【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
数日後の朝。
イングラシア王都、自由学園の正門前。
抜けるような青空の下、旅装を整えた五人の子供たちは、これから始まる大冒険への期待で目をキラキラと輝かせていた。
「よっしゃーっ! ついにこの退屈な王都からおさらばだぜ!」
ケンヤがはしゃいだ声を上げ、年長者のゲイルもワクワクした様子で頷いている。
「ねえねえリムル先生! アタシのぬいぐるみたち、ちゃんと持ってってくれる?」
「はいはい、全部大事にしまってあるから安心しろ」
アリスの要望に、過去の俺がやれやれと肩をすくめて答えた。
その横では、クロエが過去の俺のローブの裾をギュッと無言で握りしめている。
「よし、全員準備はいいな? それじゃあこれより、特別野外学習に出発する! ……といっても、馬車で何日も揺られるようなのんびりした旅じゃないぞ」
過去の俺がニヤリと笑うと、子供たちはきょとんと首を傾げた。
「え? 馬車じゃないなら、どうやって行くんだよ?」
「決まってるだろ。魔法であっという間にひとっ飛びだ。行き先は、俺が盟主をやってる国――魔国連邦(テンペスト)の中心地だ」
過去の俺はそう言うと、子供たちを一箇所に集め、その足元に『空間移動』の巨大な魔法陣を展開した。
(目的地は俺たちの本拠地であるテンペストの地下迷宮だ。移動時間を無駄にしないためにも、一気に国の近くまで飛ぶ算段だな)
上空から『隠蔽』状態でその様子を見下ろしながら、俺は過去の俺の意図を正確に読み取っていた。
俺が自身の歴史でウルグレイシア共和国へ向かった時と同様、子供たちの寿命のリミットを考慮し、移動を極限までショートカットするための手段だ。
「えっ!? ちょ、先生、足元が光って……!」
「うわわっ!」
「舌噛まないように、しっかり目をつぶってろよー」
過去の俺の軽い合図と共に、魔法陣が眩い光を放ち――次の瞬間には、イングラシア王都の正門前から、一行の姿は完全に掻き消えていた。
俺も、ふわりと身を翻して彼らの後を追うように空間を跳躍する。
――そして、ほんの一瞬の浮遊感の後。
空間移動の光が収まると、過去の俺と子供たち、そして影の護衛である俺は、豊かな自然に囲まれたジュラの大森林――その木々の向こうに、美しく整備された巨大な町並みが見えるテンペストの近郊へと無事に降り立っていた。
「……う、うわぁっ!? なんだここ!?」
「さっきまで王都にいたのに……森? それに、あっちに見えるのって、すっごく大きな町……!?」
目を白黒させるケンヤやリョウタたちに、過去の俺は少し誇らしげに胸を張る。
「ああ。歓迎するぞ、お前ら。あれが俺の国の首都、テンペストだ。今回目指す『精霊の棲家』は、あの町の迷宮にある」
「迷宮に……?」
「そうだ。さあ、気を引き締めていくぞ!」
「「「おおーっ!」」」
こうして、移動時間を魔法で大幅にショートカットした一行は、ラミリスと精霊たちが待つテンペストの地下迷宮へ向けて、期待と緊張を胸に力強く歩みを進め始めた、その時――過去の俺の足元からスゥッと影が伸び、巨大な黒き狼――ランガがヌルリと姿を現した。
「クゥーン……我が主よ。久しぶりの帰還ですな」
ランガが千切れんばかりに尻尾を振りながら、過去の俺に顔を擦り寄せる。
「ああ。王都での生活も悪くなかったが、やっぱりここの空気が一番落ち着くよ。ランガもずっと影の中で窮屈だっただろ?」
「滅相もございません。主の影の中こそ、我にとって至高の安らぎにございます」
「うわっ!出た!でっけえワンちゃん!」
ケンヤが目を輝かせて駆け寄ろうとするが、アリスに「バカ、食べられちゃうわよ!」と服の裾を引っ張られている。
「ははっ、大丈夫だ。ランガは俺の言うことなら絶対聞くからな」
そんな微笑ましいやり取りを交わしながら、一行は美しく舗装された街道をテンペストへ向けて歩き出した。
豊かな森を切り開いて作られた、人間諸国にも引けを取らない立派な道。
すれ違う商人や冒険者たちが、過去の俺の姿を見るなり「あっ、リムル陛下だ!」「お帰りなさいませ!」と次々に笑顔で頭を下げていく。
「先生……すっごい有名人なんだな」
「だから王様だって言ったろ?」
驚きを隠せない子供たちと談笑しながら歩みを進め、やがてテンペストの巨大で立派な正門が見えてくると――そこには、さらに驚くべき光景が広がっていた。
「「「リムル様ぁぁぁっ!! お帰りなさいませぇぇぇっ!!」」」
地響きのような大歓声。
門の前には、筋骨隆々のゴブリンの長・リグルドを筆頭に、ベニマル、シュナ、シオン、ソウエイ、ハクロウといった誇り高き鬼人の幹部たち、そして数え切れないほどの魔物の住民たちが、今か今かと過去の俺の帰還を待ちわびてズラリと整列していたのだ。
(転移する前に、思念伝達で帰るって連絡を入れておいたんだろうな。相変わらずの大歓迎っぷりだ)
上空から透明な状態で見下ろす俺は、その懐かしくも温かい光景に思わず頬を緩めた。
「おおお……っ、リムル様! 王都での過酷な任務、誠にお疲れ様でございました!」
リグルドが感極まって滝のような涙を流しながら平伏し、シオンやシュナも「リムル様!」「お寂しゅうございました!」と、過去の俺に挨拶をしようと我先に突進してくる。
「ちょっ、お前ら大げさだって! 2週間くらいしか離れてないだろ!」
もみくちゃにされながらも、過去の俺はどこか嬉しそうに笑っている。
一方、その圧倒的な「魔物の軍団」による熱烈な歓迎を目の当たりにした子供たちは――。
「す、すげえ……鬼や魔物が、先生の前でみんな土下座してる……」
「先生……本当に、本当に王様だったんだ……!」
ケンヤもリョウタも、ゲイルもアリスも、そしてクロエも。
今まで「少し強い特任教師」として親しんできた自分たちの先生が、本当に一国の主として臣民に愛されているかを肌で理解し、完全に度肝を抜かれて呆然と立ち尽くしていた。
そのあまりにも微笑ましい光景に、俺は上空でクスッと笑いを漏らし、ゆっくりと彼らの傍へ舞い降りながら『隠蔽』のスキルを解除した。
「――俺も戻ったぞ。過去の俺、学園での教師の仕事、本当にお疲れさん」
音もなく実体化し、労いの言葉をかける俺。
その声に気づいた過去の俺は振り返り、やれやれと肩をすくめてみせた。
「おう、未来の俺。お前も王都での裏の仕事、お疲れさん。……マジで、こいつらの相手はオークロードの討伐より疲れたぜ」
俺たち二人のやり取りに、ひれ伏していた幹部たちも一斉に顔を上げ、パッと表情をさらに輝かせた。
「おお! 未来のリムル様もご無事の帰還なされましたか!」
「未来のリムル様ぁっ! お帰りなさいませ!」
リグルドがさらに激しく涙を流し、シオンとシュナが今度は俺と過去の俺、両方の人型リムルを囲んでキャーキャーと歓声を上げる。
一方、その状況を目の当たりにした子供たちの思考回路は、完全に限界を突破してショートしていた。
「えっ……? えええっ!?」
「せ、先生が……二人!?」
「どっちも人間の姿だし、顔も声も全く同じ……!? ど、どういうこと!?」
ケンヤたちが、目を皿のようにして俺と過去の俺を交互に指差して震えている。
無理もない。
自分たちの先生が一国の王様だったというだけでも大パニックなのに、その王様が突然分裂して二人になったのだから。
「ははっ、驚かせて悪かったな。俺は『未来から来たリムル』だ。こっちのリムル先生と一緒に、お前たち助けるために色々裏で動いてたんだよ」
俺が人型の姿のまま優しく微笑みかけると、子供たちはポカンと口を開けたまま、コクコクと無意識に頷くしかなかった。
「まあ、詳しい話はおいおいな。色々と混乱してるだろうが、長旅で疲れただろ。まずは町に入ろうぜ」
過去の俺が苦笑しながら、固まっている子供たちの背中をポンと押す。
「さあさあリムル様、未来のリムル様! そして小さき客人たちよ! 宴の準備は既に整っておりますぞ!」
リグルドの高らかな宣言と共に、再び割れんばかりの大歓声が巻き起こる。
ベニマルたち頼もしい幹部に先導され、熱烈な歓迎の波に包まれながら、俺たちは子供たちと共にテンペストへと足を踏み入れたのだった。
*
テンペストの中心部、広大な広場に設けられた宴の席。
そこには、西側諸国の王族すら滅多に口にできないような、シュナ特製の豪華な料理の数々が所狭しと並べられていた。
「うわぁ……っ! なんだこれ、すっごくいい匂い!」
「これも全部、魔物の人たちが作ったのか……?」
ケンヤとリョウタが、湯気を立てる肉料理や色鮮やかな果実の山を前に目を丸くする。
「さあさあ、小さき客人たちよ。遠慮はいらぬ、腹いっぱい食べるが良いぞ!」
リグルドが豪快に笑いながら、子供たちの取り皿に次々とご馳走を取り分けていく。
最初こそ屈強なゴブリンや鬼人族(キジン)の姿に強張っていた子供たちも、彼らの底抜けの明るさと優しさに触れ、あっという間に警戒心を解いていた。
「もぐもぐ……すっごく美味しい! 王都のレストランよりずっと美味しいわ!」
アリスが頬をリスのように膨らませて満面の笑みを浮かべ、ゲイルも無言で猛然と肉にかぶりついている。
「クロエ、口の周りにソースがついてるぞ」
「あ……ありがとう、先生」
過去の俺がナプキンで口元を拭ってやると、クロエは嬉しそうにふわりと微笑んだ。
「お前たち、すっかり馴染んでるな」
俺が横から声をかけると、過去の俺はシュナが淹れてくれた食後の紅茶を飲みながら、満足げに頷いた。
「ああ。こいつらもずっと張り詰めてたからな。たまにはこういう息抜きも必要だろ」
――その時だった。
「ちょっとちょっとー! アンタたち、こっちの席でばっかり内緒話してずるいじゃない!」
不意に、少し離れた幹部たちの宴の席から、パタパタという小さな羽音を立てて元気いっぱいの声が飛んできた。
見上げると、両手に自分の体ほどの大きさがあるケーキを抱えた小さな妖精――ラミリスが、光の粉を散らしながらこちらへ向かってくる。
さらにその後ろからは、ふわりと優雅に宙を舞う樹妖精(ドライアド)のトレイニーと、漆黒の仮面を被った悪魔・ベレッタが音もなく付き従っていた。
「うわっ、ちっこい妖精!?」
「すっごく綺麗なお姉さんと……うわ、後ろの人、なんかカッコいい仮面つけてる!」
突如として現れた神秘的な一行に、ケンヤやアリスたちが目を輝かせる。
「ふふん! 驚きなさい! アタシこそが偉大なる『妖精女王』、ラミリスよ! ……って、おおっ、今日は未来のリムルもこっちに帰ってきてたのね! ってことは、この子たちが前に話を聞いていた例の?」
ラミリスは空中でケーキを頬張りながら、並んで座っている俺と過去の俺を交互に見比べ、興味深そうに子供たちの周りを飛び回った。
その緊迫感の欠片もないやり取りを見守りながら、俺はラミリスの背後に控えるベレッタに向けて軽く視線を送った。
ベレッタはこちらの意図を察したように、恭しく、しかしどこか楽しげに一礼を返してくる。
「ああ。俺の教え子たちだ。……お前ら、よく聞いてくれ」
過去の俺は手元の紅茶を置き、少しだけ真剣な顔つきになって子供たちに向き直った。
「このちっこいのはラミリスって言って、これでも『精霊』たちを束ねるすごい女王様なんだ。……お前たちを苦しめてる魔素の暴走を止めるには、上位精霊を体に宿らせる必要がある。だから、この宴が終わったら、ラミリスとトレイニーさんに案内してもらって、この町の地下にある『迷宮(ダンジョン)』の奥で精霊を呼び出す儀式をする予定だ」
「精霊を……アタシたちの体に?」
クロエが不思議そうに小首を傾げる。
「そうだ。そうすれば、お前たちはもう寿命を気にすることなく、普通に大人になれる。……そのために、ここまで来たんだ」
過去の俺の優しく、しかし確かな力強さを持った言葉に、子供たちは一瞬言葉を失い――やがて、その瞳にパッと希望の光を灯した。
「本当!? オレたち、助かるのか!?」
「すごい……! リムル先生、ありがとう!」
ケンヤやアリスが歓声を上げ、ゲイルとリョウタもホッとしたように顔を見合わせている。
「えっへん! アタシとリムルにかかれば、そんなのお茶の子さいさいよ! ドンッと胸を張りなさい!」
ラミリスが自慢げにふんぞり返り、トレイニーも「ふふっ、迷宮へのご案内は私たちにお任せくださいね」と優しく微笑んだ。
子供たちの心は、これから向かう未知の迷宮への恐怖よりも、未来への確かな希望で完全に満たされていた。
(よしよし、これで精霊降ろしの事前説明は完璧だな。子供たちのメンタルも万全だ)
俺は満足げに頷き、賑やかさを増した宴の席を見渡した。
「まあ、儀式のことは一旦横に置いとこう。今はせっかくの宴だ、お前らも遠慮せずにもっと食えよ!」
過去の俺が明るく促すと、子供たちは「おーっ!」と元気よく返事をして、再び料理の山へと手を伸ばし始めた。
ラミリスも「アタシにもそのケーキよこしなさい!」と騒ぎ出し、トレイニーが甲斐甲斐しくそれを取り分けている。
そんな平和で騒がしいやり取りを微笑ましく見守りながら、俺はその場を過去の俺に任せ、そっと席を立った。
向かった先は、広場の一角で大いに酒を酌み交わし、肉を喰らっている武闘派の幹部陣のテーブルだ。
そこには、軍務司令であるベニマルを筆頭に、ゲルド、そしてガビルたちの姿があった。
「おお、未来のリムル様。子供たちの様子はいかがですか?」
俺が近づくのにいち早く気づいたベニマルが、スッと居住まいを正して手元の杯を置いた。
「ああ。王都での長旅で少し緊張してたみたいだが、すっかりこの国の空気に馴染んでるよ。シュナの飯と、あの騒がしい妖精のおかげだな」
俺が笑いながら空いている席に腰を下ろすと、隣に座っていたゲルドが静かに、しかし深い敬意を込めて一礼した。
「我らが主の客人たちに満足していただけたなら、我らとしても喜ばしい限りです。……未来のリムル様、迷宮における95階層の工事ですが、現在カイジン殿とも連携し、順調に進んでおります」
「ご苦労様、ゲルド。お前たちの力作業と手際の良さにはいつも助かってるよ。これからファルムス王国との戦争が控えてるんだ、あまり無理はしすぎないようにな」
「はっ。もったったいないお言葉、恐悦至極に存じます。ファルムスの愚物どもなど、我ら猪人族(ハイ・オーク)の壁が行く手を阻んでみせましょう」
ゲルドが力強く頷く横で、ガビルがシュパーッ! と勢いよく立ち上がった。
「未来のリムル様! 95階層の研究施設も、すでに完全稼働しておりますぞ! ベスター殿やカイジン殿と共に、例の『魔導列車』の基礎研究……そして、ベレッタ殿の力も借りて魔装兵の解析にも熱が入っております!」
「それは何よりだ。で、その魔導列車の進捗はどんな感じなんだ?」
俺が尋ねると、ガビルは少しだけ真面目な顔つきになってコホンと咳払いをした。
「はっ。本命である動力炉の製作につきましては、未知の機構ということもあり、流石のカイジン殿やベスター殿を以てしても一朝一夕とはいかず、困難を極めております。……ですので、まずは未来のリムル様に教えていただいた知識を活かし、火を使って『蒸気』で稼働する実験模型(モデル)を運用しているところであります!」
「へえ、もう模型まで作ってるのか。仕事が早いな」
「もちろんですとも! 現在はその模型を用いて、実際の積載量の限界や走行時の騒音の影響、さらにはあらゆる環境への適性や風洞実験などを並行して進めている最中にございます!」
「ははっ、そいつは頼もしいな。だが、ガビル。お前の本来の仕事である回復薬(ポーション)の抽出とヒポクテ草の栽培もおろそかにするなよ?」
「もちろんであります! 我輩、昼夜を問わずテンペストの技術発展に尽くす所存! あの巨大な鉄の竜(魔導列車)が大地を駆ける日を想像するだけで、夜も眠れませぬ!」
自信満々に胸を張るガビルに、ベニマルが「たまには部下たちを休ませてやれよ」と呆れたようにツッコミを入れ、周囲のホブゴブリンたちからもドッと笑いが起きた。
(うん、こっちの研究開発陣もモチベーションは最高潮だな。ファルムス戦に向けての軍備も、迷宮の拡充も、魔導列車の開発も……全てが理想的なペースで進んでる)
俺がジョッキを傾けながら内心で頷いていると、さらに賑やかな足音がこちらへ近づいてきた。
「おお、未来のリムル様! こちらにいらっしゃいましたか!」
豪快な声と共に現れたのは、巨大な木樽のジョッキを抱えたリグルドだ。
その後ろには、苦笑いしながら付き従う息子のリグルや、「うい〜っす! 未来のリムル様もガンガン飲むっすよ!」とすでに出来上がっている様子のゴブタ、そしてなぜかひときわ得意げな顔をして大きな酒瓶を抱えたシオンの姿もある。
「未来のリムル様! 私がお酌いたします!」
「おっとシオン、こぼすなよ。リグルドもリグルも、宴の取り仕切りご苦労さん」
俺が労うと、彼らも嬉しそうに「ははっ!」と笑って合流し、テーブルの熱気はさらに一段と跳ね上がった。
幹部陣のグラスが満たされ、ワイワイと他愛のない話がひとしきり弾んだところで――俺は手元のジョッキをゆっくりとテーブルに置き、表情からふっと笑みを消した。
「――お前たち、楽しんでるところ悪いんだが、少し耳を貸してくれ」
俺が声のトーンを一段階落として静かに告げると、その微かな空気の変化を察知し、テーブルの上の喧騒がピタリと止んだ。
ベニマルやゲルドはもちろん、酔っ払っていたゴブタや陽気だったリグルドでさえも、一瞬にしてその顔つきを『テンペストの重鎮』のそれに切り替える。
全員の鋭く真剣な視線が俺に集中するのを確認し、俺は言葉を続けた。
「今回のイングラシア王国での裏の仕事の件で……ファルムス戦とはまた別に、お前たちにも早急に共有しておかなければいけない重要な案件ができたんだ」
俺は皆の方に向き直り、姿勢を正した。
「単刀直入に言う。俺は今回のイングラシアへの同行で、裏社会を牛耳る秘密組織――『中庸道化連』のトップと接触し、完全な極秘同盟を結んできた」
俺の口から出たその組織名に、テーブルの空気がピンと張り詰めた。
「以前の会議でもお前たちに共有した通り、あいつらは魔王クレイマンが所属し、かつてジュラの森で豚頭帝(オークロード)の異常発生を裏で糸引いていた組織だ」
俺は言葉を切ると、立ち上がり、彼らの前で深く頭を下げた。
「ベニマル、シオン……お前たちの故郷である大鬼族(オーガ)の里が攻撃された直接の元凶であり、ゲルド、お前の父である先代を狂わせた黒幕だ。そしてリグルド、リグル。森の動乱が引き金となって牙狼族が暴れ、お前たちの家族だった先代の『リグル』が命を落とす遠因を作ったのも奴らだ」
俺は拳を強く握りしめ、正直な胸の内を吐露した。
「被害の当事者であるお前たちに一切の相談もなく、俺の独断で勝手に和解し、同盟を結んできたのはお前たちにとって本位じゃなかったかもしれない。 本当にすまない」
水を打ったような静寂が下りた。
絶対の忠誠を誓う主が、自分たちの過去の痛みに寄り添い、深く頭を下げている。
その事実に、幹部たちは一瞬だけ言葉を失い――やがて、軍務司令であるベニマルが、静かに、しかし力強い声で口を開いた。
「……頭をお上げください、未来のリムル様」
俺が顔を上げると、そこには憎しみや戸惑いなど微塵もない、ひたすらに真っ直ぐで澄んだ瞳を持つ忠臣たちの姿があった。
「クレイマンが帝国による呪縛を受けていたことは、すでに以前の会議で伺っております。……それに、もしあのまま里が平穏であったなら、我らがこうして未来のリムル様と今のリムル様という唯一無二の主に出会うこともありませんでした。今の我々にあるのは、過去への恨みではなく、この国で生きる誇りだけです」
「ベニマル殿の言う通りです」
ゲルドが深く頷く。
「我が父の罪は、我が罪。むしろ、その呪縛から彼らを解き放ち、味方へと引き入れた主の圧倒的な手腕と慈悲深さに、我ら猪人族(ハイ・オーク)は心より感服いたしております」
「リムル様……」
リグルドが目頭を熱くして涙を拭い、息子のリグルも力強く胸を張った。
「かつて兄が命を落としたのは悲しい出来事ですが、我らゴブリンは今、リムル様のおかげでかつてない平穏と繁栄を享受しております。どうか、お気になさらないでください!」
「お前ら……」
シオンでさえも、「未来のリムル様がそう決断されたのであれば、それがこの世界の絶対の正解に決まっております!」と自信満々に胸を張っている。
彼らの精神的な成長と、俺に対する底知れぬ信頼の深さに、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……ありがとう。お前たちがそう言ってくれるなら、本当に救われるよ」
俺はもう一度彼らに感謝を伝え、ゆっくりと席に座り直した。
張り詰めていた空気がふっと緩み、幹部たちの間にも温かな信頼の空気が戻った、その時だった。
「うぃ〜……でもぉ、未来のリムル様」
顔を真っ赤にしてジョッキを揺らしていたゴブタが、へらへらと笑いながら、ふと首を傾げて口を開いた。
「なんでまた、そんな裏で酷いことばっかりやってた奴らを、わざわざ『助けてあげよう』なんて思ったんすか? 未来のリムル様くらいすっげー強かったら、そのまま全員サクッと倒しちゃった方が、ずっと簡単で早かったんじゃないっすか?」
「こ、こらゴブタ! 未来のリムル様の尊きお考えに疑問を持つなど……!」
シオンが慌てて説教しようと身を乗り出すが、俺はそれを手で制した。
(酔っ払いの戯言のようでいて、実は物事の核心を突く……。ゴブタのこういう侮れないところは、未来でも今でも変わらないな)
俺は少しだけ目を伏せ、かつての歴史で戦場に散っていった道化たちの姿、そして彼らを束ねていた呪われし元魔王の姿を思い返した。
「……ゴブタの言う通りだ。普通に考えたなら、倒して終わりの相手に見えるかもしれない。だけどな、俺は『元の歴史』で、あいつらが迎えたあまりにも悲惨な運命を見ちまったんだよ」
「悲惨な運命……ですか?」
ベニマルが真剣な表情で問い返す。
「ああ。あいつらの組織に『カガリ』っていうボスの副官にあたる人物がいるんだが……彼女は元々、超古代の栄華を誇った国の、美しく心優しいエルフのお姫様だったんだ」
「エルフの姫様が、道化の魔人に……?」
リグルドが驚きに目を丸くする。
「理不尽に国を滅ぼされ、呪われた魔人(デスマン)として醜く生まれ変わることを強いられたんだ。それでもカガリは、自分と同じように居場所を失い、世界から弾かれた者たちを集めて『中庸道化連』という一つの『家族』を作った」
俺は手元のジョッキをじっと見つめながら、静かに言葉を繋いだ。
「だけど、その家族を守るための力や野心を利用され、精神を縛られ……元の歴史じゃ、最後は肉体も魂も完全に弄ばれた挙句、家族ごと無残に使い捨てられた。俺たちにとって途中まで憎き敵だったのは間違いないが、あの『家族を想う気持ち』だけは本物だった。あいつの家族が、ただの操り人形として死んでいく歴史の後味が、俺はどうにも悪くてな」
俺の語るカガリの凄惨な過去と未来の運命に、シオンは痛ましそうに顔を顰め、ゲルドやベニマルも沈痛な面持ちで静かに聞き入っていた。
「俺は、俺の身内が何より大事だし、誰一人失いたくない。……だからこそ、あいつらの家族を想う執念だけは、どうしても無下にできなかった。俺の歴史通り敵として相対するより、その呪縛から解き放って、俺たちの手の届く範囲で生き直させてやりたいって、そう思っちまったんだよ」
俺が少し照れくさそうに頭を掻きながらそう締めくくると、ゴブタは「なるほどっすねぇ~」と間延びした声で頷き、ニカッと笑った。
「やっぱり、未来のリムル様も俺たちのリムル様とおんなじで、すっげーお人好しで優しいんすね! 俺、そういうリムル様だから一生ついていくって決めてるんすよ!」
「お、おいバカ、照れるようなこと言うなよ」
ゴブタの屈託のない笑顔に、俺は思わず苦笑いを漏らす。
そのゴブタの言葉に同調するように、ベニマルたちも一斉に柔らかく、そして誇り高い笑みを浮かべた。
「ええ。我らの主は、いついかなる時、どの時間軸であっても、我らが誇る唯一無二の御方にございます」
「ふふっ。その底知れぬ慈悲深さこそが、我らのみならず、かつての敵をも惹きつけるのでしょうな」
ガビルが大きく頷き、シオンも「その通りです!」と胸を張る。
「……わかったわかった。俺の負けだ」 俺は降参するように両手を上げ、彼らの温かい視線を受け止めた。
「とにかく、そういう事情で中庸道化連とは手を結んだ。ここから先は、帝国を欺くための高度な盤面操作になる。お前たちには、もしも今後表面上の敵対関係を演じる必要が出たとして、本気で殺し合っているように見せかけて『確実に手心を加える』という、フラストレーションの溜まる役回りを頼むことになるが……やってくれるか?」
俺が改めて確認すると、ベニマルを筆頭に、幹部たちは一斉に力強い声で応えた。
「お任せください。相手を殺さずに圧倒するのもまた、武の極み。未来のテンペストが世界の中心となるための極大の布石、我ら幹部一同、決して抜かりなく完遂してみせます」
その頼もしい返答に、俺は深く満足して頷き、再びジョッキを掲げた。
過去のしがらみを乗り越え、より強固な絆で結ばれた俺たち。
表舞台での子供たちの救済と、裏舞台での巨大な謀略の両輪が、最も信頼できる仲間たちの手によって今まさに力強く回り始めていた。
*
宴もたけなわとなり、テンペストの空に満天の星が瞬き始めた頃。
満腹になって少し眠そうに船を漕ぎ始めていた子供たちを集め、過去の俺は優しく、しかし真剣な声で呼びかけた。
「さて、たっぷり食べて休んだことだし……そろそろ行こうか。お前たちの体を治すための、最後の仕上げだ」
その言葉に、ケンヤたちもハッと表情を引き締め、力強く頷く。
俺たち二人のリムルと子供たち一行は、ベニマルやリグルドたちに見送られながら、町の外れにある闘技場――その地下へと口を開ける『迷宮(ダンジョン)』の入り口へと足を運んだ。
先導するのは、もちろんこの迷宮の絶対的な支配者であるラミリスだ。
その後ろにはトレイニーと、静かな威圧感を放つベレッタが影のように付き従っている。
「ここが、迷宮……なんか、入り口からしてすっごく不気味なんだけど」
薄暗い地下への階段を見下ろし、アリスが少しだけ怯えたようにクロエの手を握る。
「ふふん! 安心しなさい! 本来ならここから延々と下まで降りていくんだけど、今日はアタシの特別サービス! 儀式を行う『95階層』まで、アタシの権能で一気にひとっ飛びさせてあげるわ!」
ラミリスが胸を張って指を鳴らすと、一行の足元に淡く光る巨大な魔法陣が展開された。
「舌噛まないように、しっかり目をつぶってろよ」
過去の俺が声をかけた次の瞬間、ふわりとした浮遊感と共に視界が真っ白に染まり――。
「……うわぁっ!?」
「す、すっげー! なんだここ!?」
光が収まり、おそるおそる目を開けた子供たちが、一斉に感嘆の声を上げた。
転移した先は、地下深くであるはずなのに、どこまでも高く澄んだ空気を内包する巨大なドーム状の空間だった。
ここが、地下95階層。
少し離れた区画にはカイジンやベスターたちが詰めている『最高機密の地下研究所』があるが、現在俺たちが立っているのは、そこから隔離された特別区画だ。
足元には柔らかな緑の草花が自生し、淡く発光する水晶の柱が立ち並ぶその空間の中央には、美しくも荘厳な『精霊の祭壇』がひっそりと鎮座していた。
本来のウルグレイシア共和国にあった『精霊の棲家』の最深部を、ラミリスの権能でそっくりそのままこの迷宮内に再現したのだ。
「すっごく綺麗……。地下なのに、お花が咲いてる」
クロエが目を輝かせて周囲を見渡す。
「ふふっ、ここは自然のエネルギーと魔素が最も濃密に集まるように調整された、神聖なる精霊たちの庭ですからね」
トレイニーが優しく微笑み、子供たちの緊張を解きほぐす。
その後ろでは、ベレッタが周囲に一切の危険がないか、静かに、しかし完璧な警戒態勢を敷いていた。
「よし、準備は完璧だな」
過去の俺が祭壇を見上げ、満足げに頷く。
「ええ。アタシがバッチリ調整しておいたわ! さあ、誰からでもいいわよ、あの中央の祭壇の前に立ってちょうだい。アタシが上位精霊たちを呼び出してあげるから!」
ラミリスが祭壇の上空を飛び回りながら、元気よく子供たちを促した。
(いよいよだな……)
少し離れた場所からその様子を見守りながら、俺は静かに息を吐き、思考を研ぎ澄ませた。
子供たちの魔素暴走を抑えるための、上位精霊の憑依儀式。
ゲイル、アリス、ケンヤ、リョウタの四人については、元の歴史通りにいけば問題なく適合する精霊が降りてくるはずだ。
だが――問題は、最後に儀式を行うことになるであろう、クロエ・オベールだ。
(シエル。クロエの中に眠る『勇者の卵』、そして本来の歴史で彼女に宿った『精神体(クロノア)』……この歴史軸でも、同じように現れると思うか?)
俺が脳内で密かに問いかけると、シエルは即座に、しかしわずかな警戒を孕んだ声で答えた。
《……現時点で、クロエの魂の深淵に極めて特異なエネルギーの渦を確認しています。状況が元の歴史から分岐している以上、全く同じ手順で『あの存在』が顕現するかは未知数ですね。いかなる事態にも即時介入できるよう、私の演算領域の90%を儀式の監視に割り当てておきます》
(頼もしい限りだ。……何が起きても、絶対にこいつらの未来は俺たちが守り抜く)
迷宮95階層、精霊の祭壇。
過去と未来のリムルが見守る中、子供たちの運命を決定づける儀式が、今まさに幕を開けようとしていた。
*
「誰から行く?」
過去の俺が子供たちを見渡して問いかけると、一番年上のゲイルが進み出た。
「オレから行くよ」
十一歳のゲイル・ギブソン。
五人の中で一番体格が良く、いつも弟や妹たちの面倒を見ているしっかり者だ。
彼なら、未知の儀式でも最初の手本として適任だろう。
「よし、ゲイル。あの中央の祭壇に上がって、目を閉じて祈るんだ。精霊が応えてくれるように」 過去の俺が優しく背中を押すと、ゲイルは緊張した面持ちでこくりと頷き、祭壇の中心へと足を踏み入れた。
ラミリスがふわりと空中に舞い上がり、ゲイルの頭上でクルクルと円を描きながら、厳かな声で精霊たちに呼びかけ始めた。
「大地の息吹よ、集え! 無垢なる魂を導く者たちよ、この者の祈りに応え、姿を現しなさい!」
ラミリスの詠唱に呼応するように、祭壇の周囲にポツポツと光の粒子が現れ始めた。
光は次第に数を増し、ゲイルの周囲をくるくると回り始める。
だが、現れたのは一つの強大な精霊ではなく、無数の小さな光――自我を持たない『下位精霊』の群れだった。
「うーん、大地の属性を持った下位精霊がいっぱい集まってきたわね。でも、これじゃあ魔素を中和するには弱すぎるわ……」
ラミリスが少し困ったように呟く。
下位精霊では自我が弱く、子供の体内に渦巻く膨大な魔素を取り込めば耐えきれずに消滅してしまう。
上位精霊でなければ、彼らを救うことはできないのだ。
過去の俺もそれに気づき、どうすべきかと思考を巡らせているのがわかる。
元の歴史通りなら、ここで過去の俺がユニークスキル『大賢者』と『変質者(デジェネレート)』を駆使し、下位精霊たちを強制的に統合して上位精霊へと進化させるはずだ。
(シエル。過去の俺の統合プロセス、裏から完璧にサポートしてやれ)
俺が密かに指示を飛ばす。
《お任せください。過去のマスターのスキル行使に同調し、ゲイルの魔素回路の最適化と、精霊の統合プロセスを完璧にサポートしますね》
シエルの頼もしい返答と同時に、過去の俺が動いた。
「ラミリス、その下位精霊たちをゲイルに集めてくれ! 俺が束ねて上位精霊にする!」
「えっ!? 束ねるって、そんな無茶な……わかったわ、やってみる!」
ラミリスが半信半疑ながらも精霊たちをゲイルの周囲に誘導し、過去の俺がゲイルの体にポンと手を触れる。
瞬間、過去の俺のスキルが発動し、無数の下位精霊たちがゲイルの体内で一つに融合し始めた。
表向きは過去の俺がすべてをコントロールしているように見えるが、そのさらに裏側では、シエルが神の如き演算能力で一切のロスなく精霊たちを『大地の擬似上位精霊』へと昇華させていく。
ゲイルの体を包んでいた土気色の光が、ひと際強く輝きを放ち、そしてスッと彼の体内へと完全に吸い込まれていった。
「……っ」
ゲイルがゆっくりと目を開ける。
「……どうだ、ゲイル。苦しくないか?」
過去の俺が心配そうに尋ねると、ゲイルは自分の手を握ったり開いたりして、自身の体の変化を確かめるように見つめた。
「うん……。全然痛くない。それに、体の中からすっごい力が湧いてくるみたいだ!」
暴走寸前だった彼の体内の魔素は、新たに宿った大地の擬似上位精霊のエネルギーと完全に融合し、見事に調和を果たしていた。
ゲイルを蝕んでいた死のカウントダウンが、今、完全に停止したのだ。
「やった! ゲイル、すごい!」
「成功だね!」
ケンヤやアリスたちが歓声を上げ、ゲイルも照れくさそうに、だが心底ホッとした様子で笑い返した。
ゲイルが祭壇から降りると、次にアリスが元気よく進み出た。
「次はアタシね!」
金髪を揺らし、少し得意げな顔で祭壇の中央に立つ。
ラミリスが再び空を舞い、詠唱を始めた。
「大気のうねりよ、集え! 無垢なる魂を導く者たちよ、姿を現しなさい!」
集まってきたのは、ゲイルの時と同じく無数の下位精霊たちだった。
ただし、今度は少し毛色が違う。
「えーっと、これは……『空』属性の下位精霊ね。またいっぱい集まってきちゃったわ」
ラミリスの言葉に、過去の俺はコクリと頷き、再びアリスの元へと歩み寄る。
先ほどと同じ手順だ。
アリスの体に触れ、集まった『空』の下位精霊たちを統合し、擬似的な上位精霊へと作り変える。
(シエル、頼むぞ)
《はい。アリスの魔素回路の最適化と、精霊の統合プロセスの掌握、無事に完了です》
過去の俺とシエルの完璧な連携により、アリスの体内にも無事に『空の擬似上位精霊』が定着した。
「やったぁ! なんだか体がすっごく軽い!」
ぴょんぴょんと跳ね回るアリス。
その姿を見て、残る三人にもさらに希望の色が濃くなる。
「よっしゃ、次はオレの番だぜ!」
勢いよく飛び出してきたのはケンヤだ。
木剣を片手に、自信満々な足取りで祭壇へ向かう。
「さあ、来い! オレにはとびっきり強い精霊がつくはずだ!」
「ふふん、言うわね! それじゃあ、いくわよ!」
「よっしゃ、次はオレの番だぜ!」
勢いよく飛び出してきたのはケンヤだ。
木剣を片手に、自信満々な足取りで祭壇へ向かう。
「さあ、来い! オレにはとびっきり強い精霊がつくはずだ!」
そう言ってケンヤが祈り始めようとした瞬間。
まだ目も閉じていないというのに、祭壇へと凄まじい量の光の粒が降り注ぎ始めた。
しかも、先程のゲイルやアリスの時とは比べ物にならない重圧感(プレッシャー)が空間を満たす。
(なんだと? 今までの奴とは比べ物にならないぞ!?)
過去の俺が驚愕に目を見開くのがわかった。
上空を舞っていたラミリスも、予想外の事態に動きを止めている。
やがて、目の前の祭壇に、無数の光が収束し――一人、いや、一柱の精霊が出現したのだ。
そこにいたのは、神々しい光の塊などではなく……男の子?
「いよー! 元気かい? 今日は、気紛れで来てやったよん!」
何とも軽い挨拶だった。
自我があるってものじゃない。
その圧倒的な存在感は、間違いなく上位精霊である。
「あ、あーーーーー!! アンタ、何しに人の迷宮にやって来てんのよ!?」
ラミリスが、目を吊り上げて少年精霊に詰め寄った。
どうやら知り合いのようだ。
「おい、そちらさんは?」
過去の俺が問うと、ラミリスが紹介しようとするよりも早く、少年精霊が答えた。
「オッス! 初めまして、オイラは光の精霊さ! そこの魔物に堕ちた邪悪な妖精と違って、純粋な光の精霊様だよ!」
悪びれもせずにそう挨拶してきたのだ。
なんと驚くべき事に、ケンヤは過去の俺が干渉するまでもなく、見事に光の上位精霊を自力で召喚出来たようである。
少し離れた場所からその光景を見守る俺は、かつて自分が経験した全く同じやり取りに、懐かしさで思わず口元を綻ばせた。
(懐かしいな、たしか俺の時もあの精霊がケンヤに宿ったんだったな。シエル、相変わらず軽いノリの精霊様だが……干渉の準備はいいか?)
《はい。光の上位精霊のエネルギー波長も解析済みです。いつでもケンヤの魔素回路と同調させ、最適化する準備は整っていますよ》
そんな俺とシエルの密かなやり取りを他所に、祭壇の中心では過去の俺と光の精霊がお互いに挨拶を交わし、話を聞き出していた。
光の精霊によると、ケンヤの資質を感じてわざわざ降りてきてやったのだそうで……。
「てな訳で、オイラがケンちゃんを助けてやるのだ!」
との事。
「ケンちゃんが成長するまでは、オイラが保護するよ。もしかしたら、ケンちゃんも〝勇者〟になれるかも知れないからね!」
光の精霊の言葉に、過去の俺は考えた。
ケンヤが勇者とは、それはまた──
驚く過去の俺を他所に、光の精霊は許可も取らずにケンヤへと宿った。
《ケンヤの魂への上位精霊の定着を確認しました。魔素回路の最適化、完了です。今回も問題なく終わりましたね》
シエルの完璧な裏のサポートもあり、あっけない程簡単に、ケンヤの状態が安定する。
「先生……?」
「ん? ああ、大丈夫。計画通りだ!」
ケンヤは過去の俺の言葉を疑っているようだったが、状態が安定したというのは自分でもわかったのだろう。
それ以上の疑問を口にせず、この状況を受け入れたのだった。
皆のもとへと戻り、今起こったことを自分で説明をしていた。
「す、すごい……ケンヤ君、かっこいい!」
リョウタが目を輝かせてケンヤを出迎える。
「へへっ、だろ? リョウタも頑張れよ!」
「うん……ぼ、僕もいく!」
少し気弱なリョウタだが、三人の成功を目の当たりにして勇気をもらったのか、決意を秘めた顔で祭壇へと進み出た。
ラミリスの祈りに応え、リョウタの周りには『水』と『風』の二つの属性を持った下位精霊たちが集まってきた。
「水と風……相反する属性ではないけれど、二つ同時なんて珍しいわね」
「なら、俺が上手く混ぜ合わせてやる」
過去の俺がリョウタの体に触れ、二つの属性の下位精霊を統合していく。
《リョウタの魔素回路の最適化と、統合プロセスの掌握も完了です》
裏でシエルが完璧な調整を施し、リョウタの体内には『水と風の擬似上位精霊』が穏やかに定着した。
「ふぅ……。なんだか、とっても静かで……涼しい風が吹いているみたいだ」
リョウタがホッとしたように微笑み、自身の両手を見つめる。
これで四人だ。
ゲイル、アリス、ケンヤ、リョウタ。
四人の子供たちは、無事に自身の命を蝕んでいた魔素の暴走を克服した。
残るは――。
全員の視線が、最後に残った一人の少女へと集まる。
*
全員の視線が、最後に残った一人の少女へと集まる。
「じゃあ、私も行ってくるね、先生」
クロエは大人びた微笑みを浮かべ、静かに祭壇へと歩みを進めた。
その小さな背中を見守りながら、過去の俺は優しく頷き、俺もまた、これから起こるであろう『事象』に向けて限界まで警戒を引き上げた。
(来るぞ、シエル)
《はい。クロエの魂の深淵から、莫大なエネルギーの奔流を検知しました。空間位相が著しく歪んでいますね……マスターの知る時間軸とは場所と時期が違うため正しく顕現するかが未知数でしたが、今回も無事たどり着いたようです》
ラミリスが上空に舞い上がり、これまでの四人と同じように祈りを捧げようとした――まさに、その瞬間だった。
「え……? な、何これ!?」
ラミリスの顔が青ざめ、悲鳴のような声が漏れた。
祈るまでもない。
クロエが祭壇の中央に立っただけで、地下95階層の空気が一変したのだ。
先ほどケンヤの時に現れた光の上位精霊など比較にならない。
次元そのものが軋み、世界が震えるような、圧倒的で濃密なエネルギーの渦。
それがクロエの小さな足元から溢れ出し、祭壇の周囲で光と闇が入り混じる荒れ狂う嵐となった。
「くっ……! なんだ、この異常な魔素量は!?」
過去の俺が思わず身構え、子供たちを庇うように前に出る。
ベレッタも即座にラミリスの前に立ち塞がり、トレイニーも冷や汗を流して絶句していた。
渦巻く光と闇のエネルギーは、空間を切り裂くようにして、やがて人の形をとり始めた。
光り輝く粒子が集束し、実体化したのは――精霊などではない。
美しい、一人の『少女』だった。
星屑を散りばめたような銀の髪。
神々しくも、どこか冷たく、そして深い悲しみを秘めたような美しさを持つ、成長したクロエによく似た面影の精神体。
未来の歴史を知る俺にとって、それは絶対に見間違うはずのない姿。
俺の知る歴史では、最強の勇者、『クロノア』となる精神生命体。
時の果てから顕現したその存在は、宙に浮かび上がりながら、ゆっくりと閉じていた瞳を開いた。
深淵のような瞳が、まず自らの依代となるべく目の前に立つ幼きクロエを見下ろし、次に周囲の状況を把握するように静かに視線を巡らせる。
そして、彼女の視線が――祭壇の下で驚愕に目を見開く『過去の俺』と、少し離れた場所から静かに彼女を見据える『未来の俺』。
全く同じ姿と魂を持つ、二人のリムルの姿を同時に捉え――ピタリと止まった。
その得体の知れない強大なプレッシャーに、いち早く反応したのは迷宮の主であるラミリスだった。
「あ、あんたの好きにはさせないわ! ここはアタシの迷宮なんだから!」
ラミリスが悲鳴のような声を上げ、小さな両手を突き出して全力の攻撃態勢に入る。
彼女の危機感知に呼応するように、ベレッタとトレイニーも瞬時に臨戦態勢へと移行した。
「待て、ラミリス。攻撃するな」
極度の緊張が走る中、俺は静かな声でそれを制止し、ゆっくりと祭壇へ向かって歩みを進めた。
「み、未来の俺!? お前、こいつが何者か知ってるのか!?」
「ちょっと、未来のリムル! こんなヤバい奴、放っておいたら……!」
過去の俺とラミリスが驚愕の声を上げるが、俺はそれに答えることなく、宙に浮かぶ銀髪の少女――クロノアと真っ直ぐに視線を合わせた。
彼女から発せられる凄まじいエネルギーの奔流の中に立ちながら、俺はかつての歴史で彼女が背負った過酷な運命を思い、限りなく優しい声で語りかけた。
「……無事来てくれたんだな。ありがとうな」
俺の言葉が届いた瞬間、クロノアの深淵のような瞳に微かな光が宿り、その冷たい表情がふわりと解け、美しくも無邪気な微笑みが浮かんだ。
だが、彼女はすぐに小首を傾げた。
目の前にいる過去の俺と、声をかけてきた未来の俺。
全く同じ魂の波長を持つ存在が『二人』いるというあり得ない状況に、明らかな戸惑いを見せている。
俺はそんな彼女の可愛らしい反応に小さく笑みをこぼすと、背後で呆然と立ち尽くしている過去の俺を親指で指し示した。
「迷うなよ。お前の大好きなリムルは、こっちだよ」
「は? え、俺!? 大好きって、お前いきなり何を言って……」
過去の俺が意味が分からず目を白黒させている、その時だった。
俺の言葉に深く納得したように頷いたクロノアは、音もなくふわりと宙を滑り、過去の俺の目の前へと降り立った。
「お、おい……?」
過去の俺が一歩後ずさろうとしたが、遅い。
クロノアはそっと彼に顔を近づけると、そのまま躊躇うことなく、過去の俺の唇にチュッと優しく口づけをしたのだ。
「――――ッ!?」
過去の俺の動きが完全にフリーズし、周囲で見守っていたケンヤたちやラミリスの思考も完全に停止した。
だが、そんな周囲の大パニックなどお構いなしに、クロノアは心底満足そうに微笑むと、再び祭壇の中央に立つ幼きクロエへと振り返った。
そして、自らの依代であるクロエの小さな体を優しく抱きしめるようにして、光と闇の粒子へと姿を変え、ゆっくりと彼女の体内へと吸い込まれていったのだ。
《クロエの魂に、莫大な精神体の完全な定着を確認しました。魔素回路の融合・最適化、完了です。これより、彼女は休眠状態に入ります》
裏で完璧に立ち回っていたシエルの報告と同時に、地下95階層に吹き荒れていた異常なエネルギーの嵐が嘘のようにピタリと止む。
そして、役目を終えたクロエの小さな体が、糸が切れたようにふわりと祭壇の上に倒れ込んだ。
「クロエ!」
過去の俺が弾かれたように飛び出し、倒れ込むクロエの小さな体を間一髪で抱きとめた。
「おい、しっかりしろ! クロエ!」
過去の俺が慌てて呼びかけるが、クロエはすやすやと穏やかな寝息を立てているだけで、目を覚ます気配はない。
「……おい未来の俺。これは、一体どういうことだ? さっきのアイツは……それに、俺へのキスって……!」
過去の俺が、片手で自分の唇を覆いながら、真っ赤になって俺を睨みつけてきた。
無理もない。
いきなり見知らぬ(しかも絶世の美女の)精神体に口づけされ、さらにそれが教え子に吸い込まれていったのだから、大混乱だろう。
「今は細かい説明は省くよ。強いて言うなら……お前のこれからの『頑張り』に対する、未来からのちょっとしたご褒美だ」
俺が肩をすくめてニヤリと笑うと、過去の俺は「ご褒美ってなんだよ!」とさらに抗議の声を上げた。
「ちょ、ちょっと先生! 今、あのすっごい綺麗なお姉さんにチューされてたわよね!?」
「すっげー! 先生、やるぅ!」
「いや、アリス、ケンヤ、これは不可抗力でだな……っ!」
「リムル、あんたって奴は……アタシというものがありながら、大人の女の人に鼻の下伸ばして……! ていうか、あのヤバすぎるエネルギー体、本当に何だったのよ!?」
「お前まで話をややこしくするな! 俺は何もしてないだろ!」
口々に騒ぎ立てる子供たちとラミリスを前に、過去の俺は完全にタジタジになっている。
そんな騒がしくも平和なやり取りを眺めながら、俺は小さく息を吐き出した。
「まあ、落ち着けって。クロエの状態を確認してみろ」
俺が促すと、過去の俺はハッとして、すぐに腕の中のクロエへと意識を集中させた。
「……魔素が、完全に安定してる。暴走の兆候もない……嘘だろ、あんな出鱈目なエネルギーの塊だったのに、クロエの魔素回路と完璧に同調してるのか?」
「ああ。彼女を蝕んでいた魔素は、あの精神体を顕現・定着させるためのエネルギーとして完全に昇華された。……つまり、お前たち五人の精霊降ろしの儀式は、これにて『完全成功』ってことだ」
俺が高らかに宣言すると、地下95階層に一瞬の静寂が訪れ――やがて、割れんばかりの歓声が響き渡った。
「やったぁっ! オレたち、助かったんだ!」
「先生、ありがとう……! 本当に、ありがとう!」
ケンヤやアリスたちが、眠るクロエを抱いた過去の俺に次々と飛びついていく。
ゲイルやリョウタも、大粒の涙を流しながら過去の俺のローブを力強く握りしめていた。
「お、おい……お前ら。痛いって、引っ張るなよ」
過去の俺は文句を言いながらも、その声は微かに震えていた。
シズさんから引き継いだ、絶対に叶えなければならなかった未練。
自分の命のタイムリミットに怯え、大人に絶望していた子供たちを救うという、一つの大きな目標を完遂したのだ。
過去の俺は、腕の中のクロエをそっと抱え直すと、まとわりつく子供たちの頭を一人ずつ、優しく撫でてやった。
「……よく頑張ったな、お前ら。これで、もう何も心配いらないぞ」
その優しい微笑みは、一人の『特任教師』としての、心からの安堵と喜びに満ちていた。
俺(未来)もまた、少し離れた場所からその光景を静かに見守りながら、胸の奥底に熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
かつて俺自身が経験した、この瞬間。
何度見ても、良いものだ。
こうして俺たちは、イングラシア王都でシズさんから託された『子供たちの救済』という最大の任務を見事に成し遂げたのである。
「さてと。感動のところ悪いが、そろそろ地上に戻ろうぜ。クロエも疲れ切って寝てるし、お前たちも今日はいろいろあって限界だろ?」
俺が声をかけると、子供たちは急に緊張の糸が切れたように、「ふぁあ……」と大きなあくびを漏らし始めた。
「そうだな。ラミリス、悪いけど地上の入り口まで転移を頼めるか?」
「えっへん! 任せなさい! アタシの偉大な力に感謝することね!」
得意げに胸を張るラミリスの権能により、俺たち一行は再び光に包まれ、静かな地下95階層の祭壇を後にした。