【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
禍々しい門(ゲート)を潜り抜けると、そこは空間の歪みを利用した、高密度の魔素が渦巻く異空間だった。
俺たちは案内役のミザリーに先導され、次元と次元の狭間のようなその空間を進んでいく。
ミザリーは音もなく滑るように空間を渡り、徹底して己を殺したプロのメイドとしての矜持、そして絶対的な強者の余裕を漂わせている。
(……懐かしいな。俺の時も、こうやってミザリーに案内されてこの異空間を通ったっけな)
俺は過去の俺の影の中から、その変わらない光景を眺めて密かに郷愁を感じていた。
『おい、未来の俺。懐かしんでるところ悪いが、あの案内役の『ミザリー』ってなんなんだ?』
異空間を移動しながら、過去の俺がこっそりと問いかけてきた。
俺たちの思念伝達のネットワークは、同じ影の中に潜伏している悪魔娘たちとも共有されている。
『俺の目で見ても、最上位の悪魔公(デーモンロード)ってとこまではわかるんだが……なんか、それ以上の底知れないヤバさを感じるぞ』
(ああ、お前の勘は正しいよ。アレはただの悪魔公じゃない。原初の悪魔の一柱、『原初の緑(ヴェール)』だ)
俺の解説に、過去の俺が反応するより早く、思念の向こうから含み笑いが響いてきた。
『えへへっ。相変わらず、あの赤(ルージュ)の元で大人しく下働きをしてるんだね。少しちょっかいをかけてやろうかなー』
『アハハ! ホントだ、あいつメイド服なんて着ちゃって傑作だね!』
ウルティマとカレラが、前を歩く同格の原初(ミザリー)の姿を見て心底面白そうに囁き合う。
(おいお前ら、絶対にやめろよ。今バレたら面倒なことになるんだからな。)
俺が釘を刺す様子を感じつつ、過去の俺が思念を返してくる。
『……原初ってことはディアブロやウルティマたちと同じ最古の悪魔ってことか。なるほどな、そんなやつがメイドをやっているくらいじゃないと、魔王の拠点は務まらないってわけだ』
過去の俺は僅かに驚きはしたものの、すぐに納得したように思考を切り替えた。
すでに腹を括ってこの場に乗り込んでいる彼にとって、相手の異常な戦力はある程度想定の範囲内なのだろう。
(ああ。その主である魔王ギィ・クリムゾンは、最古にして最強の魔王だ。圧倒的な武力を持つ、この世界のパワーバランスの頂点の一角だな。……まあ、俺の時代じゃあいつとは既に仲良く(?)なってるから、万が一何かあってもどうにでもなるっちゃなるんだが。それでも、今の時点ではあまり刺激しすぎない方が得策かもな)
『えへへ、でもリムル様の方がずっとすごくてカッコいいから、赤(ギィ)なんて目じゃないよね!』
無邪気なウルティマの称賛を(ありがとうな)と軽く受け流した。
『未来の俺はその最古で最強の魔王とどうやって仲良くなったんだよ……』
過去の俺の呆れたような疑問に、影のネットワークがにわかに活気づく。
『あ、それボクも気になってた!』
『ええ、私も興味がありますわ。あの誇り高い赤と、どのようにして交友を?』
『私も聞きたいね。あいつが誰かと馴れ合うなんて想像つかないよ』
原初たちからの好奇心に満ちた思念に、俺は少し照れくさく思いながら答えた。
(いや、俺が正式な魔王になった後で、何度か会って話しているうちに……って感じだな。あいつ、意外と気さくで話の通じるやつなんだよ)
俺がそう返答すると、過去の俺は小さく息を吐いた。
『……スケールが違いすぎて参考にならないな。まあいい、ここでビビってたら、クレイマンの思い通りになるだけだからな。腹を括ろう』
(ふふっ、お前にもそのうちわかるさ)
過去の俺は表面上は泰然自若とした態度を保って空間を渡っていく。
シオンやランガも、この異空間のプレッシャーと先導するミザリーの気配に当てられ、無言で警戒を強めている。
ベレッタとトレイニーもラミリスを護るように、常に最適な迎撃態勢を維持しながらついてきていた。
やがて、異空間の出口が近づき、景色が一気に開けた。
歪みを抜けた先は、白亜の巨塔の最上階。
空間の道を抜けた俺たちは、直接、重厚な装飾が施された巨大な両開きの扉の前へと降り立っていた。
「こちらでございます。既に我が主がいらっしゃいますので、どうぞ、失礼のないよう」
振り返りざま、ミザリーが冷ややかな手つきで扉に手をかける。
その瞬間、シオンが背筋を伸ばし、剛力丸の柄に軽く手を添えて鋭い視線を扉の向こうへと向けた。
ランガもまた、過去の俺の足元で低く唸り、いつでも飛び出せるよう四肢に力を込める。
俺と共に影に潜む原初の悪魔娘たち――ウルティマ、テスタロッサ、カレラの三柱も、完全に気配を絶ったまま、興味深そうに視線を扉の先へと向けていた。
重い音を立てて開かれた扉の先――そこには、これから狂宴の舞台が始まるであろう円卓の間が広がっていた。
広大な円卓の最も奥、一目で絶対的な上座だとわかる席には、深紅の髪を逆立てた男が退屈そうに深く身を沈めている。
最古の魔王、ギィ・クリムゾンだ。
「よっ! ギィ、久しぶり! アタシも来たわよ!」
過去の俺の肩から飛び立ったラミリスが、気安く声をかけながら一直線に飛んでいく。
そして、ギィのすぐ右隣に用意された席へとパタパタと降り立った。
ベレッタとトレイニーもその後へ従い、主の背後に立って彫像のような静謐さを保ちつつ、周囲の魔王たちの動向を多角的に分析し始める。
ギィはラミリスの挨拶に軽く手を挙げて応えたが、その鋭い視線は、部屋に入ってきた新入り――過去の俺へと真っ直ぐに向けられていた。
その視線を受けつつ、過去の俺は円卓の主座に座るギィを油断なく観察していた。
『……おい、未来の俺。あのギィって魔王、とんでもない威圧感を放ってはいるが……なんだか魔素や妖気の漏れ方にムラがないか?』
歩みを進めながら、過去の俺が思念で鋭い指摘をしてくる。
『まるで、自分の妖気すらまともに制御しきれていない未熟者みたいに、わざと無駄な魔素を垂れ流してるように見える。……なるほど。相手が自分の偽装に気づけるかどうかで、新入りや他の魔王たちの力量を測る『ふるい』にかけてるってわけか。性格悪いな』
(ああ、その通りだ。よく気づいたな)
俺は静かに同意を返す。
(あいつなりの悪趣味な歓迎ってやつさ。あそこで『なんだ、最古の魔王と言っても大したことないな』なんて勘違いした馬鹿は、一瞬で足元をすくわれる。……お前が冷静で助かるよ)
『相変わらず底意地の悪いヤツだね、あいつは。でも、あの自信たっぷりの顔を一発殴ってやりたい衝動に駆られるよ』
カレラが影の中から好戦的な思念を割り込ませてくる。
(頼むから今はまだ大人しくしててくれよ?)
血の気の多い原初たちの反応にヒヤヒヤする俺の心境をよそに、過去の俺は――
『まあ、カレラの言うことにもある意味賛同できるかもな。ここで足元を見られるわけにはいかないからな』
と、ギィの放つ重圧と意地の悪い歓迎に気圧されることなく、堂々とした出で立ちで佇んでいる。
その斜め後ろでは、シオンがピタリと付き従い、円卓で待ち構える最古の魔王へ向けて「我が主に少しでも無礼を働けば容赦しない」と言わんばかりの鋭い眼光を飛ばして牽制を欠かさない。
ランガもまた、過去の俺の足元に影のように寄り添いながら、これから現れるであろう未知の敵の喉笛をいつでも食い破れるよう、低い姿勢で静かに牙を研ぎ澄ましている。
その時、ギィが不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「座ったらどうだ? 扉の前にいつまでも突っ立っていたら、邪魔だろう」
まるで旧知の友人にでも話しかけるような、気安い、だが絶対的な覇者の響きを持った声。
過去の俺はすぐには動かず、円卓の空き席を視線でなぞりながら、どこに座るべきか、そしてこの場における力関係を少しの間計算していた。
不用意に動いて隙を見せるべきではないという、彼なりの警戒心の表れだ。
だが、ギィはその様子を見て、悪戯を思いついた子供のように目を細めた。
「さっさと退かないと、踏みつぶされても知らんぞ」
「……え?」
過去の俺が聞き返そうとした、まさにその直後だった。
開け放たれたままの巨大な扉の向こう、背後の回廊から、ズシン、ズシンと地響きのような重い足音が近づいてきた。
「グルルッ……!」
ランガが危険を察知して再び低く唸り声を上げ、シオンが過去の俺を庇うようにサッと半歩前へ出て、剛力丸の柄を強く握りしめる。
影の中から外の様子をうかがっていた俺も、その規格外の質量の接近に気づき、すぐさま過去の俺へと思念を飛ばした。
(おい、後ろから来るぞ。威圧感はギィに引けを取らない……『大地の怒り(アースクエイク)』ダグリュールだ)
俺の警告とほぼ同時に、その途方もなく巨大な影が、過去の俺たちの頭上をすっぽりと覆い隠した。
「どいてもらえるか? 小さいの」
頭上から降ってきたのは、腹の底に響くような重低音の声。
過去の俺が振り返って見上げた先には、筋骨隆々という言葉すら生ぬるい、文字通りの巨人が立っていた。
常人の数倍はあろうかという巨躯から放たれる、動かざる山のごとき重厚な魔力。
彼が歩くたびに、この頑強な白亜の塔が微かに震えているように錯覚するほどだ。
そのあまりのスケールの違いに、過去の俺は思わず圧倒されたように瞬きをした。
「あ、ああ……失礼」
過去の俺は慌てて道を譲り、シオンとランガにも目で合図を送って横へ退避させた。
シオンは相手の圧倒的な体格を前にしても全く怯むことなく、むしろ不満げに眉をひそめつつ主の命に従い、巨人とすれ違う際にも油断なく鋭い視線で追っている。
ダグリュールは道を譲った過去の俺たちにそれ以上構うことなく、悠然とした足取りで円卓へと進む。
そして、その巨体に合わせた特注の椅子へと、ドスンと重い音を立てて腰を下ろした。
(……ビビったか?)
俺が影の中からからかうように問いかけると、過去の俺から少しムッとした念が返ってくる。
『ビビってねえよ。ただ、あまりのデカさに驚いただけだ。……なぁ、もしかしてあれが、ヴェルドラの言ってた『昔よく喧嘩した相手』ってやつか?』
(ご名答。ヴェルドラと本気で殴り合って無事な時点でデタラメな強さだが、見た目に反して魔王の中では比較的常識人で、話の通じる相手だよ。無闇に敵対することはないさ)
俺がそうアドバイスを送る間にも、ダグリュールは太い腕を組んで不機嫌そうに目を閉じて沈黙の置物と化した。
『なるほどな。話が通じるなら助かる。平和的に関係が構築できるならそれに越したことはないしな』
過去の俺は内心で安堵しつつも、油断なくダグリュールの巨体を視界の端に収める。
『……そういえば、ヴェルドラの奴、ダグリュールの他にもう一人、よく喧嘩した相手がいるって言ってたな。確か、吸血鬼の魔王がどうとか……』
過去の俺が記憶の片隅にある暴風竜(ヴェルドラ)の世間話を思い出していると、再び回廊から足音が響いた。
それはダグリュールの地響きのような音とは対照的な、優雅で、それでいて傲慢さを隠そうともしない確固たる足取りだった。
現れたのは、銀髪をなびかせ、豪華な意匠が凝らされた装束に身を包んだ美青年だ。
その背後には、鉄のような規律を感じさせる老執事ギュンターと、冷ややかで端正な美貌を持つ一人のメイドが、音もなく付き従っている。
「フン、不浄なスライムが魔王の席を汚しているとは。世も末だな」
青年――魔王ロイ・ヴァレンタインが、過去の俺を一瞥し、ゴミでも見るような侮蔑を込めて吐き捨てた。
初対面からのあからさまな暴言に、過去の俺はピクリと眉をひそめた。
だが、ここで声を荒らげて安っぽい挑発に乗るような真似はしない。
ただ呆れたように小さく息を吐き、無言で視線を逸らして相手にしないという態度を示した。
『あいつ、めちゃくちゃ感じ悪いな』
過去の俺が顔をしかめると、影の中から恐ろしいほどに冷え切った殺意が漏れ出そうになった。
『……ふふっ。リムル様に向かって、随分と減らず口を叩くコウモリだね。今すぐあの口、二度と開けないように引き裂いてきちゃおうか?』
『同感だね。ちょっと私が表に出て、あいつの頭をかち割ってきていいかい?』
ウルティマとカレラが物騒な提案をしてくる。
『おやめなさい、二人とも。私たちはあくまでリムル様の護衛としてここにいるのです。我々が出るべき機が訪れるまでは、冷静に状況を見極めるべきですわ』
テスタロッサが理知的な思念で二人をたしなめると、ウルティマとカレラも不満げながら矛を収めた。
(テスタロッサの言う通りだぞ。俺にお前たちを連れてきたことを後悔させないでくれよ)
俺がテスタロッサに乗っかって二人を宥めつつ、過去の俺へと念を返す。
(まあ、あの男はそういうキャラなんだよ。ところで、あの一団を見て何か気が付くことはあるか?)
俺の問いかけに、過去の俺は歩みを止めずに、さりげなく、だが鋭い観察眼をロイの一行へと向けた。
『正直、最初はあの傲慢な男の影に隠れて分かりづらかったが、よく見ればあのメイド……主であるはずの男より、明らかに魔素量が多いだろ。ラファエルさんも、あのメイドの存在には最大限の警戒が必要だって警鐘を鳴らしてる』
(正解だ。お前の言う通り、あのメイド姿の美少女こそが『真の魔王』、ルミナス・バレンタインだ。今は正体を隠して、あそこの影武者を魔王として振る舞わせてるんだよ)
俺の説明に、過去の俺の意識に衝撃が走る。
だが、彼はその名前を聞いて、何かに思い当たったように思考を巡らせた。
『ルミナス……。待てよ、ルミナス・バレンタインだって? 西方聖教会が崇めている唯一神、ルミナス……。まさか、その神と同じ名前なのは、ただの偶然じゃないよな?』
(お前の察しの通りだ。唯一神ルミナスの正体は、あそこにいる魔王ルミナス・バレンタイン本人だよ。つまり、西方諸国の頂点に立つ神が、実は魔王だったっていう、笑えないジョークみたいな話さ)
『……マジかよ。神様が魔王って、あのヒナタたちが聞いたら卒倒するんじゃないか? 魔王が神として人間を統治してるなんて、本当にこの世界の魔王はどいつもこいつもクセが強すぎるな』
過去の俺は内心で呆れ返りながらも、表情には一切出さず、ルミナスへと向けていた視線を自然に外した。
下手に正体に気づいたことを悟られれば、あの誇り高い女王の逆鱗に触れかねない。
ロイが不遜な態度のまま円卓の空席へと優雅に腰を下ろし、その後ろにギュンターとメイド姿のルミナスが彫像のように控えた、まさにその直後だった。
「ふあぁ……。ねむ……」
この魔素が渦巻く張り詰めた空間には到底そぐわない、気の抜けた大きな欠伸の声が回廊から響いてきた。
だらだらとした足取りで広間に姿を現したのは、ボサボサの髪にゆったりとした装束を纏った男だ。
過去の俺は、そのあまりにもだらしない姿に呆気を取られた。
『……おい、未来の俺。まさかとは思うが、あいつも魔王なのか? その辺で昼寝してたのを叩き起こされてきたような、気の抜けっぱなしの格好だけど…』
(ああ、『眠れる暴君(スリーピング・ルーラー)』ディーノだ。
信じられないかもしれないが、ああ見えてギィやミリムに次ぐ最古参の魔王の一柱だよ)
『ああ、あの怠け者ですか。昔から存じておりますが、相変わらずのようですね』
『本当にね。あんなのが最古参の魔王だなんて、世も末だよ』
『最古参!? 冗談だろ、威圧感の欠片もないぞ。魔王の基準が本当にわからなくなってきた……』
過去の俺が呆気にとられている間にも、ディーノはフラフラと円卓へ近づいていく。
そして、ギィの隣に陣取っているラミリスを見つけると、気怠げに片手を挙げた。
「いよーっす、ラミリス。今日はまた一段とチビだな」
「あんた喧嘩売ってるわけ!?」
挨拶代わりの無神経な一言に、ラミリスが顔を真っ赤にしてディーノをビシッと指差した。
「いやいや、事実を言っただけじゃん。元気そうで何よりだけどさ」
「ふんっ! アタシはいつだって絶好調よ! アンタこそ、こんな大事な日に寝癖つけたまんまで恥ずかしくないの!?」
「別にいいじゃん。どうせ誰も俺のことなんて見てないっての。……ふあぁ」
ディーノは面倒くさそうに頭を掻きながら、三度目の大きな欠伸を噛み殺す。
だが、そのだらけきった半開きの目が、ふとラミリスの背後に静かに佇むベレッタとトレイニーへと向けられた。
「……ってか、ラミリス。お前、いつの間に従者を連れるようになったんだ? 一人で来た俺がカッコ悪いじゃん」
ぼやきながらジト目を向けるディーノに対し、ラミリスは待ってましたとばかりにエッヘンと豊かでもない胸を張り、これ以上ないほどのドヤ顔を浮かべた。
「えへへー、いいでしょ! アタシの有能な従者、ベレッタとトレイニーよ! どう? 羨ましいでしょ、悔しいでしょ!」
得意満面で宙を飛び回るラミリス。
そのあまりのウザさに、ディーノは目を半開きにしたままボソッと呟いた。
「……なんかムカつくな。なぁ、それ、壊してもいいか?」
「ダメに決まってるでしょ!? もしベレッタやトレイニーに指一本でも触れたら、ギィに言いつけて制裁してやるんだからね!」
ディーノの抑揚のない、しかし物騒な提案に、ラミリスは顔を真っ赤にしてパタパタと二人の前に立ち塞がった。
その小さな体躯では、二人を全く庇い切れていないのだが、当のベレッタ達は「壊してもいいか」と名指しされても一切動じることはない。
ただ静かにディーノからの僅かな魔力変動を観測し、無言のまま主の盾としての役割を全うしている。
その微笑ましくもくだらないやり取りを眺めながら、過去の俺は内心で密かに息をついていた。
『……なるほどな。威圧感ゼロで底が知れない奴だと思ったが、この緩いやり取りを見る限り、なんとなくあいつらの関係性が分かった気がするぞ』
(ああ。最古参の魔王同士、気の置けない腐れ縁みたいなもんさ。ああ見えて、ディーノはラミリスのことをなんだかんだで気にかけてるからな)
俺が補足すると、過去の俺は「魔王にも本当に色んな奴がいるんだな」と少しだけ肩の力を抜いた。
騒がしいラミリスたちのやり取りに対し、円卓の他の魔王たちの反応は様々だった。
ギィは頬杖をつきながら、まるで手のかかる子供たちを面白がるような目でその口論を眺めている。
ダグリュールは腕を組んだままピクリとも動かず瞑想を続けており、ロイ・ヴァレンタインは「底辺の魔王どもが騒々しい」とばかりに不快げに舌打ちをした。
その後ろにメイドとして控える真なる魔王、ルミナスは完全に興味を失ったように冷ややかな瞳を伏せている。
「はいはい、わかったよ。手は出さないから安心しろって……ふあぁ」
ディーノが四度目の欠伸をして机に突っ伏した、その時だった。
回廊に響く、コツン、コツンという優雅なヒールの音。
重厚な扉が静かに開かれ、どこか妖艶な香りが広間に漂い始める。
現れたのは、タイトなドレスで豊満な肢体を包んだ絶世の美女――「天空女王(スカイ・クイーン)」フレイだ。
彼女の背後には、同じく有翼族(ハーピィ)の凄まじいプロポーションを誇る側近の女性と、顔をライオンのマスクで隠した大柄な従者が続いている。
『……お、おい。未来の俺、見たか? あの胸……とんでもない破壊力だぞ。後ろの従者のお姉さんもすげえ……』
歩みを進めるたびにこぼれ落ちそうに揺れる二つの双丘を前に、過去の俺は完全に男の――いや、元人間としての本能を刺激され、俺にだけ伝わる思念で興奮気味に語りかけてきた。
(……ああ。あれが『天空女王(スカイ・クイーン)』の二つ名を持つ魔王フレイだ。俺も未来で何回も見たけど、相変わらず素晴らしい曲線美だな……芸術的というか、なんというか……コホン。いや、違う! 惑わされるな! そっちじゃない、もう一人の従者の方を見ろ!)
俺自身も一瞬だけ当時の煩悩に引きずられそうになったが、慌てて咳払いをし、本来注目すべきポイントへと過去の俺の意識を誘導する。
『え? あ、あの怪しいライオンのマスクの大男か?』
過去の俺が、後ろ髪を引かれるように胸の谷間から視線をずらし、仮面の従者へと目を向ける。
(ああ。前にも話した通り、クレイマンの目を欺くためにフレイとミリムの計画に協力している、死んだはずの魔王カリオンだ。……実を言うと、俺は当時、あいつの変装を全く見抜けなかったんだよな)
俺が少し自嘲気味にそうこぼすと、過去の俺から呆れたような念が返ってきた。
『は? 嘘だろ。だって今、ラファエルさんも『カリオンと魔力波形が一致』ってちゃんと教えてくれたぞ? 俺がこうして気付けたのに、なんで未来のお前は当時気が付かなかったんだよ』
過去の俺からの至極真っ当なツッコミに、俺は少しバツの悪い思いをしながら白状した。
(いや、その……言い訳させてもらうとだな。俺の時は、この直後に魔王レオンが現れて、そっちに意識を集中しすぎたんだよ。シズさんの因縁の相手が目の前に出てきたもんだから、完全に頭に血が上っちゃっててさ。……それで、せっかくのラファエルの報告を完全に聞き流してたってわけだ)
『うわぁ……。ラファエルさんのありがたい報告をスルーするとか、当時の俺、いくらなんでもポンコツすぎないか?』
(……返す言葉もございません)
《……当時のマスターは、私の報告よりも個人的な感情を優先する傾向にありましたから。過去のマスターの仰る通りかと存じます》
シエルまでもが、どこか呆れたような、それでいて微かに楽し気な気配を伴って過去の俺のツッコミに同意してきた。
絶対的な味方であるはずの相棒からの容赦のない追撃に、俺は更なる精神的ダメージを負って密かに項垂れるしかなかった。
俺たちが影と表でそんな間の抜けた思念のやり取りをしている間にも、当のフレイは、新入りである過去の俺からの視線や、その後ろからのシオンの刺すような眼光にも涼しい顔のまま、優雅な足取りで円卓へと進む。
そして、ダグリュールの反対側にあたる席へと、静かに腰を下ろした。
ライオンのマスクの従者(カリオン)と双翼の側近も、一切の音を立てずにその後ろへと控える。
その直後だった。
再び、重厚な扉が開かれる音が広間に響き渡る。
これまでに入室してきた者たちとは明確に異なる、冷徹で鋭利な、まるで研ぎ澄まされた極寒の刃のような覇気が室内に流れ込んだ。
現れたのは、白銀の髪を持つ、冷酷なまでに整った容貌の男だった。
元勇者にして、現在は魔王を名乗る特異な存在――「白金の剣王(プラチナム・サーベル)」レオン・クロムウェルだ。
レオンは広間に足を踏み入れると、上座のギィや他の魔王たちには目もくれず、迷いのない足取りで真っ直ぐに一つの席へと向かってきた。
コツン、コツンと冷たい足音が近づき、彼が足を止めたのは、他でもない――新参者である過去の俺の目の前だった。
(……来たな。こいつが、シズさんを召喚した元凶だ)
影の中から、俺は過去の俺へと静かに念を送る。
未来の俺がかつて冷静さを欠く原因となった張本人だ。
『ああ。分かってる』
過去の俺の心中に、冷たい怒りがチリッと静電気のように走るのを感じた。
ただならぬ気配で一直線にこちらへ向かってきたレオンに対し、背後のシオンがピクリと反応し、剛力丸の柄に手を添えて鋭い殺気を放つ。
足元のランガも、いつでも飛びかかれるよう低い唸り声を上げた。
俺の必死の制止に、過去の俺は心底同情するような呆れた念を返しながらも、片手で軽くシオンたちを制し、目の前の男を真っ直ぐに見据え返した。
レオンは、シズさんの面影を色濃く残す過去の俺の姿を、まるで値踏みするように、あるいは遠い記憶の中の何かを探るように、射抜くような鋭い瞳で静かに見下ろした。
そして、感情の読めない、静かだがよく通る声で短く問いかけてきた。
「お前が、リムルか」
レオンの静かな、しかし確かな重圧を伴う問いかけに、過去の俺は一切の怯みを見せることなく、真っ直ぐに見据え返した。
「ああ、そうだよ。何か用事でもあるのか? 魔王レオン」
その毅然とした返答に、レオンは僅かに目を細め、俺の――いや、俺が引き継いだシズさんの面影をなぞるように視線を動かした。
「いや。その姿をみて、懐かしく思っただけだ」
淡々と紡がれたその言葉に、過去の俺の心中に冷たい火が灯る。
だが、それは怒りに我を忘れるような炎ではない。
静かに、しかし確実に相手を見極めるための理知的な炎だった。
「彼女を覚えているんだな。安心したよ。俺のこの姿を見て何も思わないようだったら、この場で殴っているところだったからな」
「…………」
「シズさんは死んだぞ、レオン」
過去の俺が静かに、だが確かな刺を込めて告げると、レオンは表情一つ変えずに答えた。
「知っているさ。だが、殴られる謂れはないな。彼女が人として生きる道を選んだ結果として迎えた最期だ。イフリートを受け入れ魔人となれば、生きながらえることもできただろう。そうしなかったのは彼女の意思だろう」
まるで他人事のような、冷徹な事実の羅列。
背後でシオンが怒りに小さく震え、ランガが低い唸り声を上げる。
かつての俺なら、シズさんの無念を思い出してここで完全に頭に血が上り、冷静さを失っていただろう。
だが、直前に俺から「カリオンの変装を見落とすほど意識を持っていかれた」と失敗談を聞かされ、釘を刺されていた過去の俺は、極めて冷静にレオンの言葉を受け止めていた。
「まぁ、私は彼女を看取ったわけではないので真実はわからんがな」
レオンはそう言って薄く冷ややかな笑みを浮かべると、再び過去の俺の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「だが、お前にも興味がある。招待してやるから、文句があるのなら来るが良い」
まるで試すかのような響きを持つレオンの言葉。
過去の俺は口角を少しだけ上げ、不敵な笑みでその冷徹な視線を真っ向から受け止めた。
「へえ、いい度胸だな。その招待、謹んで受けてやるよ」
そう言い放ち、過去の俺はそれ以上相手にする意味はないとばかりに踵を返した。
シオンとランガを従え、円卓の空いている末席へと悠然とした足取りで向かっていく。
『……ふぅ。どうだ未来の俺、完璧な対応だっただろ?』
(ああ、大したもんだよ。)
『お前が事前に忠告してくれたおかげだ。危うく我を忘れて殴りかかるところだったぜ』
過去の俺が安堵混じりにそうこぼしたのを聞いて、俺は少しだけ間を置き、静かに言葉を継いだ。
(……なあ、一つだけ言っておく。俺は自分の歴史の先で、色々とあってレオンと和解してな。今じゃそれなりに良好な関係を築いているんだ)
(……なんだと? あのシズさんを泣かせた野郎と?)
過去の俺から、微かな驚きと反発の念が伝わってくる。中庸道化連の時と同じ反応だ。
(ああ。あいつにはあいつなりの複雑な事情があったからな。……だが、だからといって過去の俺であるお前に、すぐにそれを飲み込んで和解しろなんて言うつもりはない。お前はお前の目でしっかりとあいつを見て、今後の付き合い方をどうするか、自分自身で考えて判断すればいいさ)
俺が諭すようにそう伝えると、過去の俺は少しだけ沈黙した後、納得したように息を吐いた。
(……分かった。未来の俺がそういうなら、何か裏があるんだろう。俺の目で、あいつが本当にどういう奴なのか見極めてやるよ)
内心でそんなやり取りを交わしながら過去の俺が席に着くと、レオンもまた静かに歩みを進め、フレイの隣に用意された席へと腰を下ろした。
これで、円卓の空席は残り二つとなった。
ギィが退屈そうに指先で深紅の髪を弄りながら、開け放たれたままの扉の方へと目を向ける。
「さて……これで残るはクレイマンとミリムだけか。いつまで待たせるつもりだ?」
ギィの言葉に応えるように、回廊の奥から足音が響いてきた。
重厚な扉から広間へと悠然と姿を現したのは、燕尾服に身を包んだ道化――魔王クレイマンだ。
そして、彼に付き従うようにして一人の少女が足を踏み入れた。
感情の消えた虚ろな瞳。
生気を失ったような重い足取り。
それは間違いなく、かつて共に笑い合った親友、破壊の暴君(デストロイ)――ミリム・ナーヴァの変わり果てた姿だった。
だが、その痛ましい姿に息を呑む暇も与えず、クレイマンが不意に振り返り、追従する少女へ向けて思い切り腕を振り抜いた。
「さっさと歩け、このウスノロ!」
パァンッ!と。
広間の張り詰めた空気を切り裂くように、乾いた打撃音が響き渡る。
乱暴に頬を張られたミリムは、抵抗する素振りすら見せず、ただよろめきながら立ち尽くしていた。
その信じがたい光景に、円卓の空気が僅かに揺らいだ。
最強の一角であるはずのミリムが、クレイマンごときに殴打され、あまつさえ一切の反撃をしない。
その異様な事態に対し、巨人王ダグリュールは閉じていた片目を開けて微かに眉をひそめ、ロイ・ヴァレンタインは胡散臭いものを見るように目を細めた。
机に突っ伏していたディーノすら、薄く目を開けて驚いた表情をしていた。
だが、上座のギィはただ面白そうに口角を歪め、フレイは完璧な無表情を貫いて一切の反応を示さなかった。
『……ッ!! クレイマンの野郎……!!』
過去の俺の心中に、これまでとは比較にならない、どす黒く強烈な怒りが湧き上がる。
背後のシオンは目を血走らせて既に剛力丸を半ばまで引き抜き、足元のランガは毛を逆立てて今にも咆哮を上げて飛びかからんとしていた。
『あーあ。魔王ミリムが演技をしているとは聞いてたけど、リムル様の大事な友人に手を上げるなんて。ねえねえ、あの下品なピエロ、後でボクが跡形もなく消し飛ばしてきてもいいかな?』
『賛成だね。用が済んだら、あのふざけた顔をぐちゃぐちゃに踏み潰してやるよ』
事前にミリムの芝居について共有されている影の中のウルティマとカレラも、その無礼な振る舞いに堪えきれないといった様子で凶悪な殺意を膨張させる。
(お前らも落ち着け!)
過去の俺の怒りと、悪魔たちの暴走を同時に察知し、俺は影の中から必死に、そして落ち着いた声色で念を送った。
(ミリムが殴られていい気分がしないのは、俺だって同じだ。だが、前に説明した通り、アレはミリム自身の意思による演技だ。クレイマンによってカリオンやフレイに危害が及ぶのを防ぐためのな)
『……頭では分かってる。分かっちゃいるが、目の前であんな風に扱われてるのを見ると、どうしても我慢が……!』
(その気持ちは痛いほど分かる。……それに、あんな胸糞の悪い態度を見せられりゃ、クレイマンに対する印象も最悪だろうが、俺たちにはもう一つの目的があることを忘れるなよ)
俺の言葉に、過去の俺の意識がハッと冷静さを取り戻す。
(俺たちには、帝国の連中によって施されたクレイマンの精神支配を解くっていう目的がある。あいつもまた、操られている被害者の一人にすぎないんだ。精神支配を解く機会を見極めるまで、慎重に行動する必要がある)
『……ああ、そうだったな。危うく目的を忘れて、怒りに任せてぶち壊すところだった』
過去の俺は小さく息を吐き出し、ギリッと奥歯を噛み締めて怒りを呑み込んだ。
そして、後ろに控えるシオンとランガへも「待て」と絶対の命令を送り、強引にその場へ留まらせる。
『……寛大なる主の命とあらば。ですが、あの道化の命運はすでに尽きたも同然ですわね』
テスタロッサの冷ややかな一言と共に、悪魔たちも不満げながら殺気を収め、再び完璧な潜伏状態へと戻っていった。
『ミリムの我慢を無駄にはしない。そして、クレイマンの野郎も……絶対に支配から解放して、今までやったことの清算をとらせてやる』
冷たく研ぎ澄まされた理知的な眼光を瞳の奥に宿し、過去の俺は席に座ったまま、クレイマンを真っ直ぐに見据えた。
クレイマンは、周囲の魔王たちが向けている微かな違和感や、こちらから放たれた極大な殺気にも全く気づく様子はなく、むしろ「どうだ」と言わんばかりにミリムを従え、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら広間の中央へと進み出てきた。
クレイマンは広間の中央でピタリと立ち止まると、まるで自分がこの世界の支配者にでもなったかのように、芝居がかった大仰な身振りで両手を広げた。
「お待たせいたしました、皆様! この度は私の呼びかけに応じていただき、心より感謝申し上げます! ここに『魔王達の宴(ワルプルギス)』の開催を宣言いたします!」
陶酔と歓喜に満ちた道化の高らかな宣言が、張り詰めた魔素が渦巻く白亜の広間に響き渡る。
その言葉を合図とするように、俺たちが潜り抜けてきた巨大な両開きの扉が、重々しい地響きを立てて完全に閉ざされた。
もはや後戻りはできない。
ここは絶対的な力と謀略が交差する、世界の頂点に立つ者たちの狂宴の舞台だ。
『……さあ、いよいよ始まるな』
(ああ。舞台の役者は全て揃った。あとは、クレイマンがどんな滑稽な台本(シナリオ)を用意してきたか、特等席で見せてもらうだけだ)
絶対の自信を顔に張り付け、勝ち誇るクレイマン。
その隣で虚ろな瞳のまま佇み、反撃の時をじっと耐え忍ぶ最強の親友ミリム。
クレイマンの背後で虎視眈々と牙を研ぐフレイと、死んだはずの男カリオン。
そして、この盤面すらも退屈しのぎの余興として楽しむ、ギィをはじめとする最古の魔王たち。
だが、クレイマンはもちろん、この場にいる誰一人として気づいていない。
歴史の結末を知る『未来からの異物』が、この場に紛れ込んでいることなど。
そして、過去と未来、二つの魂が重なった一匹のスライムが、何よりも鋭利な反逆の刃を静かに研ぎ澄ましていることなど。
(シエル、準備はいいな?)
《はい、マスター。事前の想定通り、全ての解析は滞りなく完了しています。いつでも対象の精神干渉を断ち切る準備は整っております》
相棒の頼もしい返答に、俺は影の中で小さく頷く。
(よし。……過去の俺、ここからは一瞬の油断も許されない盤面になる。クレイマンの目を覚まさせ、裏で糸を引く帝国の連中を出し抜くぞ)
『当然だ。俺の大事なダチを殴った代償……そして、俺たちを舐めた代償。きっちりと一番高い利子をつけて払わせてやる』
過去の俺は、黄金の瞳に静かで冷徹な闘志を宿し、不敵な笑みを浮かべた道化を真っ直ぐに見据えた。
その後ろでは、シオンとランガが主の背中を守るように、圧倒的な戦意を内に秘めて静かに控えている。
陰謀と野望、そして二つの時空が交差する『魔王達の宴(ワルプルギス)』。
嵐の前の静けさを破り、全てを覆すための宴の幕が、今、静かに切って落とされた――。
転生したらスライムだった件 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 第五部 完
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
色々と大変でしたがなんとか6月中に第五部を投稿しきる事ができました。
第六部は7月に入ってから、今の状況(原初の三柱が仲間入りしている等)に合わせた変更を終わらせた後に投稿をしたいと思っています。(実生活で新しい事が始まるので、想定よりも投稿が遅れるかもしれません)
それではまた第六部でお会いしましょう。