【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第七章 反撃の狼煙

――俺の意識は、底なしの泥のような混濁の奥底へと深く、深く沈み込んでいた。

 

視覚も、聴覚も、触覚すらも曖昧な暗闇の世界。

 

シエルからの応答は完全に途絶え、現実世界で自分が今どういう状態にあるのかすら認識できない。

 

ただ一つ確かなのは、俺の魂の深層にへばりついた『三つの重なる声』だけが、絶え間なくねっと

りと脳髄を撫で回し続けているということだった。

 

 

 

 

 

 

『俺はうれしいんだ。『俺』と一つになれるんだからな』

 

『『私』自身を取り戻せる。これはとても素敵なことよ』

 

『もっと、『僕』の深淵を見せて欲しいな』

 

 

 

 

 

 

狂気と歓喜に満ちた、あの三つの瞳を持つ自分自身の幻影。

そのおぞましい囁きが呪いのように反響し、俺の自我を少しずつ、だが確実に削り取っていく。

抗おうにも指一本動かす感覚がなく、俺はただただ重力のない深淵へと堕ちていくしかなかった。

 

(……くそっ……俺は………こんなところで……)

 

意識の完全な消失が迫る中。

ふと、その不気味なノイズの隙間を縫うようにして、別の声が微かに響いてきた。

 

『逃…………!』

 

『ア…シ……主…返…、こ…下………が…………!』

 

『…………られ………と、…………思わ…………す』

 

深い水底から水面上の会話を聞いているかのように、ひどくノイズまみれの途切れ途切れの声。

何を言っているのか、正確な言葉の意味まではうまく脳が処理してくれない。

だが、その声色には、俺の魂に深く刻まれた強烈な聞き覚えがあった。

 

(……ヴェルドラ? それに、ディアブロと……カレラか……?)

 

間違いない。

 

しかし、あり得ない。

 

今の俺は『過去の時間軸』にいる。

 

この時代では、ヴェルドラはまだ過去の俺の胃袋の中にいるはずだし、ディアブロやカレラと出会うのはもっと先の話だ。

 

何より、俺の時代のヴェルドラたちとの繋がりは、この時間軸に来てからずっと遮断されていたはずなのに。

 

(……なんで、この時代にいないはずの、あいつらの声が……?)

 

考えを巡らせようとした次の瞬間。

 

――ゾワッ、と。

俺の魂全体を、言語化できないほどの強烈な悪寒が包み込んだ。

 

ただ沈んでいくだけだった暗闇の底が突如として抜け落ち、得体の知れない強大な引力を持った『さらなる深淵』へと、俺の存在そのものが強引に引きずり込まれる感覚。

 

(な、なんだ……!? 引っ張られ……ッ!)

 

自我の境界線が限界まで引き伸ばされ、今度こそ俺という存在が完全に千切れて消滅してしまう。

そう直感した、まさにその絶体絶命の刹那だった。

 

魂の繋がり、未来の俺と未来のヴェルドラを繋ぐ『魂の回廊』のさらに奥深くから、物理的な衝撃すら伴うほどの凄まじい竜の咆哮が聞こえた。

 

『我が盟友に手を出すなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』

 

その咆哮は、物理的な音を伴わない、魂そのものを直接震わせる絶対的な『力』の奔流だった。

 

パリィィィィンッ!!

 

耳障りなガラスが砕けるような音と共に、俺の意識を縛り付けていた真っ暗な空間に巨大な亀裂が走る。

 

 

 

 

 

『……………………………またな。『俺』』

 

『焦る事はないわよ『私』。もっと楽しんでね』

 

『次はもっと『僕』自身の深淵を見せてね』

 

 

 

 

 

俺の魂にへばりついていた三つの重なる声が、徐々に遠ざかっていく。

 

俺の自我を侵食していたおぞましい幻影が、暴風の覇気によって完全に吹き飛ばされ、霧散していくのがハッキリと分かった。

 

それと同時に、俺の意識は急速に浮上を開始する。

 

途切れていた感覚が、まるで急激に水面へと引き上げられるように、一気に肉体へと戻っていった。

 

 

 

 

医療棟の特別室。

俺を囲んで沈痛な面持ちを浮かべていたベニマルたちの目の前で、劇的な変化が起きた。

 

俺の体から立ち上っていた不可解なノイズのような光の粒子が、フッと唐突に掻き消えたのだ。

異常なほどに跳ね上がっていた体温は瞬く間に平熱へと下がり、苦悶に歪んでいた表情も、嘘のように穏やかなものへと変わっていく。

 

「……あ、れ? リムル様の様子が……」

 

涙ぐみながら俺の手を握っていたシオンが、ハッと顔を上げる。

その直後だった。

 

「――っ、はぁぁぁぁッ!!」

 

俺は空気を吸い込みながら、勢いよくベッドから跳ね起きた。

 

「リムル様!?」

 

「おおっ! 気が付かれましたか!」

 

突然飛び起きた俺を見て、ベニマルやリグルドが弾かれたように声を上げる。

俺は荒い息を吐きながら、自分の両手を握ったり開いたりして、感覚が完全に戻っていることを確かめた。

視界のブレもない。

頭をかき回されるような不快感も、あの三つの声の幻聴も完全に消え去り、思考は恐ろしいほどにクリアになっていた。

 

(助かった……のか? 俺の時代のヴェルドラの奴が何かやってくれたのか…?)

 

本来ならあり得ない現象だ。

だが、あの理不尽の塊である悪友の規格外な叫びが、俺の魂を泥沼の底から引きずり上げてくれたことだけは間違いない。

 

《……マスター。意識が、完全に戻られたのですね》

 

不意に、脳内にあのクリアで、絶対的な安心感をもたらす相棒の声が響いた。

いつもは完璧に冷静なはずのその声が、今は微かに震え、安堵に揺らいでいるのがわかった。

 

(シエル! お前も無事だったか)

 

《はい。マスターの魂の深層に対する未知の高次元干渉により、私とのリンクが強制的に分断されていました。……マスターの存在が消えかかり、私は、本当に……》

 

(ごめんな、心配かけた。でももう大丈夫だ。……俺の意識が飛んでる間も、お前がずっと俺の魂を繋ぎ止めようとしてくれてたのは分かってるよ。ありがとうな)

 

《……はいっ!》

 

シエルとの繋がりが完全に復旧したことに安堵した、まさにその直後だった。

 

「リムル様ぁぁぁっ! あああ、よかったです、本当によかった……っ!」

 

シオンがわぁっと大声を上げて泣き出し、俺の胸に勢いよく飛び込んできた。

 

「ぐえっ!? し、シオン、痛い痛い! 抱きしめる力が強すぎるって!」

 

「ご無事で何よりです、未来のリムル様。一時はどうなることかと……」

 

ベニマルも安堵の深いため息を吐き、ハクロウも目尻を拭っている。

 

俺はシオンをなんとか宥めながら、周囲を見渡した。

そこは見慣れたテンペストの医療棟だった。

結界の重圧は微かに感じるが、さっきよりは幾分かマシになっている気がする。

そして、ふと隣のベッドに視線を向けた俺は、包帯ぐるぐる巻きで眠っている小さな姿を見つけ、ハッと息を呑んだ。

 

「……ゴブタ? それにヨウムたちも……そうだ、外の連中はどうなったんだ!?」

 

俺が倒れた後、あのファルムスの異世界人三人組はどうなったのか。

最悪の事態を想定して顔を青ざめさせる俺に、ベニマルが静かに、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「……リムル様が意識を失われた直後、あの三人の異世界人が攻め込んできました。我々も結界のせいで思うように動けず、正直に申し上げれば、一時はシオンやヨウム殿の命も危うい状況でした」

 

ベニマルの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。

元の歴史でも、このタイミングでシオンたちが犠牲になった。

防衛策を講じていたはずなのに、俺自身の不調という不確定要素のせいで、また同じ悲劇を繰り返すところだったのだ。

 

「ですが、それを救ったのは……そこに眠っているゴブタです」

 

「……ゴブタが?」

 

俺は隣のベッドで、すやすやと(というよりは、死んだように深く)眠っているゴブタを見た。

包帯こそ巻かれているが、その表情にはどこか誇らしげな達成感が滲んでいる。

 

「リムル様が落とされた、あの銀色の円盤……。ゴブタがそれを手に取り、叫んだのです。……『憑依装着』と」

 

ベニマルの説明によれば、ゴブタはあの試作武装『カラミティ・レイド』を起動させ、全身に青銀の装甲を纏って戦場に降り立ったらしい。

 

そして、結界の影響をものともせず、圧倒的な速度と力でショウゴとキョウヤを完膚なきまでに叩きのめし、戦意を喪失させて追い払ったのだという。

 

(……マジか。あいつ、あの武装を使いこなしたのかよ)

 

俺はベッドの横に置いてあった、役目を終えて銀色の静寂を保っている『災厄の核塊(カラミティ・コア)』を見つめ、そしてその隣で包帯ぐるぐる巻きになって眠るゴブタへと視線を移した。

 

あの極限状態の中、俺は意識が混濁していく焦りから、思わずゴブタにこの危険な代物を託してしまった。

 

『擬似天災兵装(カラミティ・レイド)』は、俺とシエルが開発した「個の限界を超える」ための試験武装だ。

 

当然、装着者への反動は凄まじく、最悪の場合は命を落とす危険性すらある。

 

《マスター、ゴブタは極度な魔素枯渇および魂の重篤な損傷状態でしたので、私の独断で緊急の修復・延命措置を実行いたしました。命に別状はありませんが意識を取り戻すのはまだ時間がかかるかと》

 

シエルの淡々とした事後報告に、俺は事態の異常さを悟り、魔王としての冷静さを保ちつつも微かに表情を険しくした。

 

(……そんな重篤な状態だったのか。本来ならお前に……こんな命を削るような危ないもの、使わせるつもりなんて微塵もなかったのにな)

 

痛々しい姿のゴブタを見て、俺の胸に申し訳なさが込み上げる。

 

だが、それ以上に……俺の心を占めていたのは、底知れないほどの深い感謝だった。

 

(ゴブタ……本当に、よくやってくれた。お前が命懸けで皆を守ってくれたおかげで、最悪の事態は防げたんだ。ありがとうな)

 

俺は心の中で深く感謝しつつ、ゴブタの頭を優しく撫でた。

 

さて、感傷に浸っている場合じゃない。

俺はすぐに意識を切り替え、周囲の幹部たちを見渡した。

 

「みんな、無事で本当によかった。……ところで、キョウヤっていう細身の剣士と打ち合った奴はいるか? あいつの剣の軌道、ただの物理斬撃じゃなかったはずだ」

 

俺の問いかけに、顔に包帯を巻いたハクロウが一歩前に出た。

 

「ふむ。見抜いておられましたか、リムル様。お恥ずかしながら、私を含め数名の者が少々手合わせをいたしまして、浅く数太刀ほど浴びてしまいましたな」

 

「やっぱりか。ハクロウ、傷を見せてくれ」

 

俺が包帯を外させると、ハクロウの頬や腕の傷は、フルポーションを使った後だというのに完全に塞がっておらず、血が滲んでいた。

 

「キョウヤのユニークスキル『切断者(キリサクモノ)』は、空間そのものを断裂させる性質を持ってるんだ。その空間属性の斬撃を受けた傷は、ただの回復薬じゃ空間のズレまでは治せないから、塞がらない」

 

「なるほど……ポーションの効きが悪いとは思っておりましたが、そのような理屈でしたか」

 

俺は手をかざし、『虚空之神(アザトース)』の力を微かに発動させた。

周囲に残留している『空間属性の法則』そのものを捕食し、無効化する。

 

「よし、これで空間のズレは消えた。ミュウラン、もう一度ヨウムたちも含めて、ポーションをかけ直してやってくれ。今度こそ完治するはずだ」

 

「は、はい! かしこまりました!」

 

空間の属性を食われたことで、ハクロウの傷は今度こそポーションの光と共に綺麗に塞がっていった。

それを見て、俺は一つ安堵の息を吐く。

 

「リムル様……本当に、申し訳ありません。我らが不甲斐ないばかりに、ゴブタに無理をさせ、リムル様にもご心配をおかけして……ッ」

 

シオンが悔しそうに拳を握りしめ、ベニマルも沈痛な面持ちで俯いている。

 

「気にするな。お前らが弱いんじゃない。この結界の効力が凶悪すぎるだけだ」

 

本当なら、わざと結界を発動させ、奴らの目の前で叩き割ってやるつもりだった。

そうして俺たちの圧倒的な力の差を見せつければ、あの驕り昂ぶった異世界人たちも少しは話を聞く気になると踏んでいたのだ。

 

だが、まさか俺自身の魂にあそこまでの影響を与えてくる『謎の存在』が潜んでいたことは、完全に想定外だった。

結果として、俺の慢心と見通しの甘さが仲間たちを死の危険に晒し、ゴブタに過酷な運命を背負わせてしまったのだ。主として、深く反省しなければならない。

 

俺は医療棟の窓から、テンペストの空を覆う淀んだ結界を見上げた。

 

魔素を遮断する『四方印封魔結界(プリズンフィールド)』

 

これがある限り、テンペストの魔物たちは常に生気を奪われ、本来の力を出すことができない。

 

俺がぶっ倒れたのも、この結界のせいだとみんなは思っているだろう。

 

本当の理由はあの謎の三つの声だったわけだが。

 

(シエル。結界の解析は終わってるな?)

 

《はい。以前の経験により解除プロセスの構築はとうに完了しております》

 

俺の頼れる相棒は、すでに準備万端だった。

 

(さっさとこんな不快なもん、消し飛ばしてやる。やれ、シエル)

 

《わかりました、マスター。対象の結界術式に対し、対抗魔法および構造破壊を実行します》

 

俺の指先から、莫大な量の魔素が不可視の波紋となって上空へ放たれた。

それは結界を構成する魔力の結節点を正確に捉え、内側から強制的に術式を書き換え、崩壊させていく。

 

パキッ……!

ピシィィィィッ!!

 

紫色の空に、巨大な亀裂が走った。

それはまるで、薄氷が砕け散るかのように連鎖的に広がっていき――次の瞬間、鼓膜を揺らすような甲高い破砕音と共に、テンペストを覆っていた広域結界が、文字通り跡形もなくガラスの破片のように砕け散った。

 

「……おおっ!」

 

「体が……軽い! 力が戻ってきたぞ!」

 

結界が消滅し、外界の豊かな魔素が再びテンペストの町へと流れ込んでくる。

 

その瞬間、ベニマルやシオン、ハクロウたち幹部の顔から疲労の色が抜け落ち、彼ら本来の強大なオーラと活力が一気に満ち溢れていくのが分かった。

 

迷宮に避難している魔物たちも、今頃この解放感に安堵していることだろう。

 

「さあて、ここからが反撃の時間だ」

 

俺は振り返って幹部たちに不敵な笑みを向けた。

 

「ゴブタがあそこまで体を張って繋いでくれた命と、この国だ。ファルムスの本隊二万だろうがなんだろうが、指一本触れさせねえぞ」

 

その俺の言葉に、ベニマルたちが力強く頷いた――その時だった。

 

「みっ、未来のリムル様ーッ!! ああ、結界が消えて本当によかった……っ! ご無事ですかぁぁっ!」

 

「ゼエ、ゼエ……ッ、まったく、町を覆うあの忌まわしい結界を見た時は、生きた心地がしませんでしたぞ!」

 

医療棟の廊下の方から、ドタバタと騒がしい足音と共に、涙目のガビルと息を切らしたベスターが転がり込んでくる。

彼らはテンペストの郊外にある『封印の洞窟』のヒポクテ草栽培所に籠っていたため、あの結界の影響を直接受けずに済んでいたのだ。

結界のせいで思念伝達や通信も繋がらず、異変を察知して急いで駆けつけてきたのだろう。

 

「ガビルにベスター! 無事だったか!」

 

「はいっ! 我々は洞窟の中にいたので無傷です! ですが、町へ戻ろうとした矢先にあの結界が張られているのを見て……慌てていたところに、ちょうど帰還された『リムル様』と合流しまして!」

 

ガビルの言葉に、俺と幹部たちがハッと視線を向ける。

 

開け放たれた特別室の入り口から、「いやぁ、結界のせいで転移できなくて焦ったぜ」と、少しばかり疲れたような、しかし見慣れたスライム……いや、俺と同じ銀髪の少年の姿で、ヒラヒラと手を振りながら入ってきたのは――。

 

「おう、未来の俺。それにみんなも。どうやら、なんとか間に合ったみたいだな」

 

イングラシア王都での子供たちとの別れを済ませ、帰路についていた『過去の俺』だった。

 

「リムル様!」

 

「おお……っ、リムル様っ!お戻りになられましたかっ!……」

 

シオンやリグルドたちが、ベッドから起き上がった俺と、入り口から入ってきた過去の俺を交互に見て、感極まったような声を上げる。

俺は、無事に戻ってきた過去の俺を見て、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「おかえり。……その様子だと、やっぱり『出くわした』みたいだな?」

 

「ああ。お前の忠告通りだったよ」

 

過去の俺は肩をすくめ、やれやれといった様子でため息を吐いた。

 

「俺が王都を出た直後だ。結界を張られて、聖騎士のヒナタ・サカグチに強襲された。……俺の動きは完全に読まれてたみたいだな。誰かのタレコミがあったのかどうかは定かじゃないが、あいつ、問答無用で殺しにきやがったよ」

 

過去の俺の口から出た『ヒナタ・サカグチ』という名前に、ベニマルたちの顔つきがスッと険しくなる。西方聖教会最強の聖騎士。

今となっては親友だが、この時点では俺を殺しかけた最悪の天敵だ。

 

「だが、お前に念を推されてたおかげで助かったぜ。言われた通り、事前に俺自身の『分身』を作って、そっちを先行させておいた。案の定、ヒナタはそっちを俺の本体だと誤認して、凄まじい攻撃を仕掛けてきやがった」

 

「で、お前は隠れて逃げ延びたってわけか」

 

「そういうこと。いやぁ、マジで危なかった。あの『七彩終焉刺突撃(デッド・エンド・レインボー)』とかいう技、事前に対策を聞いてなかったら、今頃俺は完全に死んでたな」

 

過去の俺はブルッと身震いして見せた。

 

俺の知る歴史では、ヒナタの襲撃により帰還が大幅に遅れ、その間にテンペストはファルムスの軍勢に蹂躙され、シオンやゴブゾウたちが命を落とした。

 

だが今回は、俺の事前警告と対策により、過去の俺はヒナタとの無駄な消耗戦を完全に回避し、最速でこのテンペストへと帰還を果たしたのだ。

 

「ま、なんにせよ無事に帰ってこれて何よりだ。こっちは先遣隊の三人組を、ゴブタの命懸けの活躍で退けたところだ。あの結界も今、俺がぶっ壊した」

 

俺の言葉を聞き、過去の俺は包帯姿で眠るゴブタのベッドへと歩み寄った。

そして、その安らかな、しかしひどく青ざめた寝顔を覗き込む。

 

「ゴブタが……? あいつがファルムスの先遣隊を退けたって言うのか?」

 

信じられないといった様子で呟いた後、過去の俺の表情がスッと険しいものに変わった。

 

「おい、未来の俺。ゴブタのやつ、どうしてこんなに深く眠ってるんだ? まさか、何かあったのか……?」

 

「……ああ。その通りだ」

 

俺は重々しく頷き、ベッドの脇に置いてあった銀色のデバイス――『災厄の核塊(カラミティ・コア)』を手に取って、過去の俺へと軽く放り投げた。

 

過去の俺はそれを慌てて受け取り、まじまじと見つめてから、驚愕に目を見開いてバッと俺に顔を向けた。

おそらく大賢者の解析で、全ての性能を測れなくともヤバい代物だと言う事には気が付いたんだろう。

 

「お前、まさか……ゴブタにこれを使わせたのか!?」

 

「結果的に、な。……言い訳になるが、俺もあの時、ちょっと予期せぬトラブルで意識を失いかけててな。みんながやられちまう絶体絶命の状況で、こいつをゴブタの前に落として託すしか手がなかったんだ」

 

俺がバツの悪そうな顔で答えると、過去の俺はさらに顔を顰めた。

 

「予期せぬトラブル……? いままで、事前に俺へ完璧なアドバイスをして、ミリムすら凌ぐとんでもない強さをもってるお前がか?」

 

「ああ、それについては後で詳しく話す。……とにかく、ゴブタはこの『カラミティ・レイド』を起動させて、無茶苦茶な負荷に耐え抜きながら、異世界人の三人組を完全に圧倒してくれたんだよ」

 

過去の俺は、手の中の銀色のコアと、ベッドで眠るゴブタを交互に見比べ、絶句していた。

 

無理もない。

この兵装が今の時点の俺からみれば途方もない力を発揮する代わりに、装着者の肉体と魂にイカれた負荷をかけるかは、開発者である俺が一番よく知っているのだから。

 

Aランクに満たない者が使えば、負荷に耐えきれずに一瞬で肉体が崩壊するリスクすらある、まさに『災厄』の武装だ。

 

「ゴブタの奴……。一歩間違えれば、死んでたかもしれないんだぞ。いくら想定外の事態が起きたとはいえ、こんな危険な代物を託すなんて、少し見通しが甘かったんじゃないか?」

 

過去の俺は静かな、しかし確かな責めるような視線を俺に向けてきた。当然の感情だ。

大切な仲間を死の淵に立たせてしまったのだから。

 

「……ああ。俺の慢心が招いた結果だ。本当に、すまなかった」

 

俺が一切の言い訳をせずに真っ直ぐに見つめ返して謝罪すると、過去の俺は小さく息を吐き、スッとその咎めるような視線を和らげた。

 

「……いや、これ以上責めるのは筋違いだな。お前が事前に色々と手を回してくれていなかったら、俺もヒナタに殺されていたかもしれないし、今頃この国はもっと取り返しのつかない悲惨な状況になっていたはずだ。今まで色々助けてくれたことには、ちゃんと感謝してるよ」

 

過去の俺はそっとコアをサイドテーブルに戻し、ゴブタの頭を優しく撫でた。

 

「……よく無事でいてくれたな、ゴブタ。お前は本当に、俺たちテンペストの誇りだよ。あとは俺たちに任せて、ゆっくり休んでてくれ」

 

静かにそう告げた後、過去の俺はクルリと振り返り、俺と幹部たちを見渡した。

その瞳には、先ほどまでの穏やかさは微塵もなく、絶対的な強者としての冷徹な光が宿っていた。

 

「さて。ゴブタが命懸けで守ってくれたこの国を、土足で踏み荒らそうとしてるふざけた連中についてだが……」

 

「ああ。事前の情報通り、ファルムス王国の本隊、およそ二万の軍勢がこのテンペストに向けて進軍中だ。おそらく数日のうちには国境付近に到達するだろう」

 

俺が現状を伝えると、過去の俺は低く冷たい声で笑った。

 

「二万、か。事前に聞いていた通りだが、たかがスライムの治める魔物の町を潰すにしては、随分と大層な戦力を用意してくれたもんだな」

 

「全くだ。連中の狙いは初めから明白だ。難癖をつけて正当性をアピールし、俺たちを蹂躙して、この町の富と技術を独占すること。それに……」

 

俺はチラリとシオンたちを見た。

 

「俺たち魔物を、奴隷として売り捌くか、労働力として死ぬまでこき使うことだろうな」

 

その言葉に、ベニマルたちの殺気が静かに、しかし爆発的に膨れ上がった。

結界が消滅し、本来の力を取り戻した彼らから放たれる、医療棟の空気が一瞬にして凍りつくような濃厚な妖気。

 

「……許せませんね」

 

ベニマルが、ギラリと赤銅色の瞳を輝かせて低く唸る。

 

「我が主の慈悲を踏みにじり、ゴブタをあのような目に遭わせたこと。万死に値します」

 

「リムル様。どうか我らに、出陣の許可を。あの愚か者どもに、魔物を怒らせたことの恐ろしさを、その魂に刻み込んでやります」

 

シオンもまた、剛力丸の柄を強く握り締めながら深く頭を下げた。

ハクロウも、ヨウムやミュウラン、そして後から駆けつけてきたガビルたちも、一様に同じ顔をしていた。

 誰一人として、二万という圧倒的な数の暴力に怯えてなどいない。

あるのはただ、主と仲間を傷つけられたことへの純粋な怒りだけだ。

 

俺と過去の俺は、顔を見合わせてニヤリと笑った。

 

「頼もしい限りだな。当然、お前たちにも存分に暴れてもらうつもりだ。……だが、その前に」

 

俺がそう言うと、過去の俺が一歩前に出て、幹部たちに向けて宣言した。

 

「以前の方針で決めたように、進軍中の二万の軍勢に対しての対応は未来の俺と俺自身の二人で行う。また、テンペストを覆っていた厄介なフィールド自体はすでに消滅しているが、それを展開するために四方に陣取っていた敵部隊の始末は、お前たちに任せる方向で考えている。一人の逃亡も許すな」

 

俺たち二人のリムルが紡ぐ無慈悲な殲滅の作戦と指示に、幹部たちは深い忠誠と狂熱を孕んだ笑みで応えた。

 

「はっ! 我が主たちの御心のままに!」

 

リグルドを筆頭に、その場にいた全員が一斉に膝をつき、頭を垂れる。

 

「よーし、そうと決まれば善は急げだ。各自、すぐに出陣の準備を整えろ! 俺と未来の俺で、連中を絶望のドン底に叩き落とすための最高の舞台を用意してやる」

 

過去の俺の号令により、医療棟に集まっていた面々が一斉に動き出す。

悲壮感はすでになかった。

あるのは、これから始まる圧倒的な蹂躙劇への高揚感だけだ。

みんなが足早に部屋を出て行く中、過去の俺がふと足を止め、俺の方を振り返った。

 

「ところで……さっき言いかけてた『予期せぬトラブル』って、なんだ? お前ほどの力を持ってる奴が、ただ事じゃない様子だったが」

 

部屋には、俺と過去の俺、そして静かに眠るゴブタだけになった。

俺は少し躊躇したが、ここで隠し立てしても仕方がないと思い、短く息を吐いた。

 

「……実はな。あの結界を解除しようとした瞬間、突然頭の中に、俺と同じ顔をしたヤツの幻覚が現れて、三つの重なる声が聞こえてきたんだ。そいつに、魂そのものを乗っ取られそうになった」 

 

「は……? 三つの声? お前と同じ顔の幻覚……?」

 

過去の俺が目を白黒させている。

無理もない。

俺自身、いまだにあの異常な現象の正体が完全に掴めていないのだから。

 

「未来のヴェルドラが強引に干渉してくれたおかげで、ギリギリ正気を取り戻せたが……あれは幻術とか精神攻撃の類じゃない。もっと根源的で、得体の知れない『何か』だ。……相棒でも、完全に正体を特定しきれてない」

 

俺の内にいるシエルが、肯定するように僅かに沈黙を保っている。

過去の俺は腕を組み、深刻そうな顔で考え込んだ。

 

「未来のお前にすら干渉してくる得体の知れない敵、か……。おまえが過去に戻ってきたことと、何か関係があるのか?」

 

「わからない。だが、この世界にはまだ俺たちの知らない存在が潜んでるってことだ。……だが、今はファルムスの連中を片付けるのが先決だ。こっちの件は、後で『相棒』と一緒にじっくり解析してみるさ」

 

俺がそう締めくくると、過去の俺も「そうだな」と頷き、真剣な眼差しを向けてきた。

 

「よし。じゃあ、まずはあのふざけた国と軍勢に、俺たちの怒りを思い知らせてやろうぜ」

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