【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第三章 絶対の格差と明かされる真実

隔離結界の中では、三つの戦いが同時に幕を開けていた。

 

過去の俺とテスタロッサ、ウルティマ、カレラが相手取る、破壊の暴君(デストロイ)――ミリム・ナーヴァとの激突。

 

シオンが受け持つ、クレイマンとその手駒たちとの戦い。

 

そしてもう一つは、ランガが単騎で挑む、九頭獣(ナインヘッド)との攻防だ。

 

その中でも、ひときわ結界の外にまで轟くほどの衝撃を撒き散らしていたのは、やはりミリムとの一戦だった。

結界の外で成り行きを見守っていたギィをはじめとする魔王達も、その常軌を逸した攻防から、しばし目を離せずにいたほどである。

 

一方――

 

シオンは、ピオーラとの戦いで悠然と立ちまわっていた。

 

「――そろそろ邪魔です」

 

底冷えのする声で短くそう言い放つと、シオンは大太刀『剛力丸・改』を無造作に、ただ片手で横になぎ払った。

重々しい剣閃が煌めいたのは、ほんの一瞬。

 

「――え?」

 

クレイマンの間の抜けた声が漏れると同時に、ピオーラの身体は斜め真っ二つに両断され、内蔵された動力核ごと綺麗に叩き割られてガラクタの山と化していた。

 

「ば、馬鹿な!? 私の最高傑作であるピオーラが、この一瞬で……!?」

 

「最高傑作? この程度の脆い玩具がですか?」

 

シオンは呆れたように鼻で笑い、足元に転がったピオーラの残骸を忌々しげに踏み砕いた。

 

一方、ランガは金色の毛並みに、配下を分離して一本となった尾を揺らす幻獣――九頭獣(ナインヘッド)を相手取っていた。

 

魔素の量だけを見れば侮れぬ相手だが、戦い自体はランガが完全に主導権を握っている。

俺の時もそうだったが、この時点では将来クラマとなる九頭獣は実戦の場数が少なすぎるのだ。

九頭獣(ナインヘッド)の繰り出す一撃一撃はどれも大振りで、ランガにとっては容易く見切れる程度のものでしかなかった。

 

だが、油断ならないのは九頭獣自身ではなく、その両脇を固める二体の使い魔――白猿(ビャクエン)と月兎(ゲット)の方だった。

月兎が周囲の重力場を捻じ曲げて足場を重くし、動きを鈍らせたところへ、白猿が縦横無尽の跳躍で斬り込んでくる。

二体の呼吸はぴたりと合っており、連携そのものを崩さない限り、際限なく攻め立てられ続ける形だ。

 

そして何より、ランガを最も戸惑わせていたのは――九頭獣の瞳の奥に揺れる、隠しきれない怯えの色だった。

 

(……こやつ、心底から我らに敵意を向けているわけではないな)

 

だが、確信を得たところで、どうにもならない。

ランガには、他者にかけられた呪法の類を紐解き、解呪するような技はなかった。

目の前の敵をいなし、防ぎ、時には打ち倒す以外の術を持たなかった。

 

仕方なく、ランガは手加減を続けながら、この不本意な戦いを、なおもしばらく続けるほかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シオンは、なおも荒い息を吐くクレイマンへと、静かに視線を戻した。

 

一見、二人の攻防は互角にすら映っていたかもしれない。

だが、それは大きな見誤りだ。

シオンには『超速再生』がある。その上この歴史のシオンは俺が知る同時期のシオンとは比べるもなく強くなっている。元々の歴史の時点でクレイマンとの実力差はあったが、今はそれが絶望的なまでの差となっている。

 

過去の俺がミリムとの激闘に全力を注いでいる間にも、クレイマンの息はどんどん上がり、その動きには隠しきれない疲労の色が滲み始めていた。

 

もはや、シオンの勝利は時間の問題でしかなかった。

 

「……この程度で音を上げるとは。魔王を名乗るには、いささか役者不足ですね」

 

追い詰められつつある道化を前に、シオンは容赦のない一言を投げかける。

 

「き、貴様……ッ! その減らず口、後悔させてやる! 出でよ、踊る人形達(マリオネットダンス)ッ!!」

 

激昂したクレイマンが放ったのは、五体の不気味な人形だった。

床に降り立つや否や、それらは瞬時に上位魔人クラスの悍ましい姿へと変貌し、四方からシオンへと殺到する。

かつて彼が非道な研究の末に取り込んだ、魔人達の魂そのものを封じ込めた、いわば最後の隠し球。

出し惜しみしている場合ではないと踏んで、一気に手駒を切ってきたのだろう。

 

並の魔人が相手なら、これだけで十分な戦力だ。

 

だが――。

 

シオンは眉一つ動かさず、無造作に大太刀を一閃させた。

 

「下らない。本当に、大した事がないのですね」

 

重々しい剣閃が煌めいたのは、ほんの一瞬。

五体はまとめて斬り伏せられ、声を上げる暇すら与えられなかった。

これだけの激戦を続けていながら、シオンの身にはいまだ傷一つない。

這いつくばるクレイマンよりも、よほど『魔王』の風格を纏っていた。

 

「ふっ……! 勝ち誇るのはまだ早いぞ! その人形達は、すぐさま再生してお前を再び襲うのだ!」

 

負け惜しみにしては、妙に具体的な自信だった。おそらく、そういう再生の仕掛けを実際に組み込んでいたのだろう。

 

「さあ! 人形たちよ! 再び死の輪舞を踊るが良い!」

 

シオンは欠伸でも堪えるような顔で待ってやったが――いつまで経っても、床に転がった残骸が身じろぎ一つする気配はない。

 

「ば、馬鹿な……。何故、蘇らない……!」

 

顔色を失い、震える声で呟くクレイマン。

込めていたはずの魂の気配そのものが、綺麗さっぱり掻き消えていることに、ようやく思い至ったのだろう。

 

呆然とするクレイマンを見つめながら、シオンは誇らしげに愛刀を担いだ。

 

「私の剛力丸・改にかかればこのようなことは造作もありません。リムル様が教えてくださったところによれば、魂を食らう権能(ソウルイーター)が備わっているようですからね」

 

「た、魂を食らう斬撃だと……!? そ、そんな馬鹿な! それほどの権能、特質級の中でも指折りの希少さのはずだ……!」

 

「珍しいかどうかなど、私にとってはどうでも良いことです。この剛力丸・改が頼もしい味方だということ、それだけで十分です」

 

クレイマンが顔面蒼白で叫ぶが、シオンはさして興味もなさそうに肩をすくめてみせた。

そして、大太刀の切っ先を、震えるクレイマンへと冷酷に突きつけながら、シオンが締めくくる。

 

「あなたの手駒はこれで全滅のようですね。さあ――残るはあなただけですよ」

 

シオンの冷酷な宣告に、大太刀を突きつけられたクレイマンの顔が屈辱と恐怖で歪む。

だが、この期に及んでも、彼はまだ自らの優位を諦めてはいなかった。

 

血走った目を大きく見開き、シオンに向けて狂ったように手をかざす。

 

「だ、黙れェッ!! 小娘が、私を見下すな! 貴様の魂、私が直接書き換えてやる! 『操魔王支配(デモンマリオネット)』ッ!!」

 

クレイマンの奥の手、精神支配の絶対的な呪法が至近距離からシオンへと放たれた。

対象の魂そのものを縛り付け、己の操り人形へと変える凶悪なユニークスキル。

 

どす黒い呪詛の光が、まとわりつくようにシオンの体を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ちょうどその頃。

 

影の中で、俺はある一つの結論に至っていた。

ユーラザニアの戦況、そしてランガの扱い――迷いはあったが、彼をあちらへ送ることに決めたのだ。

 

まずは、ユーラザニアの件を伝えねばならない。

 

(ランガ、少しいいか)

 

戦いの手を止めさせぬよう、俺はそっと彼の意識へ声を滑り込ませた。

 

『我が主! どうなされましたか!』

 

即座に返ってきた声には、一切の淀みがない。

 

(すまんな、取り込み中に。実は、ユーラザニアの方でゴブタの奴が、お前と共に戦いたいと言い出してな。厄介な化け物が出たらしい)

 

『――なるほど、承知しました! すぐにでも馳せ参じましょう!』

 

勇んで応じかけたランガだったが、そこでふと、僅かな間を置いた。

 

『……ですが、我が主。我も少々困った状況にありまして』

 

(ああ、九頭獣(ナインヘッド)が操られている事に気が付いたんだな)

 

『……! その通りです。未来の主の時も、同様だったのですか?』

 

(ああ、本当ならもう少し状況が落ち着いてから解呪しようと思ったんだが、今はそうも言ってられないな)

 

俺はそう言って素早くクレイマンによる呪法を解除した。

 

九頭獣は突然呪法の影響が消え去って最初は戸惑っている様子だったが、すぐに白猿と月兎を自分の尾へと戻す。

戦意を失った幻獣は、へなへなとその場に頽れると、小さな姿へと戻った。

 

(ランガ! そいつを回収して過去の俺の影に戻ってくれ!)

 

『わかりました! 未来の主!』

 

ランガはそう言うと、ミリムとの激戦の最中にも拘らず、僅かな隙を的確に突いて、過去の俺の影へとうまく飛び込んできた。

 

『未来の主、この者を……』

 

(ありがとうな、ランガ)

 

そう言って俺はナインヘッドを受け取り、そっと保護した。

 

(それじゃあランガ、向こうに行ってゴブタや皆を助けてやってくれ)

 

『お任せください! 我の力を存分に発揮してまいります!』

 

その力強い返答を聞いた後――ランガを遠くユーラザニアの戦場へと一息に転移させた。

 

(これで、向こうも何とかなるだろう)

 

 

 

密かにそう独りごちた、その時だった。

 

 

 

ミリムの動きのギアが一段上がった。

右手を『竜牙』に変化させ、カレラが突き出した剣戟をからめとる。

 

「なっ…!?」

 

そのまま刀ごとカレラを振り、追撃を狙っていたテスタロッサとウルティマ共々吹き飛ばす。

 

「ぐっ…!」

 

「うわっ…!」

 

一瞬にして、戦闘は過去の俺とミリムの一騎打ちの構図となった。

 

「くっ…流石だな。ミリム」

 

過去の俺の賞賛にミリムは技かな笑みを作って見せ、竜牙を纏った左手で高速の打撃を仕掛ける。

だが、以前自分の時代のワルプルギスを経験した俺にはそれはデジャブな光景であった。

 

(左はフェイントだ!)

 

『えっ!?』

 

俺は素早くアドバイスを送ったがミリムの動きは早かった。

既に過去の俺は左からの攻撃に対しての防御の構えを取っており、右はがら空きだったのだ。

本命の右からの打撃が過去の俺を襲おうとしていた。

 

『やっべぇぇぇぇ!?』

 

しかし、過去の俺に攻撃が直撃──する寸前、俺とミリムの間に何者かが割って入った。

 

強烈な打撃がその人物の右手によって受け止められる。

 

 

「我、参上!リムルよ、危なかったな!」

 

 

ヴェルドラだった。

 

「な……!?」

 

突如として割り込んできた暴風竜の姿に、結界の外で戦況を見守っていた魔王たちが、驚愕に息を呑む。

 

「…あの気配、ヴェルドラか……。しかし、何故ここに……」

 

ヴェルドラと旧知の仲であるダグリュールが、目を見開いたまま唸るように呟いた。

 

普段は動じることの少ないルミナスでさえ、その金銀妖瞳(へテロクロミア)を僅かに見張っている。

 

「はあ!? お前、なんでここに……!」

 

過去の俺は目を剥いて叫んだ。あまりに突然の乱入に、思考が一瞬追いつかない。

 

「何をしにとは失礼な! 盟友のピンチに颯爽と駆け付けたに決まっておろう!」

 

(いや、お前、本当に何しに来たんだよ? ワルプルギスに出発する前に、事前に「今回はテスタロッサ達がいるから来なくていい」って話しただろ)

 

俺はヴェルドラへの思念を飛ばす。

 

『クアハハハ!その"今回は"という部分がひっかかってな! 恐らく貴様の知る歴史では我はワルプルギスに現れたのであろう?』

 

(…まあな)

 

『やはりな。であれば我の見せ場を逃す手はなかろうと思ってやってきたのだ!』

 

俺はその嗅覚の鋭さに呆れ混じりで返した。

 

(ハァー…まあ、来ちまったもんは仕方がない)

 

『未来の俺、せっかくだからヴェルドラにも見せ場をやろう』

 

(そうだな。結局俺の時と似たような状況になったな)

 

密かな思念での会話を締めくくると、過去の俺は小さく肩をすくめ、何事もなかったかのような顔を作り直してから、目の前で仁王立ちするヴェルドラへと向き直った。

 

「結果的には助かったぜ、ヴェルドラ。ついでに少しテスタロッサ達と一緒にミリムの相手をしててくれ」

 

「ほう?」

 

ヴェルドラがミリムを見る。

 

「ミリムとな。我が兄が遺した一粒種か……直接顔を合わせるのは初めてだが、なかなかどうして、底知れぬ力を持っておるな。よかろう、我が指導してやろうではないか!」

 

「よし、ミリムはお前たちに任せたぞ!」

 

体勢を立て直したテスタロッサたちもまた、この乱入者に一瞬だけ目を見開いたが――すぐに好戦的な笑みを浮かべ直した。

 

「あら……これは、益々面白くなってきましたわね。ヴェルドラ様のお手並み、しかと拝見させていただきますわ」

 

「ヴェルドラ様までお出ましとはね。……我が君の盟友の力、しかとこの目に焼き付けさせてもらうよ」

 

「いいね、もっとこの戦いを楽しめそう…!」

 

テスタロッサ達は少しも臆することなく、むしろ稽古の続きとばかりにミリムへの猛攻を再開する。

 

その隙に、過去の俺はスッと戦線を離脱し、シオンとクレイマンの戦いへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、当のシオンはと言えば――

 

まとわりつく黒い靄を前に、心底つまらなそうな顔で立ち尽くしていた。

 

「……しばらく待ってみましたが何も起こりませんね。このスキルは遅効性なのですか?」

 

その暢気な問いかけに呼応するかのように、次の瞬間には、まとわりついていた靄が跡形もなく消え去っている。

 

「な……なぜだ!? なぜ効かん!!」

 

その絶対的な無効化に、クレイマンが信じられないものを見るような目で絶叫した。

 

「あのミリムすらも完全に支配下に置いた究極の呪法だぞ!? なぜ貴様のようなただの小娘に通じないのだ!!」

 

パニックに陥り、狂ったように喚き散らすクレイマン。

 

「本当に下らないですね。なぜ、あなたが魔王を名乗ることができているのか不思議で仕方がありません」

 

シオンは、まるで羽虫でも払うような素振りで、残っていた靄の名残を手でパッパと払い除けながら、そう言い切った。

 

その圧倒的な現実と、絶対の自信を持っていた切り札すらも通用しなかったことで、クレイマンの顔がさらに深い絶望と屈辱の色に染まっていく。

 

「ば、馬鹿な……。ピオーラも、九頭獣(ナインヘッド)も、踊る人形達(マリオネットダンス)も……全く歯が立たなかったというのか……!」

 

膝から崩れ落ち、震える両手で地面を掻き毟るクレイマン。

もはや彼には、戦局を覆すための手駒は、何一つ残されていなかった。

 

「どこの馬の骨とも分からん、新参者のスライム如きとその配下に、この私が……ッ!」

 

血を吐くような、そして現実を拒絶するような怨嗟の声を漏らす。

結界内の戦況は、完全に決した。

俺たちの絶対的な優位と、クレイマンの完全な敗北。

それは、結界の外から静観しているギィや他の魔王たちの目にも、火を見るよりも明らかに映っていたはずだ。

 

絶望で地に這いつくばるクレイマンを見下ろし、過去の俺はシオンの前にスッと進み出た。

 

「何かまだ手があるのなら、さっさと出した方がいいぞ。お前の奥の手は全て潰して勝つと決めてるんでな」

 

冷徹に、そして確固たる意志を込めて見下ろす過去の俺。

その言葉は、恐慌状態に陥っていたクレイマンの中で、ある決定的な『狂気』のスイッチを完全に押し切ったようだった。

 

「……フフフ。ハッハッハッハッハッ!!」

 

突如、クレイマンの喉の奥から常軌を逸した哄笑が響き渡る。

彼は忌々しげに上等のスーツを引き裂き、その上半身を剥き出しにした。

直後、背中の皮膚を突き破り、漆黒の甲殻に覆われた四本の異形の腕がグチャリと音を立てて新たに生え揃う。

 

「私は常に、上品かつ優雅に戦って勝つことを選んできたが……貴様だけは、この私自身の手で捻り潰してやる!!」

 

さらに懐から「笑い顔の仮面」を取り出し、顔面に押し当てた。

優雅さをかなぐり捨てた、おぞましい魔物の本性だ。

六本腕の異形と化したクレイマンは、それぞれの手に斧、槌、剣、盾などの禍々しい魔装具を顕現させ、尋常ではない殺気を放ち始める。

 

だが、過去の俺は微塵も動じず、ただ静かに刀を構え直した。

 

「少しはマシになったじゃないか。魔国連邦(テンペスト)国主、リムル=テンペストだ。決着をつけようぜ」

 

堂々たるその名乗りに、狂気に身を任せた道化が咆哮で応じる。

 

「”喜狂の道化(クレイジーピエロ)”クレイマンだ。殺してやるぞ、魔王リムル!!」

 

互いの名乗りが結界内に木霊した次の瞬間、二人の影が激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法と物理の複合による六刀流の絶え間ない連撃。

確かに、本性を現した彼の力は先程までとは比べ物にならないほど強力だ。

並の上位魔人ならば、手も足も出ずに細切れにされていただろう。

 

だが――相手が絶望的に悪すぎた。

 

「遅いな。そんな大振りじゃ掠りもしないぞ」

 

過去の俺は『智慧之王(ラファエル)』の完璧な演算による最小限の動きで、六本腕の猛攻をことごとく躱し、いなしていく。

 

クレイマンの振るう剣が空を切り、斧が床を砕くたびに、過去の俺の刀が的確に異形の腕の関節や武装を斬り裂き、弾き飛ばしていった。

防御ごと腕を次々と使い物にならなくされ、ついにガラ空きになった腹部へと、過去の俺の強烈な蹴りが容赦なく叩き込まれる。

 

「オゲェェェッ!?」

 

胃液を吐き散らして吹き飛び、床を無様に転がったクレイマン。

その顔から道化の仮面が砕け散り、血走った絶望の双眸が露わになった。

 

「ば、馬鹿な……魔王たる私が、こんな……ッ!」

 

地面を這い、異形の腕を震わせながらクレイマンが絶叫する。

もはや、その姿にかつての優雅な面影はない。

プライドをかなぐり捨て、醜く泥を啜りながらも現実を拒絶する道化の姿がそこにあった。

 

その見苦しい足掻きを冷然と見据え、過去の俺が一歩を踏み出したその時――俺たちの脳内に、ひときわ静かで冷徹な声が届いた。

『魂の回廊』を通じた、隠密の長からの思念伝達だ。

 

『リムル様、少し宜しいでしょうか』

 

『ソウエイか。どうした? こっちはちょうど見世物が終わるところだ』

 

クレイマンの無様な暴れっぷりを視界の端に留めつつ、俺と過去の俺は意識の一部をソウエイへと割いた。

 

『クレイマン軍の制圧、およびクレイマンの本拠地である城の攻略を完了いたしました。

ハクロウやシュナ様の尽力により、抵抗勢力は既に一掃されております。さらにユーラザニア方面の戦闘もゴブタやランガ、各部隊の活躍によりカリュブディスは倒されたとのことです。』

 

その報告に、俺と過去の俺は同時に詰めていた息を吐き出した。

 

(良かった……内心、結構心配してたんだよな)

 

『皆、流石だな。城の方の捜索も順調か?』

 

(はっ。詳しい状況は後程報告いたしますが、中庸道化連のラプラス、およびフットマンとティアの協力によって『あるもの』を手に入れました。これはクレイマン、そしてその背後の繋がりを暴く決定打になり得るものです)

 

ソウエイの報告に、過去の俺は小さく口角を上げた。

まさか中庸道化連の面々がここで助けてくれるとは思っていなかったからだ。

 

『で、その『あるもの』ってのは?』

 

『今ここで詳しく語るより、直接ご覧いただいた方が早いかと。ゲルドの『胃袋』を通じてお送りしますので、ご確認ください』

 

ソウエイがそう告げると同時に、共感覚を通じて俺の空間収納内に新たなアイテムが転送されてきた感覚があった。

 

『了解だ。 よくやってくれた、ソウエイ。……さて』

 

思念を切り、過去の俺は視線を再び目の前のクレイマンへと戻した。

仲間たちはそれぞれの戦場で、期待以上の成果を上げてくれている。

 

過去の俺も、ここでいつまでも三文芝居に付き合っているわけにはいかないと思っているようだ。

 

ゲルドから送られてきた『あるもの』の感触を意識の隅で確認しながら、絶望の淵で喘ぐクレイマンの呪縛を解く布石として、彼をさらに追い詰めるべく静かに刀を構えた。

 

過去の俺は空間収納(胃袋)から、ソウエイ経由でゲルドから送られてきたばかりの『映像水晶』を取り出すと、結界内の空中に向けて軽く放り投げた。

 

魔力を流し込まれた水晶が空中でピタリと静止し、結界の外にいる魔王たちにもよく見えるように、空中に巨大で鮮明な映像を投影し始める。

 

「さて、クレイマン。面白いものをみせてやろう。まずはお前の城で手に入れた映像記録だ」

 

投影された映像の中には、見覚えのある仮面を被った小柄な少女――中庸道化連のティアの姿が映し出されていた。

彼女はこちら側に向けて、悪びれる様子もなく無邪気に手を振っている。

 

『やっほー、クレイマン。クレイマンの指示通り、フォビオを依り代にしてカリュブディスにしてやったよ~!』

 

その無邪気で残酷な報告が、静まり返ったワルプルギスの空間にハッキリと響き渡った。

 

(な、なんだと!? あれは私の城の奥深くに厳重に保管しておいた記録水晶……! アダルマンを配し、城の守りは万全だったはずだぞ!? なぜ新参のスライム如きの配下が、あんなものを持ち出せているのだ!?)

 

クレイマンの内心は、絶対に安全であるはずの本拠地が何者かによって容易く落とされたという事実で激しく動揺していた。

しかし、彼はまだ完全に心が折れたわけではない。

ここで取り乱せば、それこそ自身の罪を認めることになると本能で察知し、必死に顔の筋肉を引きつらせながらも表面上の平静を取り繕った。

 

「……フ、フン。くだらん。そのような安易な幻覚魔法で捏造した映像など、何の証拠にもならんぞ。私がカリュブディスを復活させたというのか? 笑わせるな」

 

クレイマンは異形の腕を震わせるのを無理やり抑え込み、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。

あくまでもシラを切るつもりらしい。

だが、そんな見え透いた強がりなど、痛くも痒くもない。

なおも動揺を押し隠そうとするクレイマンの姿を見つめながら、影の中の俺は、密かにもう一手を用意することにした。

 

(――過去の俺。こいつも使ってやれ)

 

俺は自身の空間収納の奥深くにしまい込んでいた、もう一つの記録水晶を差し出した。

 

『ん? これは……?』

 

過去の俺が僅かに戸惑う。無理もない。それは、彼がまだ一度も目にしたことのない光景を映した水晶なのだから。

 

(俺の知ってる歴史で撮ったやつだ。この時代じゃ、歴史が変わって実際には起きなかった出来事なんだが……こいつを揺さぶるには、十分使えるはずだ)

 

一瞬だけ、妙な感覚が胸をよぎった。

もう二度と起こり得ない、消え去ったはずの過去を、こうして武器として使う。それが正しいのかどうかは、俺自身にもわからない。

だが今は、迷っている場合ではなかった。

 

『……そうか』

 

過去の俺は、その一瞬の逡巡を敏感に感じ取ったのか、それ以上は何も聞かずに小さく頷いた。

 

『それなら、使わせてもらうよ』

 

そして過去の俺はクレイマンに向き直って今受け取ったばかりの水晶を取り出した。

 

「捏造ねえ……。ま、そう言うと思ったよ。それで、こっちは別の記録水晶だが」

 

過去の俺は呆れたようにため息をつき、水晶を操作して別の映像を再生した。

次に映し出されたのは、俺の時代のユーラザニアの戦場で起きていた、生々しい光景だった。

 

『お、おやめください……クレイマン、様……ッ!』

 

血まみれで地に伏し、絶望に顔を歪めて叫ぶヤムザの姿

クレイマンの呪術により、彼が不本意な形でカリュブディスの依り代へと変貌させられ恐らく最期を迎えたのだろうと察せられる映像であった。

 

そして映像は切り替わり、今度はフットマンとティアの二人が映し出される。

 

二人は眼下の戦況を見つめながら、心底残念そうに言葉を交わしていた。

 

『クレイマン軍は完全に全滅してしまった。 あの方に残念な報告をしなければなりません』

 

ピタリ、と。

映像が終了し、水晶が光を失う。

その瞬間、ワルプルギスの広間を支配した空気は、先程までの冷ややかなものとは決定的に異なる、底知れぬ重圧へと変貌していた。

 

「な……あ……っ」

 

クレイマンの顔面から、今度こそ完全に血の気が引いた。

取り繕っていた余裕の仮面は粉々に砕け散り、両目が信じられないほど見開かれている。

 

自分の軍勢が全て壊滅したという絶望的な事実。

 

そして何より、フットマンたちがこの魔王たちの面前で『あの方』という言葉をハッキリと口にしたという、取り返しのつかない致命傷。

 

(ば、馬鹿な!? なぜあの二人の密談が記録されている!? まさか、このスライムの配下どもは、フットマンたちの動向すらも密かに盗撮していたというのか……!?)

 

フットマンたちが自ら証拠を渡したなどとは微塵も疑わず、クレイマンはただ敵の隠密能力の底知れなさに絶望し、戦慄していた。

 

「……へえ? 『あの方』、ねえ」

 

玉座で足を組んでいたギィが、絶対零度の殺気を孕んだ声で呟いた。

 

「魔王たる者が、誰かに仕えているような口ぶりじゃないか。なぁクレイマン、お前が報告を上げなきゃならない『あの方』ってのは、一体どこのどいつなんだ?」

 

「フン。他者に尻尾を振る犬が魔王を名乗るなど、反吐が出る」

 

ロイ・バレンタインが心底侮蔑しきった瞳で、這いつくばるクレイマンを見下ろす。

レオンもまた、興味を失った汚物でも見るかのように冷たい視線を向けていた。

他の魔王たちも一様に、クレイマンを見る目を変えていた。

 

「弱くて小賢しい奴」から「魔王の矜持を汚す不快な裏切り者」へと。

 

フレイの後ろに控えている大鷲の仮面の従者(カリオン)も、腕を組みながら無言で強烈な圧を放っている。

 

「ち、違う! それも罠だ! 奴らは私を陥れるために……ッ!!」

 

完全にパニックに陥り、意味の通らない言い訳を叫び始めるクレイマン。

 

「さあ、言い逃れはもう無理だぞクレイマン。お前を助けてくれる奴なんて、もうどこにもいないんだ」

 

過去の俺は、完全に逃げ場を失ったクレイマンへ向けて、総仕上げとして静かに刀の切っ先を突きつけた。

 

その時、床を這いずりながら、彼はついに最後の希望へと声を張り上げた。

 

「く、クソッ!! ミリム、ミリムは何をしている!? そんなヤツ、さっさと倒して加勢しなさい!!」

 

死の恐怖からミリムに縋ろうとするクレイマンだったが、当の本人は今なお、原初の三柱とヴェルドラを相手に一歩も引かぬ激闘を繰り広げている真っ最中だった。

クレイマンも、ミリムと互角以上に打ち合っているヴェルドラや三柱の悪魔たちの桁外れの力に気づき、信じられないものを見る目を向けた。

 

「な、何者だ……? なんなのだ、化け物じみた強さの男は……ッ!? あんな奴、さっきまでいなかったはずだ!」

 

「ああ、アイツは人の姿をしてるけど、ヴェルドラだよ。お前はどう思っていたのかは知らないが、俺とあいつは盟友なんだよ」

 

「ヴェ、ヴェルドラ……だと……ッ!?」

 

過去の俺が事もなげにそう答えると、クレイマンは目を見開いて硬直した。

だが、過去の俺からの追撃はそれだけでは終わらない。

 

「ついでに教えておくけど、ヴェルドラと一緒に戦ってるあの三人の悪魔娘。あいつらも、あそこに座ってるギィ・クリムゾンと同格の『原初の悪魔』だぞ」

 

「げ、原初……!? あ、あの時から尋常ではない気配だとは思っていたが……まさか、ギィと同格の悪魔が、三柱も……ッ!?」

 

暴風竜の復活に加え、最古の魔王と同格の原初が三柱。

そんな神話クラスの化物たちが、揃いも揃って新参のスライムに味方しているなど、もはや彼の理解の範疇を完全に超えていた。

 

圧倒的すぎる戦力差を前に、クレイマンは完全に絶句し、ガクガクと震え上がった。

頼みの綱であるミリムは完全に足止めされている。

パニックに陥ったクレイマンは、今度は結界の外で静観しているフレイに向かって叫び始めた。

 

「フ、フレイ! 何をしているのです!? さっさと私に手を貸しなさい!!」

 

必死の命乞い。

しかし、フレイの返答は絶対零度だった。

 

「あら、悪いわねクレイマン。この『結界』は、私も通れそうにないわ。本当に残念だわ」

 

微塵も残念そうではない、心底どうでもよさそうな声色。

 

誰からも見捨てられたクレイマンの目に、もはや理性の光は残っていなかった。

彼は狂気に顔を歪め、再びミリムへと叫ぶ。

 

「ミリムよ! 私の命令に従い『狂化暴走(スタンピード)』しなさい!! この場にいる者全員を殺し尽くすのです!!」

 

なりふり構わぬ命令。

だが、過去の俺は焦るどころか、心底呆れたように深々とため息をついた。

 

「無駄な悪あがきはやめろよ、クレイマン。ミリムがお前のそんな命令、聞くわけないだろ」

 

「……なに?」

 

過去の俺の冷ややかな宣告に、クレイマンが間抜けな声を漏らした、その時だった。

 

「わーーっはっはっは! リムルの言う通りなのだ!」

 

背後から聞こえた明るい声に、過去の俺が肩越しに視線を向ける。

そこには、ヴェルドラとの激しいプロレスをすんなりと中断し、ニンマリと得意げな笑みを浮かべて腰に手を当てているミリムの姿があった。

 

「なんでワタシがそんな事をする必要があるのだ? リムル達はワタシの友達なのだぞ!」

 

ドンッ、と大きく空気を震わせて、ミリムがヴェルドラたちとの激闘を唐突に中断する。

 

戦いの手を止められたことに気づいたテスタロッサたちが、僅かに眉を上げてミリムの傍らへと降り立った。

 

「あら、ミリム様。演舞は、もうここまでですの?」

 

テスタロッサが、名残惜しそうに紅の瞳を細める。

 

「もっとやろう! 私はまだまだ満足してないからね!」

 

カレラもまた、肩に担いだ刀を軽く鳴らしながら、不満げに口を尖らせた。

 

そんな二人へ、ミリムはニヤリと悪戯っぽく笑ってみせる。

 

「まあ、待つのだ。今はリムルの援護をしてやるのが先決だからな!」

 

「ミ、ミリム……!? 貴女は、私の呪縛に……っ!」

 

「見事に騙されてくれたようだな、クレイマン! ワタシがお前なんかに操られる訳がないであろう?」

 

ドヤ顔で言い放つミリム。

過去の俺は事前に俺から『ミリムは操られたフリをしているだけだ』と聞かされていたし、戦闘中のやり取りでもそれは確信に変わっていたため、驚くこともなく「やっぱりな」と小さく頷いている。

 

(ミリムのやつ、ずっとこの「種明かし」の瞬間を楽しみにしてたんだろうな)

 

俺は影の中から、親友の無邪気なドヤ顔を見て思わず微笑ましくなってしまう。

過去の俺の脳内で状況を完璧に把握していた『智慧之王(ラファエル)』先生も、予定調和の結末にどこか満足げなオーラを放っているのが伝わってきた。

 

一方、最も驚愕し、絶望に突き落とされたのはクレイマンだ。

 

「そ、そうです。貴女は”あの方”より授かった『支配の宝珠(オーブ・オブ・ドミネイト)』で、完璧に私の支配下にあったはず……。私の命令で、カリオンを殺したではないですか!?」

 

混乱の極みで、とうとう自分から黒幕の存在と犯行をペラペラと自白してしまう。

 

ミリムが「そう! ワタシはそれが聞きたかったのだ!”あの方”とは誰だ?」と鋭く問い詰める中、結界の外から、渋い重低音が響き渡った。

 

「おいおい。誰が死んだって?」

 

声の主は、フレイの背後に控えていたライオンのマスクの従者。

彼がおもむろにマスクを外し、凄まじい妖気と共に本来の姿を現した。

 

「よお、リムル。俺の部下達が世話になったな」

 

それはクレイマンが死んだと思っていた『獅子王(ビーストマスター)』カリオン本人だった。

 

「な、そんな……では、本当に……? だが、フレイの報告では……そうか、フレイも! 貴様も私を裏切っていたんだなぁーー!!」

 

狂乱するクレイマンに対し、フレイはしれっと、とどめの言葉を放った。

 

「あら? いつから私が貴方の味方になったと錯覚していたの?」

 

見事なまでの手のひら返し。

最初から誰一人として、クレイマンの味方などいなかったのだ。

絶望と屈辱に塗れ、その場に絶叫を響かせる哀れな道化。

 

「フレイィィィ!! 貴様ぁぁぁぁぁ!!!」

 

理性を完全に失ったクレイマンが、異形の腕を振りかぶり、結界の外にいるはずのフレイへと斬りかからんと踏み込んだ。

 

無論、隔離結界がそれを許すはずもない。だが、もはやそんなことすら目に入っていないのだろう。

その哀れで、しかし危険な姿を一瞥し、過去の俺は静かに、しかし迷いなく指示を下した。

 

「シオン、やれ」

 

「お任せを!」

 

過去の俺の静かな命令と共に、シオンが動く。

全力で振り下ろされた断罪の大太刀が、クレイマンの異形の腕を全て切断し、袈裟懸けに深々とその身を斬り裂いた。

精神をも破壊する重い一撃を受け、クレイマンは言葉を発することすらできず、血の海へと沈み込んだ。

 

これにて、結界内での決着は完全についた。

 

過去の俺が結界を解除し、魔王たちが口々に「三文芝居だったな」「アタシは見抜いてたさ」と、ミリムの演技に気づいていた風な態度を取る中、フレイがミリムの元へと歩み寄り、預かっていたドラゴンナックルをそっと手渡した。

 

全てが終わり、俺たちの正当性が完全に証明された穏やかな空気の中。

足元の血溜まりから、地獄の底から響くような呻き声が漏れた。

 

「……い、いつからだ? いつから私を欺いていた……?」

 

致命傷を負い、虫の息となったクレイマンが、信じ難い現実を前に、虚ろな目で俺たちを見上げていた。

そんな彼に対し、ミリムは悪びれる様子もなく、残酷な種明かしをあっけらかんと告げる。

 

「ふふん、大層な苦労だったのだぞ! フレイと示し合わせて、ずっと操られたフリをしてやっていたのだ。あの胡散臭い腕輪も、わざと効果が出ているように見せかけてやったしな!」

 

「ば、馬鹿な……。あの方から授かった『支配の宝珠(オーブ・オブ・ドミネイト)』を使い、私の全魔力を乗せた究極の呪法だぞ……!? それを、無効化したとでも……!?」

 

「その程度の魔法、ワタシなら欠伸しながらでも弾けるのだ。だが、それだとお前が警戒するだろう? だからわざわざ結界を解いて、抵抗(レジスト)しないように我慢して……お前の前でだけ術が効いたように振る舞うという、高度な演技をしてやったのだ!」

 

ミリムは自慢げに、胸を張って大威張りである。

 

「ええ、本当に心配して損した気分よ。ただ貴女、無理して真顔を作ろうとするから、口元がピクピク引きつってて演技は三流だったけどね」

 

「しょ、しょうがないであろう! リムルがワタシを心配してくれているのがわかって、つい嬉しくなってしまったのだ!」

 

そんなミリムの反応に、フレイは呆れたように肩を竦める。

そして、ふと思い出したようにチクリと言った。

 

「それにしても、この広間に入場してきた時にクレイマンに殴られた時はヒヤッとしたわ。貴女がキレて、ここを消し飛ばすんじゃないかって。よく我慢したわね」

 

「うむ! ワタシもな、大人になったのだよ。我慢の出来る大人にな!」

 

(ああ、そういえばここに入って来た時にも、思いっきり顔を引っぱたかれてたな)

 

過去の俺は当時の光景を思い出し、内心で冷や汗を拭う。

あの短気な暴君が、よくぞあそこまで耐え抜いたものだ。

 

「どこがよ。まあいいけど。それにしても、私との約束のためだけにあそこまで我慢するなんてね。本当は何が目的だったの?」

 

フレイのその問いに、ミリムは一瞬だけ分かりやすく視線を泳がせた。

 

「む? い、いやなに……その、ワタシの鋭い直感というか……前にクレイマンがリムルたちを人間の敵に仕立てて、戦争を起こそうと企んでいるという『お告げ』……じゃなかった、怪しい話をしていたのを思い出したのだ! と、友達の邪魔をされるのは腹が立つからな!」

 

(おいおい、めっちゃ不自然だぞ)

 

影の中にいる俺は、思わず苦笑してしまう。

 

恐らくテンペストに滞在していた時に、ガゼル王と俺の話を聞いて今後起こりうることを察していたのだろう。

しかし、俺の存在を他の魔王に公言するわけにはいかないため、彼女なりに必死に「自分の勘」ということに気を回して誤魔化してくれているのだろうな。

 

恐らく今回も、あの不自然な無表情を維持するためにこっそり嫌いなピーマンを齧って渋い顔を作っていたんだろうな。

涙ぐましい役者魂だ。

 

そんな中、獅子王カリオンが一歩前に出た。

 

「ところでよミリム、一つ聞かせてくれ。お前、操られてなかったってことは……完全にノリノリで俺様をボコボコにしてくれたわけだよな?」

 

笑顔だが、額に青筋を浮かべるカリオン。

 

「うっ!? そ、それは……」

 

「いや、俺が負けたのは純粋な実力差だからいいさ。ただよ、本気でユーラザニアを消し飛ばす気じゃなかったんだろうな?」

 

「と、当然なのだ!ちゃんと手加減して、街を壊すような大技は撃たないように細心の注意を払って無力化したであろう! 感謝してほしいくらいなのだ!」

 

「……へいへい。まあ、おかげで住民にも被害はなかったし、街が無事だっただけでもありがたいと思わねえとな」

 

カリオンは深くため息をついた。

 

彼もまた、ミリムに対して俺からの事前の警告があったのだろうということは察しているかもしれない。

 

「ねえクレイマン。貴方、抵抗できない相手には随分と強気に出るのね。私も少しだけ、頭にきていたのよ」

 

「おうよ。俺も国を荒らされた借りがある。弱肉強食が掟とはいえ、てめえのやり方は気に食わねえ」

 

フレイとカリオンが冷たく言い放つ。

ギィは事の顛末を眺めているだけであり、他の魔王たちもクレイマンを庇おうとする者は誰一人としていなかった。

完全に四面楚歌。

クレイマンの信用も、魔王としての威厳も、とうの昔に地に墜ちている。

 

状況は既に詰んでいる。

あとは、彼を縛る呪いを解くための「最後の仕上げ」を残すのみとなっていた。

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