【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
ユーラザニアでミリムたちが新たな目標に向けて結束を固めていた頃。
魔国連邦(テンペスト)の執務室では、暴走しかけたディアブロを宥めすかし、ようやく本来の役割に意識を戻してくれたことで、俺と過去の俺は揃ってホッと胸を撫で下ろしていた。
「いやー、一時はどうなることかと思ったけど、なんとか向こうに行ってくれて良かったぜ……」
「全くだ。あいつの有能さは保証するが、手綱の握り方だけは気をつけてくれよな」
二人の魔王が一息ついた、まさにその時だった。
「失礼いたします、リムル様!!」
コンコンコンッ!
という力強いノックと共に、勢いよく執務室の扉が開かれた。
筋骨隆々の巨体を揺らしたリグルドが、やや慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「どうしたリグルド? そんなに慌てて」
過去の俺が居住まいを正して問いかけると、リグルドは恭しく一礼し、緊張した面持ちで報告を上げた。
「はっ! 実は先程、緊急の報せが入りまして……魔導王朝サリオンの重鎮、『エラルド公』が間もなくこの街に到着するとのこと。そして、リムル様に至急の面会を求めておられます!」
「……は? サリオンのエラルド公?」
過去の俺はポカンと口を開けた。
「エラルド公って……あのエレンの親父さんだよな? ワルプルギスの前の会議で会って、サリオンとの国交の話もひと段落したばかりなのに、なんでまたこんな急にやって来たんだ?」
過去の俺が首を傾げる横で、俺もまた、完全に予想外の報告に目を丸くした。
「……おい、マジか。エラルド公が、今このタイミングで来るのか?」
「ん? なんだ未来の俺、お前の歴史でもあった出来事じゃないのか?」
俺の戸惑ったリアクションに、過去の俺が不思議そうに尋ねてくる。
俺は少しだけ眉間に皺を寄せ、首を横に振った。
「いや……俺の知る歴史だと、このワルプルギス直後のタイミングでのエラルド公の再訪問なんて、全く心当たりがない。あの会議の後は、一度サリオンに帰って皇帝に報告し、本国との調整を進めていたはずだからな」
俺の言葉に、執務室の空気が微かに緊張を帯びた。
「未来の俺の記憶にない出来事……。ってことは、何かが変わったのか?」
「ああ。俺が過去に介入して、歴史を大きく動かしたことによる影響かもしれない。……本国に帰る途中で何かあったか、あるいはサリオン側で予想外の事態が起きたのかもな」
俺の推測に、過去の俺がゴクリと息を呑む。
未来の知識という最大のアドバンテージが通用しない、全くの『未知の展開』。
超大国の重鎮が、予定を覆してまで至急の面会を求めてくるのだ。
ただ事ではないのは明らかだった。
「……なんか、すっげえ嫌な予感がするな」
「同感だ。だが、相手が相手だけに無下にもできないぞ。リグルド、急いで迎賓館の準備を進めてくれ。エラルド公が到着次第、すぐにお通ししろ」
「ははっ! 畏まりました!」
リグルドが弾かれたように執務室を飛び出していく。
その背中を見送ってから、過去の俺はソファでくつろいでいた三柱へと向き直った。
「悪いな、皆。急な来客が入っちまった。しばらく席を外すことになるが……」
「お気になさらず。我々は指示があるまで各々やるべきことを進めておきますわ」
テスタロッサが優雅に立ち上がり、紅の瞳を細めて微笑む。
「ボクは迷宮の方を見てくるね。ミリム様との戦いで得た技術をもっともっと磨かないとね!」
「それなら私も同行しよう。相手がいた方がお互い早く技術が身に付くだろうからね」
ウルティマとカレラも特訓をするべく、軽やかに執務室を後にしていった。
休む間もなく押し寄せる来訪者たち。
魔王としての凱旋気分も束の間、俺たちは想定外の事態に顔を見合わせ、すぐさま気を引き締めたのだ。
*
エラルド公は、こちらの想定を遥かに超えるかなりの大所帯、護衛の者や文官たちを伴ってテンペストに到着した。
しかし、いきなり全員と顔を突き合わせるわけにもいかないため、連れの者たちはリグルドの迅速な手配により、迎賓館の別室で歓待の席を設けることになった。
結果として、静かな応接室で対面することになったのは、サリオンの重鎮エラルド公ただ一人。
そしてこちら側は、俺、過去の俺、護衛のシオン、そして同席するリグルドという顔ぶれだ。
高級なソファに腰を下ろしたエラルド公は、出された紅茶に一口手をつけると、優雅な所作で居住まいを正し、俺たち二人へ向けて恭しく頭を下げた。
「まずは、事前の通達もなしに突然訪問してしまった非礼を、どうかお許しいただきたい、リムル陛下。……そして」
エラルド公は、過去の俺を明確に『陛下』と呼んだ後、隣に座る俺へと視線を移し、興味深げに、かつ深い敬意を込めて目を細めた。
「そちらが、未来のリムル殿ですね。過日の会議にて、リムル陛下より『未来から来られたご自身』のお話は伺っておりましたが……こうして直接お目にかかるのは初めてとなりますな」
「ええ、初めましてエラルド公。俺のことは気になさらず、どうか気楽に」
俺が軽く会釈を返すと、エラルド公は深く頷き、再び過去の俺へと視線を戻した。
「こうして御二方が揃って健勝なお姿を拝見できたということは、かの恐るべき『魔王達の宴(ワルプルギス)』も無事に終わったということですね。此度のご生還、ならびに新たなる魔王の座へのご就任……サリオンを代表して、心よりお祝い申し上げます」
「あ、ああ。わざわざありがとう、エラルド公」
過去の俺が、少しばかり緊張した面持ちで頷きを返す。
魔王への就任を祝うその言葉遣いは、極めて洗練された外交官のそれだった。
だが、俺はエラルド公の態度に微かな違和感を覚えていた。
(ワルプルギスを乗り越えた俺たちを祝うために、わざわざ予定を変更してまで引き返してきた?
いや、大国の公爵がそんな個人的な理由だけで大所帯を引き連れてくるはずがない。何か、どうしても『今すぐ』伝えなければならない、あるいは確認しなければならない緊急事態があったはずだ)
俺の歴史には存在しない、超大国の重鎮による緊急の再訪問。
シオンが背後で微かに警戒の気を高める中、俺と過去の俺は、エラルド公の次の言葉を静かに待った。
やがて、エラルド公は紅茶のカップを静かにソーサーへと戻し、どこか重苦しい空気を纏いながら口を開いた。
「……実を申しますと。私は過日の会議でリムル陛下から伺った驚くべき内容――魔王への進化や、未来のリムル殿の御来訪といった重要事項を本国の天帝にすぐさま報告すべく、あの後、早急にサリオンへと帰国したのです」
「ああ、そう言ってたよな。俺たちもワルプルギスに向かう直前だったし……。それで、向こうで何か問題でも起きたのか?」
過去の俺が身を乗り出して問う。
「それが、サリオンの帝都へ辿り着き、天帝陛下へのご報告を行った際なのですが…」
*
――時は遡り、魔導王朝サリオン。
神樹に抱かれた美しき帝都の中枢、天帝の御座所にて。
テンペストでの会議を終え、強行軍で本国へと帰還したエラルド公は、息をつく暇もなく天帝エルメシア・エル・リュ・サリオンへの謁見を求めていた。
「……という次第でございます。あの魔人……リムル殿はファルムス軍二万を屠り、真なる魔王へと覚醒。さらには死んだファルムスの兵士たちを蘇生させるという、神話の如き御業を成し遂げました」
静寂に包まれた豪奢な部屋の中で、エラルドの重苦しい報告が響く。
「それに加え……その場にはなんと、『別の時間軸の未来からやって来た』という、もう一人のリムル殿が存在しておりました。暴風竜ヴェルドラの復活も、その未来のリムル殿の手引きであるとのこと……」
大国の重鎮であるエラルドでさえ、己の口で語りながら冷や汗を流すほどの、常軌を逸した報告。
それを豪奢なソファに寝そべりながら聞いていた、美しいエルフの少女――十三王家を束ねる絶対なる天帝エルメシアは、パチリと目を瞬かせた。
「………」
美貌の天帝は、手に持っていた優雅な扇子をピタリと止め、何とも言えない表情を作り思案する。
「ちょっと待って。魔王への覚醒に、二万の軍勢の殲滅と配下の完全蘇生? さらには暴風竜の復活に、未来から来たもう一人の存在……?」
「はっ。到底信じ難いこととは存じますが、全て私がこの目で確かめた事実にございます」
エラルドが深く頭を下げると、エルメシアは「あー……」と頭を抱えるようにしてソファの上に突っ伏した。
「ちょっとエラルド……貴方、私がのんびりお茶してる間に、どれだけ大事を抱え込んで帰ってきたのよ。情報量が多すぎて、流石の私の頭でも処理が追いつかないわ」
「申し訳ございません、エルメシア様。……ですが、まだ終わりではないのです」
「……まだあるの?」
顔だけを上げたエルメシアに向かって、エラルドは一度深く息を吸い込み、最も報告し難い事実を口にした。
「かの国には既に――『原初の悪魔』が、二柱」
パサリ、と。
エルメシアの手から扇子が滑り落ち、豪奢な絨毯の上に音もなく沈んだ。
「……今、なんて言ったの」
先程までの気だるげな声とは、まるで別物だった。
常に飄々として掴みどころのない天帝の顔から、一切の表情が抜け落ちている。
「『黒(ノワール)』と、『紫(ヴィオレ)』。……いずれもリムル陛下より名を賜り、既に受肉を果たしております。私はこの目で、あの黒き悪魔が執事の礼をとる姿を見ました」
「……原初が。名を与えられて。受肉している?」
エルメシアはゆっくりと身を起こした。
「あれは伝説の中の存在よ。ギィ・クリムゾンが従えている二柱を除いて、この世に顕現した記録なんて片手で数えられるほどしかないの。それが、生まれたばかりの魔王の傍に二柱……?」
「加えて申し上げれば。将来的には『白(ブラン)』と『黄(ジョーヌ)』も同陣営に加わる可能性があると、リムル陛下ご自身が仰っておりました」
「…………」
沈黙が落ちた。
やがてエルメシアは、落ちた扇子を拾い上げることもせず、深いため息を吐き出した。
「竜種が一体、原初が二柱。……西側の連中が束になっても敵わないような化け物国家が誕生しちゃったわけね。しかも、未来の知識まで持っているなんて……私たちの常識が根底から覆ったようなものじゃない」
「事態は一刻を争います。彼らはすでに、魔王たちの宴(ワルプルギス)へと向かいました。今後の我がサリオンの外交方針を、急ぎ固めねばなりません」
エラルドの切実な進言に、エルメシアは扇子を拾い上げ、数百年を生きる為政者としての鋭い眼差しを細めた。
「その『未来から来たリムル』とやら……敵に回すにはあまりに危険すぎるわね。逆に、味方に引き込めれば、これ以上ないほどの利益になるけれど」
「……その利益の件で、さらにご報告すべき事項がございます」
エラルドが一段と声を潜め、真剣な表情で口を開いた。
「リムル陛下との会談の折、未来のリムル殿が語られていたという話を伺ったのですが……」
エラルドは一呼吸置き、自身も未だに半信半疑である途方もない『未来の技術』について口にした。
「未来のテンペストでは、『魔導列車』なる乗り物が開発され、各国を結んでいるとのこと。なんでも、馬車で運ぶ物量の実に一千倍を超える物資を、たった一日のうちに西側諸国の果てから我がサリオンへ届けることができる……それほどの超巨大な物流網が整備されているらしいのです」
「……は? 一千倍の物資を、一日で……?」
エルメシアの動きが完全に止まった。
長命なエルフであり、大国の天帝としてあらゆる経済の動きを掌握してきた彼女の頭脳が、その言葉が意味する『莫大な富と覇権』を一瞬で計算し、そして戦慄した。
「そ、そんな馬鹿げた輸送力が実現すれば……西側諸国の物流、そして金の流れは完全に一変するわよ。というより、そのネットワークのハブになる国が、世界の経済を文字通り完全に支配できるじゃないの……!」
「左様です。そして未来のリムル殿は、その途方もない物流網を、この時間軸においては『より早く』実現させたいとお考えのようです」
エラルドはエルメシアの驚愕に頷きつつ、さらに重要な『隙』について付け加えた。
「しかし……構想と知識はあれど、今の時点のテンペストには、それを実現するための『技術者』が圧倒的に足りていない。リムル陛下は、未来のご自身がそう憂いていたと仰っておりました」
「技術者が、足りない……」
エルメシアは扇子をパチンと閉じた。
「エラルド。それ、私たちが食いつくとわかった上で置いていった話よ」
「……と、仰いますと?」
「サリオンには魔導科学の技術者が腐るほどいる。技術者が足りないと聞かされて、黙って見ていられるわけがないでしょう? 相手は未来を識っているのよ。こちらがどう動くかまで織り込んだ上で、貴方に聞かせたに決まっているじゃない」
「で、では……我々は掌の上で踊らされていると?」
「甘いわねえ」
エルメシアは呆れたように首を振り、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、先程までの気だるげな色は微塵もない。
そこに宿っていたのは、一国の主として、そして誰よりも利益に敏い為政者としての、爛々と輝く強烈な野心だった。
「踊らされているかどうかが問題なんじゃないの。乗った先で、こちらが何を取れるかが問題なのよ」
「……っ」
「いい、エラルド。私たち長命種はね、目先の損得ではなく、百年先に何が残るかで判断するものなの。……その魔導列車とやらが本当に実現したなら、物流の中心になった国が世界の経済を握る。そこに『最初から関わっていた』という実績が、どれほどの重みを持つかわかる?」
エラルドは息を呑んだ。
利益の大小ではない。誰が最初にその卓に着いたのかという一点が、この先百年の力関係を決めてしまう。
「そういうことよ。だからこれは、相手の思惑がどうであろうと乗るしかない話なの。……むしろ、乗らない方が愚か」
エルメシアは目を輝かせ、即座に大国の主としての決断を下した。
「エラルド、今すぐ動くわよ! 我が国の最高峰の魔導技術者たちと、線路や駅の工事に必要な人員を早急に編成しなさい。第一陣として、まとめてテンペストへ送り込むわ!」
「て、天帝陛下自ら、そこまでの即断を……!? まだ相手は魔王になったばかりで、西側諸国での立ち位置も不透明な魔物の国ですぞ!?」
「心配し過ぎよ、エラルドちゃん」
エルメシアはくすりと笑い、扇子の先で軽くエラルドの胸元を小突いた。
「もたもたしてたら、武装国家(ドワルゴン)のガゼル坊に美味しいところを全部持っていかれるに決まってるじゃない。人員の派遣費用なんて、後から手に入るものに比べたらタダみたいなものだわ」
「……っ!」
国家のトップとして、誰よりも速く、誰よりも正確に利益を嗅ぎ分ける圧倒的な嗅覚。
エラルドは反論の余地もなく、ただただ感服して首を垂れるしかなかった。
「分かったら、大急ぎで人員を掻き集めてテンペストにとんぼ返りしなさい! その未来のリムルとやらが他の国に手回しする前に、絶対にウチとの共同開発の契約を勝ち取ってくるのよ!」
*
「……という陛下の矢の如き勅命を受け、私は大急ぎで我が国の誇る魔導技術者と工事人員の編成を行い、そのまま彼らを引き連れてテンペストへと舞い戻ってきた……という次第なのです」
エラルド公が深いため息と共に回想を終え、応接室に静寂が戻った。
「……なるほど。迎賓館に控えてるあのとんでもない大所帯は、サリオンが送ってきた『魔導列車』の技術者と工事関係者ってわけか」
過去の俺が、半分呆れたような、半分感心したような声で呟く。
「左様でございます。……正直なところ、私も陛下のあまりに早すぎる決断には肝を冷やしましたが……未来のリムル殿。これは貴方様が我が国に対して投げかけた、『協力要請』という理解でよろしいのですね?」
エラルド公が、今度は一切の油断を見せない、鋭い大国の外交官の目つきで俺を真っ直ぐに見据えた。
未来の知識を利用し、意図的にサリオンの技術力を引き摺り出した完璧な政治的誘導……と、エラルド公や天帝エルメシアは完全にそう思い込んでいるようだが。
当の俺はといえば、呆れたように深いため息を吐き、隣に座っている過去の俺へとジト目を向けていた。
(……おい過去の俺。お前、あの会議でそんなことまで喋ってたんだな)
『うっ……。い、いや、話の流れでつい未来の話で盛り上がっちまってさ。「未来じゃ魔導列車ってのが走っててな」って……』
(技術者が足りないってボヤいたのも、お前だろ)
『……まさかそれが本国の天帝にまで筒抜けになって、技術者を丸ごと引き連れて戻ってくるとは思わないだろ普通!』
完全に口が滑っただけである。
それが超大国の天帝の耳に入り、深謀遠慮な戦略的誘導として勝手に解釈された挙句、最高峰の技術者団まで編成されてしまったのだ。
(……まあ、結果的に俺の歴史より遥かに早く話が進んだんだ。良しとするか)
内心で頭を切り替え、俺はこちらの返答を静かに待っているエラルド公へと向き直った。
慌てて話を合わせにいく――などという無様な真似はしない。さも最初から計算尽くであったかのように、鷹揚に頷いてみせる。
「そう捉えていただいて構いません。ただし――」
俺はあえて声のトーンを落とし、大国の公爵へ向けて為政者としての真剣な眼差しを向けた。
「俺の歴史でもそうでしたが、この魔導列車の開通は、テンペストとサリオンの二国間だけで完結するような小規模な事業ではありません。いずれは西側諸国全体が深く関わってくる、世界規模の一大プロジェクトになります。……ですが、最初から無計画に全てを繋ぐわけではありません」
俺はエラルド公の目をしっかりと見据え、今後の明確な道筋を提示した。
「まずは俺の歴史通りの順番で、早急に武装国家ドワルゴン、魔導王朝サリオン、ミリムの支配領土、そしてブルムンド王国とファルムス王国……これらを繋ぐ強固な基幹網(ネットワーク)を構築する必要があると考えています」
「なるほど。まずは確かな同盟国や、影響下にある主要拠点を優先して結ぶ、と」
「ええ。サリオンにはその中核となる技術開発と初期工事の要を担ってもらいたい。そこから先の西側諸国への路線拡大については、その時の情勢や、我々に対する各国の動向を見て、繋ぐ国の優先順位を慎重に判断していきたいと考えています」
無条件に恩恵を与えるのではなく、テンペストとの関係性に応じて段階的にインフラを広げていく。
俺の言葉を聞き、エラルド公は数秒の沈黙の後、深く、そして力強く頷いた。
「……承知いたしました。まずは確固たる経済圏と物流網を確立し、その圧倒的な利便性をもって西側諸国の情勢をコントロールしていく戦略ですね。流石は真なる魔王にして、未来を識る御方。その現実的かつ深謀遠慮なる計画、我が国の天帝陛下にもしかとお伝えいたします」
エラルド公が恭しく頭を下げたのを見届け、過去の俺がリグルドへと向き直った。
「当面の方針はこれで決まりだな。リグルド、サリオンから来てくれた人員の割り振りを頼む。魔導科学の技術者たちはラミリスに引き継いで、迷宮内に設ける研究所へ案内してやってくれ。それから、工事のための人員は、街道整備と今後の鉄道敷設を担当する責任者たちへ取り次ぐように指示を出してくれ」
「ははっ! 承知いたしました。至急、受け入れの手配を進めさせていただきます!」
リグルドが力強く頷き、迅速に指示を遂行するべく応接室を退出していく。
その背中を見送ってから、過去の俺は再びエラルド公へと視線を向けた。
「エラルド公。サリオンからの急なとんぼ返りで、さぞお疲れでしょう。人員の引き継ぎはこちらで責任を持って進めておくので、折角なので今日はうちの宿泊施設でゆっくり疲れを癒してからお帰りになられたらどうでしょう?」
「おお……それはありがたいご提案です。では、お言葉に甘えて本日はゆっくりと羽を伸ばさせていただくことにいたしましょう。……何せ、陛下に急き立てられて、文字通り休む間もなく飛んでまいりましたので」
エラルド公は少しだけ苦労人としての顔を覗かせ、深く安堵の息を吐き出した。
俺は表情を変えることなく、ただ静かにそのやり取りを見守っていた。
*
――西側諸国の辺境に位置する小国、シルトロッゾ王国。
大国の目が届かぬこの地には、西側諸国で最高の腕前を誇る諜報機関――シルト対外情報局の隠れ家がある。
構成員はBランク以上の精鋭のみ。他国の工作員が侵入することなど不可能なその一室こそが、西方諸国を裏から牛耳るロッゾ一族が密談を重ねる場所であった。
「マリアベル様……西側諸国における我々の商会や裏の流通ルートが、ここ数日で立て続けに何者かによって潰されております。それに、評議会における工作も、事前に根回ししていたはずの議員たちが急に我々に反発し始めるなど、不自然な動きが相次いでおりまして……っ」
評議会の五大老が一人、ギャバンが額に脂汗を浮かべながら焦燥に駆られた声で報告を上げる。
その向かいに座る初老の男――同じく五大老の一角にして、ロスティア王国の公爵ヨハン・ロスティアもまた、極めて険しい表情で顎を撫でた。
「私の領地でも同様だ。我々の勢力圏内で、明らかに意図的で組織立った『妨害』が多発している。それも、我々の経済支配の急所や、決して表には出していないはずの暗部を的確に突いてくるような……不気味なほどの正確さでな」
「ヨハン殿の領地はまだ体面を保っておられるようで結構なことだ。こちらは評議会の足元から崩されておりますのでな」
ギャバンが皮肉げに漏らすと、ヨハンがジロリと鋭い視線を返した。
「言うではないか、ギャバン殿。そもそも評議会の締め付けが甘いから、商会どもが日和見を始めるのだ」
険悪な空気が漂いかけたところで、豪奢な椅子に深く腰掛けていた金髪の愛らしい少女――マリアベル・ロッゾが、クスリと小さく笑った。
「まあまあ。……そうね、ギャバンの言う通り、評議会の掌握が緩んでいるのは事実なのよ。ヨハン、貴方も人のことは言えないけれど」
どちらの肩も持たず、どちらにも小さな棘を刺す。
五大老同士を決して結束させず、常に自分だけを見上げさせておく。それがこの少女の、幼い頃から変わらぬ手綱の握り方だった。
「して、ファルムスの件はどうなっているのかしら」
「それが……どうにも、報告が錯綜しておりまして」
ギャバンが困惑したように眉を寄せた。
「暴風竜の威容に恐れをなし、一戦も交えることなく逃げ帰ったという者もあれば、一度は全滅したのだと喚く者もおります。当のエドマリス王は後者を主張しているようですが、まともに取り合う貴族はおりません。……いずれにせよ、我々の間者からの詳報が、なぜかこちらへ上がってこないのです」
「……使えないのよ」
マリアベルが不機嫌そうに吐き捨て、苛立たしげに手元のティーカップをカチャリと鳴らした。
ロッゾの誇る情報網に、まるで目の細かい布でも被せられたかのように霞がかかっている。それこそが、彼女の苛立ちの根源だった。
「ただの妨害じゃないの。完全に私たちの『目』を掻い潜って、ロッゾの資金源と影響力そのものを的確に削ぎ落としに来ているのよ」
マリアベルの持つユニークスキル『強欲者(グリード)』をもってしても完全に掌握しきれない、変幻自在にして悪辣な妨害工作。
その実行犯の正体に、マリアベルはすでに明確な目星をつけていた。
「『中庸道化連』……。本来なら自由組合のユウキ・カグラザカと繋がっていたはずのあのピエロ共が、どういうわけか魔国連邦(テンペスト)――あの新興の魔王リムルと裏で手を結び、私たちロッゾの勢力圏を直接狙い撃ちにしてきているのよ」
「なっ……あの得体の知れない道化共が、テンペストと手を結んだと!? しかし、誕生したばかりのスライムの魔王が、我々ロッゾの暗部をここまで正確に把握できるものか? まるで、我々の手の内や組織図を『最初から全て知っている』かのような……」
ヨハンが信じられないというように唸る。
「それに……ユウキ・カグラザカ。あの子も、どういうわけか私と会おうとしないのよ」
マリアベルの声に、初めて明確な苛立ちが混じった。
ヨハンを通じて幾度も密談の席を設けさせたが、そのたびに尤もらしい理由をつけて先延ばしにされている。組合の急務、地方の視察、体調不良――どれも不自然ではない。不自然ではないからこそ、不気味だった。
(……あと二度、いえ一度でも近くで話す機会があれば、あの子の欲望を私の色に染め上げられるのに)
会話できる距離でなければ、彼女の『強欲者』は真価を発揮しない。
まるで、その一点だけを正確に知り尽くしているかのように避けられている。
「まるで、私の手が届く距離を測って逃げているみたいなの。……ねえ、ヨハン。あの子、誰かに何か吹き込まれたんじゃないかしら?」
「ま、まさか。ユウキは我々の資金なくしては立ち行かぬ身。裏切る理由がございません」
「そうね。理由はないの。……理由はないはずなのよ」
マリアベルはスッと立ち上がり、ギリッと奥歯を噛み締めた。
愛らしい少女の顔には、その容姿に全く似つかわしくない、底なしの支配欲と冷酷な計算が渦巻いている。
「そもそも、あの魔王は私たちの土俵に土足で上がり込んできたのよ。西方諸国評議会への加盟を望むということは、私たちの狩場を荒らすという宣戦布告に他ならないの」
金本位制を廃し、各国に独自の通貨を持たせる。その為替の価値を決定するのは評議会――すなわち五大老の意思。
弱小国には重税を課すか、魔物退治という名の兵役を担わせ、合法的に強国の従属国家としていく。
ここ数年で、その下地は完璧に整いつつあったのだ。
「ルールを決める側に立つ者は、常に一つの勢力でなければならないのよ。西側諸国はロッゾのもの……そう、このマリアベルのものなのよ! それを、ぽっと出の魔王や裏切りのピエロ共なんかに好き勝手に奪われるなんて、絶対に許さない……。徹底的に潰して、その全てを私の手中に収めてやるのよ」
絶対的な支配者として君臨してきたロッゾの基盤を揺るがす、見えない侵略。
マリアベルの瞳に明確な『殺意』が宿ったのを確認し、ヨハンとギャバンは居住まいを正した。
「……して、マリアベル様。あの忌々しい魔王の国に対し、いかように対処なさるおつもりで?」
ヨハンの問いかけに、マリアベルは冷たい笑みを浮かべ、作戦の第一段階を語り始めた。
「第一手は、表のルールと圧倒的な財力を用いた『完全包囲網』の構築なのよ」
マリアベルは、その可憐な唇の端をひん曲げるようにして吊り上げた。
「完全包囲網、でございますか。しかしマリアベル様……」
ギャバンが少しばかり戸惑ったように口を挟む。
「先ほど申し上げた通り、ファルムスの件は報告が定まっておりません。少なくとも、魔王側からの積極的な虐殺や侵略があったという確証はない。表立って糾弾するには、少々決定打に欠けるのでは?」
その懸念に対し、マリアベルは冷酷に鼻で笑い飛ばした。
「莫迦ね。確証がないからこそ、『暴風竜が復活し、魔物の国に居座っている』という誰にでも見える事実だけを最大限に利用するのよ」
「と、仰いますと?」
「『新興の魔王リムルは、人類最大の厄災である暴風竜を抱え込み、西側諸国を力で脅かしている』と大々的に宣伝しなさい。ファルムスの大軍すら戦わずして逃げ出すほどの怪物を野放しにしている国なんて、いつ爆発するかわからない爆弾と同じなのよ。テンペストと取引をする商会は、人類の脅威に加担する裏切り者として評議会から追放し、全財産を没収するよう法案を通すの」
マリアベルの狙いに気づき、ギャバンはハッと目を見開いた。
「なるほど……! 実際に何が起きたか分からずとも、『未知の厄災に対する恐怖』を煽り立てることで、テンペストを不当な脅威として西側から孤立させるのですね」
「その通りなのよ。あそこは魔物の国とはいえ、人間の商人との取引を望んでいる。そこを法と恐怖で断ち切り、逆らう商会はロッゾの権力で徹底的に干し上げるわ。……そしてヨハン」
マリアベルは今度はヨハンへと鋭い視線を向けた。
「貴方はロスティアの隠し資金を惜しみなく投入して、道化共に奪われかけている裏の流通ルートを力技で買い戻しなさい。多少の出血は構わないの。ロッゾの圧倒的な資金力で、奴らの工作網を金で押し潰すのよ」
「御意に。このヨハン、ロッゾの財力と誇りにかけて、必ずや奴らの侵食を食い止めてみせましょう」
二人の重鎮が力強く頷くのを確認し、マリアベルは満足げにティーカップを手に取った。
「まずはこれで、奴らの経済的な急所を塞ぎ、西側諸国への影響力を遮断する。……でも、これだけじゃただの嫌がらせ、せいぜい時間稼ぎにしかならないの。あの目障りなスライムを確実にこの世から消し去り、その富をロッゾのものにするためには、もっと直接的で、圧倒的な『暴力』をぶつける必要があるのよ」
一口だけ紅茶を含み、マリアベルは底冷えするような笑みを深めた。
「評議会の裏で、もう一つの強力な駒を動かすわ。――作戦の第二段階なのよ」
「作戦の第二段階。……それは、神聖法皇国ルベリオスの最強の矛、『聖騎士団(クルセイダーズ)』をあのスライムにぶつけることなのよ」
マリアベルの言葉に、ヨハンとギャバンは息を呑んだ。
「聖騎士団を!? しかしマリアベル様、彼らを率いるのはあのヒナタ・サカグチです。彼女は極めて優秀ですが、それゆえに他者の操り人形になるような女ではありません。我々の息のかかった者を動かしたところで、容易に看破されるのでは……」
「正面から動かそうとしても無駄なのよ。でも、彼女の『人類を守るという義務感』、そして『過去の恩』を利用すれば話は別だわ」
マリアベルが妖しく微笑んだ、その時だった。
「その通りだ、マリアベル」
重厚な扉が静かに開き、威厳に満ちた低い声が部屋に響き渡った。
そこに立っていたのは、見事な白髪と深い皺に歴戦の覇気を宿した一人の初老の男。
ロッゾ一族の真の首領であり、マリアベルにとって血を分けた祖たるグランベル・ロッゾその人であった。
「グ、グランベル様!」
ヨハンとギャバンが慌てて立ち上がり、最敬礼で迎え入れる。
グランベルは鷹のように鋭い眼差しで二人を一瞥すると、ゆっくりと部屋の中心へと歩みを進めた。
「ヒナタ・サカグチの誘導は、私が直々に行おう」
「御爺様が……?」
マリアベルが目を輝かせると、グランベルは静かに頷き、その瞳に冷酷にしてノスタルジックな光を宿した。
「ルベリオスの暗部、『七曜の老師』……その長たる『日曜師グラン』としての顔を使わせてもらう。あやつがルベリオスに身を寄せた頃、私は師として武を教え導いた。ヒナタは頑固だが、それゆえに過去の恩義や義理に縛られやすい」
グランベルは、かつての愛弟子が持つ精神的な「隙」を完全に把握していた。
「あやつの持つ人類守護の責任感に、暴風竜という強大な脅威の存在。そして何より、かつての師からの『忠告』……これらを巧妙に組み合わせ、偽りの情報を真実として吹き込んでやればいい。そうすれば、ヒナタは自らの意志と正義感で、必ずやテンペストへと進軍する道を選ぶだろう」
かつての師弟関係という、ヒナタにとって最も不可侵な信頼を利用する冷酷な采配。
それこそが、過去のリムルが危惧し、未来のリムルがすでにルミナスとの会談で先手を打とうとしている『七曜によるヒナタへの情報操作』の全貌であった。
「素晴らしいわ、御爺様! ヒナタと聖騎士団がテンペストと衝突すれば、いくら魔王とはいえ無傷では済まないの。私たちが経済で首を絞め、ルベリオスが物理的に息の根を止める……完璧な挟撃なのよ」
「ああ。だが、相手はファルムス軍を退け、真なる魔王へと至った不穏な存在だ。万が一、ヒナタが後れを取るようなことがあれば、厄介な事態になる」
グランベルは深い皺に刻まれた目を細め、自らの傍らに視線を落とした。
「念のため、私の愛剣である『トゥルーノース』の手入れも済ませておくとしよう。あの新興の魔王が我々の支配システムをこれ以上破壊し続けるというのであれば、最終的には、この私が直接切り伏せる必要が出てくるやもしれんからな」
「ふふ。頼もしいのよ、御爺様。……でも、それでもまだ足りないというのなら」
マリアベルは可憐な唇に指を添え、うっとりと目を細めた。
「その時は、私が直接あの魔王に会いに行くのよ。……たとえ相手が魔王であろうと、私の『欲望』で染め上げてしまえば、あとはどうとでもなるのだから」
ロッゾの真の首領と、強欲の化身たる少女。
二人が放った重く冷たい決意は、魔国連邦(テンペスト)に対する明確な宣戦布告であった。
自身の手の内で世界が回っていると信じて疑わないロッゾの支配者たち。
彼らはまだ知らない。
自分たちが盤面の上で動かそうとしている駒の動きすらも、未来から来た一匹のスライムによって、すでに完全に読まれているという事実を。