【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
ギィのメイドであるミザリーとレインが手際よく魔法を行使し、ものの数分で広間の惨状は跡形もなく片付けられた。
砕け散った床は平らに直され、吹き飛ばされた巨大な円卓と豪華な椅子も、まるで最初から何もなかったかのように元通りに配置される。
嵐のような圧倒的暴威が去った後。
魔王たちは再び円卓へと着席し、静かにお茶やワインを口にしながら、先ほどの余韻――いや、『未来からの来訪者』という予想外の衝撃を噛み締めていた。
過去の俺も指定された席に座り、俺はその後ろで腕を組んで静かに佇んでいる。
過去の俺との戦闘でのダメージ、精神支配を解いたことによる負荷、そして結界展開の余波で吹き飛ばされたクレイマンは気絶してしまっており、広間の隅でミザリーによって拘束され転がされていた。
「それにしても……スライムが竜種に至るとはな。ワシも長いこと生きているが、これほど驚いたのは久方ぶりだぞ」
巨漢のダグリュールが、未だに信じられないというように太い息を吐き出す。
「ああ、全くだ。特に先ほどの戦闘、何が起きたのかすら認識できなかった。気づけばギィの本気の一撃が真っ向から止められているなど……夢でも見ている気分だ」
常に冷静沈着なレオンも、俺の姿を胡乱な目で見つめながら、珍しく感情を隠さずに驚嘆の声を漏らした。
「いやー、ワルプルギスはいつも退屈だったが、今回ばかりは俺もマジで驚いたぜ…」
ディーノが机に突っ伏しながら、げっそりとした顔で愚痴をこぼす。
「あのような存在、到底信じられん……ッ! 何なんなのだヤツは……!?」
魔王の席に座るロイ・バレンタインが、冷や汗を拭いながら狼狽の声を上げる。
(リムルが時間を遡るなどという神の御業を成し遂げた上に、あのギィの剣を止めるほどの実力者になるじゃと…? いや、それ以上に由々しき事態なのは……クロエから聞いていた『本来の歴史』とあまりにも掛け離れすぎていることじゃ! リムルが未来からやってくるなど、あやつが経験した幾多の輪廻の中にも微塵もなかったはず。一体どうなっておるのじゃ……!?)
ロイの背後に銀髪のメイドとして控えている真の魔王ルミナスも、無表情の仮面こそ取り繕っているものの、内心では確かな警戒と底知れぬ興味を込めた視線を俺に向けていた。
俺の事を知らなかった魔王たちが口々にその異常な印象を語り合う中。
上座に座るギィ・クリムゾンが、ワイングラスを軽く揺らしながら、含みのある笑みを浮かべて口を開いた。
「さて。今回はそこの気絶してるクレイマンの発議で始まったワルプルギスだったわけだが……蓋を開けてみれば、予定外にも程がある方向に行っちまったな」
ギィの言葉に、魔王たちの視線が自然と集まる。
「時間跳躍、そして精神操作の暴露。……当初の議題だった『カリオンの裏切り』だの『リムルという魔人の台頭』だのといった話は、もはや完全にどうでもよくなったわけだが」
ギィはそう言って、改めて過去の俺――そして、背後に立つ俺を、面白くてたまらないといった目で見据えた。
ギィの視線を受け止めながら、俺は一つ頷いた。
「そうだな。こっから先の話を円滑に進めるためにも、一つ先に片づけておいてもいいか?」
「ほう?」
ギィは面白そうに眉を上げ、ワイングラスを傾けながら「好きにしろ」とばかりに顎で促した。
俺は過去の俺の背後から静かに歩み出ると、広間の隅でミザリーの魔法によって拘束され、気絶したまま転がされているクレイマンの元へと向かった。
視線でミザリーに合図を送り、拘束の魔法を解除させる。
そして、道化の顔の前にそっと手をかざし、回復魔法と微弱な魔力波を送り込んで衣類や外傷をすべて修復し、意識の覚醒を促した。
「……ん、ぅ……」
微かな呻き声と共に、クレイマンのまぶたがピクリと動き、ゆっくりと開かれた。
焦点の定まらない瞳が何度か瞬きを繰り返し、やがて目の前にしゃがみ込んでいる銀髪の人物――俺の姿を捉える。
「おはよう。具合はどうだ?」
「貴様、は……」
「俺は未来から来たリムルだ。お前を操っていた厄介な精神支配は、先ほど完全に解除しておいたぞ」
静かで、穏やかな声。
そして、俺はクレイマンにこれまでの経緯を説明した。
俺が未来から来たこと。俺の知る歴史ではこの場で死ぬ結果となったこと。帝国の刺客に精神支配を受けていたこと。そして――彼の主であるカガリ(カザリーム)やユウキと俺たちが極秘に対等な同盟を結び、このワルプルギスで救い出す手筈を整えていたこと。
その説明を聞きながら、クレイマンの身体がビクッと大きく跳ねた。
近藤中尉による呪縛から完全に解放された彼の脳裏に、これまでの自身の異常な行動と、その裏にあったどす黒い『他者の意志』が鮮明に蘇ってきたのだ。
「私、は……。なんという、ことを……」
自身の両手を見つめ、クレイマンはガタガタと震え出した。
自分がどれほど滑稽に操られ、主君であるカガリの計画を台無しにし、あまつさえカガリと同盟関係にあるリムルたちに牙を剥いていたのか。
そのすべての事実が、呪縛が解けた今なら痛いほどに理解できた。
「リムル……どの……。未来の、リムル殿……」
「ああ」
「貴方様が、この愚かな私を……救い出してくださったのですね」
クレイマンはふらつく足で必死に立ち上がると、俺に対して深々と、地面に額を擦りつけるほどの勢いで土下座をした。
「申し訳……申し訳ございませんでした……ッ! 私は、己が操られていることにも気づかず、カザリーム様やボスが貴方様と結んだ対等な同盟に泥を塗り、あまつさえ命まで狙うなどと……!」
そして、クレイマンはそのまま顔を向け、円卓に座る過去の俺、そして彼が謀略に巻き込んだ魔王たちへも痛切な謝罪の言葉を口にした。
「リムル殿! そしてカリオン、フレイ! さらにはミリム様! 私の不徳と無能の致すところで、貴方様たちに多大なるご迷惑をおかけしたこと、万死に値します……! どうか、どうかこの首一つでご容赦を……ッ!」
ボロボロと大粒の涙を流し、謝罪するクレイマン。
その陰湿で傲慢だった彼からは想像もつかない、あまりにも悲痛で誠実な姿に、円卓の魔王たちはあっけにとられていた。
「……ふん。他人に操られていた結果とはいえ、俺の国に手を出そうとしたんだ。一発ぶん殴ってやりてえところだが……まあ、そこまでしおらしく謝られちゃあ、毒気を抜かれるな」
カリオンが腕を組みながら、複雑そうな顔でため息をつく。
「ええ。全く、手のかかる人ね。……でも、貴方が本当に正気を取り戻したというのなら、これ以上責めるのは無粋というものかしら」
フレイもまた、呆れたように肩をすくめた。
「わーっはっはっは! ワタシは最初から操られてなどいなかったからな! だが、お前がリムルの仲間になるというのなら、ワタシも許してやるのだ!」
ミリムはいつも通り快活に笑い飛ばす。
そして、過去の俺は頭を掻きながら、少しぶっきらぼうに言った。
「まあ、正直お前には相当な迷惑をかけられたし、色々とムカついてもいたけどな。……でも、正気に戻ったお前が、これから俺たちに協力してくれるって言うなら、これ以上俺から言うことはないよ。今回の件は、これでチャラにしてやる」
「皆様……ッ」
クレイマンは感極まったように声を詰まらせ、再び深く頭を垂れた。
「さて、と。これで当事者間のケジメはついたな」
皆の寛大な言葉を聞き届けた俺は、満足げに一つ頷いた。
そして、スッと表情を引き締めると、何者かへの通信を繋ぐように、右手の指先をこめかみの辺りに当てて『魔法通話』の仕草をとった。
「――ああ、待たせたな。俺だ。……作戦は成功。厄介な精神支配は完全に解除した。クレイマンの奴も無事正気を取り戻してるよ」
その声に、魔王たちが「誰と話しているんだ?」と怪訝な顔を見せる。
「ああ、今そっちの空間座標を繋ぐ。こっちに来てやってくれ」
通話を終えた俺が軽く指を鳴らすと、広間の中央――クレイマンのすぐ傍の空間がグニャリと歪み、眩い光と共に巨大な『空間転移』の魔法陣が展開された。
「ワルプルギスの会場に、外部から直接転移ですって…!?」
「防壁の結界を易々とすり抜けてきたぞ……!」
魔王たちが再びざわめく中、光の柱が収まり、そこから二つの人影が姿を現した。
一人は、見目麗しいエルフの女性の姿をした元魔王カザリーム――カガリ。
そしてもう一人は、人間の自由組合総帥(ギルドマスター)であり、中庸道化連の実質的なボスである少年――ユウキ・カグラザカだった。
「クレイマン……ッ!」
転移してくるなり、カガリは周囲に並び立つ魔王たちのプレッシャーなど一切意に介さず、へたり込むクレイマンの元へと駆け寄った。
「カ、カザリーム……様……なのですか?」
「ああ、無事で……本当に無事でよかった……! 私の力不足のせいで、お前に辛い思いをさせてしまって……ごめんなさい、クレイマン……ッ!」
カガリは膝をつき、愛しい我が子を抱きしめるようにクレイマンを力強く抱きしめた。
中庸道化連の仲間を何よりも大切に想う彼女にとって、クレイマンが帝国に操られ、狂っていく姿をただ見ていることしかできなかったのは、身を引き裂かれるような苦しみだったはずだ。
「……あぁ、カザリーム様……ッ!! 私は、私はなんて愚かな……!」
主君の温もりと涙に触れ、クレイマンは子供のように声を上げて泣き崩れた。
カガリの背中にしがみつき、これまでの後悔と、救われたことへの安堵の涙を延々と流し続ける。
その光景を、ユウキはどこかホッとしたような、優しい微笑みを浮かべて見守っていた。
彼は俺と過去の俺の方へ歩み寄ると、軽く手を上げて人懐っこい笑みを向けた。
「いやあ、無事に済んでよかったよ。ハラハラしたけど、流石だね、未来のリムルさん。……それに、リムルさんも。彼を許してくれて、本当にありがとう」
「……お、おう。なんかもう、あそこまで泣かれると怒る気も失せるっていうか……」
過去の俺が毒気を抜かれたように頭を掻く。
神聖なる魔王たちの宴に、堂々と外部の者――それも死んだはずの元魔王と人間の重鎮を呼び出した俺の行動に、円卓はさらなる混乱と驚愕に包まれていた。
その中で、円卓の席からスッと鋭い視線を向けた者がいた。
レオン・クロムウェルだ。彼は、クレイマンを抱きしめているエルフの女性をジッと見据え、静かな声で口を開いた。
「カザリーム……私がいつぞや倒した魔王か。まさか生きていたとはな」
その言葉に、カガリの肩がピクリと震えた。彼女はゆっくりと立ち上がり、かつて自身の全てを奪った因縁の相手へと鋭い視線を返す。
そして、元魔王としての威厳に満ちた口調で言葉を紡いだ。
「魔王レオン……。貴方に倒された恨みがないわけではないが、ここで敵対することをリムル様が望んでいるとは思わないのでな。今は矛を収めよう」
「賢明な判断だ」
カガリが明確に敵意を引っ込めると、レオンもそれ以上追及することなく興味を失ったように視線を外した。
その一連のやり取りを見て、上座に座るギィ・クリムゾンは呆れたように、だが愉快そうに口角を吊り上げた。
「フッ。俺たちのワルプルギスで好き勝手やってくれるじゃないか」
ギィは短く喉を鳴らして笑った。
その声が広間に響き渡る中、俺は一つ息を吐き、円卓の席で事態を見守っていた親友へと視線を向けた。
「ミリム。ちょっとこっちに来てくれないか」
「む? なんなのだ、未来のリムルよ!」
呼ばれたミリムは、待ってましたとばかりに弾むような足取りでタタタッと俺たちの元へと駆け寄ってきた。
過去の俺の隣に並び立ち、興味津々といった様子で俺やユウキ、カガリたちを見上げている。
俺はミリム、そしてユウキと、未だクレイマンを抱きしめているカガリに向き直り、真剣さを帯びた声で本題を切り出した。
「前にユウキたちと同盟を結んだ時に少し話したが……今後の動きについて、ここで具体的に決めておきたい。結論から言うと、クレイマン。お前は今日のこの『ワルプルギス』で、そこにいる俺に討たれて死んだことになってもらう」
「……死んだことに、ですか」
カガリの腕の中で、クレイマンが身を正し、真剣な表情で頷く。
「ああ。お前を操っていた近藤という男……あいつの執念と勘の鋭さは異常だ。もしお前が生き延びたと知られれば、自身の精神支配が何者かによって解除されたと即座に察知するだろう」
俺の言葉に、ユウキが顎に手を当てて同意するように頷いた。
「確かに。今の段階で、僕たちの同盟関係や、精神支配を破る手段を持っていることが帝国側にバレるのは避けたいですからね。それに、クレイマンを操るほどの実力者に生きていることが知れれば、確実な口封じのために厄介な刺客を放ってくる可能性が高い」
「そうだ、今は帝国の目を欺き、これからの事を有利に進めるためにも、クレイマンの死を偽装して相手を油断させておくのは絶対条件になる。近藤の脅威が完全に去るまでの間、お前には表舞台から姿を消してもらう必要があるんだ」
俺の説明に、カガリもクレイマンも、事の重大さを理解して深く頷いた。
魔王たちを欺く以上に、この世界の裏側で動く巨大な敵を出し抜くための必然の策。
俺はそう言ってから、再び隣で話を聞いていたミリムへと視線を向けた。
「そこで、ミリム。お前に頼みがあるんだ」
「ワタシにか? なんだ、言ってみるのだ!」
「表向きは、この時代の俺がクレイマンを討ったことになっている。となれば、主を失ったジスターブの領地は宙に浮き、放っておけば帝国や他の勢力に付け込まれる隙を生む」
俺はミリムの目を真っ直ぐに見据えて言った。
「だから、他の連中に怪しまれないよう、お前にジスターブの支配権を丸ごと引き継いでもらいたいんだ」
「おおっ! ワタシがジスターブの新しい主になるのか!」
目を輝かせるミリムを軽く手で制し、俺はさらに声を潜めて計画の肝を告げる。
「表向きは、な。だが実際は、お前の直轄領として大々的に保護した上で、死んだことになったクレイマンをそこに匿うんだよ。最強の魔王であるミリムの威光と結界があれば、いかに帝国といえど、そう簡単には間者や刺客を送り込めないからな」
「なるほど、ミリムさんを最強の隠れ蓑にするわけか」
ユウキが感心したように頷く。
「そういうことだ。領地経営や管理はそのままクレイマンたちの部下や中庸道化連に任せる。ミリムにはその協力と護衛をお願いしたい。そして――近藤の脅威を完全に排除し、俺たちが東の帝国との戦いに勝利した暁には、ジスターブを正式にクレイマンやカガリたちの領地として返還する。……これでどうだ?」
俺の提案に、ミリムは少しだけ考えるように腕を組んでから、ニカッと太陽のような満面の笑みを浮かべた。
「わーっはっはっは! つまり、ワタシがクレイマンの秘密の拠点を守る大役を任されたというわけだな! いいぞ、任せておくのだ! リムルの頼みとあらば、このミリム・ナーヴァが完璧にこなしてみせよう!」
ミリムの力強い快諾に、カガリがハッとして胸を押さえた。
「ジスターブは……私たちにとって、長い時間をかけて築き上げた、大切な仲間たちの居場所でもありました。それを守ってくださるだけでなく、いずれ返還していただけるなんて……。ミリム様、本当に、本当にありがとうございます……ッ」
カガリは感極まった様子で深く頭を下げる。
その横で、クレイマンもまた震える声で言葉を紡いだ。
「ミリム様……。以前は貴方様を操ろうなどとという、身の程知らずの大罪を犯したこの私を、お助け頂けるというのですか……。この御恩、必ずや裏からジスターブを完璧に管理し、貴方様の力となることでお返しいたします……ッ!」
「気にするなクレイマン! お前が操られていた事情はもうわかっているのだ、以前のことは水に流してやる! ワタシの領地でコソコソ隠れるのは窮屈かもしれんが、ワタシが絶対に守ってやるから安心するがいいぞ!」
ミリムがドンッと自身の胸を叩いて胸を張る。
その底抜けの明るさと器の大きさに、ユウキも安心したように柔らかな笑みをこぼした。
「完璧な作戦だね。ミリムさんが後ろ盾になってくれるなら、近藤の目をごまかすどころか、これ以上ないほど強固な防壁になる。僕も中庸道化連のボスとして、この作戦に全面的に同意するよ」
これで、ミリム、ユウキ、カガリ、そしてクレイマン本人からの同意を得ることができた。
彼らの意思を確認した俺は、ホッと小さく息を吐き出す。
(これで少なくとも、クレイマンが死ぬという歴史は完全に塗り替えられ、今後の強敵たちとの戦いに向けた強固な足場が一つ完成したことになる)
「さて、方針が決まったところで移動としよう。俺はまだこの場でやることがあるからな」
俺は、カガリとクレイマンに向けて言った。
「カガリさんとクレイマンは、ここから俺が直接繋ぐ転移魔法で、ジスターブへと向かってくれ。今、現地にはうちのソウエイたちが潜入しているはずだ。彼らには俺から事情を説明して、裏での引き継ぎや隠蔽工作を手助けするように伝えておく」
「承知いたしました。何から何まで、本当にありがとうございます……!」
カガリがクレイマンを支えながら、深く頭を下げる。
続いて、俺はユウキの方を向いた。
「ユウキ、お前がジスターブにいると流石に目立ちすぎるし、人間の重鎮が行方不明になるのもマズい。お前にはイングラシア王都に繋がる転移魔法を用意するから、一旦そっちに戻っていつも通り動いていてくれ」
「了解です。それでは僕はギルドの仕事をこなしつつリムルさんに頼まれた計画を進めていますよ。連絡はいつも通り、魔法通話で頼みますよ」
ユウキはウインクをして、ひらひらと手を振った。
手筈を整えた俺は、『思念伝達』を用いて現地で待機している有能な隠密のトップへと直接回線を繋ぐ。
(――ソウエイ、聞こえるか? 俺だ。作戦は無事に成功した。今からそっちに、カガリさんとクレイマンを転移させる。彼らは今後、本格的に俺たちと協力関係になる。クレイマンの死の偽装と、ミリムへの領地引き継ぎの裏工作を手伝ってやってくれ)
『……はっ。事情は承知いたしました。彼らの受け入れと隠蔽工作、直ちに取り掛かります』
相変わらずの頼もしい即答に、俺は満足げに頷いて通信を切った。
そして、両手を広げ、ワルプルギスの結界内という特殊な環境下でありながらも、全くのタイムラグなしに巨大な魔法陣を二つ同時に展開してみせた。
一つはジスターブへ。
もう一つはイングラシアのユウキの拠点へと繋がる、極めて精密な超長距離の空間転移ゲートだ。
「それじゃあ、気をつけてな。また後で連絡する」
「ええ。この時代のリムル様も、本当にありがとうございました。では、失礼いたします」
カガリとクレイマンが深く一礼する。
その横で、ユウキはワルプルギスの会場を改めて見回し、「これが世界の頂点に立つ魔王たちか……」と興味深そうに目を細めた。そして、
「またね、リムルさんたち! 」
と、明るく挨拶を残してゲートへと足を踏み入れた。
眩い光がワルプルギスの広間を包み込み――次の瞬間、三人の姿は完全に消え去り、元の静寂が戻った。
用を終えたゲートがふっと消滅する。
広間に残されたのは、一部始終を無言で見届けていた円卓の魔王たちと、過去の俺。
そして、まだ『やるべきこと』を残している俺だけだ。
転移の光の残滓が完全に消え去り、ワルプルギスの広間に再び静寂が降りた。
俺がゆっくりと踵を返し、円卓の方面へと歩み寄っていくと、ただ呆然と事の成り行きを見守っていた魔王たちから、ようやく堰を切ったように感嘆と呆れの入り混じった声が漏れ始めた。
「……信じられん。このギィの結界が張られたワルプルギスの空間から、あのような超長距離の空間転移を、それも二箇所同時に無詠唱で展開するとは……」
巨漢のダグリュールが、自身の巨大な腕を組みながら、底知れぬ魔法の技量に唸り声を上げる。
「東の帝国の暗躍、中庸道化連との密約……。貴様は、我々の常識など端から相手にしていない次元で動いているようだな」
レオンが、過去の俺と俺を交互に見比べながら、どこか呆れたように、しかし確かな警戒を込めて呟いた。
「いやー、マジでデタラメすぎんだろ。俺たちの知らないところで世界がひっくり返るようなことばっかり起きてるじゃん。あーあ、なんかもう聞いてるだけで疲れてきた……」
ディーノが椅子に深く沈み込み、心底面倒くさそうに頭を抱える。
「スライムが……いや、もはやスライムという次元の存在ではないのか……ッ」
魔王の代役として座るロイ・バレンタインが冷や汗を拭い、その後ろに控えるルミナスも、自身の想定を遥かに超えて改変されていく歴史の濁流を前に、銀髪を揺らして無言で戦慄していた。
「わーっはっはっは! 流石は未来のリムルなのだ! やることがいちいち破天荒で面白いぞ!」
ミリムだけは相変わらずの大絶賛で、自分のことのように胸を張って笑っている。
そして、上座のギィ・クリムゾンは。
空になったグラスをテーブルに置き、頬杖をつきながら、ひどく楽しげな笑みを浮かべたまま俺を見つめていた。
「ワルプルギスを勝手に密会の場に使った挙句、勝手に領土割譲の話まで進めやがって。……まあ、極上の余興を見せてもらった礼に、今回の件は不問にしておいてやるよ」
「そいつは助かるよ、ギィ」
俺は肩をすくめ、過去の俺の隣――円卓のすぐ傍まで戻ってきた。
そして、未だに混乱と驚愕の余韻が冷めやらない魔王たちをぐるりと見渡し、落ち着き払った声で問いかけた。
「さて。これで、俺がやっておくべき面倒事は一旦片付いたわけだが……。どうだ? 他に言いたい事があるやつはいるか?」
俺のその問いかけは、この場における主導権が完全に俺たちの手にあることを宣言しているようだった。
嵐のように場を掻き回し、世界の裏の構図すらも一変させてしまった存在を前に、円卓の魔王たちはゴクリと息を呑む。
もはや、当初の議題であったスライムの魔王就任に異を唱える者など、この場にいるはずもなかった。
しばらくの沈黙が続いた、その時。
ふと、円卓の一角から、どこか吹っ切れたような声が上がった。
「――あー、なら俺から一ついいか。ギィ」
ゆっくりと立ち上がったのは、獅子王(ビーストマスター)カリオンだった。
彼はぐるりと円卓を見渡し、最後に上座のギィを見据えて、あっけらかんと言い放った。
「俺、魔王を辞めるわ」
「……は?」
過去の俺の口から、思わず素っ頓狂な声が漏れる。
だが、カリオンの表情は至って真剣、かつ清々しいものだった。
「いやな、元々俺はミリムと勝負して負けた身だ。それに加えて、さっきのお前たちの次元が違いすぎる戦いを見ちまったら、流石に自分が『魔王』を名乗るのがおこがましく思えてきてな。俺なんぞが座れる椅子じゃねえって、骨の髄まで理解させられたよ」
自嘲気味に笑いながら、自身の力不足をあっさりと認めるカリオン。
その潔い言葉に円卓の空気が再び揺れる中、彼に同調するように、隣の席から天空女王(スカイクイーン)フレイも静かに立ち上がった。
「奇遇ね、カリオン。実は私も、同じことを言おうと考えていたところよ」
「なにっ、フレイもなのか!?」
ミリムが驚いて聞き返すと、フレイはふわりと美しく微笑み、しかし酷く冷静な声で告げた。
「ええ。私の特化型の能力では、到底この先の世界の戦い……特に、そこの未来からきた魔王殿やギィのような実力者たちが跋扈する『真の魔王』たちの領域にはついていけないわ。弱点のある私が無理に魔王の座にしがみついても、いつか誰かの足手まといになるだけよ。引き際としては、今が一番美しいでしょうね」
そして二人は顔を見合わせ、同時に、ギィに向かってはっきりと宣言した。
「というわけで、俺たちは魔王の座を降りる。今後はミリムの配下として、一から鍛え直させてもらうつもりだ」
「私とカリオンの領土も、ミリムの傘下に組み込んでもらうわ。……ギィ、貴方ならこの決定、反対はしないわよね?」
唐突な二柱の魔王の引退宣言。
だが、名指しされたギィ・クリムゾンは、呆れるどころか面白そうに口角を吊り上げた。
「自分の身の丈を理解して、強者の軍門に降るか。いいんじゃねえか? 弱肉強食は魔王の基本だ。敗者が勝者に従い、お前らが自分でそれを決めたんなら、俺から文句を言う筋合いはねえよ」
あっさりと引退を了承するギィ。
「ず、ずるいぞ二人とも! ワタシは配下にするなど一言も聞いてないのだ!」
外堀を埋められたミリムが、目を丸くして慌てて抗議の声を上げる。
だが、そんなミリムの反応など百も承知だと言わんばかりに、フレイはふわりと優雅な笑みを浮かべてみせた。
「あら、ミリム。私たちを配下にすれば、これから一緒に、もっと『楽しいこと』ができるようになるわよ? それに……そろそろ、あなたも自分の領地をきちんと管理してあげないと。あなたを慕って集まっている民たちが、ずっと放ったらかしにされて可哀想でしょう?」
「うっ……そ、それは……」
『楽しいこと』というミリムの最大の弱点と、『民が可哀想』という魔王としての良心を巧みに突いたフレイの言葉。
痛いところを突かれたミリムは、ぐぬぬと唸って言葉に詰まってしまった。
長年付き合いがあるフレイならではの、見事すぎる手綱捌きだ。
そこに、カリオンもニヤリと豪快な笑みを浮かべて追撃をかける。
「そういうこった。大体、お前は俺との勝負にもキッチリ勝ったんだ。弱肉強食がルールなら、勝者には敗者の面倒を見る義務がある。……ちゃんと責任は取ってもらわねえとな」
「む、むむむむ……! そ、そう言われると、ワタシが責任逃れをしているみたいで癪なのだ……っ!」
理詰めと豪快な理論の合わせ技ですっかり退路を断たれたミリムは、必死に頭を回転させるように腕を組んで唸り声を上げている。
「そういうわけだから、よろしく頼むぜ」
「これからは手のかかる主のお世話で、ますます苦労しそうね」
ミリムが反論できずにいるのをいいことに、カリオンとフレイは顔を見合わせ、既にすっかり配下の顔になって笑い合っていた。
(相変わらず、フレイによるミリムの懐柔術は見事だな……。カリオンも便乗して、ちゃっかりミリムに面倒事を押し付けてるし)
過去の俺は、あっという間に三人の魔王がひとつの陣営にまとまり、ミリムが見事に丸め込まれていく様を、ただただ感心して眺めるしかなかった。
「さて、そういうわけだ。魔王じゃなくなった俺たちが、いつまでもこの円卓の席に座ってるわけにはいかねえからな」
カリオンが立ち上がり、自身の座っていた豪奢な椅子から一歩下がる。
「ええ。私たちは控えの場に下がらせてもらうわ。ミリム、これからは私たちの主として、少しは威厳のある態度を見せてちょうだいね」
「あ、おいっ! 待つのだ二人ともー!」
フレイもまた美しい所作で一礼すると、ミリムの情けない引き留める声を背中で受け流しながら、カリオンと共にワルプルギスの円卓から離れ、部屋の隅へと退いていった。
二人の元魔王が席を立ち、広間には再び奇妙な静寂が訪れた。
「あー……そういえば」
俺はあることを思い出し、顎に手を当てて考え込み始めた。
「この時点で、この先の出来事に大きく影響する『ある事』が起きていたな。クレイマンの件は俺が干渉して先回りしたが……さて、こっちの件は今回はどうするか」
ブツブツと独り言を呟き始めた底の知れない来訪者に、円卓の空気が再び僅かに変化した。
「なんだ? お前から見て、まだ何か面白い隠し事があるのか?」
ギィが目を輝かせ、グラスを置いて身を乗り出してくる。
「ほう? まだ何かあるというのか。我としては、あの覇気を見せられた時点でこれ以上の驚きはないと思っていたのだがな」
ダグリュールは巨体を揺らして低い声で笑い、どこか事の成り行きを楽しむように太い腕を組み直した。
「おいおい、まだあるのかよ。もう世界がひっくり返るような面倒事はご免だぜ、お手柔らかに頼むわ」
ディーノに至っては机に突っ伏したまま、普段通りの気怠げな様子で片手をひらひらと振っている。
そんなどこまでもマイペースな古き魔王たちの反応を意に介さず、俺はぐるりと円卓を見渡し――やがて、その黄金の瞳を一点で止めた。
見据えた先は、吸血鬼の魔王として席に座っているロイ・バレンタイン。
「なあ、ロイ・バレンタイン。これはお前たちに関する件なんだが」
「……なに?」
突然名指しされたロイが、動揺して目を見開く。
そして同時に――彼の後ろにメイドとして控えている銀髪の少女ルミナスと、同じく付き人として静かに佇んでいたギュンターの二人が、ピクリと鋭く反応を示した。
ただの従者であるはずの二人の瞳の奥に、隠しきれない極度の緊張と、最上位の魔物特有の鋭い警戒の色が走る。
彼らの最大の秘密である『真の魔王のすり替え』すらも見透かされているのではないかという疑念が、その場に一触即発のヒリついた空気を生み出していた。
「俺の経験した未来では、ある出来事の影響で、ここで『お前』が表舞台に出てくることになってな」
俺は、警戒も露わに顔を強張らせているロイを通り越し、その後ろに控える銀髪のメイド――ルミナスへと真っ直ぐに視線を向けた。
「もし問題がなければ、ここで名乗り出てくれると助かる。そうしてもらえると、今後のルベリオスとの交渉やら、これから起こる厄介な出来事への対処やらが、こっちとしても色々と動きやすくなるんだが……」
言葉そのものはロイに向けられている体裁を保っているが、その黄金の瞳は明らかにメイドの少女を捉え、密かに『知っているぞ』という明確なサインを送っていた。
ピタリ、と。
ルミナスの動きが止まる。
ただのメイドであるはずの彼女の瞳の奥で、膨大な思考が高速で駆け巡る気配がした。
『ルベリオスとの交渉』
その単語が出た時点で、ルミナスとギュンター、そしてロイの三人は、目の前の未来の魔王が自分たちの最大の秘密――西側諸国を裏から支配するルミナス教の唯一神(ルミナス)の正体を看破しているという事実を、完全に把握していることを悟った。
(……妾の正体どころか、ルベリオスの内情まで筒抜けというわけか。時間を遡ってきたと豪語するだけあって、どうやらハッタリではなさそうじゃな)
ルミナスは内心で忌々しげに、しかし同時に強烈な興味を惹かれたように微かに目を細めた。
本来の歴史ならば、ここでヴェルドラが不用意に話しかけることで彼女の正体が呆気なく暴かれるという流れだったのだが、俺はヴェルドラが口を開くよりも先に、今後の同盟のカードとして自らこの話を振ったのだ。
数秒の、ヒリつくような沈黙。
円卓の魔王たちのうち、事情を知らない者たちが「スライムは何をメイドに話しかけているんだ?」と怪訝な顔を見せる中。
やがて――銀髪のメイドは、ふう、と深く、そしてひどく艶やかなため息をついた。
「……ギュンター、ロイ。もうよい、退がれ。どうやら、これ以上の小芝居は無意味なようじゃ」
「……ハッ」
「申し訳ございませぬ、ルミナス様……!」
ルミナスの声色が、ただの従者のものから、絶対的な支配者たる『魔王』のそれに切り替わった瞬間。
先ほどまでロイが放っていた威圧感など比較にもならない、ぞくりとするような冷たくも高貴な覇気が、ワルプルギスの広間を撫でた。
「ほう。ついに表に出る気になったか、ルミナスよ」
古くから彼女の正体を知るダグリュールが、面白そうに低く笑う。
「メイドが、真の魔王だったと……?」
一方で、真実を知らなかったレオンは僅かに目を見開いて驚きを示し、過去の俺も、ここまでの実力者だとは知らなかったのか驚いた様子をしていた。
そんな周囲の反応など気にも留めず、ルミナスは優雅な足取りで前に出ると、恐縮して席を譲るロイと入れ替わるように、堂々と魔王の円卓へと腰を下ろした。
金銀妖瞳の美しい双眸が、面白がるようなギィの視線と、余裕の笑みを浮かべる俺を交互に射抜く。
「全く。人の気も知らずに、随分と強引に舞台へ引っ張り出してくれるではないか。……未来のリムルとやら。妾の秘密を知るお主が、今後のルベリオスとの交渉を望むというのなら……それ相応の対価と、面白い話が用意されているんじゃろうな?」
ルミナスの不敵な問いかけに対し、俺はまず背後にいる過去の俺――この時代のリムルへ「少し話を合わせてくれ」と密かに目配せをした。
過去の俺は少し戸惑いながらも、俺の意図を察して小さくコクリと頷いてみせる。
それから、俺は円卓に座る美しき夜魔の女王へと向き直り、落ち着いた声で本題を切り出した。
「対価と面白い話、か。そうだな……俺が経験した本来の歴史だと、もう少し先の時代になるんだが、俺たちの国(テンペスト)と神聖法皇国ルベリオスは正式に国交を開いて、かなり深い文化交流を行うことになってるんだ」
「……魔物の国と、神を信仰する我がルベリオスが国交を開くじゃと?」
ルミナスは訝しげに柳眉をひそめ、後ろに控えるロイやギュンターも信じられないといった顔をしている。
無理もない。
表向きは『人類の守護者』と『魔物の脅威』という対立構造を利用している彼らにとって、魔物の国との正式な国交など本来あり得ない話だからだ。
「ああ。互いの街を行き来したり、盛大な音楽発表会をやったりと、色々と上手くやってたんだよ。だから、その予定を前倒しして、今の時点から早期に交流を持ちたい。……というのが、俺からの提案だ」
「ふん。未来でおぬしと妾が友好関係を築いたなどと、にわかには信じがたいが……仮にそれが真実だとしても、それだけでは妾を動かす対価としては弱いぞ」
「もちろん、ただの文化交流だけで終わらせるつもりはないさ」
俺はニヤリと笑い、彼女たちが抱える裏の事情に踏み込んだ。
「お前の配下に、『超克者』と呼ばれる集団がいるだろ? その中でも、変わり種の研究をしている連中を、俺の国で受け入れて技術交流を行いたい。俺の知る歴史でも、彼らとは色々と有意義な共同研究を行って、互いの国の発展に大きく貢献していたからな。それも、俺の知る歴史通りに今の段階から進めさせてもらいたいんだ」
その言葉を聞いた瞬間。
ルミナスの金銀妖瞳が、微かに、だが確かな驚愕に見開かれた。
「……お主、超克者の存在ばかりか、あやつらの研究内容まで知っておるのか」
超克者。
それは吸血鬼(ヴァンパイア)の中でも日光などの弱点を克服した、ルベリオスの暗部を担う最上位の存在たちだ。
その中でも変わり種の研究者となれば、ルベリオスの中枢にいる者しか知り得ない極秘事項である。
それを、未来から来たという魔人が、まるで昔からの友人のように語っているのだ。
ルミナスはしばらく無言で俺の顔をジッと見つめていたが、やがて呆れたように、しかしどこか楽しげにふっと笑みをこぼした。
「……なるほどな。妾の国の内情から、配下の研究者のことまで筒抜けとは。確かに、時間を遡ってきたというお主の言葉に嘘はなさそうじゃ」
ルミナスは腕を組み、面白そうに目を細めて俺と過去の俺を交互に見比べた。
「そうだな。後伝えておくことがあるとすれば……」
俺は言葉を区切り、ワルプルギスの広間の端へと視線を向けた。
俺の視線を追って、ルミナスや他の魔王たちの目線もそちらへと釣られる。
そこには――先ほどの常識破りの死闘や、魔王たちの歴史的な話し合いなど完全にそっちのけで、寝転がって頬杖をつきながら、過去の俺が渡した『聖典(マンガ)』をフムフムと夢中になって読んでいる暴風竜ヴェルドラの姿があった。
「あいつ――俺の盟友であるヴェルドラが、過去にお前の居城(ナイトローズ)を灰燼に帰して、随分と迷惑をかけたそうだな。その節は本当に悪かった」
「なっ……!?」
その名前と地名が出た瞬間。
ルミナスの顔から先程までの余裕めいた笑みが完全に消え失せ、ギリッと吸血鬼の牙を剥き出しにするほどの激しい怒気と憎悪が漏れ出した。
背後のギュンターとロイも、主の逆鱗に触れた言葉に思わず殺気を放ちかける。
「誤解しないでくれ、喧嘩を売ってるわけじゃない。あいつには、後日改めて俺からきっちりと『謝罪』させる。お前の怒りはもっともだが、それで一旦、矛を収めてくれないか?」
「……あの傍若無人な天災(ヴェルドラ)に、謝罪をさせるじゃと? リムル……お主、本気で言っておるのか?」
ルミナスが信じられないというように目を細める。
彼女にとって、ヴェルドラは大切な都を滅ぼした許しがたい仇敵だ。
だが同時に、竜種という絶対強者が誰かに頭を下げるなどという事態は、この世界における常識からあまりにも掛け離れていた。
「ああ。約束する。俺が責任を持って、あいつの首に縄をつけてでも謝らせるよ」
俺が一切の誤魔化しなく真剣に頷くと、ルミナスは漫画を読んでゲラゲラ笑っている巨大な竜と俺を交互に見比べ、やがて毒気を抜かれたように深くため息をついた。
「……よかろう。そこまで言うのであれば、あのトカゲに対する恨み言は後日直接聞かせてもらうとしよう」
何百年もの間抱えていた遺恨をあっさりと保留にしたルミナスに、周囲の魔王たちが驚きの視線を向ける。
だが、俺が本題に入ったのはここからだった。
「助かるよ。それと……お前の国、ルベリオスに深く関わる『未来の話』についても、色々と重要な情報があるんだが」
俺は言葉を切り、円卓に座る他の魔王たちをチラリと一瞥してから、再びルミナスへと視線を戻した。
「流石にここでこれ以上話すと、他国の魔王たちにお前の国の内情をペラペラと暴露することになっちまうからな。……そう遠くないうちに、俺とお前たちだけの二者会談を開いて、内密に情報を共有したい。どうだ?」
未来の情報という、何にも代えがたい極上の餌。
それに加えて、自国の機密情報を他国の魔王(特にギィやレオンなどの油断ならない連中)に聞かせないよう配慮するという、完璧な外交的譲歩。
ルミナスは妖艶な唇に再び弧を描き、満足げに頷いた。
「ふふっ。お主、スライムの分際で随分と気の利いた交渉をするではないか。……だが、その前に一つだけ、明確に答えてもらわねばならぬことがある」
「ん?」
「お主の背後に控える、その三柱の『原初』じゃ。いくら未来から来たとはいえ、そのような歩く大災害どもを配下に従え、一箇所に戦力を集中させておる理由を知りたい。ルベリオスを護る身として、到底見過ごせるものではない」
ルミナスの言葉に同調するように、円卓の端から冷ややかな声が飛んだ。
「同感だ。未来のリムルとやら」
レオン・クロムウェルだ。彼は、俺の背後で楽しそうに笑っている黄金の髪の悪魔――カレラを忌々しげに睨みつけていた。
「私の領地を長年脅かし続けた、あの『黄(ジョーヌ)』が、なぜお前たちの配下に収まっている? 納得のいく説明をしてもらいたいな」
二柱の魔王からの追及。
それに被せるように、上座のギィ・クリムゾンが楽しげな、しかし明確な圧力を伴った笑みを浮かべた。
「そういや、後で説明するって約束だったな。俺も調停者として、これだけの戦力が一極集中して世界のパワーバランスが崩れるのは見過ごせねえ。……さあ、どう申し開きをする気だ?」
ギィ、ルミナス、レオン。
世界の頂点に立つ魔王たちからの、逃げ場のないプレッシャー。
過去の俺が(うわぁ、痛いところ突かれた……!)と内心で冷や汗を流す中、俺は涼しい顔のまま、堂々とその視線を受け止めた。
「レオン、まずは『原初の黄(ジョーヌ)』……カレラの件だが、心配するな。もうお前の領地に核撃魔法を撃ち込んで遊ぶような真似は絶対にさせないさ。……なあ、カレラ?」
(えっ、カレラってレオンの領地にそんなヤバい魔法撃ち込んで遊んでたのか…!?)
過去の俺が密かにドン引きしている横で、カレラは悪びれる様子もなく堂々と頷いた。
「もちろんだとも。今は我が君に仕え役に立つのが私の役目だからね。それに今は地獄門も閉じたから他の悪魔もあの領地にはもはや手出しはできないだろうさ」
「……なるほどな。今までの事を考えれば複雑な心境だが、我が領土にとっての最大の脅威が去ったことに関しては、お前に感謝を伝えねばならないようだな」
レオンは静かに目を伏せ、長年の重圧から解放されたように僅かに肩の力を抜いて、俺に対して短く頭を下げることで僅かに警戒を解いた。
俺は次に、ギィとルミナスを真っ直ぐに見据えた。
「そして、世界のパワーバランスの件だが……一言で言えば、俺の時代は平和になったよ。俺の知る歴史でも、この三柱は最終的に俺の配下に加わった。そして結果的に、俺の国は軍事面において世界で一強の、絶対的な力を持つ国になったよ」
「ほう? つまり、お前はその力で世界を征服したとでも言うのか?」
ギィの瞳が、剣呑な光を帯びる。
「まさか。力による支配なんて、長続きしないし面倒なだけだ」
俺は肩をすくめ、未来でテンペストが成し遂げた『事実』を静かに、だが確かな誇りを持って語った。
「俺たちは、その圧倒的な武力と、彼女たち悪魔の知略を使って、人間社会を表と裏の両方から完全にコントロールしたんだ。武力による抑止力を保ちつつ、経済と政治を掌握し……人間たちには『自分たちで上手く世界を管理している』と思わせながらな」
その言葉を聞き、ギィは少しだけ目を丸くし、やがて「なるほどな」と感心したように頷いた。
「確かに、恐怖での支配よりかは合理的かもしれねぇが……随分と気の遠くなるような、クソ面倒な方法を選んだな」
「俺の時代のギィにも全く同じ事を言われたよ。だけど、結果的に最終的にはなんとかやり遂げたさ」
俺が苦笑交じりに返すと、ルミナスが呆れたように柳眉を顰めた。
「未来のリムルとやら、お主が凄まじい力を持っておるのは認める。じゃが、人間たちに悟られずにそのような事を成し遂げ、世界を平和にしたなどと……到底信じられんな」
それに同調するように、ダグリュールが巨体を揺らしながら意味ありげに呟く。
「うむ。今の世界には、争いの火種が燻っているからな。それを完全に無くすなど、夢物語に過ぎん」
だが、俺は彼らの疑念に対して、事もなげに言ってのけた。
「ああ、ダグリュール。お前の領土の不毛の大地は、俺の時代じゃ豊かな土地に変わって、ジャイアントたちも健やかに暮らしてるぞ」
「…………なんだと!?」
ダグリュールが、かつてないほどの衝撃を受けて目を見開く。自身の抱える最大の悩みであり、いずれ他国へ侵攻しなければならないという重圧が、未来で解決しているという事実。
その激しい動揺を見て、ルミナスもハッとしたように息を呑んだ。
「……ふむ。たしかにダグリュールの統べる土地は不毛の大地と呼ばれるほどの環境じゃからな。そのせいもあって、長年お主が我がルベリオスへ侵攻してくるのではないかというのが妾の懸念であったが。……それが事実だとすれば、確かに世界が平和になったという話も真実味を帯びてくるな」
「……お主、そのような事を考えておったのか。まあ、我らの過酷な状況を見れば当然の懸念だな。だが……未来から来たこの者が言う事が本当であれば、ワシら巨人族も安泰ということだ」
ダグリュールは深々と頷き、長年の重圧から解放されたように安堵の息を吐いた。
魔王たちの間に、信じがたいものを見るような、それでいてどこか未来への希望を感じさせるような空気が広がる。
ギィが、面白くてたまらないといった様子で口を開いた。
「クハハ! ならば何だ? お前の国は西側諸国や魔王たちの国、果ては東の帝国とも仲良くやってるって言うのか?」
「そうだ」
俺が迷いなく頷くと、ギィは口角をさらに深く吊り上げた。
「だが……あの異界に引きこもっている妖魔族(ファントム)の連中やらとは、そう簡単にはいかねえだろう?」
ギィの鋭い指摘に対し、俺は少しだけ目を伏せ、さらりと言ってのけた。
「ああ。それについては細かい詳細は省くが――フェルドウェイとも、今は仲間になってるからな」
ピタリ、と。
ギィの笑みが完全に凍りついた。
「…………なに?」
最古の魔王であり、常に世界の絶対的強者として余裕を崩さないギィ・クリムゾンの顔から、完全に表情が抜け落ちた。
無理もない。始源の七天使の筆頭であり、ギィにとっても天敵にして相容れない存在であるはずのフェルドウェイ。
その彼と『仲間になっている』などという事実は、帝国との和解以上に、ギィの常識を根底から覆す異次元の実績だったのだ。
常に気怠げなディーノでさえも、目を限界まで見開いて完全にフリーズしている。
「……おい、リムル。どういう経緯であのフェルドウェイがお前の仲間になったって言うんだ?」
凄まじいまでの剣幕で問い詰めてくるギィに対し、俺は視線を外さずに答えた。
「ああ、あれはヴェルダナーヴァが世界を滅ぼそうとした戦いの時に――」
俺がそう言いかけた、まさにその瞬間だった。
「「「ヴェルダナーヴァが世界を滅ぼそうとした!?」」」
ギィやディーノといった最古の魔王たちだけでなく、ミリム、ラミリス、さらには広間の端に残って静観していた俺の盟友であるヴェルドラでさえも、「わ、我が兄上が世界を滅ぼそうとしただと!?」と持っていた漫画を取り落とし、広間を揺るがすほどの苛烈な反応が返ってきた。
「お、おい! そんな話、俺は一度も聞いたことないぞ!」
過去の俺も、信じられないものを見るように俺を指差す。
「そりゃあずっと秘密にしてたからな。今まで言う必要もなかったし」
俺が事もなげに返すと、突如としてディーノが激昂した。
「ふざけんなッ!!」
普段の怠惰な姿からは想像もつかないほどの凄まじい怒気を放ち、ディーノが猛然と俺の傍まで歩み寄るなり、俺の胸倉を力任せに掴み上げた。
「ヴェルダナーヴァ様が……あのお方が、世界を滅ぼそうとするわけがないだろッ!!」
常に無気力なディーノの信じられないほどの激昂と、あまりにも素早い行動。彼の底知れぬ本来の実力を知るギィを除き、普段の姿しか知らない円卓の魔王たちは一様に驚愕に目を見張る。
そして、主の胸倉を掴まれたことで、背後に控えていた原初の三柱、そしてシオンが瞬時に気色ばみ、濃密な殺気を放ってディーノへと飛びかからんとする。
「待て。お前たちは手を出すな」
俺は片手を上げて彼女たちをピタリと静止すると、胸倉を掴まれたまま真っ直ぐにディーノの目を見返した。
「お前の気持ちはわかるが、まずは落ち着け」
俺は静かな声でディーノの怒気を受け止め、そして、この世界の根幹を揺るがす絶対的な『真実』を告げた。
「ヴェルダナーヴァは『愛するルシアを殺した世界など、もはや不要だ』と思っていたんだよ。自らの手で、新しく作り直した世界へ連れて行く者を選別した上で、それ以外の者たちごと、この世界を完全に切り捨てようとしていたんだ」
その残酷すぎる真実を突きつけられた瞬間。
俺の胸倉を掴んでいたディーノの腕から、ふつりと力が抜けた。
「そんな……」
乾いた音が喉から漏れ、ディーノはその場に膝から崩れ落ちた。
彼の知る、深く世界を愛していた偉大なる神は、愛する者を失った悲しみで心核を壊し、かつての御心を忘れた無慈悲な存在になり果てていた。
その途方もない絶望に打ちひしがれ、ディーノはうつむいたまま、わなわなと肩を震わせる。
重苦しい沈黙が広間を支配する中、上座のギィが、ひどく険しい顔で口を開いた。
「……にわかには信じられねぇ話だな。俺に調停者を任せておきながら、裏では自ら世界を切り捨てるつもりだったと……?」
ギィの尤もな疑念に、俺は静かに首を振った。
「かつてのヴェルダナーヴァに、最初からそんな計算があったわけじゃない。……ルシアを失ったショックで、彼の『心核』は深刻なダメージを受けて破損してしまったらしい。復活した時には、かつて世界を愛した神としての精神は失われ、まるで別人のような冷酷な意思だけが残っていた。だから、自らの足跡であるこの世界ごと切り捨てようとしたんだ」
「なるほどな。そういうことかよ……」
ギィが信じられないというように目を見開く。
「……だが、百歩譲ってそれが事実だったとしてだ」
ギィは鋭い視線を再び俺へと向ける。
「それと、あの狂信的なフェルドウェイがお前の仲間になったことに、どういう繋がりがあるんだ? あいつなら、主の命とあらば喜んで世界を滅ぼしそうなもんだがな」
「元々はな」
俺は一つ息を吐き、静かに語り始めた。
「当初のフェルドウェイは、ヴェルダナーヴァに見限られたと思い込んで絶望していたんだよ。だから、あいつは世界を破壊しようと動いた。『自分が世界を滅ぼすほどの脅威となれば、ヴェルダナーヴァ様が自分を止めに来てくれるはずだ』っていう、悲しい期待を抱いてな」
「……馬鹿な野郎だ。親の気を引きたい子供の癇癪じゃねえか」
呆れたように吐き捨てるギィ。だが、その言葉とは裏腹に、彼の瞳にはヴェルダナーヴァの友としての複雑な色が滲んでいた。
「だが、ヴェルダナーヴァはフェルドウェイを止めなかった。それどころか、暴走するフェルドウェイの様子を『自身の選別と破滅の目的のために都合が良い』と放任し、利用していたんだ」
「ッ……!!」
俺の言葉に、傍らで聞いていたミリムが弾かれたように顔を上げた。
物心つく前に両親を失った彼女にとって、ヴェルダナーヴァは直接の記憶を持たない遠い存在だ。だが、自分に命を与えた『創造神』であり、血の繋がった親が、母の死によってそこまで壊れ、配下の忠誠すら利用する無慈悲な存在に成り果てていたという真実は、彼女にとってもあまりにもショッキングな事実だった。
「……ワタシの親は、そこまで壊れてしまっていたというのか……」
普段の快活さなど見る影もない、ひどく沈痛な呟き。
「ああ。……だが、最終的にヴェルダナーヴァの壊れた真の目的がフェルドウェイの前に明らかになった時。フェルドウェイは、自身の行いを悔い、一つの答えに辿り着いたんだ」
俺は、未来で激突し、和解したかつての強敵の顔を思い浮かべながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「『この世界を心から愛したヴェルダナーヴァ様が、そんな無慈悲なことをするはずがない』とな。……フェルドウェイは、盲目的に従うことだけが忠誠ではないと悟った。そして、愛を忘れて壊れてしまった主の過ちを正し、その魂を救い出すために……自らヴェルダナーヴァに反旗を翻し、こちら側に付いたんだよ」
その言葉が落ちた瞬間。
広間は、もはや誰も口を開けないほどの凄まじい衝撃に包まれた。
あの、誰よりもプライドが高く、ヴェルダナーヴァを絶対の神として盲信していた始源の天使の筆頭が。
主を救うためならば、自らが反逆者の汚名を被ることすら厭わず、かつての敵と手を組むという、血を吐くような『覚悟』を決めてみせたのだ。
「フェルドウェイ……あいつが……そこまで……」
膝をついていたディーノが、呻くように呟いた。
怠惰を演じながらも、誰よりも仲間と主を想っていた彼にとって、フェルドウェイがどれほどの苦悩の末にその決断を下したか、痛いほどに理解できたのだろう。
「あのフェルドウェイが……。古くからあやつの異常なまでの忠誠心を知る身として、どれほどの血の滲むような葛藤があったか想像もつかんぞ……」
フェルドウェイと馴染みの深いダグリュールもまた、痛ましいものを見るように苦渋に満ちた表情で低く唸った。
突如、ディーノがバッと顔を上げ、双眸に強烈な意志の炎を宿して立ち上がった。
「……俺は…行く」
「ディーノ?」
「俺は今から天星宮(てんせいきゅう)の聖遺骸を確認してくる! もし本当に既に復活なされているのなら、ヴェルダナーヴァ様に直接お会いして、その真意を直接確認してこないとな!!」
感情のままに叫び、転移魔法を展開しようとするディーノ。
だが、俺はその肩を強く掴み、きっぱりと首を振った。
「やめておけ、ディーノ」
「離せッ! もしお前の言う通りなら、俺は――」
「だから、やめろと言っているんだ。今の時点でお前が動くことは、あまりにもリスクが高すぎる」
俺は声を一段低くし、ディーノ、そしてギィたち円卓の魔王全員に言い聞かせるように告げた。
「いいか? 俺の知る限り、この時間軸のヴェルダナーヴァは、今のところは完全に静観している時期だ。そして、フェルドウェイたちもまだ東の帝国に潜伏し、息を潜めている」
俺はディーノの瞳を真っ直ぐに見据える。
「ここで、お前が『自身の知る歴史と違う動き』をして彼らに気取られればどうなる? ただでさえ不確定な盤面が、完全にぶっ壊れるんだぞ。最悪の場合、彼らが警戒してスケジュールを早め、事態が俺の知る歴史よりも大幅に悪い方向へと動き出す可能性だってあるんだ」
「くっ……!」
「フェルドウェイは、未来で必ず俺たちの味方になる。そして、ヴェルダナーヴァを止める手立ても俺が知っている。……だから今は、歴史の歯車を無闇に狂わせるな。俺を信じて、耐えろ」
俺の強い説得に、ディーノはギリッと唇を噛み締め、悔しげに拳を握り込んだ。
「……わかった。お前がそこまで言うなら、今は動かねえ。だが、もしお前が嘘をついていたら……その時は、承知しないからな」
「ああ、構わない。約束するよ」
俺がはっきりと頷くと、ディーノは深く息を吐き、糸が切れたように自身の席へと戻っていった。
そのやり取りを静かに見つめていたギィが、やがて腕を組み、忌々しげに舌打ちをした。
「チッ……。気に食わねえが、俺の知らなかったところでそんな事態が動いてるってんなら、俺たちが今ここで無闇に動くのは確かに下策だな」
ギィは円卓の魔王たちをぐるりと見渡す。
「お前ら、今の話は頭の片隅には置いておけ。そう遠くない未来に世界の命運をかけた戦いが起こるなんて話は信じがたいが、俺たちが動く必要が出るその時までは、俺たちは徹底して『静観』だ。いいな?」
世界の調停者としてのギィの絶対的な号令。
ダグリュールも、ルミナスも、レオンも、その事の重大さを理解し、無言で深く頷いた。
広間を支配していた爆発しそうな緊張感が、ギィの宣言によってひとまずは強引に押さえ込まれる。
その重苦しい空気の中。
俺の脳内に、過去の俺からの『思念伝達』が飛んできた。
『――おい未来の俺。 なんであんな世界の根幹に関わるような話を、わざわざこの場でしたんだ?』
疑問を持つ過去の俺に対し、俺は内心でニヤリと笑い、誰にも悟られないように思念を返した。
(――落ち着け。今の話はこのタイミングでしておく必要があったんだ)
『どういうことだ?』
(もしも俺たちがこれから帝国との戦争回避に動いて和解しようとすると、絶対にフェルドウェイと接触をすることになる。だが、そうなると必ず俺たちの行動はヴェルダナーヴァの知るところとなってしまう)
ここで俺は一呼吸置いた。
(そうすると最悪の場合、全世界を巻き込んだ戦争が前倒しで起きる可能性もある。俺の知る歴史通りに帝国と事を構えるとしても、今回は未知の存在もいるからな。俺はここにいる連中には全幅の信頼を置いているから、先にこういった事実は話しておいた方が今後のためになるのさ)
『なるほどな。ギィたちに中途半端な隠し事をしたまま後でバレるより、いっそ腹を割って最大の秘密を共有しておいた方が、いざという時に強固な連携が取れるってことか』
(そういうこと。相手は腐ってもかつての創造神と始源の天使だ。俺たちの国(テンペスト)や仲間を確実に守り抜くには、ここにいる魔王全員の力が必要になるかもしれない。変な出し惜しみをしてる余裕はないさ)
『……俺って未来で背負ってるもののスケールがデカくなりすぎだろ……』
未来の自分が抱えていた事態の異常な重さに、過去の俺は思わず遠い目をして、呆れと感心が入り混じった思念を返してきた。
だが、そのおかげで俺の意図は理解できたようだった。
(まあ、折角未来からのこっちに来たんだから、できる事はやっておかないとな。……とはいえ、流石にちょっとばかり劇薬すぎたかもしれないが)
俺は内心で苦笑しつつ、あまりの衝撃に静まり返ってしまった円卓の魔王たちをぐるりと見渡した。
(さて。空気が重くなりすぎたからな。ここは俺が強引に話を進めてやるよ)
俺はそう思念を打ち切ると、わざとらしく「ふぅ」と息を吐き、あえて軽い調子で手を叩いた。
「パンッ!」と響いた乾いた音が、重苦しい沈黙を切り裂く。
魔王たちの視線が一斉に俺へと集まった。
「まあ、そういう先の時代の厄介事については、ギィの言う通りひとまず頭の片隅にでも置いておいてくれ。……今は、目の前の話を片付けようぜ」
俺は空気を入れ替えるように微笑むと、円卓に座る銀髪の夜魔の女王へと向き直った。
「というわけで、ルミナス。さっきの『二者会談』の提案だが。世界が平和になったという俺の言葉、これで少しは信用してもらえたか?」
未来の神話にも等しい絶望を聞かされた直後だというのに、あっけらかんと外交の続きを切り出してきた俺に対し、ルミナスは一瞬だけ虚を突かれたように目を丸くし――。
やがて、フッと毒気を抜かれたような、どこか艶やかな笑みをこぼした。
「……よかろう。お主がそこまで譲歩するというのなら、妾もその会談の誘い、受けてやろう」
「交渉成立だな。具体的な日程や場所については、また改めて連絡する」
俺はそう言って、ルミナスと――そして過去の俺と視線を交わした。
未来の神話にも等しい絶望を聞かされた直後だというのに、それでも『平和な未来』を見据えて揺るがない未来の自分(俺)の背中を見つめ、過去の俺は感心したように、そして深く安堵したように息を吐いた。
「さすが未来の俺は交渉が上手いな。すっかり話がまとまっちまった」
過去の俺はそう呟きながら、懐――おそらくスキルによる空間収納から、丁寧に梱包された包みを取り出した。
そして、背後に控えていたシオンへとそれを手渡す。
「シオン、これを彼女に」
「はっ」
主の意図を察したシオンは恭しくそれを受け取ると、凛とした足取りで円卓のルミナスの元へと歩み寄り、静かに、そしてうやうやしく包みを差し出した。
「……これは?」
唐突な貢ぎ物に、ルミナスは訝しげに片眉を上げる。
後ろに控えるロイやギュンターも、先ほどの世界の終焉めいた話の直後ということもあり、差し出された包みに酷く警戒した視線を向けていた。
過去の俺は人懐っこい笑みを浮かべ、ルミナスに向けて真っ直ぐに言った。
「俺の国で作っている魔黒米を使った酒と、果実酒だ。手持ちには今はこれしかないが、これからの交流における最初の贈り物として受け取っておいてくれ」
(おっ。ちゃんと外交の基本を押さえてるな)
俺は内心で過去の俺の機転に合格点を出しつつ、ルミナスの反応を窺った。
ルミナスは差し出された包みと、過去の俺の顔、そして俺の顔を交互に見比べた。
そして、フッと深い、ひどく疲れたような艶やかなため息をこぼした。
「……ふん。創造神の狂気やら、世界の終焉やら、とんでもない厄介事を聞かされた直後じゃ。これくらいの対価を貰わねば、到底割に合わんわ」
ルミナスはシオンから包みを受け取ると、それを少しだけ愛おしむようにそっと撫でた。
「よかろう。魔物の国の酒がどれほどのものか、妾の舌で直々に味わってやるとしよう。……これからの交流とやらが、この酒のように芳醇で、有意義なものになることを期待しておるぞ、スライム」
「ああ、期待しててくれ。絶対に後悔はさせないからな」
過去の俺が自信満々に胸を張ると、ルミナスは僅かに口角を上げ、満足げに包みをギュンターへと預けた。
これで、ルベリオスとの早期の同盟関係樹立に向けた最大の布石は打てた。
*
ふと、過去の俺は円卓の空席を見回し、ある事実に気がついた。
「……あれ? ちょっと待てよ」
「どうしたのだ、リムル?」
過去の俺の思わず漏れた呟きに、隣の席のミリムが首を傾げる。
まだ父であるヴェルダナーヴァの真実にショックを引きずっている様子だが、それでも気丈に振る舞おうとしているのがわかった。
「いや、元々『十大魔王』だったところに、クレイマンが脱落して、カリオンとフレイが辞任しただろ? で、ロイと入れ替わりでルミナスが座って……そこに俺が新しく加わって……」
過去の俺は指折り数えながら、現在円卓に座っている面々をぐるりと見渡した。
ギィ、ミリム、ラミリス、ダグリュール、ルミナス、ディーノ、レオン。
そして過去の俺自身。
「未来から来た俺をノーカウントにすれば、今ここにいる魔王って、ちょうど『8人』にならないか?」
その言葉に、円卓の空気が再び僅かに変化した。
「……あ、マジだ。ってことは、もう『十大魔王』って名乗れねえじゃん」
膝をついていたディーノが、フラフラと席に戻りながら、心底うんざりしたように頭を抱える。
「ふむ。数が減ってしまった以上、十大魔王という看板には偽りありということになってしまうが……」
ダグリュールも重々しく腕を組み、深く息を吐いた。
魔王の数が、十から八へ。
その事実を認識した瞬間、過去の俺を含めたその場にいる全員の脳裏に、先ほどの圧倒的な光景と『ある言葉』がフラッシュバックした。
――『…俺は『八星魔王(オクタグラム)』のままでいいと思ってたんだがな』
バッ!と。
円卓に座る全員の視線が、傍らで静かに腕を組んで立っている『未来のリムル』へと一斉に突き刺さった。
「お、おい! まさかお前……っ!」
過去の俺が指を差して叫ぶと、俺は端正な顔に、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ようやく気付いたか。そうだよ。この日、このワルプルギスを経て、魔王の数は8柱になり……新たな枠組みが誕生する。……さっき俺がうっかり口を滑らせた通りにな」
「なるほどな……。ということはお前のたどった歴史でも、カリオンとフレイがここでミリムに降ったってわけか」
上座のギィが、疲労と、それ以上の深い感嘆を込めた声で呟いた。
「ああ、その通りだ。あの二人が自身の限界を悟ってミリムの配下に入るという大筋の流れは、元の歴史のままだよ」
「ほう…どんだけ強引に歴史を書き換えても、収束するべき運命はキッチリ収束するってわけだ。」
ギィは自嘲するように笑い、それから円卓の空席をちらりと一瞥した。
「事実として数が減っちまった以上、『十大魔王』なんて看板をいつまでも掲げてるわけにはいかねえ。……お前、さっき『八星魔王』とか言ってたよな。それが、お前が知る未来での、俺たちの肩書きってことで間違いねえか?」
「ああ。八つの星の魔王で『八星魔王』。当時の俺が急に命名権を与えられて、随分と頭を悩ませて決めた名前さ」
「えっ……」
その言葉に、過去の俺はハッと息を呑んだ。
(まさか……本来の歴史なら、この場で俺が名付けをさせられる流れだったのか!?)
新参者である自分が、世界の頂点に君臨する魔王たちのチーム名を勝手に決める。
当時の俺も任された瞬間は相当嫌な思いをしたが、過去の俺も似たような想像をしていることだろう。
もし俺が先に『八星魔王』と口にしていなければ、今頃過去の俺はこの重苦しい空気の中で、全員からの無茶振りに冷や汗を流しながら名前を捻り出していたに違いない。
過去の俺は密かに安堵のため息を漏らした。
「なにっ、ワタシの盟友が名付けたのか! ふふっ、それは素晴らしいのだ!」
ミリムが、少しだけ誇らしげに胸を張る。
「……新参者が名付けたにしては、随分と洒落た響きだ。これからの厄介事を思えば、少しは気の利いた名前を背負うのも悪くない」
レオンが静かに呟き、ダグリュールも「うむ、我ら八柱を示すに相応しい名だ」と重々しく頷いた。
「『八星魔王』か。悪くねえ」
ギィは満足げに頷き、そして円卓に座る魔王たち、そして過去の俺に向かって、かつてなく真剣な声で宣言した。
「決まりだな。今日、この瞬間から、俺たちは『八星魔王(オクタグラム)』を名乗る。そして――」
ギィの覇者の瞳が、過去の俺を真っ直ぐに射抜く。
「新参者であるスライム、リムルよ。今日より、お前を『八星魔王』の一柱として正式に認める。……これから先、世界がどう転ぼうが、お前はもう俺たちの同格だ。お前が引き寄せたその未来、きっちり見せてもらうぜ」
その言葉は、俺たちがこの世界における絶対的な強者の一角として、歴史に名を刻んだ瞬間だった。
未来からの介入という想定外すぎる嵐が吹き荒れたワルプルギスだったが、最も重要な『魔王としての承認』という目的は、重すぎる真実と共に、こうして無事に果たされたのだった。