Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
エリディアンの体内には305℃の高温血管系と210℃の常温血管系が存在している。
高温血管系の加熱と常温血管系の冷却。29気圧では230℃で水が沸騰する。これを利用して内部の水を気化・液化させることで筋肉を動かす。地球人が言うところの蒸気機関だ。
でも高温血管系は熱すぎて働き細胞は入り込めない。だからたまに高温血管系は温度を下げ、メンテナンスを担う働き細胞を招き入れる。
そうすると今度は全身の筋肉が動かせなくなる。完全な麻痺だ。この時は脳も休眠する。これがエリディアンの睡眠だ。
僕たちの睡眠はどれだけ刺激を与えても途中で起きることはない。見守り習慣はこの無防備状態の個体を守るために進化した。
睡眠から覚醒する。意識が世界を知覚する。水銀の血が全身を巡る。高温血管系に熱が通る。筋肉が動く。周囲を聞く。グレースが近くにいる。
研究室に築いた気密室の中だ。キセノナイト壁の向こう、グレースは顕微鏡を覗き込んで動かない。僕はグイッと脚を伸ばす。
良い感じだ。やはり誰かが居てくれるだけで気分良く起きられるものだ。
『おはようグレース。捕食者、見つからない、質問?』
「ああ、おはようロッキー」顕微鏡から顔を上げるグレース。「うーん。今のところ見当たらないな」
時計を確認する。眠りについてから5時間が経過していた。グレースはずっと観察を続けていたのだろうか。
グレースの実験はシンプルだ。惑星エイドリアンの大気を再現した容器の中に採取物を入れ、アストロファージを与える。
もし捕食者がいれば食べる様子が顕微鏡で見える。もし見えなくてもエサとして与えたアストロファージの数が減って温度が下がり、間接的に捕食者の存在が分かる。
DNAシーケンサーによりタウセチ産アストロファージがエリド産や地球産のものと同一存在であることは分かっている。捕食者を導入できれば同じように食べてくれるだろう。
しかし採取物の中に捕食者はいないという。
『アストロファージは生態系の中にいる。捕食者、必ずいる』
「少なくともペトロヴァラインの中にはいないようだ。じゃあどこにいる?」
『もしグレースが捕食者ならどうする、質問?』僕は逆に訊き返す。『ライオンは狙いやすい獲物狙う。成体ガゼルより幼体ガゼル狙う。警戒ガゼルより油断ガゼル狙う』
僕の問いかけで充分な理解が得られたようだ。グレースは合点がいったように手を叩いて立ち上がった。
「ペトロヴァラインの亜光速で動いているアストロファージより、大気圏で漂っているアストロファージを狙う。その方が効率的だ」
『イエス。生命は効率的な方法、優先する』
「ペトロヴァスコープで大気圏を見てみよう」
赤外線で見たデータを研究室の画面に投影する。何度かの調整の末、惑星の大気圏で光る斑点や帯が見え始めた。
「コレか。三角測量を使えば……」
衛星軌道にいる僕たちは常に移動し続けている。ある時刻で見えた角度と別の時刻で見えた角度を比べれば対象の高度が分かる。グレースは時刻とスコープの角度を記録して計算した。
「アストロファージの繁殖高度は惑星の地表から91.2キロメートルだ」
『捕食者はその領域にいる』
捕食者の住処を見つけた! 僕は跳ね回って喜んだ。グレースも両腕を上げて喜んでいる。
でも待てよ、と動きを止める。グレースも気づいたようで固まった。
捕食者の生息地が大気圏内というのは問題だ。この船は惑星大気圏内を移動することは想定されていない。僕の船だってそうだ。
アレ、どうやって採取すればいい?
『この船、どこまで軌道を下げられる、質問?』
「惑星からざっと95キロメートル。それより高度を下げると空気抵抗と過熱で壊れてしまう」
『……届かない』
「イエス。この船では届かない」
お互い10光年以上も旅をして、1億5000万キロメートルも星系内を移動して、残りのたった3.8キロメートル。なのに、それが届かないなんて。
何か取れる手段はないだろうか。グレースは腕を組んで考えている。僕も
「アストロファージ駆動の小さな無人機を降ろすのはどうだろう。大気圏に突入してサンプルを採取したら軌道まで戻る」
『それは恐らく無理』
僕は即座に棄却する。
『アストロファージのエンジン、赤外線を大量に放射する。大気圏内で使う。空気がイオンになる。爆発。機体が壊れる。捕食者は死ぬ』
「ダメか……」
アストロファージエンジンは膨大な赤外線を放射している。大気圏内では空気が大量のエネルギーを受け取りプラズマになる。爆発で機体も捕食者も吹き飛んでしまう。
同じ理由で船を垂直降下させることもできない。
ヘイルメアリー号は大きい。垂直に降下しようものなら大気の同じ部分が加熱され続け、都市1つを消滅させるような大爆発が起きるだろう。
『アストロファージ以外の動力、必要。でも僕らは違う推進機関、持ち合わせていない』
「今から別のエンジンを造るノウハウは無い。それ用の燃料も無い。無人機のプログラミングも僕のスキルでは無理だ」
結論。無人機案はやめておいたほうが良い。
ならどうするか。僕らはまた悩む。
現状の機材で実行可能で、船を安全圏に置きながら、捕食者も船も爆殺しない。そんな都合の良い方法……あるかもしれない。僕は閃いた。
『でも船以外のモノを降ろす。悪くない』
グレースのおかげで新しいアイデアが思い浮かんだ。手持ちの機材と材料でも実行可能だ。僕は指を1本立てて言う。
『僕に良い考えがある』
工房の隅っこから材料の入ったコンテナを引っ張り出しながら説明する。
僕が考えた案は至極シンプル。「船から捕食者の居る高度まで採取機付きの鎖を伸ばせば良い」というものだ。これを聞いたグレースは呆れたような、驚いたような表情をしていた。
「……4から5キロメートルの鎖、ね」
『イエス。これから作る』
「できるの?」
『材料はある。大丈夫。問題無い』
グレースはそんな長さの鎖を作るのは不可能だと思っていたらしい。地球の素材ではそうだろう。大量の材料が要るし、5キロメートルも垂らしたら壊れる。
でもキセノナイトなら簡単だ。幸いなことに5キロメートルの鎖を作るだけの原料は持ち込んでいた。
鎖自体を中空にすれば材料節約ができる。鎖の構造と巻き上げ機も使えそうな機構を知っている。
「まるで釣りだな」
『イエス。釣り。釣り作戦』
水中に住む生物を針などの道具で捕捉し、付属の糸を使って引っ張り上げる。それが地球人の釣りだ。確かに似ている。
「……なら、斜めに進入する必要があるね。船の赤外線が当たったらキセノナイトといえども蒸発してしまう」
グレースが手を斜めに動かすジェスチャーをする。
船から照射される赤外線レーザーは5キロメートル先で直径100メートル近い太さになる。この内部にサンプラーや鎖が入ったら失敗だ。
「だから垂直に降下することはできない。周回軌道上から鎖を垂らすのもダメだ。空力加熱で鎖が燃え尽きてしまう」
『イエス。キセノナイトは3550℃以上には耐えられない。充分に減速して、斜めに進入。良い』
「降下しつつ速度を抑えるために減速方向と下方へ噴射。照射が斜めなら鎖は傷つかない」
僕はその光景を思い浮かべる。恐らくヘイルメアリー号はゆるやかに減速しつつ惑星の重力に抗って上向きに推進し続けることだろう。
『鎖を降ろす。捕食者、捕まえる』
「そして採取機を回収したら離脱する。回収後の離脱でないと鎖がエンジン噴射に巻き込まれてしまう」
グレースは理解が早い。僕が想像していたことをあっという間に把握してしまった。
まとめるとこうだ。
その1。周回軌道で減速をかけ、ゆるやかな放物線状の落下軌道に入る。
その2。進行方向下方にエンジンを吹かし落下速度を抑える。
その3。目標高度でサンプラー付きの鎖を垂らす。捕食者のいる高度で展開する。
その4。鎖を引き上げて捕食者入りサンプラーを回収する。
その5。エンジンを全力で吹かして上空へ離脱する。
我ながら良いプラン……とは決して言えない。惑星への落下軌道に入ること自体が危険な所業だ。大気圏に入ることは言わずもがな。鎖はなるべく長く作る予定だけど、充分に危ない。
「それで行こう。きっと上手くいく」
だというのに気にする様子もなくグレースは僕のプランを採用した。
「不可能なことを可能にするなら、リスクは承知の上だ。これがバカげたアイデアなのか天才的なアイデアなのか、やってみれば分かる」
『良い。必要なモノたくさんある。準備する』
僕らは
そこからは忙しい日々だった。
まず長さ5キロメートルのキセノナイト鎖を用意する。言わずもがなこれが最も面倒だ。キセノナイトを扱えるのは僕しかいないので鎖の素子を全部僕が作る。5本の脚をフル活用し、作って組んでをひたすら繰り返す。
できた鎖の束を小出しにしてエアロックから搬出する。鎖同士を繋げるのはグレースの役目だ。
なので鎖自体をグレースが組める構造にしなくてはならない。それから回収時に巻き上げた鎖は邪魔になるから、機械で簡単に外せるような構造も必要だ。幸いにも良さそうな鎖の形状を僕は知っていたのでそれを採用した。
鎖先端に取り付ける採取機も僕が設計して作った。捕食者を培養する想定の培養槽もだ。捕まえてから慌てて水槽を用意するようなマネはしたくなかった。
物質的な準備もさることながら、グレースの操舵技術も高める必要があった。一連の操船は思考マシンの想定を超えているのでマニュアル操作しなければならない。グレースが操縦桿を握るのだ。
で、これが難題だった。
『戻せ戻せ戻せ! 良い! 違う! 行きすぎ行きすぎ行きすぎ!』
「ああもう! やってるってば!」
『誤差がデカすぎる!』
僕は操縦室に新設したキセノナイト気密室からグレースにアドバイスする。でもあまり意味を成さない。グレースは不器用だったのだ。
〈不規則な挙動を検知〉
『メアリーも”そうだ”と言っている』
「メアリーは黙っててくれ!」
船の思考マシンすらダメ出ししてくる。これが高高度での練習だから良いものの、本番だったら目も当てられない。かといって気密室の中から僕が操船することはできない。グレースの不器用な手足が頼りなのだ。
とにかくこれはしばらく継続して形にしていくしかない。
鎖を伸ばして、操船を練習して、そんな日々を繰り返すうちにようやく目処がついてきた。
『釣り作戦。準備できた』
「これを船外活動で装着すれば終わりだ。お疲れ」
最後の鎖の束を搬出し終えた僕はグッタリと工房の床に座り込んだ。5キロメートルの鎖。自分で言い出した作戦だけど、こんな作業はもう二度とやりたくない。
『グレースも頑張ってる。操船、良くなった』
「僕だってやればできるんだ」
グレースは少し笑った。僕も笑う。彼の操舵技術は少しずつだが向上していた。本職の操縦士でないことを考慮すればかなりの努力だ。
誤差は着実に減ってきてる。もうすぐだ。もうすぐ作戦決行だ。
「本番はこれからだ。努力するよ」
『頼りにしている』
作戦の目処がついたところで、ふとその後のことが思い浮かんだ。作戦が上手く行って、捕食者を捕まえたら、僕らはそれを分け合ってそれぞれの帰路に着く。
『この作戦が成功すればエリドに帰れる。故郷を救える』
「そうだね。地球も救われる」
故郷まで数年間の孤独を味わうことになるのは恐ろしいけど、その先に故郷と愛する者が待っていると考えれば耐えられる。
『グレース、地球に帰ったら何をしたい、質問?』
僕とグレースはそれぞれの故郷で英雄として迎えられるだろう。惑星を救った大英雄だ。その名は歴史に残り、一生豊かに暮らせる。
『僕は早くエイドリアンに会いたい。グレースは帰ったら何をする、質問?』
観光地巡りをしてもいいし、美味しいものを食べに行ってもいい。マークとかいう寝取り男を殴りに行ってもいい。グレースのことだからエリド生命やエイドリアン生命の研究に没頭するかもしれない。
そんな、何となく話した質問だった。でもグレースは何も言わなかった。どうしたんだろう。僕は急に不安になった。
「ロッキー。今まで言ってなかったことがある」
グレースは口をギュッと閉じて、何か考えるそぶりをしてからまた口を開いた。
「ぼくが地球に戻ることはない。ぼくは、ここで死ぬ」