Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
「このオレンジを受け取るシーンは完全なアドリブなんだ。映画の撮影だと知らなかった青果店の店主がトレーニング中のプロボクサーだと勘違いして、応援するつもりでオレンジを投げてよこしたんだ」
僕はグレースと一緒に「映画」という娯楽作品を楽しんでいた。映像でストーリーを構築する芸術作品の一種だ。本来は平面の巨大なスクリーンに投映して大勢で楽しむものらしい。
その中でも”僕の地球名と同じタイトル”の作品をグレースは勧めてくれた。
『予定に無かった即興の演技、そのまま採用した、質問?』
「その方が魅力的になるなら採用する。芸術ってのはそういうもんだ」
両腕での殴り合いで勝敗を決める「ボクシング」という競技。その才能はあるのに自堕落な主人公はひょんなことから世界王者とマッチングしてしまう。主人公は周囲に支えられ猛特訓の末に実力を身につける。
世界王者には負けてしまうが、最後まで互角の見事な戦いを観客に見せつける。そして愛する者と結ばれる。そういうストーリーの映画だ。悪くない。同じ名前をもらって誇りに思う。
僕らは映像を鑑賞しながら互いの惑星の知識を出し合って、比較と考察を繰り返した。それは時が経つのを忘れるほど楽しいことだった。
僕はエリドのことをたくさん話した。でも僕は科学者じゃなくてエンジニアだ。工学以外で持っている知識は限られる。そんな僕の語るエリドの生命や文化であってもグレースは強く興味を持ってくれた。
エリド生命も地球生命と同じく水を基盤とした炭素生物であること。
地球生命よりずっと大規模に
エリディアンを構成する細胞はせいぜい数キログラム程度なこと。
水銀の血液中を”働き細胞”達が泳いで無機物の身体を維持していること。
大気とのガス交換はせず、代謝で生まれる熱を放出するための呼吸を行うこと。
食べ物には大量の重金属が含まれていること。
脳は結晶構造で、内部で屈折と反射を繰り返す光によって情報処理をしていること。
僕の拙い知識のひとつひとつにグレースは仰天してくれた。ビックリするグレースは面白い。
そして僕もグレースの語る地球人の生理機能に仰天した。全身のほとんどが水で細胞だなんて、やっぱり地球生命は狂ってるやがる。
映像ルームは地球のあらゆる場所の映像を全方位に映すことができた。グレースは映像と一緒に地球のことをたくさん話してくれた。
地球は国家という集団で分割され統治されていた。
アメリカ、イギリス、ロシア、中国、イタリア、ドイツ、インド、日本、フランス、韓国、ブラジル、アイルランド、マレーシア、カナダ、チェコ、メキシコ。
これらの国家はいがみ合うことも多いけど、ヘイルメアリー号建造の際には一致団結したという。素晴らしいことだ。エリドと同じくらい複雑で多様な社会にたくさんの人々が暮らしていた。
有名な建築物も回った。
ギザのピラミッド、万里の長城、ブルジュハリファ、ゴールデンゲートブリッジ、自由の女神、エッフェル塔、サグラダファミリア、姫路城。
どれも独創的だが合理的だった。キセノナイトも無しに努力と工夫で何もかもを積み上げ続けた地球人に僕は感嘆した。
雄大な大自然の中にも飛び込んだ。
グレートバリアリーフ、エベレスト、南極大陸、イエローストーン、グランドキャニオン、イグアスの滝、サハラ砂漠、マリアナ海溝、アマゾン熱帯雨林。
陸も海も空も、どんな場所も無数の生命であふれていた。グレースはその生命達の価値を熱く語った。
地球の音楽もたくさん聞いた。
腰を激しく動かすロックンロールの王、カブトムシを名乗る至高の4人組、男性しかいないのに女王なバンド、キレキレのダンスで魅せるポップの王。
惑星中を震わせたアーティスト達の曲をグレースと一緒に歌った。マシンの翻訳越しなのでテンポも音程もズレたけど楽しかった。
グルメ、工具、コミック、動物、ゲーム、乗り物、ドラマ、宗教、アニメ、美術、インターネット、家具、ファッション、映画。
気になったモノがあればそのたびに僕はグレースに尋ねた。科学者と教師の経験で得られた膨大で網羅的な彼の知識は本当にすごいものだった。まるで地球博士だ。
地球巡りを僕はとても楽しんだ。それは本心からそう思っていることだ。
でも光を聞くことができたらもっと楽しめただろう、という気持ちもあった。
光センサーと聴覚ディスプレイで認識できる情報量には限度がある。センサーの受光範囲だって広くはない。周囲に意識を向けたって、作り物の音を響かせる丸い部屋しか存在しない。
ディスプレイに映る各国の小さな風景。切り取られた観光名所。凹凸で無理やり表現した大自然の色彩。観客の熱狂から隔離されたライブ。
それだけでも確かに素晴らしいものだ。本来なら異星の風景なんて欠片も分からないのだから。
ただ映像で得た以上に、僕の記憶に残ったモノがあった。グレースの笑顔だ。
地球人の喜びの表現”笑顔”は口を開いて両端を上げ、まぶたによって眼を細める形で表現される。映像を見ている間のグレースはほとんどずっとその表情だった。
各国の文化の違いを語り、建築の質問に答え、生命種がいかに価値あるものか力説し、僕と一緒にヒットチャートを歌う。そんなグレースは底抜けに嬉しそうだった。
教える楽しさもあるだろうけど、地球の光景を心の底から楽しんでいる気持ちが伝わってきた。こんなにも感情を発露しているグレースは初めてだ。彼の喜びに引っ張られて僕も嬉しくなってしまう。
地球には無数の命が生きている。無数の文化が根付いている。グレースの笑顔はその無数の価値を物語っていた。
いつしか僕は地球を好きになっていた。小さなディスプレイでしか聞こえなくても分かる。
グレースをこんなにも笑顔にしてくれるのだから、きっと地球は素敵な惑星に違いない。
映画を続編とスピンオフまで鑑賞した次の日、出発から10日目。明日にはタウセチeの軌道に乗るための仕事に戻らなければならない。
そんな折、グレースはとある都市の外れの風景を選択した。
サンフランシスコ。坂道の多い港湾都市。グレースの住んでいた街だ。空気中の水蒸気が凝結して視界をさえぎる”霧”が発生することで有名だという。
「僕はこの霧が好きなんだ」
キセノナイトボールに背を預けて座るグレースは、ぼんやりと遠くを眺めるようにそう語った。
映像ルーム内ではサンフランシスコの浜辺を包む濃い霧が映されている。ほとんど何も映っていないとも言える。
『地球人、視覚に依存している。なのにグレースはそれが妨げられるのが好き、質問?』
「ああ。霧は余計なモノを覆い隠してくれる。ゆっくり考えを巡らせるのに向いている天気なんだ」
『思考に集中できる。良い天気』
「そうだ。霧が恋しいよ」
適度に情報を遮断してくれるのが好きということだろうか。分からなくもない。静かに1人でいたいエリディアンだっているものだ。
「ロッキーは、故郷の何が恋しい?」
呟くようなグレースの問いかけに、僕はしばらく考え込む。故郷のいろいろなモノが恋しい。重力も大気も友達も。
その中でもとびきり恋しいモノを1つ挙げるとするならば。
『……僕の
「キミ既婚者だったの?」
ガバっとキセノナイトから背を離して僕を見つめるグレース。
僕は肯定の代わりに、脚の1つに埋め込んだ
「それは……婚姻の印か。地球人も左薬指に揃いのリングを着ける」
へえ、映像の中で指に金属の輪を装着している地球人がいくらか見えたけど、そういう意味合いだったのか。
「付き合って長いのか?」
『地球換算で186年』
「長いな。すごく長い」
『でも、もっと会いたい』
地球人の寿命については映像と共に聞いていた。ざっと80年。エリディアンは689年だ。グレースからすると膨大な年数に思えるかもしれない。
それでも、愛する者と一緒に居たいと思う気持ちは理解してくれるはずだ。地球人も基本的に有性生殖の一夫一婦制らしい。映画でも恋愛模様は描かれていた。
「そうだよな。帰って、会いたいよな……」
グレースは神妙な顔付きで黙ってしまった。参ったな。そこまで真剣に受け取るとは思わなかった。
『グレースには
「……今はいない。昔はいた」
気まずい雰囲気を打開しようと放った僕の問いかけは、また別の気まずさを生んでしまった。グレースは霧の空を見ながら続けた。
「”あなたは逃げてばかりで現実を生きてない”って言われてね。フラれてしまったんだ。彼女は今ごろ、マークって男と一緒かな」
『僕その男嫌い』
グレースが現実を生きてないだって? 地球を救うためこんなにも危険な任務に就いているのに? きっとそのマークとかいう男が奪ったに違いない。
もしくは……過去のグレースはもっと違った性格だったのかもしれない。
「それより、キミの
『名前は──』
僕は愛しい名前を歌い上げる。エリディアンは名前に出身と家系を織り交ぜ、感情さえも内包させる。グレースには理解できなくても、僕はその名を存分に奏でた。
愛する者への気持ちを発露するのに手を抜くわけにはいかない。地球言語の6倍という情報密度の中に全てを乗せる。一緒に過ごした日々を、その思い出を。
「……綺麗な名前だね」
『地球での名前、どうする、質問?』
固有名詞は新たに考える必要がある。グレースは少し考えてから、思いついたように提案した。
「エイドリアン、なんてどうかな」
確かその名前は、映画の中で僕と同じ名前の主人公と恋人になる女性の名前だ。
ペットショップの内気な店員だった彼女は、主人公の誠実な人柄に触れ少しずつ心を開いていく。続編では主人公と結婚して子供もいた。ファイナルでは病死していたけど、シリーズを通してずっと主人公を支え続けた誠実な女性だ。
彼女もまた主人公の愛によって精神的に成長していく素晴らしい人物だ。地球名、エイドリアン。ふむ、悪くない。
『良い名前。美しい』
「オーケイ。エイドリアンで登録するよ」
『エリドで僕を待っている。必ず帰る』
「ああ、絶対に帰らなきゃな」
また霧の向こうを見るようにグレースは言った。
それからグレースは僕とエイドリアンの馴れ初めや求婚の言葉について尋ねてきた。
両性種族と有性種族。その違いにより地球言語に変換が難しい概念もあって話すのは難航した。でも今まで知らなかった僕の一面を聞いてグレースは楽しそうにしていた。地球について語る時とはまた違った笑顔だ。
僕も楽しかった。美しく愛しい日々をグレースに語るのは寂しさを紛らわすのに役立った。きっと彼もそれを目的に話題を振ったのだろう。優しいエイリアンだ。
グレースは優しい。不器用だけど好奇心にあふれ、優秀な科学者で教師でもある。少なくとも僕にはそう思える。
彼にも僕の知らない一面があるんだろうか。分からない。
航海10日目はそうやって霧の中を過ぎていった。
タウセチeまでの距離、残り1400万キロメートル。