【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第二章 動き出す歴史と森の管理者

進化の眠りについた六人のオーガと、その主。

静まり返った村を、朝の冷たい空気が包んでいた。

 

俺は少し冷えた空気を(実際には呼吸していないが)深く吸い込み、村の様子を観察することにした。

まだ言葉を交わしていない懐かしい仲間たちと、少し話をしておきたかったのだ。

 

規則正しく並び始めた家々や、遠くで聞こえる活気ある作業の音。

まだ発展途上ではあるが、ここには俺が作り上げた「故郷」の原風景が広がっている。

 

そんな感慨に浸りながら歩みを進め、まず一番最初に出会ったのは、村の入り口付近で槍を片手に見張りに立っていた(いや、半分ぼんやりしていた)ゴブタだった。

 

「あ、あれ……? リムル様? 確か眠ってるはずじゃ…? あ! もしかすると違う世界から来たリムル様とかだったりするっすか? なんかよくわからないっすけど迫力が違うっす!」

 

俺の姿を認めたゴブタが、目を白黒させながらとんでもないことを言い当てた。

俺の歴史でもそうだったが、こいつの直感の鋭さには時折本気で驚かされる。

今の俺は実力を隠すために魔力制御を完璧に行っているはずなのだが、ゴブタには本能的な「違和感」として伝わっているらしい。

 

「お前ってやっぱすごいな。……半分正解だ。俺は違う世界じゃなくて、お前たちの『未来』から来たリムルだよ」

 

「み、未来っすか!? じゃあ、オイラたちこれからどうなるんすか!? オイラ、立派な戦士になってるっすか!?」

 

「まあ落ち着け。お前が立派かどうかは……まあ、色々とやらかしつつも、頼りになる男にはなってるぞ」

 

「おおーっ! やっぱりオイラは天才だったんすね!」

 

「調子に乗るな。それに、未来から来たってのは、あんまりベラベラ喋るんじゃないぞ? 俺が信頼を置ける仲間や知り合いにしか話さないことにしてるんだからな」

 

「了解っす! 男と男の、時を越えた秘密の約束っすね!」

 

「……お前が言うとなんか安っぽくなるな。まあいいや。ところで……誰にも内緒の『修行』は順調か?」

 

俺が唐突にそう切り出すと、得意げに胸を張っていたゴブタの動きがピタリと止まった。

 

「えっ! なんで修行してるって知ってるっすか!? まだリグルドさんたちにも内緒にしてるのに……」

 

「だから未来から来たって言っただろ。お前のことはよく見てるんだよ」

 

(シエル、こいつの今のステータスはどうなっている?)

 

《ゴブタのステータスですが、現時点での能力値は平均的なゴブリンを僅かに上回る程度ですね。

ですが、その魔素の流動には特筆すべき柔軟性が見られますよ》

 

(だろうな。のちの四天王筆頭候補だしな。今はまだただの鼻垂れだけど)

 

俺は思わず口元が緩むのを抑えられなかった。

未来の俺の知るゴブタは、どんな強敵を前にしてもどこか飄々としていて、それでいて土壇場で期待以上の結果を出してくれる頼もしい仲間だ。

だが、目の前にいるのは、まだ自分の才能にすら気づいていない、ただの不器用なゴブリンの少年である。

 

「ゴブタくん、せっかくだから未来の俺から一つアドバイスだ」

 

「アドバイスっすか? 未来のリムル様から直々に!? 聞きたいっす!」

 

「おまえは、無理に型にハマる必要はない。自分が『こうなればいいな』と思う動きを、頭の中でそのままイメージしてみろ。おまえの体は、それに応えてくれるはずだ」

 

俺がそう言って頭を軽く撫でてやると、ゴブタは一瞬呆然とした後、顔を赤くして「へへへ、なんかよくわかんないっすけど、頑張ってみるっす!」と鼻の下をこすった。

 

「よし、いい返事だ。……それと、しばらく『もう一人の俺』が眠るから、村の警戒を頼むぞ。何かあったら、俺がすぐに行くからな」

「了解っす! リムル様が二人いるみたいで不思議っすけど、未来のリムル様もオイラがしっかり守るっすよ!」

 

元気よく胸を叩き、再び見張りの配置へと戻っていくゴブタの背中を見送りながら、俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。

あいつのあの明るさと図太さは、この殺伐とした戦乱の世において、一種の救いでもあったのだ。

 

 

ゴブタとの短い交流を終え、俺は村の様子を見ながら中心部へと歩を進めた。

規則正しく並び始めた家々や、活気ある作業の音。

まだ発展途上ではあるが、ここには俺が作り上げた「故郷」の原風景が広がっている。

 

そんな感慨に浸っていた時、不意に背後の影が大きく揺らいだ。

 

「主様の……いえ、主様と等しき魂を持つ御方よ」

 

音もなく影から躍り出たのは、銀色の毛並みを誇る巨大な狼。

俺の影に潜み、常に俺を護る忠実なる影の騎士――ランガだ。

宴の席で俺が突如現れた際、彼は過去の俺の影からその様子を具に観察していた。

だからこそ、俺が「主」であって「主ではない」別の存在であることを、その鋭い嗅覚と直感で理解しているのだろう。

 

「ランガか。主――あっちの俺が眠っている間、しっかり村を護っているようだな」

 

俺が声をかけると、ランガは巨大な体を低くし、恭しく頭(こうべ)を垂れた。

だが、その尻尾だけは隠しきれない歓喜を表すように、ブンブンと激しく左右に振られている。

その勢いだけで周囲に局地的な突風が巻き起こりそうだが、本人は至って真面目な顔なのが面白い。

 

(シエル、今のランガの状態はどうだ?)

 

《ランガについてですね。現時点でのランクは『災害級(カラミティクラス)』に近い上位魔物ですが、彼にはまだ進化の余地が多分に残されています。今は過去のマスターが『眠り』による魔素の回復を行っているため、自発的に周辺の警戒を行っているようです》

 

(なるほど。あっちの俺が名付けで魔素を使い果たして寝込むのは、もはや恒例行事みたいなもんだからな)

 

嵐牙狼族(テンペストスターウルフ)へと進化したばかりの彼は、今のままでも十分すぎるほど強い。

だが、未来の戦場を共に駆け抜けた「真なる魔王の守護者」としての風格に比べれば、今の姿はどこか初々しく、そして愛らしい。

 

「はっ! このランガ、命に代えましても! ……しかし、不思議なものです。貴方様からは、我が主と同じ……いえ、それ以上に深く、底知れぬ慈愛と力の波動を感じます 」

 

ランガはそう言うと、不思議そうに、だが甘えるように俺の手に大きな鼻先を寄せてきた。

これだけ鋭い感覚で俺の本質を捉えているなら、隠し立てする必要もないだろう。

 

「お前のその鋭い直感には、誤魔化しがきかないみたいだな。……実は俺は、お前たちの『未来』から来たリムルなんだ」

 

「み、未来の……我が主!? おお、おおおおおおっ! なんという事でしょう!!」

 

ランガの目がカッと見開き、ブンブンと振られていた尻尾の動きがさらに倍の速度へと跳ね上がった。

周囲の土埃が竜巻のように巻き上がる。

 

「い、いかがでしたか!? 未来の私は、主のお役に立てておりましたでしょうか!? 足手まといなどにはなっておりませぬか!?」

 

「ああ、もちろんだ。未来の俺にとって、お前は常に俺の影に潜み、いざという時に背中を預けられる最高の『守護者』になってるぞ」

 

「ウォォォォン!!」

 

俺の言葉に、ランガは感極まったように誇らしげな遠吠えを上げた。

その歓喜に満ちた遠吠えが、朝のジュラの大森林に響き渡る。

 

「ふふ、あまりそう振るな。村の家が吹き飛んじまうぞ。……ランガ、お前には苦労をかけるが、あっちの俺が起きるまで頼んだぞ 」

 

「ははっ! 貴方様が居てくださるならば、このランガ、これほどの安心感はございませぬ! 未来の主のお言葉を胸に、この命尽きるまでお守りいたします!」

 

巨大な牙を持つ魔獣のはずだが、俺にとってはいつまでも可愛い「犬」のような存在だ。

俺はその銀色の毛並みを力強く撫で、未来で彼が見せてくれる八面六臂の活躍を思い返していた。

 

 

次に向かったのは、カイジンの仮設工房だった。

 

「おぉ、リムルの…。……いや、あんたのことはどう呼べばいいんですかい?」

 

金床の前で腕を組んでいたカイジンが、俺の姿を見て低い声を漏らした。

ドワーフの王国で武装化の責任者を務めていた男だ。

その眼光は鋭く、俺の纏う空気の変化を敏感に感じ取っているようだった。

 

「そうだな、未来の旦那とでも呼んでくれればいいさ。……実は俺、お前たちの『未来』から来たリムルなんだ」

 

「み、未来だと? ……なるほどな。どうりで、あっちの旦那とは纏ってる気迫というか気品が違うと思ったぜ。だが、未来の旦那が過去にどうやって来たってんだい?」

 

カイジンの問いに、俺は少し肩をすくめて答えた。

 

「ああ、それなんだが……実は今の俺なら、気合を入れれば自力で時間を飛び越えて過去に来ることもできるんだよ」

 

「は、はぁぁっ!?」

 

カイジンの特大の驚声が、仮設工房の中に響き渡った。

ガルム、ドルド、ミルドのドワーフの熟練職人三兄弟も、手に持っていた金槌を取り落としそうになるほど慌てふためいている。

 

「じ、時間を飛び越える!? 空間移動や転移魔法の次元じゃねえぞそれ……旦那、未来じゃ神様か何かにでもなっちまうのか!?」

 

「まあ、強さだけで言えばそれに近いかもな。……だけど、今回過去に来たのは俺自身の力じゃないんだ」

 

「どういうことだい?」

 

「気がついたらこの時代に放り出されてた。俺をここへ送り込んだ原因も、その具体的な方法も、実は今の俺ですら完全に把握しきれてないんだよ」

 

「自力で時間移動できる未来の旦那が、訳もわからず飛ばされたって……そりゃまた厄介な話だな。だが……」

 

そこまで言ったところで、カイジンの瞳の奥に、先程までとは違うギラギラとした特有の光が灯り始めた。

純粋な未知の技術に対する、職人としての果てしない探究心だ。

 

「……時間を超えるってのは、一体どんな理屈なんだ? 尋常じゃない魔素の流動か? それとも空間そのものを歪めて次元の壁を突破するのか? 時空間の座標軸を特定して固定する『法則』が何かあるはずだが……!」

 

「おいおい、カイジン。目がマジになってるぞ」

 

「いやぁ、技術者としてはたまらなく気にならぁな! もしその時間移動の理屈の片鱗だけでも武具の術式に組み込めりゃ、相手の攻撃を過去に逸らして無効化する盾とか、未来の斬撃を先置きする剣とか……とんでもねえモンが作れるかもしれねえ!」

 

(シエル、カイジンが変な方向に暴走しそうなんだけど……)

 

《カイジンの現在の技術力と設備では、時空間操作の再現は不可能です。

しかし、発想の方向性としては非常に興味深いかと》

(お前まで興味持つなよ!)

 

頼もしいドワーフの技術者の底知れぬ知的好奇心に内心で冷や汗を流しつつ、俺は咳払いをして強引に話を戻すことにした。

 

 

「まぁ、その話は一旦置いといてだな。あっちの俺が眠ってる間、少しでもこの村の戦力を底上げしておきたくてね。……どうだ? この村での仕事は」

 

「ああ。設備はまだ整っちゃいねえが、やる気のある奴らばかりで退屈はしねえ。だが……」

 

カイジンはちらりと、オーガ達が深い眠りについている建物の方向に視線を向けた。

 

「あのオーガ共を襲ったオークの軍勢、そして昨日聞いた武装したオークの話……。正直、嫌な予感が止まらねえんだ 。もし本当に奴らが押し寄せてきたら、今のこの村の装備じゃあ……」

 

カイジンは歯がゆそうに自分の鍛えた剣を見つめた。

熟練の職人である彼は、精神論だけでは埋められない「物質的な戦力差」を一番理解している。

 

「だからこそ、俺が来たんだ 。カイジン、ちょっとこの図面を見てくれ」

 

俺は指先から魔素を放出し、空間に空想的な青い光の図面——ホログラムのように立体的な武装の設計図を描き出した。

それは、ドワーフの王国でも数百年後にようやく辿り着くであろう、魔素伝導率を極限まで高めた『魔装兵装』の基礎理論だ。

 

「な、なんだこれは……!? 魔力回路の配置が、俺の知っている常識とは根本から違ってやがる。……おい、これなら、使い手の魔素を無駄なく刃に乗せられるぞ!」

 

「ああ。俺のいた未来の技術の基礎理論だ。今の材料でも、これの一部を参考に打ち方さえ変えれば数段に強い装備は作れるはずだ。……カイジン、おまえなら、これを有効活用できるだろ?」

 

俺が不敵に笑うと、カイジンは一瞬呆然とした後、その瞳に職人としての魂の火を灯した。

 

「……ハハッ、全くだ 。未来の旦那は、とんでもねえ宿題を置いていきやがる。だが、面白え……! これを作れなきゃ、職人失格だ。それにしても、未来の旦那はこんな凄まじい技術を持ってるのか」

 

「俺一人の力じゃないさ。お前たち優秀な技術者が俺たちの国を支えてくれてるおかげだよ」

 

「……国? ちょっと待て、旦那。今、国って言ったか!? このゴブリンたちの寄り合い所みたいな村が、将来『国』になるっていうのか!?」

 

カイジンが目を見開き、素っ頓狂な声を上げた。

 

「ああ、魔物も人間も、色んな種族が笑って暮らせる最高の国になるぞ。だから頼むぜ、カイジン」

 

「……ハッ! そりゃあ、職人として腕が鳴るってもんだ! 国を支える技術者筆頭として、こいつを必ず形にしてやらぁ!」

 

(シエル、カイジンの作業をサポートする並列演算用の『補助プログラム』を、村の工房の結界に組み込んでおけ。彼が叩く瞬間に、最適な熱量と魔素バランスが維持されるようにな)

 

《了解。……マスター、甘いですね。過去の自分には手出ししないと言いつつ、彼らには最高の環境を与えようとするとは》

 

(うるさいよ。あいつらが強くなることは、この世界の俺を助けることに直結するんだからな)

 

カイジンが熱心に図面を読み込み始めたのを確認し、俺は満足して工房を後にした。

 

 

 

続いて向かったのは、村の警備と建築の指揮を執っているリグルドと、その息子であるリグルのもとだ。

 

広場の一角で、何枚もの毛皮の地図を広げて深刻そうに話し込んでいた二人は、俺の足音に気づくと弾かれたように顔を上げた。

 

「おお、リムル様! もうお目覚めになられたのですね!」

 

「父上、リムル様は数日は目覚めないとおっしゃっていたはずでは……ん? お待ちください。なんだか、いつも以上に凄まじい覇気を感じます……」

 

喜色満面で駆け寄ろうとしたリグルドだったが、隣にいたリグルが怪訝な顔で立ち止まった。

その言葉にリグルドもハッとして俺を凝視し、やがて昨晩の記憶と目の前の姿を合致させたらしい。

 

「あ、貴方様は……昨晩の宴に突如現れた、リムル様に瓜二つの御方!?」

 

「失礼いたしました! あまりにもお姿が似ておられたもので、つい我らが主君かと……!」

 

二人が慌てて平伏しようとするのを、俺は軽く手を振って制した。

 

「いいんだ、間違えるのも無理はない。姿形は同じなんだからな」

 

「姿形が同じ、とは……? 昨晩はゆっくりお話を伺えませんでしたが、貴方様は一体……?」

 

リグルの戸惑うような問いかけに、俺は少しだけ声を潜めて答えた。

 

「実は俺、お前たちの『未来』から来たリムルなんだよ」

 

「「み、未来のリムル様だとォ!?」」

 

リグルドとリグルが、文字通り目を剥いて驚愕の声を上げた。

信じられないのも無理はない。

だが、二人は顔を見合わせた後、俺から漏れ出る魔王の覇気(過去の俺と区別してもらうために、あえてほんの少しだけ出していた)を感じ取り、深く深く首(こうべ)を垂れた。

 

「な、なんという事でしょう……! この圧倒的な威厳と力強さ、未来の我が主君がこれほどまでに偉大な御方になられるとは!」

 

「リグルド、感激のあまり涙が止まりませぬ! 我らゴブリン族の未来は、なんと輝かしいものなのでしょうか!」

 

「わかった、わかったから泣くのはやめてくれ。今はあっちの俺が眠っているから、代わりに村の様子を見に来たんだ。……何か変わったことはないか?」

 

俺が話を本題に戻すと、二人はサッと真剣な表情に戻り、広げていた地図を指差した。

 

「それが……少々気がかりな事態が起きております。ここ数日、森の奥深くから、下位の魔物や動物たちが異常なほどの数で村の近くまで逃げてきているのです」

「はい。まるで、背後から迫る『何か』から群れ全体で逃げ惑っているような……。ただの縄張り争いとは思えない、異様な大移動です」

 

リグルドの言葉をリグルが補足する。

動物たちの大移動という、目に見える異常事態に、二人は強い警戒感を抱いていた。

 

(シエル、俺も感知してはいたが、この大移動の原因は……)

 

《オークの軍勢の進軍による生態系の破壊から逃れるための移動であると同時に、ジュラの大森林の意志——トレイニーが、オークの猛攻を抑えきれずに放った救難の魔力波に、動物たちが本能的な恐怖を抱いている結果と推測されます。しかし、私たちの知る本来の歴史よりもオーク達との邂逅が早い結果となっています》

 

(そうか。トレイニーさんがこの時点で苦戦する相手なんて、本来の歴史じゃありえないな)

 

俺はリグルドとリグルの肩を軽く叩いた。

 

「よく気づいたな、二人とも。その警戒は正しい。……これからは、俺が少し席を外して原因を確かめてくる。村の防衛は、お前たちと……目覚めた後のベニマルたちに任せるぞ」

 

「はっ! このリグルドとリグル、命に代えてもリムル様(過去)とこの村を守り抜く所存です!」

 

力強い親子の返事を聞き、俺は村の外縁へと視線を向けた。

過去の俺が眠り、仲間たちが進化の途にある今、動けるのは俺しかいない。

 

「……さて。トレイニーさんを困らせている『お邪魔虫』が誰なのか、拝みに行くとしますか」

 

俺の体から銀色の魔素が立ち上り、一瞬にしてその場から姿を消した。

 

 

 

リグルドとリグルに村の守りを託した俺は、シエルが感知した魔素の乱れを追い、ジュラの大森林の深部へと転移した。

 

大樹が重なり合う一角、そこには俺がかつて体験した歴史ではあり得ない光景が広がっていた。

 

「……はぁっ! 『ウィンドカッター』!」

 

鋭い風の刃が森を駆け抜ける。

ジュラの大森林の管理者、トレイニーさんだ。

 しかし、彼女と対峙しているのは、本来なら彼女の足元にも及ばないはずのオークの先遣隊だった。

 

「ガアアアア!!」

 

異様なのはそのオークたちだ。

正史のこの時期の個体とは明らかに違う。

全身に禍々しい紫色の紋様が浮かび、トレイニーさんの精霊魔法を受けても、その傷口が瞬時に肉を盛り上げ、再生していく。

 

(シエル、あれは……『飢餓者』の影響か?だが、まだオークロードが誕生して間もないはずなのに、この力はおかしくないか?)

 

《トレイニーですが、この森の規律を守るため、過剰に強化されたオークたちの猛攻を一身に引き受けているようですね。どうやら対象のオークたちは、何らかの理由でオークロードから過剰に魔素を供給されているらしく、自己崩壊と超再生を繰り返す狂戦士状態に陥っているようです》

 

「くっ……! まさか、これほどの執念とは……」

 

トレイニーさんの額に汗が浮かぶ。

彼女は森の管理者であるがゆえに、森を汚染するこの異質な魔素を無視できず、正面から受け止めてしまっているのだ。

 

(このまま仕掛けると、後ろで糸を引いてるゲルミュッドに気取られるかもしれないからな。

情報遮断をして…と)

 

オークの一体が、巨大な鉈を振り上げ、トレイニーさんの死角から襲いかかる。

彼女がそれに気づき、防御魔法を展開しようとした瞬間——。

 

「——そこまでにしとけよ、デカブツ」

 

俺は二人の間に音もなく割って入り、人差し指一本でその鉈を受け止めた。

 

「なっ……!? 貴方は……!?」

 

トレイニーさんが驚愕に目を見開く。

俺の指先に触れた鉈は、そこから黒い炎が燃え広がり、一瞬で灰へと変わった。

 

「やあ、トレイニーさん。ちょっと村の方まで風が届いてたんでね。助太刀に来たよ」

 

俺は背後を振り返らず、襲いかかってくる他のオークたちを、解き放った覇気だけで地面に叩き伏せた。

俺から漏れ出る魔王級のプレッシャーに、狂戦士化していたはずのオークたちが本能的な恐怖で動きを止める。

 

「もしや…ゴブリンの集落を率いる魔物の主…ですか?」

 

「まあ、細かい話はあとだ。まずはこの、予定より張り切りすぎてるオークたちを片付けちまおう」

 

俺は右手を軽く振り上げた。

俺の知る歴史では、ここで彼女からオークロード討伐の依頼を受けることになるが、今回は少し展開が早まりそうだ。

 

「……感謝いたします。ですが、お気をつけください! そのオークたちは通常の個体とは一線を画しています!」

 

トレイニーさんの制止の声が響くが、俺は軽く片手を挙げてそれに応えた。

 

「ああ、わかってる。全部任せてくれ。」

 

そう言ってオークと相対する俺だが、同時にシエルにも指示を出していた。

 

(シエル、一気にいくぞ。見かけ上はゲルミュッドに『不慮の事故で消滅した』と誤認させるようにな。だが――)

 

俺は内心で、シエルに重要な指示を付け加えた。

 

(こいつらも、後々に過去の俺の仲間になるゲルドにとっての仲間達だ。死体すら残さず焼き尽くしたように見せかけて、後で確実に生き返らせるための準備をしておけ)

 

《ふふっ、お安い御用です。すでに周辺一帯へ『結界』を展開し、魔素の流出は完全に遮断しておきました。対象のオーク群を疑似的な『黒炎獄(アビスフレア)』で包み込み、炎に焼かれる寸前で『暴食之王(ベルゼビュート)』の権能を応用します。彼らの魂から遺伝子、肉体の構成情報に至るまで、一切の欠損なく『虚数空間』へと隔離・保存してご覧に入れますね》

 

(よし、頼んだ)

 

俺が指をパチンと鳴らすと、地面に伏せしていた数十体のオークたちの足元から、どす黒い火柱が音もなく立ち昇った。

狂戦士化し、超再生を誇っていたはずのオークたちが、悲鳴を上げる暇さえなく一瞬で黒炎に飲み込まれる。

 

トレイニーさんの目には、彼らが圧倒的な熱量によって原子レベルまで分解され、完全に消失したように見えただろう。

だが実際には、彼らの魂と肉体を構成する全データは、俺の『虚数空間』の中で安全に保護され、後の蘇生の時を静かに待っている状態だ。

 

あまりの光景に、背後にいたトレイニーさんは息を呑み、絶句していた。

 

「……これほどの、力……。森の規律すら上書きするかのような、圧倒的な神威……」

 

彼女が震える声で呟く。

俺の歴史で出会った時の彼女はどこか余裕があったが、今の俺が放つプレッシャーの前では、管理者である彼女さえも本能的な畏怖を隠せないようだった。

 

俺は残滓が完全に消え、オークたちの情報回収が完了したのを見届けてから、彼女の方へ向き直った。

 

「さて、トレイニーさん。改めて自己紹介を。俺はリムル。……まあ、今は訳あってこの森の平和を守ってる者だよ」

 

「……リムル様、とお呼びすればよろしいでしょうか。私はジュラの森の管理者をしております、樹妖精(ドライアド)のトレイニーです。……貴方様のような強大な御方が、なぜこれほど早い段階で動かれたのかは分かりかねますが……この状況、私一人の手には負えぬようです」

 

彼女は深く、優雅に一礼した。

その仕草は丁寧だが、その瞳には「予定外の強者」である俺への警戒と、それ以上の期待が入り混じっている。

 

「リムル様。先ほどのオークたちの異変……そして、森を飲み込もうとしている巨大な飢餓の気配。私は管理者として、貴方様に正式に依頼をさせていただきたい。……どうか、豚頭帝(オークロード)を討ち取ってはいただけないでしょうか」

 

(……出たな。俺の歴史よりも随分と早い依頼だ)

 

俺は少し考え込んだ。

過去の俺が眠っている間に全てを終わらせることもできる。

だが、それではメッセージにあった「新たなる可能性」には繋がらない。

 

「依頼は受けよう。……ただ、一つ条件がある」

 

「条件、でしょうか?」

 

「ああ。討伐の主役は、俺じゃない。……俺たちの村にいる、もう一人のリムルと、その仲間たちだ」

 

俺の言葉に、トレイニーさんは不思議そうに首を傾げた。

 

「もう一人の……? 申し訳ありません、意味が……」

 

「今は分からなくていいさ。……トレイニーさん、あなたには、まず後日改めて俺の村に来てもらいたい。そこで、目覚めた後の『俺』に、今の話をもう一度してやってほしいんだ」

 

「……承知いたしました。事情は完全には飲み込めておりませんが、貴方様のような御方が仰ることとあれば、より大いなる『運命』の導きなのでしょう」

 

トレイニーさんは戸惑いを見せつつも、優雅に一礼して俺の言葉を受け入れた。

 彼女ほど鋭い精霊であれば、言葉の意味はわからずとも、俺の魂の輝きが「もう一人の俺」と地続きであることを本能で察しているのかもしれない。

 

「では、数日後……準備が整うであろう頃合いに、改めて集落を訪ねさせていただきます。その時に改めて、豚頭帝(オークロード)討伐の依頼を」

 

「助かるよ。それじゃあまたな!」

 

そう言って、俺は一瞬で村の広場へと転移した。

 

 

時刻は昼を過ぎ、村の中にはオーガたちの進化に伴う、濃密でどこか心地よい魔素の香りが漂っている。

 

(シエル、あいつらの進化の進捗はどうだ?)

 

《ベニマルたち6名ですが、全員無事に『鬼人(キジン)』への進化の最終段階を迎えているようですね。マスターの助言通り、過去のマスターの魔素のみで構成させた結果、マスターの歴史と変わらぬ……いえ、以前よりもさらに強固な魂の繋がりが形成されていますよ》

 

(よし。……過去の俺は?)

 

《まだスリープモード中です。

目覚めるまでは残り約四十八時間ほどかかると思われますね》

俺は、リグルドが急ごしらえで作った天幕の中で眠る「自分」の顔(スライムだから顔はないが、そういう雰囲気)を覗き込んだ。

その様子は驚くほど安らかで、かつての俺が経験した、あの凄まじい疲労感と達成感の只中にあることがわかる。

 

「……ゆっくり寝とけよ。起きたら、とんでもない激動の毎日が始まるんだからな」

 

それから俺は、目覚めを待つ間、シエルと共にこの世界に起きている「歪み」の解析を続けることにした。

正史よりも強力なオーク。

早まるトレイニーとの接触。

何者かが仕組んでいるのか、それとも俺という存在が因果を加速させているのか。

 

「……どっちにしろ、俺ができることをやるだけだな。この時間軸では誰も悲しませないために」

 

俺は、過去の俺が目覚める前の、最後の一仕事を行うことにした。

 

 

 

 

俺は、オークの襲撃にあったオーガの里の跡地を訪れていた。

あの時は報告で聞いただけだったので、自分の目で見るのは初めてだった。

倒壊した建物の瓦礫が痛々しく残っているだけで、オーガの死体もオークの死体も、何一つ残っていなかった。

 

かつての仲間たちが味わった絶望の跡地。

俺は一人、静まり返った廃墟に立っていた。

 倒壊した柱、焼けた跡。

視覚的には悲惨な戦場跡だが、漂う気配は異様なほど「清潔」だった。

 

「……当時のソウエイの報告通りだな。死体が一つもない」

 

本来、戦場には死臭や血の跡が色濃く残るものだ。

だがここには、命が失われた痕跡そのものが、物理的に欠落している。

 

(シエル、この場所に残る魔素の残滓をスキャンしてくれ。魂の情報の残留率は何%くらいある?)

 

《わかりました。対象範囲内の魔素残滓を抽出。……魂の情報の残留率は三十%です》

 

(……三十%?随分と高い数値だな?時間が経てば霧散するはずだが……シエルさんが何かしたのか?)

 

《いえ。私が直接的に過去へ干渉したわけではありません。ですが、マスターがこの時代へ到達した瞬間、私の判断でオーガの里一帯の魂の霧散を自動的に阻止し、未来のデータで補完しておきました。その結果が三十%というわけです》

 

シエルさんは事もなげにそう告げた。

……なるほど、俺がこの時代に来た時点で、俺の行動を先読みして先手を打っていたわけだ。

さすがは俺の相棒だ、仕事が早すぎる。

 

《補足します。この場に残っている魂の残滓は三十%程度ですが、オークロードの固有スキル『飢餓者』の、摂取した種族の特性を奪うといった要素を考慮すると、魂の残滓の不足分はオークロード、あるいは配下のオークの体内に未消化のまま残されている可能性が高いと推測します》

 

(……!ということは、オーク達からその情報を回収できれば……!)

 

俺の知る歴史では、ベニマルたちは一族の仇を討つことで一区切りをつけたが、失われた命が戻ることはなかった。

それが世界の理であり、あいつらもそれを受け入れて生きてきた。

だが、もし。その魂を回収し、文字通りの意味で「救う」ことができたなら。

 

《はい。理論上、オークから未消化の魂を回収し、解析鑑定および『虚数空間』での再構成を行えば、オーガ達の蘇生が成功する可能性は極めて高くなります。……ただし、そのためにはオークロードに完全に『消化』される前に、情報を引き抜く必要があります》

 

(……上等だ。待ってろよ、皆。今度こそ、誰も失わせやしない)

 

俺は決意を新たにすると、最後に一度だけ廃墟を見渡し、一瞬で村へと転移した。

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