【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第六部
序章 無血の蹂躙


獣王国ユーラザニア。

その美しい市街地から遠く離れた広大な荒野に、今、無数の魔物がひしめき合っていた。

 

本来の歴史であれば──獣王国の首都は、この時点ではもう地図の上には存在していなかったはずだ。

魔王ミリムの、たった一撃。

それだけで都は塵へと変わる運命にあった。

 

だが、未来からの介入が、その結末を書き換えた。

ユーラザニアは無傷のまま、今もその雄大な威容を大地に留めている。

 

その平穏な市街を戦火に触れさせぬため。

テンペスト軍総大将ベニマルは、クレイマン軍が領内へ深く踏み込むより遥か手前──この荒野にて、苛烈な『強襲捕縛作戦』を決行していた。

 

『──報告します! 右翼、ゲルド殿率いる猪人族(ハイ・オーク)部隊、敵中衛の武装解除および捕縛を完了!』

 

『左翼、ガビル殿の飛竜衆も敵後方部隊を制圧! 上空からの麻痺毒散布と捕縛網、いずれも予定通りに機能しております!』

 

平原を一望する小高い丘の本陣に、『思念伝達』の報告が次々と流れ込んでくる。

各戦況をリアルタイムに束ねながら、ベニマルはただ静かに頷いた。

 

「よし、順調だな」

 

余裕すら滲む口調で、彼は独りごちる。

 

「リムル様の『死者は一人も出すな、全員を生かして捕らえろ』という無茶振り……最初に聞いた時は、さすがに頭を抱えたが」

 

魔物同士の戦において、手加減して生け捕るというのは至難の業だ。

殺すより、殺さない方がずっと難しい。

それが戦場の常識である。

 

だが、と。

ベニマルは口の端を吊り上げる。

 

クレイマン軍の行軍ルート。部隊の構成。装備。果ては、各指揮官の性格や癖に至るまで。

その一切を、未来のリムルは事前に教えてくれていた。

 

ゆえに、これはもはや戦争ではない。

盤面も、手順も、結末さえも決まりきった──ただの大規模な『狩り』に過ぎなかった。

 

平原のあちこちで、ゲルド麾下の黄色軍団(イエローナンバーズ)が『土操作』で敵兵の足を封じ、次々と縛り上げていく。

空を逃れようとする者は、ガビルの飛竜衆が的確に絡め取る。

そしてベニマル直属の紅炎衆(クレナイ)は、殺傷を避けた最小限の攻撃で敵の武具だけを弾き飛ばし、鋭い散兵戦術で敵陣を分断しては、逃げ場を失った兵を的確に無力化していった。

 

開戦から幾許もせず、クレイマン軍の主力は、その大半が無傷のまま機能を停止していた。

 

──ただ一点。

戦場の中央だけが、未だに土煙を巻き上げて荒れていた。

 

敵の現地司令官。

クレイマン配下、五本指筆頭の『中指』のヤムザが率いる、本陣周辺である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「全隊、油断するなっす! リムル様からの至上命題、きっちり果たすっすよ!」

 

その乱戦のど真ん中で、一際よく通る声を張り上げる者がいた。

ゴブタと、彼が率いるゴブリンライダーズだ。

 

星狼族(スターウルフ)の高速の機動力を活かし、ヤムザ直属の精鋭を相手取って、彼らは『倒さないギリギリ』の攪乱戦を繰り広げている。

 

異世界人の襲撃──あの一件以来、ゴブタは変わっていた。

 

「リムル様を守るには、オイラ自身がもっと強くならなきゃダメっす」

 

そう痛感してからというもの、彼はハクロウの地獄の修行から一度も逃げなかった。

加えて、あの戦いで『災厄の核塊(カラミティ・コア)』を纏った刹那に味わった、疑似的な『思考加速』の感覚。

それを身体の芯に刻み込んだ彼は、猛特訓の末、ついに自力での『思考加速』の獲得までやってのけたのだ。

 

ハクロウ直伝の剣理。

極限まで研ぎ澄まされた思考の速度。

そして星狼族の機動力。

 

三つが噛み合った時、ゴブタの動きは神業の域へと踏み込む。

 

急所を的確に外し、武器だけを弾き飛ばす。

殺さず、されど確実に無力化する。

その繊細極まる暴力の前に、ヤムザ自慢の精鋭たちは為す術なく、次々と戦意を手放して地に伏していった。

 

そして、その乱戦の中心。

ゴブタたちが築いた包囲の只中で、司令官ヤムザは怒りと屈辱に顔を歪めていた。

 

「な、なんだこれは……ッ! 貴様ら、なぜ殺さん!? なぜ、この俺を──魔王クレイマン様の軍勢を前に、こうも舐めた真似ができる!!」

 

氷結魔剣(アイスブレード)を構え、血走った眼で吠えるヤムザ。

 

その視線の先。

獣王国を束ねる三獣士の筆頭、『黄蛇角』のアルビスが、圧倒的な覇気を纏って静かに佇んでいた。

 

彼女はもう、何一つ出し惜しみをしていない。

 

頭部には、黄金に輝く一本の角。

その下半身は、巨大な蛇へと変じている。

普段の柔和な面影は綺麗に消え失せ、冷徹な捕食者としての本性を、余さず解き放った姿だ。

 

全身から迸る紫電が、平原の大気をびりびりと震わせていた。

 

「この姿だと、手加減が利きませんの」

 

ヤムザから視線を外さぬまま、アルビスは静かに告げる。

だが、その声には有無を言わせぬ絶対の圧があった。

 

「──ゴブタ殿。部下を連れて、お下がりなさい」

 

その一言に、ゴブタは即座に判断を下した。

 

「みんな、巻き込まれる前に一旦退避っす!」

 

部下たちを安全圏へ逃がす。

だが、当のゴブタ自身は、その場から一歩も退かなかった。

 

「アルビスさん。オイラは援護に残るっす!」

 

ハクロウの教え。

そして、リムルの盾となるという覚悟。

その二つが、彼を退かせなかったのだ。

 

その姿を横目に捉え、アルビスは内心で微かに目を見張る。

 

(……ほう。本気を解放したこの私を前にして、なお一歩も引かず、主の盾たる矜持を貫きますか)

 

ただのお調子者だと、そう侮っていた。

だが──違う。

 

(見事な武の心と、忠義を宿した戦士ですわね)

 

黄金の瞳の奥に、微かな称賛の色が灯る。

 

「……ええ。心強いですわ、ゴブタ殿」

 

そう零してから、アルビスはヤムザへと冷徹な眼差しを戻した。

 

「さて。ヤムザ、とやら」

 

その声が、一段と低く沈む。

 

「大人しく剣を捨て、降伏なさい。今ならば、まだ慈悲を与えて差し上げますわ」

 

「慈悲、だと……? ふざけるなッ! クレイマン様の威光も知らぬ、下等な獣どもがァ!!」

 

激高したヤムザが、周囲の空気ごと凍てつかせながら、氷結魔剣を振りかぶった。

 

だが。

本気を解いたアルビスにとって、その剣速は──止まって見えるも同然だ。

 

「その程度の冷気で、私を貫けるとでも?」

 

冷ややかに言い放つや、彼女は蛇の尾を鞭のごとくしならせ、ヤムザの一撃をいとも容易く弾き返した。

 

ヤムザの冷気と、アルビスの紫電が、戦場に荒れ狂う。

凍てつく刃と、灼ける雷。

その相反する暴威が交錯する、死の領域。

 

──その隙間を、ゴブタは縫って走っていた。

 

『思考加速』が、世界の速度を引き延ばす。

迸る雷の一筋一筋が、はっきりと見える。

凍てつく冷気の膜の、その薄い一枚まで見切れる。

 

ゴブタは『影移動』を織り交ぜ、致命の狭間を潜り抜けて、ヤムザの懐へと肉薄していく。

 

(ええい、目障りなゴブリンめ……ッ! ならば──ッ)

 

ヤムザの瞳に、狡猾な光が宿った。

 

彼は長袖の奥に忍ばせたマジックアイテム──『鏡身の腕輪(ドッペルゲンガー)』へ、密かに魔力を流し込む。

 

直後、その姿が僅かに揺らいだ。

 

土煙が舞う乱戦の死角を利して、彼と寸分違わぬ容姿、寸分違わぬ魔力波形を持つ『分身』が、音もなく生み出される。

 

「死ねぇッ! 獣の分際でぇぇッ!!」

 

分身のヤムザが、猛然とアルビスへ特攻していく。

 

そして本体は、その隙に息を殺し、乱戦の死角を伝ってアルビスの背後へと回り込んだ。

 

容姿も、魔力の波形も、寸分違わぬ二つのヤムザ。

『鏡身の腕輪』を知らぬ者ならば、まず間違いなく本体を見失う。

 

(フン……愚かな獣どもめ。これで、終わりだ──ッ!)

 

完璧な奇襲への布石。

背後から、必殺の刃を振り下ろそうとした。

 

まさに、その刹那。

 

「甘いっすよ」

 

「なッ──ぁ!?」

 

死角に回り込んだはずのヤムザの、さらにその背後。

伸びた影の中から、ゴブタが音もなく飛び出した。

 

戦場の全てを俯瞰していた彼の眼は、ヤムザの不自然な魔力の揺らぎと、本体が滑り込んだ軌跡を、加速した思考の中で完全に見切っていたのだ。

 

どちらが偽物か、などと迷いはしない。

魔力が『二つに割れた』その瞬間を、ゴブタはただ視ていた。

 

放たれた鋭い回し蹴りが、ヤムザの延髄へ吸い込まれる。

 

「がはッ……!?」

 

脳を揺さぶられ、無様に地を転がるヤムザ。

 

同じ刻、正面から突撃した分身は、アルビスの巨大な尾に容易く絡め取られ、ミシ、と嫌な音を立てて砕け散った。

 

「……随分と小賢しい真似を。ですが、ゴブタ殿の目は、誤魔化せなかったようですわね」

 

驚愕に目を見開くヤムザを、アルビスとゴブタが静かに見下ろす。

 

パニックに陥った彼が、なおも逃走を図って踵を返した──その瞬間。

 

「逃がすわけがないでしょう。大人しく、縛につきなさい──」

 

ヤムザの視界が、いつの間にか回り込んでいたアルビスの輝く黄金の双眸と、真っ向から交差した。

 

エクストラスキル『天蛇眼(ヘビノメ)』

 

アルビスの瞳の奥で、呪わしい光が明滅する。

 

次の刹那、ヤムザの全身を凄まじい悪寒が駆け抜けた。

 

「あ、が……ッ!?」

 

目に見えぬ巨大な毒蛇に全身を絡め取られ、骨の髄まで猛毒を注ぎ込まれたかのような感覚。

 

ヤムザの身体は瞬時に硬直し、指一本動かせなくなる。

握りしめていた氷の魔剣が、力なく手を滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てた。

 

状態異常──『全身麻痺』。

 

邪眼の権能により神経伝達を断たれたヤムザは、その場へ崩れ落ちた。

 

「……これで、終わりです」

 

黄金の角を輝かせたまま、アルビスは冷徹に、しかしどこか憐れむような響きで告げる。

 

「あなたの部下も、既に我が軍が捕縛を終えました。これ以上の抵抗は無意味。大人しく投降なさい。……大恩あるリムル様は、無用な殺生を望まれません。降伏さえ受け入れれば、命までは奪わないと約束いたしますわ」

 

屈辱と恐怖に顔を歪めるヤムザ。

だが自身の命に代える事はできないと降伏を申し出ようとした。

 

──しかし。

その時だった。

 

(な、なんだ……ッ!? 腕が勝手に…!?)

 

動かないはずのヤムザの右腕が。

唐突に、まるで見えぬ糸に吊られた操り人形のごとく、ビクリと跳ねた。

 

その異様な光景に、アルビスの表情が険しく強張る。

 

「一体、何が起きて……。私の『天蛇眼』受けて自力で動けるわけが──」

 

困惑する二人の眼前で。

 

ヤムザ自身の意志を完全に無視し、アルビスの強力な呪縛すらも強引に上書きして。

その腕は、彼の懐へと伸びていく。

 

そして、ヤムザ自身すら持ち込んだ覚えのない、禍々しい妖気を放つ、どす黒い『宝珠』を掴み出した。

 

(な…なんだこれは…。こんなものを持ってきた覚えは…)

 

その宝珠から溢れ出す絶望的な気配。

そして、己の肉体の制御を丸ごと外部に奪われているという事実。

それらが、ヤムザの心に決定的な恐怖を這い上がらせる。

 

「ま、まさか…。お、おやめ、ください……クレイマン、様……ッ!」

 

麻痺で強張った喉から、掠れた懇願が漏れた。

 

己もまた、使い捨ての『傀儡』の一つに過ぎなかった──。

その残酷な真実を悟った時には、もう、何もかもが手遅れだった。

 

ヤムザの右手が、本人の必死の抵抗を嘲笑うように、禍々しい宝珠を力強く握りしめる。

そのまま、己の口元へと強制的に運び──

飲み下そうとした、まさにその寸前。

 

「──おっと。そいつを喰われると、色々と面倒なんでな」

 

鼓膜を撫でる、余裕に満ちた声。

それと共に、紅蓮の旋風がアルビスの横をすり抜けた。

 

次の瞬間には、ヤムザの眼前に総大将ベニマルが立っている。

 

刀を抜きすらせず。

その硬い鞘の先で、彼はヤムザの右手を、正確に、そして強かに打ち据えた。

 

パァンッ、と乾いた音。

 

ヤムザの指の間から、宝珠が弾き飛ばされる。

どす黒いそれは弧を描いて宙を舞い、彼の口から遠く離れた地面へと、ゴロリと転がっていった。

 

突如として最前線に現れた紅蓮の総大将に、アルビスは黄金の瞳を丸くする。

 

「ベ、ベニマル殿!? 後方の本陣で指揮を執っておられるはずでは!?」

 

総大将が、自ら乱戦の只中へ飛び込む。

通常ならば、あり得ぬ事態だ。

いかに戦局が優位でも、万一があれば軍全体の士気に関わる。

 

だが、ベニマルは事もなげにニヤリと笑ってみせた。

 

「なに。リムル様からの命令を、こなしに来ただけだ」

 

彼は転がった宝珠を一瞥する。

 

「未来のリムル様から、事前に言われていたんでな。『ヤムザの野郎は、土壇場でクレイマンに操られて、ヤバい宝珠を飲まされる。そうなると、とびきり面倒なバケモノが生まれる。だから、絶対に喰わせる前に叩き落とせ』──とな」

 

「あの方がそのようなことを…」

 

「ああ。あの宝珠を取り出した瞬間、お前の麻痺が無理やり破られることも全て経験済だったそうだ。だからこそ俺は、この瞬間を逃さぬように行動していたというわけだ」

 

アルビスは、戦慄した。

 

クレイマンの卑劣な罠も。

ヤムザが隠し持っていた最後の切り札も。

その全てが、あの未来から来たスライムの掌の上だったのだ。

 

一方、地に這いつくばったヤムザは──。

 

主に見捨てられた絶望よりも。

自我を奪われ、得体の知れぬ化物へ成り果てる運命から救い出されたという、深い安堵に呑まれていた。

 

死を覚悟した男の顔から、狡猾な毒気がすっと抜け落ちる。

 

「……降伏、する。俺の、負けだ。捕虜にでも、何でもしてくれ……」

 

力なく、しかし明確に。

ヤムザは、ベニマルへ降伏の意を示した。

 

敵の総大将の心が、完全に折れた瞬間。

ユーラザニア平原の戦いは、事実上、テンペスト軍の完全勝利をもって幕を閉じた。

 

「やれやれ。手間をかけさせてくれる」

 

ベニマルは肩をすくめ、二人へ顎をしゃくった。

 

「アルビス殿、ゴブタ。こいつの身柄を拘束しろ」

 

「はっ。承知いたしましたわ」

 

「了解っす!」

 

 

 

 

 

 

 

 

勝利の安堵が、戦場の張り詰めた糸を、そっと緩めていく。

 

ベニマルたちが、ヤムザの捕縛へと意識を向けた──その、背後。

 

鞘に弾かれ、数メートル先の土埃に塗れて転がった、どす黒い宝珠。

主を失い、ただの石くれに成り下がったように見えた、それが。

 

ドクン、と。

 

醜悪な心臓が産声を上げるように、赤黒い光を、一度、明滅させた。

 

──否。

一度ではない。

 

ドクン、ドクン、ドクン。

 

三度。

まるで、性質の異なる三つの脈が、一つの器の中で重なり合ったかのように。

 

盤面の遥か外側から、その三つの気配が、確かに『こちら』を覗き込んでいた。

誰にも聞こえぬ声で、面白がるように。

 

 

 

 

 

「…この箱庭にもだいぶ影響を与えられるようになってきたな」

「…ええ、これで『私』にもっと近づけるわ」

「…早くまた『僕』に会いたいな」

 

 

泥のように濁った高次元の狭間で、三つの意志が交錯する。

彼らの底知れぬ悪意に呼応するように、現世に落ちた宝珠の脈動はさらにその赤黒い輝きを増していく。

だが、確かな手応えを喜ぶ彼らの声には、ほんの僅かだが、忌々しげな苛立ちが混じっていた。

自らの完全なる干渉を阻む、目障りな『防壁』に対する苛立ちが。

 

 

 

 

「それにしても、『俺』の中のもう一つの存在、アレは厄介だな」

「アレさえいなければとっくに『私』は私になっていたのに」

「『僕』が"この世界に来た時の戦い"でアレの権能の何割かを封じたというのにね」

 

 

 

 

リムルの相棒たる存在は確かに今も『彼ら』の浸食を阻害し続けている。

だが、闇の奥底で蠢く三つの精神体は、すぐに余裕を取り戻すように再び深く同調した。

 

 

 

 

「…どちらにせよ、焦る必要はないな。この世界にいる限り、いつかは一つになる」

「…どちらにせよ、焦る必要はないわ。この世界にいる限り、いつかは一つになる」

「…どちらにせよ、焦る必要はないね。この世界にいる限り、いつかは一つになる」

 

 

 

 

勝ち鬨と安堵に沸く戦場の喧騒の中で。

その微かな、しかし確かな異変に気づく者は──まだ、誰一人としていなかった。

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