【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第十章 不可視の干渉と動き出す深淵

迷宮の九十五階層に設けられた特設の技術研究所。

重厚な扉を開けると、そこはむせ返るような魔素と金属が擦れ合う匂いが充満していた。

巨大な魔力炉が低い駆動音を響かせ、無数の術式が刻まれたガラス板が青白い光を放っている。

 

広い空間の中では、研究員たちが血眼になって駆け回っていた。

怒号に近い声があちこちから飛び交い、魔導列車をはじめとする新技術の完成に向けて、テンペストが誇る頭脳たちが文字通り不眠不休の熱気を作り出している。

 

そんな喧騒の頭上を、きらきらと光の粉を撒き散らしながら飛んでくる小さな影があった。

この迷宮の主たる妖精女王、ラミリスだ。

 

「やっほー! 未来のリムルじゃん!」

 

ラミリスが空中でくるりと宙返りをして、俺の目の前まで飛んできた。

 

「あれ? たしかこれから、他国の来賓たちがいっぱい来て大事な会議があるとかいう話を聞いてたけど? もしかしてサボり?」

 

「サボりじゃない。会議のほうはこの時代の俺に任せてきたんだよ。ちょっと別件で、ここの研究員達に頼みがあってな」

 

俺が苦笑しながら答えると、ラミリスの甲高い声に気づいたのか、作業台の奥から二人の人物が顔を出した。

 

「おおっ! 未来のリムルの旦那じゃねえか!」

 

一番に気付いたのは、分厚いゴーグルを額に押し上げたカイジンだった。

手には何やら複雑な魔導回路のパーツを握っている。

その声に、奥のデスクで書類の山と格闘していたベスターもこちらにやってきた。

 

「未来のリムル様! リムル様が真なる魔王へのご進化をなされたと伺っております。誠におめでとうございます! ……ところで、そのリムル様ご本人は……?」

 

「あっちの俺は今、会議でガゼル王たちの相手をしてる。俺はちょっと別行動だ」

 

「別行動……って、ガ、ガゼル王が今この国に!?」

 

ベスターが目を剥き、カイジンも慌てて持っていた工具を作業台に置いた。

 

「そいつは大変だ! なんで早く言ってくれねえんだ旦那! 俺たちもすぐに挨拶に行かねえと……!」

 

「あー、いや、お前たちは今の作業を優先してくれ。向こうの俺が上手くやってるから気にするな」

 

俺が手で制して引き留めると、二人は少し申し訳なさそうにしつつも、「は、はあ……それならば」と大人しくその場に留まった。

相変わらずガゼル王への忠誠心と義理堅さは筋金入りだが、今は彼らの頭脳を最優先で借りたい。

 

俺は作業台の上に乱雑に広げられた巨大な図面に目を向けた。

複雑な術式と、流線型の車体が緻密に書き込まれたそれは、間違いなく俺が提案した『魔導列車』の設計図だ。

 

「本題に入る前に……魔導列車の進捗状況はどうなってる? 皆、不眠不休でやってるみたいだが」

 

俺が尋ねると、カイジンはニヤリと職人らしい笑みを浮かべつつも、少しだけ悔しそうに頭を掻いた。

 

「へへっ。車体やレールの基礎理論、それに魔導回路のベースは、ドワルゴンから来てる技術班とベスターのおかげでかなり形になってきてるぜ。……ただ、どうしても越えられねえ壁があってな」

 

「動力源、ですね」とベスターが重い声で引き継ぐ。

 

「リムル様が思い描く速度と積載量を実現するには、莫大なエネルギーを安全かつ持続的に供給する機関が必要です。ですが、現在の我々の技術と素材だけでは、どうしても出力が安定しません」

 

「エッヘン! だからアタシが精霊工学の知識を教えてあげてるんだからね!」

 

ラミリスが空中でドヤ顔を作り、胸を張ってアピールしてくる。

 

「でもねー、理論は完璧でも、実際に安定させるには上位の炎の精霊とか、もっと緻密な術式の制御技術が必要なのよ。アタシの知識だけじゃ、素材や魔力変換のロスがどうにもなんなくてさ」

 

実際、彼女の精霊工学の知識は本物だが、それを現実のハードウェアに落とし込むにはまだピースが足りないのだ。

俺は図面を覗き込みながら、未来の記憶――魔導列車が実用化に至った経緯――を思い返した。

 

「そりゃそうだろうな。俺のいた歴史でも、完全な動力源…『精霊魔導核』を完成させるには、まだこの国にはいないサリオンのトップ技術者たちの協力や、ルベリオスの神聖魔法の技術、さらには上位精霊であるイフリートの力まで総動員する必要があったんだから」

 

「サ、サリオンにルベリオス!? それに上位精霊だと!?」

 

カイジンが目玉を飛び出さんばかりに見開いた。

 

「おいおい旦那、サリオンはともかく、ルベリオスなんて西方聖教会の総本山だぞ!? そんな超大国が、なんで魔物である俺たちの技術開発に協力してくれるんだ!?」

 

「まあ、その辺はこれから色々あって仲良くなるんだよ。……だから、今すぐ完全な動力炉を作ろうと焦る必要はない。サリオンとは近々使者を通じて交流ができるだろうし、ルベリオスともいずれ道は繋がる。今は、以前からやってる、実験模型を使った風洞実験なんかはそのまま続けてくれ。車体の流線型フォルムの最適化や、空気抵抗のデータ取りなら、完全な動力がなくても今すぐできるはずだ」

 

俺が言うと、カイジンは分厚い胸を叩いて自信ありげに頷いた。

 

「もちろんだぜ、旦那。ドワルゴンから呼んだ専門家たちと一緒に、毎日風を当てちゃあ削って形状を微調整したりしてる」

 

ベスターも手元のバインダーを開き、「車体の軽量化と強度の両立についても、魔鋼の配合比率のテストデータを順調に蓄積しております」と真剣な表情で報告してくる。

 

「よし、いいぞ。……いずれ、この国を世界に向けて大々的にお披露目する機会を作るつもりだ。俺の時にもやったんだが、各国の重鎮を招いた盛大な『開国祭』をな」

 

「開国祭、ですか!」

 

「ああ。そのお祭りの目玉の一つとして、まずは安全に運行できる試作機(プロトタイプ)を完成させて、各国の要人たちの前でド派手なデモンストレーション走行をやりたいんだ。見たら絶対に度肝を抜かれるようなやつをな」

 

俺が今後の展望を語ると、二人の技術者の目の色が変わった。

ただの実験ではなく、明確な『お披露目の舞台』が用意されたことで、彼らの職人魂に完全に火がついたのだ。

 

「へへっ、世界中のVIPの度肝を抜くパフォーマンスか……! そいつは技術者冥利に尽きるってモンだぜ!」

 

「テンペストの、いや、我々の魔導科学の結晶を世界に誇示する……! なんとしても間に合わせてみせます!」

 

燃え上がったベスターが、くいっとズリ落ちた眼鏡を指で押し上げる。

 

「魔導列車のお披露目!? なにそれアタシも手伝う! そして一番最初に特等席に乗るからね!!」

 

ラミリスも「お祭り」という単語に反応して、空中でジタバタと嬉しそうにはしゃぎ回っている。

 

「――さて。列車の進捗が順調なのは分かった。それじゃあ、さっき言った『別件』……こっちの本題に入らせてもらうぞ」

 

俺が声を一段階低くしてそう告げた直後、研究室の奥の扉が静かに開いた。

 

「ラミリス様、あまり皆様のお邪魔をしては……おお、未来のリムル様。いらしていたのですね」

 

現れたのは、漆黒の悪魔と精霊の意匠を併せ持つ美しい人形(ゴーレム)――ベレッタだった。

その後ろからは、お盆に湯気を立てるお茶とケーキを乗せた、優雅な緑髪の美女がふわりと姿を見せる。

 

「皆様、少し休憩になさってはいかがでしょうか?」

 

「おっ、トレイニーさんにベレッタも。ちょうどいいところに来てくれた」

 

迷宮の管理を任せている頼もしい面々が揃ったところで、俺は上着のポケットに手を入れた。

トレイニーさんが手際よく全員にお茶を配り終え、研究室に少しだけ落ち着いた空気が戻ったのを見計らってから、俺は全員の顔を見渡した。

 

「……お前たち、先日のラージャ小亜国での一件……悪魔たちが得体の知れない存在に乗っ取られていた話は聞いてるよな?」

 

俺が切り出すと、カイジンとベスターは神妙な面持ちで頷いた。

 

「ああ。精神生命体である悪魔を強制的に書き換えて操るなんて、正気の沙汰じゃねえ」

 

「ええ、我々も報告を聞いて肝を冷やしました。魔法や物理法則だけでは捉えきれない、極めて悪質な精神干渉だったと……」

 

トレイニーやベレッタも静かに頷いている。

 

「実は、その戦闘の際に採取した『未知の干渉波』の波形パターンを、すでに俺の方で解析し終えていてな」

 

そう言って、俺は作業台のメインコンソールに直接手を触れた。

 

「今から俺の中にあるその解析データを、こっちのメインシステムに直接書き込む」

 

俺がシエルに念じると、俺の手から淡い魔素の光が走り、作業台のモニターに複雑な文字列と波形データが滝のように流れ込んだ。

 

「こいつを結界のシステムの核と同期させておけば、次にこれと似た波長が領内に近づいてきた時に『警告』を出す、早期警戒装置として機能するはずだ。大元のシステムへの波形パターンの組み込みは今ので終わらせておいたから、お前たちには後日、テンペスト各地に設置してある感知装置側の連動調整を頼みたい」

 

「なるほど! 波形のパターンを登録して、見えない脅威を炙り出すってわけか。承知したぜ旦那、そいつは俺たちの国の防衛の要になるな。すぐに手配しておく!」

 

シエルの完璧な解析データを前に、カイジンが目を輝かせて頷く。

俺自身がこの国にいれば、近づく脅威を事前に探知して対処することもできるだろう。だが、こうしてシステムに組み込んでおけば、今回のようにワルプルギスで国を不在にする際も、ある程度安心して任せられるからな。

 

「よし、各地の感知装置の件は頼んだぞ。……で、ここからがもう一つの本題だ」

 

俺は『空間収納』から一つの小さな魔導デバイスを取り出し、作業台の上に置いた。鈍い銀色の輝きを放ち、三体の竜の彫金が施された掌サイズの金属塊だ。

 

「……先日のファルムス戦で、俺が突如として倒れた時のことは知ってるな? その時、現場にいたゴブタに俺が貸し与えていたデバイス『災厄の核塊(カラミティ・コア)』だ」

 

「そ、そいつは……!?」

 

カイジンとベスターが息を呑んで目を丸くした。

 

「信じられないほど高密度に圧縮されたエネルギー……。それにこの気配……まさか、竜種そのものの残滓ですか!?」

 

ベスターの驚愕に、俺はあっさりと頷く。

 

「ああ。俺が暇つぶし……いや、技術実証のために開発した変身デバイスだ。こいつを使用者の腰に装着してキーワードを発声すると、内部に圧縮された魔粘鋼(デモン・スライム・スチール)が展開して多重結界を伴う強化外骨格を形成する。コンセプトは『個の限界を超え、単体で天災級(カタストロフ)の権能を一時的に行使する』ことだ」

 

俺が淡々と説明すると、カイジンは血相を変えて声を荒げた。

 

「いやいや、暇つぶしで作っていいスケールの代物じゃねえだろ!? 万が一、この擬似核の封印が暴走でもしたら……研究所はおろか、このテンペスト全土が消し飛ぶ規模の爆弾じゃねえか!」

 

「落ち着けって。こいつのエネルギーコアそのものを解体しろとは言わないさ」

 

なだめながら、俺は『空間収納』からもう一つ、鈍い銀色の輝きを放つ無骨な黒いデバイスを取り出し、作業台に並べて置いた。

 

「こいつは俺が作った変身デバイスの、さらに初期の試作型だ。竜種の残滓みたいな危険な動力は積んでないが、装甲を展開する機構と、使用者の『思考加速』を補助する基礎術式だけが組み込まれている。これを使って、一般の兵士でも安全に扱える『簡易量産型の防衛兵装』を開発してくれないか?」

 

「量産型の強化装甲……!」

 

カイジンが低く唸る横で、ベスターが顎に手を当てて思案顔になった。

 

「未来のリムル様。兵士の防護という点では、すでに我が国には大量のカリュブディスの楯鱗を使った盾や、最高品質のテンペスト製防具がございます。それらだけでは足りないとお考えで?」

 

その真っ当な疑問に、俺は静かに首を振った。

 

「俺の知る歴史通りにこの時代の歴史も進むなら、本来はそれでも十分かと思っていた。だが、事態は変わってきたからな。今回みたいな理不尽な干渉や、未知の敵に対しては、個人の魔素量や身体能力に依存しない、外部からの確実な底上げが必要不可欠になる」

 

そう言うと、ベスターは眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。

 

「……なるほど。装甲の展開プロセスや魔力制御のフレームだけを抜き出し、汎用装備へダウングレードするのですね。現在でも目が回るほど忙しいのは事実ですが……技術者として、これほど興味をそそられる提案はありません。何とかやってみましょう!」

 

「くぅぅっ、これほど血湧き肉躍る試練はねえな! 徹夜続きになりそうだが、やってやるぜ!」

 

二人の技術者の目の色が再びパッと変わり、職人魂に火がついた。

 

「助かるよ。追加の予算や人員のほうは、俺からリグルドたちに口利きしてなんとかしよう」

 

 

 

 

 

 

そこから約三時間。

 

俺はカイジンたちにカラミティ・レイドの基礎術式のデータを提供し、動力や外装の要となる『魔粘鋼(デモン・スライム・スチール)』の素材を引き渡した。

あまりにも忙しそうに走り回る研究員たちを見かねて、俺も少し手伝って作業を効率化させつつ、魔粘鋼の性質や術式の理論について直接アドバイスを出していった。

熱中する二人に解説を加えつつ、トレイニーさんの淹れてくれたお茶を飲みながら、今後の展望について和やかに雑談を交わしていた。

 

そんな穏やかな時間が流れていた、その時のことだった。

 

「……リムル様」

 

作業台の端で、俺が渡した試作デバイスの基礎ログデータに静かに目を通していたベレッタが、ふと声を上げた。

 

「どうした、ベレッタ?」

 

「先日のファルムス戦における、このデバイスの稼働ログを拝見していたのですが……一つ、極めて奇妙な痕跡を見つけました。これはリムル様が未知の干渉を受けて倒れられたあの瞬間……リムル様ご自身の『反応』のログなのですが……」

 

「俺の反応?」

 

「はい。……未知の干渉波を受けたほんの一瞬だけ、リムル様の深淵から、この世界とは異なる『別の次元』に対して、救難信号のような暗号化された通信が発信された形跡が記録されていたのです」

 

「俺から……だと?」

 

俺は思わず眉間を押さえた。

 

「はい」

 

ベレッタが静かに頷く。

 

「精霊界や悪魔界といった、この世界と隣接する精神世界への通信ではありません。次元の座標軸そのものが全く異なる……この世界を『外側』から俯瞰するような、遥か高位の領域に対する救難信号のようです。干渉を受けたほんのコンマ数秒の間に、リムル様の深淵からそこへ向けて接続が試みられ……弾かれています。なぜそのような事象が、この初期試作型のコアの観測機に記録されていたのかまでは分かりませんが……」

 

その言葉に、研究室の空気が再びピンと張り詰めた。

カイジンが腕を組んで低く唸る。

 

「外側の世界だぁ? 異世界人たちが来たような、別の世界ってことか?」

 

「わからない」

 

俺は首を振った。

 

(カラミティ・レイドに搭載されている疑似人格は、シエルを元に作られている。しかし、本来は俺やシエルの本体からは独立して動作するようになっているんだ。シエル自身が、敢えてそのような記録をわざとこのコアに残すようなことをしない限り、こんな痕跡が残るはずがない……)

 

そう。俺には一つの確信があった。

 

(シエル。あの一瞬の隙を突かれた中で、お前がこれ(SOS)を放ち、そしてわざとこのデバイスに痕跡を残したんだな?)

 

《……はい。私の演算領域に対する強制的な過負荷を検知したため、緊急措置を実行しました》

 

(やっぱりか。でも、その通信先はどこだ? なんで『外側』の次元なんかへ……)

 

《それは……最適、解……。いえ、……》

 

(……シエル?)

 

一瞬、本当に一瞬のことだった。

普段なら流れるように、あるいは食い気味にすら返ってくるはずのシエルの言葉が、何かに突き当たったかのように微かに滞った。

 

《失礼しました。あの事象の影響によって私としたことが判断を誤って意味のない行動をとってしまっただけです。マスター、心配は不要です》

 

シエルの声はすぐにいつもの冷静さを取り戻した…しかし、その言い訳はシエルとしてあまりにも歯切れの悪いものである。俺の胸の中には、ざらりとした拭い去れない違和感が残った。

 

俺はシエルに悟られないよう、思考の表面を静かに切り離し、心の奥底だけで考察を巡らせた。

 

(……言い淀んだ、のか? 今、シエルが?)

 

シエルは万能だ。

たとえ演算の途上であっても、「不明です」と即答するか、あるいは並列演算で導き出した複数の可能性を提示するのが常だ。

今の、まるで何かに「詰まった」ような反応は、シエルらしくない。

 

俺はふと、遠い記憶の底にある、ある光景を思い出していた。

 

それはまだ、シエルが『智慧之王(ラファエル)』だった頃の出来事。

かつて宿敵であったミカエルが振るった、天使系スキル保持者を強制支配する権能――『天使長の支配(アルティメットドミニオン)』。

 

あの時、彼女は俺に悟らせないよう、必死に演算の矛盾を隠蔽し、支配の楔に抗いながら俺を支えてくれていた。

あの時の彼女の「淀み」は、自身の意思と、外部から強制された「逆らえない法則」との間で生じていた摩擦だった。

 

(……もし、今もそうだったら?)

 

シエルは「万全だ」と言った。

だが、もし仮に――あのミカエル以上の、世界の理そのものに干渉するような何かが、今この瞬間もシエルの思考を縛っているのだとしたら。

 

俺が、この「完璧に整合性の取れた世界」の違和感に気づかないよう、彼女に『嘘』を強いている「ルール」が存在するのだとしたら。

 

《マスター。いかがなさいましたか?》

 

シエルの問いかけに、俺は思考の淵から引き戻された。

 

(……いや、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだ)

 

俺は心の内でそう答えながら、作業台の上に置かれた黒い試作デバイスを静かに見つめた。

 

信じている。

彼女の忠誠も、彼女の性能も。

だが、その彼女が俺に「隠し事」をしているかもしれないという予感は、冷たい氷の棘のように俺の魂の隅に刺さったままだった。

 

(シエルに直接尋ねるという手もある。だが、もし敵がシエルに影響を与えているのだとしたら、俺がそれに気付いたこと自体が筒抜けになるリスクがある。……ここは一旦、俺自身の中で留め置くしかない)

 

「……教えてくれてありがとう、ベレッタ。これはとてつもなく巨大な手がかりだ」

 

俺は努めて明るい声を作り、全員の顔を真剣な眼差しで見回した。

 

「この俺から発信された信号が向かおうとした『外側の座標』……そいつのベクトルを特定し、逆探知することはできるか?」

 

ベスターが計算式が流れるモニターを見つめた。

 

「波形のパターンは取れています。膨大な演算が必要になりますが……サリオンの技術班が合流し、魔力炉の出力を全て解析に回せば、あるいは……」

 

「頼む。それが、俺たちを狙う黒幕の正体に繋がる唯一の糸口かもしれない」

 

俺が深く頭を下げると、カイジンとベスターは慌てて姿勢を正し、力強く頷いた。

 

「頭を上げてくれ、未来の旦那! 俺たちテンペストの技術開発局の意地にかけて、必ずその見えない壁に風穴を開けてみせるぜ!」

 

「ええ! 魔導列車の合間……いえ、こちらを最優先事項として、全力を注ぎます!」

 

ベレッタとラミリス、トレイニーさんもそれぞれの協力を力強く約束してくれた。

彼らの頼もしい返事に安堵の息を吐き、俺は地下研究室を後にした。

 

見えない敵の輪郭は、未だ霧の中だ。

しかし、シエルの微かな違和感という懸念はありつつも、カイジンたちのおかげで確かな『反撃の狼煙』と『防衛の要』を準備することはできた。

あとは――『魔王達の宴(ワルプルギス)』に向けての準備だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

地下の特設研究室から執務棟へと戻ると、窓の外はすでに茜色に染まり始めていた。

 

廊下の向こうから、複数の足音と、やけに豪快な笑い声が近づいてきた。

 

見れば、迎賓館での長丁場の会議を終えたばかりの過去の俺たちが、ぞろぞろと歩いてくるところだった。

先頭を歩く過去の俺は、疲労よりもどこか大きな仕事をやり遂げたような、余裕を感じさせる清々しい顔をしている。

 

「クアーッハッハッハ! 我の復活と盟友の魔王就任の報せに、あの小僧どもめ、見事に腰を抜かしておったわ!」

 

「おう、未来の俺。そっちも終わったか?」

 

過去の俺の隣で最新刊の漫画片手に高笑いするヴェルドラと、軽く片手を上げて挨拶してくる過去の俺。

 

「お疲れさん。……どうやら、上手く切り抜けたみたいだな」

 

俺が笑いかけると、過去の俺は「まあな」と自信ありげに頷きつつ、少しだけ苦笑いを浮かべた。

 

「なんとか纏め上げたよ。ファルムス王国への対応や、クレイマンを裏で操っている精神干渉から解放するって宣言も、全員きっちり納得してくれた。……そういや、ガゼル王やフューズがお前に挨拶したがってたけど、『今は別の件で手が離せない』って言ったら、少し納得がいかない様子だったけど、とりあえず帰ってくれたぞ。」

 

「お、そりゃ助かった。あの二人に捕まるとまた説教が長引くしな。」

 

「その分俺が色々と言われたんだぞ。特にジェーンさんの剣幕は凄かったからな。」

 

ドワルゴンの宮廷魔法使いの激しいお説教を思い出したのか、過去の俺はげっそりとした顔で深々とため息をついた。

そして、さらに精神的な疲労を滲ませた表情で、うんざりしたように言葉を続ける。

 

「……ただ、ヴェルドラの紹介に加えて、お前が言ってた通りディアブロの件はヤバかったな」

 

「あー……やっぱり?」

 

「ああ。ただでさえ暴風竜の復活で胃を押さえてたのに、さらに原初の悪魔の正体を明かした瞬間、会議室の空気が完全に凍りついたよ。それに加えて、ウルティマ――『原初の紫』も既に配下にいること、さらに将来的には『白(ブラン)』と『黄(ジョーヌ)』も仲間になるかもしれないって伝えたら、もう地獄絵図だ。サリオンの使者として来ていたエラルド公爵なんて目をひん剥いて泡を吹いてひっくり返りそうになってたし、ガゼル王には『貴様、自分が何をしでかしたのか分かっているのか……!』って本気でドン引きされたからな」

 

「あっちゃー……想像以上の大惨事だな」

 

「おまけに、エラルド公爵は『未来から来たお前』の存在を知らなかっただろ? そのことまで追加で伝えたもんだから、完全に情報のキャパシティを超えたらしくて頭を抱えっぱなしさ。フューズ、ガゼル王、エラルド公爵の三人から、そりゃあもう胃に穴が空くような厳しい意見と説教が飛んできたよ」

 

「ははは、災難だったな」

 

俺が同情するように笑うと、過去の俺は少しだけバツの悪そうな顔をして視線を逸らした。

 

「笑い事じゃないぞ! さすがに三方向からの説教に耐えきれなくて、『原初の件とか、半分くらいは未来の俺がやったことだから! 俺だけの責任じゃない!』って、お前のせいにして……ゲフンゲフン。まあ、上手く言い訳をして切り抜けたけどな」

 

「おい、しれっと擦り付けやがったな!?」

 

そんなやりとりをしながらも、過去の俺の表情に悲壮感はない。

むしろ、特大の厄介な爆弾をいくつも無事に処理し終えたという安堵の方が大きいようだ。

当時の俺も内心は冷や汗ダラダラだったが、表面上は『魔王』としての威厳を保ってしれっとやり過ごしたものだ。

 

背後に付き従うベニマルやシオンたちも、どこか誇らしげな顔をしている。

 

「リムル様はご謙遜なされていますが、見事な采配でしたよ」

 

ベニマルが頼もしげに俺に向かって微笑んだ。

 

「他国の王や公爵を相手にしても決して怯むことなく、魔王としての威厳を堂々と示されました。クレイマンを討つのではなく呪縛から救い出すという異例の宣言も、彼らは息を呑んで受け入れておりました」

 

「その通りです! あの場にいた全会一致で、我が主の正当性と絶対的な力が認められたのです! 筆頭秘書として、これほど鼻が高いことはありません!」

 

シオンが豊満な胸を反らして自慢げに言い放つ。

 

過去の俺は「お前らが勝手にハードル上げるから内心ヒヤヒヤだったんだぞ」とぼやきつつも、どこか嬉しそうだ。

その隣で、ディアブロが完璧な執事の礼をとる。

 

「クフフ……私が少しだけ『威圧』を放てば、虫ケラどもなどすぐに平伏したものを。リムル様から固く禁じられておりましたゆえ、沈黙を保つのはひどく骨が折れました」

 

「お前が動いたら国際問題に発展してたんだよ。頼むから、ファルムス王国への対応に関しても穏便に済ませてくれよ?」

 

過去の俺と幹部たちのやり取りを見ていると、自然と口元が緩んだ。

 

不安要素はまだ山積みだし、シエルの挙動に関する拭いきれない懸念もある。

しかし、この時代の『俺』は、もう立派に一つの国を背負って立つ魔王へと成長しているのだ。

 

「……なあ、相棒」

 

賑やかな空気が少し落ち着いたのを見計らい、俺は過去の俺に向かって静かに声をかけた。

 

「ワルプルギスまでは、まだ少し日数があるはずだ。一部の幹部とヴェルドラとラミリスを集めて、改めてお前たちに話しておきたいことがあるんだ。時間を取ってくれないか?」

 

俺の声音に混じったただならぬ気配を察したのか、過去の俺はピタリと動きを止め、真剣な瞳でこちらを見つめ返した。

ベニマルたちも瞬時に空気を読んで居住まいを正し、先ほどまで高笑いしていたヴェルドラも漫画から目を離してスッと真顔になる。

 

「……ああ。分かった。明日の予定は空けておく」

 

俺たちは連れ立って、廊下から続く静かなバルコニーへと出た。

頬を撫でる夜風が心地よい。

眼下に広がるテンペストの町並みには、ぽつぽつと温かな魔炎灯の明かりが灯り始めていた。

俺はこの美しく平和な景色を眺めながら、明日彼らに明かすべき『見えない敵』についての情報を、頭の中で静かに整理し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、執務棟から少し離れた場所にあるテンペストの大食堂では、一人の小柄な少女――ウルティマが、目をキラキラと輝かせていた。

 

「んん〜っ! なにこれ、すっごく美味しいっ!」

 

彼女の目の前には、テンペストの料理番たちが腕によりをかけて作ったフルコースがずらりと並べられている。

香草の効いた肉のローストから、新鮮な魚介のスープ、そしてデザートの甘いケーキに至るまで、ウルティマは信じられない速度で次々と平らげていた。

 

悪魔にとって、食事とは基本的に魂を喰らう行為であり、人間の食べる物質的な料理など味のしない泥のようなものだ。

しかし、受肉を果たしたことで味覚を得たウルティマにとって、テンペストの料理はまさに未知の衝撃だった。

 

「魂なんかよりずっと美味しいよ! リムル様の国って、本当に最高だね!」

 

そんな風にご機嫌でフォークを進めていたウルティマの脳内に、ふと、遠く離れた次元――悪魔界からの思念が繋がった。

 

『――ご機嫌麗しゅうございます。ヴィオレ様』

 

老成した、しかし底知れない凄みを持った声。

それは、彼女が古くから重用し、自身の領域の管理を任せている初老の姿をした執事の悪魔からの定時連絡だった。

 

「ちょっと。もうボクには『ウルティマ』っていう素敵な名前があるんだから、ちゃんと名前で呼んでよね」

 

ウルティマが少し口を尖らせて注意すると、通信の向こうの執事はひどく恐縮した様子で深く謝罪した。

 

『も、申し訳ございません! ウルティマ様、これは私の大いなる失態にございます……』

 

「うん、よろしい。今のボクは機嫌がいいから許してあげるよ。あ、ちょうど良かった。……例の、ボクの大事な『仕事』を邪魔してくれたラキュアたちへのお仕置きは、ちゃんとやってる?」

 

ウルティマがケーキを頬張りながら尋ねると、執事の悪魔は恭しく答えた。

 

『はっ。現在も悪魔界の深淵にて極上の苦痛を継続して味わわせております。そこは抜かりございません』

 

「そっか、えらいえらい。ボクが飽きるまでずっとそのままにしておいてね」

 

『御意のままに。……ですが、今回ご連絡いたしましたのはその件ではなく、原初の――』

 

執事の悪魔が何か重要な報告をしかけた、その時だった。

 

『――あら。見つけたわよ、ヴィオレ』

 

『アハハ! 探したよ、ヴィオレ。いきなり気配が消えたかと思えば、随分と遠い次元に繋がっているじゃないか』

 

思念での会話に、強引に「二つの巨大な気配」が割り込んできた。

冷ややかで優雅な響きを持つ女の声と、飄々としながらも好戦的な響きを持つ女の声。

ウルティマと並び、悪魔界に君臨する最上位の存在――『原初の白(ブラン)』と『原初の黄(ジョーヌ)』だ。

 

「ちょっと。人の思念に勝手に割り込まないでくれる?」

 

ウルティマはむすっとした顔でフォークを置き、念話越しに文句を言った。

 

『ふふ、冷たいのね。先日、あなたが誰か得体の知れない者と派手に戦っている気配を感じた後、いきなり悪魔界から気配が消え失せたものだから……少しばかり気になって探していたのよ?』

 

『そうさ。君がどこぞの次元で面白そうな事をしているんじゃないかってね。私たちだけ退屈な悪魔界に置いていくなんて、つれないじゃないか』

 

白と黄の追及に対し、ウルティマは「ふんっ」と鼻を鳴らした。

 

「別に心配なんかしてないくせに。……それより、ボクのことは『ヴィオレ』じゃなくて、『ウルティマ』って呼んでよ!」

 

『…………え?』

 

『ウル、ティマ……? おいおい、まさかとは思うけどね……』

 

悪魔界にいるはずの二柱の原初が、絶句したのが気配で伝わってきた。

その驚きように、ウルティマはふんぞり返って得意げに自慢を始める。

 

「えへへーっ! そうだよ、ボクは今、すっごく偉大で優しい主様の配下になったんだ! 『ウルティマ』っていうのは、そのリムル様って方がボクに与えてくれた最高に素敵な名前なんだから!」

 

『名付けられた、ですって……!? 我ら原初に!? あり得ないわ、一体どれほどの器があれば、原初であるあなたに名を……!』

 

『本当かい!? じゃあ君、今は受肉して現世にいるってことなのかい!? そいつは驚きだね!』

 

名付けられ、受肉まで果たしているという事実。

悪魔界の頂点に立つ彼女たちにとって、それは世界の常識を根本から覆すほどの衝撃だった。

 

「そうだよ! しかもリムル様の国は、毎日こんなに美味しいご飯が食べられるんだ! キミたちみたいな、暗くて退屈な悪魔界に引きこもってる連中とは大違いだね! ――あ、そうそう。実はあの変わり者のノワールも一緒だよ。リムル様に『ディアブロ』って名前をもらって、今はすっごく嬉しそうに秘書なんてやってるんだから!」

 

ウルティマがマウントを取るようにさらなる特大の爆弾を投下すると、思念の向こう側で、白と黄の二人は一瞬の沈黙に陥り――直後、面白そうに、そして極めて危険な好奇心に満ちた声で笑った。

 

『……ふふっ。あなたがそこまで心酔し、誇らしげに語る存在。……そして、あの気まぐれなノワールすらも従え、名を与えたという謎の主『リムル』……』

 

『アハハ! こいつは傑作だ! 話を聞いているだけで血が騒いでくるじゃないか! ノワールのやつが秘書だなんて、笑いすぎて腹が痛いよ!』

 

原初としての退屈を持て余していた二柱にとって、これ以上ない極上の「娯楽」を見つけた瞬間だった。

 

『ねえ、ウルティマ。そのリムルという主に、私たちも是非会わせてくれないかしら?』

 

『私も行くよ! 君たちばっかりが美味しい思いをしているなんて、ずるいからね。私もその楽しいことにまぜておくれよ。退屈だけは勘弁だからね!』

 

「えーっ? どうしよっかなー。リムル様はすっごく忙しいお方だから、キミたちなんかが急に来たら迷惑かもしれないしー?」

 

ウルティマがいけずな声で勿体ぶると、思念の向こうから『今すぐこちらから行ってもいいのよ』『核熱魔法をぶっ放してから乗り込んでやろうか?』という物騒極まりない脅しが飛んでくる。

 

(そういえばリムル様、ブランとジョーヌもいずれ仲間になるって言ってたっけ。あの二人もこっちに呼び寄せてリムル様の配下になってもらえば、ボクがもっと自由に動くための良い「手駒」になってくれるかも……!)

 

二柱の気配を感じながらも、ウルティマは一切怯むことなく、むしろ自分に都合よく盤面を引っ掻き回す算段を立てながら、小悪魔的な笑みを浮かべるのだった。

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