Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
アストロファージ。直径10マイクロメートル、重量20ピコグラム。あらゆる熱と光を完全に吸収してしまう単細胞生物だ。
こいつは吸収したエネルギーを蓄え、波長25.984マイクロメートルの赤外線として放射する。地球ではこれを発見者にちなんでペトロヴァ波長と呼んでいる。
アストロファージはこの放射光の反動を使って宇宙を飛んでいく。細胞1個分のロケットだ。
エサとなる恒星を感知するとアストロファージはそちらに向かう。どんな超高温も彼らにとってはご馳走にすぎない。
恒星表面で充分なエネルギーと水素を蓄えたアストロファージは、恒星の磁場に沿って極域から飛び出す。そして二酸化炭素の放射光を見つけたらそちらへ急激に進路を変える。
これは二酸化炭素のある惑星が軌道のどこにあっても感知するための進化だろう。極域から飛び出し、標的へ進路を変えるアストロファージ達の流れは巨大な弧を描く。ペトロヴァラインだ。
二酸化炭素のある惑星に突撃したアストロファージは、細胞内の水素と周囲の二酸化炭素を使って自己を複製する。
繁殖したアストロファージはまた恒星に向かって飛んでいく。これを繰り返す。恒星の表面は真っ黒の細胞が大量に巣食うことになり、暗くなる。これがアストロファージの生活環だ。
《宇宙はとても暗く、タウセチeは緑色だった》無線機越しにグレースの声が聞こえてくる。《本当にデカいな》
『タウセチe、直径2万636キロメートル。地球の倍近い』
《スーパーアースってやつだ。この距離でも視界いっぱいに広がってるよ》
僕達を乗せたヘイルメアリー号は現在ペトロヴァラインの末端にいる。すなわちタウセチ星系で最も二酸化炭素が豊富な惑星、第4惑星タウセチe。
その衛星軌道上、高度5000キロメートル。綺麗な円軌道を周回している。
グレースはサンプル採取機を携えて船外活動の真っ最中。僕は操縦室で各種センサーの様子を光センサー越しにモニタリングしている。
『分光スペクトルによる分析結果。大気成分、二酸化炭素91%、メタン7%、アルゴン1%。残り、微量ガス』
《その組成で惑星表面が見えないってことは、とんでもなく濃い大気だぞ》
『たくさんの二酸化炭素、アストロファージに適した環境』
《違いない。あの雲の中で繁殖しているんだ》
船外カメラにグレースの姿が映っていた。以前は酷く不器用だったけど、いま宇宙空間でテザーを操って移動しているグレースは滑らかに動いていた。僕と会話する余裕があるくらいだ。慣れたのか、それともプレッシャーが無いからか。
『もうすぐペトロヴァライン突入。サンプル採取機、準備できてる、質問?』
《ああ、パネルを展開した。これで採取できるはずだ》
『良い、良い』
恒星からタウセチeに向かうアストロファージ、タウセチeから恒星に向かうアストロファージ。増殖が起きていないメカニズム解明のため双方向で採取を行う。粘着剤付きのパネルで捕まえるのだ。
採取の邪魔にならないようグレースが採取機の横に並んだ。僕はヘイルメアリー号のディスプレイを確認する。惑星へ突っ込むペトロヴァラインの縁と船の現在位置がちょうど重なるところだった。
『ペトロヴァライン突入。いま』
といっても何も起こらない。宇宙を飛ぶ異常生物でも、頑丈な宇宙船や宇宙服にぶつかれば弾けて死んでしまう脆い単細胞でしかない。
《ペトロヴァスコープではどう見える?》
『グレースの周り、赤外線の点がたくさん』
ペトロヴァ波長を見るためのカメラ、ペトロヴァスコープ。それを経由した映像では点滅を繰り返す無数の点が輝いていた。グレースは光の中で、アストロファージを見つめるように漂っている。
『グレース、何してる、質問?』
《ああ、いや》自分の手を眺めているグレース。《ここにいるアストロファージ達を想像していた》
『イエス。グレースの周りにたくさんいる』
《ぼくはずっと、地球外生命の存在について研究していたんだ》
グレースは無重力状態でクルリと宙返りしながら言う。
《あんなにも探し求めた生き物が、ぼくの周りに山ほどいる。でもこいつらを退治する方法を探すためにぼくはここにいる。それがなんというか……不思議な気持ちでね》
『ロッキー、地球外生命』
《ハハハ、確かに。隣にいるのが当たり前すぎて忘れそうになるよ》
かつて存在を渇望した生き物を退治しなくてはならないというのはグレースにとって複雑な心境なのかもしれない。それは何となく分かるような気がした。
アストロファージは生きようとしているだけだ。そこに罪は無い。殺すのはエリドと地球の都合でしかない。でもエリドに罪は無いし、地球にも罪は無い。
皆この過酷な宇宙を必死に生きている。ただそれだけなんだ。
それからグレースはタウセチeを見つめたまま何も言わなかった。僕も黙っていた。生命の煌めきの中を僕らは通り抜けていく。
《この惑星、名前を付けてみないか?》グレースは出し抜けにそう言った。《タウセチeのままじゃ、つまらないだろう》
地球人というのは何にでも名前を付ける種族だ。肉眼で見える星々に固有名を付けていると聞いた時、僕は驚きを通り越して呆れたくらいだ。
『グレースが付ける。ヘイルメアリーは地球の船』
《地球では最初に発見したり、到達した者が名前を付けられる。そういう文化だ》
そういう文化、と言われてしまえばそうするしかない。お互い暗黙の了解で、文化に関することはそのまま受け入れることにしている。
しかし惑星の名前か……困ったな。そんなの考えたこともないぞ。僕は
《恩人とか奥さんの名前を付けることもある。献名っていうんだ》
グレースが助言してくれた。誰かの名前、というのも有りなのか。この惑星を捧げるのにふさわしい者といえば、心当たりは1つだけだ。
《キミの
『エイドリアン』
僕らはほぼ同時に同じ結論へ至った。グレースは最初からそのつもりで提案したのだろう。でも悪い気はしない。この誘導は彼の優しさに由来するものだ。
『良い。美しい名前。僕の伴侶、エイドリアン。この惑星を捧げる』
《よっしゃ、ここは今日から惑星エイドリアンだ》
グレースはそう言ってまた宙返りをきめた。
サンプル採取機を回収した後にヘイルメアリー号を遠心重力モードにした。これで研究室を活用した調査ができる。どんな結果が出るのか待ちきれなかった僕はグレースを追うように研究室へ移動していた。
研究室のテーブルに乗せた採取機からサンプラーパネルを取り出したグレースは「おお」と声を上げた。僕もサンプルに意識を向ける。この密度、アストロファージだ。
『アストロファージ、たくさん。素晴らしい』
「パネルが真っ黒だ。こいつは大漁だぞ」
出てきたサンプルはパネルの粘着物質と混ざってドロドロだ。グレースは惑星からのサンプルとタウセチからのサンプルをそれぞれ分けて抽出する。
「ロッキーはアストロファージをどうやって識別しているんだい?」
サンプルをヘラでこそぎ落としながらグレースが尋ねる。地球人が不思議に思うのも無理はない。光で見たアストロファージは単なる黒いドロドロだ。
『エネルギーを食べたアストロファージ、とても重くなる。周囲の物質と振動、まるで違う』
「ああ、密度か。10ミクロンの細胞が17ナノグラムになれば音でも分かるよな」
アストロファージは吸収したエネルギーを質量の形で保存する。満腹のアストロファージは大きさそのままに空腹状態の850倍まで重くなる。その比重は鉛の約3倍。物質としてはあり得ないほどの超高密度だ。
『生身で質量変換。すごい生物』
「アインシュタインが知ったら何て言うかな」
『アインシュタインはもういないじゃないか』
「比喩だよ比喩」
このエネルギーを質量に、質量をエネルギーに変換する事象は地球で質量変換と呼ばれていた。アインシュタインが特殊相対性理論で示唆したことの1つだ。
そんなことを話していると、グレースが取り終えたサンプルに何かの機材を向けて「おもしろい」と呟いた。
『何がおもしろい、質問?』
「サンプルの熱を測った。惑星からのサンプルも恒星からのサンプルも、アストロファージの量が同じなんだ」
グレースが機械を掲げてくれたので光センサー越しに確認する。これは温度計だ。2つのサンプルで計測した温度はどちらも同じ温度を示していた。
『やはりアストロファージ、増えていない』
「惑星に留まっているのか。これ以上増えない理由があるのか」
アストロファージは単細胞でありながら常に同じ温度を保っている。96.415℃だ。これより温度の高い環境では熱を吸収し、低い環境では熱を放出する。
これがアストロファージにとって最適な温度なのだろう。このサンプルにはパネルの粘着物質も混ざっているから正確な96.415℃にはならないけど、もしアストロファージの量が違うならその熱量も違ってくるはずだ。
「よし、顕微鏡で観察してみよう」
『それは何、質問?』
「とても小さなモノを見るための道具だ。アストロファージを見ることができる」
『驚き』
グレースはパネルからサンプルを一部取って水で懸濁させた。それを小さなガラス容器に入れて顕微鏡なる機械にセットする。
しばらくして、グレースが息を飲むのが聞こえた。何だ、何が見えた?
「なんてこった」
『何が見える、質問?』
顕微鏡を覗き込むグレースは、僕の問いかけに半ば呆然としながら答えた。「生命だ」
『どういうこと、質問?』
アストロファージは生命だ。そんなのは分かりきっている。でもこのグレースの反応は普通じゃない。
グレースは顕微鏡に接続された映像ディスプレイを起動して僕に見せてくれた。光センサーでそれを確認する。
アストロファージの黒い点はサンプルのそこらじゅうに散らばっていた。だがそれと同じように、もっと小さな細胞や透明な細胞も存在している。らせん状のやつまである。数え切れないくらいたくさんの生物”群”だ。
「アストロファージだけじゃない。別の生き物が山ほどいるんだ」
『惑星エイドリアン、アストロファージ以外の生物、住んでいる』
「生命圏だ!」グレースは叫ぶ。「ペトロヴァラインの中にまで生命が進出している。エイドリアンはただアストロファージが増える惑星なんかじゃない。地球やエリドと同じ、生命に満ちた惑星なんだ!」
これは大発見だ。確かにそうだ。でもそれ以上に僕の中で、いくつもの知識が繋がったのを感じた。
僕は知っている。草を食うガゼル。ガゼルを食うライオン。食ったり食われたりする生命の回転。その巡りは世界を均衡させる。
もしかして、これは同じことなのか?
『数の均衡は自然の摂理だ!』
気づいた時には叫んでいた。画面を見ていたグレースが振り返る。
「どういうこと?」
『エイドリアンの生物、アストロファージを食べる!』僕は画面に脚を突きつける。『だからアストロファージは増えない! 数のバランスを保つ!』
一拍遅れてグレースの眼が見開かれる。
「捕食者か。アストロファージの捕食者……!」
『ここはアストロファージの故郷。だからペトロヴァラインに他の生命いる』
「アストロファージの原産地。そうか。ここが全ての始まりなんだ!」
僕は同意した。そうでなければ、なぜ無数の違う生き物が宇宙空間を飛ぶようになったのか説明できない。こいつらは皆同じ遺伝子から進化したのだ。
「アストロファージはここで進化した生物の1つにすぎない」
『なら天敵もいる』
長年ペトロヴァラインという膨大なエネルギー源を前にしていて、摘み食いを試みる生物種がいないわけがない。生命はそんなお行儀の良い存在ではないのだ。
草食動物に肉食動物。生命は隙あらば他者からちょろまかす。ならアストロファージからちょろまかす種も進化しているはずだ。
この惑星にはアストロファージの天敵が存在している。だからペトロヴァラインは濃くならない。増える数と食われる数が拮抗しているから。
それでもアストロファージが消えないのは、その天敵を食う捕食者もまた存在しているからだろう。ではアストロファージの天敵だけを導入することができたら……?
『捕食者、アストロファージを食べる! 食べて繁殖する! もっと食べる! アストロファージを倒す!』
「地球もエリドも救われる!」
僕らはどちらともなく壁越しに拳を突き合わせ叫んでいた。
やったぜ!