【転スラ】 〜双星の智慧と新たなる理想郷~ 作:Hyades
シエルが告げたのは、意識がどこにも見当たらないという一言だった。
そして、ラミリスが目覚めないと分かったその日のうちに、俺は迷宮を閉じた。
「挑戦者は全員、地上へ上げてくれ。今すぐだ」
装置のある区画を出た直後、俺が最初に出した指示がそれだった。
「損失が起こった際の補償は持つ。装備の預かり分も、階層踏破の状況も退避指示が出された位置で記録して補償する。文句が出たら俺の名前を出していい」
「わかりました」
ベニマルが即座に頷いた。俺と共に歩きつつも、既に頭の中で人員の割り振りを始めている顔だった。こういう時のベニマルは頼りになる。
「観光目的の来訪者についても、同様に扱います。九十階層までのダンジョン区画は本日限りで閉鎖、九十五階層の来場者向けの施設群も休止させましょう。……技術者と研究者は、どうします?」
サリオンとドワルゴンの技術者、ルベリオスの研究者。それに、この階層に詰めている者たち。数だけでも相当なものになる。
「一旦、地上待機にしてくれ。宿と食事はこっちで用意する。……ただし、装置の解析に当たってる者は残す」
そう言った途端、ベニマルが僅かに眉を上げ、怪訝な顔で返してきた。
「いいのですか? 万一の出来事が起こった際、彼らを巻き込むことになりますよ」
「分かってる。だが帰せば解析が止まる」
俺は正直に言った。
「あの装置を一番よく知ってるのは、あいつらだ。それに、ラミリスが自分で入ると言ったとはいえ、あいつらも責任を感じているみたいだしな。……今さら帰れとは言えないだろ」
「……わかりました」
「もちろん、帰りたい者や手を引きたい者は止めない。そこは一人ずつ意向を確かめてくれ。残る者には脱出の手立てを持たせる。それが条件だ」
「はっ」
言いながら、俺には結果が見えていた。カイジンは残る。ガドラは絶対に動かない。ベスターも残るだろうし、超克者の連中は数値が取れる限り離れまい。ガビルなど、追い出そうとしたら泣きつく気がする。
魔導列車の敷設からこの国に関わり続けてきた者たちだ。何年も同じ図面を挟んで協力してきた仲間達が、そんなことで席を立つわけがなかった。
理屈で言えば、この時点では何も起きていない。迷宮は今も動いているし、階層は保たれ、蘇生も機能し、計器は何一つ異常を示していなかった。
だからこそ、万が一の事態が起こった時に備え、俺は今の時点で事前に出来ることはやっておくべきだと思ったのだ。
《階層構造、蘇生機能、いずれも正常に稼働しております》
(……本当に、何も変わってないのか)
《はい。以前の事象と照らし合わせても、迷宮の機能は自動で維持されているものと思われます》
(シエル。このままにしておいても問題ないと思うか)
《いえ》
シエルの否定は、こちらが言い終わるより早かった。
《現時点で異常が観測されていないという事実と、今後も安定が続くという保証は、別のものです。ラミリスの意識が戻らない以上、それを引き起こした〝何か〟が影響を及ぼしてくる可能性を排除できません》
(……つまり、向こうから仕掛けてくるかもしれないってことか)
《その可能性も否定できません》
厄介な話だった。
問題の原因がわかっているのなら、そこに対処すればいい。だがこれは、そもそも相手が誰なのかも分からないという状態なのだ。
だが、だからといって何もしないわけにはいかない。
「──ベニマル。転移用の魔法陣を、階層ごとに増設する」
言いながら、俺は既に立ち上がっていた。
「区画の要所に打っておく。何かあったら、最寄りの陣まで走って地上へ跳ぶように指示を出せ」
「はっ! 直ちに通達します」
「任せたぞ。俺も数分以内に設置を終える」
各国に緊急用の陣を設置して回った経験があるので、この手の作業には慣れている。座標を固定して、地上側の受け口と対応させるだけの話だ。迷宮の権能を経由しない独立式にしておけば、この場所の機能が止まっても作動する。
(シエル、配置の最適化を頼む)
《既に算出済みです。九十五階層に六基、百階層に四基、以下各階層の主要通路へ。人員の分布と移動速度から、いずれの地点からも三十秒以内に到達可能な配置となります》
(さすがだな)
《当然です》
「ベレッタ。陣の位置は今出す。残ってる連中を、それぞれ最寄りの一基に割り当ててくれ」
「承知いたしました」
進み出たベレッタが、記録板を開いて即座に応じた。
「研究者、樹妖精、迷宮管理者を含め、この後も迷宮内に留まる者は総勢で二百七十四名。区画ごとに誘導の責任者を立て、経路を歩かせて覚えさせます。……緊急時に地図を広げる者は、間に合いませんので」
「頼む」
迷宮を預かっている者がいるというのは、こういう時に有り難い。
「区画の維持につきましては、わたくし共がお引き受けいたしますわ」
そう言って一礼したのは、トレイニーさんだ。
「妹のトライアとドリスに加え、樹妖精を四十名ほど九十五階層へ集めます。研究区画の結界維持と、残られる方々の食事も含めて。……ラミリス様がお戻りになった時、迷宮が荒れていては申し訳が立ちませんもの」
「無理はしなくていいからな」
「ありがとうございます。ですが、ラミリス様のためですから」
彼女は微笑んだが、その微笑みが少しばかり硬いことに俺は気づいていた。
トレイニーさんはベレッタと対立してまで背中を押したのだ。その結果がこれなのだから、堪えていないはずがない。
だが、それを俺が下手に慰めるのは違う気がした。だからただ頷いて、話を先へ進めることにした。
*
その日の夜のうちに、俺は幹部を招集した。
まだ何も分かっていない段階だ。それでも、今の時点での情報を共有しておく必要があった。手遅れになってから集めるのでは意味がない。
話したのは三つ。ラミリスが目覚めないこと。原因が一切不明であること。そして俺がこれから解析に入り、それが済むまで結論は出さないということ。
彼らは事態の深刻さに理解を示し、俺が動きやすいように国家運営や執務は極力代わってくれることを申し出てくれた。会議は一時間もかからずに終わり、各々が持ち場へ散っていった。
その中で、ソウエイだけが残っていた。
「──リムル様。只今伝令を出し終えました」
「早いな」
「先ほど文面を頂いておりましたので」
各国の在テンペスト代表へ直接届けさせたこと。文面は「迷宮内で技術的な不具合が生じたため、安全確認が済むまで立ち入りを制限する」としたこと。装置には一切触れていないこと。ソウエイは、いつも通り必要なことだけを並べて報告を終えた。
「……ご報告は以上です。それと、一つだけ」
「なんだ」
「これは自分の職分ではありませんが」
そこで、僅かに間があった。ソウエイが前置きを置く時は、言うべきかどうかを本当に迷っている時だけだ。
「……あの文面は、嘘ではありません。ですが、真実でもありません」
「分かってる。でもな、竜種の記憶を奪うなんていう装置の話をしたら混乱が起きかねないからな。今は伏せておくしかない」
俺は短く答えた。
装置のことを各国に伏せるのは、後で必ず角が立つやり方だ。今この段階で「未知の遺物により迷宮の主が意識を失った」などと触れ回れば、面倒事が十倍になって返ってくる。だが、褒められた手ではない。
「保って十日ってところか」
「はっ。それ以上は、各国の諜報機関も感づくでしょう」
「だろうな。……それまでに何か掴む」
「承知いたしました」
短く一礼して、ソウエイは影へ戻っていった。
(……相変わらず頼りになる男だな、ソウエイは)
こうして、迷宮からは人が引いていった。
その日のうちに挑戦者が地上へ上げられ、翌日には九十五階層の一般職員も退避した。賑わっていた階層から灯が消え、店が閉まり、通路から足音が絶えていった。あれほど毎日誰かが騒いでいた迷宮が、たった二日で静まり返ったのだ。残ったのは、装置の前に張り付いたままの研究者たちと、それを支える樹妖精たちだけである。
そこからの三日間、俺は外側から出来ることを全て試した。
結果は、何も出なかった。
解ける部分は、何度なぞっても解ける。素材も、駆動原理も、術式の構成も、既に分かり切っている。だが解けない部分は、相変わらず影も踏ませてくれなかった。
一つずつなら、確かに解析できるのだが、読み終える前にそれは別のものへ入れ替わっている。何度なぞっても、同じものが二度と出てこないのだ。
そして、四日目の朝が訪れた。
(……何度やっても同じか)
《……マスター、本当に申し訳ありません》
(何言ってるんだ。シエル、お前はよくやってくれているよ。それに、既に解決策は提示してくれてるじゃないか)
俺はそうシエルに返すと、一つの覚悟を決めた。ラミリスを絶対に取り戻すための、決定的な方法を取るためだ。
*
その後、俺は再び幹部を招集した。
転移で執務館へ上がり、会議室へ向かう前に、俺は廊下の窓辺で足を止めた。
数日ぶりに見る地上だった。
眼下には、朝の光を返す街並みが広がっている。石畳の大通りに沿って屋根が連なり、その向こうに拡張された駅舎が見えた。数年前まで、あそこは小さな停車場でしかなかったのだ。今では西方諸国から帝国の外縁まで線路が伸び、一大交通網が完成していた。その時は俺も感無量の思いだったものだ。
そう考えを巡らせつつ、街の様子を改めて観察する。今朝は、輪をかけて人が多い。
迷宮を閉じたせいだ。九十五階層に長逗留していた冒険者も、地下の宿を引き払った観光客も、行き場を失って地上へ溢れ出している。宿は満杯だろうし、食堂の前には列ができているはずだった。
それでも、揉め事の気配はどこにもない。
目を凝らせば、街のあちこちに警備隊の姿があった。宿の割り振りに走る者がいて、露店の並びを整えている者がいて、迷子らしい子供の手を引いている者がいる。仲間達がこの事態の中でテンペストの日常を守ってくれていた。
(……皆、ありがとうな)
心の中で感謝を伝え、俺は窓辺を離れた。
会議室に足を踏み入れた瞬間、揃った仲間達の視線が俺に集中する。
テスタロッサなどの国外で活動するものや、テンペストの中核を担う主要な幹部陣が全員勢ぞろいをしていた。
このメンバーが揃うこと自体は、以前にも何回かあった。だが今回、俺は違和感を覚えた。
誰も、喋っていないのだ。
シュナが淹れた茶に手を伸ばす者がいない。ガビルもいつもの調子ではなく、精悍な表情でこちらを見ている。ゴブタですら緊張した面持ちで会議に臨んでいた。
おそらく、こいつらは俺が何を言い出すかを既に察しているのだろう。
「皆、良く集まってくれた。既に三日前の会議でラミリスの容態や装置に関しては伝えているが、今後の対応について、俺の中で一つの結論が出た。だが、それを話す前に先ほど到着したフェルドウェイからの話を先に聞きたい」
そう言って、俺は視線を右手の奥へ移した。
そこには、堂々たる体躯の男が二人、微動だにせず立っていた。
フェルドウェイ。そして、その元部下であるザラリオである。
フェルドウェイが、深く一礼して前に出る。相変わらず、動作の一つ一つが儀礼めいている。
「リムル様、こうして直接お目にかかるのはお久しぶりにございます。まずはリムル様の元へ馳せ参じる事が遅れたこと、大変申し訳ございません」
「別に謝る必要はないって。この事態の最中、評議会を取りまとめてくれて本当に助かってるよ」
「ありがとうございます。それではこの場にて、他の幹部の皆様方にも西方の動向について私からご報告させていただきます。私が此度の件を耳にしたのは、リムル様からご報告のあった四日前のことです。その後、西方列国評議会にて、テンペストの迷宮閉鎖に関する通達を行い、各国との調整を行っておりました。それがようやく落ち着いた折にリムル様からの招集があったため、急いで参上いたしました」
「ああ、そりゃ悪かったな。混乱させたか」
「いえ。混乱を鎮めるのが私の役目ですので」
僅かに顔を上げ、静かにそう言い切る。その声には、自らの職務を疑う響きが一切なかった。
かつて世界を滅ぼしかけた男が、今は西方の国々を取りまとめている。天魔大戦が終わった後、こいつは俺のところへ来て「役目を賜りたい」と言った。他に望むものはないのかと尋ねたら、無いと即答されたのだ。それで結局、こういうことになった。始原の七天使の筆頭が、評議会の調整役である。当時のこいつを知る者が見たら、目を疑うだろう。
もっとも、これが存外に上手くいっている。何しろ格が違いすぎるので、どこの国も無茶を言わない。おかげでテスタロッサが西方の調整から手を離すことができ、今は東方諸国との折衝と、国内の法整備に専念できているのだった。
「迷宮停滞によって発生する経済損失は、既に各国との調整によって最小限に抑えております。これであれば、ラミリス殿を救い出す手筈を取っている間は情勢が安定すると思われます」
「そうか。事前に聞いていた通りだが、それは本当に助かる。それで……? こっちに来る前の報告では、ザラリオが同行するとは聞いてなかったが?」
「はっ。それにつきましては、ザラリオ本人より語らせていただきたいと思います」
そう言ってフェルドウェイは下がり、代わりにザラリオが前に出た。
「リムル様、お久しぶりでございます。此度の件、フェルドウェイから話を伺いました。私が同行いたしましたのは、次元から引き揚げた装置というものの検分を我らにもさせていただきたいと願い出るためにございます」
「へえ?」
「我々は長きにわたり異界におりました。……だからこそ、その装置について他の方々とは別の視点からの知見を申し上げる事ができるのではと思った次第でございます。最も、実際に検分を行ってみないとなんとも言えませんが……」
「なるほどな。助かるよ」
ザラリオの言葉に、俺は一つ頷いた。
この慎重さが、こいつの持ち味だ。フェルドウェイが大義を掲げて突き進むのに対し、ザラリオは常に自分の考えを口に出し、冷静に動く。似た顔つきをしているが、中身はまるで違うのだ。
かつて敵として立ちはだかった者たちが、今はこうして最も頼りになる手札として俺を支えてくれている。その事実が、これから俺が下す決断を、少しだけ楽にしてくれた。
「──よし。じゃあ、これからの話に移る」
俺は全員を見渡した。
「まず装置について。ベスター、頼む」
俺が促すと、ベスターが資料を抱えて前へ出た。目の下の隈は、もはや消える気配もない。
「本装置の解析は、大半が完了しております。素材、駆動原理、術式の骨格──これらはいずれも、この世界の法則に沿ったものです。作り手が何者であれ、この世界を熟知していたことは疑いありません」
「それでも解けねぇ部分もあるってわけだがな……」
腕を組んだまま、カイジンが低く口を挟んだ。この三日、あの外殻を睨み続けてきた男の声だった。
「はい。……カイジン殿のおっしゃる通りです」
ベスターは重く頷き、言葉を選ぶように一度止まった。それから、資料を握る手に力を込めて続ける。
「これは、我々の技術が及ばぬという話ではありません。挑めば挑むほど、挑む対象そのものが遠ざかっていくのです。……率直に申し上げて、我々の手法では永久に届きません」
会議室が静まった。
研究者としての最大級の敗北宣言だった。だが誰も嗤わなかった。この場の全員が、ベスターがどれほど身を削って解析を行ってきたかを知っているからだ。
「ワシからも一つ、付け加えておきますかの」
そこで、ガドラが杖を突いて立ち上がり、しわだらけの手で顎を撫でた。
「ワシは長く生きて、術式という術式を見てまいりました。読めぬものはあれど、それは大抵『まだ読めぬ』というだけの話。同じ形が二度現れれば、そこを足掛かりにいずれ崩せるものです。……じゃがあれには、それが一つもない。同じ形が、二度と出てこんのですよ」
杖の先で、こつりと床を突く。
「手掛かりが少ないのではありません。手掛かりが一つも生まれぬ造りになっておるのです。……つまりこれは、隠されておる。誰かの手で、意図をもって」
「そうだ。俺が視ても同じだった。あれは隠蔽されてる。しかも、この世界のものとは違う法則で動いてる」
俺が頷いてそう告げると、会議室にざわめきが走った。
悪魔たちの列で、ウルティマが小首を傾げているのが見える。テスタロッサは目を細め、カレラは忌々しいといった様子を表情に見せていた。
「そしてもう一つ。ヴェルドラもラミリスも、装置に入った経緯を丸ごと忘れていた。ヴェルドラは戻ってから思い出したが、ラミリスについては…そもそも戻らなかったからな」
「──記憶への干渉、ですか」
ベニマルが低く呟き、それから眉を寄せた。
「竜種にすら通じたってことになりますね。それは、まずいでしょう」
「そういうことだ。相手は、ヴェルドラ級の存在の記憶に手を突っ込める。しかも、本人に気づかせずにな。……こんな真似ができる奴に、俺は心当たりがない」
そこで一度、間を置いた。
言うべきことは決まっている。あの日から決まっていた。ただ、どう言えば余計な波風が立たないかを、俺はずっと考えていたのだ。
(……結局、上手い言い方なんて見つからなかったな。飾ったところで中身は変わらんし、遠回しに言えば言うほど、こいつらは悪い方へ想像を膨らませる。……なら、まっすぐ言うしかない)
「──だから、俺が入る」
俺のその言葉に、会議室の空気が凍りついたように静まり返った。
立ち上がる者もいない。ざわめきすら起きなかった。ただ、何人かが気まずそうに目を伏せた。
こいつらも、俺がこう言いだす可能性には気が付いてたんだろう。
三日前の夜、俺は全てを話した。ヴェルドラが記憶を奪われ、ラミリスが戻らないこと。原因が何一つ分からないこと。あれだけのことを話されて、この面々が三日かけて何も考えないはずがない。竜種が丸ごと記憶を持っていかれたのだ。ならば自分たちに何ができるか。誰なら行けるのか。……そう順に可能性を潰していけば、残る答えは一つしかない。
だから全員、同じ結論に行き着いていた。行き着いていて、言えなかったのだ。
俺に「行かないで欲しい」とは。
(……悪いな。三日も皆に辛い思いを抱えさせちまった)
俺がそう思ったとき、突然シオンが叫んだ。
「──ダメです!」
一歩踏み出し、ドンッと頑丈な天板が軋むほどの勢いで机に手をついた。
「私は反対です! 絶対に反対です!」
「シオン!」
ベニマルが鋭い声で静止するが、それでもシオンは止まらない。
「ヴェルドラ様は記憶を失われました。ラミリス様は、帰ってこられませんでした。……次はリムル様なのですか? 私は嫌です!」
シオンのこの言葉を皮切りに、会議は”俺が行く前段に何らかの手段を模索する”と言う意見と”リムル様が行くと決めたのだから、我らはそれを全力で支援するべき”と言う意見で活発に議論されることとなった。
*
翌日の昼、俺と仲間達は装置が置いてある部屋に集まっていた。
殆どの仲間達が集まっているが、ザラリオとフェルドウェイだけは既に西方へと帰還している。
フェルドウェイは俺の傍にいたかったようだが、そこは評議会や西方諸国への対応を優先してくれと宥めすかして納得してもらった。
昨日の時点で二人による装置の検分も終わっている。
結果としては予想通りだったが、今まで目にしたどの次元に属するものとも全く違う異質なものだと感じた様子だった。
これであの装置がこの世界の由来のものではないという説の補強ができたわけだ。
そして、昨日の会議では活発な議論が行われていたが、最終的には俺が装置に接続するということで話が落ち着いた。
中に入るための準備にはそれほど時間を要さなかった。
ラミリスが装置に接続する際に、大半の監視体制と設備は出来上がっていたからである。
装置内部と同じ速さで時間が流れる部屋も、中の様子を映し出す投影の仕組みも、ラミリスを送り出す時に作ったものがそのまま利用できる。あの時さんざん苦労した甲斐はあったわけだ。もっとも、その備えを俺自身が使うことになるとは思っていなかったが。
皆に対しては、俺があらかじめ考えていた作戦を共有し、全員の理解を得られている。
今回の調査のために俺が用意した作戦はこうだ。
1つ、世界の書き換え。
ヴェルドラの話から、実際に再現された過去の世界に接続するまでには一定の猶予があることがわかっている。その際にシエルによる解析を内側より行い、もしも悪意のある存在がいたとして、変な影響を及ぼされる前にその世界自体をシエルの意のままとできるように書き換えてしまうのだ。
もしも完璧な書き換えができずとも、ある程度の影響を除外できれば残りは内側からなんとでもなる。
そして、ヴェルドラやラミリスの状況からみて過去の世界ではその当時の自分自身になることによって力が制限されるらしい。これに対する対策もこの枠組みの中で用意した。世界の書き換えと同時に過去の俺自身を作り出すのだ。
もっとも、この案を最初に持ち出した時、シエルはあまり乗り気ではなかった。
(シエル、過去の俺を作るって話だが、いけそうか)
《……可能です》
(なんだ、その間は)
《いえ、特には》
嘘をつけ。
この相棒は、都合が悪いと言葉が減る。
長い付き合いなので、そのくらいは分かるようになった。
(何か懸念があるならはっきり言ってくれ)
《……マスターと同等の存在をあの中に作るという事は、最悪の事態があった時はマスターの最大の脅威にもなる可能性もあります。何かあった際、対応できる保証はありません》
(まあ、そうなんだけどな)
言い分は分かる。だが、力を制限されたまま中に入るのが一番まずいのだ。
現時点でどういう理屈で制限が行われているのかも分からない以上、備えは多い方が良いってわけだ。
(シエル、お前の言い分もわかるが、俺はお前を信じている。俺に危害が及ばないように装置内での書き換えを行うんだろ?)
《…………》
(シエル?)
《……マスターはズルイですね。たしかに、私が装置内の世界を掌握できればこれ以上ない頼もしい味方となってくれるはずです》
(急に前向きだな)
《反対したことと、最善を尽くすことは別です》
相変わらず、この相棒には敵わない。もちろん、過去の俺に対してもシエルが万全のセキュリティを施す予定だ。
2つ、俺は表舞台にでない。
これが過去の俺を生み出すもう一つの理由だ。過去の世界で下手に動いて予想外の結果を起こすよりも、解析とラミリスを助ける事に専念したほうが良いという判断である。中での事象は過去の俺やそれを取り巻く環境で自然に起こる事に留めた方が良い。
そして、外部との連絡役にはヴェルドラを指名してある。ヴェルドラが潜っている時に連絡が取れる事は実証済なので、今回はその逆を行うということだ。
3つ、シエルによる対策。
これは最悪のケースに備えての決め事だ。シエルと共に装置に接続する以上、記憶を失ったり外部との連絡手段が絶たれるとは考え難い。だが、万が一の備えというのはしておいて後悔するものじゃない。もしも俺の記憶が失われた場合、シエルには速やかに俺に対して真実を告げるように話してある。
そしてもし、それ以上の事態…外部との連絡が取れず、俺に対して真実を告げられない状態になった時は、俺を思考誘導してでも最悪の事態は回避するようにとシエルに指示してある。
正直、ここまでの備えが必要になることはないと心のどこかでは思っているが、俺が今まで経験したことがない物事が起こっている以上、あり得ないという考えは捨てた方が良いように思えた。
そして4つ目。
これは、他の三つとは性質が違う。
3つ目に挙げたような、俺の想定を上回る事態が起こった際には──世界創造の力を使って、装置の中の世界を現実にしてしまうということ。
正直に言えば、これが実現可能かどうかは分からない。内部での解析次第だし、やってみて何が起こるかも未知数だ。過去の世界を通じて影響を及ぼしてくる存在がいた場合、決定的な切り札になり得る──皆にはそう説明したし、それは本当のことだ。
ただ、俺がこの手段を用意したかった理由は、それだけではなかった。
中に入れば、過去の仲間たちを、過去の街を俺自身も見ることとなる。ヴェルドラが数年を過ごし、ラミリスが笑い合った場所を、今度は俺が歩むことになるのだ。
……そこで誰かと出会って、笑って、そして戻ってきた時に、あれは作り物だったと俺は割り切れるのだろうか。そして、もう一つの仲間達が消されてしまうのだとしたら…。
……まあ、それも全ては内側での解析次第だ。今は考えても仕方がない。
ともかく、ここまでの対策を講じておけば俺も仲間達もある程度安心してラミリスの救出に臨めるというわけだ。
会議ではこれらの要点を仲間に伝えつつ、シエルが関わる肝心な部分のみをヴェルドラ、カリスと調整している。残りの時間は俺が不在の間の国家運営をどのようにするかなどが話し合われた。
各国への通達については、名目を「迷宮の技術的な問題の解決のため、魔王リムルが亜空間探査へ向かう」という形に落ち着かせている。装置のことにも、ラミリスのことにも触れない文面だ。
もっとも、全員に伏せているわけではない。
ルミナスを含む、まだ事態を知らない七君主の残りのメンバーには、ラミリスが目覚めなくなった翌日にこちらから報せてある。
あの音楽会の席で「何かあれば必ず報せよ」と言われたからというのもあるが、いざと言う時のために情報連携も行っておいたのだ。
俺から事情を聞いたルミナスは多くは語らなかった。しかし、俺が不在の間にテンペストでの国家運営をバックアップすべく、警備要員として聖騎士から何名か派遣してくれるらしい。ありがたい話だ。
ギィもヴェルザードさんを連れて即座にテンペストに訪れた。
昔からラミリスを気遣っているという事は知っていたが、あのギィがここまで早く動くとは俺も思っていなかった。
事の顛末を説明し、「俺がついていながら…こんなことになって悪かった」と言ったが、ギィは「オマエは何も悪くねぇよ」と言っていた。そして、俺が装置を検分している間、ギィはずっとラミリスに付きっ切りで色々と調べていたらしい。
普段であればヴェルザードさんが嫉妬の一つも見せるところではあるが、流石に状況が状況だけに、ギィに全面的に協力を行っていた。
ミリムもその傍らでギィと共にラミリスの傍から動こうとしなかった。まだ気持ちの整理が付いていないのかもしれない。
結果としてはラミリスの容態に関しても詳しいことはわからなかったのだが、俺としてはギィやミリムがそばについていてくれるなら安心だ。
帝国に対しても、テスタロッサを通じてマサユキやヴェルグリンドに情報の連携は行っている。
つまり伏せているのは、実質的に西方諸国や一部の同盟国に対してだけということになる。
そして、これらの緻密な調整を終え、俺は再び、隔離研究区画の中央に鎮座する漆黒の装置の前に立っていた。
*
「……リムル様。時間同期室の起動、ならびに投影術式の接続、全て完了しております」
ベスターが、記録板を胸に抱いたまま進み出た。
目の下の隈はさらに濃くなっているが、その声には一切の震えがない。
「我々に出来る外側からの観測と安全担保は、限界まで施しました。ですが……」
「分かってる。ここから先は、俺の仕事だ」
言い淀んだベスターの言葉を、俺は静かに引き取った。
彼ら研究陣がこの数日間、俺を送り出すための準備にどれほど奔走してくれたか、痛いほど分かっている。
「リ、リムル様!」
堪えきれなくなったように、ガビルが半歩前に出た。
その目には大粒の涙が浮かんでいるが、強引にそれを拭い、ぐっと胸を張る。
「我輩、この場で信じてお待ちしておりますぞ!……どうか、ラミリス様を!」
「ああ。任せとけ」
俺が短く頷くと、ガビルの隣で、ゲルドが静かに一礼した。
「リムル様が留守の間、この国は我らが守り抜きます」
「ゲルド、頼んだぞ」
「ハッ!」
実直な男たちの決意を受け取り、俺は視線を横へ向けた。
そこには、原初の悪魔たちが並んで控えている。
「ふふ。ゲルド殿の言う通りですわ」
テスタロッサが、優雅な微笑みを浮かべて一歩進み出た。だが、その瞳の奥には一抹の心配が宿っているようだ。
「わたくし達がいる限りはこちら側で問題は起こさせません。……ですからリムル様はラミリス様を助け出すことに集中なさってください」
そんなテスタロッサの横から、ウルティマとカレラが並び立ちつつ声を上げる。
「そうだよ。ボク達もいるからね!」
「我が君。テスタの言う通り何も心配はいらないよ」
カレラが不敵に笑い、俺の顔を真っ直ぐに見据えた。
(……本当に、頼もしい連中だよ)
こいつらがここに居てくれるというだけで、どれほどの安心感があるか。
そこへ、シオンとシュナが並んで進み出てきた。
「リムル様、どうかお気をつけて」
シュナが真っ直ぐに俺を見つめ、静かに、だが力強く送り出してくれる。
「必ずお戻りくださいね。お戻りになった暁には、私が腕によりをかけた料理でお迎えしますので!」
シオンは、いつものように胸を張って明るい笑顔を見せた。
その隣で、シュナがくすりと笑う。
「ふふ。私も、リムル様のお好きなケーキを焼いてお待ちしておりますわ」
「ああ。二人の作ってくれる飯が楽しみだからな。腹を空かせて、必ず帰ってくるよ。だから心配するな」
俺がそう答えると、二人は嬉しそうに頷いて一歩下がった。
入れ替わるように、ベニマルとディアブロが前に出る。
「リムル様。ラミリス様の救出は全てお任せします。……ですが、外の心配は一切無用です。俺たちが、決して何者にも手出しはさせません」
ベニマルが、侍大将としての揺るぎない声で宣言する。
「クフフフフ。ベニマル殿の言う通りです。リムル様の御身に触れようなどという愚か者が現れれば、私が全て処理して御覧に入れましょう。どうぞ、心置きなく行ってこられますよう」
ディアブロもまた、優雅な微笑を浮かべたまま、確かな忠誠と絶対の自信を示してくれた。
「頼りにしてるよ。お前らが外を固めてくれてるなら、背中の心配はしなくていいからな」
そして最後に、腕を組んで立っていたヴェルドラが口を開いた。
「リムルよ……」
意外なほど落ち着いた声だった。
「あの時、我はラミリスを同じように送り出した。その結果がこれよ……」
「ヴェルドラ……」
「我がもう一度入ったところで、あやつを見つける術はない。それは分かっておる。……だからこそ、貴様に頼るしかないのだ」
ヴェルドラは腕を解き、真っ直ぐに俺を見た。
「我は待つ。貴様が何日かかろうと、ここで待っておる」
三百年、封印の洞窟で独り待ち続けた竜の言葉だ。これ以上に確かな約束もない。
「ああ。頼りにしてる」
(……それとだ、ヴェルドラ)
表向きの会話とは別に、俺は『魂の回廊』を通じて思念を飛ばした。
(向こうで何かあったら、お前が唯一の窓口になる。魂の回廊が一番太いのはお前だからな)
『心得ておる』
(それと、最悪の場合はシエルに全部任せてある。)
『うむ、打ち合わせ通りということだな。貴様とあやつが揃っておるのだ。我が案ずることなど何一つないわ』
(お前、シエルのこと信用しすぎだろ)
『クアハハ。当然であろう』
数日ぶりにヴェルドラの表情が少し明るくなったような気がした。
そんなヴェルドラに俺はもう一つ話を切り出した。
「ヴェルドラ、これはさっきの会議では言ってなかった事だが…」
そう言って、俺は空間収納から一つのアイテム、災厄の核塊(カラミティ・コア)を見せる。
「むう。これは貴様が開発していた…」
「そうだ、試作中の装着変身機構を備えたアイテムだ。これ以外にも色々と持って行くが、そういった品々があっちでも認識されて使えるかのテストができるってわけだ。もしかすると、この装置の原理の解明に一役買うかもしれないだろ?」
「なるほどな…。流石は我が盟友だ。そこまで計算ずくとはな」
そんなヴェルドラに対して、俺は災厄の核塊を再びしまい込みながら言葉を述べる。
「備えあればってやつさ。こっちのことは頼んだぜ」
俺は小さく息を吐き、装置に向かって歩みを進める。
そしてその傍らには、二人の魔王が立っていた。
「おい。準備は済んだのかよ」
腕を組んだまま、ギィが低い声で問いかけてくる。
こいつはラミリスが目覚めないあの日から、ほとんどラミリスに付きっ切りだった。
だが、この時ばかりは俺の見送りに来てくれたようだ。
「ああ。できる備えは全部やった」
「……そうかよ。なら、さっさと行ってきな」
ギィは俺から視線を外し、装置を一瞥した。
「外の面倒はオレが見ててやるぜ。だからテメエは、あの中で出来る事だけを考えろ。……テメエなら出来るだろ?」
「ああ。任せてくれ」
俺がそう返事したときに、ギィは普段は見せないような複雑な表情をした後に「……ラミリスを頼むぜ」と言った。
それは、ギィなりの最大の激励だった。
悲しみも後悔も決して言葉にしないこの男が、ただ俺の背中を押してくれている。
「──リムル」
ギィの隣で、ずっとラミリスの小さな手を握っていたミリムが、ゆっくりと顔を上げた。
いつもの騒がしさはどこにもない。泣き叫ぶこともせず、ただ静かに、真っ直ぐに俺を見つめている。
「ワタシは、ラミリスの傍でずっと待っておるのだ」
ミリムの声は、ひどく静かだった。
「ラミリスが起きたら、一番に『おはよう』と言ってやらねばならんからな。……だから、リムル」
「分かってる」
俺は、ミリムの頭にそっと手を置いた。
「ラミリスを、必ず連れて帰ってくるのだぞ」
「ああ。絶対に連れて帰る」
俺はミリムとギィ、そして背後に立つ仲間たち全員へ向けて、はっきりとそう言い切った。
不思議と、恐怖はなかった。これだけ頼りになる奴らが、俺の帰る場所を守ってくれているのだ。
俺は躊躇うことなく、装置の縁に手をかけ、自らの身体を沈めた。
澄んだ液体が、抵抗なく俺の身体を受け入れ、ケーブルが接続される感覚が伝わってくる。
俺の脳内に相棒の声が響いた。
《──マスター。接続準備、完了しました。これより、内部世界への潜行を開始します》
(頼むぞ、シエル)
装置の周りには仲間達が集まり、俺を見つめている。
「「「リムル様! どうかご無事で…!」」」
「ああ、ちょっと行ってくるよ」
その時、仲間達の姿がどんどんと遠ざかるような感覚を覚えた。
まるで俺の意識が水底に堕ちていくように…。深く…。
リリリ……リリリリリ……