、そして世界全体を巻き込んだ壮大な国造りが一気に加速していく。
馬車の心地よい揺れに身を任せながら、俺は迫り来る王都イングラシアの気配を静かに感じ取っていた。