データキャラの朝は早い。
起床は午前6時。
今日は寝床にチヅルさんが潜り込んできていないので、体が軽い。首筋に変な赤い痕もない。
布団から起き上がり、カーテンを開けて、朝日を体いっぱいに浴びる。
不健康なデータキャラはデータキャラじゃない。
俺は様々な健康法をデータ的に把握し、データ的に実践しているのだ。
だからこそ、俺よりはるかに不健康なダリアの先輩方がとても心配になる。
具体的には部屋に引きこもってずっとlolやってる人とか。
寮なんだし、もう一階に食堂とか作って朝ごはんはみんなで食べるとかにしてくれねーかな。いやでも部屋から出てこないから意味ないか。
……と、忘れちゃいけない。
俺は枕の近くに置いていた眼鏡を拾い上げると、スチャとかけた。
「ふう……」
あぁ、眼鏡をかけると脳が切り替わる。
野蛮な自分から卒業し、データという名の海へとダイブ。
こんなに気持ちいいことはない。
脳から伝達される快楽物質が途切れるのを待ってから、俺はさっと寝間着から学ランに着替えた。
そして部屋の片隅にある姿見に向き合う。
モーニングルーティーンの時間である。
「僕のデータ通りですね。僕のデータ通りですね。僕のデータ通りですね。僕のデータ通りですね。僕の…………」
眼鏡に投影されるフレーズを口から発する。
鏡の中の自分を見つめながら、データキャラとして頻出のフレーズをそれぞれ十回ずつ言う――俺はこれを『朝礼』と呼んでいる。
「こんなの僕のデータにないぞ!? こんなの僕のデータにないぞ!? こんなの僕のデータにないぞ!? こんなの…………」
データキャラたる者、咄嗟の反応でこういうことを口走らなければならない。
そのためには、反復練習によって身体に覚えこませることが必要だ。
チヅルさんの言いつけで始めた当初は半信半疑だったが、今となってはこれのない朝なんて考えられない。
さすがにダンジョンで野営する時とかは自重してるけど。
「――よし、ルーティーン完了」
いくつかのフレーズを暗唱し終えてから、俺は部屋の中心に折り畳みのローテーブルを出した。
普段は片づけているが、流石に食事を床に並べたくないからな。
それから冷蔵庫に向かい、食料を狭いキッチンに並べる。
今日作るのは簡単なベーコンエッグと食パンだ。
フライパンの上で卵とベーコンを焼き上げ、残った油でパンに焼き目をつける。
それを繰り返し、大皿に移してはローテーブルに置く。
卵を十個、パンを一斤ほど使ったころ、俺は振り向かず背後に声をかけた。
「チヅルさん、どうですか?」
「フン、まあまあだな」
音もなく俺の部屋に現れていたチヅルさんが、ベーコンエッグとパンをむしゃむしゃと食べていた。
基本的には多忙で世界中あっちこっちを飛び回ることも多い人だが、日本にいる時は毎朝俺の部屋で朝食を取ってくれる。
「もぐ、んぐ……ふう。あ、牛乳切れそうだったから、買っておいたぞ」
「ありがとうございます」
彼女の部屋にも冷蔵庫はあるのだが、そちらは部屋で行われている変な実験の素材やら試薬やらで埋め尽くされてしまっている。
そこで俺の部屋の冷蔵庫が、二人共用のものとして扱われているのだ。
当然、当初あったものではまったくサイズが足りなかったので、チヅルさんが勝手にめちゃくちゃデカい冷蔵庫を運び込んできた。俺の部屋の家具らしい家具ってこれぐらいだなあ。
「今日はどのようなスケジュールなんですか?」
「んぐ、ごくごく……ぷは。午前中はアメリカのシンポジウムに参加してくる。オクラホマの一件から、向こうじゃエクストラクラスの解析と対抗措置の模索が喫緊の課題だからね。さすがは本場、聴きごたえがあるぞ」
チヅルさんは渡米してダンジョン探索を習った経験があるので、ダンジョン先進国であるアメリカに太いパイプを有している。
こうして日本を離れることがしょっちゅうあるのは、そうしたつながりを世界中に持っているからだ。
まあ特定の誰かと仲良いわけじゃないっぽいのが悲しいところだけどな。
「あとさあ、ヒロシ」
「なんですか?」
俺は最後のベーコンエッグを皿に載せてから振り向く。
自分の分を食べ終わってだらっとくつろいでいるチヅルさんは、非常に微妙そうな表情だった。
「ボクが言い出したことなんだけど……鏡に向かって喋るルーティーン、思ってたより怖いからもうやめな?」
「嫌ですけど。もうこれをこなさないと一日が始まった感じがしないんですよ」
「もしかしてとんでもないモンスターを生んじゃったのか? まあ責任取ればいいだけか」
◇◇◇
「そっち行ったよ!」
「分かってる!」
カスミさんのかけ声に応じて、アリアさんが鎌を振るう。
彼女の斬撃が、空間に投影された仮想モンスターを切り裂く。
視界を埋め尽くすような仮想モンスターの大群に対して、俺とアリアさんが前衛、カスミさんは状況を見てそれぞれを素早く援護する後衛を振り分けられている。
今、戦闘が始まって二十分ほど経過しているだろうか。
視界の片隅に表示されているキルスコアを確認すれば、あくまでツブの軍勢相手だが、俺が120体、アリアさんが78体、カスミさんが23体を撃破しているのが分かった。
「ハカセくんもそっちの集団に対応!」
「了解です」
俺は俺で、両手のプロテクターで目の前の仮想モンスターを殴り倒して回る。
うーん……眼鏡かけたままこの装備使うの、違和感半端ないな。
クリティカルも全然出ねえし。おかしいな、データ上はバンバン出るはずなんだが。
俺たちがいるのは、ダンジョン探索者用の練習場だ。
市民体育館を数個連結させたぐらいの広さを誇るここは、申請した探索者なら自由に利用できる。
正直言って――まあ初心者向けの設備である。
なにせダンジョンは、根本的に予習というものがききにくい。
人類が踏破して
この設備は、あくまでもダンジョンそのものに慣れるための足掛かりに過ぎない。
では、なぜ俺たちがそんな設備を利用しているかというと。
「――よし、ちょっと止めよう!」
カスミさんが手元のデバイスを操作すると、俺とアリアさんが交戦中だった仮想モンスターが動きを止め、それからスーッと薄くなって消えた。
「今の動き、俯瞰映像で確認するね」
「ええ」
カスミさんとアリアさんが、顔を突き合わせるような姿勢で投影モニターを注視する。
さすがに割って入る勇気はないので、俺はその後ろから覗き込んだ。
俺たち三人がきれいな三角形の位置取りをして、モンスターの群れと戦い始めているところが映っている。
三人とも、練度は悪くないように見えるが……
「やっぱり開始数分でもうハカセが前に出てるわ。なんかおかしいと思ったのよ」
「うーん、あーちゃんが上手く合わせてくれてはいるんだけどね」
これは、今後も三人でダンジョンを潜っていく上での、連携の確認だ。
「面目ありません」
「謝んないで。これはそこを認識するための訓練だから」
アリアさんは硬い声で、こちらを一顧だにせずそんなことを言った。
その声色に、俺は勝手に身を小さくした。
そう――カスミさんとアリアさんは、先日の阿佐ヶ谷ダンジョンの一件以降、俺のことを完全に格上の探索者として認識してしまっていた。
だからこの連携訓練というのは、三人で上手くやっていこうというのではなく、
本当に恐縮である。
俺はダリア所属の新人探索者であって、キャリアは二人の足元にも及ばないのだから。
「クッ……ここ、明らかにハカセが敵をひきつけたわね」
「ハカセくん、これはわざと?」
「あ、はい、そうですね。アリアさんの負担になると思って……」
ギリ、とアリアさんの方から、歯を食いしばる音が聞こえた。
ふえぇ……怖いよう……
「うん、うん。見れば見るほどに痛感するね、ハカセくんは単体戦力として完成され過ぎてる」
「悔しいけど、同感よ。後ろで見てるカスミは把握できてたかもしれないけど、あたしの認識よりずっとハカセが敵を請け負ってるわ」
そりゃまあ、はい。
俺だってダテにダリア所属じゃないから、こういう時に楽をさせてもらう側でいるわけにはいかない。
「……今ので何回目だったかしら」
「トライは七回目だね。施設の使用時間もあと少しだし、ここまでにしよっか」
その言葉を受けて、俺とアリアさんは(彼女はちょっと悔しそうに)うなずく。
いやあ、投影された仮想敵相手とはいえ、動き回ったからちょっと疲れたな。
初心者向け設備とは言ったが、なかなかバカにできないものだ。
「ふぃー……ちょっとだけ配信しよかな」
「出たわね配信妖怪」
「もう! あーちゃんまでその呼び方しないでよ!」
事実だから仕方ねーだろ、というツッコミをぐっとこらえた。
カスミさんはその場に座り込んで、スマホをてきぱきと操作する。
「今日は普段と違ってSNSの方でのインスタントライブだしぃ~……あ、みんなやっほー!」
うおもう始めたんかい。早すぎるだろ。
さすがに初手で映り込むのはやばいか、と俺は静かにすみっこへ移動する。
「アンタどこ行ってんの?」
「いえ、パーティー組んでダンジョンアタックしてる分にはまだしも、日常的な配信に映り込むのはいかがなものかと……」
「超今更なんだけど」
それは、本当にそう。
肩をすくめてから、アリアさんは俺の肩を掴み、無理やりカメラの画角内に連れ込んだ。
「やっほ。今回もお邪魔してるわよ」
「こ、こんにちは」
恐る恐るあいさつをする。
ハッ――いかん。データキャラのあいさつって本当にこんな感じか?
もっとこう、『本日も絶好のデータ日和ですね(クイッ』とかじゃないのか?
「今日は三人で訓練してたんだ! 次のダンジョン探索に向けて、いろいろと調整しなきゃいけないことがあるからね~」
俺が口を開こうとした矢先、カスミさんが次の話題に移ってしまった。
くっ、なんてことだ。
「なんてことはない一日、ってカンジだね~。なんか普通に訓練してたらダンジョンに潜ろうっていう気持ちがまったくなくなっちゃった。ダンジョンアタック? 頭がおかしいんじゃない? 動物たちが住む森や自然を守りたいよ……」
リラックスした様子で、カスミさんは雑談を続ける。
何を言っているのかはマジで分かんなかったけど、まあ、今に始まった話じゃないからいいや。
俺はチラリと、カスミさんの配信のコメント欄に目をやった。
映り込んでいることについて、なんか言われてたら嫌だったからだ。
〇カスミン最近ますます可愛くなってきた気がする
〇アリアさんを見れるのアド過ぎる
〇ハカセくんは元気で礼儀正しくて可愛いなあ それに比べてカスミ!!!! 雑なミーム擦りはいい加減にせんか!!!!
〇本郷さん落ち着いて
〇でも本郷さんが正しいよ……
〇若葉"インターネットミーム"カスミ
おぉ……なんてまっとうな民度なんだ……
一瞬だけありえない怪文書が見えた気はするが、忘れよう。
比べて、俺のチャンネルはなんなんだ?
一時期はlol星人に制圧されかけていたぞ。
あと配信主である俺に対する敬意が圧倒的に足りていない。
〇しばらくは三人パーティーになるのかな?
〇この組み合わせド迫力のバトルが見れるから結構好きになってきた
〇カスミンの安全もまあまあ保障されるしな
〇変なイレギュラーさえ発生しなければ……
変なイレギュラー、のところで、アリアさんが俺を小突いた。
「なんですか、自覚はありますよ」
「違うわよ。アンタのことじゃないし、アンタのせいでもないってコト」
あこれすげえ気を遣ってもらってるわ。
実際、阿佐ヶ谷ダンジョンの事件の発端は、オクラホマにいたはずのウォーキングが転移してきたせいだったしな。
……冷静に考えるとあのワープホール普通にだめじゃない? あんなの使われると、いよいよどのダンジョンにあいつが出てきてもおかしくないんだけど。
〇次はどのダンジョンに潜るん?
その問いかけに、カスミさんがぐいと俺たちを見上げた。
「だってさ。目標とかある?」
「そうね……この三人なら、C級に行くのはスキップしていいんじゃないかしら。なんなら、いきなりA級って線もあるわよ」
それを聞いて。
カスミさんは、普段とまったく変わらない表情、まったく変わらない様子で。
「じゃあさ、渋谷ダンジョンはどうかな」
渋谷ダンジョン――確か日本政府の規格で、A級に認定されているダンジョンのはずだ。
恵比寿や八王子、東京セントラルといった国内最難関S級ダンジョンに比べれば一歩劣るが、それなりの難関ダンジョンだと座学で習った記憶がある。
「――アンタ、それって」
「うん。私が行きたいっていうか……いつか、行かなきゃって思ってたから」
隣のアリアさんは、やけに言葉に詰まっていた。
何か因縁でもあるのだろうか。
「……そう、ね。それは、あたしもよ」
アリアさんの声も、若干だが硬いものになっている。
見ればコメント欄も一気に落ち着いたというか、みんな口数が減っていた。
〇まあ、そうか
〇はい
〇気を付けてね
〇いつかその日が来るとは思ってた
「じゃ、次の配信は多分、渋谷ダンジョンの探索だと思う。日程が決まったら枠立てるから見に来てね! じゃあね~」
そう言って、カスミさんは配信をあっさりと終えた。
「じゃあ、帰ろっか」
「あ、はい」
返事をしたのは俺だけだった。
いかにも様子のおかしいアリアさんと、いかにも普段通りですといった様子のカスミさん。
俺は二人を交互に見て、ただ首をかしげることしかできなかった。
◇◇◇
カスミさんは、設備の使用終了手続きがあるだとかで、俺たちに先に帰るよう言った。
そのため俺はアリアさんと二人で施設を出てから、しばらく無言で帰り道を歩いていた。
……二人は、渋谷ダンジョンという言葉が出てから明らかに様子がおかしくなった。
アリアさんは目に見えて、そしてカスミさんは、なんというか……意図して感情を制御しているようだった。
「あの」
「あのさ」
口を開いたのは同時だった。
俺とアリアさんは足を止めて、視線を重ねる。
「……多分、アンタが聞こうとしたことを、あたしは話そうとしたわ。一応、アンタには話しておかなきゃいけないと思うし」
「渋谷ダンジョンのことですね?」
うなずいて、彼女は夕日の中で、長くまばゆい金髪をゆらりとたなびかせた。
「お二人は、渋谷ダンジョンと何か因縁があるのですか?」
「あるわ。あたしもだけど、特にカスミの方がね」
彼女はそっと視線を上げた。
見上げた先、オレンジ色に染め上げられた空は、まるで太陽の断末魔が響き渡っているようだった。
「渋谷ダンジョンは……あたしたちの同期の配信者、それもカスミの親友だった子が、行方不明になった場所なのよ」