【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第九章 密室の交渉と差し伸べられた手

子供たちの件について確約を交わし、本来の歴史であればここで面会は一段落し、自由学園への案内へと移行するはずだった。

だが、過去の俺は手元のシズさんの仮面をテーブルにコトリと置き、スッと真顔になって部屋の空気を切り替えた。

 

「子供たちの件は俺に任せてくれ。……ただ、今日はもう一つ、どうしても話しておきたい『重要な件』があるんだ」

 

「重要な件、ですか?」

 

ユウキが不思議そうに首を傾げる。

 

「ああ。悪いが、そこに控えている秘書さん……彼女にもこの席へ同席してもらいたい話なんだ」

 

その提案に、ユウキの目がわずかに見開かれた。

彼が事前に描いていたであろうシナリオには、この展開は全く想定されていなかったはずだ。

ただの人の良い同郷の魔物が、なぜ一介の秘書であるカガリの同席を求めるのか。

ユウキの瞳の奥で、無数の思考と警戒が高速で駆け巡っているのが、影に潜む俺にも手に取るように分かった。

 

「私に、ですか?」

 

部屋の隅で静かに業務をこなしていたカガリ自身も、その言葉に明らかな戸惑いと警戒の念を微かに滲ませる。

 

数秒の沈黙の後、ユウキは人当たりの良い笑みを崩さずに頷き、彼女へと視線を向けた。

 

「……分かりました。カガリさん、リムルさんのご指名だ。こちらの席へ座ってくれるかな」

 

「……かしこまりました」

 

カガリはユウキに促されるまま彼の隣のソファへと腰を下ろしたが、その鋭い視線は過去の俺を静かに値踏みしている。

 

自由組合総帥、神楽坂優樹(ユウキ・カグラザカ)。

そしてその副官にして元魔王、カザリーム。

世界を裏で暗躍する『中庸道化連』のトップ二人が、過去の俺の目の前に並んで座る形となった。

 

(……さあ、ここからが本番だぜ、未来の俺)

 

(ああ。気後れするなよ。主導権はこっちが握るんだ)

 

俺と過去の俺が密かに念話を交わす中、応接室の空気が、先ほどまでの和やかなオタク談義から一変し、ヒリつくような静寂に包まれた。

 

過去の俺は、並んで座るユウキとカガリの顔をまっすぐに見据え、一切の冗談を排した極めて真剣なトーンで口を開いた。

 

「……ここから話すことは、お前たち二人のこれからの人生を大きく変える話だ。一度聞いてしまったら、もう後戻りはできない。聞かずにこのまま俺を学園に案内して、元の日常に戻るという選択肢もあるが……どうする?」

 

その重々しい宣言に、ユウキの纏う空気がわずかに鋭さを増した。

隣に座るカガリも、無表情のまま微かに目を細める。

沈黙が落ちた室内で、二人の間で高速の『思念』が交わされ始めた。

影に潜む俺とシエルの解析網は、そのやり取りを正確に傍受している。

 

(……カガリ、どう思う?)

 

(油断のならない相手です、ボス。ただのシズエ・イザワの縁者で、漫画の知識を持った無害な魔物……という先ほどの態度は、我々を油断させるための擬態でしょう。わざわざ一介の秘書に過ぎない私を同席させたということは……我々の『裏の顔』に勘付いている可能性すらあります)

 

(ああ、同感だ。ここで話を断って誤魔化すのも手だけど……彼がどこから、どこまでの情報を掴んでいるのか気になるからね)

 

(罠でしょうか。いざとなれば、ここで即座に口を封じますが)

 

(いや、泳がせよう。こいつがどんな手札を持っているのか、全て吐き出させてからでも遅くはないだろ。それに……)

 

ユウキの視線が、机の上に積まれた漫画の束をチラリと掠めた。

 

(……僕の故郷の娯楽をあれだけ完璧に再現できる力。敵に回すより、手駒にした方が圧倒的に有益だからね)

 

(わかりました。とりあえず、このスライムの話を聞いてみるしかなさそうですね。)

 

わずか数秒の間に密かな密談を終えた二人は、同時に過去の俺へと視線を戻した。

ユウキは再び人当たりの良い、しかし総帥としての確かな威圧感を伴った笑みを浮かべる。

 

「……随分と大仰な前置きですね、リムルさん。ただの同郷のよしみで来たスライムさんからの提案とは思えません。ですが……」

 

ユウキは姿勢を正し、挑戦的な光を瞳に宿した。

 

「そこまで言われて引き下がるほど、僕たちも臆病ではありませんよ。それに、僕たちの人生が変わるような話なら、なおさら聞いておかないと損ですからね。……聞かせていただきましょうか」

 

カガリもまた、ユウキの隣で静かにコクリと頷いた。

二人の明確な『同意』を引き出したのを確認し、過去の俺は短く息を吐き出した。

 

「……覚悟を決めてくれて助かるよ。そしたら、ここから先の詳しい事情は、その全てを知っている『本人』から直接説明してもらおうかな」

 

「……本人?」

 

過去の俺の口から出た予想外の言葉に、ユウキが怪訝な表情を浮かべる。

カガリもまた、周囲の気配を探るように鋭い視線を巡らせた。

この厳重に守られた総帥の密室には今、彼ら二人と目の前の魔人しかいないはずだ。

一体誰に説明させると言うのか。

二人が訝しげに眉をひそめた、その直後だった。

 

俺は、今まで極限まで高めていた隠蔽スキルを完全に解除し、過去の俺の隣の空間にふらりと姿を現した。

 

「やあ。初めまして……と言うべきかな。今のあんたたちにとっては」

 

何もない虚空から、突如として目の前の魔人と瓜二つの容姿を持つ…いや、それよりも更に成長した姿に見える『もう一人の人物』が湧き出た。

その異常すぎる事態に、流石のユウキも目を見開き、隣に座るカガリに至っては、弾かれたように立ち上がって臨戦態勢をとった。

 

「なっ……!? 貴様、どこから……!」

 

「空間転移……いや、違う。最初からそこに『いた』のか!?」

 

ユウキの顔から完全な余裕が消え去った。

中庸道化連のトップであり、この世界でも上位クラスの実力と探知能力を持つ二人が、俺が現れるその瞬間まで、一切の気配も魔力も感知できなかったのだ。

その事実が彼らに与えた衝撃は計り知れない。

 

俺は驚愕と警戒に固まる二人の前で、過去の俺の隣のソファにどっかりと腰を下ろし、親しげな、しかし絶対的な強者の余裕を纏った笑みを浮かべた。

 

「自己紹介が遅れたな。俺はリムル=テンペスト。こいつがこれから歩む歴史の先からやって来た、未来の存在だ」

 

その言葉が応接室に落ちた瞬間、ユウキとカガリは完全に言葉を失った。

 

無理もない。

目の前には、先ほどまで「シズさんの縁者」だと名乗っていた魔人が座っている。

そしてそのすぐ隣に、より成長し、洗練された覇気と底知れぬ魔素を纏った「もう一人のリムル」が、まるで最初からそこにいたかのように鎮座しているのだから。

 

「未来の……リムルさん、自身……? 冗談にしては、少々笑えない登場の仕方ですね……」

 

ユウキが引きつった笑みを浮かべながら、ギリリと奥歯を噛み締める。

その額には、先ほどのオタク談義の時にはなかった冷や汗が滲んでいた。

 

(ボス、こいつは危険です……!)

 

カガリの指先にドス黒い呪術のオーラが収束しかけ、今にも飛びかからんばかりに殺気を膨れ上がらせるが、ユウキはスッと片手を上げてそれを制止した。

 

(待て、カガリ。……空間転移の魔力すら一切感知させずに僕たちの懐に入るような相手だ。

下手な真似は命取りになる)

 

ユウキは総帥としての、いや、中庸道化連の実質的トップとしての冷徹な観察眼で俺を真っ直ぐに値踏みする。

数秒の睨み合いの後、彼は探るような声色で問いかけてきた。

 

「時を遡るなど、理論上はともかく現実的には不可能なはずだ。……あなたが本当に『未来から来た』という証拠はあるんですか?」

 

そのもっともな疑問に、俺は肩をすくめて余裕の笑みを返した。

 

「だろうな。いきなり未来人だなんて言われて、ハイそうですかと信じる奴はいない。だから……証明してやるよ。俺にいくつか質問してみてくれ」

 

俺はソファの背もたれに深く寄りかかり、警戒度をマックスに跳ね上げている二人を見据えた。

 

「あんたたち二人しか絶対に知らないはずの秘密でも、これからこの世界で起こる予定の出来事でも、なんでもいい。俺が『未来を知っている』という証拠を、あんたたちの納得がいくまで答えてやる」

 

それを聞いたユウキは、探るような、しかし僅かに緊張を孕んだ声で最初の問いを投げかけた。

 

「……まずは、そうですね。あなたは一体、どれくらい先の未来から来たんですか?」

 

隣に座るカガリも、俺の一挙手一投足を見逃すまいと鋭い視線を突き刺している。

 

俺は少しだけ目を伏せ、記憶の中にある壮絶な戦いの日々――世界の命運をも巻き込んだ、あの最終決戦の光景を脳裏に思い起こしてから、静かに答えた。

 

「今のこの時間から計算すると……だいたい十年くらい先だな」

 

「十年……。魔物や長命種にとっては、ほんの瞬きのような時間ですね。そのたった十年の間に、あなたがわざわざ時を遡ってくるほどの出来事があったと?」

 

俺は小さく息を吐き、かぶりを振った。

 

「正確に言うと、俺自身の意志でわざわざ時を遡ってきたわけじゃない。ある戦いが終わった後、平和に暮らしていたら気付いたらこの過去に飛ばされていたんだよ」

 

「飛ばされた……?」

 

ユウキが怪訝そうに眉をひそめる。

 

俺は真っ直ぐに彼の黒い瞳を見据え、その言葉に確かな『重み』を乗せて告げた。

 

「ああ。世界の存亡をかけて、全世界の国や魔王、さらには裏の組織に至るまでが協力して……『一つの巨悪』と戦った。俺はその戦いに勝利し、全てが終わった平和な未来から、この時間軸へと送り込まれたんだ」

 

その規格外のスケールに、ユウキとカガリは完全に息を呑んだ。

 

「全世界が協力して……一つの巨悪と……?」

 

カガリが信じられないというように呟く。

元魔王である彼女の常識からしても、人間と魔物、さらにはいがみ合っているはずの勢力同士が完全に手を結ぶなどという事態は、想像を絶するものだったに違いない。

 

「……にわかには信じがたい話ですね。この世界には圧倒的な力を持つ『星王竜』や最古の魔王たちがいる。彼らを含めた全世界を脅かすほどの『巨悪』が、たった十年の間に現れると言うんですか?」

 

ユウキが慎重に、しかし僅かに声のトーンを落として尋ねてくる。

 

俺は小さく頷き、ソファの背もたれに寄りかかったまま二人に告げた。

 

「信じるか信じないかは、ここから俺が答える『あんたたちしか知らないはずの秘密』を聞いてから判断してくれ。……さあ、十年の間に何が起きたか、それともあんたたち自身の秘密についてか。何でも答えてやるよ」

 

そう言って、俺は二人に挑戦的な視線を送った。

 

「……ならば、私から一つ質問を」

 

ユウキの隣で沈黙を保っていたカガリが、氷のように冷たい視線を俺へと向けた。

 

「あなたは先ほど、単なる秘書である私にもこの場に同席するように求めました。……私が『何者』なのか、知っているとでも仰るのですか?」

 

その問いには、明確な殺意と警戒が込められていた。

自分が何者であるかを言い当てられるか。

それは彼女にとって、俺が本当に未来から来たのか、あるいは自分たちの情報をどこまで握っているのかを測るための、最も確実な確認手段だ。

 

俺は組んでいた足を崩し、まっすぐにカガリの瞳を見据えてニヤリと笑った。

 

「ああ、もちろん知ってるとも」

 

俺がそう答えた瞬間、カガリの指先に再び微かな呪術のオーラが明滅した。

『中庸道化連』という組織の存在を知っているのなら、彼女の正体に行き着く可能性もゼロではない。

俺の口から『あの名前』が出るのを、彼女は今か今かと待ち構え――

 

「元魔王、『呪術王カザリーム』……って言いたいところだが」

 

俺の口から放たれたその名前に、ユウキとカガリの肩がピクリと跳ねた。

だが、俺の言葉はそこで終わらない。

 

「それはあくまで、今のあんたを構成する『魔人としての顔』だろ?」

 

「……何?」

 

「もっと昔……儀式によって『妖死族(デスマン)』へと変貌する前。あんたは元々、強大な力を持ったハイエルフの大国のお姫様だったんだろ?」

 

ピシッ、と。

応接室の空気が、文字通り凍りついてひび割れたような錯覚を覚えた。

 

「なっ…………!?」

 

カガリが弾かれたように立ち上がり、その美しいエルフの顔を驚愕と恐怖で歪ませた。

彼女が被っていた『有能な秘書』という完璧な仮面が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。

 

魔王レオンに敗れた元魔王カザリームであるという事実。

それだけでも、カガリにとっては誰にも知られてはいけない秘密である。

だが、彼女がかつて『ハイエルフの姫』であったという過去は、それとは次元が違う。

それははるか昔、歴史の闇に葬り去られた彼女の『原点』であり、現在の仲間である中庸道化連のメンバーですら、その詳細を深く知る者は限られている。

 

それを、つい先ほど出会ったばかりのスライムが、まるで世間話でもするかのようにあっさりと口にしたのだ。

 

「……ボス、こいつは……この男は……!!」

 

カガリの全身から、隠しきれないほどの圧倒的な魔素と、ドス黒い呪力が立ち昇り始めた。

それは極度の混乱と、自身の最も深い秘密を暴かれたことによる防衛本能の暴走だった。

 

「落ち着いて、カガリ!!」

 

ユウキが鋭い声で制止し、カガリの肩を強く掴んで無理やりソファへと引き戻した。

彼自身もまた、完全に余裕を失っていた。

冷や汗が頬を伝い、俺に向ける視線には、未知の怪物を見るような明らかな『畏怖』が混じっている。

 

「……信じられない。カガリのその過去は、僕が彼女の精神(魂)の奥底に触れた時にようやく知った、正真正銘、この世で僕たち二人と一部の者しか知らないはずの秘密だ。……それを、こうも易々と……」

 

ユウキは荒い息を吐き出しながら、ゆっくりと両手を上げてみせた。

それは、彼なりの完全な『降伏』と『白旗』の合図だった。

 

「……参りました。信じるしかありませんね。あなたが本当に、遥か先の歴史を知る『未来のリムルさん』だということを」

 

「納得してもらえて何よりだ。俺としても、ここで無駄な戦闘はしたくなかったからな」

 

俺は立ち昇っていたカガリの呪力が霧散していくのを確認し、ふうっと息を吐いてみせた。

隣に座る過去の俺も、心底ホッとしたように(ビビらせやがって……)と思念で文句を言ってくる。

 

「さて……これで俺が未来から来たってことは証明できたな?」

 

俺は改めて、完全に戦意を削がれ、警戒と畏怖の目でこちらを見る二人の『黒幕』に向き直った。

 

「それじゃあ、本題に入ろうか。世界を裏で操る『中庸道化連』のトップのお二人に……俺たちから、ちょっとした『取引』を持ちかけたいんだが」

 

「取引……ですか?」

 

警戒と畏怖が入り混じった表情で、ユウキが慎重に問いを返す。

 

「ああ。あんたたち『中庸道化連』の最終的な目的――仲間達が笑って暮らせる、理不尽のない平和な世界を創ること。その目的自体は俺も同じだ。だから、俺はそれに協力してやってもいい」

 

ユウキの瞳孔が、僅かに開いた。

自らの奥底に隠し持つ、誰にも語ったことのない真の理想。

それをいとも容易く言語化されたことで、彼の心臓が大きく跳ねたのが、魔素の揺らぎを通してはっきりと伝わってくる。

 

「……僕たちの真の目的まで知っているのなら、話は早いですね。ですが、協力とは具体的にどういうことですか? 圧倒的な力を持つあなたが、わざわざ僕たちのような裏の組織と手を組むメリットが……」

 

「もちろん条件はある。西側諸国や東の帝国を巻き込んだ回りくどい謀略は、今この瞬間から全部ストップしてもらう。世界征服を目論むような真似はやめて、俺の国造りや世界の安定に協力してもらいたい」

 

俺がはっきりとそう告げると、カガリがスッと目を細め、低い声で唸った。

 

「……それは事実上の従属要求ですか? いくらあなたが未来を知る強者であろうと、我々道化連が易々と首輪をつけられるとでも……」

 

「従属じゃない、対等の『同盟』だ」

 

俺はカガリの反発をあっさりと遮り、二人の目を見据えて、俺の知る歴史――その遥か先の結末の事実を突きつけた。

 

「信じられないかもしれないが、俺が辿ってきた未来の果てで、ユウキ……あんたは一度死にかけ、復活した後に、俺と和解しているんだよ」

 

「僕が、あなたと和解……?」

 

「ああ。しかもその和解の証として、俺はあんたに、クレイマンの旧領地である『ジスターヴ』を丸ごと割譲している」

 

「ジスターヴの、割譲……?」

 

呆然と呟いたカガリだったが、次の瞬間、ハッと我に返り、その美しい顔を険しく歪ませて鋭い視線を俺に突き刺した。

 

「……待ちなさい。ジスターヴは現在、我々の仲間である魔王クレイマンが統治している領土のはず。それをあなたがボスに割譲したということは……クレイマンは、未来でどうなったと言うのですか?」

 

彼女の声には、隠しきれない焦燥と微かな殺気が混じっていた。

中庸道化連のメンバーにとって、仲間は絶対の家族だ。

その家族の領土が奪われている未来など、彼女にとっては聞き捨てならない事態に違いない。

 

俺はソファに深く寄りかかったまま、一切の誤魔化しを捨てて事実を告げた。

 

「俺が殺した」

 

ピキッ、と。

応接室の空気が、文字通り凍りついた。

カガリの全身からドス黒い呪力が爆発的に膨れ上がり、ユウキの目からも完全に光が消え、底知れぬどす黒い殺意が俺へと向けられる。

 

「……あなたが、クレイマンを殺した?」

 

ユウキの声は、地獄の底から響くように冷たかった。

 

「ああ。正確には、あいつが俺の国(テンペスト)に手を出して、俺の逆鱗に触れた結果だ。魔王達の宴(ワルプルギス)の席で、俺が直接この手で討ち取った」

 

「よくも……よくも抜け抜けと!!」

 

カガリが叫び、今にも呪術を放とうとした瞬間――俺はスッと目を細め、その場を完全に制圧するだけの覇気を僅かに放ちながら言葉を続けた。

 

「だが、落ち着いて最後まで聞け。あいつが急に暴走して、不自然なほど焦って俺の国に手を出してきたのには、裏があったんだ。……カガリ、あんたも最近のクレイマンの動向には、どこか違和感を覚えていたんじゃないか?」

 

俺のその指摘に、膨れ上がっていたカガリの呪力がピタッと止まった。

彼女の顔に、明らかな動揺が走る。

 

「っ……!」

 

図星だった。

クレイマンは元来、狡猾で慎重な策士であるはずだ。

だが、最近の彼はどこか焦燥感に駆られ、本来の彼らしからぬ強引で危うい動きを見せ始めていた。

カガリやユウキも、心の底ではその僅かな変化に気づき、不審に思っていたはずなのだ。

 

「裏……だと? 違和感って、まさか……」

 

ユウキが息を呑み、俺とカガリの顔を交互に見る。

 

「ああ。俺の知る歴史のクレイマンは、東の帝国の情報局長……近衛騎士(インペリアルガード)の近藤達也による『精神支配』を受けて、操られていたんだよ」

 

精神支配。

その言葉が応接室に響いた瞬間、カガリの呪力とユウキの殺気が完全に霧散した。

 

「クレイマンが、精神支配を受けていた……? 誰よりも疑い深く、慎重なあのクレイマンがですか?」

 

ユウキが信じられないというように目を見開く。

 

「ああ。どうやらかなり昔から、少しずつ思考を誘導される形で精神支配を受けていたらしい。放っておけば、あいつは帝国に操られるがまま自滅の道を突き進むことになる。……俺が手を下さずともな」

 

俺の言葉に息を呑む二人に、俺はさらに決定的な『絶望の未来』を突きつけた。

 

「しかも、話はそれだけで終わらない。あんたたちは今、自分たちが東の帝国をうまく利用しているつもりだろうが……元の歴史じゃ、最終的にあんたたち二人も近藤に出し抜かれて、精神支配を受けることになる」

 

「……は?」

 

ユウキの口から、間の抜けた声が漏れた。

 

「あんたたち中庸道化連は、文字通り帝国の都合のいい操り人形として利用し尽くされるんだよ。自分たちの理想も、仲間の命も、自由意志すらも全て奪われてな」

 

「私とボスが、完全に手駒に……!?」

 

カガリが顔面を蒼白にさせ、わななく唇を押さえた。

ユウキも完全に言葉を失い、焦点の合わない目で虚空を見つめている。

世界を裏から盤上で動かしていると自負していた彼らにとって、自分たち自身が他者の完全な『駒』に落ちるという事実は、死を宣告されるよりも残酷で屈辱的な結末だったに違いない。

 

(正確にはユウキは自身のスキルを犠牲にして支配を免れてたみたいだったけどな。でも結果があれだと、どっちみち同じ話だったろうな。)

 

俺は過去のことを思い出しつつ、目を細めた。

 

「クレイマンが、精神支配を……それに、僕たちまで……」

 

ユウキが信じられないというように呟く。

 

俺の言葉に息を呑む二人に、俺はさらに追い打ちをかけるように残酷な事実を突きつけた。

 

「しかも、悲惨な最期を遂げるのはクレイマンだけじゃない。……フットマンも死ぬぞ」

 

「なっ……! フットマンまで!?」

 

ユウキが悲鳴のような声を上げ、カガリは血の気を失ってよろめいた。

 

「ああ。あいつも東の帝国の手先に利用され、最終的には別の凶悪な精神体に肉体を完全に『乗っ取られて』……魂ごと砕け散って消滅した」

 

中庸道化連の『怒った道化(フットマン)』。

彼らにとって、クレイマンと同様にかけがえのない大切な家族の一人だ。

その彼すらも無惨な死を迎えると聞かされ、カガリはギリッと唇から血が滲むほどに強く噛み締めた。

 

「フットマンが……魂ごと、消滅……」

 

「そんな……僕たちの家族が、帝国にそこまで食い物にされるって言うんですか……!」

 

ユウキがギリギリと拳を握りしめ、かつてないほどの怒りと絶望を露わにする。

 

その様子を静かに見届けてから、俺はスッと声のトーンを落とし、極めて真剣な眼差しで二人を見据えた。

 

「……さて。俺の話を聞いてもらった通り、このままではあんたたち中庸道化連にとっても、完璧に良い未来が訪れるわけじゃないってことは分かってもらえたと思う」

 

「そして……」と俺は言葉を区切り、より一層冷徹な圧を込めて告げる。

 

「俺の立場からすれば、必ずしもあんたたちの協力を得る必要はないってこともな」

 

「……どういう、ことですか?」

 

ユウキが顔を上げ、警戒と戸惑いが入り混じった声で問い返す。

カガリもまた、怪訝そうに眉をひそめた。

 

「言葉通りの意味だ。俺の知る歴史じゃ、あんたたちには事あるごとにうちの仲間を危機に晒されたし、色んな策謀を巡らされて本当に苦労させられたからな。……正直なところ、東の帝国に利用される前に、今のうちに俺が真っ先に潰しておかしくない相手なんだよ、あんたたちは」

 

俺の静かな、しかし確かな怒りを孕んだ言葉に、ユウキとカガリの体がビクッと強張った。

圧倒的な力と未来の知識を持つ俺が本気で彼らを敵とみなし、この場で排除しようとすれば、彼らに生き残る術はない。

その事実が、二人に重くのしかかる。

 

「……でもな」

 

俺はあえて一度間を置き、緊張で息を詰まらせている二人に、ゆっくりと語りかけた。

 

「それでも未来の果てで、俺たちは和解している。そして今回、わざわざクレイマンとフットマンが死ぬという未来を変えるために、俺からこうして同盟や協力関係を申し出たのには……ある『理由』があるんだ」

 

「僕たちを助ける、理由……?」

 

「それは、一体……」

 

ユウキとカガリが息を呑み、すがるような、そして真意を探るような目でこちらを見つめ返してくる。

 

「僕たちを助ける、理由……?」

 

「それは、一体……」

 

ユウキとカガリが息を呑み、すがるような、そして真意を探るような目でこちらを見つめ返してくる。

 

俺は一瞬だけ目を伏せ、脳裏に焼き付いている『未来の光景』を思い起こした。

それは、凄惨な戦いの果て――全てを失い、深い絶望に沈んでいた彼女の姿だった。

 

「クレイマンが死に、フットマンが魂ごと砕け散り……あんた自身も帝国の敵に操られて、心身をボロボロに擦り減らしていた。さらにティアは重傷を負って生死の境を彷徨い、唯一の希望だったラプラスとユウキすらも死んでしまったと思い込んでいた時……」

 

俺の紡ぐ言葉に、カガリの顔からさらに血の気が引いていく。

中庸道化連という『家族』が完全に崩壊し、たった一人取り残される未来。

それを想像しただけで、彼女の魂が恐怖に震えているのが分かった。

 

「……あんたは、何もかもを失った絶望の中で、俺に自身の過去を話してくれたんだよ。かつてハイエルフの姫だったこと。理不尽な呪いによって今の姿に成り果てたこと。そして……仲間たちと笑い合える場所を創りたかっただけだという、本当の願いをな」

 

「私が、あなたに……」

 

カガリが震える声で呟く。

先ほど俺が言い当てた『超弩級の秘密』の出処は、他でもない、未来の彼女自身が俺に明かしたものだったのだ。

 

俺は組んでいた手を解き、カガリの揺れる瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「家族を全員失って、生きる希望も誇りも砕け散って、ただ涙を流して絶望に沈む……俺はな、あんたのあんなボロボロな姿を、もう二度と見たくないんだよ。カガリさん」

 

静かな応接室に、俺の言葉が深く、重く響き渡った。

何の打算もない、ただ純粋な『同情』と『願い』から出た言葉。

 

「っ……!」

 

カガリの目が見開かれ、その場に完全に凍りついた。

彼女の美しい顔が微かに歪み、必死に何かを堪えるようにギュッと唇が結ばれる。

ユウキもまた完全に言葉を失い、驚きと、そしてどこか救われたような複雑な表情で、ただただ呆然と俺を見つめていた。

 

静まり返った応接室の中で、それまで黙ってやり取りを聞いていた過去の俺が、深く、痛ましそうな溜息をついた。

 

「……未来で、そんなことがあったのか。確かにその話を直接聞かされたら、俺も未来のお前と全く同じことを考えるかもしれないな」

 

過去の俺の言葉は、純粋な共感と哀れみに満ちていた。

その温かな声色に、俺は小さく頷いてみせた。

 

「そうだろ? カザリーム…いや、未来のカガリは、和解した後に譲り受けたジスターヴの地で、生き残ったユウキやティア、それにダークエルフの配下たちと一緒に、それなりに楽しく暮らしてるみたいだけどな」

 

俺は少しだけ口元を綻ばせ、未来の彼女がようやく手に入れた平穏な日々の光景を言葉に乗せた。

だが、すぐにその瞳に寂寥の色を滲ませる。

 

「……それでも、一度死んで魂ごと消滅した者は二度と戻らない。どれだけ笑って暮らせるようになっても、失った家族の分の穴が完全に塞がることはないんだよ。俺にも、その痛みが少しは分かるからさ」

 

かつてシオンたちを失いかけた時の、あの世界が反転するような絶望と喪失感。

それを思えば、仲間を『家族』と呼んで大切にしている彼らの痛みを、無関係だと切り捨てることはどうしてもできなかった。

 

「だからせめて、俺が介入してやり直すこの時間軸くらいは……お前ら中庸道化連という家族が誰一人欠けることなく、皆揃って馬鹿笑いしながら暮らしてほしいと思ってな。それが、俺から同盟を持ちかけた最大の理由だ」

 

何の裏表もない、ただの『お人好しなスライム』としてのエゴ。

しかし、そのあまりにも真っ直ぐで不器用な優しさは、打算や謀略の世界で生きてきたユウキとカガリにとって、いかなる強力な魔法よりも深く心に突き刺さるものだった。

 

「僕たち、家族が……誰一人、欠けることなく……」

 

ユウキがポツリと、噛み締めるように呟いた。

 

カガリは両手で顔を覆い、カタカタと肩を震わせている。

元魔王としての矜持も、冷徹な副官としての仮面も完全に崩れ落ち、ただ一人の『家族を愛する者』として、こぼれ落ちそうになる感情を必死に押し殺しているようだった。

 

「……まいりましたね。本当に、まいりました」

 

やがて、ユウキが深く息を吸い込み、両手で顔をパンッと叩いて気合を入れ直した。

その瞳には、先ほどまでの迷いや恐れはもうない。

あるのは、信頼に足る強大な同盟者への、偽りない敬意と覚悟の光だった。

 

「世界を支配するよりも、よっぽど魅力的な提案です。それに……そこまで僕たちのことを想ってくれる人を裏切るような真似は、いくら悪党の僕たちでもできませんよ」

 

「ボス……」

 

カガリもまた、少し赤くなった目元を拭いながら立ち上がり、ユウキと並んで俺たち二人のスライムに向かって、深く、深く頭を下げた。

 

「未来のリムル様、そして過去のリムル様。……我ら中庸道化連、あなた方のその深き慈悲と御心に、魂より感謝申し上げます。この命に代えても、必ずやクレイマンとフットマンを救い出し、テンペストのよき隣人となることをここに誓いましょう」

 

応接室に、凛としたカガリの声が響き渡る。

それは、本来の歴史では長きにわたって敵対し、数々の悲劇を生み出した裏の組織が、完全に俺たちの『味方』へと変わった、歴史の大きな分岐点だった。

 

深々と頭を下げる二人を見て、俺は少し照れくさそうに頭を掻いた。

どうにも、こういう湿っぽい空気は昔から苦手だ。

 

「ま、そういうわけだから。今日のところは重い話はここまでにしておこうぜ。あんたたちも、色々と頭の中を整理する時間が必要だろうしな」

 

「……お気遣い、感謝します。リムルさん」

 

「クレイマンの精神支配を解く具体的な手順や、東の帝国への対策、それに他のメンバーへの説明なんかは、明日以降に改めて場を設けてすり合わせよう。それまでは、今まで通り『普通の自由組合の総帥とその秘書』として振る舞っていてくれ」

 

俺がそう告げると、カガリはスッと立ち上がり、かつての有能な秘書としての、しかし先ほどまでとは全く違う『心からの忠誠』を滲ませた表情で頷いた。

 

「承知いたしました。我々の方でも、極秘裏に情報共有の準備と、クレイマンたちの動向調査を進めておきます。……明日、改めてよろしくお願いいたします」

 

その頼もしい返事を聞いて、俺は満足げに頷いた。

そして、隣で様子を見守っていた過去の俺に向き直る。

 

「さて、それじゃあ過去の俺。こっちの裏の事情はひとまず片付いたし、あとは本来の予定通り頼むぜ」

 

「ああ、分かってる。シズさんの未練だった『子供たち』の件だな」

 

過去の俺が立ち上がり、少しだけ肩の荷が下りてスッキリした様子のユウキに声をかけた。

 

「ユウキ。色々と予定外のことが起きて疲れたかもしれないが、子供たちが待ってる自由学園の案内、お願いできるか?」

 

「ええ、もちろんですよ! ……というか、これだけの秘密を共有して、仲間の命まで救ってもらう約束をした後じゃ、断れるわけがないじゃないですか」

 

ユウキは苦笑いしながらも、その顔には憑き物が落ちたような、本来の年齢相応の爽やかな笑顔が浮かんでいた。

彼が背負っていた『世界への復讐と理想』という重圧を、俺たちという規格外の存在が半分以上肩代わりしてやったのだから、無理もないだろう。

 

「それじゃあ、俺は一旦ここでお別れだ。お前ら、学園の初日頑張ってこいよ」

 

「おう。そっちも明日からの打ち合わせ、よろしく頼むわ」

 

俺は過去の俺と軽く拳を突き合わせると、再び『隠蔽』と『空間断絶』のスキルを展開し、ユウキとカガリの前から音もなく姿を消した。

表向きは存在しないことになっている『未来のイレギュラー』である俺が、これ以上彼らと一緒に表通りを歩くわけにはいかないからだ。

 

「……本当に、嵐のような人ですね。空間の揺らぎすら全く感知できませんでした」

 

誰もいなくなった空間を見つめ、ユウキが感嘆の息を漏らす。

 

「ははっ、俺もあんな風になれる日が来るのかと思うと、ちょっと末恐ろしいけどな。……さ、行こうぜユウキ」

 

「はい、リムル…先生とお呼びした方がいいですかね。 学園までは少し距離がありますから、馬車の手配をしますね」

 

こうして、歴史の裏側で交わされた極秘の同盟会談は幕を閉じた。

過去の俺とユウキは連れ立って応接室を後にし、シズさんの教え子たちが待つ王都の『自由学園』へと向けて歩みを進めていくのだった。

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