【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第七章 虚ろなる敵と未来の力

王宮の大広間では、和やかな祝宴が続いていた。

 

俺は出されたラージャの特産品を味わいながら、ベニマルやヒイロたちが談笑する姿を、そしてすっかり我が物顔で宴会を満喫しているヴィオレの姿を穏やかな気持ちで眺めていた。

 

これにて一件落着。

そう思っていた、その時だった。

 

俺が常に展開している『万能感知』の網の端に、遥か遠方の空間から発せられた極めて『異質な気配』が引っ掛かった。

悪魔の魔素とも、天使の気配とも違う。

どす黒く、ひたすらに悍ましい、這い寄るような悪寒を伴う異常な波動。

 

《……マスター。ラージャから遠く離れた街道沿いの森で、未知のエネルギー反応を検知しました。先ほど撤退した悪魔…ラキュアの魂の波長が、得体の知れない何者かと混ざり合い、急速に変質しているようです》

 

シエルの報告を受け、俺は手にしたグラスを静かにテーブルへと置いた。

この気配の異質さは、とても放置はできない性質のものだった。

隣でワインを楽しんでいたヴィオレも何かを察知したのか、ピタリと動きを止めて目を細めた。

 

「……ねえ、リムル様。今の、すっごく気味の悪い気配……」

 

「ああ。どうやら、お前の部下の身に何か起きたらしいな」

 

俺が立ち上がると同時、主の気配の変化を敏感に察知したベニマルとシオンが、弾かれたように席を立ち上がった。

 

「リムル様! いかがなされましたか!?」

 

「我々もお供いたします!」

 

周囲のラージャ勢も何事かと視線を向けてくる。

俺は彼らに不安を与えないよう、落ち着いた、だが有無を言わせぬ威厳を込めた声で告げた。

 

「少し野暮用ができた。嫌な気配が引っ掛かってな。様子を見てくる」

 

「なれば、我々も……!」

 

「いや、二人はここに残って王女の護衛を頼む」

 

俺は隣のヴィオレへと視線を向けた。

 

「ヴィオレ。お前の部下の様子が気になる、一緒に行くぞ」

 

「あははっ! リムル様との初任務だね! いいよ、あのバカが何をやらかしたのか、ボクの目で直接確認してあげる」

 

ヴィオレは嬉しそうに立ち上がると、背中に漆黒の魔翼を展開させた。

 

「すぐ戻る。晩餐会はそのまま続けていてくれ」

 

俺たちは王宮のバルコニーへと歩み出ると、広間にざわめきが広がるよりも早く、夜の闇に包まれた空へと力強く蹴り出した。

 

凄まじい風切り音と共に、俺とヴィオレは悍ましい気配の発生源へと向けて、夜空を一直線に飛翔していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王都から飛び立ち、夜風を切り裂きながら少し飛んだ先――森の上空に差し掛かったところで、俺たちは空中に浮かぶ四つの人影を発見した。

 

「あれは……」

 

そこにあったのは、悪魔ラキュアと、ラージャの隣国の将軍たちの肉体を乗っ取っていた三体の悪魔だった。

 

だが、その様子は明らかに異常だ。

 

彼らの両眼には、かつて俺が原因不明の昏倒をした際に見たあの不気味な幻影と同じ――『三つの赤い瞳孔』が浮かび上がっていた。

 

さらに、ラキュアの額には禍々しい紫色の光を放つ『紫縛の宝珠(カース・オーブ)』が、肉体と癒着するように不気味に埋め込まれている。

 

凄まじい力と引き換えに、対象の理性を完全に奪い去るという禁断の魔道具。

 

俺が知る本来の歴史では、ラキュアがヒイロに使用して彼を『狂鬼』へと作り変え、暴走させた元凶でもある代物だ。

 

今はその宝珠の呪詛が、得体の知れないモノに乗っ取られたラキュア自身の魔素を、異次元のレベルにまで異常に膨れ上がらせていた。

 

「……っ!」

 

それを見た瞬間、俺の脳裏に、かつてファルムス王国軍の先遣隊と対峙した際の記憶が鮮明にフラッシュバックした。

 

外界の音も景色も消え失せ、あの不気味で暴力的なノイズと共に、俺の魂そのものを内側から食い破ろうとしてきた得体の知れない重圧。

 

そして、完全に意識を失いそうになった俺の前に現れた、『俺自身の姿をした、三つの赤い瞳孔を持つ幻影』

 

目の前にいるラキュアたちの瞳に浮かぶ『三つの赤い瞳孔』は、俺の精神を侵食しようとしたあの幻影のものと全く同じだった。

 

(……あいつら、あの時の「アレ」に肉体を乗っ取られたのか!?)

 

俺は無意識に息を呑み、内なる魔素を激しく循環させて警戒を最大に引き上げた。

 

あの時、俺はあの不気味な幻影に干渉され、立っていることすらできずに昏倒させられた。

 

もし今回も同じように精神干渉やノイズを受ければ、敵に対して大きな隙を晒すことになる。

 

――しかし。

 

(……あれ?)

 

俺は数秒ほど身構えたが、俺の身体にも、魂の奥底にも、あの時のような暴力的なノイズや重圧は全く発生しなかった。

 

視界がブレることも、平衡感覚が狂うこともない。

シエルとの繋がりも強固なままだ。

 

(なんでだ? あの時はあいつらに干渉されて倒れたはずなのに、今回は何ともないぞ……)

 

そう俺が考えている時、一つの可能性に行き当たった。

 

(……待てよ。そういえばあの時、完全に意識が闇に落ちる直前、未来の――俺の時代のヴェルドラの声が聞こえたな。もしかすると、あの時にヴェルドラの奴が俺の魂に何らかの防護策を施してくれていて、それが未だに健在だってことか?)

 

《……不明です。現在、マスターの魂に対する直接的な干渉波は検知されていません。原因は特定できませんが、意図的に遮断されているか、あるいは何らかの未知の要因で対象からの干渉リンクが成立していないものと推測されます》

 

俺の疑問に対し、シエルから返ってきたのは、彼女にしては珍しい歯切れの悪い返答だった。

 

(シエルにも理由が分からないのか……? 気味が悪いな)

 

身体に異常が起きていないのは幸いだが、その理由が不明な以上、手放しで安心するわけにもいかない。ヴェルドラの防護策だとしても、戦闘中に突如としてあの暴力的なノイズが襲ってくる可能性も十分にあり得るのだ。

 

(……ここは少し慎重に行くぞ、シエル。戦闘中は俺自身の身体のモニタリングを最優先にしてくれ。同時に、あの敵から放たれる影響や法則を注意深く解析するんだ。俺は無理に攻め込まず、様子見をする)

 

《了解しました。マスターの全状態の常時監視、および敵対性エネルギーの解析にリソースを集中します》

 

俺は目の前の異形へと改めて視線を鋭く向けた。

 

「アガガ……リ……ムル……テンペ……スト……」

 

完全に理性を失い、悍ましい声でうわ言を漏らすラキュア。

 

彼は手にしていた結晶をまばゆく光る剣へと変化させると、膨大な呪詛を纏いながら一直線に俺の首を狙って襲い掛かってきた。

 

「――リムル様の前で不敬だよ」

 

だが、その狂刃が俺に届くより早く、ヴィオレが俺の前に立ち塞がり、余裕の笑みを浮かべたまま片手でその光る剣を弾き飛ばした。

 

「ボクの部下の分際で、よその得体の知れないモノに乗っ取られるなんて。全く、どこまでもボクの顔に泥を塗ってくれるね、キミは」

 

ヴィオレから放たれる原初の覇気が、狂乱するラキュアを牽制する。

 

その隙を突き、残る三体の悪魔たちが突如として凄まじい速度で低空飛行へと移行し、俺たちを無視して王宮の方向へと一直線に飛び去っていった。

 

「ちっ、狙いはトワか、それとも王都そのものか」

 

俺は極めて冷静に状況を分析し、一切の焦りを見せることなく即座に『思念伝達』を通じて王宮に残る仲間たちへと思念を飛ばした。

 

『――ベニマル、シオン、キエン。聞こえるか』

 

『はっ。いかがなされましたか、リムル様』

 

脳内に響くベニマルの声に対し、俺は簡潔に命じる。

 

『敵の残党三体が、異常な速度でそっちに向かっている。完全に正気を失い、肉体を弄り回された危険な状態だ。王宮や街に被害を出す前に、宮殿に着くまでのルート上で迎撃して叩き落とせ』

 

俺の命令に対し、通信の向こう側から頼もしい声が次々と返ってくる。

 

『承知いたしました。我らが必ずや、宮殿に届く前に塵にしてみせましょう』

 

『リムル様、私めにお任せを! 全て細切れにしてご覧に入れます!』

 

頼もしい二人の返答に続き、ベニマルが少しだけ苦笑の混じった思念を送ってきた。

 

『――それとリムル様。ヒイロが「俺も出撃させてくれ」と、ものすごい剣幕で息巻いております。同行させてもよろしいでしょうか』

 

俺はヒイロの真っ直ぐな決意に内心で頷きつつ、シエルの解析結果を踏まえて、あえて厳しい警告を付け加えた。

 

『ああ、同行させてやってくれ。トワたちを守りたいという気持ちは本物だろうしな。……だがベニマル、全員に絶対に油断するなと伝えておけ。どうやら奴らの力は常軌を逸している。生半可な攻撃は通用しないぞ』

 

俺の静かだが重い声色に、通信越しのベニマルの気配が一段と引き締まる。

 

『……承知いたしました。ならば、シオンに一体を単独で当たらせ、残る二体を私と親父殿、そしてヒイロの三人で確実に仕留めましょう。どのような異能であろうと、必ずや打ち砕いてご覧に入れます』

 

ベニマルの頼もしい返答に頷き、俺は通信を断った。

彼らの実力は俺も高く評価しているし、信頼もしている。

 

だが、シエルから告げられた敵の『異常性』を思えば、これまでの常識が通用する相手ではない。

間違いなく、一筋縄ではいかない死闘を強いられることになるだろう。

 

俺は静かに息を吐き、ゆっくりと視線を前方へ戻した。

 

目の前では、異形のラキュアが、三つの赤い瞳孔を血走らせて不気味な咆哮を上げていた。

膨れ上がった呪詛が、空間そのものを軋ませるように周囲に渦巻いている。

 

「アガガ……リ……ムル……ワタシト……ヒトツ……ニ!!」

 

「ふふっ、随分と醜い姿になっちゃって。……ねえ、リムル様。ここはボク一人で細切れにしてあげてもいいんだけど?」

 

ヴィオレが残酷な笑みを浮かべて一歩前に出る。

だが、俺は彼女を制するように静かに横へ並び立ち、腰の刀をゆっくりと鞘から引き抜いた。

 

「いや、俺もやる。あれはもう、ただの『お前の部下』じゃない。得体の知れないモノが混ざり込んだ、極めて危険な存在だ」

 

「…リムル様も一緒に戦ってくれるの?!ボク張り切っちゃうよ!」

 

原初の悪魔が、まるで遊びに誘われた子供のようにパッと顔を輝かせて歓声を上げる。

 

対峙する相手から放たれる呪詛と魔素の奔流は、間違いなく最上位の存在すらも飲み込みかねない異常な重圧を放っていた。

だが、魔王たる俺の心に微塵の焦りや揺らぎはない。

 

「油断するなよ、ヴィオレ」

 

「うんっ! ボクとリムル様の初めての共闘だね!」

 

俺は静かで絶対的な闘志を刃に込め、嬉々として魔力を高める『原初の紫』と共に、夜空を黒く染め上げる狂気の異形へと真っ直ぐに構えをとった。

 

 

 

 

 

 

一方、王宮へと続く夜の空。

ラージャの街を見下ろす丘陵地帯で、ベニマル、シオン、キエン、そしてヒイロの四人は、猛烈な速度で接近してくる三つの『異質な気配』を待ち構えていた。

 

夜闇を切り裂き、おぞましい魔素の尾を引いて飛来する三つの影。

 

それはかつて悪魔であったもの――今は得体の知れない何かに肉体を乗っ取られ、三つの赤い瞳孔を不気味に光らせる異形の怪物たちだった。

 

「来るぞ。……シオン、予定通り一体は頼む」

 

「ふふっ、お任せを! リムル様のご期待に応え、あの薄汚い羽虫は私が叩き落として差し上げます!」

 

シオンが獰猛な笑みを浮かべ、愛刀である大太刀『剛力丸・改』を抜く。

 

そして、空気を蹴り割るような凄まじい踏み込みと共に、先頭を飛んでいた一体に向けて一直線に跳躍した。

 

「消し飛びなさいッ!!」

 

シオンの怪力に自らの闘気を乗せ、更にスキルの効果まで加えられた必殺のフルスイング。

上位魔将(アークデーモン)クラスであろうと、まともに受ければ一撃で両断されるであろう重い一撃が、異形の悪魔へと脳天から振り下ろされる。

 

――ガギィィィィンッ!!!

 

「なっ……!?」

 

夜空に火花が散り、シオンの驚愕の声が響いた。

異形の悪魔は、シオンの剛力丸を『素手』で受け止めていたのだ。

 

腕の肉が深く裂け、黒い血が飛沫を上げているにも関わらず、相手は痛みを感じる素振りすら見せない。

 

それどころか、三つの赤い瞳孔をギョロリと無機質にシオンに向け、そのまま力任せに彼女の体を弾き飛ばした。

 

「くぅッ……! な、なんという腕力……!」

 

空中で体勢を立て直したシオンが、信じられないというように目を見開く。

弾き飛ばされた彼女を追撃するように、異形の背中からどす黒い靄のような『数本の漆黒の茨』がうねりながら伸び、異様な速度で襲い掛かった。

 

「シオンが力負けしただと……? リムル様が仰っていた通り、ただの悪魔じゃないぞ!」

 

ベニマルが鋭く声を上げると同時、足を止めなかった残る二体が、無言のまま標的をヒイロとキエンへと定めて急降下してきた。

 

「トワ様には、指一本触れさせんッ!!」

 

「退け、化物めッ!」

 

ヒイロが怒号と共に長巻刀を振り抜き、キエンもまた長年の戦士としての勘を頼りに鋭い踏み込みから斬撃を放つ。

 

二人の刃は確かに異形の悪魔たちの胴体を捉えた。

 

しかし、手応えはまるで分厚い鋼鉄の塊を斬りつけたかのように重く、浅い。

 

「むぅ……浅いか。なんという忌まわしい肉体だ」

 

キエンが眉をひそめる。

悪魔たちは一切の声を上げず、ただ不気味な沈黙のまま、その背中から無数の黒いうごめく茨を四方八方へと放った。

 

「『黒炎獄(ヘルフレア)』ッ!!」

 

間一髪、ベニマルがヒイロたちを援護すべく、放たれた触手に向けて漆黒の炎を解き放つ。

 

あらゆる物質を焼き尽くす絶対の炎が、触手の群れを包み込んだ――はずだった。

 

「……なっ!? 燃えない、だと!?」

 

ベニマルが驚愕に目を見開く。

 

黒炎に触れた茨は、燃え上がることも、魔法障壁で弾かれることもなかった。

 

まるで『炎という事象そのものが存在しない』かのように黒炎をそのまま透過し、世界の法則を完全に無視した軌道でヒイロたちへと迫ったのだ。

 

「くそっ……!」

 

ヒイロが長巻に闘気を込めて茨を斬り払おうとする。

だが、刃が触れた瞬間、込められていたスキルの力が霧散し、ただの圧倒的な物理的質量だけが叩きつけられた。

 

「がはッ……!!」

 

「ヒイロッ! ……慌てるな!気を乱せば付け込まれるぞ!」

 

防御ごと強引に吹き飛ばされ地面を転がるヒイロを庇うように、キエンが前に出る。

常軌を逸した軌道で迫る茨の連撃に対し、キエンは研ぎ澄まされた剣気で防戦一方へと追い込まれながらも、致命傷だけは避けていた。

 

相手は魔法やスキルの理屈を一切無視した、ただひたすらに理不尽な力の塊。

 

どうやら奴らの力は常軌を逸している。生半可な攻撃は通用しないぞ

 

先ほどの、リムルからの言葉がベニマルの脳裏に重く蘇る。

 

王宮の目と鼻の先で始まった迎撃戦は、開戦直後からテンペストの最高戦力たちをしても顔を歪めるほどの、過酷な死闘の幕開けとなっていた。

 

「魔法もスキルも通じず、物理法則すら無視するだと……ッ!?」

 

ベニマルは苦渋の表情で叫び、間髪入れずにヒイロへと迫った黒い茨を『紅蓮』の刃で弾き飛ばした。

刀身に炎は纏わせていない。

純粋な剣術と腕力のみによる斬撃だ。

だが、それでも茨を断ち切るには至らず、重い鈍器で殴りつけられたかのように両腕が痺れた。

 

「クソッ、なんて硬さだ……! ベニマル、すまない!」

 

「気にするな、ヒイロ! 魔法やスキルに依存した攻撃は無意味だ! 純粋な物理的打撃と剣技だけで応戦しろ!」

 

ベニマルの指示に、キエンも小さく頷き、気を練り上げて刀を構え直した。

 

一方、一体を単独で引き受けているシオンもまた、かつてない苛立ちを募らせていた。

 

「小賢しいマネを……ッ! 私の『確定結果』すらもすり抜けるというのですか!」

 

シオンのユニークスキル『料理人(サバクモノ)』による事象の改竄。

 

本来ならば彼女が「切れた」と念じれば問答無用で両断できるはずの攻撃が、異形の悪魔には全く通用しなかった。

 

世界の法則そのものを無視する不気味な茨は、シオンの因果律操作すらも文字通り「すり抜け」、彼女の防御を強引に削り取っていく。

 

シオンは力任せに大太刀を振り回し、迫り来る茨を物理的な怪力のみで千切っては投げ、千切っては投げを繰り返している。

 

だが、異形は千切れた端から瞬時に新たな茨を生み出し、三つの赤い瞳孔を無機質に光らせたまま、無言で、機械的に殺意をぶつけてくる。

 

「ヒイロ、親父殿! 囲まれるな、動き続けろ!」

 

「応ッ!!」

 

四人は連携し、持てる技量の全てを駆使して三体の異形を王宮へ近づけまいと決死の防衛線を張っていた。

 

だが、相手は疲労も痛みも知らず、常識外れの再生力と法則無視の攻撃を延々と繰り返してくる。

 

倒し切る糸口が見えないまま、最高戦力であるはずの彼らは、徐々に、だが確実に削られ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……ベニマルたちの方は、かなり手を焼いているようだな)

 

『万能感知』を通じて彼らの苦戦を把握しながら、俺はゆっくりと上空の敵――額に『紫縛の宝珠(カース・オーブ)』を埋め込まれた異形のラキュアへと視線を向けた。

 

「――消エロ……ワタシト……ヒトツ……ニ……」

 

無機質なうわ言を繰り返し、ラキュアから伸びた無数の黒い茨が、俺とヴィオレを串刺しにせんと殺到する。

 

「鬱陶しいなぁ、もうっ!!」

 

ヴィオレが不機嫌そうに叫び、魔力で魔法障壁を展開した。

 

しかし、あのどす黒い茨は、最上位の結界魔法であるはずの障壁を、まるでそこに空間の壁が存在しないかのようにヌルリと透過してきたのだ。

 

「えっ……!? ボクの魔法を無視した!? なんだよこれ、気持ち悪い!」

 

ヴィオレが慌てて後方に飛翔し、間一髪で茨の直撃を避ける。

 

彼女の驚愕も無理はない。

 

魔法や魔素の法則という、この世界の理(ことわり)そのものを完全に無視した攻撃。

 

それがどれほど異常な事態か、魔の頂点に立つ悪魔だからこそ余計に理解できてしまうのだろう。

 

「ヴィオレ、魔法や通常スキルでの防御は意味がないぞ! 避けるか、純粋な物理的干渉で弾き落とせ!」

 

「もーっ! なんなのさあいつ! ボクの部下のくせに、可愛げの欠片もない!」

 

文句を言いながらも、ヴィオレは瞬時に戦い方を切り替え、両手の爪に妖気を纏わせて迫る漆黒の茨を次々と物理的に引き裂き始めた。

 

さすがは原初、状況への適応力は桁外れだ。

 

「アガガ……リ……ムル……!!」

 

ラキュアが三つの赤い瞳孔を俺に向け、手にした光る剣と無数の茨を同時に展開し、空間そのものを歪めるような速度で急降下してきた。

 

「さあて。得体の知れないモノに乗っ取られたとはいえ、あんまり調子に乗るなよ」

 

俺は静かに息を吸い込み、シエルの演算能力を全開にし、世界の理を無視する異形の怪物へと真っ向から斬りかかった。

 

ラキュアから放たれた無数の黒い茨が、俺を串刺しにせんと殺到する。

 

「鬱陶しいな」

 

俺は一切の動揺を見せず、迫り来る茨に対し、静かに刃を一閃した。

 

ズバァァァンッ!!

 

「ギギャアアアアッ!?」

 

先ほどまでヴィオレの魔法すらもすり抜けていた漆黒の茨が、俺の刀によってあっさりと両断され、汚い泥のように崩れ落ちた。

 

(……斬れた?)

 

俺は内心で首を傾げた。

 

ベニマルたちの強烈な物理攻撃は手応えが浅く、ヴィオレの魔法すら透過したというのに、なぜか俺の攻撃だけはあっさりと奴らの防御を破ったのだ。

 

理由は分からない。

 

だが、どうやら『俺を介在させた力』であれば、あの法則を無視したような力にも干渉できるようだ。

 

(シエル。理屈はともかく、俺の力なら奴らに通じるみたいだな。だったら……ベニマルたちにも、俺に由来する力を一時的に付与して、奴らに対抗させることはできるか? さすがに、まだ魂の回廊すら繋がっていないヴィオレには難しいかもしれないが……)

 

俺が内心で問いかけると、シエルは一切の躊躇いなく即答した。

 

《可能です》

 

(できるのかよ!)

 

《はい。それに、実は私の方でも一つ試してみたいことがありました。彼らの『未来』の能力をベースにした、限定究極贈与(リミテッドアルティメットギフト)の付与です》

 

(試したいことって……お前、こんな緊迫した状況でまた何か実験しようとしてないか?)

 

俺が呆れ半分に突っ込むと、シエルはどこか得意げな気配を漂わせながら解説を続けた。

 

《究極能力(アルティメットスキル)の獲得と行使には、強敵との戦いによる経験や技術の蓄積が必要不可欠です。加えて、この時代の彼らはまだ覚醒に至っておらず、その力に耐え得るだけの土台ができていません。現在の彼らに完全な形で与えれば、身の丈に合わず自滅する恐れがあります。なので、今回はあくまで限定的に能力を付与しようと思います》

 

(なるほど、安全面も考慮しての限定付与ってわけか。さすがシエルだ。よし、それでいこう!)

 

俺はシエルの提案を即座に採用し、隣でラキュアを牽制するヴィオレ、そして王宮付近で防戦を強いられているベニマルとシオンへ向けて『思念伝達』を繋いだ。

 

(――ベニマル、シオン、そしてヴィオレ。よく聞け)

 

『リムル様!』 『リムル様、どうしたの?』

 

息を呑むベニマルたちと、不思議そうに首を傾げるヴィオレに対し、俺は魔王としての絶対の自信を込めて告げた。

 

(奴らの異常な防御を破るために、今からお前たちに「未来のお前たち自身の力」を一時的に貸し与える。

その力を使えば、奴らの理不尽な法則無視も確実に叩き斬れるはずだ)

 

『未来の、我々の力……!?』

 

驚愕する彼らへ向けて、俺は立て続けに宣言する。

 

(ベニマルには、限定究極贈与『陽炎之王(アマテラス)』 シオンには、限定究極贈与『暴虐之王(スサノオ)』 そしてヴィオレ、まだ正式な配下じゃないが今回は特別サービスだ。 限定究極贈与『死毒之王(サマエル)』を与えよう)

 

俺がそう告げた直後。

 

彼らの魂の奥底へ向けて、俺を介してシエルが構築した光の奔流――限定的な究極の権能が一気に流し込まれていく。

 

『おおおおッ……!? この、内側から爆発するような力は……!!』

 

王宮付近で、ベニマルの全身から太陽の如き灼熱の闘気が立ち上った。

その炎は、世界の理すらも焼き尽くす絶対の熱量を持っていた。

 

『あぁ……なんという素晴らしい……! リムル様、このシオン、身に余る光栄でございますッ!!』

 

シオンの大太刀が、不気味に脈打つような覇気を纏い始める。

それは、あらゆる事象と因果を強引に捻じ伏せ、断ち切る絶対的な暴力の顕現だ。

 

「えっ!? ちょっと、リムル様……! なにこれ、こんな凄い力が、未来のボクの力だって言うの……!?」

 

そして上空では、ヴィオレの瞳が驚愕に見開かれ、その華奢な体から、原初の悪魔ですら戦慄するような深淵の毒と死の気配が爆発的に膨れ上がった

魂の繋がりがなくとも、これほど強引に力を譲渡してのけるシエルの演算能力には、俺自身も呆れるばかりだ。

 

それぞれの次元を超えた力の発現を確認し、俺はニヤリと笑って最後の命令を下す。

 

(その新しい力で、目の前の厄介な敵を蹴散らしてこい!)

 

『承知いたしました。必ずやリムル様のご期待に応えてみせましょう!』

 

『ふふっ、お任せを!』

 

『うんっ! ボクに任せてよ、リムル様!』

 

三者三様の力強く頼もしい返答が脳内に響く。

俺の号令に応え、強大な『未来の力』を得た三人の反撃が同時に始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地上では、先ほどまでの劣勢が嘘のように、圧倒的な反撃の幕が開けようとしていた。

 

「さて……随分と痛い目に合わせてくれたが、ここから先は俺たちの手番だ」

 

ベニマルが愛刀『紅蓮』を正眼に構えると、その刀身に黒い輝きを放つ、陽炎のような揺らめきが纏わりついた。

 

限定究極贈与『陽炎之王(アマテラス)』の権能の象徴――実体を持たぬ隠形法にして、太陽の如き超高熱を宿す『陽炎』だ。

 

ベニマルは背後の二人へと視線を向けることなく、その黒き陽炎の火の粉を彼らの武器へと飛ばした。

 

「ヒイロ、親父殿! 今の俺たちなら、奴らの異常な防御も斬り裂ける。俺が仕留める、道をこじ開けてくれ!」

 

「応ッ!!」

 

ヒイロの長巻とキエンの刀にも、ベニマルの手によって同じ黒き輝きが宿る。

その直後、二体の異形が無機質な三つの赤い瞳をギラつかせ、再び影の茨を四方八方から放ってきた。

だが、彼らはもう避けることすらしない。

 

「オオオオッ!!」

 

ヒイロが猛然と踏み込み、長巻を大きく一閃する。それに合わせ、キエンが長年の戦士としての勘と洗練された太刀筋で死角を完璧にカバーするように斬り込んだ。

息の合った二人の連撃。黒き陽炎を纏ったその刃は、先程までシオンの因果律操作すらも透過していた不気味な茨に触れた瞬間――。

 

実体のない熱線の如く敵の歪な法則をすり抜け、同時に太陽の如き超高熱となって、茨を概念ごと容易く焼き切った。

 

「道は開いたぞ、ベニマル!!」

 

ヒイロとキエンの完璧なコンビネーションにより、二体の異形の真正面へと続く活路が切り拓かれた。

 

「助かる。……消え失せろ。朧、黒炎斬!」

 

静かな呟きと共に、ベニマルがその活路を疾風の如く駆け抜け、一閃を振り抜いた。

 

放たれた黒き陽炎の斬撃は、二体の異形を一直線に飲み込んだ。

いかなる常識外れの再生能力も、究極の領域に至った絶対の熱量の前には無意味だ。

悲鳴を上げる間も与えず、肉体を構成していた不気味な呪詛ごと塵一つ残さず焼き尽くす。

 

完全に消滅した異形の跡を見て、キエンは手にした刀を下ろし、背中を預け合って息を吐くかつての若武者たち――ベニマルとヒイロの頼もしい背中を見つめた。

 

「……二人とも、本当に立派な戦士になったな」

 

族長として、そして親代わりとして二人を見守ってきたキエンの言葉には、誇らしさと深い感慨が滲んでいた。

 

「族長……。そう言っていただけると、俺もここまで戦い抜いた甲斐がありましたよ」

 

ヒイロが少し照れくさそうに鼻の頭を擦りながら笑う。

 

「ええ。親父殿の完璧な援護があったからこそ、俺もこの強大すぎる力を制御することに専念できました。流石の太刀筋でしたよ」

 

ベニマルもまた、ふっと誇らしげに口角を上げて自身の父に敬意を示した。

 

一方、少し離れた場所で残る一体を相手取っていたシオンもまた、残虐な笑みを浮かべて大太刀を振り上げていた。

異形が剛力丸の刃を素手で受け止めようと、無数の影を盾にする。

先ほどまでシオンの因果律操作をすり抜けていた絶対防壁だ。

 

「無駄です。私は『結果』を、既に上書きしましたからね」

 

限定究極贈与『暴虐之王(スサノオ)』

 

対象の意志や法則すらも完全に捻じ伏せる、究極の暴力。

シオンが気合と共に剛力丸を振り下ろす。

刃が物理的に触れるより早く、空間そのものが「断たれる」という絶対的な結果に支配された。

 

――ズバァァァンッ!!

 

一切の手応えすらなく、異形の巨体と無数の影が唐突に十字に裂ける。

絶対的な法則すらも強引に破壊するシオンの狂刃の前に、その怪物は再生の糸口すら掴めないまま崩れ落ちた。

 

完全に肉体が消え去る直前、三体の悪魔たちの瞳からあの不気味な『赤い三つの瞳孔』がスッと抜け落ちるように消滅した。

 

肉体を支配していた得体の知れない謎の存在の影響が、究極の力によって強制的に断ち切られたのだ。

 

異常な呪詛と肉体を失ったことで、縛られていた彼ら本来の悪魔としての核が解放される。

 

浄化された三つの魂は、まるで本来の主であるヴィオレの気配に一礼するかのように淡く光ると、そのまま静かに悪魔界へと還っていった。

 

「ふう……流石私ですね! 素晴らしい結果です!」

 

「……未来のリムル様のおかげで助かったな」

 

シオンが自画自賛して胸を張り、ヒイロとキエンが深く安堵の息を吐く。

どうやら、地上へ迫っていた脅威は完全に排除できたようだ。

 

 

 

 

そして、上空。

 

「あははっ! すごい、すごいよコレ! ボクの毒が、世界そのものを殺してるみたい!」

 

歓喜に打ち震えるヴィオレの周囲には、限定究極贈与『死毒之王(サマエル)』の権能によって生み出された、目に見えない『死の領域』が展開されていた。

 

「アガガ……ワタシト……!!」

 

ラキュアが狂ったように無数の漆黒の茨を放つ。

 

だが、それらが俺やヴィオレに届くことはない。

 

彼女の領域に触れた瞬間、あらゆる法則を無視するはずの厄介な茨が、まるで寿命を迎えた枯れ木のようにボロボロと崩れ去っていくのだ。

 

「リムル様に触れるなんて、絶対に許さないよ。キミはここで、ボクの毒に溶けて目を覚ましなよ!」

 

ヴィオレが細剣を優雅に振るうと、深淵の毒がラキュアの異形を包み込み、その悍ましい呪詛のオーラをゴリゴリと削り取っていく。

 

「ギャアアアアアアッ!!」

 

額に埋め込まれた『紫縛の宝珠(カース・オーブ)』の力で異常に膨れ上がっていた絶対防御が、理不尽な毒の浸食によって完全に崩壊していく。

 

肉体を支配していた「得体の知れないモノ」の繋がりが、ヴィオレの究極の力によって強制的に引き剥がされようとしていた。

 

「よくやった、ヴィオレ! そのまま奴の動きを抑え込め!」

 

「うんっ! 任せて、リムル様!」

 

ヴィオレがさらに魔力を高め、毒の鎖でラキュアの四肢を完全に空間へ縫い付ける。

 

俺はその決定的な隙を見逃さず、一気に距離を詰めた。

 

シエルの演算によって導き出された、一切の無駄がない最適解の軌道。

 

原初の悪魔と魔王による、暴走した配下へ引導を渡すための連携攻撃が、今まさに放たれようとしていた。

 

空間に毒の鎖で縫い付けられ、もがき苦しむラキュア。

その額では、元凶である『紫縛の宝珠(カース・オーブ)』が断末魔のように危険な明滅を繰り返している。

 

「悪いが、その気味の悪い力ごとここで終わらせてもらうぞ」

 

「ふふっ、リムル様と一緒にボクがお仕置きしてあげる。感謝しなよ、ラキュア!」

 

俺が刀を上段に構え、究極の権能を刀身に集中させると同時。

ヴィオレもまた、両手の爪に極大の死毒を纏わせて俺の隣へと並び立った。

 

「「――ハアアアアッ!!」」

 

俺とヴィオレは完全に息を合わせ、夜空を蹴って同時に踏み込んだ。

空気を切り裂く二筋の閃光。

俺の刀が、ラキュアの額に埋め込まれた『紫縛の宝珠』を真っ向から両断し、同時にヴィオレの凶悪な爪撃が、彼の肉体に深く根を張っていた呪詛の核を正確に貫いた。

 

――ガアァァァァァンッ!!!

 

激しい光と魔素の奔流が夜空に弾けた。

法則を無視する力で強固に護られていたはずの宝珠は、俺と原初の悪魔による渾身の連携攻撃の前にあっけなく粉砕され、莫大な紫色の呪詛となって四散していく。

 

「ガ……ア……」

 

くぐもった呻き声を最後に、ラキュアの瞳から不気味な『三つの赤い瞳孔』がスッと抜け落ちるように消滅した。

彼を操り、異常な力を与えていた得体の知れない存在からの干渉リンクが、完全に断ち切られたのだ。

 

呪詛と謎の存在の影響を失ったラキュアの歪な肉体は、まるで砂の城のようにボロボロと崩れ落ち、やがて塵となって夜風に溶けていく。

そして、異常な呪縛から解放されたラキュア本来の存在だけが、悪魔界へと還っていった。

 

「まったく、ボクの手を煩わせるなんて…。予定よりもきついおしおきをしないとね。」

 

ヴィオレが呆れたように、しかしどこか主としての責任を果たしたような落ち着いた声をかける。

 

その言葉に一礼するかのように、ラキュアの魂は淡く明滅し、先ほど地上で散った三体の悪魔たちを追うように、静かに悪魔界へと還っていった。

 

「……終わったな」

 

「うんっ! リムル様との共闘、すっごく楽しかったよ!」

 

刀を鞘に納めた俺に向かって、ヴィオレが無邪気な笑みを向けてくる。

俺は彼女の働きに頷いて応えつつ、呪詛の消え去った静かな夜空を見上げた。

 

(ひとまずはこれで片付いたか。……だが、あの存在。あれだけは絶対に、このまま放置しておくわけにはいかないな)

 

得体の知れない不気味な敵に対する警戒を密かに胸に刻み込み、俺はヴィオレと共に、ベニマルたちの待つ地上へとゆっくりと降下していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、爽やかな朝の光がラージャの王都を優しく包み込んでいた。

昨夜の内に、ラキュアたちが得体の知れない何者かに乗っ取られて暴走していたこと、そしてそれを完全に退治したという事の顛末は、トワや大臣たちにすべて説明してある。

 

ラージャの命脈を脅かしていたティアラの呪詛、そして湖に溜まっていた毒の問題は、昨夜のうちに俺とシエルの手によって完全に解決していた。

もうトワが自らの命を削って結界を維持する必要もなければ、民が毒に怯える必要もない。

王宮の広場に集まったラージャの人々の顔には、長年彼らを縛り付けていた暗雲が嘘のように晴れ渡り、誰もが心からの安堵と喜びに満ちた表情を浮かべていた。

 

「リムル様、本当に何から何までありがとうございました。この御恩は、ラージャの国が存在する限り、末代まで語り継がせていただきます」

 

トワが民を代表するように、俺の前で深く深く頭を下げた。

その瞳には、感謝の涙がじんわりと滲んでいる。

 

「いやいや、頭を上げてくれ、トワさん。俺たちもラージャの美味いものをたくさんご馳走になったし、お互い様さ。それに、これでおしまいってわけじゃないだろ?」

 

俺が苦笑交じりにそう言うと、トワは不思議そうにパチクリと瞬きをした。

俺は彼女に安心させるような笑みを向け、これからの両国の未来についての提案を口にする。

 

「毒の問題は片付いたけど、ラージャのこれからの発展には、まだまだやることが山積みのはずだ。そこでさ、良ければテンペストと正式に技術提携を結ばないか?」

 

「技術、提携……ですか?」

 

「ああ。ラージャとテンペストを繋ぐ街道を整備して、物流を活発にしたいんだ。それに、今回の悪魔たちの件を踏まえて、王都の周囲に非常時用の強力な『結界』を設置する術式も、うちの技術者を派遣して提供しようと思っている。国境の警備や防衛にも役立つはずだ」

 

俺の言葉に、トワだけでなく、後ろに控えていたヒイロやラージャの重臣たちからも一斉に驚きと歓喜のどよめきが上がった。

魔国連邦(テンペスト)の持つ高度な魔導技術や街道整備のノウハウは、近隣の人間社会でも破格のものとして知られ始めている。

それを無償に近い形で提供しようというのだから、驚くのも無理はない。

 

「そんな……そこまでしていただいて、よろしいのですか……!?」

 

「もちろん。困った時はお互い様だし、ラージャが豊かになれば、うちとしても良い交易相手が増えて万々歳だからな。何か困ったことがあれば、いつでもテンペストを頼ってくれていいぞ」

 

「はい……! ありがとうございます、リムル様……!」

 

トワは胸に手を当て、今度こそ溢れそうになった涙を堪えながら、満面の笑みを浮かべた。

 

そんな和やかな外交のやり取りが一段落したところで、俺たちの後ろに控えていたヒイロが、意を決したように一歩前に踏み出した。

彼はオーガの里の生き残りであり、キエンにとっては一族の誇り高い同胞だ。

だが、彼はこのラージャの地に留まり、トワの側に残ることを決意していた。

 

ヒイロはキエンの前に立つと、かつての族長に対して申し訳なさそうに、しかしその眼差しには揺るぎない確かな覚悟を宿して、深く頭を下げた。

 

「族長……本当にすみません。皆と離れ、ここに残りたいという我がままを言って……」

 

大鬼族(オーガ)の誇りを胸に、一度は生き別れた同胞たちと共にテンペストで歩む道もあったはずだ。

それでも、自分が命を救われ、心から守りたいと願ったトワの側を支え続けること。

それがヒイロの選んだ生き方だった。

 

そんなヒイロの言葉を受け、キエンは厳格な顔つきを崩さないまま、しばらく無言で彼を見つめていた。

広場に一瞬、張り詰めた静寂が流れる。

だが、キエンはふっと目元を和らげると、静かに首を振った。

 

「何を言っている。ヒイロ、お前が自らの意志で選んだ道なのだ。ならば我らは、それを尊重するだけよ」

 

キエンはヒイロの逞しい肩に、優しく、しかし力強く手を置いた。

 

「お前がどこにいようと、大鬼族の絆が消えるわけではない。……里の皆もお前のことを心配し、そして誇りに思っている。いつでも尋ねてくると良い。どのような時であれ、温かく迎えるだろう」

 

「族長……。ありがとうございます……!」

 

キエンの器の大きい、慈愛に満ちた返答に、ヒイロは救われたような表情を浮かべた。

そこに、ベニマルがゆっくりと歩み寄り、ヒイロのもう片方の肩を軽く叩いた。

 

「兄者の覚悟、確かに見届けたぞ。トワ様の背負う重荷を、これからはお前が半分背負って差し上げるんだ。いいな?」

 

「ああ、ベニマル。分かっている。この命に代えても、トワ様とラージャの民を護り抜いてみせる」

 

二人の義兄弟が、言葉少なげに、しかし男同士の固い信頼を交わして視線を結び合う。

ベニマルの言葉にはどんな選別の贈り物よりも重い情義が込められていた。

 

すると、ベニマルの後ろからシオンも一歩前に出て、大太刀『剛力丸・改』の柄に手を当てながら、いつもの凛とした声でヒイロに告げた。

 

「ヒイロ…いえ、ここは敢えて兄者と呼ばせてもらいます。私からも言葉を贈らせてください。もし、その強い覚悟を忘れてトワ様を泣かせるようなことがあれば……このシオンがいつでもテンペストから飛んできて、貴方を細切れにしますからね?」

 

「お、おい、シオン……」

 

ベニマルが引き攣った笑みで宥めようとするが、シオンの本質はヒイロを激励することにある。

彼女なりの、不器用だが真っ直ぐな応援の形だ。

ヒイロはシオンの物騒なセリフに一瞬呆気に取られたものの、すぐにハハハと豪快に笑い声を上げた。

 

「くくくな。そいつは恐ろしいな。シオン、お前に細切れにされないためにも、一生を賭けてトワ様を幸せにしてみせるよ」

 

「ふふっ、良い返事です。その言葉、違えてはなりませんよ」

 

シオンも満足そうに微笑み、トワもまた、ヒイロがテンペストの仲間たちからこれほどまでに深く愛され、信頼されていることに胸を打たれ、微笑ましそうに彼らのやり取りを見守っていた。

 

「それじゃあ、俺たちはそろそろ行くよ。みんな、元気でな」

 

別れの挨拶を終えた俺は、ベニマルやシオン、キエン、そしていつの間にか定位置のように俺の隣へ陣取り、これからの旅路に目を輝かせてご機嫌に笑っているヴィオレへと視線を向けた。

 

俺たちは見送ってくれるトワやヒイロ、そしてラージャの人々に大きく手を振り返す。

 

一連の騒動を無事に解決し、かつてないほど破格の新たな仲間を連れての帰路。

俺は『空間転移』の術式を構築しながら、最後にラージャの澄み渡る青空を一度だけ見上げた。

 

「さあ、出発だ」

 

俺の言葉を合図に空間が歪み、俺たちの身体を淡い光が包み込む。

穏やかな満足感を胸に抱きながら、俺たちはトワたちが見守る中、眩い光に包まれてその場から姿を消したのだった。

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