【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
ユーラザニアの都から離れた戦場。
そこはまさに、怪獣大戦争と呼ぶに相応しい阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「ギィィィィィィアァァァァァァッ!!」
大地を揺るがす咆哮を上げる巨大な一つ目の異形──暴風大妖渦(カリュブディス)。
だが、その巨躯には、本来あるはずのない禍々しい四肢が生えていた。
飛行能力を失っている代わりに、鱗に覆われた極太の腕が大地を薙ぎ払い、強靭な脚が大地を踏み砕く。
ただでさえ厄介な『魔力妨害』と無数に湧き出る『空泳巨目鮫(メガロドン)』に加え、凶悪な格闘能力まで備えた常軌を逸した怪物が暴れ狂っているのだ。
「ぬんっ!!」
その理不尽な暴力の化身に対し、一歩も退かずに正面から殴り合っている男がいた。
竜を祀る民を束ねる神官長、ミッドレイである。
彼はカリュブディスの振り下ろす丸太のような剛腕を素手で受け止めると、強烈な闘気を込めたカウンターの拳をその腹部へと叩き込んだ。
ズガァァァンッ!! という重い衝撃音。
だが──ミッドレイの表情が、驚愕に凍りついた。
「なっ……!?」
ミッドレイの拳は確かに命中していた。だが、カリュブディスの体を覆う『どす黒い波動』に触れた瞬間、込められていた闘気が霧散し、物理的な質量すら虚しく四散した。
敵は痛みを感じる素振りすら見せず、三つの赤い瞳孔を不気味に光らせながら、無造作にミッドレイの体を薙ぎ払った。
「ぐぅッ……! なんという力か、それに今の奇妙な手応えは……!」
後方へ吹き飛ばされながら体勢を立て直したミッドレイが、信じられないものを見るように目を見張る。
「あちゃー……ミッドレイ様、これシャレになってないっすよ」
側近のヘルメスが、緊迫した戦場にはおよそ似つかわしくない、間延びした声を上げながら主のもとへ駆け寄ってくる。
その顔には、悲愴感などかけらもない。ただ、飄々とした態度の下で、目だけは油断なく敵の一挙手一投足を追っていた。
「甘ったれたことを言うでない!」
だが、返ってきたのは怒鳴りにも似た一喝だった。ミッドレイは拳を握り直し、再びカリュブディスへと真っ直ぐに向き直る。
「一撃で効かぬのなら、効くまで拳を叩き込むまでよ! 竜を祀る民の名折れとなるくらいなら、拳が砕けるまで殴り続けてくれるわ!」
「はいはい、いつもの理論っすね」
ヘルメスは怒鳴られてもまるで堪えた様子もなく、へらりと肩をすくめてみせた。だが、その口ぶりとは裏腹に、彼の脳裏では冷静な算段が既に組み上がっている。
(……スキルも闘気も透過して、純粋な質量でしか押せない、ね。だったら一人でどつき続けたって埒が明かない。数で押して的を絞らせて、隙を作ってから畳みかけるしかないか)
竜を祀る民の中でも実力者であるヘルメスは戦力分析を一瞬で済ませ、軽薄な調子を崩さぬまま、素早く側面から援護の号令を飛ばした。
「ま、いいっすけどね。──おらぁ、お前ら! ミッドレイ様が引き付けている間に、こっちは横っ腹から数で嬲るぞ!」
元々、未来のリムルからの知識の共有により、テンペスト側は彼ら『竜を祀る民』がミリムの配下であり敵ではないと認識していた。
そのため戦場でコンタクトを取った時点で事情を話し、無駄な敵対は避けていたのだ。
もっとも、血の気の多いミッドレイとスフィアは「良い機会だ」とばかりに実戦形式の激しい模擬戦を始めてしまっていたのだが……このカリュブディス出現の騒ぎを聞きつけ、ミッドレイは側近のヘルメスや民たちを率いて即座に討伐へと参戦してくれていた。
しかし、その竜の民の長であるミッドレイの全力の一撃すら、眼前の怪物には決定打となっていなかった。
「どういうことだ!? オレの拳が通用しない……!?」
「私の『天蛇眼(ヘビノメ)』も、全く効果がありませんわ!」
スフィアが放った拳も、アルビスが放つ強力な状態異常魔法も、カリュブディスを覆う黒い波動に触れた瞬間、『魔法やスキルという事象そのものが存在しない』かのように完全に無効化されてしまった。
「俺が取り込まれた時より、明らかに厄介な姿になってやがる……! あいつらのスキルがダメなら、拳で叩き潰すまでだッ!!」
フォビオが全身に闘気を漲らせ、純粋な打撃のみでカリュブディスの急所へと特攻を掛ける。
だが、刃のように鋭い爪撃を以てしても、異形の大妖渦の異常な硬度を誇る装甲にガキンッと弾かれ、傷一つ付けることすらできない。無傷の化け物は無言のまま、機械的に殺意をぶつけてくる。
「魔法もスキルも通じず、物理法則すら無視するだと……ッ!?」
最前線で皆と共に応戦している総大将──ベニマルは、苦渋の表情で剣を振るいながらギリッと奥歯を噛み締めた。
(間違いない。この不可解な現象……ラージャの地で遭遇した、未知の干渉と同じだ!)
ズガァァァァンッ!!
その大乱戦の最中。カリュブディスが放った剛腕による、岩盤をも砕くような拳の殴打が、ベニマルへと迫った。
「くっ!」
ベニマルは咄嗟に愛刀『紅蓮』で受け流しの構えを取った。
本来ならば、未知の影響を受けたその凶悪な攻撃は防御すら不可能であり、そのまま弾き飛ばされるはずだった。
だがその瞬間──ベニマルの魂の奥底で、ユニークスキル『大元帥(スベルモノ)』が強烈な輝きを放つ。
一時的に、ラージャの地で未来の主から借り受けた力に呼応するかのように、刀身に『黒き陽炎』のようなものがフッと宿った。
「ギ、ギャァァァッ!?」
紅蓮の刃が迫る拳を迎え撃つと、弾かれるどころかカリュブディスの極太の腕を焼き斬り、深い負傷を負わせたのだ。
「……今の力は!?」
自分自身の刀から放たれた予想外の威力に、ベニマル自身が一番驚愕していた。
しかし、敵が再生の隙を見せたこの瞬間を逃す手はない。彼は周囲の火の粉を鋭い眼光で睨み据えながら、遥か遠く、ワルプルギスの会場にいる主へ向けて『思念伝達』を構築した。
*
『──という状況です。ヤムザは降伏し、戦闘終了後に我々が捕虜の拘束などを行なっていたところ、地面に転がっていた宝珠が突如として不気味な赤黒い光を放ち始めたのです』
ベニマルは剣を振るい、メガロドンをけん制しながら報告を続ける。
『気がついたら宝珠から3体の幼体が生まれており、即座にそのうち2体は黒炎獄(ヘルフレア)で始末したのですが、残る1体が急激に成長し、手足を生やした今の異形の形態になってしまったのです』
(…まるであの時の、ラージャでの出来事と同じだな)
影の中で話を聞いていた俺が、冷静かつ険しい思念を返す。
『はい。私も同様のもので間違いないと睨んでいます』
ベニマルの返答を聞き、俺は盛大に内心で舌打ちをした。
俺の知る本来の歴史では、追い詰められたヤムザが無理やり宝珠を取り込まされ、不完全なカリュブディスに成り果てたはずだ。
それがヤムザを取り込まず、宝珠から直接幼体が実体化し、しかも飛行能力を失う代わりに手足が生えた状態で現れた。
完全にヤツの影響を受けている。
俺が予測不能のイレギュラーに思考を巡らせる中──表に立つ過去の俺は、想定外の事態に思わず焦りの声を上げた。
『おいおい、聞いてた話と違うぞ!? 未来の俺の記憶にもないバケモノが現れたって……ベニマル、みんな無事なのか!?』
だが、その動揺を打ち消すように、影に潜む俺が即座に力強い思念を割り込ませた。
(過去の俺、慌てるな。お前は今、目の前で暴れているミリムの相手とクレイマンの牽制にだけ集中してくれればいい。あっちの対応は、俺が全て引き受ける)
『……わかった。そっちのことは任せるぞ!』
過去の自分を宥め、表の盤面へと意識を向けさせた俺は、改めてテンペストの大将軍たる頼もしい右腕へ、極めて冷静な思念を送った。
(ベニマル。そっちの被害状況はどうなっている?)
未来の俺の落ち着き払った声に、通信越しのベニマルの声からも焦りがスッと引いていくのがわかった。
『被害は最小限に抑え、テンペスト軍と三獣士、竜を祀る民との総力戦でこの1体を完全に釘付けにしています。ですが……奴が纏う黒い波動により、こちらの魔法もスキルも全て『透過』され、純粋な物理攻撃以外はまともに通りません。再生力も異常で、決定打に欠ける状況です』
報告を受けながら、俺の中では既に幾つもの選択肢が組み上がり始めていた。
(このままジリ貧になる前に、何か手を打たないとな……)
だが、その算段を言葉にするよりも早く。
影の外側――肌を刺すような乱戦の気配が、一段と激しさを増していくのを感じた。
*
荒野の各所で、テンペストの総力を挙げた包囲網が、この一体の災厄をどうにか押し留めていた。
ガビル率いる飛竜衆は、上空から絶えず牽制の一撃を浴びせては舞い上がる。攻撃が効かないとわかっていてなお、仲間達への攻撃を逸らす役割としては十分に機能していた。
「各員、恐れることはないぞ! この程度のサメ如き、我らの敵ではないわ! なれど深追いは無用! 囮に徹し、機を窺うのだッ!」
地上では、ゲルド率いる黄色軍団が『土操作』によって幾重にも巨大な土壁を築き上げていた。空を泳ぐメガロドンそのものを縛ることはできずとも、瓦落雷のごとく急降下してくるその突撃を、地上の陣地へ届く前に受け止める壁を築く――それが、ゲルドの老練な判断だった。
巨体が壁に激突するたびに鈍い衝撃音が轟き、大地が揺れる。決定打ではない。だが、地上の部隊と後方の陣を守り抜くには、十分すぎるほどの盾だった。
そして乱戦の中心──ベニマル率いる紅炎衆と一部の実力者たちが、カリュブディス本体への牽制を担っていた。
「怯むな! 各個で挑むな、必ず二人以上で当たれッ!」
紅炎衆を率いる女隊長。
白い角と、赤紫の混じった水色の髪をたなびかせるその姿は、ゴブリンでありながら鬼族(オーガ)へと進化を遂げた稀有な戦士――ゴブアであった。
「紅炎衆の力を、今こそリムル様のためにッ!」
叫びながら、ゴブアは鋭い太刀筋をカリュブディスの脇腹へと叩き込む。
だが、その刀身が黒い波動に触れた瞬間、込めた妖気も虚しく霧散し、ただの質量だけが虚しく叩きつけられた。
「くッ……やはり、通じませんか!」
体勢を崩したゴブアへ、カリュブディスの丸太のごとき剛腕が、無慈悲に振り下ろされる。
「――ッ!」
自身の反応すら僅かに遅れる、致命の一撃。
だが。
「させるかよォッ!」
怒声と共に、疾風のごとく割り込んだ影があった。フォビオである。
彼はゴブアを突き飛ばしながら、剛腕の軌道の下を紙一重で潜り抜けた。
「感謝は後でいい、動け!」
一撃目は凌いだ。だが休む間もなく、返す刀の二撃目──逆袈裟に振るわれるもう一方の剛腕が、既にフォビオの頭上に迫っていた。
避けきれない。
フォビオが奥歯を噛み締めた、その刹那。
「おっと、そいつはワイらの獲物にもさせてもらうでぇ!」
影のように地を滑ってきた一つの影が、迫る剛腕の側面へ強かな回し蹴りを叩き込む。
道化の仮面を被った男――ラプラスだ。渾身の一撃は剛腕を完全に止めるには至らずとも、その軌道をほんの僅かにこじ開けてみせた。
「ほーーーっほっほっほ! ずいぶんと難儀しているようですな!」
「カガリ様からの命令で、助太刀にきたよー!」
突如として、戦場に似つかわしくない、楽しげで道化じみた声が空から降ってきた。見上げれば、怒った顔の仮面を被ったふくよかな男と、泣き顔の仮面を被った小柄な少女が、空からふわりと舞い降りてくる。
フットマンとティア――かつて未来のリムルの歴史では敵であった中庸道化連の面々が、今はテンペストの盟友として、この乱戦に加勢したのだ。
「さあさあ、同盟相手のピンチとあっちゃあ、黙って見ているわけにはいきませんからな! 私がドカンと一発、お見舞いしてさしあげましょう!」
フットマンが楽しそうに笑いながら、丸々とした両手をカリュブディスへと突き出す。ユニークスキル『増幅者(フトルモノ)』の力が解放され、極限まで圧縮・増幅された魔力弾が瞬く間に形成されていった。
「アタイも手伝うよー! そぉれっ、捕まえたよ~!」
掛け声と共に跳躍したティアが、カリュブディスの丸太のような剛腕へと真正面から組みついた。
ユニークスキル『楽天家(ムチナルモノ)』を総動員し、全身でしがみつくようにしてその動きを無理やり押し留める。
格上の相手には本来通用するはずのない、ほとんど力業だけの体当たりだ。だが、渾身の気合いと共に食らいついたその一瞬だけ、カリュブディスの剛腕がピタリと動きを止めた。
「ほーーーっほっほっほ! 吹き飛べぇ!!」
フットマンの手から放たれた極大の魔力弾が、縫い止められた剛腕へと正確に撃ち込まれる。
ドンッ、という炸裂音と共に、カリュブディスの剛腕は勢いよく弾き飛ばされ、フォビオの頭上を大きく逸れて空を切った。
「……恩に着るぜ、道化ども。だが勘違いすんなよ、これで貸し借りなしだ。あとは俺たち自身の意地でも、あのバケモノを叩き伏せてやる」
フォビオは獰猛な笑みを浮かべながら、短くそう吐き捨てると、既に次の突撃へと体勢を入れ替えていた。
「なんの、我らも同盟のよしみですぞ! あの御方をお助けしたいのは、我らとて同じこと!」
フットマンが朗らかに笑い飛ばして応える。
一時は決定打を欠いていた乱戦は、この加勢によって一気に激化する。数を頼みに死角を潰し、隙を作っては誰かが割り込む。決定打はまだない。だが、押し切られる気配だけは、確かに薄らいでいた。
その激戦の一角。
ゴブリンライダーズを率いるゴブタの隣に、いつの間にか一頭の巨大な星狼──ランガがそっと並び立っていた。
「……ランガさん、やるっすよ」
ゴブタが小さく呟くと、隣に並び立つ巨大な星狼は、応えるように低く喉を鳴らし、牙の覗く口元をニヤリと歪めてみせた。
「無論だ、ゴブタ。……貴様の覚悟、この身にしかと乗せてやろうぞ」
その頼もしい応えに、ゴブタの脳裏には、ほんの少し前に交わされたばかりの思念のやり取りが──鮮明に蘇っていた。
*
(……このままジリ貧になるのは避けたいな。仕方ない、ここは前回のラージャの時と同じ手でいくか)
影の中で、俺は静かに算段を組み立てていた。
ベニマルには、いずれ彼自身が己の力で辿り着くはずの究極能力――限定究極贈与『陽炎之王(アマテラス)』を、シエルの力を借りて限定的に先取りさせる。既にラージャの地で一度実証済みの手段だ。
(この方法を使えばベニマルなら決定打を与えられるだろう)
俺がその判断を皆へ伝えようとした、まさにその時だった。
『――未来のリムル様!』
場違いなほど元気な声が、思念のネットワークへ勢いよく割り込んできた。ゴブタである。
『ここはオイラにまかせてほしいっす! あの装置……なんていったっすかね。とにかくもう一回オイラに貸してもらえないっすか!?』
突然の申し出に、過去の俺が即座に鋭い声を返した。
『……は? おいゴブタ、お前、ファルムスの時にあの力でどんな目に遭ったか、もう忘れたのか!? あの時お前、変身した直後にぶっ倒れて数日は寝込んでたじゃないか!』
過去の俺の言う通りだ。異世界人襲撃の折、実力の足りないゴブタがあの核を起動した結果、機能が制限されたにもかかわらず、ゴブタの身体にはとてつもない負荷がかかった。シエルの応急処置があったからこそなんとか一命を取り留めたものの、普通であれば命に関わっていてもおかしくない代償だった。
(……たしかに、あの疑似天災武装(カラミティ・レイド)には俺自身の権能も一部組み込まれてる。対『干渉』の対抗手段としちゃ、悪くない選択肢だとは思う)
俺は思考を巡らせながら、慎重に言葉を継いだ。
(だが、なんでまた、そんな危険な手段を取ろうとするんだ、ゴブタ)
『……オイラ、もっとリムル様の役に立ちたいんすよ』
ゴブタの声から、いつもの間延びした軽さがすっと消えていた。
『ファルムスの一件で、自分の未熟さを思い知ったっす。あの時からずっと、ハクロウ師匠の稽古にも真面目に食らいついて来たっす。……その成果を出す時が、今なんじゃないかって思うんすよ』
その真っ直ぐな言葉に、過去の俺は僅かに言葉を詰まらせながらも、なお食い下がろうとした。
『……ゴブタ。お前は今のままでも、十分すぎるくらい役に立ってくれて――』
(――待て、過去の俺)
俺は静かに、だがはっきりと割って入った。
(なあゴブタ。一つ聞いていいか。お前、ランガと一緒に修行してたよな。……もしかして、もうとっくに魔狼合一(ヘンシン)を習得してるんじゃないか?)
『――なっ!? な、なんでそれを……!』
思念越しにも分かるほど、ゴブタが盛大に動揺した。
(俺の知ってる歴史でも、お前は確かにそれをやり遂げていたからな。もっとも……俺の時は、もっとずっと後の話だったが)
俺は小さく笑いを含んだ念を返す。ゴブタの成長速度は、俺の知る歴史すら追い越し始めていた。
(ランガとの魔狼合一状態なら、単独のお前とは格が違う。特Aランク相当は軽く超えているはずだ。それなら、あのコアの完全な出力にも耐えられるだろう)
俺は過去の俺へ向けて、静かに言葉を継いだ。
(過去の俺。ゴブタの覚悟、無下にするもんじゃないぞ。……俺の知る歴史ですらゴブタはハクロウの修行をさぼってたのに、そんなゴブタがここまで俺たちのために努力してきてくれたんだ。ここはゴブタの思いに応えてやろう)
過去の俺は、しばし沈黙した後、観念したように小さく息を吐いた。
『……わかったよ。……ゴブタ、無理はするなよ』
『ういっす! ありがとうございますっす!』
ゴブタの声に、隠しきれない喜びが滲む。
そして、その僅かなやり取りの間隙を突くように、もう一つの声が思念に加わった。
『――お待ちください、リムル様、未来のリムル様』
ベニマルだった。剣戟の音を背景に鳴らしながらも、その声には確かな余裕が戻っている。
『ゴブタの覚悟、しかと聞かせていただきました。ですが、まずは我々にお任せいただけますか。……ラージャの地でお借りしたあの力、あの感覚は、まだこの身にしっかりと残っております。俺たち自身の手で、まずは一太刀――通してご覧に入れます』
その頼もしい申し出に、俺は思わず小さく笑みを零した。
(ああ、任せた、ベニマル。……だが、ゴブタも一緒に行かせてやってくれ。二正面から畳みかければ、それだけ早くその脅威を排除できるはずだ)
『わかりました』
――そうして交わされた、ほんの一瞬の思念のやり取り。
それが、今この瞬間、ゴブタの隣にランガが並び立っている理由だった。
*
意識を引き戻した、その時にはもう。
ゴブタの体は、迷いなく地を蹴っていた。
「行くっすよ、ランガさん! 魔狼合一(ヘンシン)――ッ!!」
その声に応じるのは、今までゴブタと共に密かに特訓を積んできたランガだ。
「望むところぞ、ゴブタよ。我が主に、この特訓の成果、しかと御見せしようぞ!」
ゴブタとランガ、二人の意識が同調し、内なる魔力が一気に解き放たれる。次の瞬間、ゴブタの体を漆黒の霧が包み込んだ。
「さあ、暴れるっすよ!」
「うむ。二人で積んだ稽古の全て、この一戦にぶつけるとしよう!」
黒い霧が、ゴブタへと吸い込まれるように掻き消える。
そこに顕現したのは、禍々しい二本の角を戴いた、黒き狼を纏うゴブリンの戦士――ゴブタとランガ、二人がひとつに溶け合った『同一化』の姿だった。単独では決して届き得ない、桁違いの力がその全身に漲っている。
完全に一つとなったその感覚の中、ゴブタは自身の懐に、確かな重みが宿っていることに気づいた。
――あの銀色の円盤。『災厄の核塊(カラミティ・コア)』が、未来のリムル様の手によって、たった今この瞬間に転送されてきていたのだ。
(……よし。ここからが、本当の勝負っすね)
ゴブタは黒き爪に覆われた手でコアを摘み上げ、狼と一つになった己の腰へと力強く押し当てた。
「憑依装着(へんしん)――ッ!!」
魂の底から吠えるようなその声に応え、コアが超高速回転を始める。
『───報告。装着者:ゴブタおよびランガの適正を確認中…適正率:高。ロジック・ドライブ:フルパワーモード、承認』
無機質な、しかし今度ばかりは容赦のない導標之理(ナビゲーター)の声が響いた。
(……ついに認められたっすね)
ファルムスの時とは、明らかに違う。あの時は身の丈に合わぬ力を前に、装置自身が出力を絞ってくれていた。
だが今、ナビゲーターは一切の制限をかけていない。
――魔狼合一によって跳ね上がった格が、ついにこの兵装の全出力に見合ったのだと。
そう突きつけられているようで、ゴブタの胸に、奇妙な誇らしさがこみ上げた。
『───Calamity Drive. Accessing the Dragon Factors.』
ズクズク、ズクズク。
心臓の鼓動と重なるような重低音の脈動が、戦場の空気そのものを震わせる。
黒く逆立った狼の毛並みの上を、銀色に輝く流体金属――魔粘鋼(デモン・スライム・スチール)が、まるで意思を持つ生き物のように這い上がっていく。
コアの外輪へ、ゴブタは迷わず親指を押し込んだ。
暴風態(ストーム・フォーム)――黒と金の、雷鳴を纏う殲滅の姿。ランガの黒雷と、最も相性の良い形態だ。
『───Logic Drive: Form Change. Storm Form, Active.』
コアの外周を囲む、三体の竜の彫金が勢いよくスライドし、全エネルギーの解放を告げる。
『───Ready? ───TRINITY CATACLYSM』
鋭いシステム音声の炸裂と同時に、虹色の光が爆ぜる、その直前。
黒雷、灼熱、氷結――三色のエネルギーが螺旋を描いて夜空へと立ち昇り、暴風・灼熱・絶対零度、三竜種の巨大な幻影となって、ゴブタを守るようにとぐろを巻いた。
その瞬間だけ、周囲の法則そのものが強引に書き換えられる。
乱戦の余波で飛来していた敵の呪詛じみた瘴気や、カリュブディスの放つ『どす黒い波動』の残滓すらもが、幻影の睨みの前でただ静かにかき消えていく。
束の間の、絶対的な『静寂』。
続いて、流動する魔粘鋼が、狼の体躯をただ包み込むのではなく、一度巨大な繭のようにすっぽりと覆い尽くした。
その繭の内側から、幾筋ものエネルギーライン(フォトンストリーム)が眩く噴き出し、カシャン、カシャンと硬質な音を立てながら、複雑な装甲のパーツが次々と内側から弾けるように組み上がっていく。
現れたのは、セーフモード時よりも一回り大きく、より鋭いトゲと、翼を思わせる意匠が強調された、神々しくも禍々しい姿だった。
既にある漆黒の毛皮と禍々しい二本の角は押し潰されることなく、その装甲に鎧われるように編み込まれている。
牙のように鋭い装甲が四肢を覆い、背には黒雷を纏う翼めいた意匠が大きく広がる。バイザーの奥で、黄金の輝きが二つ、爛々と灯った。
『───All-Phase Unlock. Calamity Overdrive. fitting.』
装着完了を告げる声と共に、全身の各所から白い蒸気が勢いよく噴き出す。
そこに立っていたのは、もはやただの戦士ではない。
星狼の俊敏さと牙、そして天災級の兵装が纏う暴風と雷。二つの力が一つに溶け合った、まったく新しい一体の戦士だった。
「オイラも、ランガさんも。今こそ、リムル様のお役に立ってみせるっすよ」
『無論だ。我等の全霊、あの化け物にくれてやろうぞ!』
ゴブタは黄金に輝くバイザーの奥で静かに笑うと、乱戦の中心――未だ怒り狂うカリュブディスへと、迷いのない一歩を踏み出した。
「な……なんじゃ、ありゃあ!?」
カリュブディスの剛腕を素手で受け止め続けていたミッドレイが、迫る追撃の拳を弾きながら、視界の端に映った異様な影に思わず声を上げた。
黒と金の装甲を纏い、雷を撒き散らしながら疾走してくる異形の戦士。人でも魔物でもない、まったく新しい何かの姿に、彼は敵の連撃を捌きつつも思わず身構える。
「ミッドレイ様、あれ多分――味方っす!」
側面からメガロドンの一匹を蹴り倒しながら、ヘルメスが素早く声を上げた。ちょうど戦場に伝わっていた「テンペストの誰かが新手の力を投入する」という報告と、目の前の光景とを瞬時に結びつけたのだろう。
「アルビス、あれは一体……!」
カリュブディスの尾の一撃を紙一重で躱しながら、フォビオが隣で身構えるアルビスへと叫んだ。
「さあ、私も存じ上げませんわ。……ですが」
アルビスもまた、飛来する瘴気の塊を『天蛇眼』で睨み据えて逸らしながら、静かに続けた。
「あの気配、紛れもなくゴブタ殿のもの。それに――ランガ殿の気配も、混ざっておりますわね」
フォビオが困惑気味に唸る間にも、黒と金の戦士――ゴブタは既にカリュブディスの懐へと踏み込んでいた。
「うぉぉぉぉっ!!」
咆哮と共に、装甲化した拳がカリュブディスの脇腹へと叩き込まれる。
ズドンッ!
これまでの誰の攻撃とも違う、腹の底に響くような重い音。
黒い波動に触れた瞬間、闘気も妖気も呆気なく透過されていったはずのその防御が――崩れた。
「おぉ! 確かに攻撃が通りましたぞ!?」
上空でメガロドンの群れを槍で薙ぎ払っていたガビルが、その光景に目を見開いて声を上げた。
「馬鹿な……ワシの一撃すら弾いた、あの化け物の防御が……!」
ミッドレイもまた、迫りくるメガロドンの突進を受け流しながら、信じられないものを見るように唸った。
「……あの一撃、オレの拳よりもずっと重いな」
離れた場所でクレイマン軍の残党の監視と、飛来するメガロドンの迎撃を同時にこなしていたスフィアもまた、悔しさと称賛の入り混じった声で独りごちた。
カリュブディスの巨躯が、目に見えて怯んだ。
その脇腹には、他の誰の攻撃も刻めなかった、確かな傷が刻まれている。
「オイラの一撃、ちゃんと効いてるっすね……!」
ゴブタは自身のバイザー越しに、その手応えを確かめるように呟いた。
(――そうか。この兵装には未来のリムル様の力が組み込まれてる。だから、あの干渉ごと殴り抜けるんすね)
導標之理(ナビゲーター)が静かに解析結果を告げる。
『───Analysis. Target defense mechanism partially bypassed. Recommend continuous assault.』
その言葉を裏付けるように、ゴブタの拳は二撃目、三撃目と、確実にカリュブディスの巨躯へ突き刺さっていく。
だが、手負いの巨獣とて、ただでは終わらない。
「ギシャァァァアアッ!!」
激痛に狂乱したカリュブディスが、四肢を振り乱して滅茶苦茶に暴れ始めた。
丸太のごとき腕、踏み砕くような脚、そして口から吐き出される瘴気混じりの吐息――理性を失った分、その攻撃はかえって予測不能な凶暴さを増していた。
そして、単眼の奥に禍々しい光が急速に収束していく。
「来るぞ、光線だ! 全員、伏せろ!」
ゲルドの怒声が響いた直後、単眼から放たれた極太の光線が、大地を抉りながらゴブタへと殺到する。
だが、思考加速の極致にあるゴブタにとって、その軌道は既に見切っていたも同然だった。
「甘いっすよ!」
紙一重で光線を躱すと、着弾した地点が轟音と共に大きく抉れ、土煙が高く舞い上がる。
避けた、その直後。
今度は側面から迫った尾が、着地の隙を突いてゴブタの死角を掠めた。
「後ろだ、危ねえぞゴブタ!」
フォビオが叫ぶ。避けきれない。そう誰もが息を呑んだ、その刹那。
パリンッ、と軽い音がして、突起の先端が見えない壁に阻まれた。
「――これしきの攻撃、我らには通用せん!」
ゴブタの全身を包む装甲の下、ランガの多重結界がしっかりと役目を果たしていた。
狼の加護と天災級の兵装、二重の守りに阻まれ、直撃したはずの一撃はゴブタの体を掠り傷一つ付けることさえできない。
「多重結界……! あの巨体の一撃を、無傷で受け切るとは…」
ゲルドが土壁を維持したまま、唸るように呟いた。
「オイラ一人じゃ、絶対に無理だったっす。……でも、ランガさんと一緒なら」
ゴブタは体勢を立て直すと、逆にその隙を突いて跳躍した。
カリュブディスの巨大な頭部を踏み台に、一気に背後へと回り込む。
「隙あり、っすよ!」
背中から放たれた蹴りが、カリュブディスの背骨の一部を確かに軋ませた。
苦悶の呻きを上げる怪物の巨躯が、じりじりと後退していく。
だが、次の瞬間。
背骨に走ったはずの亀裂が、みるみるうちに塞がっていくのが見えた。
異常なまでの再生力。たとえ土台となる肉体を抉ろうとも、その傷を瞬時に無かったことにしてしまう、とんでもない生命力だった。
「……マジっすか。これ、殴り続けるだけじゃ埒が明かないっすよ」
ゴブタが舌打ち混じりに呟くと、導標之理(ナビゲーター)が静かに割り込んだ。
『───報告。対象の再生率が打撃攻撃力を僅かに上回っています。別のアプローチを推奨します』
「……なら、力任せは一旦お預けっす」
ゴブタは即座に頭を切り替えた。
「傷を抉るだけじゃダメなら――そもそも、再生する暇を与えなきゃいいんすよ」
『……なるほどな。焼き切るのではなく、凍らせて止める、というわけか』
ランガの声にも、僅かに得心の色が滲む。
ゴブタは迷わず腰のコアへ手を伸ばし、外輪を右へと回した。
『───Logic Drive: Form Change. Blizzard Form, Active.』
黒と金の装甲が、瞬時にその色を変える。
清廉な白を基調に、硬質な青のラインが走る装甲へ。黄金に輝いていたバイザーの光も、凍てつくような氷青色(アイス・ブルー)へと切り替わった。
ゴブタの纏う気配そのものが一変する。
周囲の大気が瞬時に凍りつき、うっすらとダイヤモンドダストが舞い始めた。
「これなら――再生する暇も、与えないっすよ!」
装甲化した拳と蹴りに、絶対零度に近い冷気が纏わりつく。
カリュブディスの傷口に触れるたび、再生しかけていた肉が、みるみるうちに白く凍りついていった。
「ゴブタ殿の姿が、また変わった……!?」
「氷か……。あの武装、一体どこまでの力を秘めているのだ」
ガビルとゲルドが、驚愕と共に呟く。
だが、瀕死になりながらもなお、カリュブディスは足掻き続けていた。
周囲の魔素を強引に啜り、凍りついた傷を無理やりに引き剥がしながら、再び雄叫びを上げる。
「ギィイイイイイイイッ!!」
「しぶといっすね……! でも、一箇所ずつ確実に、氷漬けにしてやるっすよ!」
ゴブタは装甲の脚部から冷気を噴出させ、地を滑るようにカリュブディスの周囲を駆け巡る。
振るわれる拳、繰り出される蹴り。その一撃ごとに、怪物の巨躯へ白い霜が広がっていった。
無理やり引き剥がされた傷口も、今度はすぐには塞がらない。
凍りついた肉が、罅割れた氷のようにポロポロと崩れ落ちていく。
「……あの兵装、一体どこの誰が仕込んだ代物っすか。人の技術とも、魔物の技とも思えないっすね」
ヘルメスがミッドレイの隣で、素直な驚嘆を滲ませて零す。
「さてな……。だが、ミリム様が仰っていた方が絡んでいるなら、驚くだけ無駄というものだろう」
ミッドレイが呆れ半分、感心半分といった調子で肩をすくめた。
道化の仮面を被った三人も、乱戦の中で目を丸くしていた。
「……こら、とんでもない隠し玉やなあ。カガリ様への報告にも、こいつは中々骨が折れそうやで」
ラプラスが感心と困惑の入り混じった声で唸る。
「おそらく、未来のリムル様が持ち込まれたものでしょう。あの御方の技術、我らの物差しでは到底測れませんね」
フットマンが得心したように頷き、ティアもまた目を輝かせた。
「すごーい! あれ、アタイも欲しいー!」
その傍らでは、紅炎衆の隊長ゴブアが、自らの太刀を握り直しながら唇を噛んでいた。
「……ゴブタ殿が、あそこまで……。私も、負けてはいられませんね」
その闘志を燃やす声には、羨望と、確かな奮起の色が滲んでいた。
「フン……見事な戦いぶりだが、あんな派手なオモチャに頼らずとも、俺は俺の拳で決着をつけたいところだがな」
フォビオがそう強がって零しつつも、その口元には隠しきれない称賛の笑みが浮かんでいた。かつて自らがカリュブディスの器にされかけた因縁を思えば、なおのこと感慨深いものがあるのだろう。
一方、乱戦のもう一方の端では、ベニマルが群がるメガロドンの掃討に取り掛かっていた。
「数で押せば崩れるとでも? 生憎、ラージャの経験を試すにはちょうどいい数だ」
紅蓮の刃に流れる魔力が、以前とは比べ物にならないほど鋭く研ぎ澄まされていた。
限定究極贈与『陽炎之王(アマテラス)』――ラージャの地で一度だけ許されたあの借り物の力は、既にとうに彼の手を離れている。
だが、あの究極の感覚を一度でも味わった経験は、彼自身のユニークスキル『大元帥(スベルモノ)』そのものを、確かな形で一段引き上げていた。
「――朧、黒炎斬!」
静かな呟きと共に放たれた斬撃が、宙を泳ぐメガロドンの群れを一直線に薙ぎ払う。
干渉に守られていたはずの鮫の群れは、その研ぎ澄まされた紅蓮の刃の前では、まるで紙のように容易く両断されていった。
だが、数の暴力もまた侮れない。
四方八方から殺到するメガロドンの群れに、さすがのベニマルも僅かに息を切らし始める。
「ベニマル殿、右手が疎かになっておりますぞ!」
ガビルが急降下し、槍の一閃で死角から迫っていた一匹を貫いた。
「恩に着る、ガビル! そのまま上空の警戒を頼む!」
「承知! この程度の羽虫……いや、鮫如き、我が槍の錆にしてくれるわ!」
「その調子だ、ガビル! 俺も地上を固める!」
ゲルドもまた盾を構え直し、落下してくる個体を的確に迎撃していく。
その隙を突くように、側面から迫っていた一際大きなメガロドンが、ベニマルの死角へと牙を剥いた。
「ベニマル様、助太刀いたします――ッ!」
紅炎衆のゴブアが素早く割り込み、抜き放った太刀でその顎を真っ二つに斬り伏せる。
「助かる、ゴブア。良い太刀筋だ」
「もったいなきお言葉です!」
先程のゴブタの奮戦に触発されたのか、彼女の太刀筋には、いつも以上の鋭さと迷いのなさが宿っていた。
三者の連携は次第に噛み合い始め、メガロドンの群れは瞬く間にその数を減らしていった。
「数の利など、崩れてしまえばただの的だ」
ベニマルは返す刀でさらに二匹、三匹と斬り伏せていく。
その圧倒的な戦果を横目に見ながら、ガビルが感嘆の声を漏らした。
「ベニマル殿の武、いよいよ神域に達しつつありますな……!」
「ガビル殿、今のうちにやつらを叩こう!」
ゲルドの怒声に、ガビルが慌てて槍を振るい直す。
乱戦は着実に、テンペスト側優位へと傾き始めていた。
だが、決着はまだ訪れない。
瀕死の重傷を負いながらも、カリュブディスは最後の悪足掻きに出た。
「ギィ……ギィイイイイイイイッ!!」
断末魔にも似た咆哮と共に、その体表を覆う無数の鱗が、ゾワリと逆立つ。
一枚一枚が独立した意思を持つかのように震え、次の瞬間には数万を超える『楯鱗』が、周囲一帯を薙ぎ払う無差別の弾丸と化して一斉に射出されようとしていた。
自らの死を悟った獣の、最後にして最大の広域殲滅。
「――させないっすよ」
その瞬間、ゴブタの脳内に、これまでとは違う鋭い声が響いていた。
『───報告。装着者の生命力、極めて良好。フルパワーモードの安定稼働を確認。……ロジックドライブ、"必殺技"の使用条件を満たしました。使用を推奨します』
「……これを使えってことっすね」
ゴブタは不敵に笑うと、迷わずコアの表面を二度、力強く叩いた。
『───Target Lock. Logic Drive: Absolute End, Ready.』
その宣言と同時に、ゴブタの背後の空間が軋み、一つの人影が幽玄な輝きと共に浮かび上がる。
氷のように白銀の長い髪をなびかせ、人形にも似た端整で冷徹な美貌を持つ、一人の女性の幻影――氷結竜、ヴェルザードその人の姿だった。
「な……なんだ、あの女性は……!?」
ミッドレイが思わず後ずさる。
幻影は声一つ発することなく、ただ静かにカリュブディスの周囲を旋回し始めた。
その軌跡に沿って、大気そのものが白く凍てついていく。
次の瞬間、放たれた無数の楯鱗が標的へと届くよりも早く、その軌道上でピタリと動きを止めた。
射出からわずか数メートル。氷結の帳に絡め取られたそれらは、まるで巨大な氷柱そのもののような姿で、カリュブディスの巨躯から伸びたつららの先で沈黙していた。
「あれは……鱗が、全部凍りついて……!」
ガビルが上空で目を見張った。
無数の氷柱を体表から生やした異形と化したカリュブディスは、もはや指一本、鱗一枚すら動かすことができない。断末魔の絶叫すらも、氷の中に閉じ込められたまま、静かに立ち尽くしていた。
その光景を見届けたゴブタは、静かに、しかし深く体を沈めた。
右足の甲と、背に。それぞれ円形の術式が青白く展開され、力の全てが一点へと収束していく。
その動作に合わせ、傍らに控えた幻影もまた、寸分違わず同じ姿勢を取った。
『───絶対零度(アブソリュート・エンド)』
無機質なシステム音声が、静かに、しかし確かな威圧感を伴って戦場に響き渡る。
「これで――終わりっすよ」
ゴブタが地を蹴った。
轟音と共に、その体が空高く舞い上がる。幻影もまた、その飛翔に寄り添うように共に宙へと駆け上がり、ゴブタと全く同じ、飛び蹴りの構えを取った。
見上げる誰もが、言葉を失っていた。
「あの跳躍力……! そしてあの攻撃は……!」
ガビルが上空でその軌跡を目で追いながら、掠れた声を漏らす。
白と青に輝く一つの影と、それに重なる白銀の髪の女性の幻影が、氷漬けとなったカリュブディスへ向けて、真っ直ぐに落下していく。
着弾の寸前。
二つの姿が、まるで最初から一つであったかのように、ぴたりと重なり合った。
放たれたのは、ただ一撃の蹴り。
だが、そこに込められていたのは、絶対的な『静止』の効果すら伴う、暴風雪そのものと言うべき魔素の奔流だった。
ドスッ。
轟音すらなかった。
ただ、静寂だけが、戦場に広がった。
カリュブディスの巨躯に突き刺さったゴブタの蹴りから、ピシリ、ピシリと氷の亀裂が広がっていく。
その亀裂は瞬く間に全身へと駆け巡り――次の瞬間。
カリュブディスの体は、指で触れただけで崩れ落ちる霜のように、音もなく、さらさらと塵となって崩れ去っていった。
派手な爆発も、地響きすらもない。
ただ、それまでの喧騒が嘘のような、深い静寂だけが平原に満ちていた。
そして、それきり。
どす黒い波動も、三つの赤い瞳孔の輝きも、何もかもが静かに消え失せていた。
着地したゴブタの体が、勢い余って地面を大きく滑り、土煙を上げながらようやく静止する。
「……や、やったのか?」
フォビオが呆然と呟く。
戦場に、束の間の静寂が降りた。
「勝った……のか、これは……」
ミッドレイが拳を下ろし、大きく息を吐き出す。
「勝ったんじゃなくて、勝たせてもらったんすよ。オイラとランガさんの力だけじゃない――未来のリムル様の力があってこそっす」
ゴブタは装甲越しにそう呟くと、そのままゆっくりと膝をつき、コアから静かに手を離した。
「───Target Lost. Combat Concluded.」
ナビゲーターの淡々とした声を最後に、黒と金の装甲が光の粒子となって解け、コアへと吸い込まれていく。
同時に、狼の毛皮も禍々しい二本の角も、淡い光と共にほどけるように消えていった。魔狼合一もまた、その役目を終えたのだ。
「……あー、さすがに疲れたっす……」
素のゴブタの姿に戻ったその体が、糸が切れたようにその場へぺたりとへたり込む。
「……うむ。我もいささか、力を使い過ぎたようだ」
ランガもまた、隣でどさりと腹這いになり、大きな欠伸のような息を吐いた。
「あの脅威を、ものの数分で……」
アルビスが今なお信じられないといった様子で呟く横で、フォビオが小さく肩をすくめた。
「いやはや……前に聞いたファルムス戦での武勇伝、今度はちゃんと本人から聞かせてもらわないとな」
その軽口に、ミッドレイがフンと鼻を鳴らしながらも、微かに口の端を持ち上げた。
「……ゴブタ、殿と呼ぶべきかもしれんな。この竜を祀る民の長として、正式に礼を言わせてもらおう」
「勿体ないお言葉っすけど、ゴブタでいいっすよ」
ゴブタが照れくさそうに頭を掻くと、その飾らない態度に、ミッドレイもヘルメスも思わず小さく笑みを零した。
「……派手なオモチャに頼りやがって」
フォビオが憎まれ口を叩きながらも、駆け寄ってゴブタの肩を軽く小突く。
「けどまあ、正直助かったぜ。あの化け物の器にされかけた身としちゃ、お前があいつを塵にしてくれて、少しは気が晴れたよ」
「フォビオさんも、最初の一撃を凌いでくれたからこそっすよ。オイラだけじゃ、あそこまで持ちこたえられなかったっす」
紅炎衆のゴブアもまた、太刀を鞘へ収めながら小さく頭を下げた。
「ゴブタ殿の奮戦、しかとこの目に焼き付けました。……私も、いずれあの域に届いてみせます」
戦いの興奮も冷めやらぬ中、ふと道化の仮面を被った三人へと、ガビルとゲルドの視線が向いた。
「……これで、此度の脅威は完全に片付いたか」
ゲルドが静かに呟くと、ラプラス、フットマン、ティアの三人は、それまでのおどけた態度をスッと引っ込め、それぞれの仮面の下から思いのほか真摯な声色を発した。
「ガビル殿、ゲルド殿。此度は共に肩を並べて戦わせていただき、光栄の極み。……ですが、この機会に、一つだけ申し上げねばならぬことがございます」
フットマンが深々と頭を下げると、隣でティアも大げさな身振りでペコリとお辞儀をした。
「アタイからも、ごめんなさい! オークをけしかけた件も、カリュブディスの件も、元はと言えばアタイたちが裏で手を引いてたから……本当に、ひどい目に遭わせちゃったよね」
「……ワイからも、詫びさせてもらうわ」
それまで一歩下がった位置で控えていたラプラスもまた、道化の仮面を脱ぐように深く頭を下げた。
「豚頭帝の一件も、カリュブディスの一件も、元を辿ればワイらが糸を引いてた話や。あんたらの恨み言、甘んじて受けるつもりでおるで」
その普段の軽薄さを引っ込めた声には、確かな覚悟の色が滲んでいた。
突然の素直な謝罪に、ガビルとゲルドは僅かに目を見張った。
「ボス……じゃなくて、カガリ様からも出発前にキツく言われてるんだ。『クレイマンの馬鹿がまた余計なことをして迷惑をかけているだろうから、せめてもの手伝いをして、過去の非礼を直接きっちり詫びてこい』ってね!」
「ほーーーっほっほっほ。決してすぐに許されることではないと承知しておりますが、我々は今やリムル様に多大な恩義を持つ身。過去の遺恨を越え、対等な同盟相手として改めてご挨拶したかったのですぞ」
豚頭帝(オークロード)の争乱を仕組まれ、あわや一族を全て失うところだったゲルド。
そのオーク軍の侵攻によって故郷を焼かれ、一時的とはいえ同胞を失ったベニマル――彼は今、少し離れた場所でメガロドンの残党にとどめを刺している最中だが、彼にとってもまた根深い因縁を持つ相手だ。
そして、クーデターを唆され、騒動に巻き込まれたガビル。
彼らにとって、道化連は本来なら即座に武器を突きつけてもおかしくない仇敵だった。
だが、ゲルドは静かに息を吐き、盾を下ろした。
「……お前たちを含めた道化連の裏の事情と、同盟の件はリムル様から聞いている。我らが主が過去を水に流し、共に歩むと決めたのなら、我らがこれ以上過去を蒸し返すことはない」
「我輩も、過去の失敗を乗り越えて今があるのだ! リムル様が認めた同盟相手ならば、これ以上の文句は言わん! それに、此度の働き、しかと見せていただいたぞ!」
ガビルの誇り高くも寛容な返答に、ラプラス、フットマン、ティアの三人はホッと胸を撫で下ろすように肩の力を抜いた。
「……そうかい。存外、話の分かるお人らやな」
ラプラスが道化の仮面の奥で、ばつが悪そうに、それでいてどこか安堵したような笑みを浮かべる。
「ありがとうございます! ほーーーっほっほっほ、なんと度量の広い方々か!」
「ウンウン! これでカガリ様にも良い報告ができるよー!」
クレイマンと同じ中庸道化連に属しながらも、彼らはこうしてカガリの命とリムルへの恩義のもと、明確にテンペスト側――裏の同盟国としての立ち位置を確立していたのだった。
一方、メガロドンの残党を斬り伏せ終えたベニマルが、悠然とこちらへ歩み寄ってくる。
「派手にやったな、ゴブタ」
「ベニマルさん……オイラ、ちゃんと役に立てたっすか」
「ああ。十分すぎるくらいにな」
ベニマルはニヤリと笑うと、赤紅の刀を鞘へと収めた。
その時。
(――ベニマル。聞こえるか)
ふいに思念伝達での連絡が入った。
(ソウエイか。こっちはあらかた片付いたぞ。そっちの状況はどうだ?)
(こちらも無事に完了した。ハクロウとシュナ様によるクレイマンの居城の制圧は完了だ。目ぼしい宝物庫の封印も既に解いてある)
ベニマルは安堵の笑みを浮かべる。だが、ソウエイの報告はそれだけでは終わらなかった。少しだけ戸惑うような、妙な間が空く。
(それとな……城の防衛を任されていた死霊王(ワイトキング)のアダルマンと、数千に及ぶアンデッドの軍勢だが……シュナ様の神聖魔法を受けて浄化された後、なぜかそのままシュナ様に平伏し、完全な軍門に下った)
(……は?)
思わず素っ頓狂な声が漏れそうになるのを、ベニマルは必死に飲み込んだ。
敵の本拠地の最強の防衛戦力が、どういうわけかそっくりそのままシュナの熱狂的な信者になってしまったというのだ。
予想外すぎる斜め上の展開に、どういうことだと頭を抱えたくなる。
(……わかった。とにかく全員無事で何よりだ。そっちの事後処理はそのまま任せる)
思念を切ったベニマルは、コホンと一つ咳払いをすると、周囲で待機するアルビスやゲルド、ガビルたちへと向き直った。
(……待てよ。未来のリムル様は、このアダルマンとやらの件について、一言も触れていなかったな)
内心で密かに首を捻る。
(まさか、俺の知らない未来の歴史でも、既にこうなる筋書きだったのか? それとも……シュナの奴が、未来の予定にすらなかった結果を、新たに引き寄せたのか…?)
どちらの可能性も、なんとも恐ろしい。ベニマルは小さく苦笑を漏らすと、深く考えるのはひとまず打ち切った。今はそれよりも、目の前の後始末が先だ。
「今、ソウエイから連絡が入った。別動隊によるクレイマンの居城の攻略も、無事に完了したそうだ。これでクレイマンの拠点は完全に潰れた」
「おお! それは重畳ですな!」
ガビルが槍を担ぎ直しながら、朗らかな声を上げる。
「ああ。というわけで、ここからは事後処理に入る。ゲルド、ガビル、捕虜どもの移送隊を編成しろ。ヤムザをはじめ、暴れた分の後始末は丁寧にな。アルビス殿は竜を祀る民の負傷者の手当てを頼めるか。……それと」
ベニマルの視線が、少し離れた場所で腹這いになって倒れているランガと、その隣でぺたりとへたり込んだままのゴブタへと向く。
「あの二人は、まだ動けそうにない。誰か手の空いている者に、担架を持たせて運ばせてくれ。今日の功労者だ、粗末に扱うなよ」
「はっ、承知いたしましたわ!」
アルビスが即座に応じ、周囲の者たちが一斉に動き出す。
捕虜の縄を確かめる者、負傷者へ駆け寄る者、ゴブタたちのもとへと担架を運ぶ者――めいめいが与えられた役目へと足早に散っていく中、当のアルビスだけが、ほんの一瞬、その場に立ち止まった。
脳裏に蘇るのは、先程の戦場での光景。
乱戦の只中にあってなお、指揮官としての冷静さを一切崩さぬまま、的確な命令を次々と飛ばし続けていたベニマルの背中。
ヤムザの手から未知の宝珠を的確に弾き飛ばした、あの圧倒的で無駄のない速度。
そして、群がるメガロドンの大群を前にしても気圧されるどころか、たった一振りの太刀筋で幾体もの巨躯を紙のように両断してみせた、あの底知れぬ剣技。
(ベニマル殿……なんという、力強く、そして底知れぬ御方……)
強き者を尊ぶ獣王国の三獣士筆頭として、いや、一人の女性として。
彼女の胸の奥で、戦いの高揚とは全く別の、小さくも確かな熱がポッと灯っていた。
その熱に当てられたのか、ふとアルビスの脳裏に、この強襲作戦に赴く前――テンペストの応接室で行われた、未来のリムルとのあの衝撃的なやり取りが蘇った。
自分たちが未来で主であるカリオンの傍にいない理由。
それを「名誉の戦死」だと思い詰め、いかなる真実でも受け止めると悲壮な覚悟で迫った三獣士に対し、未来のリムルは気まずそうに頭を掻きむしりながら、こう告げたのだ。
『アルビスとスフィアはそれぞれの旦那さんと、フォビオは奥さんと一緒に暮らしてて、単にあの場にいなかっただけなんだよ。……要するに、お前ら全員、未来じゃ結婚して家庭を持ってるってことだ』
あの時の応接室の底なしの静寂と、その後の大パニックたるや、思い出すだけでも顔から火が出そうになる。
『けっ、結婚!? 我々が!? い、いや、あの、ええっ!?』と顔を真っ赤にして自身の尻尾をギュッと抱きしめてしまった自分。
パニックで目を回すスフィアに、誰と結婚するのかと必死に詰め寄るフォビオ。
そして――その場に同席していたベニマルは、目を丸くして呆然とこう呟いていた。
『な、なんてこった……。あの戦闘狂のスフィア殿や、気高きアルビス殿が伴侶を得るとは……』
未来のリムルは絶対に相手の名前を教えようとはせず、『気になるなら、クレイマンの騒動をさっさと片付けて、自分たちの手でその平和な未来とやらを掴み取れ!』と強引に発破をかけて話を終わらせてしまったが……。
(……気高き私が、伴侶に選ぶほどの男……)
アルビスは、ベニマルが消えていった紅蓮の風の残滓を、もう一度黄金の瞳でじっと見つめた。
圧倒的な武威、的確な判断力。そして部下や同盟相手、時には降伏した敵にすら向ける懐の深さ。
どれをとっても、強き者を尊ぶ獣人の本能が惹かれないはずがない、非の打ち所のない「強き雄」の姿がそこにあった。
(まさか……ね。ふふっ)
思考の先に行き着いたある予感に、アルビスは自身の頬が急速に熱を帯びていくのを感じた。
あの時、未来のリムルがベニマルの呆れた反応を見て、どこか言いにくそうにしていた理由が、今ならなんとなく分かる気がする。
艶やかな蛇の尻尾が、主の隠しきれない高揚と喜びを示すように、背後でパタパタと揺れた。
「……おっと、いけませんわね。今は戦場の後始末が先ですわ」
アルビスは両手で自身の熱い頬をパシンと軽く叩き、だらしなく緩みそうになる口元を引き締める。
胸の奥で灯った小さな熱と、未来の伴侶へのささやかな、しかし確かな期待を大切にしまい込み、三獣士筆頭としての凛とした表情を取り戻すと、彼女はヤムザたち捕虜の移送を進める皆の元へと足早に歩き出した。