きっかけは日課にしている、S級ダンジョン下層探索だった。
「どーせ編集されるだろうからめっちゃ下ネタ言っちゃお。※※※×××××■■■■■」
他の有力な探索者たちも、彼女の実力に疑いを持ったことはない。
人格には常に疑いがあるものの、まあ、あまりにも圧倒的な才覚と実力でごまかされていた。
「しかし、関東最難関クラスと名高い恵比寿ダンジョンがこの体たらくとはね」
チヅルが今ソロで潜っているのは、日本政府からS級の認定を受けた恵比寿ダンジョンである。
先日もとある有名パーティーが下層探索へと繰り出し、途中で挫折し撤退したばかりなのだが……
「そもそも、日本政府の規格が緩すぎるっていう話なんだよ。これアメリカじゃA級だよ? ボクみたいにダンジョン探索の本場に学びに行く人間がもっと増えないと、一生国際規格から取り残されたままなんじゃないの? なあ、どう思う?」
ぶつぶつ呟きながらも、出現したモンスターたちを片っ端からレーザービームで消し飛ばしていく。
歩むペースは、探索が始まってから一度も落ちていない。
それは彼女の障害になりうるものも、また彼女の興味を惹くものも現れていないことを意味していた。
「はぁ……独り言も飽きてきたな。別にボク、猫猫じゃないし。そもそもWEB小説読んでて説明セリフが長すぎると冷めるタイプだし」
非常に余計なことを言いながら、チヅルは下層の折り返しである八十五層へと降り立った。
このレベルになると、出くわすモンスターはツブですら他ダンジョンではエリートに相当する。
しかし、それでも、チヅルを阻むには至らない。
「……数が少ないな」
曲がり角で飛び出してきたバイソン型モンスターを蹴り殺しながら、ふとぼやきが出た。
こういったS級ダンジョンの下層となると、他のダンジョンと違ってもはや
そんなルート構築が不可能なほどに、大量のモンスターが行く手を阻むからだ。
しかし、チヅルの前方にはダンジョンの洞窟が静かに続いているのみ。
ライトの光を左右に振れども何もない。
「……妙だね、これは。何かが起きていると考えるのが自然だ」
一応、思ったことを口に出す。
すべてを編集時のテロップに任せるとありえないゲンコツが飛んでくるのを、チヅルは学習していた。
彼女は基本的にダンジョンに関するコンテンツの発表を、生配信ではなく編集した動画投稿で行っている。
理由は――ダリア内部での『お前が配信なんかしたら問題発言ばっかりするに決まってるだろ。編集担当にその辺をチェックさせてからじゃないとアップすんじゃねーぞ』という、本人以外満場一致での採決があったからだ。
「ダンジョン内において、モンスターの出現数が増減するのは……たいていの場合、そのダンジョンで構築されていた既存の秩序が乱された時だ。となると、恵比寿ダンジョン下層に何かしらの異分子が現れた可能性が高いね」
そうつぶやいた、矢先だった。
ゆらりと、チヅルの視界の隅で影が動いた。
「誰だ――――」
剣のように杖を突きつけて、足を止める。
向こうは動かない。それを確認してから、チヅルはゆっくりと何かが動いた方へと歩く。
果たして、ライトが照らしたのは、地面に横たわってもぞもぞと動く一人の男だった。
「……フン、なんだ。死に急いだ探索者か」
そこでチヅルはいったん、カメラを閉じた。
死体を映したところで編集でカットされるだけだが、編集担当には、あまり見せたくない。
「おい、助かるかどうかボクには判断できないぞ。念のために、遺言があるなら聞く」
ボロボロの服は、かろうじて迷彩柄が識別できる程度。多数あったであろうポケットはほとんど破れており、その役目を果たせなくなっている。
「……おれ、は……」
「うん」
「おれは、だんじょんに……行かなくちゃ……」
「は?」
ここが、ダンジョンだ。
関東最難関のダンジョン下層部にぶっ倒れておきながら、ダンジョンに行かなくちゃ?
「はぁ、意識の混濁があるのか。仕方ない――探索を切り上げてこいつを地上に……ってカメラ切ってるからもう言わなくていいや」
頭をかいて、チヅルはバックパックに詰めている緊急用物資の存在を思い出した。
「そうだ。ちょっと治療しようか。確か上級ポーションがあったはずだから」
ひょいっと手を振って、バックパックの中からポーションを手の中に転移させる。
チヅルはそれを男に飲ませるべく、手を伸ばして。
「――――ッ! 触るなッ!!」
咄嗟の反応が間に合ったのは奇跡だった。
チヅルが大きく飛びのいた刹那、空間が丸ごと断ち切られる。
振るわれた
先ほどまで、男はそんなもの持っていなかった。
いいやそもそも、持っていたとしても振るえる体勢ではない。
答えは簡単で、チヅルが近づいた刹那に、男は恐るべき速度で上体を起こし、どこからともなく引き抜いた剣を振るったのだ。
(……ッ!? なんだこいつ!?)
「俺は! ダンジョンに行かなくてはならない……!」
「だ、だからここが、ダンジョンだって」
「俺は使命を忘れてなんかいない……! 俺は、俺たちはまだ負けていない! 俺たちはダンジョンに、ダンジョンに……そして、人類を……」
チヅルの言葉など届いていない様子で、男はぶつぶつと何やら呟き。
そして、手の中から黒い剣がふわりと消えた。
「――――ぅぁ」
うめき声と共に、男が地面に崩れ落ちる。
「……ほんと、何なんだよこいつ」
呟いて、チヅルはもう一度、頭をガシガシとかいた。
飛びのいた際に、彼女の杖は退避が間に合わず、その半分ほどが丸ごと消失している。
世界最強クラスの探索者の武装を一瞬で破壊できる男が、一人でダンジョンに倒れていた。
それはかなり面倒くさい性格のチヅルからしても、ありえないほど面倒くさい事件だった。
◇◇◇
「……というワケで、ボクはヒロシを拾って、今に至るんだ」
中華屋さんの壁に投影した映像から、チヅルさんは顔をこちらに向けた。
見ながら食べまくっていたので、口元にはケチャップがついている。
ああもう、拭かないと。
「ボクがコイツを拾った状況からして、尋常ならざるものをオマエたちも感じるだろう?」
「……確かに、単に探索に失敗して記憶を失った、って言われると微妙ね」
腕を組んでアリアさんが俺を見やる。
「一番ヘンだと思ったのは、発見された時のアンタの服装よ。あれ軍隊の制服にしか見えないんだけど……あんなモデルは見たことがないわ」
「はぁ……コスプレでもしてたんじゃないですかね」
「恵比寿ダンジョンで? だとしたら随分と陽気なパーティーに入っていたのね」
微かな記憶の残滓によれば、まあ、それなりに陽気ではあったと思うんだが。
しかし言われてみると、単なる探索者の服って感じではなかったな。
つーか俺知らなかったんだけど、あんな服着てたの?
「それにあの剣……阿佐ヶ谷でこの間見たのと一緒だよ。ハカセくんの目が赤くなったのまで同じだ」
カスミさんの指摘に、俺は思わずチヅルさんの口元を拭う手を止めた。
「目が、赤く……? そんなバカな!」
「な、なに? もしかしてハカセくん、それに関しては心当たりがあったりするの!?」
「データキャラは画面の見過ぎで目を充血させたりしません! ありえない話ですよ!」
「ありえないのはアンタの全てよ」
〇本当にそう
〇ていうかチヅルさんの武器を一瞬で半壊させるってありえなくないか
〇動画で一回見たんだけど、パレードリーダーの剣とあの杖で打ち合ってたことあったよな
〇えぇ……
〇ハカセとチヅルのどっちにドン引きすればいいのか分かんねえよ
「あれ、でもまだ映像終わってないですね」
「え? なんで?」
早送りになってる映像は、俺を抱えてチヅルさんがダンジョンを出た後、病院に行ったり、俺と一緒に役所に行ったりしていた。
あれ? これ、俺が個人勢始めるぐらいの頃になってないか?
「た、大将!! これ止まんないんだけど!!」
「あいよ」
「あいよじゃないんだよ!」
大将に言ったところでどうしようもないだろ。
◇◇◇
チヅルが嫌というほどに理解したのは。
男は自身が何者か、それどころかチヅルと遭遇した時のものすら含めて、記憶を失っていたが――それ以上に死にたがりだということだった。
「だから言ってるよな。オマエは記憶喪失で、自分で食い扶持を稼げるようになるまではボクが面倒を見てやる。でも、ダンジョンには潜るなって」
「なんでだよ、ったく」
男――
そこで何度も同じ話をした。
「そもそも、俺がどっかで虫けらみたいに死んでも、テメェには関係ねえだろ」
「ある。ボクが拾ってきたんだ、寝覚めが悪い」
「それは実害じゃねーぞ」
彼はいつも、自分も他人もどうでもよさそうだった。
ただひたすらに、身を焦がす衝動のままに、ダンジョンへと潜っていた。
装備類は、いつの間にか自分で仕入れていた。
上層の簡単な採集で利益を出して、装備にあてていたようだ。
水木チヅルは、彼が探索に行って帰ってくるたび、不安になった。
ダンジョンで見つけた彼は、ダンジョンに帰ってしまうのではないか、なんて馬鹿げた考えもあった。
(……別に、どうなろうとしったこっちゃないけどね)
彼が作った料理は、別にお店のレベルじゃない。
時々ちょっと焦げているぐらいだ。
顔立ちはそれなりに整っているが、世界中の強豪や有名人と顔を合わせる機会のあるチヅルからすれば、物足りないぐらいだ。
そして何よりも、そんなに強くない。
あの時自分の武器を破壊したのは何だったのかと問い詰めたくなるぐらい、彼は探索のたび、しょっちゅう傷を負ってきた。
「ボクが拾ったのに、なんでボク以外に傷つけられてるんだよ」
「は? それはまあ、俺が未熟だからだろ」
それでも、確かに、彼は日々強くなっていった。
新たな技術を覚えたとかではなく、感覚を取り戻していった、と表現するべきだろう。
「……オマエはなんでそんなに死にたいんだ」
「死にたいんじゃない。ダンジョンが俺を呼んでるんだ――使命を忘れるな、って。俺はその使命が何なのか思い出さなきゃならねえ」
生活に入り込まれた、というのを自覚したのは、手遅れになってからだった。
食事だって一人だと味気なく感じた。
家に帰ればアイツがいるしな、と自然に思考している自分に気づいて、愕然とした。
水木チヅルは、九条博士の死を恐れるようになっていた。
毎日顔を合わせる相手が、冗談を言えば笑ってくれる相手が、自分の生還を正面から祝ってくれる人がいなくなるのが、怖くなっていた。
「だから、もう、ダンジョンに行くなって言ってるだろ……」
「すまねぇ、ダメだ。チヅルさんにはその、申し訳ねえと思ってる。恩人だし、俺の帰りが遅いと、夕飯食うのも遅れるし。でもこれは……こればっかりは譲れないんだ、ごめん」
そんなことを言って。
オマエもどうせ、ボクを置いていくんだ。
ダンジョンから帰ってこなかった父さんみたいに。
煙みたいに消えてしまうんだ。
「分かったよ」
「ん……え、あ、分かってくれたのか!? サンキューな、チヅルさん! ほら、俺も結構強くなってきたしさ。いつかはその……チヅルさんと肩を並べて、一緒に探索できるようになるかも――」
「お前の両足を砕く」
「…………え?」
直後、ダリア荘の一室は内側から吹き飛び、最終的に建造物そのものが半壊するに至った。
チヅルは同居人と共に七日間行方不明となり、帰ってきた時には、片頬を腫らした彼女が隣の男をダリアの非公開オーディションへと推薦する運びとなった。
ダリア内部の者たちから、この事件は『痴(話)の七日間』と呼ばれるようになった。
◇◇◇
「わあああああああああああ!! 止まれ!!! 止まれよ!!!! 止まれって言ってるじゃんか!!!!!!」
「これ配信に乗せていいんですかね」
「いいわけないでしょ!?」
「ていうか監禁しようとした初動で建物吹っ飛ばしちゃうの、監禁ヤンデレキャラの適性がなさすぎるよ……」