【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第二章 真なる魔王の覚醒と新たな名付け

町の端に建てられた、過去の俺の自宅。

 

その広々とした寝室には、朝の柔らかい陽光が差し込み、穏やかな空気が満ちていた。

 

俺とテンペストの幹部陣は、部屋の中央に置かれた大きな布団をぐるりと囲むようにして、今か今かと『その時』を待ちわびていた。

床に敷かれた布団の中央でスヤスヤと規則正しい寝息を立てている、一匹の美しいスライム。

真なる魔王への進化(ハーヴェスト・フェスティバル)の深い眠りについていた過去の俺だ。

 

やがて――スライムの体が微かに脈動し、ポンッと軽い音を立てて、見慣れた銀髪の少年の姿へと変化した。

 

「ん……んん……? あれ、俺……いつの間にベッドに……」

 

長い長い夢から覚めたように、過去の俺がゆっくりと金色の瞳を開き、パチパチと瞬きをする。

その視線が、ベッドを囲んで食い入るように見つめている俺たち全員の顔を捉えた瞬間だった。

 

「おおおおおおっ!! リムル様っ!! ついに、ついに長き眠りからお目覚めになられましたぞぉぉぉっ!!」

 

「リムル様ぁぁぁっ! おはようございますぅぅっ!」

 

「お待ちしておりました、リムル様っ!」

 

感極まったリグルドが滝のような涙と鼻水を流して大号令を上げ、それに続くようにシオンとシュナがわぁっと歓声を上げてベッドに飛びついた。

 

「うおわっ!? ちょ、お前ら、朝からテンション高すぎ……って、苦しい苦しい! シオン、胸が当たってるのは嬉しいけど締め付ける力が強すぎるってば!」

 

もみくちゃにされながらジタバタと暴れる過去の俺を見て、俺は思わず吹き出し、ベニマルやハクロウたちもホッと肩の力を抜いて温かい笑みをこぼした。

 

「おはようさん。随分とぐっすり寝てたな。……気分はどうだ、新たなる魔王様?」

 

俺がベッドの脇から声をかけると、シオンたちからなんとか解放された過去の俺が、大きく伸びをしながら自身の両手を見つめた。

 

「未来の俺……。そっか、俺、ついに進化したのか。……なんか、今までとは比べ物にならないくらい、体の奥底から力が無限に湧いてくる気がするぞ」

 

「当然だ。魔王種とは桁違いの存在値を持った『真なる魔王』になったんだからな。それに、お前の能力(スキル)も色々ととんでもない進化を遂げてるはずだぜ?」

 

俺がニヤリと笑うと、過去の俺は「マジで!?」と目を輝かせ、すぐに内なる声(ラファエル)と対話を始めたようだった。

 

そんな主の健やかな姿を確認し、軍務司令であるベニマルが、スッと居住まいを正して一歩前に出た。

 

「……リムル様。ご無事のお目覚め、我ら一同、心よりお慶び申し上げます。そして、真なる魔王への進化、誠におめでとうございます」

 

ベニマルの言葉を合図に、幹部陣が一斉にその場に片膝をついた。

 

シオンとシュナは感極まったように目元を拭い、ハクロウは静かに頭を垂れ、ゲルドは「おお……」と低く歓喜の声を漏らす。

 

部屋の影からはソウエイも姿を現し、ランガは主の傍で嬉しそうに尻尾を振っている。

 

全員が、深い敬愛と絶対の忠誠を込めて主を迎え入れていた。

 

「お、おいみんな、そんな畏まらなくても……」

 

「いいえ、リムル様。我らは今、主の偉大なる進化の祝福(ギフト)を賜り、魂の底から生まれ変わったような力を得ております。これも全て、我らを導いてくださったリムル様のおかげです」

 

ベニマルが顔を上げ、力強く、そして誇らしげに微笑んだ。

 

結界に苦しめられていた数日前とは違う。

進化の眠りを経て目覚めた彼らからは、以前よりも遥かに研ぎ澄まされ、桁違いに底上げされた強大な妖気が満ち溢れていた。

 

「そうか……みんなも、無事に強くなれたんだな。よかった」

 

過去の俺は、仲間たちの頼もしい姿をぐるりと見渡し、心底安堵したようにふわりと優しい笑みを浮かべた。

 

「ゴブタも、みんな無事なんだな?」

 

「ああ。ゴブタはまだ医療棟で爆睡中だが、命に別状はない。安心してくれ。」

 

俺が親指を立てて応えると、過去の俺は「そっか」と大きく頷き、ベッドから勢いよく飛び降りた。

 

「よーし! それじゃあ、俺の目覚めと、ファルムス撃退、そしてみんなのパワーアップを祝って……今日はパーッと宴にするか!」

 

「「「おおおおおっ!! 宴ですぞぉぉぉっ!!」」」

 

俺たちの国に、いつもの騒がしくも最高に温かい日常が戻ってきた。

ファルムス王国への事後処理や、裏で暗躍するクレイマン、そしてロッゾ一族への対策など、やるべきことは山ほどある。

だが、今日この日だけは、全てを忘れて新たなる魔王の誕生を全力で祝うべきだろう。

そんな歓喜に沸く仲間たちの様子を見ていると、過去の俺から『思考加速』を伴った思念伝達が飛んできた。

 

(そういえば、俺が寝ている間、お前の体調は大丈夫だったのか?)

 

過去の俺からの気遣いに、俺は努めて平静な思念を返した。

 

(ああ。あれ以来、あの謎の現象は起きてないから大丈夫だ)

 

(それならよかったが……次がないとも言い切れない。警戒はしておくべきだな。お前の中の『相棒』さんはなんて言ってたんだ?)

 

(お前が寝ている間、うちの『相棒』と一緒に先日の事象を徹底的に検証してみたんだが……はっきりとした結論は出なかったんだ。あいつはひどく申し訳なさそうにしていたが、俺たちの演算をもってしても分からないっていうなら、こればかりは仕方がない)

 

(おいおい、未来の俺の演算でも分からないって……一体どういうことだよ?)

 

過去の俺から、微かな焦りの念が伝わってくる。無理もない。

 

(そこが最大の問題なんだよな。だが、俺の直感というか、あの干渉を受けた時の感覚で一つ思い当たったことがある)

 

(……なんだ?)

 

(アレは恐らく、魔素やスキル……そういったこの世界の『法則』から完全に外れた存在だ。

そうでも考えないと、うちの『相棒』の絶対的な防衛能力をあっさり突破されるわけがないからな)

 

(いやいや、そんなことがあり得るのか? 以前お前から聞かされた話だと、この世界や隣り合う無数の次元は、全部『星王竜ヴェルダナーヴァ』が創造したものなんだろ?)

 

(普通ならあり得ない。そうなんだが……今はその『なぜ』を考えるよりも、相手がそういう世界の理から外れた存在だと仮定して動いた方がいいように思える)

 

過去の俺は一瞬沈黙し、やがて覚悟を決めたような強い意志を返してきた。

 

(……分かった。得体の知れないバケモノ相手なら、なおさら気を引き締めないとな。

俺もお前の背中を全力で守るから、一人で抱え込もうとするなよ)

 

(ああ、頼りにしてるぜ)

 

そうして会話を終えた俺たちは現実の時間の流れへと意識を戻した。

 

俺は過去の俺と肩を並べ、仲間たちと共に朝日が眩しい自宅の部屋を後にした。

 

 

 

 

テンペストの中央広場には、あっという間に盛大な宴の席が設えられていた。

 

広場の中央には赤々と燃える巨大な焚き火が組まれ、シュナたちの手によって次々と極上の料理や酒樽が運び込まれていく。

 

つい数日前まで、この町がファルムス王国の大軍による脅威と、あの忌まわしい結界の重圧に晒されていたことなど嘘のように、活気と笑顔が溢れ返っていた。

 

「我らが主、リムル様の真なる魔王への進化を祝して……乾杯っ!!」

 

「「「乾杯!!」」」

 

リグルドの腹の底から響くような音頭に合わせ、広場に集まった魔物たちが一斉にジョッキを掲げる。

 

上座に並んで座る俺と過去の俺の元には、次から次へと酒を注ぎにくる幹部や町の住人たちの列が途切れることがなかった。

 

「ふははっ、未来の俺! お前ももっと飲めよ! 今日は無礼講だ!」

 

「お前なぁ、いくら俺が『毒無効』を弱める方法を教えたからって、飲むペースが早すぎるだろ。……まあいいか、シュナ、こっちにも果実酒のおかわりを頼む」

 

「はい、リムル様!」

 

酔いが回ってテンションを高くしている過去の俺と杯を合わせた、その時だった。

 

《……マスター》

 

脳内で、シエルがどこか呆れたような、そして少し困惑したような声を響かせた。

 

《先ほどから、過去のマスターの『智慧之王(ラファエル)』より、「主の肉体に不利益(酩酊状態)をもたらす『毒無効の意図的な弱体化』の手段を教唆したのは何故か」と、極めて強い抗議が絶え間なく届いているのですが》

 

(あー……悪い。適当に『大人には酒を嗜むという精神的な休息も必要なんだよ』って説得して上手く誤魔化しといてくれ)

 

《……マスターの享楽のツケを私に押し付けないでいただきたいですね》

 

シエルのジト目を感じて苦笑しつつも、俺はこの心地よい喧騒に身を委ねていた。

 

ベニマルは若手たちに囲まれて豪快に笑い声を上げ、ハクロウは静かに杯を傾けながらも、どこか満足げに目を細めている。

 

ゲルド率いる猪人族たちは凄まじい勢いで大皿の料理を平らげ、シュナは忙しくも嬉しそうに酒や料理の手配に立ち回っていた。

 

少し離れた席では、ラミリスが「どうよ! 進化の眠りから覚めたアタシのベレッタ、もっと凄くなったでしょ!」と上機嫌で飛び回りながら、お祭り騒ぎを満喫している。

 

その傍らでは、無事に目覚めてさらに洗練された魔力を纏うようになったベレッタが静かに控え、トレイニーが優しく微笑みながらその様子を見守っていた。

 

さらにその隣のテーブルでは、カイジンやベスター、そして魔国に滞在しているドワルゴンの技術者たちが、ジョッキを片手に「この酒もなかなかいけるな!」「この祝祭の熱気、ドワルゴンにも負けておらんぞ!」と、種族の垣根を越えて大いに盛り上がっている。

 

ソウエイは少し離れた木の枝からその光景を静かに見下ろし、ガビルが部下たちと共に「リムル様、万歳!」と奇妙な踊りを披露し、広場の熱気が心地よく高まっていた時のことだ。

 

「リムル様! 未来のリムル様!」

 

パタパタと足音を立てて、シオンが意気揚々と俺たちの元へやってきた。

その顔は、何か重大な決意を秘めたようにキラキラと輝いている。

 

「本日はリムル様の『真なる魔王』へご進化を果たされた誠におめでたい日です! なので、この記念すべき祝祭に華を添えるべく、私が腕によりをかけた特製料理を振る舞わせていただきたいと思います!」

 

その堂々たる申し出を聞いた瞬間。

 

「「ゲッ」」

 

俺と過去の俺の声が、見事にハモった。

 

シオンの料理。

それはかつて、見た目からして紫色の毒沼であり、一口食べれば即座に三途の川が見えるという代物だった。

 

俺の知る歴史では、彼女がユニークスキル『料理人(サバクモノ)』を獲得したことで、見た目や味を強制的に『美味しく』書き換えることができるようになったのだが……それでも、かつてのトラウマが刻み込まれた本能的な恐怖はそう簡単に拭い去れるものではない。

 

(お、おい未来の俺! どうするんだよこれ!? お前ならこの絶体絶命のピンチを切り抜ける方法も知ってるんだろ!?)

 

過去の俺が、顔を引き攣らせながら『思考加速』による思念伝達で泣きついてくる。

 

(無茶言うな! こればっかりは魔王の力でも回避不能のイベントなんだよ! そもそも今のシオンは、俺の時代と違って一度も死んでないから『料理人』のスキルを持ってないはずだぞ!? つまり、味の書き換えができない正真正銘の毒沼が出てくる可能性が高い!)

 

(うわあああっ、マジかよ! 進化したばっかりの魔王が、配下の手料理で死に戻りなんて笑えない冗談だぞ!?)

 

俺たちが内心で大パニックに陥り、なんとか角を立てずに断る口実をフル回転の演算で探していた、まさにその時だった。

 

「お二人とも、何をそんなに青ざめているのですか?」

 

ふふっ、と鈴を転がすような笑い声と共に、シュナがお酒のお代わりを乗せたお盆を持って近づいてきた。

彼女は俺たち二人の顔を交互に見ると、まるで全てをお見通しだと言わんばかりに、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「リムル様、未来のリムル様。……まあ、騙されたと思って、今回はシオンの料理を食べてみてくださいな」

 

「えっ……シュ、シュナがそこまで言うなら……」

 

「あ、ああ。そういうことなら、是非いただこうかな……」

 

普段から料理を仕切っているシュナのお墨付きが出たとなれば、無碍に断るわけにはいかない。

俺たちは決死の覚悟を決め、引き攣った笑顔でシオンへ頷いた。

 

「本当ですか!? ありがとうございます、すぐにお持ちしますね!!」

 

シオンは花が咲いたような笑顔を浮かべ、弾かれたように厨房のテントへと走っていった。

 

それから数分後。

 

「お待たせいたしました! さあ、冷めないうちにどうぞ!」

 

シオンが自信満々に胸を張り、大きな深皿を両手で掲げて戻ってきた。

俺と過去の俺はゴクリと生唾を飲み込み、恐る恐るその皿を覗き込んだ。

 

しかし――皿の上にあったのは、不気味に泡立つ紫色の物体でも、原型を留めない謎の泥でもなかった。

肉の豊かな旨味が溶け込んだ艶やかな琥珀色のソースに、美しく面取りされた野菜がゴロゴロと添えられた、見た目にも完璧で香り高いビーフシチューだったのだ。

 

「……あれ? 見た目は普通に美味そうだな……」

 

過去の俺がスプーンを手に取り、覚悟を決めて一口パクリと口に含む。

数秒の咀嚼の後、過去の俺は信じられないものを見るように目を限界まで丸くした。

 

「うまっ!? え、嘘だろ!? なんだこれ、すっげえ美味いぞ!?」

 

俺も慌てて一口食べてみたが、確かにこれはごまかしのない、料理としての本当の美味しさだった。

肉は口の中でホロホロと解け、野菜の甘みがソースと絶妙に絡み合っている。

 

「まさかシオン……お前、俺が知らないうちに味を操作するスキルでも身につけたのか!?」

 

過去の俺が驚愕の声を上げると、シオンはえっへんと誇らしげに胸を張る前に、ふふっと照れくさそうに笑い、シュナの方へと視線を向けた。

 

シュナが優しく微笑みながら一歩前に出る。

その後ろからは、いつの間にかベニマルとハクロウもやってきていた。

 

「違いますよ、リムル様。シオンはスキルなんかには一切頼っておりません」

 

シュナが嬉しそうに語り始める。

 

「実は、以前未来のリムル様から『自分の料理は自分で味見をするように』と諭されて以来……シオンは、毎晩こっそりと厨房で料理の特訓をしていたのです。包丁の持ち方から火加減、素材の選び方に至るまで、一からしっかりと」

 

「そうだったのか……!?」

 

「ええ。そして、過去のリムル様がお目覚めになる少し前に、私と兄様、ハクロウの三人で、こっそりとシオンの料理を味見したのですが……」

 

シュナがベニマルたちを振り返ると、ベニマルは頭を掻きながら、ハクロウは深く頷きながら口を開いた。

 

「最初はまた気絶させられるかと本気で覚悟しましたが……いやはや、一口食べて驚愕しましたよ。こんなに美味いものが作れるようになるなんて、シオンの執念には恐れ入りました」

 

「ほっほっほ。刃の扱いだけでなく、料理におけるあの繊細な包丁捌き……見事な成長ぶりでございましたな」

 

仲間たちからの賛辞を受け、シオンの顔がこれ以上ないほどパァァッと輝いた。

 

「もちろん、シュナ様のご指導あってこそですが……未来のリムル様が仰ってくださった『昨日の自分を超え続ける』という言葉を胸に、必死に頑張りました!」

 

シオンはそう言って、俺の方へと真っ直ぐに尊敬の眼差しを向けてきた。

 

「そして……未来のリムル様から未来の私の成長の『きっかけ』を教えていただいた後、私も早くお二人のリムル様に美味しいものを召し上がっていただきたいと強く願いました。その結果……なんと、未来の私と同じように『料理人(サバクモノ)』というユニークスキルを獲得できたのです」

 

「な、なんだって!? それじゃあやっぱり、そのスキルで味を……!」

 

過去の俺が思わず叫ぶが、シオンは首を横に振った。

 

「いいえ。スキルを獲得した時、私は考えたのです。……『料理人』の力で味を書き換えてしまえば、確かに美味しいものは作れるでしょう。ですが、それでは『昨日の自分を超えた』ことにはならないのではないか、と」

 

シオンのその言葉に、俺と過去の俺は息を呑んだ。

 

「ですから、私はこの料理を作るにあたって、あえてスキルは一切使用しておりません。私の腕だけで、素材の味を引き出し、この味に辿り着いたのです。……『料理人』のスキルは、いつか戦いの中で、リムル様のお役に立つために振るうつもりです!」

 

かつて、結果だけを求めてスキルに頼り切っていた彼女が、自身の努力と腕だけで成長を遂げ、スキルを「料理」ではなく「戦い」への応用へと切り替えるという、俺の知る歴史以上の精神的成長を見せていたのだ。

 

俺は一口食べてみたが、確かにこれはスキルのごまかしではない。

素材の味をしっかりと引き出した、努力の結晶としての本当の美味しさだった。

 

「すごいぞシオン! 本当に腕を上げたな! お前の努力と成長、しっかりと味わわせてもらったぞ。これなら毎日でも食べたいくらいだ!」

 

過去の俺が手放しで絶賛すると、シオンの瞳からポロリと嬉し涙がこぼれ落ちた。

 

「ま、毎日!? 承知いたしました! 明日から毎食、私が心を込めて腕を振るいますね!!」

 

「あ、いや! それはシュナの仕事も奪っちゃうことになるから、ほどほどにな! たまにでいいぞ、たまにで!」

 

過去の俺が慌ててフォローを入れる横で、シュナが「ふふっ」とクスクス可笑しそうに笑っている。

 

ゴブタがまだ目覚めていないことや、悪魔たちが町の外で警備に当たっていること、そして得体の知れない敵の影など、懸念事項がないわけではない。

だが、今はただ、この仲間たちの最高の笑顔と、魔王誕生の祝祭の空気に心を満たされていた。

 

――広場の熱気は、夜が更けるにつれてさらに最高潮へと達していった。

 

 

 

 

宴が夜更けに向かおうとしていた、その時だった。

 

「リムル様! 未来のリムル様!」

 

広場に、医療棟で看病に当たっていたハルナが息を切らして駆け込んできた。

 

「ゴ、ゴブタが目覚めました!」

 

その知らせに、俺と過去の俺はバッと顔を見合わせた。

 

「ゴブタが!? よし、すぐ行くぞ!」

 

俺たちが駆け出すと、彼に命を救われたベニマルやシオン、ハクロウたち幹部陣、さらにはヨウムとミュウランも弾かれたように後に続く。

 

医療棟に飛び込むと、ベッドの上で頭に包帯を巻いたゴブタが、不思議そうに自分の手を握ったり開いたりしていた。

 

「あ、あれ……? オイラ、生きてる……? って、うおっ!? 未来のリムル様、もう起きても大丈夫なんすか!? それにリムル様も!」

 

「ゴブタっ!!」

 

過去の俺がベッドに飛びつき、ゴブタの肩をガシッと掴んだ。

 

「よかった……っ! 無理させて本当にごめんな。よく生きててくれた!」

 

「え、ええ!? なんでリムル様が泣きそうになってるんすか!?」

 

俺もベッドの脇に立ち、ポカンとしているゴブタの頭をポンポンと撫でた。

 

「よく頑張ったな、ゴブタ。俺が倒れた時、お前が体を張ってくれなかったら、俺もみんなも終わってた。……本当にお前は、テンペストが誇る最高の天才戦士だぜ」

 

「み、未来のリムル様まで……っすか?」

 

ゴブタが戸惑っていると、その後ろからベニマルがスッと進み出た。

 常に余裕と自信に満ちた若き総大将が、ベッドの上の小さなゴブリンに向かって、迷いなく深く、深く頭を下げたのだ。

 

「ゴブタ。お前がいなければ、俺たちはあの結界の中で為す術もなく死んでいた。……俺たちの命と、リムル様を護り抜いてくれたこと、心から感謝する。ありがとう」

 

「ええっ!? べ、ベニマル様!?」

 

「うわああああん、ゴブタアアアッ! 本当によくやってくれました!! 私、私……あなたが死んでしまったらと……!」

 

シオンが滝のように涙を流しながらゴブタに飛びつき、凄まじい力で抱きしめる。

 

「ぐえええっ!? シオンさん、ストップ、ストップっす! 治ったばかりの骨がミシミシ言ってるっす!!」

 

「ほっほっほ。全く、世話の焼ける阿呆弟子じゃが……今回ばかりは、天晴れな戦いぶりであったぞ」

 

ハクロウも目を細め、誇らしげに髭を撫でている。

ゲルドやリグルドたちも、ウンウンと涙ぐみながら力強く頷いていた。

 

「へへっ。お前みたいなちっこいのが、俺たちを庇ってあんなバケモノどもとやり合うなんてな。最高に男前だったぜ、ゴブタの兄貴」

 

ヨウムがニカッと笑って親指を立てる。

 

「ええ。本当に……あなたという戦士には、驚かされてばかりだわ」

 

ミュウランも、心からの敬意を込めて微笑んだ。

 

国のトップや最強の幹部たちから次々と向けられる、感謝と賛辞。

 

そのやり取りを見ていたベニマルが、改めてゴブタに向き直り、ふっと口元を和らげた。

 

「なぁ、ゴブタ」

 

「は、はいっす! な、なんすかベニマル様?」

 

「お前はあの絶望的な状況で、誰よりも勇敢に立ち向かい、俺たち全員を救ってくれた。……その功績と武勇に心からの敬意を表して、これからは俺に『様』付けなんてしなくていい。対等に接してくれ」

 

「えええええっ!? む、無理っすよ! ベニマル様は軍の総大将で、オイラの上司っすから! そんな恐れ多いこと絶対にできないっす!」

 

全力で首を横に振るゴブタを見て、ベニマルは吹き出すように笑った。

 

「ははっ、そうか。まあ、お前がそうしたいなら任せる。だが、俺は今日からお前を、テンペストが誇る対等で最高の戦士として頼りにさせてもらうぞ」

 

「うぅ……光栄っす……」

 

流石のゴブタも事の重大さを理解したのか、顔を真っ赤にして照れくさそうに鼻の下を擦った。

 

「えへへ……なんだか照れるっすね。オイラ、未来のリムル様に頼まれたから無我夢中だっただけで……それに、みんなが無事だったなら、それが一番っす!」

 

そこまで言ってから、ゴブタは不意に真面目な顔つきになり、俺と過去の俺の顔を真っ直ぐに見つめた。

 

「でも……あの戦いで、オイラ気づいたんす」

 

「気づいた?」

 

過去の俺が聞き返すと、ゴブタは包帯を巻かれた手で、自身の膝の上のシーツをギュッと握りしめた。

 

「はい。オイラみたいなちっこいゴブリンでも……必死に頑張れば、リムル様やみんなの役に立てるんだって。あんなバケモノみたいな連中が相手でも、みんなを守れるんだって」

 

その言葉には、いつものお調子者のゴブタからは想像できないほどの、静かで力強い決意が込められていた。

 

「だから、オイラ……これからは師匠のしごきからも絶対に逃げないで、もっともっと技術を磨くっす! いざって時に、リムル様やみんなを守れるように……もっと強くなるっすよ!」

 

その頼もしい宣言に、ハクロウは「ほっほっほ、言ったな阿呆弟子め。明日から地獄を見せてやろう」と嬉しそうに笑い、ベニマルたちも誇らしげに頷いた。

 

俺と過去の俺は顔を見合わせ、同時にゴブタの頭を優しく撫でた。

 

「ああ。期待してるぞ、うちの天才戦士」

 

「無理はするなよ。でも、頼りにしてるからな、ゴブタ」

 

ゴブタのいつもの飾らない笑顔と、新たな力強い決意に、病室は温かい笑い声と安堵の空気に包まれた。

 

 

 

 

その後、ゴブタが「オイラも宴に参加したいっす!! 美味しい料理の匂いがしてくるんすよ!」と目を輝かせながら訴えてきた。

 

(シエル、ゴブタを宴に連れて行っても大丈夫か?)

 

《はい。先ほど確認を行いましたが、魔素の回復量も理想値を超えています。ゴブタ自身の旺盛な生命力により、既に完治と言って差し支えありません。むしろ、今の彼に最も必要なのは、魂の系譜に連なる仲間たちとの『進化の余韻』を共有する祝祭の場だと思われます》

 

「……そうだな、お前はもう完治してるみたいだ。宴に参加していいぞ」

 

俺がそう告げると、ゴブタは「やったぁぁっ!!」とベッドから飛び起き、包帯を剥ぎ取って駆け出そうとした。

 

「……こらこら、慌てるな。包帯くらいは巻き直せ」

 

過去の俺が苦笑しながらフォローを入れ、幹部たちも「全くだ、騒がしい奴め」と笑いながら、全員で広場へと戻ることにした。

 

こうしてゴブタも加わり、宴の席はさらに賑やかさを増していくこととなった。

 

そんな騒動がひと段落したのち、俺と過去の俺が、宴の席に戻り、少しばかり落ち着いて酒を飲んでいた時のことだ。

 

「――クフフフフ。素晴らしい。真なる魔王への覚醒、そしてこの喜びに満ちた祝祭……。お目覚め、心よりお慶び申し上げます、偉大なるもう一人の主様」

 

不意に、俺たちの背後から夜闇よりも深く、そして優雅な声が響いた。

振り返ると、そこには完璧な執事の所作で恭しく片膝をつく漆黒の悪魔と、その後ろで同じく深く頭を垂れる二柱の上位悪魔の姿があった。

 

「うおっ!? な、なんだこいつら!?」

 

過去の俺がビクッと肩を揺らし、手に持っていた杯を落としそうになる。

無理もない。

真なる魔王へと進化し、感知能力が飛躍的に向上した過去の俺の目から見ても、目の前の悪魔(特に先頭の漆黒の悪魔)から放たれるオーラは、あまりにも異常なヤバさを放っていたのだから。

 

「おい、未来の俺! この悪魔たち、一体どこから湧いてきたんだ!?」

 

過去の俺が慌てて俺の肩を揺さぶってくる。

 

「ああ、紹介が遅れて悪かったな。俺の知る元の歴史だと、ちょうどファルムス戦が終わったこのタイミングで、こいつが俺の仲間になってくれてな。これからの作戦で絶対にこいつらの協力が必要になるから、こっちの時間軸でも同じタイミングで喚び出しておいたんだよ」

 

俺が平然と答えると、漆黒の悪魔はうっとりとした表情で過去の俺を見つめ上げた。

 

「お初にお目にかかります。私(わたくし)は、未来の主様に喚び出され、こうして受肉の恩儀を賜った忠実なる下僕。……ああ、過去の主様のその神々しいまでの魔力、そして深淵なる魂の輝き……! 直接お声をかけていただけるなど、我が魂は歓喜に震えております!」

 

「げっ……なんか、すっげえ熱烈というか、変態っぽいぞこいつ……」

 

過去の俺がドン引きして後ずさるが、原初の黒はそれを最高の褒め言葉とでも受け取ったのか、さらに嬉しそうに「クフフフフ」と笑い声を漏らした。

 

「まあ、態度はアレだが実力と忠誠心は保証する。ファルムス王国を裏から完全に掌握するための『最凶の実行部隊』のトップだ」

 

俺が苦笑交じりに太鼓判を押すと、過去の俺はまだ少し警戒しつつも、興味を惹かれたように首を傾げた。

 

「へぇ。元の歴史でもこのタイミングで仲間になったってことは……未来の俺はどういう経緯でこいつらを呼び出したんだ?」

 

「ああ、元の歴史での召喚の経緯か。あの時はな――」

 

俺は当時の記憶を思い返しながら、過去の俺に向けて語り始めた。

 

「俺の知る歴史だと、ファルムス軍の二万を相手にした時、当然今のお前みたいにもう一人の俺と連携なんてできなかったから、俺一人で全部片付けるしかなかったんだよ」

 

「一人で二万を……」

 

過去の俺が息を呑む。

 

「ああ。それで敵を殲滅して、いざ『真なる魔王への進化(ハーヴェスト・フェスティバル)』が始まって猛烈な睡魔に襲われた時……敵側の厄介な魔法使い、ラーゼンって爺さんがまだ生き残ってやがったんだ」

 

「うわ、最悪なタイミングだなそれ」

 

「だろ? 放っておけば俺が寝てる間に何をされるか分からない。だから、俺の代わりにそいつを無力化して捕縛し、連れ帰ってくれる味方が必要だったんだ。そこで、その場に転がってたファルムス兵二万人の死体をそのまま供物にして、『悪魔召喚』の儀式を行った」

 

「に、二万人の死体を供物に……!?」

 

過去の俺がドン引きしたように顔を引き攣らせた。

 

「そうしたら、その死体の山を贄として嬉々として飛び出してきたのが、こいつと、そっちの二人の悪魔だったってわけだ」

 

俺が呆れたように漆黒の悪魔を指差すと、当の本人は至上の喜びを噛み締めるように両手で顔を覆い、恍惚とした吐息を漏らした。

 

「クフフフフ……! なるほど、未来の主様の世界では、私はそのような数奇な運命と極上の供物によって見出されたのですね」

 

漆黒の悪魔は目を細め、どこか羨望が混じったような、しかしそれを上回る誇らしげな笑みを浮かべる。

 

「ええ、ええ。別時間軸の私めが、なんとも羨ましい限りの素晴らしい出会いを果たしていたとは。……しかし! 今この時間軸において、こうして主様方から直接お声がけいただき、この上ない至高の器まで賜った今の私の方が、間違いなく『彼』よりも幸福であると断言できましょう!」

 

「いや、お前。俺の知る歴史ではずっと前から冥界で俺のことストーカーしてて、俺が召喚陣を開いた瞬間に『ラッキー!』って勢いで他の悪魔を押しのけて割り込んたんだぞ……今回だって俺が連絡しなければそのつもりだっただろ。」

 

俺がジト目でツッコミを入れると、漆黒の悪魔は「おや、バレておりましたか」と全く悪びれる様子もなく、むしろ自慢げに胸を張った。

 

そのあまりにフリーダムなやり取りを見て、過去の俺は完全に言葉を失っている。

 

「とまあ、こんな感じでな。元の歴史じゃ、俺が寝てる間にラーゼンを完璧に捕らえてくれたし、その後の事後処理でも信じられないくらい優秀に働いてくれたんだ。だから、こっちの時間軸でも同じタイミングで呼んだってわけだ」

 

過去の俺が「なるほどな…。話を聞くと凄く優秀なやつなんだな」と言ってるのを横目で見つつ話を続ける。

 

「……ちなみに、今のこの状況と、俺の知る歴史とで決定的に異なることが一つあってな」

 

俺がふと口調を落として切り出すと、過去の俺が不思議そうに小首を傾げ、漆黒の悪魔も「ほう?」と興味深げに目を細めた。

 

「決定的に異なること?」

 

「ああ。そいつの後ろに控えている二人には、俺の歴史では『名付け』をしていないんだよ」

 

俺が静かに二柱の悪魔を見つめると、彼らは少し驚いたように顔を見合わせた。

 

「え? なんでだ? 同じタイミングで呼び出して、ラーゼンを捕まえさせたんだろ? なんで名前をやらなかったんだ?」

 

過去の俺が純粋な疑問を口にする。

 

優秀な魔物を配下に加えたのなら、当然名前を与えて自身の系譜に加えるのが俺の性分だからだ。

俺はその問いに対し、一瞬だけかつての苦い記憶を思い返しながら、静かに答えた。

 

「……反魂の秘術のエネルギーとして、消費してしまったんだよ」

 

その言葉が落ちた瞬間、宴の喧騒から少し離れたこの場に、微かな静寂が降りた。

 

「消費、した……?」

 

「ああ。ファルムスに殺されたシオンたちを生き返らせるために、俺は『反魂の秘術』を行使した。だが、魔王に進化したばかりの俺の魔素だけじゃ、術式を完成させるにはどうしてもエネルギーが足りなかった。……だから、召喚に応じたばかりの彼ら二人を、術式の触媒として文字通り完全に消費しちまったんだよ」

 

悪魔がエネルギーとして消費される。

それは冥界に帰還することすら許されない、魂そのものの完全な消滅を意味する。

 

過去の俺はハッとして息を呑み、二柱の悪魔たちを痛切な眼差しで見つめた。

 

自分と大切な仲間たちを救うために、命はおろか、魂の在り方すらも捧げて散っていった名もなき悪魔たち。

その事実の重さに、過去の俺はギュッと拳を握りしめる。

 

だが、当の悪魔たちは恐怖に震えるどころか、むしろ深く感極まったようにその場に崩れ落ち、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。

 

「おおお……っ! なんという、なんという名誉……!」

 

「我らのような名もなき者の命が、偉大なる主様とその眷属たる方々を救うための礎となったとは……! 悪魔として、これ以上の誉れはございません!!」

 

黒の系譜の彼らにとって、敬愛する主のために文字通り全てを捧げ尽くし、この世の心理ともいえる反魂の秘術の一部となったことは、恐怖ではなく至上の喜びなのだ。

 漆黒の悪魔も、部下たちの忠義を称えるように、満足げに深く頷いている。

 

「クフフフフ……。実に素晴らしい。主様の大願成就のため、己の魂を薪としてくべる。私の眷属として、見事な散り際であったと褒めて遣わしましょう」

 

「……お前らなぁ。そういう自己犠牲の精神は悪魔らしくて結構だが、俺はやっぱり、自分のために誰かが消えちまうのは好きじゃないんだよ」

 

俺はわざとらしくため息を吐き、泣き崩れる二人の悪魔に向き直った。

 

「あの時、お前たちは文句一つ言わずに俺のために消えてくれた。……だからこそ、こっちの世界じゃ、俺の用意した最高の器を使って、しっかり受肉させてやることにしたんだ。今度は使い捨てのエネルギーなんかじゃなく、俺たちの『仲間』として、この世界で存分に生きて働いてもらうためにな」

 

ここまで言った後に、俺はにやりと笑いつつ過去の俺に目線を向けた。

 

「……というわけで、過去の俺。この三柱に名前を与えてやってくれないか」

 

俺が唐突にそう切り出すと、過去の俺は目を丸くしてポカンと口を開けた。

 

「えっ? 俺が? いやいやいや、ちょっと待て! さっきお前、こいつら俺の魔素を空にするレベルのヤバい奴だって言ったばかりだろ!? 一柱ならともかく、三柱も同時に名付けなんかしたら、俺マジで干からびて死ぬぞ!?」

 

全力で首を横に振る過去の俺。

 

無理もない、進化したばかりとはいえ、原初を含む上位悪魔三柱の同時名付けなど、常識で考えれば自殺行為に等しい。

 

「心配すんな。確かに俺の時よりも名付ける数が二柱多いが、そこは俺の『相棒』も協力して魔素の消費を完璧に調整するからさ」

 

(シエル、いけるよな?)

 

《はい、マスター。過去のマスターの『智慧之王(ラファエル)』の演算領域と一時的にリンクし、名付けによる魔素の過剰抽出を私が完全にコントロールします。胃袋のストックも併用しますので、安全かつ確実な名付けが可能です》

 

脳内でシエルの頼もしいお墨付きをもらい、俺はニッと笑って親指を立てた。

まぁ、胃袋でストック扱いされているヴェルドラには気の毒だが。

 

「うちの優秀な相棒が『絶対安全だ』って保証してくれてる。……それに、こいつらをこの世界で正式にお前の系譜に加えてやってほしいんだ」

 

俺の言葉を聞き、今まで平伏して泣き崩れていた二柱の悪魔、そして漆黒の悪魔が、信じられないものを見るように一斉に顔を上げた。

 

「な、名を与えられる……? この、我らに……?」

 

「ああ、神よ……! 命のみならず、魂の奥底に主様との繋がりを刻んでいただけるとは……!!」

 

「クフフフフ……! ああ、なんという……なんという至福……! 次元を超え、二つの時代を跨いで、その尊き御口から名を賜ることができるのですね……!」

 

三柱の悪魔たちから放たれる、狂気的なまでの期待と歓喜の眼差し。

それを受けた過去の俺は、少しだけたじろぎながらも、やがて観念したように大きくため息を吐いた。

 

「……はぁ。分かったよ。お前がそこまで言うなら。それに、俺たちのために命を懸けてくれたこいつらに、こんな顔を見せられちゃあ断れないだろ。お前の『相棒』とやらのサポート、信じるからな」

 

「ああ、任せとけ。大船に乗ったつもりでバーンと名付けてやれ」

 

過去の俺は居住まいを正し、期待に打ち震える三柱の悪魔たちの前へと進み出た。

 

宴の喧騒が遠のき、周囲の空気がピンと張り詰める。

 

真なる魔王へと至った主と、最凶の悪魔たちによる、魂を繋ぐ『名付け』の儀式が始まろうとしていた。

 

「よし、じゃあまずは……そっちの二人からだ」

 

過去の俺が、真剣な面持ちで二柱の上位悪魔の前に立つ。

 

かつての歴史では名もなきまま消えていった彼ら。

その魂に、今度こそこの世界で生きていくための確かな『輪郭』を与える瞬間だ。

 

「そうだな……お前は『センナ』、お前は『ディオン』だ。どうだ?」

 

過去の俺は小さいほうを指さしてセンナと、大柄な方を指さしてディオンと名付けた。

 

俺の時と変わらず、直感とノリに頼った絶妙に軽いネーミングセンス。

だが、名を与えられた二柱の悪魔にとっては、それが神からの恩寵にも等しい。

 

「おおおお……! 『センナ』……!」

 

「我に、名が……『ディオン』という、主様からの繋がりが……!!」

 

名付けが完了した瞬間、過去の俺の体から凄まじい勢いで魔素(エネルギー)が吸い上げられようとする。

 

だが――。

 

《――魔素の異常流出を検知。個体名『智慧之王(ラファエル)』とリンクし、代替エネルギーの供給を開始します。マスターの虚数空間より、虚数エネルギーを魔素に変換、抽出・補填》

 

俺の脳内でシエルの流麗な声が響くと同時に、過去の俺の魔素の枯渇がピタリと止まった。

俺という未来の存在が介入している恩恵で、二柱の上位悪魔に対する名付けの負荷は、過去の俺にとってほとんど『無』に等しいレベルまで抑え込まれたのだ。

 

『うおおっ!? 今、一瞬すげえ勢いで力が抜ける感覚があったけど……全然平気だ!

 流石未来のラファエルさんだな!』

 

過去の俺が目を輝かせてこちらを振り返る。

 

「だろ? うちの相棒は超優秀なんだよ。……さあ、いよいよ本命だ。気を引き締めていけよ」

 

俺が促すと、過去の俺は深呼吸をして、最後に残った漆黒の悪魔――狂気的なまでの期待を込めて平伏している『原初の黒』へと向き直った。

 

「お前は……そうだな。とびきりヤバそうなスーパーカーみたいな名前がいいよな……」

 

過去の俺は少しだけ悩み、そして、俺の知る歴史と全く同じ、その運命の名前を口にした。

 

「よし。お前の名前は……『ディアブロ』だ!」

 

その名が広場に響き渡った瞬間。

世界が、一瞬だけ色を失った錯覚に陥った。

空間そのものが歪むような、圧倒的で暴力的な魔力の奔流。

 

「な、なんだこの尋常ならざる魔素の渦は……!?」

 

遠巻きに見守っていたベニマルが思わず腕で顔を庇う。

ハクロウすらも目を見開いて冷や汗を流し、シオンは主の身を案じてとっさに構えをとった。

 

センナとディオンとは比較にならない、桁外れのエネルギーが過去の俺からディアブロへと流れ込もうと荒れ狂う。

 

「っ……!? な、なんだこれ、吸い取られる量が段違い……っ!」

 

《――想定内の負荷です。供給ラインを最大出力へ移行。過去のマスターの魂を完全に保護しつつ、魔素を全開で流し込みます》

 

シエルの完璧な制御が入り、膨大な魔素の奔流は安全な経路を通って漆黒の悪魔へと注ぎ込まれていく。

そして、その圧倒的な力を受け取った悪魔は、歓喜の絶頂の中で両手を天へと掲げた。

 

「クフフフフ……! ああ……『ディアブロ』!なんという美しき響き!この身の奥底まで、主様の魔力が、魂が、甘く満ちていく……!!」

 

夜空を焦がすような赤黒い光の柱が立ち上り、三柱の悪魔たちを包み込む。

 

それは、魔物にとっての上位進化を告げる『進化の繭』だった。

上位悪魔(グレーターデーモン)であったセンナとディオンは上位魔将(アークデーモン)へ。

 

そして、原初の悪魔であったディアブロは、さらに上位の存在たる悪魔公(デーモンロード)へと、その殻を破ろうとしているのだ。

 

光の繭が脈動を終え、徐々に晴れていく。

 

そこに立っていたのは、俺の用意した特製のホムンクルスの肉体を完全に自身のものとして馴染ませ、以前とは比べ物にならないほどの洗練された妖気を纏う三柱の悪魔たちだった。

 

「ディアブロ。そして、センナにディオン。……改めて、これからテンペストの仲間としてよろしく頼むぞ」

 

過去の俺が少し照れくさそうに笑いかけると、彼らはこれ以上ないほど美しい所作で、主に対する絶対の忠誠を誓うように深々と片膝をついた。

 

「クフフフフ。御意のままに。我ら三柱、我が敬愛する二人の主様のため、この命と魂の全てを懸けて、完璧なる絶望の喜劇をファルムス王国に演じてみせましょう」

 

ディアブロの三日月のように吊り上がった笑みを見て、俺は頼もしさを感じた。

 

これで、盤面を支配するための手駒は完全に揃った。

過去の俺も無事に真なる魔王として覚醒し、仲間たちも無事に力を得た。

 

「さあて、それじゃあ宴の続きといくか。ディアブロたちも、これからは遠慮せずに飲んで食って、テンペストの空気を楽しんでくれよな」

 

俺がそう言うと、広場の魔物たちから再び「かんぱぁぁいっ!!」という割れんばかりの歓声が上がった。




ここまで読んでいただきありがとうございます。
今までは予め書き溜めておいたものを投稿しているので投稿ペースが早かったのですが、この第五部にはある展開を差し込みたいと考えており、今から執筆を始めるので少し更新ペースが落ちるかもしれません。
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