【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第三章 道化たちの救済と魂の摘出

――自由組合本部、地下特別区画。

 

「……で? 会長が復活したっちゅうから急いで戻ってきたんやけども、どこにおるんや? それに、なんでこんな物々しい結界まで張っとるんや?」

 

部屋の中央で、道化の面を被ったラプラスが胡散臭そうに周囲を見回していた。

その隣には、期待に胸を膨らませて辺りをキョロキョロと見回すティアと、丸い体を揺らしているフットマンの姿がある。

だが、彼らの視線の先にいるのは、深刻な顔つきをしたユウキと、一人の美しいエルフの女性だけであり、かつて『魔王カザリーム』の姿はどこにもなかった。

 

「ちょっとボス! 会長は!? 復活したんじゃないの!?」

 

ティアが待ちきれない様子でユウキに詰め寄る。

すると、ユウキの隣に立っていたエルフの女性――カガリが、ふっと柔らかく、しかしどこか懐かしい威厳を込めた笑みを浮かべた。

 

「落ち着きなさい、ティア。……私よ。随分と待たせてしまったわね、あなたたち」

 

その覚えのある気配と、確かな魂の波長。

 

「えっ……?」

 

「……まさか、そのお姿は……?」

 

ティアとフットマンが目を丸くして完全に固まる中、いち早く事態を察したラプラスが、こらえきれないというようにブッと吹き出した。

 

「ぶっ……! あ、あははははっ! なんやそれ会長! 昔の厳つい魔王様が、随分と可愛らしいおねーちゃんになってもうて! しかもなんやその女言葉! 中身と全然合ってへんからめっちゃ違和感あるわ! 傑作やな!」

 

ラプラスが腹を抱えて爆笑し始める。

 

「ラ、ラプラス! 失礼だよ! ……でも、会長……! 本当に、本当に良かった……!」

 

「ホホホ! お姿や口調はすっかり変わられましたが、ご無事で何よりです、会長!」

 

ティアが感極まってカガリの腰に抱きつき、フットマンも嬉しそうに目を細めて丸い体を揺らした。

 

「ふふっ、相変わらず騒々しい子たちね。……でも、私もこの姿であなたたちとまた再会できて、本当に嬉しく思うわ」

 

カガリは笑い転げるラプラスをジト目で睨みつつも、ティアの頭を優しく撫で、家族との再会の喜びに目を細めた。そして、少しだけ真剣な色を帯びた瞳で彼らを見つめる。

 

「わけあってね、私は過去の自分のルーツを取り戻すことにしたの。だから、今後はこの姿と口調でいくことにしたわ」

 

「過去のルーツ……?」

「会長の、昔のお姿ということですか?」

 

その言葉の深い意味――彼女がかつてハイエルフの姫であったという真実を知らないティアやフットマンは、不思議そうに首を傾げた。

ラプラスも首の後ろを掻きながら「まあ、会長がええならワイはどっちでもええけどな」と納得したような、していないような顔をする。

 

だが、その温かくも少しだけちぐはぐな再会の空気は数秒で収まり、カガリは再びかつての『呪術王』としての、いや、それ以上に深刻な顔つきへと戻った。

 

「――でもね。今日あなたたちをこんな厳重な結界の中に呼んだのは、私の復活を祝うためじゃないの」

 

その重苦しい声色に、ラプラスたちの笑い声と歓喜がピタリと止む。

ユウキが一歩前に出て、静かに口を開いた。

 

「すまない、ラプラス、ティア、フットマン。……君たちには、今から信じられないような話をすることになる。だが、どうか最後まで聞いてほしい」

 

「ホホ、ボスがそこまで真剣な顔をするなんて珍しいですねぇ。一体何があったというのです?」

 

フットマンがのんきな声で笑う。

その時、密閉されたはずの空間が陽炎のように揺らぎ、俺が音もなく彼らの前に実体化した。

 

「――その話、俺から直接説明させてもらうぜ」

 

突然現れた銀髪の魔人の姿に、ラプラスたちの空気が一瞬で殺気立ち、臨戦態勢を取ろうとする。

だが、それをユウキが手で制した。

 

「待て、ラプラス! 彼は敵じゃない。僕たちの……『同盟相手』だ」

 

「同盟相手やと……? 冗談キツいでボス。そいつは、クレイマンの計画を潰しまくっとるジュラの森の盟主やないか!」

 

警戒を解かないラプラスたちに向け、俺はゆっくりと口を開いた。

 

「驚くのも無理はない。だが、俺は『未来』から来た。お前たちの家族であるクレイマンが破滅し、さらにはフットマン……お前の中に潜む『化け物』が目覚めて、お前たち中庸道化連が全滅する……そんな最悪の未来を回避するためにな」

 

俺の言葉が響き渡った瞬間、地下室は水を打ったような静寂に包まれた。

 

「未来から来ただと……? はっ、冗談も休み休み言えや、スライムの旦那」

 

最初に沈黙を破ったのは、ラプラスだった。

飄々とした態度は崩さないものの、その目は笑っておらず、いつでも一撃を放てるように指先が微かに動いている。

 

「そうだよ! ボスも会長も、なんでこんなヤツの言うこと信じてるの!? フットマンの中に化け物がいるだなんて……!」

 

ティアも仮面の奥の目を吊り上げ、ユウキとカガリに詰め寄った。

当のフットマン本人は、事態が飲み込めずに丸いお腹をさすりながら戸惑っている。

 

「ホホホ……。私の中に化け物がいるなどと、笑えない冗談ですねぇ」

 

「冗談ではないわ、お前たち」

 

鋭く、しかしどこか悲痛な声でそれを遮ったのは、他でもないカガリだった。

彼女はカツカツとヒールを鳴らしてフットマンの前に歩み出ると、かつての『呪術王(カザリーム)』としての威厳と、家族を想う真摯な瞳で彼らを見据えた。

 

「この方は、我々が束になっても敵わない絶対的な力と、確かな未来の知識を持っているわ。この方の言っている事は全て事実よ。……そしてフットマン、あなたの中に潜んでいるものの正体も」

 

「僕も最初は信じられなかったけどね。でも、彼の言葉は全て辻褄が合う。……それに、何より僕たちの大切な『家族』を救うための、たった一つの手段なんだ」

 

ユウキの静かで力強い言葉に、ラプラスとティアは息を呑んだ。

自分たちの絶対的なリーダーである二人が、微塵の疑いもなくこのスライムを信用し、さらには「家族を救うため」だと断言しているのだ。

 

「……マジなんやな。で、スライムの旦那、フットマンの中に何が居るっちゅうんや?」

 

ラプラスが警戒を解き、真っ直ぐに俺を見た。

俺は小さく息を吐き、魔王としての威圧感を静かに保ちながら、確かな声でその忌まわしい名前を口にした。

 

「『魔導大帝ジャヒル』という男だ」

 

その名前が響いた瞬間。

ラプラス、ティア、そしてフットマン本人は、ポカンと間抜けな顔を見合わせた。

 

「……ジャヒル? 誰やそれ。聞いたこともない名前やな」

 

「うん。すっごく強そうな名前だけど、魔王でもないよね?」

 

中庸道化連の最古参である彼らですら全く知らない名。

だが、ただ一人――カガリだけは違った。

数日前の密室での会談の際、すでに未来のリムルからフットマンの残酷な運命と、そこに潜む『ジャヒル』という最悪の元凶について聞かされていた彼女は、初耳のような驚愕こそ見せなかったものの、その美しい顔を憎悪と悲痛で微かに歪ませた。

 

己の人生を完全に狂わせた、最大のトラウマ。

それが今、何よりも大切な家族の魂の中に眠っているのだ。何度聞かされても、その事実に込み上げる戦慄と怒りが消えることはない。

 

俺はそんなカガリへ視線を向け、静かに問いかけた。

 

「カガリ。あいつらに、ジャヒルが何者か……あんたの過去のことも含めて話してもいいか?」

 

俺の気遣うような言葉に、カガリはギュッと唇を噛み締め、わずかに震える声で頷いた。

 

「……ええ。構わないわ。彼らは私の大切な家族だもの。知る権利がある」

 

その許可を得て、俺は戸惑うラプラスたちに向き直り、簡潔にジャヒルの概要を語った。

 

「ジャヒルってのは、大昔にカガリの故郷である風精人(ハイエルフ)の大国が滅ぶ原因を作った張本人だ。あろうことか姫であった彼女に理不尽な呪いをかけ、本来の姿を奪って妖死族(デスマン)へと作り変えた……彼女の人生を狂わせた最大の仇敵だよ」

 

その残酷な真実に、ラプラスたちの顔色が一変した。

 

「なっ……! じゃあ、さっき会長が言うとった『過去のルーツを取り戻す』っちゅうのは……!」

 

「うん……この綺麗なお姉さんの姿が、呪われる前の本当の会長の姿だったってこと……!?」

 

俺はティアと、フットマンへ視線を移し、さらに言葉を続けた。

 

「……ティア、それにフットマン。お前たちは記憶を失っていて覚えていないだろうが、カガリが風精人(ハイエルフ)の国の姫だった頃、お前たち二人も耳長族(エルフ)だったんだ」

 

「えっ……? アタシたちが……エルフ?」

 

「……我々が、会長と同じ故郷の……?」

 

「ああ。故郷が滅んだ時、お前たちも命を落としたんだ。……今の妖死族(デスマン)という姿は、大切な同胞を取り戻したいと願ったカガリが、自らの手でお前たちの魂を呼び戻し、蘇らせた結果なんだよ」

 

その言葉に、カガリは痛みを堪えるように伏し目がちになり、ギュッと自らの腕を抱きしめた。

 

「……勝手な真似をして、ごめんなさい。呪われた体で、死者の魂を無理やりこの世に繋ぎ止めて……。でも、どうしても、あなたたちを失いたくなかったの」

 

懺悔するように紡がれたその言葉。

だが、ティアとフットマンは一瞬の沈黙の後、カガリを責めるどころか、その深い愛情に触れてパッと顔を輝かせた。

 

「謝ることなんてないよ、会長! アタシたちを助けてくれたんでしょ? すっごく嬉しい!」

 

「その通りですとも。我々に再び命を与え、今日まで導いてくださったのは他でもない会長なのですから。感謝こそすれ、恨む理由などどこにもありません」

 

無邪気に笑うティアと、深く一礼するフットマン。

その温かな言葉に、カガリの瞳からハラリと涙がこぼれ落ちた。

だが、家族の絆を確かめ合った彼らの奥底には、同時に一つの巨大な「怒り」が燃え上がっていた。

 

「……なるほどな。ホンマにえげつない外道がおったもんや」

 

ラプラスが道化の面の下で、これまでにないほど冷酷で、明確な殺意に満ちた声を漏らした。

彼らが慕い、畏怖していた『厳つい男性の魔王カザリーム』という姿こそがジャヒルによる呪いの産物であり、彼らから過去を奪い、すべての悲劇を引き起こした元凶。

その事実に、ラプラスたちから先ほどまでの軽口は完全に消え去っていた。

 

「そのジャヒルと言う男の最悪な魂が、裏で暗躍する者の手によって、フットマンの魂の奥底に植え付けられているんだ。……今すぐ、俺がそいつの魂だけを摘出してやる」

 

俺は真っ直ぐにフットマンの前に進み出た。

フットマンは震える手で自身の分厚い胸を強く握り締め、道化の仮面の奥で静かに、しかし激しい怒りの炎を燃やした。

 

「……ホ、ホホ。我らが会長の尊厳を、そして我々の全てを奪った外道が、よりにもよってこの私の中に……。到底、許せるものではありませんねぇ」

 

低く地を這うような声で呟くと、フットマンは誰に促されるまでもなく、自ら進み出て俺の前にドスッとあぐらをかいて座り込んだ。

 

「リムル様、とお呼びすればよろしいですかな。私の身、煮るなり焼くなり好きにしてください。会長が命を削って我々に与えてくださったこの体に、そのような穢らわしいものをこれ以上宿しておくわけにはいきません」

 

「フットマン……」

 

自らの命を懸けてでも異物を排除しようとするその迷いのない決意に、カガリは祈るように胸の前で両手を組み、涙ぐみながら深く頷いた。

 

「よし、よく言った。少しだけチクッとするかもしれないが、すぐに引き剥がしてやる」

 

俺は覚悟を決めたフットマンの胸板に、そっと右手を当てた。

 

(シエル、いけるか?)

 

《お任せください。対象の魂の最深部より、休眠状態のジャヒルを宿主の魂を傷つけることなく分離します》

 

相棒の頼もしい声と共に、俺の右手から純白の光――神聖な神気と魔素が融合した、高位の術式が展開される。

フットマンの体を淡い光が包み込み、その魂の奥底に癒着していた『異物』を強引に引き剥がしにかかった。

 

「ぐっ……おおおおぉぉぉっ!?」

 

フットマンが苦悶の声を漏らす。

 

その直後だった。

フットマンの胸の中心から、周囲の結界すら軋ませるほどの、ドス黒く禍々しい瘴気の塊がズブズブと浮き出してきたのだ。

 

純白の光に反発するようにして完全にフットマンの肉体から引きずり出されたその『魂の塊』は、空中で歪な人の顔のような形を成し、鼓膜を劈くような邪悪な哄笑を響かせた。

 

『ゲラゲラゲラゲラ! ワシを目覚めさせるとは愚かなやつらだ!』

 

結界が張られた地下室に、鼓膜を劈くような邪悪で禍々しい哄笑が響き渡った。

 

「ホ、ホンマに……化け物が出てきよったで……!」

 

「嘘でしょ……フットマンの中に、ずっとあんなのが……!?」

 

ラプラスとティアが、信じられないものを見るように目を見開き、顔面を蒼白にさせて後ずさる。

ユウキもまた、その魂の塊から放たれる常軌を逸した不吉な魔力圧に、冷や汗を流して顔を引き攣らせていた。

 

そして――ただ一人、その魂の正体を誰よりもよく知るカガリは、ガタガタと全身を激しく震わせ、恐怖のあまり声すら出せずにその場にへたり込んでしまった。

 

「あ、ああ……ああぁっ……!」

 

かつて己の尊厳を徹底的に蹂躙した、トラウマの権化。

そのカガリの怯えに気づいたのか、空中に浮かぶジャヒルの歪な顔が、ギョロリと彼女の方へと向けられた。

 

『ん……? おお、そこにいるのは我が愚かな息子ではないか!』

 

ジャヒルはカガリが現在美しい女性(エルフ)の姿をとっていることなどお構いなしに、かつて自分が乗っ取った彼女の父親の肉体を通した『息子』という呼称で、嘲るように高笑いした。

 

『せっかくワシが強靭な妖死族(デスマン)の姿を与えてやったというのに、それを捨ててそのような貧弱な女エルフの姿に戻るとは……とんでもない愚か者だな! ゲラゲラゲラ!』

 

「っ……! や、やめろ……こっちを見るな……!」

 

「カガリに近づくな、化け物!」

 

恐怖で錯乱しかけるカガリを庇うように、ユウキが前に進み出て両手に力を込める。

だが、ジャヒルはユウキの牽制など意に介さず、さらに邪悪な言葉を紡ごうと歪な口を大きく開けた。

 

『フン、小童が。ワシの復活の贄となる栄誉を――』

 

「俺の『仲間』を散々コケにしておいて、随分と饒舌だな」

 

その場を支配していたジャヒルの禍々しい空気を、氷のように冷たく、そして絶対的な重圧を伴った俺の声が完全に叩き斬った。

 

俺は無言のまま右手をスッと前に突き出し、そのまま空中で、ゆっくりと、強く握り込んだ。

 

『ぬ……? な、なんだこれは!? 体が……動かん!?』

 

直後、空中に浮かんでいたジャヒルの魂が、見えない巨大な万力で締め付けられたように完全に硬直した。

俺の『空間支配』による絶対的な束縛だ。

強大な精神生命体であろうと、今の俺が固定した空間の檻からは、指先一つ、いや魔力の一滴すら動かすことはできない。

 

『ええい、離せ! 貴様、何者だ! ワシを誰だと……!』

 

「誰でもいいよ、お前みたいな三流の悪役は」

 

俺は拘束されて喚くジャヒルをゴミでも見るような冷徹な目で見下ろし、一切の感情を排した声で宣告した。

 

「目障りだ。さっさと消えろ」

 

俺が左手を軽く横に振るうと――ジャヒルの背後の空間が、バリィッ! とガラスが割れるような派手な音を立てて砕け散った。

そこにぽっかりと口を開けたのは、光すらも逃れられない漆黒の闇――次元の果てである『時空の狭間』への入り口だ。

 

『なっ……!? 時空の裂け目だと!? バカな、こんな次元操作をたった一人の力で……おおおぉぉぉッ!?』

 

時空の狭間から発生した凄まじい吸引力が、身動きの取れないジャヒルの魂を容赦なく引きずり込みにかかる。

 

『や、やめろ! ワシはまだ……ワシにはまだ果たすべき野望が……!』

 

無様な捨て台詞を響かせながら、ジャヒルの魂は漆黒の裂け目へと完全に吸い込まれ、パキンッ!

という音と共に空間は再び元通りに修復された。

 

誰もいなくなった空間。

先ほどまでの禍々しい瘴気は嘘のように消え去り、地下室には重い静寂だけが残された。

 

俺は上げた左手をゆっくりと下ろし、フーッと小さく息を吐き出した。

それから、術式の影響で床に座り込んだまま呆然としているフットマンへと振り返る。

 

「……ふぅ、無事に終わったぞ。気分はどうだ、フットマン。どこか痛むところはないか?」

 

俺が普段通りの気さくな声で問いかけると、凍りついていた空間の魔法が解けたように、周囲の時間が再び動き出した。

 

「フットマン……っ!」

 

真っ先に弾かれたように駆け寄ったのは、恐怖でその場にへたり込んでいたカガリだった。

彼女は膝をつき、震える手でフットマンの分厚い胸板や顔をペタペタと触って、呪いが残っていないか必死に確かめる。

その目からは、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。

 

「よ、よかったぁぁ……っ! フットマン、無事でよかったよぉ!」

 

「ホンマに、ヒヤヒヤさせやがって……! 無事で何よりやで、自分!」

 

ティアが泣きじゃくりながらフットマンの丸い体に抱きつき、ラプラスもへなへなとその場に座り込みながら、心底ホッとしたような安堵の声を漏らした。

 

「おお……おおお……?」

 

当のフットマン本人は、自身を取り囲んで泣きじゃくる家族たちに戸惑いながらも、自身の体を不思議そうに見下ろした。

 

「これは……驚きました。いつも腹の底に張り付いていた、鉛のような得体の知れない重苦しさが……完全に消え去っています。体が羽のように軽いですぞ」

 

ホホホ といつもの笑い声を漏らすフットマンの顔には、今までのような微かな狂気の影はなく、憑き物が落ちたようにスッキリとした本来の穏やかさが戻っていた。

 

「フットマン……本当に、本当に良かったわ……っ」

 

カガリが両手で顔を覆い、声を殺して泣き崩れる。

かつての自分を絶望に突き落とした最大のトラウマがこの世界から完全に消え去り、何よりも大切な家族の命が救われたのだ。

その安堵と救済の念は、計り知れないだろう。

 

「……本当に、何から何まで……ありがとうございます、リムルさん」

 

ユウキもまた、フットマンの肩に優しく手を置いた後、俺に向かって深々と、心からの感謝を込めて頭を下げた。

 

「僕たちの最大の懸念……いや、想像すらしていなかった最悪の時限爆弾が、これで完全に払拭されました」

 

「気にするな。これで『中庸道化連』は、裏の黒幕の呪縛から解き放たれた真のフリーランスだ。……っと、その前に一番重要な『仕上げ』を忘れるところだった」

 

俺はそう言って、再びフットマンの前に立った。

 

「仕上げ……ですか?」

 

きょとんとするフットマンの胸に再び手を当て、俺はシエルに構築させておいた『偽装術式』を静かに流し込む。

 

「ああ。 ただ魂を分離させるだけじゃ、ジャヒルを植え付けたヤツに感づかれちまうからな。だから今から、フットマンの魂の奥底に、さっきまでと同じようにジャヒルが潜伏していると錯覚させる『偽装』を行うんだ」

 

俺が心の中でシエルに指示を出すと、掌から透明な魔力がフットマンの体を覆い、精巧な魔術とスキルによる術式が彼の魂に定着していく。

 

「……よし。これで奴らが探りを入れてきても、フットマンの中でジャヒルが今まで通り大人しくしているようにしか感知できないだ。」

 

俺はニヤリと笑い、涙と安堵に包まれる彼らを見渡した。

 

 

 

 

その後、俺はラプラス、ティア、フットマンにもクレイマンが精神操作を受けていることと助け出す計画の内容を話した。

 

ラプラスは道化の面を少し上にずらし、ひどく納得した様子だった。

 

「……なるほどな。最近のクレイマンのやつ、妙に焦っとるというか、無茶な策ばっかり通そうとしてておかしいと思っとったんや。精神支配……ホンマに胸糞悪い話やで」

 

「クレイマン……! 絶対に助け出さなきゃ! ねえボス、会長!」

 

ティアが仮面の奥の目を怒りと焦燥に潤ませて声を上げると、ユウキとカガリが力強く頷く。

 

「ええ。そのための同盟です。リムルさんが完璧なシナリオを用意してくれていますからね」

 

「ホホホ……私の命を救っていただいただけでなく、クレイマンまで。この御恩、中庸道化連は決して忘れませんよ」

 

フットマンも深く一礼し、これでついに彼らとの完全な信頼関係が築かれた。

 

俺は満足げに頷き、彼らの確かな絆と覚悟を確かめた後、ふと表情を引き締めた。

 

「さて。これで身内のゴタゴタというか、裏に潜んでいた最大の時限爆弾はあらかた処理できたわけだが……」

 

俺が少しだけ声のトーンを落とすと、安堵で緩みかけていた地下室の空気が再びピンと張り詰めた。

ユウキとカガリを筆頭に、ラプラスたちも真剣な眼差しで真っ直ぐにこちらに注目する。

 

「実は、昨日の夜にユウキとカガリさんと同盟の打ち合わせをした時には、あえてまだ話していなかったことがあるんだ。……近い将来に起こる『ある出来事』について、あんたたち全員にどう対処するべきか相談しておきたくてな」

 

「昨日、僕たちにも話していなかった未来の出来事……ですか?」

 

ユウキが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「ああ。クレイマンの救出やフットマンの解放、さらには帝国の暗躍とはまた別のベクトルで、ちょっとイレギュラーで厄介な案件だ。」

 

俺がもったいぶるように言うと、カガリがゴクリと息を呑み、ラプラスたちも極度の緊張の面持ちで次の言葉を待った。

未来の知識を持ち、竜種すら超える力でジャヒルすらあっさりと葬り去った目の前の魔王が、わざわざ「面倒なことになりかねない」と評する事態。

それがどれほど厄介なものか、彼らも肌で察したのだろう。

 

「その、近い将来起こる出来事っていうのはな――『ロッゾ一族』、特に『マリアベル・ロッゾ』への対応についてだ」

 

俺がその名前を口にした瞬間、ユウキの眉がピクリと動いた。

 

「ロッゾ一族……西側諸国の評議会を裏から牛耳っている、あのロッゾですか? 確か表向きのトップはグランベル・ロッゾだったはずですが……マリアベルというのは?」

 

「ああ、表向きはグランベルの孫娘ってことになっている十歳くらいの少女だ。だが、あの一族の真の支配者はそのマリアベルの方なんだよ。あいつも俺やユウキと同じ『異世界人の転生者』でな」

 

「十歳の少女が、真の支配者で異世界人……」

 

ユウキが顎に手を当て、思考を高速で回転させる。

 

「彼女は『強欲者(グリード)』という、極めて厄介なユニークスキルを持っている。人間の欲望を刺激し、その精神を完全に支配して奴隷に変える能力だ。西側諸国をロッゾの所有物だと狂信していて、いずれ自分の経済圏を脅かす俺の国(テンペスト)を本気で潰しにかかってくる」

 

「なるほど。武力ではなく、経済と精神支配による侵略ですか。確かにそれは、僕たちの組織とも確実に衝突する相手ですね」

 

カガリも真剣な顔つきで頷いた。

 

「問題はそこからだ」

 

俺はユウキを真っ直ぐに見据えて、未来の事実を告げた。

 

「元の歴史じゃ、マリアベルは自由組合(ギルド)を裏から乗っ取るために、ユウキ、お前をその『強欲者』のスキルで支配しようと直接仕掛けてきたんだ」

 

「僕を、精神支配で……?」

 

「ああ。結果的に言えば、お前は自身の能力のおかげで支配を免れて、逆に『支配されたフリ』をしてあいつを裏から出し抜くことになったんだ。……ただな、その過程でお前、俺たちにマリアベルをけしかけてきやがって、さらにはお前自身も俺に直接戦いを挑んできたんだぞ。ほんっとに、元の歴史じゃお前のあの手この手の策略には色々困らされたんだからな」

 

俺がジト目で睨みつけると、ユウキは慌てて両手を顔の前にかざして身をすくめた。

 

「ええっ!? いやいや、いくら未来の出来事とはいえ、まだやってもいないことでそんな恨みがましく怒られても困りますよ!」

 

「ホホホ、ボスがリムル様に手酷くやられる未来が見えるようですなぁ」

 

「笑い事じゃないって、フットマン!」

 

ユウキが苦笑いしながら抗議する姿に、カガリやラプラスたちも思わず肩を揺らして笑いを漏らした。

かつては敵対する運命にあった者同士が、こうして今の時点で軽口を叩き合える関係になったこと自体、歴史の大きな変化なのだろう。

 

「まあ、最終的にはお前がマリアベルに引導を渡して、その『強欲者』のスキルまで奪い取ったんだけどな」

 

俺がオチをつけるようにそう締めくくると、その未来の顛末を聞いたラプラスが呆れたようにため息をついた。

 

「なんや、結局ボスの掌の上で踊らされとっただけやないか。やったら今回も同じように、ボスが支配されたフリして、ええところで後ろから刺したったらええんちゃいますの?」

 

「問題はそこなんだ」

 

俺は深くため息をつき、ガシガシと頭を掻いた。

 

「俺は、お前たち中庸道化連を救ったように……そのマリアベルって奴も『救う』べきかどうか悩んでいるんだよ」

 

「救う、ですか?」

 

ユウキが少し驚いたように瞬きをする。

 

「ああ。あいつは転生者で、世界を裏から牛耳ろうとするかなりの野心と冷酷さを持っていた。……とはいえ、今の肉体はまだ年端も行かない十歳くらいの少女だ。元の歴史で死なせてしまった時の後味が、どうにも悪くてな。できれば殺さずに済む道を探りたい」

 

俺の甘いとも取れる発言に、地下室は一瞬静まり返った。

だが、俺の力によって文字通り命と魂を救われたばかりのカガリやフットマンたちは、誰もそれを「魔王らしからぬ甘さだ」と笑うことはしなかった。

むしろ、その底知れぬお人好しさに、さらに深い信頼を寄せたような眼差しを向けてくる。

 

「ですが、リムル様」

 

カガリが冷静に、しかし気遣うような声で指摘した。

 

「そのマリアベルという少女の性格と執念を考えると、ロッゾ一族による西側諸国の支配という悲願をあっさりと捨てて、我々に恭順する道を選ぶでしょうか?」

 

「……そこなんだよな。正直、かなり怪しい」

 

俺は腕を組み、渋い顔で頷いた。

 

「あいつの『西側はロッゾのもの』っていう執念は本物だ。ただ言葉で説得して『はいそうですか』と引き下がるようなタマじゃない。かといって、野放しにすれば確実に俺たちやテンペストの脅威になる。だからこそ、扱いが厄介なんだ」

 

俺が悩ましげに言うと、ユウキがクスッと微かに笑い声を漏らした。

 

「ふふっ。圧倒的な力と未来の知識を持ちながら、敵である少女をどうやって殺さずに救うかで真剣に悩む……。リムルさんらしいというか、本当に底が知れませんね」 「うるさい。俺は平和主義の元サラリーマンなんだよ」

 

俺がジト目で睨むと、ユウキは「失礼しました」と肩をすくめつつも、その瞳には知的な光をギラリと灯していた。

 

「要するに、彼女の命を奪うことなく、その強大すぎる野心と『強欲者』のスキルを完全に無力化し、ついでにロッゾ一族の富と権力を僕たちの同盟のために丸ごと掌握する……そういう、極めて難易度の高い罠を張りたい、ということですね?」

 

「そういうことだ。裏社会のプロであるお前らなら、何かえげつなくて効果的な方法を思いつくんじゃないかと思ってな」

 

俺が悪辣に笑いかけると、ラプラスが道化の面を揺らしてニシシと笑った。

 

「なるほどなぁ。相手の命まで奪わんのはアンタの流儀として尊重させてもらうが、その代わり、身ぐるみ全部引っ剥がして二度と逆らえんように心をへし折ってやるっちゅうわけや。……ええやないか、そういう悪巧みはワイらの十八番(おはこ)やで!」

 

「ええ。我々を救っていただいた恩返しです。ロッゾの小娘を手玉に取るシナリオ、全力で構築しましょう」

 

カガリも妖艶な笑みを浮かべ、ティアやフットマンもやる気に満ちた顔で頷いた。

 

歴史の裏側で蠢く、もう一つの巨大な敵。

強欲な少女の命を救いつつ、その牙を完全にへし折り、西側の権力を根こそぎいただくという難題。

俺と中庸道化連による、極秘の作戦会議が夜更けまで続いた。

 

そして一通りの話が終わった後に解散となった。

今後は専用回線の魔法通話で連絡を取ることになり、何かあればすぐに連絡を取り合う体制が構築された。

 

そして俺は、明日からの出来事に思いを馳せながら帰路についた。

 

(重苦しい謀略の話から一転、今度は賑やかな子供たちのお守りか。ある意味そっちの方が骨が折れるかもしれないな)

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