【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
その後、装置の再解析が行われた。
結果は、以前と何ら変わらなかった。八割は解ける。残りは不明。
だが、状況は決定的に変わっていた。実際に入った者がいて、そして無事に戻ってきたのだ。それも、この世界の頂点に立つ竜種が。
「……まあ、なんだ。少なくとも、出られないってことはねえんだな」
ディーノが気の抜けた顔で頭を掻き、椅子に体を沈め直した。ようやく肩の力が抜けたような、そんな仕草だった。
「うむ! 我が身をもって証明したであろう!」
胸を反らすヴェルドラに、研究者たちから遠慮がちな拍手が起きる。
「しかしまあ、これは大発見でありますぞ! 過去を追体験できる装置など、前代未聞であります!」
「うむ、実に興味深いのう。ワシとしては、解明できぬ残りの術式が気になって夜も眠れんわい」
「ガドラ殿、貴方はそもそも眠らんでしょうが」
「言葉の綾じゃ、細かい男じゃな」
熱に浮かされた議論が再開する。張り詰めていた空気は、もうどこにも残っていなかった。
俺はというと、正直なところ複雑な心境だった。
(シエル。今の話を聞いて、どう思う)
《危険性の評価は、変わっておりません。記憶の欠落は、装置による意図的な干渉です。竜種に対してそれが可能である以上、他の何者に対しても可能と考えるべきです》
即答だった。この相棒は、周囲の空気に流されるということがない。
(……だよな)
《ただし》
シエルは、そこで言葉を継いだ。
《使用者が自力で帰還したという実績は、無視できません。装置には明確な終了条件が存在し、それは遵守されました。この点については、評価を改める必要があります》
(つまり、危険ではあるが、閉じ込められはしない、と)
《現時点では、そう判断せざるを得ません》
厄介な結論だった。危険であることは間違いないが、致命的だという証拠もない。
(まあ、封印しちまえば済む話だけどな)
そう考えていた。この時までは。
*
そして、翌日。
「アタシもやりたい!」
執務室に飛び込んできた妖精女王の第一声が、それだった。
「駄目だ!」
「まだ何も言ってないじゃん!?」
「言われる前から分かる。駄目だ」
「なんでよー!」
机の上に着地したラミリスが、腰に手を当てて頬をぱんぱんに膨らませる。羽根が苛立たしげに小刻みに震えていた。
「師匠は良くてアタシは駄目とか、そんなの不公平じゃん!」
「あいつも駄目だったに決まってるだろ! ただ、事後承諾で押し切られただけだ」
「じゃあアタシも事後承諾でやるもんね!」
「それは本当にやめろ!」
こいつならやりかねないから怖い。俺は書類を脇へ寄せ、椅子に座り直した。ここは頭ごなしに叱っても意味がない。
「なあ、ラミリス。落ち着いて聞いてくれ。あの装置は、まだわからない部分が多いんだ。俺にも読めない。それがどういうことか、お前なら分かるだろ」
「……分かるけどさ」
「危ないんだよ」
「でも師匠は無事だったじゃん」
「一人無事だったからって、次も無事とは限らない」
「じゃあさ」
そこでラミリスは、ふと動きを止めて小首を傾げた。
「何回試したら、いいの?」
言葉に詰まった。痛いところを突かれた、というより、根本を突かれたのだ。
何回試そうが、「絶対に安全」には辿り着かない。二割が読めない以上、安全性の証明は永遠に完成しない。十回試して無事だったとして、それが十一回目の保証になるか。ならない。つまり俺は、「いつまで待てば良いのか」という問いに、永久に答えられないのだ。
(くそ、こいつたまに鋭いんだよな)
「ラミリス様。恐れながら、ワレは反対いたします」
そこへ、鋭い声が割り込んだ。ベレッタである。
「本装置については、未解析領域が二割存在いたします。加えて、ヴェルドラ様の記憶が欠落していたという事実も判明済みです。安全とは到底申せません」
「うぐっ。ベレッタ……」
「ワレは既に二度、進言を退けられております。三度目も同じであるならば、ワレは従者としての職務を果たせておりません」
普段は感情を排した声に、明確な硬さがあった。
俺は少しばかり驚いた。ここまで踏み込んでくるのは、そう多いことではない。
「ベレッタ。お前、随分と強く出るんだな」
「当然です」
ベレッタは、こちらへ向き直った。仮面の下の表情は見えないが、その声には一切の迷いがない。
「リムル様。ワレの職務は、ラミリス様をお守りすることです。あの装置が主の身に何をもたらすか、ワレには判断がつきません。であれば、反対する以外にございません」
「……ああ、その通りだと思うよ」
正論だ。しかも俺と同じ立場だ。
これで反対は二人。ならば、話はここで終わりのはずだった。
「クアーッハッハッハ! 何を辛気臭い顔をしておる!」
そこへ、実に気楽な声が割り込んだ。ヴェルドラである。
「案ずるな、リムルよ。現に我は、こうして無事に戻ってきたではないか。同じ装置に、同じ手順で入るのだぞ。何を恐れることがある」
「お前が無事だったからって、ラミリスもそうとは限らないだろ」
「ふん。あやつとて迷宮の主だぞ? あの装置は、あやつの縄張りの中で拾われたものだ。……なあラミリス、貴様も行きたいのであろう?」
「行きたい!」
「そら見ろ。決まりではないか」
(……こいつ)
無責任極まりない。だが、実際に入って戻ってきた唯一の当事者に言われると、こちらの反論が一段弱くなるのも事実だった。
「師匠! さっすが分かってる!」
ラミリスが飛び上がってヴェルドラの肩に着地し、二人は揃って得意げに胸を反らしている。
「ヴェルドラ様。恐れながら、それは根拠になりません」
ベレッタが即座に切り込んだが、当の竜は聞いていない様子で高笑いを続けていた。
そして、ここでもう一人、名乗りをあげる者がいた。
「わたくしは、ラミリス様のお考えに賛成いたしますわ」
そう言って進み出たのは、トレイニーさんだ。
「ちょ、トレイニー!? なぜです。貴女ほどの者が、この状況で賛成すると?」
ベレッタが珍しく声を上げる。淡々とした口調が、僅かに乱れていた。
「わたくしとて、危険がないとは申しませんわ。未解析の領域。ヴェルドラ様の記憶の欠落。いずれも軽視できるものではございません。それは重々承知しております」
トレイニーさんは、静かにそう言った。
「では、なぜ」
「ラミリス様は、この迷宮の主にあらせられます」
彼女は、真っ直ぐにベレッタを見た。緑の髪が僅かに揺れ、その瞳には一片の迷いもない。
「この迷宮で起きたことは、全てラミリス様の責に帰するもの。……それを他者に委ねよと申し上げるのは、あの方の誇りを損なうことではございませんか」
「誇り……」
「わたくしは長く生きてまいりましたが、ラミリス様ほど御自身の役目に忠実な方を存じません。あの方は、小さきお身体で迷宮を創り、守り、幾度も危機を退けてこられました」
トレイニーさんの声には、揺るぎない確信があった。
「ならばわたくしの務めは、あの方が果たそうとなさることを、お支えすることですわ。……それはあなたも同じではありませんか?」
その一言に、ベレッタが黙り込んだ。
(──なるほどな)
俺は、内心で唸っていた。
トレイニーさんは、ラミリスの言う事にただ迎合しているわけではない。危険性も理解している。その上で、「主の意思を支える」ことを職務と定めているのだ。
ベレッタは「守ること」を職務とし、トレイニーさんは「支えること」を職務とする。同じ忠誠から、正反対の結論が出ている。そしてどちらも、間違ってはいない。
「……あの、リムル様。その、研究者としての立場から、一つだけ申し上げてもよろしいでしょうか」
そこへ、恐る恐るといった様子でベスターが手を挙げた。
「なんだ」
「二例目のデータが、欲しいのです」
(……そうか。こいつもこういうやつだったな)
「ヴェルドラ様の事例は、あくまで一例に過ぎません。装置の挙動が使用者によって変化するのか否か、それすら我々には分からないのです。……このまま封印するという判断も、当然あり得ます。ですが」
「ですが?」
「封印したところで、分からないままである、という事実は変わりません」
正論だった。腹立たしいことに。
「ワシも同意見ですじゃ」
追い打ちをかけたのは、ガドラである。杖を突き、皺だらけの顔をこちらへ向けた。
「リムル様に反対意見を申すなど大変申し訳ないのですが、ワシはあの術式が読みたい。……いや、それだけではありませんぞ。読めぬ術式が存在するという事実そのものが、この世界の理解に穴が空いておるという証拠なのです。穴を放置したまま、我々が学問を名乗るわけには参りませぬ」
その目は、真剣そのものだった。
(うっ)
こういう時のこの爺さんは、妙に説得力があるから困る。
こうして議論は過熱していった。
*
結論から言おう。俺は、押し負けた。
情けない話だが、事実だった。決定打になったのは、ラミリス自身の一言だった。
「アタシさ、迷宮の主じゃん」
散々騒いだ後で、彼女は不意に静かな声になった。羽根の動きが止まり、机の上にちょこんと降り立つ。
「あの装置、アタシの迷宮の中にあるんだよ。アタシの縄張りの中にさ」
「……ああ」
「だったら、アタシが調べなきゃいけないと思うんだ」
小さな妖精は、真っ直ぐにこちらを見上げていた。
「リムルが心配してくれてるのは、分かるよ。でもさ、せっかく皆で何年もかけた調査の結果なんだから、最後までしっかりと調べないと皆が可哀そうだよ。それに、アタシはこの研究所の実質的な所長だからね!」
「……ラミリス」
「それに! いざとなったら無敵のリムルがなんとかしてくれるでしょ!」
(……こいつ)
そう言われると弱い。というか、そこまで信用されてしまうと断りにくい。
だがそれ以上に、俺は気づいてしまったのだ。
こいつは今まで、周囲の皆の頑張りを一番近くで見てきた。数年がかりの計画も、失敗続きの試作も、全部見ていたのだ。その努力に報いてやりたい──そういう気持ちが、言葉の端々から伝わってきた。
(……まったく、たまにこういうところを見せるから困る)
「──分かった」
俺は、深く息を吐いた。
「やっていい。ただし、条件がある」
「やった!」
「喜ぶなよ。まだ、あくまで条件を付けただけだぞ」
跳ね回るラミリスを片手で制していると、傍らから静かな声がかかった。
「……リムル様。ワレはリムル様の判断を尊重いたします」
「ああ。いつも苦労をかけて悪いな、ベレッタ」
こうして、ラミリスを過去の世界へ送るための準備がはじまった。
*
俺が出した条件は、二つだった。
「一つ。装置の中と同じ速さで時間が流れる部屋を作る」
「……はい?」
ベスターが、間の抜けた声を出した。
「中の一年が、外の一日なんだろ? なら、その比率に合わせた区画を用意する。何かあった時、そこへ踏み込めば、中と同じ速さで動けるようになる」
「そ、それは……理論上は可能かもしれませんが、しかし」
そこに割って入ったのは、ラミリスだった。
「リムルにかかればそんな事朝飯前だよね!」
「簡単に言ってくれるな。俺だって無理なことくらい……」
《可能です》
(可能なのかよ!)
《位相の固定は、既に迷宮の階層制御で実証済みの技術です。これにラミリスの権能を組み合わせれば、特定区画の時間流を任意の比率へ調整することは可能かと》
(……いや、簡単に言うけどな)
《マスターであれば造作もないことです》
(お前が全部やるんだろ、それ)
《当然です》
胸を張られている気がした。実際、こいつが乗り気なら話は早い。
「まあ、なんとかなるだろうな」
俺がそう言った途端、ラミリスが「ほらね!」と得意げに胸を反らした。
(……こいつ、最初から俺を当てにしてたな)
「なぜ、そのような部屋が必要なのですか」
ベレッタが問うた。
「異変があった時に、すぐ動けるからだ。こっちの一日は、中じゃ一年だぞ。何かあってから気付いたんじゃ、手遅れになる」
「……なるほど。外の一時間が、内では半月に相当いたしますな」
ベレッタが即座に計算する。この手の換算にかけては、この場の誰よりも速い。
「その通りだ。俺たちが『ちょっと様子を見よう』なんて言ってる間に、中じゃ月単位で時間が過ぎる。それじゃ話にならん」
「では、我々は常時その部屋に詰めるのですな」
ベスターが記録板を構えたが、俺は首を振った。
「いや、そこは切っておく」
「切る、と申しますと」
「考えてもみろ。中でラミリスが数年過ごすなら、同期した部屋に詰めてる連中も数年そこにいることになる。飯はどうする。仕事はどうする。……ベスター、あんたが何年もこもってる間に、魔導列車の路線がどうなってるか想像してみろ」
ベスターの顔が、みるみるうちに青くなった。
「……なるほど。外では数日でも、我々にとっては数年ということですか」
「そういうことだ。だから普段は等速で回す。装置が吐き出してる情報は、こっちで全部拾って残しておけばいい。それを後から見る分には、誰も歳を取らずに済む」
「では、時間同期はいつ使われるのですか」
「異変があった時だけだ。そのために作る」
言いながら、俺は自分の言葉に頷いていた。
使わずに済むならそれが一番いい。だが、いざという時に「今から作ります」では間に合わないのだ。備えというのは、そういうものだった。
「二つ。中の様子を投影する」
「投影、ですと?」
「解析できた分のデータを使えば、装置が処理してる情報の一部は外から拾えるはずだ。完全な再現は無理でも、何も見えないよりは遥かにマシだろ」
「えっ、アタシの姿を見られるの!?」
ラミリスが飛び上がった。
「やだやだ! 恥ずかしいんだけど!」
「恥ずかしがってる場合か」
「だってさー!」
抗議を無視して、俺は続けた。
「一番利点が大きいのは、研究者達全員で動向を追えるという点だ。生命反応、魔素の循環、魂の状態。全部を数値で追う」
「条件は、その二つだ」
言い切ってから、俺はラミリスを見下ろした。
「……ただし、先に言っておくことがある。中でお前に何かあっても、俺には引っ張り出せない。ヴェルドラの時に自分で試して、駄目だった」
ラミリスの羽根が、ぴたりと止まる。
「え。……じゃあ、その部屋作っても意味なくない?」
「同じ時間でお前の動向を追えるようにはなる。それだけだ。手が届くかどうかは、また別の話だからな」
「うわ、正直だね」
「嘘ついて入らせるわけにはいかないだろ」
それでも、と俺は続けた。
「見つける。中で何が起きてるか分かれば、打つ手も見えてくるはずだ。……それでも、行くか?」
ラミリスはしばらく黙って俺を見上げていた。それから、にやりと笑った。
「リムルってさ、なんだかんだ言ってアタシのこと心配してくれてるじゃん」
「当たり前だろ」
「えへへ」
「……ラミリス様」
その傍らで、トレイニーさんが感極まったように手を組んでいた。
「ご自身の迷宮のために、危険を顧みず先陣を切られるとは……わたくし、あらためて誇らしく思いますわ」
「そ、そう? えへへ、まあね!」
「褒めるな。調子に乗るだろ」
*
その後、準備には一か月ほどを要した。
最も難儀したのは、やはり時空位相同期観測室、通称『時間同期室』だった。
ラミリスが階層の位相を調整し、そこにシエルの演算を噛ませて、装置内部と同じ流速を再現する。理屈としては単純だが、実際にやってみると微調整の連続だった。
「もうちょいこっち! あー違う、行き過ぎた!」
「ラミリス様、そこはもう少し慎重に──」
「うるさいなー、アタシの迷宮なんだからアタシが一番分かってるの!」
(……本当に大丈夫かこれ)
不安になりつつも、三日目にはどうにか形になった。
《内部一年に対し、外部一日。誤差は許容範囲内です》
(上出来だ)
もっとも、この部屋は普段、扉を閉じたまま眠らせておくことになる。同期を切っておけば、ただの空き部屋と変わらない。使う日が来ないことを祈りつつ、それでも作っておく。そういう類の備えだった。
投影装置の方は、カイジンとサリオンの研究者たちが担当した。
「旦那、こいつぁ思ったより上手くいったぜ」
作業台から顔を上げたカイジンが、油に汚れた手を布で拭いながら珍しく満足げに言った。
「最初は映像の断片が拾えりゃ御の字だと思ってたんだがな。解析できてる部分のデータが思ったより素直でよ、音まで引っ張り出せそうだ」
「マジか」
「サリオンの連中が張り切っちまってな。あいつら、映像術式にかけちゃ本職なんだよ」
なるほど、餅は餅屋というやつか。
作業台の上では、磨き上げられた水晶板が薄い光を返していた。映像水晶を幾重にも重ね、位相の調整機構を噛ませた代物らしい。
(……要するに、モニターだな)
前世の言葉が、するりと頭に浮かんだ。この連中に言っても通じないだろうが、そう呼んだ方が俺には分かりやすい。
「ですが、完全とは申せません。装置が構築している世界の情報を、我々の術式で翻訳しているに過ぎませんので。多少の遅延や欠落は生じるかと」
サリオンの研究者が慎重に付け加えた。
「それでも十分すぎるよ。よくやってくれた」
観測体制は、ベスターとガドラが編成した。
各国の研究者が交代で詰め、超克者たちが数値の記録を担当する。ベレッタが全体の記録を取り、樹妖精(ドライアド)たちが区画の維持を担う。投影は記録として残し続け、それを観測室で追う形とした。装置の中では一年が過ぎていても、こちらで見る分には数時間で足りる計算になる。
ヴェルドラとディーノにも同席してもらうことにした。前者は当事者だからであり、後者は空間把握の専門家だからだ。ゼギオンは警備として残り、カリスはヴェルドラに付き従っている。アダルマンは「私も是非!」と食い下がってきたが、階層の守りがあるので断った。
「……で、俺は何をすりゃいいんだ」
「見てろ」
「それだけ?」
「それだけだ。ただし、少しでも違和感があったら即座に教えてくれ」
「へいへい」
気の抜けた返事だったが、こいつがこういう時に手を抜かないのは知っている。
そして、すべての準備が整った夜。ついに、ラミリスが装置に入り込むこととなった。
*
装置の縁に立ったラミリスは、意外なほど落ち着いていた。
「じゃ、行ってくるね」
「無理はするなよ」
「リムルが言うと重いんだけど」
「重要なことだからな」
ラミリスは肩を竦め、それから小さく手を振った。
「大丈夫だって。師匠だって帰ってきたんだからさ」
「……ああ」
「うむ! 案ずるな、ラミリスよ。何かあれば我が引きずり出してやるわ!」
胸を叩いてみせるヴェルドラに、ベレッタが冷ややかな一瞥をくれた。
「ヴェルドラ様。引きずり出せぬことは、既に確認済みでございます」
「──む」
「ラミリス様。どうか、お気をつけて。わたくし達はここでずっとお待ちしておりますわ」
トレイニーさんが深々と頭を下げる。その手が僅かに震えているのを、俺は見て見ぬふりをした。
「うん! 行ってきます!」
そう言って、彼女は身を沈めた。
小さな身体が、澄んだ液体に呑まれていく。水底から蛇腹が持ち上がり、待ちわびていたかのように、次々と接続されていった。
「接続、確認」
「装置、起動しました」
水面が、ぴたりと静止する。波紋ひとつ立たない。まるでそこに、透明な蓋がされたかのように。
外殻を走る金の彫金が、淡い光を帯び始めた。
「稼働状況に問題なし! 間もなく映像も出るかと思われます!」
ベスターの報告を聞きながら、俺は装置を凝視した。
だが俺が何かを発する前に、投影が光を結ぶ。
やがて像が結ばれ、そこに一つの光景が浮かび上がった。
「──出ました! 映像、鮮明です!」
観測台に張りついた研究員が、上ずった声を上げる。
「音声も来ております! これは……間違いなく拾えておりますぞ!」
ベスターが記録板を握りしめたまま、興奮に顔を紅潮させて叫んだ。
投影の中から、確かに風の音が聞こえていた。木々のざわめき。遠くで鳥が鳴く声。断片的ではあるが、確かに「向こうの音」が届いている。
「へっ、どうよ旦那。俺の作った投影盤は伊達じゃねえだろ?」
カイジンが太い腕を組み、鼻高々に胸を反らした。
「カイジン殿。術式を組んだのは我々ですぞ」
サリオンの研究者が眼鏡を押し上げ、冷ややかに訂正する。
「機械がなけりゃ術式も動かねえだろうが」
「機械と仰いましたな。あれほど繊細な位相調整装置を『機械』の一言で──」
「まあまあ、二人とも落ち着け」
放っておくと本気で揉めそうだったので、慌てて割って入る。まったく、こいつらは職人気質が過ぎるのだ。
そんな騒ぎをよそに、俺は投影に見入っていた。
映っているのは、深い森の中。巨大な樹の根元に、淡く光る泉がある。その水面から、小さな影がふわりと浮かび上がった。
『……あれ?』
ラミリスだった。
『ここ、昔の精霊の住処じゃん。……アタシ……なにしてたんだっけ』
その一言に、区画の空気が変わった。
「──今の、聞いたか」
俺は思わず声を上げていた。
「聞いたヨ! 記憶がないネ!」
超克者の男が椅子から飛び上がり、計器を指差してまくし立てる。
「ヴェルドラ様の証言と一致しますな。装置に入った経緯を、丸ごと忘れておられる」
ベスターが慌てて記録板に筆を走らせた。
「うむ。我もそうであったぞ。気がついたら過去におった。それだけよ」
当のヴェルドラは腕を組んだまま、なぜか満足げに頷いている。
投影の中では、ラミリスがその場に浮かんだまま動かなくなっていた。腕を組み、眉を寄せ、しきりに首を捻っている。
『おかしいよね。アタシ、どうやってここに来たんだっけ? 迷宮にいたはずなんだけど……えっと、その前は……あれ?』
ぶつぶつと呟きながら、羽根が苛立たしげに震えた。
『魔法で飛ばされた? でも、そんな感じしないし。誰かに攫われた? ……うーん、それも違う気がするんだよね』
しばらくの間、ラミリスは腕を組んだまま宙に浮かんでいた。
思考の後、自身が過去にいるという事に気が付いたようだ。だが、なぜいるのかという理由まではやはり思い至らなかったようである。
『……よし、やめた!』
ラミリスがあっさりと両手を挙げた。
『考えても分かんないもん! こういうのはリムルに聞くのが一番だよね! えーっと、今ってどのくらいの時期? ……あ、まだテンペストできてないじゃん!』
小さな羽根が忙しなく動き、彼女は森の外へと飛び出していった。
(……切り替えが早いな)
もっとも、これはこいつらしいとも言える。分からないことを抱えて立ち止まるより、分かる奴のところへ行く。迷宮の主として何百年もやってきた者の、実に合理的な判断ではあった。
『よーし、行くぞー!』
投影の中でラミリスが元気よく叫び、区画に笑い声が起きた。
「相変わらずでありますなぁ、ラミリス様は!」
ガビルが手を叩いて笑う。
「ラミリス様がああであれば、心配は要りますまい」
ガドラも髭を撫でながら目を細めた。
張り詰めていた空気が、その一言で緩んでいく。俺も、つられて息を吐いた。
*
「──なんだなんだ! 面白そうな事をやっておるではないか!」
その声が響いたのは、記録の再生が始まって間もなくのことだった。
観測室の扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、桃色の髪を揺らす小柄な少女である。
魔王ミリム・ナーヴァ。
「ミリム!? なんでここに」
「リムルの気配がずっと迷宮の奥から動かなかったからな! 様子を見に来たのだ!」
腰に手を当てて胸を張り、それから彼女は投影盤を指差した。
「それで、これは何を見ておるのだ?」
相変わらず自由な奴だ。そしてその肩には、小さな竜が乗っていた。
「きゅい?」
〝地星竜〟ヴェルガイア。ミリムの愛竜にして、この世界で五体目の正規の竜種だ。
俺は事情をかいつまんで説明してやった。装置のこと、ヴェルドラが入ったこと、そして今はラミリスが中にいること。
「ふーむ。よく分からんが、つまりラミリスの冒険を皆で見ているのだな!」
腕を組んで数秒考え、それだけで納得したらしい。
「……まあ、そういうことになるかな」
「ならば面白そうだ! ワタシもここで見るのだ!」
そう言うなり、最前列の椅子へ堂々と陣取った。
「あ、お兄様もいるの」
ミリムの肩から飛び降りたガイアが、ヴェルドラの傍らへふわりと舞い降りる。
「グヌゥ……」
ヴェルドラが露骨に顔をしかめて唸った。
こいつはガイアが現れて以来、姉たちの関心を奪われたと思い込んでいるらしい。竜種の兄弟仲というのも、なかなか難しいものだ。
「お兄様、どうして怖い顔してるの?」
ガイアが小首を傾げ、無邪気に見上げる。
「怖い顔などしておらんわ!」
「そう? じゃあ、いつもそんな顔なの?」
「──ぐぬぬ!」
(こいつ、絶対分かってやってるだろ)
無邪気な顔をしているが、ガイアのこれは相当な手練れの技だった。ヴェルドラでは相手にならない。
(……まあ、賑やかになる分には悪くないか)
そして、記録は飛び飛びに送られていく。
装置の中では一年が過ぎる間に、こちらの再生は数時間で済む。要所だけを拾って追いかけていくと、ラミリスがゴブリンの村に辿り着き、過去の俺と対面する場面が映し出された。
『あんた、リムルでしょ! アタシ、未来から来たんだ!』
『……は?』
過去の俺が、実に間抜けな顔でぷるぷると震えている。
(うわ、あんな顔してたのか俺)
自分の姿を外から見るというのは、なかなか居心地の悪いものだった。
『いいから聞いて! これから色々起きるんだから!』
ラミリスが腰に手を当てて胸を張る。
『いや待て待て、話が全然見えないんだが』
『説明するのめんどくさいんだけど……まあいっか、順番に話すね!』
(お前が説明下手なだけだろ)
とはいえ、過去の俺も相当に混乱している。無理もない話だ。
「──クアーッハッハッハ! 見よリムル、あそこにおるのは我だぞ!」
不意に、ヴェルドラが立ち上がって投影を指差した。
「いや、あれは俺だろ」
「気配で分かるのだ! あのリムルの中に我が封じられておる!」
得意満面で腕を広げるヴェルドラに、俺は半眼で返す。
「映像越しに気配が分かるわけないだろ……」
「へえ、お兄様は凄いの」
ガイアが、まったく心のこもっていない相槌を打った。
「なんだその返事は! もっと感心せんか!」
「すごいねー」
「棒読みではないか!」
ヴェルドラが地団駄を踏んで悔しがっている。相手が悪すぎる。
「なあリムル、ワタシの出番はまだか?」
一方、ミリムは早くも痺れを切らして俺の袖を引いていた。
「まだだよ。お前が来るのはもっと後だろ」
「むー。ワタシの活躍が見たいのだ」
頬を膨らませて椅子を揺らす姿に、思わず苦笑が漏れる。
「落ち着けって、そのうち見れるだろうからな」
こいつら、本当に賑やかだ。
*
そこからは、まさに上映会だった。
記録が進むにつれ、この場にいる者たちが次々と自分の出番を見つけては騒ぎ出したのだ。
「おおっ! あそこにいるのは我輩の飛竜衆でありますぞ! 見てくだされ、あの見事な編隊飛行を! 我輩の指揮の賜物であります!」
ガビルが立ち上がって胸を張り、投影を指差す。
「おいガビル、お前あの時、真っ先に突っ込んで隊列崩してただろうが」
カイジンが腕を組んだまま、冷ややかに突っ込んだ。
「なっ、あれは高度な陽動戦術であります!」
「風に煽られただけだって、後で自分で言ってたぞ」
「うぐっ……!」
周囲から笑いが起きる。ガビルは真っ赤になって椅子に沈み込んだ。
しばらく後、帝国の紋章が映った場面では、ガドラが感慨深げに目を細めた。
「ふん。あの頃のワシは、まだ若かったのう」
「あんた、見た目は今の方が老けてんじゃねえの?」
椅子に沈み込んだままのディーノが言う。
「痛いところを突かれましたな、ディーノ殿。しかしですな、魔法を語るには、それ相応の風格が要るのですじゃ」
「はいはい、風格ね」
「軽く流されては困りますぞ!」
ガドラが杖で床を突く音が響き、また笑いが起きた。
さらに記録が進み、聖なる白亜の都が映った時には、超克者の男が両手を挙げて飛び上がった。
「オウ! これミー達の国ネ! 懐かしいヨ!」
「貴方、つい先月も帰省していたでしょう」
サリオン組に指摘され、男は「それとこれとは別ネ!」と胸を張っている。
そして、迷宮が生まれる場面。
ラミリスが小さな手を掲げ、地下に空間を刻んでいく。何もなかった場所に、階層が一つずつ形になっていく。
その光景を、ベレッタは無言のまま見つめていた。
何も言わない。ただ、いつの間にか背筋を伸ばし、姿勢を正している。主の奮闘に対する、従者としての静かな敬意。誰にも気づかれないような、ごく僅かな動作だった。
(……あいつ、ちゃんと見てるんだな)
俺は少しだけ口角を上げた。
「見ろ! ワタシだ! ワタシが出てきたのだぞ! 見ろ見ろ、この構えを! カッコいいのだ!」
そして案の定、自分が登場した瞬間にミリムが椅子の上で絶叫した。
「ミリム、すごいの!」
ガイアが小さな翼をぱたぱたと動かして応じる。
「うむ! ガイアは分かっておるな!」
(……こいつには素直に褒めるんだな)
まあ、二人が楽しそうならそれでいい。
こうして、幾日も過ぎていった。
外の一日で、中では一年が流れる。要所だけを拾っても、追いつくまでには相当の日数がかかった。観測室に詰める顔ぶれは日ごとに入れ替わり、それでもミリムとヴェルドラだけは、一度も席を立たなかった。
そして、やがて再生は実時間へ追いついた。ここから先は、向こうで起きたことをそのまま待つことになる。早送りの効かない時間が始まったのだ。
だが、記録を見続けるうちに、俺は妙な感覚を覚え始めていた。
──違うのだ。
大筋は俺の知っている歴史と同じで、同じ出来事が起き、同じ相手と戦い、同じ結末に辿り着く。だがその過程が、少しずつ違っている。
過去の俺が、俺なら選ばなかった手を使う。誰かが、本来とは違う役割を担っている。危機の切り抜け方が、記憶にあるものとまるで別物になっている。
(……あの時の俺も、あれで精一杯だったはずなんだけどな)
映像の中の俺は、俺よりずっと上手くやっていた。ラミリスが未来の知識を渡しているのだから当然といえば当然なのだが、それにしても手際が良すぎる。
(少し過程が違うだけで、こんなに歴史の形は変わるもんなのか)
そんなことを考えていると、隣でヴェルドラが腕を組んで呟いた。
「……我の時とも、違うのだな」
「そうなのか?」
「うむ。似てはおるが、細部がまるで別物よ。同じ場所で、同じ者が、まったく違う道を歩んでおる」
ヴェルドラは珍しく考え込むような顔で、顎に手を当てた。
「一体、我らの歩んできた道にはいくつあったのだろうな。こういう道筋が」
作り物のはずなのに、世界は本物のように動いている。そう考え始めると、足元が妙に頼りなくなる気がした。
(──いや、深く考えるのはよそう)
今は、ラミリスが無事に帰ってくることだけを考えていればいい。
*
その時が来たのは、歴史が中盤に差しかかった頃だった。
何の前触れもなく、投影の中で「それ」は起きた。
観測室が、水を打ったように静まり返る。
映像の中で、ラミリスが立ち尽くしていた。小さな肩が、震えている。
彼女は知っていたはずだった。何が起きるかを、未来の知識として持っていたはずだった。だが、間に合わなかったのだ。
「……なんだ、今の」
ミリムが、はしゃぐのをやめて低く呟いた。
誰も答えなかった。答えられなかった、と言うべきかもしれない。俺たちの誰もが、その光景に見覚えがあったからだ。
「……我の時は、これを止められたのだがな」
ヴェルドラが苦しそうに小さく漏らし、すぐに口を噤んで顔を背けた。
(──そうか)
こいつは全部変えられた。犠牲を出さずに済んだと、あれほど得意げに語っていた。
だがラミリスにはできなかった。同じ装置に入り、同じように未来を知っていて、それでも変えられないものがあった。
(……なんでだ?)
答えは出ない。
「……歴史とは、そう簡単に変えられぬものなのでしょうな」
沈黙を破ったのは、ベスターだった。記録板を膝に置き、静かに投影を見上げている。
「知っているからといって、全てを覆せるわけではない。それだけの話かと存じます」
その言葉を合図にしたように、投影の中のラミリスが動いた。
彼女は涙を拭い、小さく息を吐いて、再び飛び立った。立ち止まってはいなかった。
その姿を見て、観測室にもゆっくりと息遣いが戻ってくる。
*
やがて場は、再び賑やかさを取り戻した。
新たな仲間が加わる場面では歓声が上がり、誰かが活躍する場面では拍手が起きる。ミリムは相変わらず騒ぎ、ガイアが相槌を打ち、ヴェルドラが張り合っている。
だが俺は、その中で一つのことを考えていた。
投影の中のラミリスは、笑っていた。誰かと肩を並べ、冗談を言い合い、時には泣きながら怒っている。あの世界の連中と、確かに心を通わせている。
(……あいつ、知ってて過去を体験することを選んだんだよな)
超克者が問うたあの日、ラミリスもあの場にいた。
装置の中の世界は外と繋がっていない。だとしたら、あの世界の人達はどうなるのか──その問いに、誰も答えられなかった。つまりこいつは、あそこにいる連中が消えるかもしれないと知った上で、あの中に入ったのだ。
(こいつは俺より遥かに長い時間を生きてる。出会って、別れて、また出会って。そういうのを数え切れないほど繰り返してきたんだろうな。……だから平気なのか? それとも、平気なふりが上手くなっただけなのか。……もし俺だったら、どうなんだろうな。あの世界で誰かと笑い合って、そして戻ってきて。あれは作り物だったと、割り切れるのか)
「おいリムル! 次だ、次が来るぞ!」
ミリムが袖を引っ張り、思考が途切れた。
まあいい。今考えても仕方のないことだ。
そして、記録は最終局面へと差しかかった。
滅界竜イヴァラージェ。
その姿が投影に映った瞬間、観測室から音が消えた。
誰も口を利かない。ミリムでさえ、身を乗り出したまま微動だにしない。ヴェルドラも黙り込み、ディーノは椅子から背中を起こしていた。
全員が知っていた。これが最後の戦いだと。
映像の中で、戦いが始まる。
俺自身が経験した戦いだ。結末も知っている。それでも、目を離すことができなかった。
過去の俺が斬りかかる。弾かれる。立ち上がる。仲間が支える。ラミリスが叫んでいる。
そして──
決着の瞬間、観測室が爆発したように沸いた。
「やったのだ! やったのだぞ!!」
ミリムが飛び上がり、椅子の上で万歳をしている。
「きゅい! きゅいー!」
ガイアも一緒になって跳ね回っていた。
「うおおおお! やりましたぞ、リムル様ぁぁ!」
ガビルが号泣しながら俺の手を握ってくる。いや、お前が泣くところじゃないだろ。
ベスターは拍手を続け、超克者たちは肩を組んで飛び跳ね、サリオンの研究者たちは互いの背中を叩き合っている。ガドラは「見事なものですじゃ」と呟きながら、しっかり目尻を拭っていた。
「……まあ、良かったんじゃねえの」
ディーノですら、椅子に沈み込んだまま口の端を上げてそう言った。
それでも、この歓声だけは間違いなく本物だった。
*
「──反応、変動!」
計器の前から鋭い声が飛んだ。
「接続部、離脱を開始します!」
「よし、記録は最後まで取れ! 医療班、待機しろ!」
歓声の中で、帰還の処理が始まった。
「早く出てこい、ラミリス!」
ミリムが装置に張り付き、水面を覗き込んで叫んだ。
「ミリム、危ないから離れてろ」
「むー。……なあリムル。ラミリスは、よくやったのだぞ」
しぶしぶ下がりながら、彼女はそう付け加えた。
「ワタシは全部見ておった。だから、そう言ってやるのだ」
俺は装置の縁に立った。
蛇腹が、一本ずつ外れていく。役目を終えたように、静かに水底へと沈んでいった。
水面が、揺れる。
(帰ってきた──)
ヴェルドラの時と同じだ。ちゃんと機能している。ちゃんと、戻してくれる。
小さな身体が、ゆっくりと浮かび上がってきた。
俺は手を伸ばし、彼女を抱き上げる。
その瞬間、指先に妙な感覚が走った。
(……軽い)
元々、羽根のように軽い奴だ。だが、そういうことではなかった。中身がごっそり抜け落ちたような、恐ろしいほどの軽さ。まるで抜け殻を抱いているような感触だった。
「……おい、ラミリス」
返事はない。
濡れた髪。規則正しい呼吸。穏やかな寝顔。生きている。呼吸も、魔素の循環も正常だ。
「ラミリス。終わったぞ、起きろ」
返事は、なかった。
「──おい」
軽く揺すってみても、目は開かない。
「おい、どうしたのだ?」
ミリムが俺の腕の中を覗き込んだ。
「終わったのであろう? もう出てきたのだから、起きるはずなのだ」
「……ああ」
「なあ、ラミリス。起きろ」
小さな手が、頬をつつく。
それでも、目は開かない。
「おい……! おい! ラミリス!!」
気づけば、俺は叫んでいた。
歓声が、途中で止まった。
「ラミリス様……?」
ベレッタが装置の縁を回り込んで駆け寄ってくる。いつも完璧に制御されているはずの声が、明らかに揺れていた。
「ラミリス様。目を覚ましてください。ラミリス様!」
トレイニーさんが震える手を伸ばしかけ、途中でその手を止めた。
触れていいのかどうか、判断がつかないのだ。
「せ、生命反応を確認しろ! 早く!」
技術者の誰かが叫ぶと同時に、ベスターが記録板を放り出して計器へ走った。
「せ、正常です! 呼吸、魔素循環、いずれも異常なし!」
「では、なぜ──」
「装置の出力も安定しております! 離脱手順に不備は見当たりません!」
数値を読み上げる声が、次々と重なっていく。
何一つ、異常がない。それが誰の助けにもなっていなかった。
「リムル様ぁ! ラミリス様は、ラミリス様はご無事なのですか!?」
ガビルが人垣を掻き分けて飛び出してくる。誰も答えられなかった。
「馬鹿な。我は、我はきちんと戻ったのだぞ!?」
ヴェルドラが装置と俺の腕の中を交互に見比べて頭を抱えた。
「手順も同じであった。何もかも同じであったはずだ。なぜラミリスだけが!」
その声が、途中で掠れて消えた。
何かに気づいたように、ヴェルドラの動きが止まる。ヴェルドラは今、思い出したのだ。あの日この場で「案ずるな」と言い切ったのが、自分であったことを。
「……ヴェルドラ様」
傍らのカリスが、静かに主を見上げた。だが、その先の言葉は続かなかった。
カイジンとガドラは、動かなかった。
二人とも、口を開きかけては閉じている。何を言えばいいのか分からないという顔だった。
そして、壁際から、乾いた音が鳴った。
ディーノが立ち上がった拍子に、椅子が倒れた音だった。
「……嘘だろ」
彼は装置を見ていた。それから俺の腕の中を見て、また装置へ視線を戻す。
「なあ、おい。冗談だろ? こんな……」
言葉が続かない。
ディーノは、誰よりも長くあの装置を見ていた。亜空間で最初に見つけたのも、持ち帰ろうと言い出したのも彼だ。
その顔から、血の気が引いていた。
「どうしたのだ」
ミリムが、何が起こったのかわからないといった様子で言う。
「……なあ、ラミリスは……どうして目覚めぬのだ……?」
その言葉に返事を返す者はいなかった。
ガイアが不安げにその頬へ擦り寄る。
(シエル! いったいどうなってる!?)
《これは……》
妖精女王は静かに眠り続けていた。まるで、この世で一番安らかな夢を見ているかのように。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
序章のアンケートの結果通りに出来上がっているものは直ぐに出そうとしていたのですが、23日から酷い風邪をひいてしまい仕事を5日間も休むことになってしまいまして。
また本日から準備ができたものを順次更新していきたいと思います。