【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~   作:Hyades

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第七章 未来からの言伝とそれぞれの思惑

ギィの力強い宣言により、新たなる『八星魔王(オクタグラム)』が正式に誕生した。

そしてそれは同時に、本来の歴史ならば議題の中心となるはずだった数々の問題が、俺の介入によって全て一掃されたことを意味していた。

 

その場を支配していた極限の緊張感が、少しずつではあるが確実に解け始めていく。

その空気に便乗するように、円卓に突っ伏していた魔王が、のそりと顔を上げた。

 

「なあ。ちょっといいか? 未来から来たって言う大魔王様に、俺も少し聞いておきたいことがあるんだけどさ」

 

面倒くさそうに頭を掻きながら話しかけてきたのはディーノだった。

 

俺が「なんだ?」と視線を向けると、ディーノは大きな欠伸を一つ噛み殺してから、ニヤリとだらしない笑みを浮かべる。

だが、その瞳には油断ならない、研ぎ澄まされた刃のような鋭い光が宿っていた。

全身から滲み出る気配は、先ほどまでの「怠け者の魔王」のそれとは全く異なり強者のそれを纏っていた。

 

「いやな。さっきの話から察するに……お前は当然、俺の事も色々と知っているんだよな?」

 

一見するといつもの様子を装ってはいるが、その瞳の奥に、切実な光が混じっているのを俺は見逃さなかった。

 

(無理もない。フェルドウェイの裏切りや、ヴェルダナーヴァの狂気という絶望的な真実を知らされた直後だ。こいつ自身も、自分がこれからどう動くべきか、気が気じゃないはずだ)

 

ディーノは、他の魔王の手前、あえていつもの怠惰なフリをして誤魔化しながら、自身の『核心』への探りを入れてきているのだ。

その不器用な気遣いと焦りを受け止め、俺はあえて正面から、彼の秘密を口にした。

 

「ああ、知ってるさ。お前が『始源の七天使』の一柱だってこともな」

 

「――ッ!?」

 

俺があっさりと放った爆弾発言に、ワルプルギスの広間が大きくどよめいた。

 

「て、天使!? ディーノが!?」

「それは本当か……!?」

 

ディーノの事実を知らなかった者たちが驚愕に目を見開く。

 

過去の俺も「あいつ…あんな様子でそんな重要人物だったのか…」とつぶやいている。

 

一方で、古くから彼を知るギィやダグリュールは「やはりバラされたか」とばかりに静観し、生きた年月の長いルミナスやヴェルドラは腑に落ちたような顔をしている。

 

そんな周囲の騒ぎをよそに、俺はディーノを真っ直ぐに見据え、声のトーンを少しだけ和らげた。

 

「なあ、ディーノ。ヴェルダナーヴァが亡くなってから今日まで……お前はずっと、ミリムのことを陰ながら見守ってきてくれたんだろ」

 

「……っ」

 

俺の言葉に、ディーノの肩がビクッと跳ねた。

 

「ミリムの親友として、俺からも礼を言わせてくれ。ずっとあいつを見守ってくれて、本当にありがとうな」

 

「ディーノが、ワタシを……?」

 

思いもよらない事実に、ミリムが目を丸くしてディーノを見つめる。

当のディーノはといえば、最大の秘密をバラされただけでなく、長年の不器用な優しさを大勢の前で指摘されたことで、顔を真っ赤にして狼狽していた。

 

「お、おいバカ! 余計な事を言うんじゃねえよ……ッ!!」

 

いつも気怠げなディーノらしからぬ、本気の照れ隠しと気まずさが入り混じった叫び。

だが、ミリムは目を瞬かせ、ゆっくりとディーノへと向き直った。

 

「ディーノ……お前、ずっとワタシのことを気にかけてくれていたのか?」

 

「あー、いや、それは……その……」

 

普段の飄々とした態度はどこへやら、ディーノはバツが悪そうに視線を泳がせる。

 

「ワタシはてっきり、お前はただダラダラしているだけの奴だとばかり思っていたぞ。……そうか、父上がいなくなってから、ずっとワタシを……」

 

ミリムの声には、確かな親愛と、長年の孤独を癒やされたような温かい響きが混じっていた。

 

「……フンッ。勘違いすんなよ。ただ、あのお方が遺した忘れ形見を放っておくのも寝覚めが悪いから……別に、お前のことが心配だったわけじゃねえからな」

 

「わーっはっはっは! なんだディーノ、照れているのか! そうと分かれば、これからはもっとお前と遊んでやらねばならんな!」

 

「げっ……マジで勘弁してくれ……」

 

ミリムが無邪気に笑いかけ、ディーノが心底嫌そうに、だがどこか安堵したように顔を覆う。

その不器用で人間臭いやり取りに、張り詰めていた円卓の空気がフッと和らいだ。

 

「まあ安心しろ。お前の未来はちゃんと平和に過ごしてるぞ」

 

「……へ?」

 

「未来じゃお前、ウチの地下迷宮でラミリスの下について、研究開発やら迷宮運営やらで毎日ガッツリ働いてるからな」

 

「…………は?」

 

ディーノの動きが、文字通り完全に停止した。

 

「い、いや待て。俺が? 労働? しかもそいつの下で!?」

 

「ああ。最初は渋々だったみたいだが、案外ノリノリで活き活きと働いてたぞ」

 

「そうなのリムル!? なっはっはっはっは!! 聞いた、ディーノ! 未来じゃあんたのボスはこのアタシってわけよ!」

 

ラミリスがここぞとばかりにふんぞり返り、それを聞いたギィも爆笑する。

ディーノは「終わった……俺のニート生活が……」と机に突っ伏して絶望の声を上げた。

 

だが、俺にはわかっていた。

頭を抱えるディーノから、先ほどまでの張り詰めた緊張感が完全に消え去り――自分が未来で破滅の道を歩まず、俺たちと平和に過ごせているという事実に、彼が密かに安堵を抱いていることが。

 

俺が内心で頷いていると、円卓の向こう側から、切実な声が響いた。

 

「……私の番だな。未来のリムルよ」

 

白金の悪魔、レオン・クロムウェル。

何百年もの間、ただ一人の少女を探し出すためだけに魔王にまで成り上がり、ありとあらゆる手段を講じてきた男。

その切れ長の瞳に途方もない執念の熱を宿し、彼は静かに問うた。

 

「答えろ。お前の知る歴史で……私の『悲願』は達成されているのか?」

 

その痛いほどの真剣さに、俺は一切の茶化しを捨てて、真っ直ぐに事実だけを告げた。

 

「結論から言う。心配せずとも、お前の悲願はちゃんと達成されている。……俺自身が、『彼女』とお前を引き合わせたからな」

 

「……ッ!」

 

常に冷静沈着で氷のように冷たいはずの白金の悪魔の顔から、冷徹な仮面が完全に剥がれ落ちた。

手袋に包まれた彼の手が、微かに、だが確かに震えている。

 

「そう、か……。彼女は無事で……私に、会ってくれたのだな……」

 

顔を覆うように手を当て、レオンは天を仰いだ。

魔王レオン・クロムウェルがこれほどまでに感情を露わにし、泣き出しそうなほど脆い顔を見せるなど、他の魔王たちにとっても初めて見る光景だったのだろう。誰もが静かに見守っている。

 

やがて、レオンはゆっくりと顔を上げ、俺に向かって深く頭を下げた。

 

「……感謝する。お前がどのような経緯で彼女を見つけ出してくれたのかは分からないが、その事実を知れただけで……私は、お前にどれほど感謝してもしきれない」

 

「気にするな。あの子が笑顔になれるなら、俺だってなんだってするさ」

 

憑き物が落ちたようなレオンの顔を見て、俺も肩の荷が下りたような気分になった。

だが、長年の重圧から解放されたレオンは、すがるような視線を再び俺に向けてきた。

 

「……一つ、頼みがある。今すぐ、彼女に会うことはできるだろうか?」

 

縋るような震える声。何百年も探し求めてきたのだ、今すぐにでも飛んでいきたい気持ちは痛いほどわかる。

だが、俺は静かに首を横に振った。

 

「気持ちはわかるが、今は待ってほしい」

 

俺はあえて複雑な事情には一切触れず、一国の主として、極めて真っ当で外交的な理由を口にした。

 

「クロエはまだイングラシアの学園にいるんだ。そのうちテンペストの学園に迎え入れるつもりだが、今は大きな出来事の続きでウチの国も色々とバタバタしていてね。それに彼女にも複雑な事情があってな。タイミングを計らないと予想外の事態が起こるかもしれない。だから、お前を『国賓』として、きちんとした態勢で迎え入れる準備ができる時期までは待ってもらいたい」

 

その言葉に、レオンはハッとしたように息を呑んだ。

俺がクロエの身を案じ、テンペストで大切に保護・歓待しようとしている意図を、頭の切れる彼が理解できないはずがない。

 

数秒の沈黙の後、レオンは深く息を吐き出した。

 

「……そうだな。未来から来た貴様がいうのであれば何かしらの事情があるのであろう。私が急に押し掛けて、彼女に万が一のことがあってはいけない。お前が彼女を大切に扱ってくれていると分かっただけで十分だ」

 

レオンは再び俺に向き直り、穏やかな顔で頷いた。

 

「準備が整うその時を、心待ちにさせてもらおう。……再会の日まで、彼女のことはお前に預ける」

 

「ああ、任せておけ」

 

個人の問題が片付き、円卓に一息つくような空気が流れた――まさにその時だった。

 

「さて。個人の感傷はこれくらいにして、次はオレの疑問にも答えてもらおうか」

 

上座のギィ・クリムゾンが、ワイングラスを置いて鋭い視線を向けてきた。

 

「お前ほどの力を持った奴が……どうしてわざわざこの時代に来たんだ? 何か歴史を修正しなければならない事態でも起こったのか?」

 

ギィの核心を突く問いに、魔王たちの視線が再び俺へと集中する。

 

「それなんだがな」

 

俺は一つ息を吐き、静かに首を振った。

 

「時間跳躍の力自体は俺も持っているが……俺自身の意思でこの時代に来たわけじゃないと思う。転移した際の、はっきりとした記憶がないんだ」

 

「記憶がないだと?」

 

「ああ。ふと意識が途切れたと思ったら、深い暗黒の中にいてな。気がついた時には、この時間軸のジュラの大森林に飛ばされていたんだ」

 

俺の告白に、ギィは訝しげに眉をひそめた。

 

「なら、自身の時代に戻ろうと試したことはないのか?」

 

「もちろん試したさ。だが、できなかった。……まるで、世界そのものが他の時代に行くことを許してないかのようにな」

 

「世界そのものが、だと……?」

 

ギィの目が細まる。それに続くように、ルミナスとダグリュールが身を乗り出してきた。

 

「リムルよ。先ほどではない、少し前のことだ。そこのクレイマンとの戦いの最中、奴が『世界の言葉』を通さずに異常な力を強引に発現させたのを見たが……あれは一体何なのだ?」

 

「うむ。ヴェルダナーヴァが定めた世界のシステムそのものを捻じ曲げるような真似、ただの魔法や権能では到底不可能だぞ」

 

その問いを待っていた。

俺は表情を極限まで引き締め、俺をこの世界へ引きずり込み、盤面の外から介入してくる『真の脅威』について口を開いた。

 

「……あれは、俺がこの時間軸に来てからも、幾度となく俺に対して干渉や攻撃を仕掛けてきた『得体の知れない存在』だ。ファルムス王国との戦いの最中にも、そいつの精神干渉のせいで危うく取り返しのつかない事態になりかけた」

 

「お前に干渉してくるだと? 未来から来たお前が、その正体を知らないはずがないだろう」

 

ギィの言葉に、俺は自嘲気味に笑った。

 

「ああ。だから厄介なんだよ。あんな、世界のシステムそのものに平然と干渉してくる、理を外れたあんな『異物』は……俺の辿ってきた時代にはいなかった」

 

ピタリ、と。

ワルプルギスの広間から、一切の物音が消え去った。

 

「いなかった、だと……?」

 

ギィの深紅の瞳が、かつてないほどの驚愕と警戒に見開かれる。

 

「そうだ。未来からきた俺ですら正体がわからない。完全に時間軸の外側から、この世界そのものに介入し、俺たちを陥れようとしている『未知の悪意』だ」

 

俺の言葉が落ちた瞬間、魔王たちの間に、今までとは次元の違う本気の戦慄が走った。

単なる強大な魔物や天使の脅威ではない。世界の理を司る『システム』そのものを掌握し、未来の絶対者すらも閉じ込めている正体不明の『異物』。

 

「……なるほどな」

 

ギィが、ひどく低く、凄みのある声で呟いた。

 

「未来から来たお前が、わざわざ過去の自分を助けるため『だけ』に、これだけ派手に歴史をかき回すのは不自然だと思っていたが。……未来の出来事や、その『敵』を見据えた上で、オレたち魔王や西側諸国を巻き込んで、盤石な布陣を作ろうとしてたってわけか」

 

「まあ、そういうことだ。相手が神だろうが何だろうが、俺は絶対に仲間を守り抜く。そのために、お前たちにも協力してもらいたい」

 

俺の真っ直ぐな宣言に、ギィ、ルミナス、レオンといった世界の管理者たちは顔を見合わせた。

 

「……ふん。世界の理そのものを乱す異物の存在など、ルベリオスの民を預かる身として到底見過ごすわけにはいかんな」

 

ルミナスが眉をひそめ、静かに同意を示す。

 

しばしの沈黙。ミザリーが、空になったギィのグラスに音もなく新しいワインを注ぎ足していく。

 

やがて、上座のギィが、ゆっくりと口を開いた。

 

「……なあ、リムル。一つ聞いておきたいんだが」

 

「なんだ?」

 

「その『異物』とやら――今のところ狙われてるのは、お前個人なんだろ? なら、今日この場をどうにか凌いだところで意味なんてねぇよな。奴は、また必ずお前の周りに現れる」

 

ギィの指摘に、俺は静かに頷いた。

 

「……ああ、その通りだ」

 

「だったら話は早い。呑気に思念のやり取りで済ませてる暇はねぇ。……なあリムル、お前の国――テンペストとやら、オレがここで見た事実以外にも随分と面白い噂を聞くじゃないか。原初を三柱も従え、竜種とも盟を結び、この短期間でそこまでの勢力を築き上げた化け物じみた国力ってやつを、この目で直接拝ませてもらいたくなってな」

 

好奇と警戒、その両方を滲ませた笑みで、ギィが身を乗り出す。

 

「いつまた奴が動くかわからねぇんだ。悠長に情報交換してる場合じゃねぇだろ。オレたちごと、お前の懐に転がり込ませてもらうとするか」

 

その言葉に、レオンも静かに頷いた。

 

「同感だ。……それに、正直に言えば、今日一日で聞かされたことが多すぎる。ヴェルダナーヴァの真実、そしてこの『異物』の件……どちらも、この場だけで到底消化しきれるものではない」

 

レオンは一度目を伏せ、ふっと息を吐いてから続けた。

 

「日を改めて、腰を据えてお前の話を聞かせてもらいたい。……もちろん、彼女に接触するつもりはない。あくまで『異物』の対策のために赴くだけだ。焦って全てを台無しにするほど、私は愚かではないつもりだ」

 

「ああ、わかってる。いつでも歓迎するよ」

 

俺が頷くと、それまで黙って話を聞いていたミリムが、ぱあっと顔を輝かせて割り込んできた。

 

「なあなあ、リムル! ワタシも行くのだ! お前の国の飯は本当に美味いからな! シュナの作るパンケーキ、あの蜂蜜をたっぷりかけたやつをまた食べたいのだぞ!」

 

あまりにも場違いな輝く笑顔に、張り詰めていた円卓の空気が思わず緩む。

 

「はは、お前は本当にブレないな。ああ、いつでも歓迎する。腹いっぱい食わせてやるよ」

 

「わーっはっはっは! 約束だぞ!」

 

そのやり取りを眺めていたダグリュールが、ふと何かを思い出したように、円卓の隅で机に突っ伏したままのディーノへとじろりと視線を向けた。

 

「……ときに、リムルよ。先程の話、まことか? 未来ではこやつが、ラミリスのもとで真面目に働いておると」

 

「あ? なんだよダグリュール」

 

胡乱げに顔を上げるディーノに構わず、ダグリュールは重々しく腕を組んだ。

 

「ならば話は早い。ワシのところで持て余していたこやつも、ついでに連れていくとしよう。多少は骨のある働き者になるというのなら、早い段階から慣れさせるに越したことはないからのう」

 

「はぁ!? おい待てダグリュール、勝手に決めるんじゃ――」

 

「決まりだな」

 

ディーノの抗議を、ギィがバッサリと切り捨てる。

 

「げぇっ……」

 

盛大に肩を落とすディーノに、円卓のあちこちから小さな笑いが漏れた。

 

(よし。これで、この時代の魔王たちとの間で『危機感の共有』と、それぞれの思惑を乗せた強固な繋がりが完成したな)

 

一人ひとり、それぞれの理由と決意を抱えながら――俺の介入によって始まった嵐は、この瞬間、未来を見据えた最強の布陣へと昇華されたのだった。

 

「……よし」

 

ギィが立ち上がり、円卓を囲む面々を一人ひとり順に見渡していく。

その視線が最後に俺のところで止まり、彼はニヤリと口角を上げた。

 

「随分と長い茶番に付き合わされたが……まあ、退屈しなかったのは確かだ。それぞれ、言いたいことは言い終えたみてぇだな?」

 

誰からも異論の声は上がらない。

 

「よし、じゃあこれで終いにするか。待たせてる連中も、いい加減痺れを切らしてる頃だろうしな」

 

ギィのその一言を機に、円卓を囲んでいた魔王たちが、それぞれ思い思いに席を立ち始めた。

重苦しかったはずの空気は、いつの間にか、どこか祭りの後のような弛緩したものへと変わっている。

 

会場のあちこちでは、帰路につく魔王とその側近たちが、開かれた転移の魔法陣へと次々に吸い込まれていく。

ダグリュールの巨大な人影が去り、ディーノがダグリュールに首根っこを掴まれるようにして連れていかれ、レオンもまた静かに一礼して姿を消す。

ワルプルギスという異様な熱気に満ちていた広間が、少しずつ、しかし確実にその賑わいを失っていく。

 

俺と過去の俺は、その喧騒の中を縫うようにして、広間の端でずっと成り行きを見守っていたシオンや原初の三柱、そしてヴェルドラの元へと歩み寄った。

 

「お疲れ様でした、リムル様……! ご無事で何よりです!」

 

シオンが深く頭を下げる。

 

「フフ……見応えのある一夜でしたね、未来のリムル様。まさかギィを相手取ってあれほどの立ち回りを見せるとは」

 

テスタロッサが感嘆と共に紅の瞳を細めた。

彼女たちは先ほどの戦いの一部始終をつぶさに見届けていた。

 

「ところで我が君、先ほど私たちが聞いていた話以外にも何か思念で、そちらの未来の我が君とやりとりをしていたんだろう? よければその内容も教えてくれるとうれしいんだけどね」

 

カレラが事もなげにそう言った。二人の間に何かしらのやり取りがあったであろうことなど、原初の彼女たちにとってはとうに織り込み済みらしい。

 

「ボクもそれはちょっと気になってるんだよね」

 

ウルティマがにこやかに、しかし興味を隠さずに続けた。

 

俺は苦笑しながら、彼女たちに詳しくは伝えていなかった部分――過去の俺との内緒のやり取りや、ソウエイへの指示、カガリとユウキとの裏での密談の細部を、掻い摘んで説明した。

 

「なるほど、そのような裏があったのですか……。相変わらず底が知れませんね」

 

テスタロッサが小さく笑み、ヴェルドラも満足げに頷く。

 

「クアハハ! まあ細かい事情はどうあれ、我が盟友の勝利には変わりあるまい!」

 

そんな和やかなやり取りを交わしていると、少し離れた場所から賑やかな声がかかった。

 

「リムル! ワタシたちはそろそろ帰るのだ!」

 

見れば、新たな主となったミリムを先頭に、旅装を整えたカリオンとフレイが連れ立って歩み寄ってくるところだった。

 

「俺はこれからユーラザニアに帰って、色々と後始末をしなきゃならねえからな。魔王を降りたって言っても、国のことを放り出すわけにはいかねえし」

 

「私もね。領土の件も含めて、しばらく忙しくなりそうだわ」

 

カリオンが肩をすくめ、フレイが呆れたように付け加える。

 

「わーっはっはっは! 二人とも、これからはワタシの下で働いてもらうのだからな! 当分は忙しくなるぞ!」

 

ミリムが誇らしげに胸を張ると、カリオンとフレイが顔を見合わせ、揃って苦笑いを浮かべた。

 

「ああ、色々世話になったな。皆、また会おう」

 

「任せておけって。……まあ、詳しい今後の話はまた改めてだな」

 

軽く手を挙げたカリオンは、ミリム、フレイと共に踵を返し、それぞれの領地へと繋がる転移の魔法陣の中へと消えていった。

 

こうして、それぞれの胸に新たな決意と、そして得体の知れない不安を抱えながら――ワルプルギスに集った者たちは、まだ賑わいの残る広間を後に、それぞれの帰路についていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

神聖法皇国ルベリオスの中枢、奥の院。

ステンドグラスから差し込む月光が、静寂に包まれた神聖な空間を冷たく照らし出している。

 

法皇直属近衛師団(クルセイダーズ)の筆頭騎士であり、実質的な人類最強の騎士であるヒナタ・サカグチは、主の帰還を静かに待ちわびていた。

今回の魔王達の宴(ワルプルギス)は、ジュラの大森林に現れたという『スライム』が国家を創立したという、西側諸国にとっても看過できない問題が含まれている。

このワルプルギスの結果次第では、今後のルベリオスの軍事的な動きも大きく変わるはずだった。

 

やがて、空間が微かに揺らぎ、転移の魔法陣と共に三つの影が姿を現した。

 

「お帰りなさいませ、ルミナス様」

 

ヒナタが片膝をついて恭しく頭を下げると、真祖たる吸血鬼(ヴァンパイア)、ルミナス・バレンタインは優雅な足取りで玉座へと歩みを進めた。

その後ろには、魔王の代役を務めていたロイと、最高位の執事であるギュンターが静かに控えている。

 

「うむ。留守をご苦労だったな、ヒナタ」

 

玉座に腰を下ろしたルミナスの声には、どこか深い疲労と――それ以上に、かつてないほどの『強烈な興味』と『呆れ』が入り混じったような、奇妙な響きがあった。

 

ヒナタは僅かに眉をひそめた。

神とも称されるルミナスが、ここまで露骨に感情の揺らぎを見せることなど滅多にないからだ。

それに、代役であるロイも、ギュンターも、どこか信じられないものを見てきたような、狐につままれたような顔をしている。

 

「……ルミナス様。ワルプルギスで、一体何があったのですか? そのご様子だと、ただ事ではなかったようですが」

 

ヒナタの問いかけに、ルミナスは艶やかなため息を一つ吐き出した。

 

「ただ事ではない、か。ふん……そんな生易しい言葉で済むような夜ではなかったぞ。何から話すべきか、妾も未だに頭の整理がついておらぬほどじゃ」

 

ルミナスは細い指でこめかみを揉みながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「結論から言おう。件の『スライム』……リムルとやらの魔王就任は承認された。これより、魔王の枠組みは十から八へと変わり、新たに『八星魔王(オクタグラム)』と名乗ることになった」

 

「八星、ですか。随分と数が減りましたね……クレイマンが討たれたということですか」

 

「それだけではない。獅子王カリオンと天空女王フレイ、あの二人が揃って魔王の座を降りおった。今後は領地ごと、二人ともミリムの傘下に入るそうじゃ」

 

「……それは、本当ですか」

 

ヒナタの表情が険しくなった。

二柱の魔王とその領土が、破壊の暴君ミリム・ナーヴァの下に統合される。それは西側諸国の防衛戦略を根底から書き換えねばならないほどの、地政学的な激変だ。

 

「そう気を張るな。あの二人が自ら望んでのことじゃ、当面は妙な野心を見せることもあるまい。……だが、そんなことすら些末に思えるほどの話が、まだ残っておる」

 

「些末、ですか……」

 

「うむ。ヒナタよ、お主、自身と同じ姿をした『未来からの来訪者』などという存在を信じるか?」

 

「……はい?」

 

突拍子もないルミナスの問いに、ヒナタは思わず素の声を漏らしてしまった。

 

冷徹な合理主義者であるヒナタにとって、時間の遡行などという概念は簡単には受け入れがたい。

だが、ルミナスの真剣な眼差しを見て、それが冗談ではないことを悟る。

 

「……スライムの魔王が、未来から来たというのですか?」

 

「正確には、過去のリムル本人の隣に、もう一人、さらに桁違いの力を身に纏った『未来のリムル』が現れたのじゃ。……そして、その未来のスライムによって、今回のワルプルギスの盤面は完全に支配された」

 

そこからルミナスが語った内容は、ヒナタの常識を根底から覆すものばかりだった。

ギィ・クリムゾンの結界を容易く突破する空間転移。

他の魔王たちを赤子のように扱う圧倒的な覇気。

そして何より――ルベリオスという国家の最深部の秘密すらも、完全に把握されていたという事実。

 

「……そのスライムは、妾の正体はおろか、ルベリオスの内情や、ギュンターたちが管轄しておる『超克者』の研究内容に至るまで、すべてを知り尽くしておった。おかげで妾は、あの場で自ら正体を明かし、円卓に着く羽目になったわ。……もっとも、魔王どもに対して今更ロイを立てる必要がなくなったのは、面倒が減ってよいがな」

 

「なっ……!?」

 

ヒナタの顔色が変わる。

超克者の研究は、ルベリオスの暗部中の暗部だ。

それが他国の、それも魔物に筒抜けになっているとすれば、国家の根幹を揺るがす大問題だった。

 

「心配はいらぬだろう。あのスライム……いや、双方のリムルに、我々を脅かす意志はないようだったからな」

 

ギュンターが一歩前に出て、ヒナタを落ち着かせるように口を開いた。

 

「むしろ、未来のリムルは、その知識を交渉のカードとして使い……我々ルベリオスに対し、『正式な国交と技術交流』を求めてきたのだ」

 

「魔物の国と、ルベリオスが国交……?」

 

「ああ。あやつが知る未来の歴史とやらでは、妾たちとテンペストはかなり深い文化交流を行っていたそうじゃ。それを前倒しにして、早期に同盟を結びたいと抜かしおってな」

 

ルミナスはそう言うと、ふっと妖艶な笑みを浮かべ、ギュンターに目配せをした。

ギュンターは恭しく頷き、自身の亜空間から丁寧に梱包された包みを取り出し、ヒナタの前に提示した。

 

「これは……?」

 

「『魔黒米』というものを使った酒と、果実酒だそうじゃ。過去の……つまり現在のスライムが、これからの交流における最初の贈り物として寄越したものでな。未来の自分が狡猾な交渉をしたフォローのつもりじゃろうが……随分と気の利く魔王もいたものじゃ」

 

ヒナタは差し出された酒の包みを見つめながら、困惑と警戒を深めた。

 

シズ先生の敵として討つべき対象だと思っていた魔物。

だが、その魔物は未来から自身を助けに来るほどの力を持ち、あまつさえルベリオスとの和平と交流を望んでいるという。

 

「……ルミナス様は、その提案をどうされるおつもりですか?」

 

「さてな」

 

ルミナスは艶やかに足を組み直し、金銀妖瞳を細めた。

 

「近いうちに、他国の魔王の耳に入らぬよう、妾とあやつらだけの二者会談を開くことになっておる。未来の情報という極上の餌をチラつかされては、無下に断るわけにもいかぬじゃろう」

 

そこまで話すと、ルミナスは一旦言葉を切り、細めていた金銀妖瞳をゆっくりと閉じた。

まるで、この先の話をどう切り出すべきか、自身の中で整理をつけているかのような、僅かな沈黙。

 

やがて瞼を開いた彼女の顔から、先程までの艶やかな余裕は、いつの間にか鳴りを潜めていた。

 

「……それと、ヒナタ。もう一つ、お主の耳に入れておかねばならぬことがある」

 

ルミナスの声色が、それまでの艶めいた響きから一転、底冷えするほど真剣なものへと変わった。

 

「かのクレイマンじゃが……妾たちの目の前で、あってはならぬ異常な覚醒を見せおった。『世界の言葉』を介さず、身の丈に合わぬ力を強引に発現させたのじゃ。まるで、誰かが外側からその力を無理やり捻じ込んだかのようにな」

 

「……『世界の言葉』を介さず、ですか」

 

ヒナタが僅かに眉を寄せる。魔物が力を得る過程には、必ずこの世界の理――『世界の言葉』による許諾が介在するというのが、彼女の持つ常識だった。それを無視した力の発現など、聞いたことがない。

 

「うむ。しかも厄介なことに、それはこの世界の理の外側から来た『何か』の介入によるものだったそうじゃ。未来のリムル自身も、幾度となくその『異物』とやらに命を狙われ、干渉を受けてきたと語っておった」

 

「……世界の理の、外側から……?」

 

ヒナタの美しい顔が、初めて明確な緊張に染まった。

 

「うむ。未来から来たあやつをもってしても、いまだその正体を掴めておらぬというのだ。ギィをはじめとした魔王たちも、この件には並々ならぬ危機感を抱いておったな」

 

ルミナスは細い指を顎に添え、僅かに目を伏せた。

 

「妾との二者会談は、それとはまた別の話じゃ。時期も目的も異なる。……じゃが、いずれにせよ、あのスライムの周りではこれからも尋常ならざる事が起こり続けるということだけは、覚えておくがよい」

 

ヒナタは静かに、しかし深く頷き、胸の内にその緊張を刻み込んだ。

 

「……承知いたしました。心得ておきます」

 

ルミナスはヒナタを真っ直ぐに見据えた。

 

「ヒナタ。お主もその会談には同席してもらうぞ。シズエ・イザワの教え子であるお主にとっても、あのスライムは無関係ではあるまい。……直接会って、その目で確かめるがよい。あやつらが本当に、我らと手を取るに足る存在であるかどうかをな」

 

ルミナスからの「会談への同席」という命を受け、ヒナタの美しくも冷徹な顔に、微かな影が差した。

 

「……お待ちください、ルミナス様。会談に同席すること自体に異論はありませんが……一つ、大きな懸念事項がございます」

 

「懸念、じゃと?」

 

ルミナスが片眉を上げる。

ヒナタは僅かに唇を噛み、己が直近で犯した『事実』を重々しく口にした。

 

「私は以前、イングラシアからテンペストへ帰還しようとしていた彼を……リムルを襲撃しております。シズ先生の仇として、結界を張り、確実に殺すつもりで剣を向けました」

 

その言葉に、控えていたロイとギュンターが微かに顔を見合わせる。

 

「結果として彼は生き延びて魔王に至ったわけですが……その襲撃の事実がある以上、テンペスト側が私をどう捉えているかが心配なのです。ルミナス様との和平や交流を口にしてはいても、主を殺そうとした私という存在が同席すれば、向こうの配下たちの態度を硬化させ、交渉そのものを決裂させる火種になりかねません」

 

ヒナタの懸念は、為政者として、そして騎士として極めてもっともなものだった。

国の主を本気で殺そうとした人間がのこのこと会談の場に現れれば、相手陣営が激怒するのは火を見るよりも明らかだからだ。

 

だが、ルミナスはヒナタの重い告白を聞いても特に慌てる様子もなく、むしろ面白がるようにふっと妖艶な笑みを深めた。

 

「案ずるな、ヒナタ。むしろ、だからこそお主を連れて行くのじゃ」

 

「……と、おっしゃいますと?」

 

「考えてもみよ。時間を遡ってきたというあの未来のスライムが、過去の己が襲撃された事実を知らぬはずがなかろう。妾の国の内情すら調べ上げているあやつが、お主の動向を把握していないなどあり得ん」

 

ルミナスの理路整然とした指摘に、ヒナタはハッと息を呑んだ。

 

「その上で、あやつは妾との二者会談を申し出てきた。……つまり、お主との間にあった遺恨も含めて、何か『直接話をつける』腹積もりがあるということじゃ。あるいは、お主がシズエ・イザワの教え子であることを知った上で、お主自身の誤解を解こうとしているのかもしれんな」

 

なるほど、とギュンターが恭しく頷き、ルミナスの言葉を補足する。

 

「確かに。もし彼らが貴女への復讐を第一に考えていたのなら、あのワルプルギスの場で、未来のリムル殿の圧倒的な力をもってルミナス様を直接脅迫し、貴女の首を要求することも容易だったはずだ。それをしなかったということは……」

 

「うむ。あやつらには、過去の遺恨を乗り越えてでもルベリオスと手を結ぶ明確な理由があり、その覚悟があるということじゃ」

 

ルミナスは玉座の肘掛けに頬杖をつき、金銀妖瞳(ヘテロクロミア)を細めて真っ直ぐにヒナタを見つめた。

 

「それに、逃げてばかりでは前には進めんぞ、ヒナタ。お主が真に己の正義とシズエ・イザワの想いを重んじるというのなら、己が剣を向けた相手がどのような者なのか、その目でしかと見極めるがよい」

 

逃げるな、見極めよ。

その力強くも慈悲深い主の言葉に、ヒナタの中にあった迷いの霧がスッと晴れていく。

彼女は小さく息を吐き、覚悟を決めたように深く頭を下げた。

 

「……承知いたしました。ルミナス様がそう仰るのであれば、私も覚悟を決めます。いかなる非難を受けようとも、ルベリオスとルミナス様のため、この命に代えても会談を成功へと導きましょう」

 

迷いを振り切った、冷徹で誇り高い騎士の顔。

元通りになったヒナタを見て、ルミナスは満足げに頷き、静寂に包まれた奥の院に妖艶な声を響かせた。

 

「よい返事じゃ。……さあ、そうと決まれば、魔物の国が造ったという酒の味見といくか。未来を識る魔王の器、まずは妾の舌で確かめさせてもらうとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

――場面は変わり、極寒の地、永久凍土の大陸にそびえ立つ『白氷宮(はくひょうきゅう)』。

 

魔王達の宴(ワルプルギス)が閉会し、参加した魔王たちがそれぞれの領地へと帰還した後。

この城の主であり、最古の魔王たる暗黒皇帝(ロード・オブ・ダークネス)ギィ・クリムゾンは、自室の豪奢なソファに深く腰を沈め、底抜けに愉快そうな笑い声を上げていた。

 

「クハハハハ! いやあ、本当に傑作だったぜ。オレが定めたルールを根底からぶち壊して、盤面をひっくり返していく様は、見ていて実に痛快だった」

 

上機嫌にワイングラスを揺らすギィの背後には、彼の忠実なメイドにして原初の悪魔であるレインとミザリーが、彫像のように静かに控えている。

 

そしてギィの対面には、透き通るような白銀の髪を持つ絶世の美女――『白氷竜』ヴェルザードが、優雅に紅茶のカップを傾けていた。

 

「随分とご機嫌ね、ギィ。……よほど、あの『未来から来たスライム』とやらが気に入ったのかしら?」

 

「ああ。あれだけの力を持っていながら、無闇に暴れるでもなく、周囲の魔王を言葉一つで手玉に取ってみせたんだ。あれほど面白い玩具……いや、極上の好敵手は、何千年生きててもそうそうお目にかかれねえよ」

 

ギィが笑みを含んだまま視線を向けると、控えていたミザリーが静かに一礼して口を開いた。

 

「ワルプルギスの会場に張られたギィ様の絶対的な結界を、まるで無いものであるかのように易々と通り抜けてみせるなど……我々原初でさえ、指一本触れられぬほどの次元の違う空間掌握能力です」

 

「ええ」

 

レインも淡々とした、しかし僅かに緊張を含んだ声で同意する。

 

「あの方が真の力を解放した際の覇気……間違いなく、我々悪魔の頂点たるギィ様や、竜種であるヴェルザード様に匹敵するか、あるいは……」

 

「あるいは、それ以上かもしれないってか?」

 

ギィがニヤリと笑うと、レインは申し訳なさそうに伏目をしたが、ギィは全く気を悪くした様子はなかった。

むしろ、自分と同等以上の存在が現れたという事実を心の底から楽しんでいるようだった。

 

「ふふっ。あの暴れん坊の愚弟が、大人しく漫画などというものを読んでくつろいでいたというのも驚きだけれど……」

 

ヴェルザードは白魚のような指でカップの縁をなぞりながら、氷のように冷たく、しかし強い好奇心を帯びた目を細めた。

 

「時間を遡り、世界の運命を強引に捻じ曲げるほどの力を持ったスライム。……確かに、退屈しのぎには最高の存在ね」

 

「そういや、ヴェルザード。お前に一つ、聞いておきたいことがあってな」

 

ワイングラスを傾けていたギィが、ふと思い出したように片眉を上げた。

 

「あいつと本気でやり合った時、途中でお前の『忍耐之王』を完璧に再現しやがってな。……それだけならまだわかる。だが、それだけじゃなかった。オレのエネルギーを劣化させて食い荒らすような、得体の知れねぇ力まで併せて使ってきやがったんだよ」

 

「……あら」

 

ヴェルザードが、カップを傾けたまま、僅かに目を細めた。

 

「あいつに聞いても『秘密だ』の一点張りで、名前も正体も一切吐かなかった。……だがな、あの言い草、まるで『お前なら心当たりがあるだろう』とでも言いたげでよ」

 

ギィは探るような視線を、真正面からヴェルザードへと向けた。

 

「なあ、ヴェルザード。お前、オレにも黙ってる『もう一つの力』でも隠してねぇか?」

 

沈黙が落ちた。

 

いつもなら涼しい顔で受け流すはずのヴェルザードが、珍しく、すぐには答えなかった。

白磁のカップを静かにソーサーへ戻すその指先に、ほんの一瞬、迷うような硬さが宿る。

 

背後に控えていたミザリーとレインでさえ、主のこの間の長さに、微かに息を潜めた。

 

「……ふふ。とうの昔に隠しきれてなかった、ということかしらね」

 

やがてヴェルザードは、小さく、どこか観念したような笑みをこぼした。

 

「ええ、その通りよ。私にも、貴方にすら明かしていない権能が一つだけある。名は『嫉妬之王』」

 

「……ほう」

 

「その先は、聞かないでちょうだい。……いずれ、私自身の口から話す時が来るでしょうから」

 

ヴェルザードはそう言って、静かに目を伏せた。

その横顔には、普段の余裕とは違う、どこか脆く、それでいて覚悟を秘めたような色が滲んでいた。

 

ギィはしばらくヴェルザードの顔を見つめていたが、やがて、それ以上は何も詮索せずに、ふっと小さく笑った。

 

「……そうかよ。まあ、いいさ」

 

そして、静かに天井を仰ぎ、独り言のように呟いた。

 

「未来のあいつは、そんなお前の一番の隠し事まで知って、しかもそれを使いこなしてみせた。……つまり、いつかのお前は、あいつにそこまで気を許してたってことだろ」

 

「……そうね。私も、そう思うわ」

 

ヴェルザードは静かに頷いた。

 

「時間を渡ってきたって話、頭じゃ飲み込んじゃいたが……腹の底じゃ、まだどこか眉唾に思ってた部分もあった。だが、こいつはもう疑いようがねぇな」

 

ギィは口の端を吊り上げ、確信に満ちた笑みを浮かべた。

 

「……となると、だ」

 

だが、その笑みはすぐに引いた。

グラスをテーブルに置き、ギィは天井の一点を見上げたまま、独り言のように呟いた。

 

「あいつは、東の帝国とも和解したと言ってやがった」

 

ヴェルザードのカップを持つ手が、ぴたりと止まる。

 

「……そう。それはつまり」

 

「ああ。あのゲームが、いつか終わるってことだ」

 

短い沈黙が落ちた。

レインとミザリーは、主の私事に立ち入るまいと、より深く気配を消している。

 

「あの場では聞かなかったのね」

 

「聞けるかよ。ミリムもラミリスもいた。……あれは、オレとあいつだけの盤だ」

 

ギィは自嘲するように鼻を鳴らし、グラスの中で揺れる赤を見下ろした。

 

(……あいつの魂が、もう長くねぇことくらいは分かってる)

 

転生を重ねるたびに削れていく気配を、何百年も傍で見てきた。

理念も忘れ、いつの間にか自分に勝つことだけが目的となり、最後には勝つためにどれだけ血が流れようが構わないという顔をするようになった。

 

降りる機会は、何度でも差し出したはずだ。

ミリムが泣いた時も、あいつの国が荒れた時も。『これでも続けるか』と。

そのたびにあいつは、続けると答えた。

 

(だからオレは、それを飲んだ)

 

盤を畳めば、あの男には何も残らない。目的を失った者から最後の拠り所まで奪うのは、殺すのと同じことだ。

そう自分に言い聞かせて、削れていく友を眺めながら付き合い続けた。

 

――本当に、それだけだったのか。

 

殺す気になれず、看取る気にもなれず、ただ答えを出すのが怖くて引き延ばしていただけではないのか。

 

喉元まで昇ってきたその問いを、ギィは赤い液体と共に飲み下した。

言葉にする気などない。数千年、誰にも語らなかったものだ。

 

「……ギィ」

 

「あん?」

 

グラスから顔を上げたギィの表情は、いつもの不敵なそれに戻っていた。

 

だがヴェルザードは、その一瞬の沈黙が何であったかを正確に理解していた。

数千年、この男の傍にいる。言葉になどしなくとも、わかることはある。

 

「あの子は、自分の最後の瞬間まで見通していたのかしらね」

 

「……はあ?」

 

「何度も降りる道を示されて、そのたびに自分で拒んだ。……随分と、頑固な子だったわね」

 

ギィは目を瞬かせ、それから、ふっと肩の力を抜くように鼻を鳴らした。

 

「……ああ。頑固で、どうしようもねぇ馬鹿野郎だったよ」

 

それだけだった。

慰めも、赦しも、言葉にはならない。だが充分だった。

 

ヴェルザードは静かにカップをソーサーへ戻し、それから話題を変えるように言葉を継いだ。

 

「――それと、貴方。一つ見落としているわ」

 

「今度は何だよ」

 

「あのスライム。二万の人間を殺して、そのまま生き返らせたのでしょう? 道化の魂に巻きついた呪いも、綺麗に解いてみせた。……貴方が数千年、どうにもならないと諦めてきたことを、あの子は当たり前みたいな顔でやってのける存在よ」

 

ギィの手が、止まった。

 

「……お前」

 

「聞くべきは『どう終わったか』だけではないでしょう。……その、未来から来た子にその術があるのなら、聞き出せばいい。そういう話ではないの?」

 

数千年、諦めることに慣れきっていた思考が、その一言でひび割れる音がした。

 

ギィは呆けたように彼女を見つめ、それから、ゆっくりと天井を仰いだ。喉の奥で、低い笑いが漏れる。

 

「……クハッ。参ったな。オレは最初から、変えられねぇもんとして数えてたぜ」

 

「長く生きすぎると、諦め方だけが上手くなるものね」

 

「言ってくれるぜ。……お前もだろ」

 

ヴェルザードは答えず、ただ艶やかに微笑んだ。

その沈黙が、何よりの肯定だった。

 

ギィはグラスの中身を一気に飲み干し、テーブルへと乱暴に置いた。

その横顔にはもう、迷いも恐れもない。

 

「決めたぜ。次にあいつと顔を合わせた時、二人きりで全部聞き出す。あいつがどう終わったのかも――そいつを変える手があるのかも、全部な」

 

「ふふ。それでいいわ」

 

ヴェルザードは満足そうに目を細め、それから、僅かに首を傾げた。

 

「……でも、貴方があの国へ足を運ぶ理由は、それだけではないのでしょう?」

 

「ああ。……こっちは私事じゃねぇ。調停者としての話だ」

 

ギィは新しく注がれたワインを一口だけ含み、静かにグラスをテーブルへ戻した。

 

その眼差しから、友を想う男の気配が消える。

代わって宿ったのは、この世界の理を預かる者としての、鋭く冷徹な光だった。

 

「あいつが結局最後まで隠しきれなかった、『焦り』の方だよ」

 

「焦り?」

 

「あいつ、自分の意思でこの時代に来たわけじゃねぇんだとよ。気づいたらこっちに飛ばされてて、転移した時の記憶すらはっきりしねぇ。おまけに、元の時代に戻ろうと試したが、それすらできなかったらしい」

 

「……あれほどの力を持つ者が、時を渡ることすら自分の意思一つで制御できない、と?」

 

ミザリーが静かに呟く。

ワルプルギスの円卓でその告白を直接耳にしていた彼女にとっても、改めて言葉にされると、その異常さが重くのしかかってくるようだった。

 

「ああ。しかもそれだけじゃねぇ。あいつをこの時代に引きずり込んだであろう『何か』――世界のシステムそのものに平然と干渉してくる『異物』とやらの正体を、未来から来た本人ですら未だに掴めていねぇんだと」

 

ギィの言葉を聞き、ヴェルザードも楽しげな笑みを消し、真剣な表情へと変わった。

竜種すら凌駕し得る未来の魔王をもってしても、正体すら知れぬ『何か』が、この世界のどこかに潜んでいるという事実。

 

「ふふ……それは、ますます目が離せないわね。あの底知れない力を持つスライムが、正体不明の相手に振り回されているというの?」

 

「ああ。……それに、な」

 

ギィは一度言葉を切り、グラスの中で揺れる赤い液体を、じっと見つめた。

 

「あいつから聞かされた話は、それだけじゃなかった。……ヴェルダナーヴァの野郎、ルシアを喪ってから心が壊れちまって、この世界そのものを選別し、切り捨てるつもりだったんだとよ」

 

「……そう」

 

話を聞いたヴェルザードの呟きには、驚きよりも、何かを不意打ちで突かれたような複雑な色が滲んでいた。

 

ギィは怪訝そうに片眉を上げたが、それ以上は深追いしなかった。

 

「フェルドウェイも、そんな壊れちまった主を止めるために、自らヴェルダナーヴァに反旗を翻し、あいつの側についたらしい。……正直、笑い話で済ませるにはあまりにも重すぎる話だったよ」

 

ギィは自嘲するように一つ息を吐き、それから、ふっと口の端を持ち上げた。

 

「だが……だからこそ、面白い。友の狂気も、得体の知れねぇ敵の存在も、何もかもが未知数だ。あれだけの化け物が、それだけの重荷を抱えたまま、なお仲間を守るために足掻いてやがる。……こんなに胸の躍る話、そうそうねぇだろ」

 

ギィは口角を深く吊り上げ、凶悪な笑みを浮かべた。

 

「誰に頼まれたわけでもねぇが、それならそれで好都合だ。オレの方から首を突っ込んで、直接あいつの国へ乗り込んでやる。……未来のリムル。アイツを振り回してる『敵』とやらの正体、この目で見極めてやろうじゃねぇか」

 

白氷宮の広間に、最古の魔王の声が静かに響き渡る。

その声にはもう、先程までの無邪気な愉悦だけではない、友の運命を案じる者としての、確かな重みが滲んでいた。

 

ワルプルギスでの想定外の嵐は過ぎ去ったが、それはこれから始まる、世界の理すら巻き込む新たな激動の物語の、ほんの序章に過ぎなかった。




この章を公開するにあたって前六章に追記を行いました。詳しくは六章のあとがきを参照してください。
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