【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第九章 神の怒りと絶望のシナリオ

「……なんとか逃げおおせることができたな」

 

ファルムス王国軍の本陣。

二万の将兵がひしめく巨大な野営地の一角に、どす黒い光と共にラーゼンとショウゴが姿を現した。

転移の衝撃に耐えきれず、ラーゼンはその場に膝をつく。

ハクロウに斬り飛ばされた右腕の断面からは、止血魔法を上書きするようにどろりとした鮮血が溢れ、地面を汚した。

 

「ラーゼン!? お前、その腕はどうした……!」

 

騒ぎを聞きつけ、真っ先に駆け寄ってきたのは王国騎士団長フォルゲンだった。

鋼のような筋肉を鎧で包んだ巨漢の騎士は、旧知の仲であり国内最強の魔法使いであるラーゼンが無惨にも片腕を失い、さらに王国の『兵器』であるはずのショウゴが、血走った目で虚空を睨みながらガチガチと震えている異常な光景に、驚愕を隠せなかった。

 

「フォルゲンか……。ええい、私の腕は構わん。それよりも、すぐに王の周りの警護を固めろ。……化け物だ。あの町には、我々の常識を遥かに超える、とんでもない化け物どもが潜んでおるぞ……」

 

「化け物だと……? このショウゴをここまで追い詰め、お前の腕を奪うほどの者が、あの魔物の町にいたというのか」

 

フォルゲンの問いに、ラーゼンは答えなかった。

いや、答える余裕がなかった。

 

(……限界だ。この老いた肉体では、あのレベルの魔物と渡り合うのは不可能。

それに、ショウゴが手に入れたあのスキル……)

 

ラーゼンの視線が、隣でうずくまるショウゴへと向けられる。

 

「ヒッ、ヒヒ……死なない、俺は死なないぞ……。力が、力が溢れてきやがる……!」

 

狂気に染まった笑みを浮かべるショウゴ。

その肉体には、ラーゼンが喉から手が出るほど欲していた「若さ」と「強靭な生命力」、そして「無限の再生能力」が宿っている。

 

「……フォルゲン。これより私は、緊急の儀式を行う。誰一人として、この天幕に近づかせるな」

 

「儀式だと? ラーゼン、まさかお前……」

 

「王国を守るためだ。あの魔物どもから逃れるには、私自身が『新たな器』を手に入れる以外に道はない!」

 

ラーゼンは残された左手を、狂笑するショウゴの頭部へと翳した。

 

「な、なんだよラーゼン……。俺はもう強いんだ、あんなチビの化け物なんて、次は俺が――」

 

「ああ、そうだショウゴ。お前の肉体は素晴らしい。だからこそ、私に捧げよ。――『精神破壊(マインドクラッシュ)』」

 

「あ、が……ぁ……?」

 

ショウゴの言葉が途切れ、瞳から急激に光が失われていく。

自我と魂を強制的に破壊されたショウゴは、糸の切れた傀儡のようにドサリと地面に崩れ落ちた。

ラーゼンは倒れたショウゴを囲むように、周囲の土へ素早く複雑な魔法陣を描き出していく。

 

「これで下準備は完了だ。貴様の肉体、ありがたく使わせてもらうぞ」

 

ラーゼンの口から、不気味な呪詛の詠唱が漏れ出す。

 

「――秘術『憑依転生(ポゼッション)』!!」

 

ラーゼンの肉体から霧のような精神体が噴出し、魔法陣の放つ妖しい光と共に、空っぽになったショウゴの肉体へと強引に潜り込んでいく。

ユニークスキル『生存者』による驚異的な再生能力は、ラーゼンの魂が定着する際にかかる凄まじい肉体的負荷をも即座に修復し、完璧に受け入れてしまった。

 

数分後。

天幕の中には、白目を剥いて倒れ伏すラーゼンの老いた骸と、静かに立ち上がる一人の少年の姿があった。

 

「……ふう。久しぶりの若い肉体はいいな。魔法の冴えも段違いだ」

 

ショウゴの口から、ラーゼンの老獪な声が漏れる。

自身の新しい肉体を確かめるように何度も拳を握りしめ、ラーゼンは愉悦に浸った。

フォルゲンが天幕の入り口で、その変貌ぶりを油断なく見つめている。

 

「……ラーゼン、成功したようだな」

 

「ああ。見ての通りだ」

 

だが、新しい肉体を手に入れた全能感に酔いしれたのも束の間、ラーゼンの脳裏に先ほどの『三体の魔物』の姿がフラッシュバックした。

魔法の発動すら許さず、音もなく自身の腕を断ち切った老鬼人の凄まじい剣気。

山のような猪人の威圧感。

そして、この強靭なショウゴを赤子のように捻り潰したという装甲の魔物。

 

(……いかん。この肉体を得た今の私であれば、あの老鬼人とて単体ならば凌ぎ切れるかもしれない。だが……あのような化け物が、あの町にはゴロゴロと潜んでいるのだ。四方の陣が落とされた以上、奴らは必ずこの本隊に牙を剥く)

 

二万の軍勢など、あの化け物どもの前では何の意味も成さない。

圧倒的な個の力は、数の暴力を容易く無に帰すのだと、大魔道士の直感がけたたましい警鐘を鳴らしていた。

ラーゼンの背筋に拭い去れない冷たい恐怖が走った。

 

(戦ってはならない。これは戦争ですらない、ただの蹂躙劇になる。……一刻も早く、エドマリス王に『即時撤退』を具申しなければ……!)

 

「急ぎ王の元へ向かうぞ、フォルゲン。一刻の猶予も――」

 

ラーゼンがそう言いかけ、天幕から飛び出そうとした、まさにその時だった。

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!

 

突如として、大地が不気味な地鳴りを上げ、平原の上空を覆っていた分厚い雲が、まるで巨大なすり鉢のように渦を巻いて荒れ狂い始めた。

 

「な、なんだ……!?」

 

「空が……渦を巻いているぞ!?」

 

野営地に陣取っていた二万の将兵が、何事かと一斉に天を仰ぐ。

 

次の瞬間、渦巻く暗雲の中心を切り裂き、日光を遮るほどの巨大な影が舞い降りてきた。

禍々しい翼を広げ、漆黒の鱗に覆われた、山脈のように巨大な竜の姿

ただそこに存在するだけで大気中の魔素が悲鳴を上げ、バチバチと黒い稲妻が周囲の空間で弾け飛ぶ。

 

天災の具現。

 

西側諸国において、恐怖と絶望の象徴として語り継がれる絶対的な存在。

 

「ば、馬鹿な……。完全に消滅したと、聖教会は発表していたはずでは……!?」

 

フォルゲンの顔面から一瞬にして血の気が失せる。

新たな最強の肉体を得たばかりのラーゼンでさえ、その圧倒的な存在感――空から降り注ぐ途方もない覇気の前に、本能的な死の恐怖で両足をガタガタと震わせていた。

 

「ぼ、暴風竜……ヴェルドラ……だと……!?」

 

平原を埋め尽くす二万の軍勢は一瞬にして極限のパニックに陥り、陣形は瞬く間に崩壊した。

武器を放り出し、我先にと逃げ出そうとする兵士たちの悲鳴と怒号が入り乱れる。

だが、その蟻のように逃げ惑う人間たちを見下ろし、空の上の竜がゆっくりと顎を開いた。

 

『クアハハハハハハハ!! 我は暴風竜ヴェルドラ! 長き封印の眠りより、今、目覚めたり!!』

 

雷鳴のように響き渡る巨大な哄笑が、兵士たちの鼓膜と精神を激しく揺さぶり、大地に這いつくばらせる。

 圧倒的な暴力の化身は、冷酷な黄金の瞳で眼下の人間どもを睥睨し、絶対の威圧感をもって問いかけた。

 

『我が領域に土足で踏み入りし愚か者どもよ。……この場の最高責任者は誰だ? 我の前に面を上げよ』

 

その重低音の問いかけに、二万の視線が自然と軍の中心――最も豪奢な天幕へと向けられた。

圧倒的な沈黙が平原を支配する中、やがて、その天幕の入り口が重々しく開かれる。

顔面を死人のように青ざめさせ、全身を小刻みに震わせながらも、豪奢な王族のマントを羽織った一人の男が、周囲の騎士たちに守られるようにしてゆっくりと姿を現した。

 

ファルムス国王、エドマリスである。

 

その圧倒的な威圧感の前に、王侯貴族としての矜持など欠片も保てるはずがなかった。

エドマリス王は、ガチガチと全身の骨を鳴らしながら、その場に力なくへたり込んだ。

 

『ふん。ちっぽけな人間の王よ。我が庇護下にあるジュラの森を荒らし、あまつさえ我が友の国に牙を剥いたのは貴様か?』

 

「ち、違う……! 誤解だ、暴風竜よ……! 我々はただ、人類の脅威となる魔物の国を調査しにきただけで……決して、暴風竜殿に弓引くつもりなど……ッ!」

 

エドマリス王は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に弁明を叫んだ。

そこへ、王の側近であり西方聖教会の最高位聖職者である大司教レイヒムが、震える足で半歩だけ前に出た。

 

「そ、そうだ! 邪竜ヴェルドラよ! たとえ貴様が復活しようと、我らには唯一神ルミナスと、絶対なる西方聖教会の加護があるのだ! 神の威光の前に、大人しく退けぇっ!」

 

狂信から来る虚勢。

しかし、空に浮かぶ漆黒の巨大竜は、腹の底から響くような地鳴りのような笑い声を上げた。

 

『クアハハハハハハ!! 神の加護だと? あの程度の威光で、この我が退くとでも思ったか! 痴れ者めが!』

 

「な、なにを……神を愚弄する気か……!」

 

幻影を操る俺は、上空から冷ややかにその様子を見下ろしていた。

 

(よし、やつらの意識は完全にヴェルドラへ向いたな。これだけ派手に絶望を煽っておけば、この後の『救済』がより際立つ)

 

眼下の兵士たちは、神すらも恐れぬ暴風竜の圧倒的な言葉の前に、残されていたわずかな希望すらも完全にへし折られていた。

ただ一人、過去の俺だけが、上空の闇に紛れて静かに右手を掲げ、その時を待っている。

 

『我が友を傷つけ、安寧を脅かした罪は万死に値する。――お前たちの仕出かした愚かな行為の代償を受けよ』

 

幻影のヴェルドラが、絶対的な死の宣告を下した。

それを合図として。

 

「――『神之怒(メギド)』」

 

過去の俺の静かで冷酷な声が、夜空に溶けた。

瞬間、平原の上空に無数に浮かび上がっていた水滴が、一斉に光を放った。

水滴を極限まで精密なレンズとして利用し、魔力によって生み出された光を幾重にも屈折、収束させる。

そして、それらははっきりと目視できるほどの強烈で極太の光線(レーザー)となって、怒涛の雨のごとく地上へと降り注いだ。

 

ビビビビビッ――!!!

 

音すらも置き去りにする、圧倒的な光の暴力。

 

「あ……?」

 

エドマリス王を庇うように立っていた近衛騎士の頭部が、光の筋に貫かれて音もなく蒸発した。

レイヒムの背後で逃げ惑っていた数百の兵士たちの心臓が、同時に、一瞬にして光に撃ち抜かれ、バタバタと崩れ落ちていく。

 

「ひっ!? あ、あああぁぁぁっ!?」

 

それは戦闘ですらなかった。

空を覆う暴風竜が、その怒りに任せて無慈悲な光の雨を降らせている。

人間たちの目には、そうとしか映らない。

分厚い鋼鉄の鎧も、一級品の魔法盾も、この収束された熱線の前では濡れた紙にも等しかった。

阿鼻叫喚の悲鳴すら、喉から発せられる前に次々と光に貫かれ、絶命していく。

 

だが、その無差別に降り注ぐ死の光線の中で。

エドマリス王と大司教レイヒムの二人の周囲だけは、まるで初めからそこに存在しないかのように、一本の光線すら直撃することはなかった。

 

「な、なんなのだこれはぁぁぁ!?」

 

「助けてくだされぇ……神よ……!」

 

意図的に狙いから外され、生かされた二人。

彼らは腰を抜かしたまま、自分たちの誇る二万の大軍が、ただの一度も反撃することすら叶わず、虫けらのように瞬く間に皆殺しにされていくという、この世の終わりのような光景をただ特等席で見せつけられていた。

 

 

阿鼻叫喚の地獄絵図と化した平原の上空。

過去の俺が放つ無慈悲な光の雨によって、ファルムスの兵士たちは次々と命を散らしていく。

 

俺は、上空で暴れ狂うヴェルドラの幻影を維持しながら、もう一つの極秘かつ極めて精密な作業を水面下で開始していた。

 

それは、地上で死にゆく兵士たちから立ち上り、過去の俺へと吸い込まれていく『魂』の選別と加工だ。

 

(シエル、事前の打ち合わせ通りに頼むぞ)

 

《お任せください。全て順調に進んでいます。》

 

俺たちテンペストの真の目的は、この二万の軍勢を全滅させ、魔王へと進化することだけではない。

その後、彼らを『蘇生』させて恩義を売り、恐怖と救済で精神的に支配することにある。

だが、過去の俺が魔王へと至るための『魔王への進化(ハーヴェスト・フェスティバル)』の条件を満たすためには、一万人以上の人間の魂という莫大なエネルギーを吸収させなければならない。

 

もし俺が魂を丸ごと回収してしまえば、過去の俺は進化できなくなる。

逆に、過去の俺が魂を完全に吸収し消化してしまえば、彼らを後から元の姿で蘇生させることは不可能になる。

 

だからこそ、俺とシエルによる神業が必要だった。

過去の俺へと飛んでいく無数の魂の奔流。

その中から、俺たちは純粋な生命エネルギーだけを過去の俺へとそのまま流し込み、中核となる『個人の情報データ』だけを素早く抜き取って、俺の隔離空間へと次々とストックしていく。

 

これで、魔王化に必要なエネルギー条件を過去の俺にクリアさせつつ、後で完璧に生き返らせるためのバックアップも確保できるというわけだ。

 

(……順調だな。なあ、過去の俺)

 

俺は幻影の操作と魂の抽出を並行しながら、眼下でメギドを放ち続けている過去の俺へ念話を飛ばした。

 

(もしもこのまま魂の規定量に達して、魔王への進化(ハーヴェスト・フェスティバル)が始まっても、焦る必要はないぞ。進化の眠りについた後のことは、残りの兵士の始末も、蘇生の芝居も、全部俺が引き継いで完璧にやっておくから安心しろ)

 

俺からの念話を受け取った過去の俺は、光の雨を降らせる手を一瞬だけ止め、フッと息を吐いた。

 

(ああ、頼りにしてるよ。……俺はただ、仲間たちを傷つけた奴らに、俺の怒りを叩きつけるだけだ)

 

過去の俺の冷徹な意志に呼応し、平原に降り注ぐ『神之怒(メギド)』の光線は、さらにその密度と無慈悲さを増していった。

 

「ひ、ひぃぃぃ……っ! た、助け……」 「いやだ、死にたく――」

 

命乞いも、絶望の悲鳴も、すべてが光に穿たれて途切れる。

エドマリス王の目の前で、彼を護衛していた精鋭の騎士たちが、ただの一歩も動くことなく額や心臓を撃ち抜かれ、泥のように崩れ落ちていく。

数万の軍勢が、ただの一瞬の抵抗すら許されず、文字通り『刈り取られて』いくのだ。

 

「あ、あぁ……あ……」

 

エドマリスはもはや言葉を発することすらできず、股間を濡らしながら、ただ呆然とその地獄を眺めることしかできなかった。

彼の思い描いていた輝かしい栄光も、莫大な富の独占も、すべてがこの圧倒的な死の光の前に消え去った。

 

「神よ……ルミナス様……! 悪魔を、この悪魔を打ち払いたまえぇぇッ!」

 

大司教レイヒムは地に伏し、血走った目で狂ったように祈りを捧げ続けている。

だが、彼の信じる神がこの死の雨を止めることはない。

 

その絶望の底で、ただ一人だけ『生存』を許されている者がいた。

ショウゴの肉体を奪い、若き器を得た大魔道士ラーゼンである。

 

ズガァァァンッ!!

 

「ぐ、おぉぉぉぉっ!?」

 

ラーゼンの肉体にも、幾筋もの光線が容赦なく撃ち込まれていた。

腕が吹き飛び、腹に風穴が開き、並の人間であれば即死している致命傷。

しかし、ユニークスキル『生存者(イキルモノ)』の異常な再生能力が、破壊された端から肉体を強制的に復元していく。

 

(ば、馬鹿な……。なんだこの魔法は。ただの光の収束ではない、精密すぎる……! こんな芸当、人間はおろか、上位の魔物でも不可能だぞ!)

 

ラーゼンは激痛に顔を歪めながら、絶望的な戦力差に歯噛みした。

彼が誇る大魔法すら、この規模と精度を見せつけられては児戯に等しい。

回復が間に合っているとはいえ、魔力と体力の消耗は激しく、いずれジリ貧になるのは明白だった。

何より、彼の周りにいた二万の兵士たちは、すでに一人残らずただの『肉塊』へと変わり果てているのだ。

 

やがて――。

狂乱の夜を支配していた光の雨が、ふっと止んだ。

後に残ったのは、血の匂いと、焦げた肉の臭い、そして、恐ろしいほどの静寂だけ。

エドマリスとレイヒム、そして息も絶え絶えに膝をつくラーゼンの三人のみが、死体の海の中心で荒い息を吐いていた。

 

そこへ。

パサリ、と。

静寂を破り、天から何者かが舞い降りた。

 

それは、銀色の髪を風に揺らし、精巧な抗魔の仮面を被った一人の小柄な少年、あるいは少女だった。

背中には蝙蝠のような黒い翼を生やし、その手には抜身の刀が握られている。

その姿を見た瞬間、エドマリスたちの背筋に、空に浮かぶ暴風竜とはまた違う、底知れぬ氷のような恐怖が駆け抜けた。

 

少年はゆっくりと仮面を引き外し、冷酷な金色の瞳でエドマリスたちを見下ろした。

 

「……さて。お前たちがこの軍の責任者だな」

 

その声は、まだ幼さの残る透き通った声色でありながら、大気を震わせるほどの途方もない覇気と、純粋な怒りを孕んでいた。

 

「俺は、ジュラ・テンペスト連邦国の国家元首、リムル・テンペストだ。……お前たちには、俺の国を荒らし、俺の仲間を傷つけたことへの落とし前を、きっちりとつけてもらうぞ」

 

銀髪の魔王が冷酷に告げた直後、過去の俺はわざとらしく大きなため息をつき、上空でバチバチと黒雷を撒き散らしている巨大な竜を見上げた。

 

「……おい、ヴェルドラ。俺たちがこいつらに戦争を吹っかけられて、お前が怒ってくれる気持ちは嬉しいが……だからって、俺に何の相談もなく勝手に飛び出して、いきなり敵軍を皆殺しにするのはやりすぎだぞ」

 

その声が届くと、上空から先ほどの平原を震わせた重低音が、今度はどこかバツの悪そうな、しかし親しげな響きを伴って降ってきた。

 

『ク、クアハハハハハ! な、何を言うか! 我が庇護下にある森と、我が盟友であるお主の国を荒らしたのだぞ!? 我の逆鱗に触れたのだ、これでもかなり手加減して、この程度で済ませてやった方ではないか!』

 

「あのなぁ……俺が自分でケリをつけるって言っただろ。まあ、わざわざ俺が問い詰める用に『責任者』の命だけは残してくれた、その器用さには感謝するけどな」

 

『うむ! 我ら盟友の仲、これくらいは当然の配慮よ! さあ、あとはお主に任せるゆえ、存分に料理するがよい!』

 

「はいはい。とりあえず、お疲れさん。後で美味いものでも奢るよ」

 

暴風竜ヴェルドラの幻影と、魔物の国の主。

その、まるで隣人同士が立ち話でもしているかのような、あまりにも親しげで対等なやり取り。

あまつさえ、あの天災が引き起こした未曾有の大虐殺を「やりすぎだ」と窘め、竜の側もそれを受け入れているのだ。

 

それを目の当たりにしたエドマリス、レイヒム、そしてラーゼンの三人は、限界を迎えていた精神に、さらなる決定的なトドメを刺された。

 

「め、めいゆう……? 暴風竜と、この魔物が、盟友だと……!?」

 

エドマリス王の口から、魂の抜けたようなひび割れた声が漏れる。

西側諸国において天災そのものである暴風竜。

神に祈り、ただ嵐が過ぎ去るのを待つしかできない絶対的な死の象徴。

それが、目の前の小柄な魔物と肩を並べ、「美味いものを奢る」などという次元で談笑している。

 

自国を豊かにするために、魔物の町から富を奪い、彼らを奴隷にする。

そんな浅ましい野望が、いかに愚かで命知らずな行為であったか。

エドマリスは自身の強欲を呪い、とめどなく涙を流した。

 

大司教レイヒムは、もはや祈ることすらやめていた。

 

(神よ……我々は、とんでもない過ちを……)

 

唯一神の加護など、この理不尽な暴力の化身たちの前では何の意味も成さない。

自分たちは、決して触れてはならない世界の逆鱗に、自ら土足で踏み込んでしまったのだ。

 

そして、大魔道士ラーゼン。

ショウゴの肉体を奪い、新たな力を手に入れたという全能感など、とうの昔に消し飛んでいた。

 

(馬鹿な……あり得ない……!! このリムルという魔物……単なる魔王種などという次元ではない! あの暴風竜を従え……いや、完全に対等に扱っているだと!?)

 

ガチガチと、新しい強靭な肉体の歯が鳴る。

四方の陣をいとも容易く落とした規格外の化け物たち。

それを統べる、底知れぬ力を持った主。

そして、その後ろ盾となっている天災の竜。

あの光の雨は、このリムルという魔物が放ったのではない。

暴風竜が、この魔物のために怒り狂って放ったものだったのだ。

 

――この国には、絶対に、絶対に手を出してはいけなかった。

 

どれほどの軍勢を集めようが、どれだけの策や魔法を弄しようが、根源的な『格』が違いすぎる。

ファルムス王国が相手にしようとしていたのは、単なる魔物の集落などではない。

世界の理(ことわり)そのものを体現する、神話の怪物たちの巣窟だった。

 

三人の顔に浮かぶのは、恐怖すら通り越した、絶対的な無力感と果てしない後悔。

 

「さあて……」

 

過去の俺は、完全に心がへし折れた三人の足元へ、ゆっくりと歩み寄った。

氷のように冷たく、底なしの深淵を感じさせる金色の瞳が、三人の魂を射抜く。

 

 

「お前がファルムスの王だな。エドマリス、だったか」

 

「ひ、ひぃっ……!」

 

「安心しろ。殺すつもりはない。お前たちには、まだ使い道があるからな」

 

冷酷に告げる過去の俺の言葉に、エドマリスはビクッと肩を跳ねさせた。

殺されないと聞いて安堵したのか、それとも『使い道』という言葉に底知れぬ恐怖を抱いたのか。

 

「お前に、一つ提案がある」

 

「て、ていあん……?」

 

「ああ。このふざけた侵略戦争の『落とし前』についてだ。俺が出す3つの条件を呑むなら、これ以上の危害は加えない」

 

エドマリスは震える顔を上げ、すがるような目を向けた。

大国の王としての威厳など、もはや泥に塗れて欠片も残っていない。

 

「一つ目は、当然だが『即時の休戦』だ。お前たちの完全な敗北という形で、今この瞬間をもってファルムス王国軍は我らテンペストへの一切の敵対行動を停止しろ」

 

「わ、わかった……! もちろんだ、誓って二度と貴国には――」

 

「最後まで聞け」

 

過去の俺は冷たく遮った。

 

「二つ目。お前は今回の非道な侵略戦争を引き起こした張本人として、全責任を負い、王の座から『退位』しろ」

 

「た、退位……!?」

 

エドマリスの顔が再び絶望に歪む。

王としての権力、財産、地位。

それらすべてを手放せという宣告だ。

 

「嫌だと言うなら、このままここで俺の剣の錆になってもらうだけだ。お前の代わりなんて、国に帰ればいくらでもいるだろうしな。まあ、生きて帰れる人間が一人でもいれば、の話だが」

 

「あ、いや……呑む! 呑むとも! 退位しよう、だから命だけは……!」

 

なりふり構わず頷くエドマリスを見下ろし、過去の俺はさらに言葉を続ける。

 

「三つ目。後日、俺たちテンペストからファルムス王国へ正式な使者を送る。その際の講和会議において、こちらが提示する条件を、テンペストに圧倒的有利な形で全面的に受け入れること」

 

「……ッ!」

 

それは実質的な属国化、あるいは国家財政が破綻するほどの莫大な賠償を意味する。

国を完全に売り渡すに等しい条件に、エドマリスは息を呑んだ。

 

「そ、それだけは……! それを呑めば、我が国は……どうか、どうかご慈悲を……!」

 

「慈悲、ね」

 

過去の俺は、足元に広がる二万の死体の山をゆっくりと一瞥し、そして再びエドマリスを冷ややかに見下ろした。

 

「いいだろう。なら、その条件をすべて呑んで、今後一生俺たちに逆らわないと誓うのなら……お前への『慈悲』として、特別に極上の褒美をくれてやる」

 

「ほ、褒美……?」

 

「ああ。ここに転がっている、死んだ二万の将兵ども。こいつらを今から、一人残らずその場に『生き返らせて』やってもいい」

 

「い、生き返らせる……? 死者を、蘇生するだと……!?」

 

エドマリスは信じられないものを見るような目で、過去の俺を呆然と見上げた。

死者の蘇生など、神の奇跡すら凌駕する御業。

西側諸国の常識で考えれば絶対にあり得ない狂人の戯言だ。

だが、この眼前の化け物――瞬く間に二万の軍勢を消し飛ばした暴風竜を従える魔人が口にすると、それは紛れもない『真実』としてエドマリスの心に突き刺さった。

 

「ああ、そうだ。この平原に転がっている二万だけじゃない」

 

過去の俺は、ショウゴの肉体の中で冷や汗を流しているラーゼンを一瞥し、言葉を続ける。

 

「俺の町を囲むように配置されていた、四方の陣の結界部隊。あいつらもすでに俺の部下たちがきっちり皆殺しにしてあるが、特別にそいつらもまとめて蘇生させてやる」

 

「先遣部隊の者達まで……!?」

 

「ただし――」

 

過去の俺の声が、再び絶対零度まで冷え込んだ。

 

「一つだけ例外がある。先遣隊として俺の町を襲撃し、俺の仲間を傷つけた三人の『異世界人』。あいつらだけは絶対に生き返らせない。生かしておく価値もないからな」

 

その宣告に、ラーゼンはビクッと肩を震わせた。

 

「……まあ、一人はそこの大魔道士サマが、ご丁寧に自分の器として乗っ取ってくれているようだがな」

 

「な、なぜそれを……!?」

 

「俺の目を誤魔化せると思うなよ。……まあいい。異世界人の生死はどうでもいい。」

 

過去の俺は刀の切先をエドマリスの鼻先に突きつけ、冷酷に見下ろした。

 

「さあ、どうする? 選択権はお前にある。条件を呑んで兵士たちと共に国へ帰るか、それとも条件を拒否して、お前たち三人ともここで死体の山の一部になるか。今すぐ選べ」

 

王としての誇りも、駆け引きの余地も、そこには一切存在しない。

エドマリスに迷う余地などなかった。

 

「の、呑む……! 全て呑む! 退位でも何でもする! だから、どうか……どうか我が兵たちを……!」

 

エドマリスは泥と血に塗れた地面に額を擦り付け、大声で泣き叫びながら無条件降伏を承諾した。

レイヒムもまた、神ではなく目の前の魔王に向かって必死に平伏している。

 

「……契約成立だ」

 

過去の俺は満足げに頷くと、刀を鞘に納め、そして夜空へ向かってバシッと大仰なポーズを決めた。

 

(よし、出番だな)

 

上空の闇に潜み、一部始終を見届けていた俺はニヤリと笑う。

過去の俺が合図のポーズを取ったのと完全に同時。

俺は、虚数空間にストックしておいた二万強の『魂の情報データ』を、地上の肉体へと一斉に還元し、生命活動を強制的に再開させる神業を起動した。

 

『反魂の秘術』

 

過去の俺が芝居がかった声で高らかに叫ぶと、血の海に沈んでいた平原全体を、そして遠く離れたジュラの森の四方の陣を、神々しいまでに眩い金色の光が包み込んだ。

 

「な、おお……おおおお……!」

 

エドマリスとレイヒムが、目を丸くして感嘆の声を漏らす。

光に包まれた死体から、致命傷となった傷口が瞬く間に塞がっていく。

蒸発した頭部が再構築され、撃ち抜かれた心臓が再び力強い鼓動を打ち始める。

死という絶対の絶望が、圧倒的な光の奇跡によって覆されていく光景。

 

「あ、あれ……? 俺は、確かいきなり光に撃ち抜かれて……」

 

「い、生きてる……? 傷が、全部塞がってるぞ!?」

 

「おお……神よ、奇跡だ……!」

 

光が収まると同時に、先ほどまで沈黙していた二万の兵士たちが、まるで悪夢から目を覚ましたかのように次々と立ち上がり始めた。

更に四方の陣で戦死していた兵士らもこの場に転送されつつ蘇生された。

彼らは自分の体をペタペタと触り、隣の戦友が無事であることを確かめ合い、歓喜の涙を流している。

四方の陣で暗殺部隊に仕留められた結界部隊の兵士たちもまた、同様に死の淵から引きずり戻されていた。

 

だが、歓喜に沸く兵士たちの前に、過去の俺がゆっくりと歩み出ると、平原は再び水を打ったような静寂に包まれた。

自分たちを皆殺しにした、恐怖の光の雨。

それを降らせた暴風竜を従える、恐るべき魔王の姿。

 

「喜ぶのはまだ早いぞ、ファルムスの人間ども」

 

過去の俺の声が、魔力に乗って平原の隅々にまで響き渡る。

 

「お前たちを天災の怒りから救済し、その命を繋ぎ止めてやったのは、他でもない俺だ。お前たちの王エドマリスは、俺の提示した休戦と退位の条件を呑んだ。……お前たちの命は、今この瞬間から俺が握っていることを忘れるな」

 

恐怖による支配の直後に与えられた、圧倒的な救済。

命を奪われた絶望と、再び命を与えられた恩義。

その二つを同時に魂に刻み込まれた兵士たちは、自分たちを蘇生させた目の前の魔王に対して、もはや逆らうという発想すら湧き上がらなかった。

彼らはエドマリス王と同じように、ただ震えながらその場に平伏することしかできなかった。

 

静まり返った平原で、過去の俺は地に平伏するエドマリス王を見下ろし、冷徹な声で最後の念押しをした。

 

「いいか、エドマリス。先ほども言った通り、後日改めて俺の国からファルムス王国へ、正式な使者を送る。そこで講和の具体的な条件と、お前の退位についての話を進める」

 

「は、はいっ! 承知いたしました……!」

 

エドマリスは泥だらけの地面に額を擦り付けたまま、必死に同意の声を上げる。

 

「もしも国に帰ってから変な気を起こしたり、この期に及んでコソコソと裏工作をしようとしたら……その時は覚悟しろよ。俺たちテンペストだけじゃない。俺の同盟国である武装国家ドワルゴンや、ブルムンド王国も含めて、今度こそファルムスという国そのものを地図から完全に消し飛ばす。一切の容赦はしない」

 

「ひっ……! め、滅相もございません! 決して、決してそのような真似は……!」

 

俺の言葉の端々に込められた真の殺気と、背後にある西側の強国たちの名前に、エドマリスは泡を吹かんばかりに怯えきった。

仮にテンペストの報復を免れたとしても、ドワルゴンの軍勢が動けばファルムスなど一溜まりもない。

完全な包囲網の中にいることを思い知らされ、王の心は完全に折れていた。

 

(よし、これで釘刺しは完璧だな。後はこいつらが勝手に『自分たちを皆殺しにした暴風竜と、蘇生してくれた魔王』の恐ろしい噂を国中に広めてくれるだろう)

 

俺は上空の隔離空間からその様子を確認し、仕上げとして幻影のヴェルドラを動かした。

 

『クアハハハハ! 聞いたか人間どもよ! 我が盟友の慈悲に感謝し、首を洗って待っておるのだな! さもなくば、次こそはこの我のブレスで、貴様らの国ごと灰塵に帰してくれようぞ!』

 

「行くぞ、ヴェルドラ。片付ける仕事がまだあるからな」

 

『うむ! ではな、脆弱なる者どもよ!』

 

過去の俺が背中の悪魔の翼を大きく羽ばたかせて空へ舞い上がると、上空の巨大な暴風竜の幻影もまた、それに付き従うように天高く昇っていく。

 

二つの絶対的な理不尽が夜空の彼方へと飛び去っていったあと、二万のファルムス軍と、全てを失った王、そして若き肉体を得た大魔道士は、空の彼方にその姿が完全に見えなくなるまで、ただ震えながら平伏し続けることしかできなかった。

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