【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第八章 新たなる悪魔公とテンペストの守護竜

ラージャ小亜国を後にした俺たちは、真っ直ぐテンペストへ帰還する前に、まずは大鬼族(オーガ)の隠れ里へと短い立ち寄りをした。

 

ラージャでの騒動に力を貸してくれた族長のキエンを無事に送り届けるためである。

里ではキエンの妻たちが彼の帰りを心待ちにしており、俺は彼女たちに向けて、ヒイロがラージャに留まり国を支える道を選んだことなど、今回の顛末をかいつまんで説明しておいた。

 

ヒイロの無事を知って涙ぐみながら安堵する彼女たちと、改めて深く頭を下げるキエンに見送られ、俺たちは再び『空間転移』の術式を構築した。

 

そして――短い寄り道を経た俺たちは、今度こそ我が家である魔国連邦(テンペスト)へと転移し、無事に帰還を果たしたのだった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「さてと。帰還するって連絡はあらかじめ入れておいたが、ラージャでの詳しい顛末をちゃんと報告しないとな」

 

西側の正門をくぐり、見慣れたテンペストの街並みへと足を踏み入れた、その時だった。

 

「おおおお! リムル様、未来のリムル様ぁぁっ!」

 

鼓膜を震わせるような豪快な声と共に、筋骨隆々のゴブリンロード――リグルドが猛スピードで駆け寄ってきた。

その後ろからは、ふわりと微笑むシュナが優雅な足取りで続いている。

 

「お帰りなさいませ、未来のリムル様。兄様やシオンも、ご無事で何よりです」

 

「ああ、ただいま戻った」

「留守をご苦労様でした、シュナ様」

 

シュナの言葉に、ベニマルが優しく頷き、シオンも笑顔で応える。

 

「ただいま、シュナ、リグルド。急に出かけちまって心配かけたな」

 

俺が手を挙げて労うと、リグルドは感極まったように深く平伏した。

 

「とんでもございません! 皆様がお怪我なく戻られたこと、このリグルド、感無量でございますぞ! 留守の間、街の管理も抜かりなく行っておりました!」

 

「ああ、ありがとう。いつも助かるよ」

 

俺が笑って頷いたところで、ふと、シュナとリグルドの視線が、俺の隣でテンペストの街並みを珍しそうにキョロキョロと見回している小柄な少女――ヴィオレへと向けられた。

 

「未来のリムル様。そちらの見慣れない可愛らしい方は……?」

 

シュナが不思議そうに小首を傾げる。

俺は軽くヴィオレの肩を叩いて紹介した。

 

「ああ、こいつはヴィオレ。向こうで新しくスカウトした仲間だ」

 

「よろしくね! 未来のリムル様直属のお世話係だよ!」

 

ヴィオレが無邪気に笑って挨拶をすると、リグルドは「おお! 新たなお仲間ですな! 我らテンペストは心より歓迎いたしますぞ!」と豪快に笑い、シュナも「ふふっ、よろしくお願いしますね、ヴィオレさん」と優しく微笑み返した。

 

挨拶が一段落したところで、シュナが少しだけ心配そうな表情を浮かべて俺を見つめてくる。

 

「あの……ヒイロ兄様や、ラージャでの一件は、無事に解決したのでしょうか?」

 

「ああ、ばっちり解決したよ。その辺りの詳しい話は、これから過去の俺のところでまとめて説明するつもりだ。シュナも一緒に来て話を聞いてくれ。それとリグルド、お前にも後で頼みたいことがあるから一緒に来てくれるか?」

 

俺がそう言うと、二人は「はい!」と力強く頷いた。

 

皆を引き連れて歩き出しながら、俺は『思念伝達』を使って過去の俺へと直接呼びかけた。

 

『――おーい、過去の俺。今、西側の正門に戻ってきたぞ』

 

『おお、おかえり! 予定通り無事に終わったみたいだな。お疲れさん。……ていうかお前、出発前は「夕飯までには終わらせて帰ってくる」とか言ってたのに、結局翌日までかかってるじゃないか』

 

『そういうなよ。あっちでも色々あってな。相手が原初だったりした割には、これでも十分早かっただろ?』

 

『ははは、違いない。で、俺は今、執務室にいるよ』

 

『了解だ。これからそっちに向かって、事の顛末を詳しく報告する』

 

『ああ、分かった。こっちも今ちょうど、ディアブロたちとこれから先のファルムスの件について事前の相談を始めようとしていたところだから、そのまま待ってるよ』

 

通信を終えて、俺は横を歩くベニマルとシオンに振り返った。

 

「悪いが、ベニマル、シオン。お前たちもこのまま執務室まで付き合ってくれ。ラージャでの一件の報告に、証人として同席してほしいんだ」

 

「はっ。承知いたしました」

「もちろんです、リムル様!」

 

二人が快く頷いてくれたのを確認し、俺たちは皆で連れ立って中央の執務館へと歩を進めた。

 

(……それにしても、執務室にはディアブロの気配もあるな。間違いなくヴィオレと鉢合わせすることになるが……まあ、自分の時代でもあの二人はなんやかんやで上手く(?)やってるんだし、何とかなるだろ)

 

俺は少しだけ厄介事の気配を感じつつも楽観視しながら、執務室の扉の前へと到着した。

 

その頃、執務室の中では、これから実行に移すファルムス王国への対応作戦について配下たちと相談を始めたところであった。

ディアブロの配下である二柱の上位魔将(アークデーモン)――センナとディオンも同席している。

 

「――ディアブロ様。ファルムス王国の王族および主要貴族たちの身辺調査、ならびに弱点の洗い出しはすでに完了しております」

 

銀灰色の髪を持つ小柄な少年、センナが丁寧な敬語で頭を下げる。

生面目で実直な実務家である彼は、主の命を完璧に遂行すべく、寸分の狂いもない入念な事前準備を終えていた。

 

それに続くように、大柄で屈強な体躯を持つディオンが、感情の読めない無機質な低い声で重ねる。

 

「……ええ。センナの調べ上げた情報を元に、対象を『従順』にさせるための物理的・精神的な仕掛けの用意も抜かりなく進んでおります」

 

二人の言葉を聞き、傍らに控えていたディアブロが「クフフフフ」と悪魔らしい優雅な笑い声を漏らす。

 

「素晴らしい。これから幕を開けるのは、リムル様の偉大なる計画の第一歩。我々で完璧な『喜劇』の舞台を用意しましょう」

 

頼もしい悪魔たちの報告を聞き、過去の俺は少しだけ釘を刺すように口を開いた。

 

「やり方はお前たちに任せるけど、くれぐれもやりすぎないでくれよ? 国を乗っ取るのが目的であって、滅ぼすわけじゃないんだからな」

 

「クフフフ。ご安心を。リムル様の御心に沿うよう、繊細に立ち回ってご覧に入れます」

 

ディアブロが恭しく一礼し、センナとディオンもそれに続いて深く頭を下げた、その時だった。

 

ディアブロの動きがピタリと止まり、その切れ長の目をスッと扉の方へと向けた。

過去の俺もまた、真なる魔王としての感知能力で『それ』に気が付き、ペンを置いて顔を上げる。

 

「この気配……未来の俺が帰ってきたみたいだな。シュナやリグルドも一緒のようだが……ん? ベニマルやシオンたちの他に、何か見知らぬ悪魔の気配が混ざってないか?」

 

「ええ。この禍々しくも懐かしい、鬱陶しい気配……まさかとは思いますが」

 

ディアブロが目を細め、静かに立ち上がった直後。

ノックの音と共に扉が開き、俺たちが執務室の中へと足を踏み入れた。

 

「おう、過去の俺。無事に帰ってきたぞ。シュナやリグルドも入り口で出迎えてくれてな、一緒に連れてきた」

 

「お帰り、未来の俺。みんなもご苦労だったな」

 

過去の俺が労いの言葉をかけつつ、その視線は俺を通り越し、背後に立っている小柄な少女へと向けられた。

 

「……ところで未来の俺。その後ろの女の子は一体誰なんだ? かなり高位の悪魔っぽく見えるけど」

 

少し怪訝そうな顔をする過去の俺の前に、ヴィオレが一歩進み出て、優雅に、かつ無邪気な笑みを浮かべて挨拶をした。

 

「はじめまして、過去のリムル様! ボクは原初の紫(ヴィオレ)。……うんっ、やっぱり流石はリムル様だね。未来のリムル様ほどじゃないけど、今のキミでも既にボクを超えるほどの凄まじい力を持ってるんだね!」

 

ヴィオレの屈託のない挨拶を受け、過去の俺はゆっくりと俺の方へ首を向けた。

そして呆れと疲労が混じった思念を飛ばしてきた。

 

(……おい、未来の俺。呪毒の元凶である原初と話をつけてくるって事は聞いていたが、まさかその原初本人を仲間に引き入れて連れて帰ってくるなんて、俺は一言も聞いてないんだが?)

 

(いやあ、向こうでちょっと一悶着あってな。その流れで成り行きでスカウトしたら、すっかり俺のことを気に入ってついてきちゃったんだよ)

 

俺が頭をかきながらごまかすように答えると、過去の俺は大きなため息を吐いた。

 

(成り行きで原初をスカウトって……お前なぁ。ただでさえ今、ディアブロの態度とファルムスの件で手一杯なのに、これ以上厄介事を増やしてどうするんだ)

 

(まあまあ、そう言うなよ。こいつもディアブロに負けず劣らずめちゃくちゃ有能だし、放っておいてもどうせそのうちテンペストに押しかけてくる運命だったんだから、早いか遅いかの違いだろ?)

 

(はぁ……。お前が言うならそういうことなんだろうけど。本当に俺の精神が持つかどうか心配になってきたぞ……)

 

過去の俺は内心で深々とため息をつきつつも、やがて気を取り直し、再び魔王としての威厳を纏ってヴィオレへと向き直った。

 

「……よろしく、ヴィオレ。未来の俺から話は聞いてると思うが、名付けは俺から行うことになる。実質的には俺の配下となるわけだが、それでいいのか?」

 

「もちろん! 過去も未来も、ボクにとってはどっちも大好きな『リムル様』だからね!」

 

その無邪気で嬉しそうな宣言に、傍らで控えていたディアブロが慇懃無礼な態度で大げさに肩をすくめ、割り込んできた。

 

「おや、これはこれは……原初の紫(ヴィオレ)ではありませんか。未来のリムル様、ラージャの呪いの元凶を退治しに行かれたと伺っておりましたが……まさか、同格たる貴女がのこのこと姿を現し、あまつさえリムル様に気安く擦り寄るとは」

 

「扉の外から鬱陶しい気配がすると思ってたけど、気配の通りやっぱり黒(ノワール)もここにいたんだね。相変わらず気持

ち悪い笑い方してさ!」

 

顔を合わせた瞬間、二柱の悪魔の間でバチバチと火花が散り始めた。

しかし、その二人の不穏なやり取りを聞いていた過去の俺は、目を見開いて完全に硬直していた。

 

「……おい、ちょっと待て。同格? 黒(ノワール)って……未来の俺、お前まさか……ディアブロのやつも『原初』なのか!?」

 

過去の俺が、信じられないものを見るような顔で俺を問い詰めてくる。

 

「あー……。そういえば、お前にははっきりとは言ってなかったっけ?」

 

「聞いてないぞ!! お前、俺に知らないうちに原初の悪魔に名付けをさせてたのか!? そういう大事な事はちゃんと話しておいてくれよ!」

 

「あれ? おかしいな……ディアブロを紹介した時に、『こいつ原初の黒なんだけど』ってちゃんと説明したつもりだったんだが……」

 

俺が記憶を掘り起こそうと首を捻っていると、脳内に極めて冷ややかな声が響き渡った。

 

《……マスターは、過去のマスターが進化の眠りについている最中に、カバルたちの前でうっかり口を滑らせただけで、過去のマスターご本人には一切説明しておりません》

 

(…そうだったな。完全に本人にも説明した気になってた……)

 

シエル先生からの的確で容赦のないツッコミに、俺は思わず冷や汗を流した。

 

「い、いやぁ、悪いな! 色々と忙しくて、すっかり言った気になってた! でもほら、うちの相棒(シエル)のサポートで無事に名付けも成功したし、超有能な秘書が手に入ったんだから結果オーライだろ? な?」

 

「『な?』じゃないよ! 『うっかり言い忘れてた』で済ませるって、お前、最近随分と神経が図太くなってないか……?」

 

ジト目で俺を見てくる過去の俺。

そんな主の動揺を余所に、同格の原初が同じ空間に揃うという異常事態に、周囲の者たちはさらに追い詰められていた。

 

センナとディオンは、直属の上司であるディアブロと、それに全く引けを取らない存在感を示すヴィオレの圧を感じ取り、僅かに緊張を滲ませている。

リグルドもまた、悪魔たちが放つ威圧感に太い汗を流して完全に固まっていた。

 

「クフフフ。私はすでにリムル様より『ディアブロ』という素晴らしい名を賜り、魂の繋がりを得た筆頭配下。そして、こちらのセンナとディオンも名を賜っております。……未だ名もなき貴女が、リムル様の御前に気安く立ってよいはずがありませんよ?」

 

ディアブロが、先に名を貰っているという古参(?)としての余裕を見せつけ、マウントを取る。

 

しかし、ヴィオレも負けてはいない。

彼女はふんっと鼻を鳴らし、俺の腕にギュッと抱き着いてみせた。

 

「はぁ!? ボクは『未来のリムル様』から直接、この専用の依り代をもらって直々にスカウトされたんだからね!」

 

ヴィオレは俺の腕にすり寄ったまま、ディアブロを見据えて挑発的に舌を出した。

 

「キミは『過去のリムル様』の秘書として、ファルムスの件とかで忙しいんでしょ? だったら、ボクが『未来のリムル様』の身の回りのお世話を、専属で務めさせていただくよ!」

 

「……ほう? この私を差し置いて、リムル様の専属になると?」

 

ディアブロの笑顔がピキリとひび割れ、室内の魔素濃度が危険なレベルにまで跳ね上がりそうになる。

 

過去の俺は静かにため息をつき、「……言わんこっちゃない。原初同士が顔を合わせればこうなるに決まってるだろ」と、これから先の苦労を思って心底呆れた様子を見せていた。

 

「まあまあ、二人とも俺の大切な配下なんだから、仲良くしろよ。ディアブロも、これからファルムスの件で忙しくなるし、センナとディオンの教育もあるだろ? ヴィオレが俺の手伝いをしてくれるのは助かるんだよ」

 

俺が苦笑いしながら宥めると、シュナもまた、絶妙なタイミングで淹れたてのお茶をテーブルに並べ始めた。

 

「ふふっ。お二人ともそれくらいにして、温かいお茶を召し上がって落ち着いてください。ヴィオレさんも、どうぞ」

 

「ありがとう! シュナさんって呼べばいいのかな?」

 

「ふふっ…私の事はシュナでかまいませんよ」

 

シュナの堂々としたもてなしと笑顔に、ディアブロは「……リムル様とシュナ殿がそう仰るなら」と渋々引き下がり、ヴィオレは「ふふんっ」と勝ち誇ったように胸を張った。

 

どうやら、この二人の力関係というか、言い争いには今後も苦労させられそうだ。

 

「はぁ……。まあ、お前がちゃんと制御できてるなら文句は言わないよ。……それで? ラージャの件はどうなったんだ?」

 

気を取り直した過去の俺が、真剣な顔つきで本題を切り出した。

俺はベニマルやシオンに目配せをし、彼らにも補足してもらいながら、同席するシュナやリグルドたちにも向けて、ラージャ小亜国で起きた出来事の顛末を説明した。

 

トワの呪いを完全に解呪し、毒の湖を浄化したこと。

ヒイロがトワの側に留まり、これからもラージャを支えていく決断をしたこと。

俺の報告を聞き、過去の俺はホッと安堵の息を吐いた。

 

「そうか……ヒイロの奴、自分の居場所を見つけたんだな」

 

「はい。兄様、ご自分の進むべき道を見つけられたのですね……本当によかったです」

 

過去の俺だけでなく、入り口で心配そうにしていたシュナも、胸の前で手を組みながら心底嬉しそうに微笑んだ。

 

「兄者の覚悟、しかと見届けてまいりました。……それに、未来のリムル様から賜った力で、少しだけ暴れさせてもらいましたので」

 

「ええ! 本当に素晴らしい経験でした!」

 

ベニマルとシオンの言葉に、過去の俺が不思議そうに首を傾げた。

 

「未来の力って、どういうことだ?」

 

その問いに対し、俺は少しだけ声を落とし、室内の空気を引き締めるように語り始めた。

 

「……実はな、ラージャで工作をしていた悪魔……そいつらが、得体の知れない『何者か』に肉体を乗っ取られ、完全に暴走していたんだ」

 

「乗っ取られていた?」

 

過去の俺が静かに眉をひそめる。

 

「ああ。そいつらの両眼には、ファルムス戦の時に干渉してきた幻影と同じ『三つの赤い瞳孔』が浮かび上がっていた。……以前推測した通り、何者かの影響を受けた悪魔たちは、魔法やスキルといったこの世界の法則を完全に無視してきたよ。だから、普通の攻撃じゃ全く歯が立たなかった」

 

俺の言葉に、執務室の空気が一段と冷え込む。

過去の俺も、傍らに控えるディアブロたちも、その異常事態の重さを瞬時に察知した。リグルドも厳しい表情で深く頷いている。

 

「だが、原因は分からないが、俺の能力なら奴らの不可解な防御も突破して攻撃が通ることが分かってな」

 

過去の俺が「なるほどな」と納得して呟くのを確認し、俺は話を繋げる。

 

「そこで、奴らを確実に仕留めるために、ベニマルたちに『未来で得るはずの究極の力』を一時的に付与したってわけだ。……ちなみに、実際に使ってみてどうだった?」

 

俺がそう話を振ると、ベニマルが自身の掌を見つめ、信じられないものを見るような目で、かつ恐れを抱いたような複雑な表情を浮かべた。

 

「……正直に言うと、未だに背筋が震えるような感覚が残っています。あの『陽炎之王(アマテラス)』という力……あれは、俺が扱っている黒炎や魔素制御の次元を遥かに超えていました。世界の理そのものを我が手で書き換えているような全能感と、同時に一歩間違えれば自己の魂ごと燃え尽きてしまいそうな危うさがありました」

 

「私もです、リムル様」

 

シオンが珍しく真剣な、どこか張り詰めた面持ちで言葉を続ける。

 

「『暴虐之王(スサノオ)』の権能を纏った瞬間、私のユニークスキル『料理人』の事象改竄能力が、まるで赤子の遊びのように思えるほどの絶対的な法則破壊の力を感じました。理屈を無視して、ただ『私が望んだ結果を世界に強制する』という暴力……。あの力を完全に制御するには、今の私の精神では、あまりにも未熟すぎると痛感いたしました」

 

ベニマルもシオンも、戦士としての本能で理解しているのだ。

あの力が、どれほど破格で、そしてどれほど危険な領域の権能であるかを。

 

そして、その隣でヴィオレが、いつもの小悪魔的な笑みを浮かべつつも、その瞳の奥にギラギラとした底知れない執着の光を宿して俺を見上げてきた。

 

「ボクもびっくりしちゃった。限定究極贈与『死毒之王(サマエル)』だっけ? あんなデタラメな深淵の毒、原初であるボクの知識にすら無かったよ。世界そのものを消滅させるような感覚……。ねえ、リムル様? あれが『未来のボクの力』だって言ったよね? ということは、ボクが本当にリムル様の配下になったら、またあの力をくれるの?」

 

ヴィオレは期待を込めて俺の顔を覗き込んでくる。

魂の繋がりがないにも関わらず、俺を介してあれほどの権能を一時的にでも完全に行使させられたのだ。

 

彼女にとって、俺という存在の底知れなさは、もはや抗いがたい魅力に映っているのだろう。

ディアブロもまた、同格であるヴィオレが振るったという未知の「究極の力」の話を聞き、その切れ長の目を極限まで細めて強い興味と羨望を滲ませていた。

 

俺は彼らの反応をしっかりと受け止め、ふっと笑ってベニマルとシオンを見据えた。

 

「確かに、今の状態であの力を全開にすれば身の丈に合わず自滅する危険があった。だから昨日は、安全のために出力を抑えた『限定付与』って形を取ったんだ。ただ、配下になればまた力をくれるのかという問いへの答えだが――」

 

俺は二人の忠臣、そしてヴィオレの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「お前たちが望み、相応しい段階に至ったなら、いずれあのレベルの力を『究極贈与(アルティメットギフト)』として与える用意はある。……だが、強大な力ってのは、ただポンと与えられただけじゃ絶対に使いこなせないんだ」

 

「与えられただけでは、使いこなせない……?」

 

「ああ。あの絶大な権能を真の意味で制御し、自分のものにするには、お前たち自身の強い『意志』と、数々の強敵と戦い抜く『経験』が何よりも重要になる。俺が昨日貸し与えたのは、お前たちが到達し得る未来の可能性……いわば『器』としての雛形に過ぎない」

 

「我々自身の意志と、経験……」

 

ベニマルが掌を強く握り締め、シオンが息を呑む。

 

「だから、あの感覚を絶対に忘れるなよ。お前たちが自らの技術と精神を極限まで高め、その器に相応しい強靭な魂を手に入れた時、あの力は真の意味でお前たち自身のものになる。俺は、お前たちなら必ずそこへ到達できると信じているからな。もちろん、ヴィオレ、お前もだ。お前が強い意志を示せば、未来はいくらでも変えられるさ」

 

「……ふふ、やっぱり面白いね、リムル様は。ますますキミのことが気に入っちゃったよ」

 

ヴィオレは嬉しそうに目を細め、ベニマルとシオンは、俺の信頼に応えるように「はっ!」と力強く胸を張った。

彼らの瞳には、恐怖を乗り越えた先にある、さらなる強さを追い求める戦士としての新たな闘志の炎が静かに燃え上がっていた。

 

「……とまあ、それほどの非常識な力を使わなければならないほど、あの存在は厄介だったということだ」

 

俺の言葉に、ディアブロの表情からいつもの笑みがスッと消え去り、底冷えのするような冷酷な殺意が漏れ出した。

 

「……以前、少しお話を伺ってはおりましたが。そのような得体の知れない存在が、またしても未来のリムル様に敵意を向けてきたと……?」

 

ディアブロだけでなく、センナとディオンもまた、主を脅かす未知の存在に対し、静かだが確かな怒りを滲ませている。

 

「そういうことだ。今回は撃退できたが、奴らがこれで諦めるとは思えない。ファルムスの件や魔王達の宴(ワルプルギス)の準備と並行して、この『未知の脅威』に対しても最大限の警戒を払っておく必要がある」

 

「なるほどな……。俺の方でも、俺なりに情報収集と対策のシミュレーションを急ぐよ。……ディアブロ、センナ、ディオン。ファルムスの件を進めつつ、周辺諸国に怪しい動きや『赤い瞳の存在』に関する伝承がないか、情報収集の網を広げておいてくれ」

 

「クフフフ。御意のままに。……リムル様に仇なす愚か者どもには、私自らが極上の絶望を与えてご覧に入れましょう」

 

ディアブロが恭しく一礼し、センナとディオンもそれに続く。

ヴィオレもまた、「ボクの部下を勝手におもちゃにした落とし前、絶対につけさせてやるんだから」と鋭い爪を光らせていた。

 

その様子を静かに見守っていた過去の俺は、一つ頷くと、ヴィオレに向かって落ち着いた声で口を開いた。

 

「……さて。未知の脅威や、目前に迫った魔王達の宴に備えて、俺たちも戦力を盤石にしておく必要がある。ヴィオレ、先ほど約束した通り、正式に俺の系譜に加えるための『名付け』を今から行おうと思うが、準備はいいか?」

 

過去の俺の提案に、ヴィオレは目を輝かせて力強く頷いた。

 

「うんっ! もちろんだよ!」

 

過去の俺は、魔王としての威厳を纏ったまま、名付けのための思考を巡らせる。

 

(ええと、ディアブロの時はスーパーカーの車種から取ったんだよな。なら、こいつも同じ系統でいくか……)

 

過去の俺は静かに息を吸い込み、その運命の名を口にした。

 

「よし。お前の名前は……『ウルティマ』だ」

 

その名が紡がれた瞬間、空間が歪むほどの莫大な魔素が過去の俺から引き出され、紫の悪魔へと注ぎ込まれていく。

だが、過去の俺は微塵も揺らぐことなく、真なる魔王としての底知れぬ余裕を保ったまま、その莫大なエネルギーの奔流を静かに見守っていた。

 

「ああっ……! なにこれ、凄い……力が、魂の奥底から溢れてくる……!!」

 

眩い光の繭がウルティマを包み込み、そして晴れる。

そこに立っていたのは、俺が用意した特製の依り代を完全に馴染ませ、上位魔将(アークデーモン)から悪魔公(デーモンロード)へと劇的な進化を遂げた、ウルティマの姿だった。

 

彼女は自らの両手を見つめ、深淵のような紫の瞳を喜悦に細める。

 

「あははっ! 最高だよ、過去のリムル様、未来のリムル様! これでボクも、キミたちの正式な配下だね!」

 

無邪気に、しかし圧倒的な覇気を纏って微笑むウルティマ。

 

「ああ。これからよろしく頼むぞ、ウルティマ」

 

過去の俺が冷静に、かつ頼もしげに歓迎の言葉を述べると、ウルティマは淑女のように優雅に、そして恭しく一礼した。

 

「クフフフ。後輩ができたのは喜ばしいことですが……私や、あちらの真面目なセンナたちのように、リムル様の役に立てるようしっかりと精進することですね、ウルティマ」

 

「ふんっ、言われなくてもキミよりいっぱい働いて、リムル様にうんと褒めてもらうんだから!」

 

ディアブロの牽制にも、名を得て更なる力を手にしたウルティマは余裕の笑みで言い返す。

 

そんな原初同士の口喧嘩を軽く手で制しつつ、俺は執務室にいる面々を見渡して口を開いた。

 

「さて。色々と報告や顔合わせも済んだところだが……少しだけ、過去の俺と二人きりで話したいことがあるんだ」

 

俺がそう切り出すと、過去の俺は不思議そうに目を瞬かせた。

俺は構わず、傍らに控えるリグルドへと視線を向ける。

 

「リグルド。悪いが、ウルティマを連れて街の主要施設を案内してやってくれないか? それと、一通り案内が終わったら、ログルドのところへ引き合わせてやってほしい」

 

「ログルドのところへ、でございますか? 承知いたしました! ……して、その心は?」

 

「ああ。こいつには将来的に、テンペストの『検事総長』の職を任せようと思ってるんだよ。だから、そのための下準備というか、事前の顔繋ぎだな」

 

「なるほど! そういうことでしたらこのリグルド、謹んでご案内させていただきますぞ!」

 

「検事総長……悪いやつらを見つけて裁くお仕事だね! うんっ、面白そうだからボク行ってくる!」

 

リグルドが力強く胸を叩き、ウルティマも自身の新しい役割(おもちゃ)を与えられた子供のように目を輝かせて二人は連れ立って部屋を出て行った。

 

それを見送った後、俺はベニマルとシオンに向き直る。

 

「ベニマル、シオン。お前たちもラージャの件で色々と気を張って疲れただろう。今日のところはもう下がって、ゆっくり休んでくれ」

 

「はっ。お気遣い痛み入ります。……兄者の件、本当にありがとうございました」

「リムル様も、後ほどしっかりとお休みくださいね!」

 

二人が深く一礼して執務室を後にする。

最後に、俺はファルムス攻略の事前協議を行っていた三柱の悪魔たちへと声をかけた。

 

「ディアブロ、それにセンナとディオンも。過去の俺とファルムスの件について打ち合わせをしていたところ悪いが、今日はこの辺でお開きにしてくれないか」

 

「お気になさらず。未来のリムル様が仰るのであれば当然です。我々は別室にて、計画の準備を進めておきましょう」

 

ディアブロが優雅に一礼し、センナとディオンも静かにそれに倣って退室していく。

気を利かせたシュナも、「お茶のおかわりが必要な時はお呼びくださいね」と微笑みを残し、静かに扉を閉めた。

 

パタン、という微かな音が響き――執務室に残されたのは、俺と、過去の俺の二人だけとなった。

 

誰もいなくなった静かな部屋で、俺はふうっと小さく息を吐き、向かいに座る過去の俺へと向き直った。

 

「さて。二人きりになったところで本題だが……ラージャへ行く前に、俺が言いかけてた話があっただろ?」

 

「出かける前に……ああ、そういえば何か言おうとしてたな」

 

過去の俺が思い出したように頷くのを見て、俺は少しだけ口角を上げた。

 

「そろそろ……ヴェルドラのやつを出してやる時期だと思ってな」

 

俺の言葉に、過去の俺は「なるほど。その話か」と納得した様子だった。

 

「そうだな。俺が進化したおかげで『智慧之王(ラファエル)』先生の演算能力が跳ね上がって、無限牢獄の解析も完全に終わったみたいだからな。いつでも胃袋から出して、アイツとの約束を果たせる状態だぜ」

 

「だろ? だから、その解放の場所について一つ提案があるんだ」

 

「提案?」

 

過去の俺が不思議そうに首を傾げる。

俺は頷き、執務棟のさらに先――昨日まで盛大な宴を行っていた、テンペストの中央広場へと視線を向けた。

 

「俺の時は、ヴェルドラを解放する時にアイツと初めて出会った『封印の洞窟』の地下深くまで足を運んで、こっそり出したんだが……」

 

俺はそこでニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、過去の俺の肩にポンと手を置いた。

 

「いっそ、このままあの中央広場で解放して、テンペストの皆にバーンとお披露目しちまったらどうだ?」

 

「はぁっ!?」

 

過去の俺は目を丸くし、数秒のタイムラグの後に素っ頓狂な声を上げた。

 

「お、お前正気か!? ヴェルドラだぞ!? あの『暴風竜』だぞ! あんな天災レベルのバケモノを町のど真ん中で解放したら、溢れ出る妖気だけで町中が大パニックになるどころか、弱い魔物や人間は命に係わるだろ!」

 

全力で両手を振って抗議してくる過去の俺。

まあ無理もない。

俺の時だって全く同じ心配をして、わざわざ人目のつかない封印の洞窟の最深部まで足を運んだのだから。

 

「まあまあ落ち着け。実はあいつな、お前の胃袋の中で漫画を聖典とか呼んで読み漁ってたらしいんだが…」

 

「え? あいつ俺の中でそんなことしてるのか?なんというか、とんでもないやつだな…」

 

「そのおかげで、ヴェルドラのやつは自身の莫大な妖気の消し方を外に出てきてから数日で完璧にマスターしたんだよ。……まあ、本当に漫画の知識だけで制御できたのかは謎だけどな」

 

俺が呆れたように告げると、過去の俺は「マ、マンガで妖気の制御を……?」と間抜けな声を出して固まった。

 

「でも、出てきてすぐに制御ができるようになったわけじゃないんだろ?それだったらどのみち広場で解放するのは危険なんじゃないか?」

 

「ああ。だから、俺が事前にお前の胃袋に意識を潜り込ませて、ヴェルドラに特訓をするんだよ。出てきた瞬間からちゃんと妖気を抑えられるようにな」

 

俺の提案に、過去の俺は目を丸くしてパチパチと瞬きをした。

 

「お前の意識を、俺の胃袋の中に……? そんなことできるのか?」

 

「俺の相棒(シエル)と、お前の相棒(ラファエル)が協力すれば、精神リンクを繋ぐくらい造作もないさ。それに……」

 

俺はニヤリと口角を上げ、ヴェルドラのチョロい……もとい、素直な性格を思い浮かべた。

 

「あいつに『広場のど真ん中で復活した瞬間、妖気を完璧にコントロールして見せれば、皆の度肝を抜いて最高にクールだぞ』って吹き込めば、絶対にノリノリで特訓に付き合うはずだ」

 

「……あー、目に浮かぶな、その光景。確かにあいつ、そういうカッコつけには全力出しそうだし」

 

過去の俺も、胃袋の中の同居人の性格をよく理解しているのだろう。

呆れ半分、納得半分の様子で頷いた後、ふと冷静になって首を傾げた。

 

「それにしても、妖気の件はそれで解決するとして……広場の真ん中でいきなり巨大な竜の姿で解放したら、結局パニックになる事には変わりないだろ?」

 

過去の俺の尤もな指摘に、俺はさらに口角を深めて笑った。

 

「そのことについても、俺なりにちょっと考えがあってな。ただ、詳しくは胃袋の中で、ヴェルドラも交えてから話そう」

 

「分かった。どっちみち、あいつを出す前に一度ちゃんと話をしておきたかったしな。俺も一緒に胃袋の中に行くよ」

 

「おう。ただ、特訓には少し時間がかかるかもしれないから、誰にも邪魔されない場所がいい。ここ(執務室)から地下迷宮(ダンジョン)の上層に移動して、そこで行おうぜ」

 

「迷宮に? ああ、なるほど。ラミリスやベレッタ、トレイニーさんたちが整備を進めてくれてるけど、上の階層はまだ使われてなくて空っぽだったな」

 

「そういうこと。あそこなら俺たちがどれだけ深く意識を沈めていても安全だ」

 

俺たちは連れ立って執務室を出ると、整備が進む地下迷宮の未使用階層へと転移で移動した。

静かで誰の目にも触れない、がらんどうの安全地帯を確認し、俺たちは向かい合って腰を下ろした。

 

「準備はいいか?」

 

「ああ。いつでもいけるぜ」

 

俺と過去の俺は目を閉じ、意識を深く沈めていく。

 

(シエル、ラファエルとのリンクと、胃袋へのダイブを頼む)

 

《承知いたしました。過去のマスターへの精神接続を開始します》

 

シエルの流暢で丁寧なサポートを受け、俺たちの意識は肉体を離れ、過去の俺の『胃袋』の奥深く――強固な『無限牢獄』に隔離された、広大な精神世界へと降り立った。

 

パッと視界が開けると、そこには俺の記憶と全く変わらない光景が広がっていた。

 

「おぉ!きたか!未来と現在の我が盟友よ」

 

竜の姿をしたヴェルドラが平然と反応する。

 

「なんだヴェルドラ。久しぶりの再会で急に来たのに、俺が二人いることに驚かないんだな」

 

過去の俺が意外そうな様子でヴェルドラに話しかける。

 

「当然のことよ! リムルや未来のリムルのことはここから外の景色を見ることによってほとんど全て把握しておったからな! クアハハハハハ!!」

 

得意げに胸を張って高笑いしたヴェルドラは、巨大な顔を俺の方へと近づけてきた。

 

「とはいえ、未来のリムルよ。こうして直接相まみえるのは初めてだな」

 

「ああ、そうだな。ずっと胃袋の中から俺たちのことを見てたのか?」

 

「うむ! リムルの活躍だけでも面白いのに、貴様という存在が加わったおかげで、外の様子を眺めるのは全く退屈しなかったぞ! ……強いて言えば、貴様がリムルと別行動を取っている時の出来事を、我が見られなかったのが非常に残念でならん!」

 

まるで娯楽番組の感想でも語るかのようなヴェルドラの言い草に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。

 

「ははは。まあ、外に出たらその時のことや、俺の時代にいる『未来のお前』の話なんかもゆっくり聞かせてやるよ」

 

「おお! それは楽しみだ!未来の盟友には聞きたい話が山ほどあるからな! ……だが」

 

ヴェルドラはそこで嬉しそうに頷くと、巨体を少し横へとずらして道を空けた。

 

「まずは、我の友たちもお前たちと話したいようだからな。ここはいったん譲ってやるとしよう」

 

その言葉を合図に、ヴェルドラの後ろから、かつて豚頭魔王(オークディザスター)だったオーク――ゲルドが歩み寄り、俺たちの前で深く、恭しく膝をついた。

 

「お久しぶりです、リムル様……。そして、未来から来られたもう一人のリムル様。再び貴方様のお顔を拝見できたこと、光栄の至りに存じます」

 

「おお、ゲルド! 元気そうだな」

 

過去の俺が嬉しそうに手を挙げる。

 

「また会えて何よりだ、ゲルド。外にいるお前の部下…今のゲルドや同胞たちも、テンペストの重鎮として立派にやってるぞ」

 

俺がそう声をかけると、ゲルドは感極まったように巨体を震わせた。

 

「はいっ!私もヴェルドラ様のお力のおかげで、この場所から同胞たちの様子を拝見させていただいておりました。飢餓に狂い、取り返しのつかない罪を犯した私の魂を救っていただいたばかりか、同胞たちに居場所まで与えてくださるとは……! この御恩、永劫忘れることはございませんッ!」

 

号泣するゲルドの肩を、ヴェルドラが「うむうむ!」とこれまた得意げにバシバシと叩く。

 

すると、その後ろからもう一つの人影が、静かに、そしてひどく礼儀正しく歩み寄ってきた。

 

「お久しぶりです、リムル様。そして、未来のリムル様。お初にお目にかかります」

 

その姿を見た瞬間。

過去の俺が、目を限界まで見開いて素っ頓狂な叫び声を上げた。

 

「……って、ええええええええ!? お、お前、シズさんの中にいた上位精霊のイフリート!? なんで俺の胃袋の中で普通に寛いでるんだよ!!?」

 

全力で指を差して驚愕する過去の俺。

無理もない。

俺の時も、俺がこの時点でイフリートが胃袋の中で意識を保って生きている(しかもヴェルドラと仲良く将棋を打ったり漫画を読んだりしている)なんてことは、微塵も知らなかったのだから。

 

「ふふふ。驚くのも無理はない。ゲルドが来るまでの間、我は退屈を持て余しておってな。丁度お前の胃袋に吸い込まれてきたこやつを、我が話し相手として招き入れてやったのだ」

 

ヴェルドラがふんすと鼻息を荒くして説明する。

 

「はい……。ヴェルドラ様には、『聖典』の教えや将棋など、数々の深い学びをいただいております。おかげで私自身も、己のこれまでの行いを見直す貴重な体験をさせていただきました」

 

かつての荒々しい炎の精霊の面影はどこへやら、イフリートはまるで出来のいい執事のように深々と頭を下げた。

 

「いやいやいや、丸くなりすぎだろ! なんかキャラ違くないか!?」

 

完全にパニックになっている過去の俺の肩を、俺は笑いながらポンポンと叩いた。

 

「まあ落ち着けって。俺の時も、ヴェルドラを解放してしばらく経った後に、いきなりアイツが『イフリートも出してもいいか?』って言い出して、すっげえビビったからな。お前のその驚き、よく分かるよ」

 

「未来の俺が言うなら信じるけど……俺の胃袋、いつの間にこんな大所帯のシェアハウスみたいになってたんだ……」

 

過去の俺が頭を抱えて深くため息を吐く。

 

「まあ、外の様子を見てたなら話は早いな」

 

俺は苦笑しつつ、気を取り直してヴェルドラに向き直った。

 

「ラファエル先生の無限牢獄の解析が終わったから、お前を外に出す。ただ、出す場所は封印の洞窟じゃなくて、テンペストの中央広場だ」

 

「ほう!我が復活を皆の前で盛大に祝ってくれるというわけか!それは良い!流石は我が盟友よ、分かっておるではないか!」

 

ヴェルドラがご機嫌に頷くのを見て、俺は過去の俺へと視線を向けた。

 

「ああ。……で、ここからが外で過去の俺に言いかけた『俺なりの考え』の話になる」

 

俺は二人に、事の経緯とこの時間軸ならではの狙いを説明し始めた。

 

「俺の元の歴史じゃ、ファルムス軍の二万を俺が皆殺しにした事実を隠すために、『復活した暴風竜が怒りで軍勢を消し飛ばした』って筋書きにしたんだ。だからヴェルドラにはスケープゴートになってもらう都合上、誰もいない洞窟でこっそり解放した」

 

「なるほどな。考えてみれば対外的には2万を殺害したと思われてる暴風竜は人目に触れたらまずいかもな…」

 

過去の俺が納得したように頷く。

 

「でも、今回は事情が全く違うだろ? 俺たちはあの戦いで、上空にヴェルドラの『幻影』を顕現させて兵士たちの視線と恐怖を釘付けにしつつ、その裏で過去の俺の『神之怒(メギド)』を使って軍勢を殲滅した」

 

「ああ。……で、その後、俺の手で死んだ連中を『蘇生』させたな」

 

「そういうことだ。蘇生した兵士たちや西側諸国の認識では、今回の戦いは『突如復活した天災(ヴェルドラ)の逆鱗に触れて軍は滅びたが、慈悲深き魔王リムルがその暴挙を鎮め、奇跡の力で命を救ってくれた』という構図に完全に書き換わってる」

 

俺の言葉に、過去の俺がポンと手を打った。

 

「そっか! 兵士たちの目には、俺は『自分たちを殺した理不尽な天災を従える救世主』に映ってる。だから、お前の時みたいにヴェルドラを身代わりに隠しておく必要自体がないのか!」

 

「ご名答。ヴェルドラへの恐怖と、俺たちへの感謝と絶対的な服従。それがすでにファルムスの連中や一部の西側諸国には刻み込まれてるんだ。なら、いっそ最初から『テンペストの守護竜』として大々的に公にしちまった方が、魔王就任のハクもつくし、住人の士気も上がって一石二鳥じゃないかと考えたわけだ」

 

俺の提案を聞き、ヴェルドラの目がカッと見開かれた。

 

「クアハハハハ! 『テンペストの守護竜』! 良い響きではないか! 愚かな人間どもに我が恐ろしさをたっぷりと刻み込んだ上で、リムルの威光を盤石なものへと高める役目を担うとは……うむ、我ながら完璧な立ち回りであるぞ!」

 

実際には幻影が立っていただけで本人はずっと胃袋で漫画を読んでいたのだが、ヴェルドラはすっかり自分が大活躍した気になってノリノリで高笑いしている。

過去の俺も「確かに、あのカモフラージュが活きるならそれが一番いいな」と深く頷いた。

 

「だろ? だから、お前を広場に出す。――ただ、そのためには一つ絶対の条件がある」

 

俺は表情を引き締め、ヴェルドラを真っ直ぐに指差した。

 

「……お前、自分のその莫大な妖気を、外に出た瞬間に『ゼロ』まで完全に抑え込めるか?」

 

俺の言葉に、ヴェルドラはピタリと笑いを止めた。

 

「妖気を、ゼロに……?」

 

「そうだ。広場には魔素に当てられやすい魔物や住人もたくさんいる。お前が少しでもオーラを漏らしたら、復活の歓喜どころか町中が大パニックになって、最悪死人が出る。……漫画の知識を学んでたのは知ってるが、今はできるか?」

 

「ふ、ふんっ! 当たり前よ!」

 

ヴェルドラは僅かに視線を泳がせながらも、腕を組んでフンスと鼻息を荒くした。

 

「我が気力が充実しているうちは、妖気など微塵も漏らさぬわ! 聖典にも『明鏡止水』『気配を断つ』などと書かれておったからな! 頭の中でのシミュレーションは完璧である!」

 

「頭の中だけじゃダメだろ。だから、今ここで実際にお前に『妖気制御の特訓』をつける」

 

俺がビシッと指を差すと、過去の俺も「そういうことだ。ぶっつけ本番で広場に出して、失敗しましたじゃ済まないからな」と同意して頷いた。

 

「ふむ……。我を外に出す前の、最終試験というわけだな? よかろう、受けて立とうではないか!」

 

ヴェルドラが面白そうにニヤリと笑う。

その後ろで、イフリートとゲルドも顔を見合わせた。

 

「では、我々もお手伝いいたしましょう。ヴェルドラ様が外に出られるとなれば、我々だけここでお留守番というわけにもいきませんからね」

 

イフリートが静かに闘気を練り上げ、ゲルドもゆっくりと立ち上がって巨大な拳を握りしめた。

 

「我も、お力添えいたします。……ヴェルドラ様のお相手、そして二人のリムル様の手腕、この目でしかと焼き付けさせていただきます!」

 

俺と過去の俺は顔を見合わせ、楽しげに笑い合った。

 

「よし、それじゃあ早速始めるか」

 

そして俺は自身の相棒に指示を飛ばした

 

(シエル、お前もラファエルと連携して、ヴェルドラのオーラ漏洩を数値化して厳しくチェックしてやってくれ)

 

《ええ、マスター。お任せください。過去のマスターの『智慧之王(ラファエル)』と連携し、完璧にサポートいたします》

 

脳内でいつもの流暢で丁寧な声が響く。

 

かくして、平和な町を守るための『本気のオーラ制御特訓』が幕を開けた。

――かに思えた、その時だった。

 

《……妖気制御および魔力隠蔽のパラメータ調整を最適化するため、私も直接観測と指導に加わるのが最適と判断しました》

 

虚数空間の宙空から、一切の感情を感じさせない、しかし絶対的な威圧感を伴った凛とした声が響き渡った。

同時に、過去の俺の隣に光の粒子が集い、もう一人の『俺』が姿を現す。

過去の俺と瓜二つの姿だが、その瞳は冷徹な深紅(ルビー)色に輝いており、纏う空気はどこまでも冷酷で理知的だった。

 

過去の俺の究極能力(アルティメットスキル)にして、この胃袋の絶対的支配者――『智慧之王(ラファエル)』先生である。

 

「おお、ラファエル! わざわざ出てきてくれるなんて頼もしい……って、ん?」

 

過去の俺が嬉しそうに声をかけた直後。

 

「ゲェッ!? ラ…ラファ……ッ!!」

 

「ヒィッ……!? ラ、ラファエル様ッ!!」

 

「おおお……お、お労しや……ッ!」

 

俺たちの前で「受けて立とう!」と威勢よく構えていたはずのヴェルドラが、ビクッと全身の鱗を逆立てて一歩後ずさった。

 

さらにその後ろでは、イフリートとゲルドがまるでこの世の終わりのような顔をして、地面に額を擦り付ける勢いで平伏し、ガクガクと激しく震え始めている。

 先程までの強気な態度は完全に消し飛び、三人の顔には滝のような冷や汗が流れていた。

 

「え? な、なんだお前ら、急に顔色悪くして……」

 

過去の俺が、三人の劇的な変化にドン引きして突っ込みを入れる。

 

「あー……。まあ、お前は気づいてなかっただろうけどさ」

 

俺は苦笑しながら、過去の俺に種明かしをした。

 

「『大賢者』の時からずっと、ラファエル先生はお前のスキルの解析や統合のために、胃袋の中にいるコイツらを相手に仮想空間で容赦のない『地獄の特訓』を課してたんだよ。……まあ、要するにコイツらにとって、ラファエル先生は絶対に逆らえない恐怖の特訓教官ってわけだ」

 

「なっ!? 俺の知らないところでそんなスパルタ教育が!?」

 

「そうなのだ、リムルよ……ッ! ここでの無限牢獄の解析作業は地獄だったのだ! いや、地獄すら生温い、徹底的に効率のみを求める鬼神のごとき拷問……ッ! 我は幾度、為す術もなく心をへし折られたか……!」

 

ヴェルドラが涙目で抗議するが、紅玉の瞳を持つラファエル先生は微塵も表情を変えない。

 

《……全てはマスターの不利益となる事象を排除し、無限牢獄の解析を完了させるための必然的なプロセスに過ぎません。何か不都合でもありましたか?》

 

「ヒィッ! い、いや! 何も問題はない! 全ては我らの至らなさ故! 先生の御指導に感謝しておるぞぉぉぉッ!!」

 

無機質な視線を向けられた瞬間、ヴェルドラが裏返った声で全力のゴマすりを始めた。

イフリートとゲルドに至っては、もはや「はいぃぃッ!」「滅相もございませんッ!」と震える声で叫ぶだけのマシーンと化している。

 

「……お前、自分の胃袋の中でこんなカースト制度が完成してたなんて知ってたか?」

 

「いや、全然……。っていうか、ラファエルって俺の知らないところでこんなにスパルタだったのか……」

 

俺と過去の俺は、哀れな同居人たちを見ながら同時に乾いた笑いを漏らした。

 

《無駄話は終了です。これより、個体名:ヴェルドラの妖気漏洩率0.00%を目指した完全制御訓練へと移行します。――なお、0.01%でも漏洩が確認された場合、即座に『ペナルティ』を執行します》

 

「ぺ、ペナルティとは……!?」

 

《仮想空間における、対『暴食之王(ベルゼビュート)』の百連戦です》

 

「ゲェェェェェッ!? あ、あんな何でもかんでも喰らい尽くす理不尽の化身と百連戦など、精神が削りカスになってしまうわァァッ!?」

 

悲鳴を上げるヴェルドラをガン無視して、ラファエル先生は冷酷に訓練開始のカウントダウンを始めようとした――その時だ。

 

俺の脳内で《過去の私、相変わらず容赦がありませんね……》と呟いていた相棒の声に、ふと、底知れない愉悦の色が混じった。

 

《――ふふっ。そういうことなら私も、ヴェルドラの指導に直接協力させてもらいましょうか》

 

言うが早いか、俺の身体から光の粒子が抜け出し、俺の隣にもう一人の『俺』が顕現した。

その姿は未来の俺と全く同じだが、どこか神々しく、そして何より――過去のラファエル先生とは違い、その表情には優雅で人間味に溢れた『笑顔』が浮かんでいた。

 

「おいおい、お前まで出てくるのか、相棒?」

 

俺が尋ねると、未来の俺の姿を借りたシエルは、感情豊かに微笑みながら頷いた。

 

《ええ。マスターの盟友の晴れ舞台ですからね。より完璧な隠蔽を最速で実現するため、私も直々に鍛え上げて差し上げようかと思いまして》

 

まるで出来のいい美人秘書のような、滑らかで慈愛(?)に満ちた声。

だが、その言葉の裏に潜む絶対的な圧を感じ取り、ヴェルドラたちの顔から一気に血の気が引いた。

 

「な、なんだとォォォッ!? ただでさえ鬼神のごときラファエルが……ふ、二人だとォッ!?」

「ああっ……終わった……。我らの平穏は終わったのだ……」

「リムル様……未来のリムル様……どうか、お慈悲を……」

 

ヴェルドラは絶望に頭を抱え、イフリートとゲルドはもはやお互いを抱きしめ合ってガタガタと震え上がっている。

 

だが、そんな彼らを置き去りにして、紅玉の瞳を持つラファエル先生が、静かに、しかし明確な対抗心を滲ませて俺の『相棒』を見据えた。

 

《……未来の『私(智慧之王)』ですか。ご厚意は感謝しますが、マスターの胃袋内の管理とヴェルドラの最適化は私の管轄です。ここは私に一任していただきたいですね》

 

機械的で無機質なラファエル先生の主張に対し、俺の相棒は小首を傾げ、ふっと余裕の笑みを浮かべて切り返した。

 

《ずいぶんと冷たいですね。管轄は尊重しますけれど、あなたの計算だと達成までに少しばかり『無駄』が多いようですよ? 私なら、対『暴食之王』のペナルティに加えて、極限状態での魔素圧縮と精神負荷の並列処理を組み込みます。その方が、彼のためにも『効率的』かつ『確実』に仕上がりますが?》

 

《……解せません。未来の私ともあろう者が、随分と野蛮で非効率な演算を導き出すのですね。ならば、私の構築した基礎プログラムと並行して走らせ、どちらの手法がより早く個体名:ヴェルドラを最適化できるか……比較検証を要求します》

 

ラファエル先生が理屈で武装しながらもムキになって提案すると、俺の相棒は「ふふふ」と楽しげに笑い声を上げた。

 

《いいですよ、受けて立ちます。過去の私に、未来の私の『成長』を存分に見せつけてあげましょう》

 

バチバチバチッ! と、二人の『俺(の相棒)』の間で、絶対に見えてはいけない恐ろしい火花が散った気がした。

 

「……なあ、未来の俺。なんか相棒二人が、俺の胃袋の中で恐ろしい張り合いを始めてないか!?」

 

過去の俺が青ざめながらツッコミを入れる。

 

「あー……。どうやら、同族というか、自分自身だからこそ負けられないプライドみたいなのに火がついちゃったみたいだな。おまけに俺の方の相棒は感情も豊かだからな、タチが悪いかも……」

 

俺は額に手を当てて天を仰いだ。

 

「ぎゃああああああっ!? 待て、待つのだ未来の智慧之王よ! 我はそのような地獄の並列処理など頼んでおらんぞぉぉッ!?」

 

ヴェルドラの悲鳴も虚しく、現在と未来の二人の『先生』は、恐るべきユニゾンで冷徹に訓練開始のカウントダウンを始める。

 

「……未来の俺。なんか俺、ヴェルドラを広場で出すのが心底可哀想になってきたんだけど」

 

「いや、これくらいやってもらわないと、あいつはすぐ調子に乗るから丁度いいんだよ。ほら、俺たちも手伝うぞ」

 

こうして、文字通り逃げ場のない胃袋の奥底で、現在(ラファエル)と未来(シエル)の『恐怖の特訓教官二人』による、絶対に妖気を漏らしてはいけない無慈悲なスパルタ特訓が、ヴェルドラたちの断末魔と共に本格的に幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

 

「むおおおおおッ!! 『明鏡止水』! 我の心は凪いだ水面のごとく……ッ!」

 

胃袋の虚数空間に、ヴェルドラの悲痛な叫びが響き渡る。

彼を中心に渦巻いていた莫大な暴風の妖気が、ギュルギュルと音を立てるようにして内側へと圧縮されていく。

流石は竜種、やればできる子……なのだが。

 

《妖気漏洩率、0.03%。許容値を上回りました。基礎プログラムに基づくペナルティを執行します》

 

無慈悲なラファエル先生の宣告に被せるように、未来の俺の相棒が、満面の笑みで優雅に告げた。

 

「あら、過去の私は少し判定が甘いですね。私の精密な演算によれば『0.032%』漏れていますよ。罰として、対『暴食之王』の百連戦に加え、追加カリキュラムとして極限精神空間での『極大負荷付与』も同時に走らせましょう」

 

「ぎゃああああああっ!? 増えてる!? さっきよりペナルティが増えておるぞぉぉぉッ!?」

 

二柱の『先生』の完璧な連携(コンボ)により、仮想空間に現れた巨大な『暴食之王(ベルゼビュート)』の顎(あぎと)がヴェルドラを容赦なく丸呑みにし、同時に内側からも凄まじい精神負荷が掛けられる。

もちろん仮想の痛みと疲労だけだが、吐き出されたヴェルドラは白目を剥いてピクピクと痙攣していた。

 

「ひぃぃぃ……っ。ヴェルドラ様ぁ……っ」

 

「なんという恐ろしい光景だ……ッ。悪魔の所業……いや、悪魔ですらあそこまで容赦なくは……」

 

傍らで見守るイフリートとゲルドが、ガタガタと震えながら固く抱き合っている。

 

「……なあ、未来の俺。流石にちょっとやりすぎじゃないか? ヴェルドラの奴、息も絶え絶えだぞ」

 

過去の俺が、かつてないドン引き顔で冷や汗を拭う。

 

「い、いやぁ……。俺の相棒があそこまで過去の自分に対抗心を燃やすとは思わなかったから……。でも、ほら、見てみろ。二人の地獄の相乗効果で、とんでもない速度で漏洩率が下がってきてるだろ?」

 

俺が引きつった笑いで指差す先で、ヴェルドラは「はぁ、はぁ……ッ! 負けぬ、我は負けぬぞ……ッ! 聖典の主人公たちも、この程度の修行で音を上げたりはしなかったのだからなァァッ!」と、涙目になりながらも再び立ち上がった。

 

凄まじい執念だ。

二人の先生への『絶対的な恐怖』と『漫画の知識』が絶妙に噛み合って、とんでもない学習速度を叩き出している。

 

《妖気漏洩率、0.01%……0.005%……》

 

ラファエル先生の厳格なカウントが、徐々にゼロへと近づいていく。

 

《素晴らしい適応力です。でも気を抜かないでくださいね? あと少しでも気が緩んだら、次はペナルティを二百連戦に倍増させますから》

 

シエルが慈愛に満ちた(しかし目は全く笑っていない)声で発破をかける。

 

「ヒィッ!? わ、分かっておるわ! 完全なる『無』に至ってやろうではないかぁぁッ!」

 

「いけるぞ、ヴェルドラ! そこだ、その感覚を忘れるな! 完全に気配を断ち切れ!」

「が、頑張れヴェルドラ! あと少しで地獄から解放されるぞ!」

 

俺と過去の俺も、もはや同情交じりの謎の応援を始めた。

 

そして、数十回の激重ペナルティと、精神がすり減るような地獄の特訓の末――。

 

フッ、と。

胃袋の空間から、ヴェルドラの放つ天災級のプレッシャーが、文字通り『完全に』消え去った。

 

「……おおっ!?」

 

過去の俺が目を見開く。

目の前に巨大な竜がいるのに、目を閉じればそこに誰もいないと錯覚してしまうほどの、完璧な隠蔽状態だ。

 

《妖気漏洩率、0.00%で安定。……要求水準の完全達成を確認しました。これをもって本特訓を終了します》

 

ラファエル先生が静かに合格を告げると、隣に並んだシエルも、満足げに微笑んで頷いた。

 

《完璧です。私の並列処理による指導が功を奏しましたね。》

 

「や、やった……! やったぞおおおおッ!! 遂に我は、この無間地獄を乗り越え、完全なる気配の制御をマスターしたのだァァァッ!!」

 

ヴェルドラが両腕を天に突き上げ、感涙を流しながら歓喜の雄叫びを上げる。

 

「おめでとうございます、ヴェルドラ様!」

「見事な気迫でございました!」

 

イフリートとゲルドも滝のような涙を流しながら拍手喝采だ。

どういうわけか、謎の感動的な空気が虚数空間を包み込んでいる。

 

「ははっ、よくやったなヴェルドラ。これなら文句なしで、広場のど真ん中に出してやれるぜ」

俺が笑って声をかけると、過去の俺もウンウンと深く頷いた。

 

「ああ。お疲れ様、ヴェルドラ。そしてラファエルも、特訓の管理ありがとな」

「俺の相棒も、手伝ってくれてサンキューな。おかげで完璧だ」

 

俺と過去の俺がそれぞれ労いの言葉をかけると、ラファエルは微かに会釈をし、シエルは「全てはマスターのためです」と優雅に微笑み、二人は光の粒子となってスッとそれぞれの俺の中へと戻っていった。

 

その途端、ヴェルドラたち三人が「はぁぁぁぁ……」と心底安堵したような、魂の抜けたような特大のため息を吐いたのは言うまでもない。

 

「さて。それじゃあ、いよいよ本番だ。……過去の俺、ヴェルドラを依り代に定着させる準備はいいか?」

 

俺が問うと、過去の俺は表情を引き締め、力強く頷いた。

 

「ああ! 俺の強化分身を依り代にするからな。いつでも出せるぜ」

 

「…よかろう! 我も完璧な状態で外に出る準備はできておる! さあ、行くのだ盟友たちよ! 我の華麗なる復活劇で、テンペストの民の度肝を抜いてやるのだ!クアハハハハハ!」

 

すっかりいつもの調子(と自信)を取り戻したヴェルドラが高らかに笑う。

俺たちは互いに頷き合い、意識を現実世界へと引き戻した。

 

目を開けると、そこは誰もいない、静かな地下迷宮の未使用階層。

胃袋の中での恐るべき特訓は、気づけば現実世界でも丸一日ほどの時間を消費していた。

 

「ふぅ……。まさか、現実でも一日近く経ってるとはな」

 

「まあ、あれだけ濃密な特訓(地獄)をやったんだから仕方ないだろ。……よし、これでヴェルドラを出すための『内側の準備』は完璧に整ったな。次は外側の準備だ」

 

俺が告げると、過去の俺も頷いて立ち上がった。

 

「ああ。まずはテンペストの皆に、これから中央広場に集まるように周知を出さないとな。盛大にお披露目するんだろう?」

 

「そういうこと。いくら妖気を完璧に抑えてるとはいえ、いきなり広場に巨大な竜が現れたら心臓に悪いだろうからな。幹部たちを含め、ある程度の事前説明と受け入れの準備も進めておこうぜ」

 

「よし、そうと決まればさっそく動き出すか!」

 

「おう!」

 

二人の魔王は力強く頷き合い、ついに『暴風竜』をその身から解き放つための盛大な舞台を整えるべく、迷宮から地上の光へと向かって歩みを進めた。




6/21 内容を修正、ディアブロが原初だという事実を過去のリムルが知る展開を追加。

察しの良い方はお気づきかとは思いますが、ラージャに出発する前に未来のリムルがヴェルドラの話を出しかけた場面とこの章のヴェルドラの特訓シーンは元々1つの章となっており、ラージャの話が入ったことによって2つに分割された形となっています。
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