Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
『帰らない。どういうこと、質問?』
言っている意味が分からなかった。グレースは地球に帰らない? ここで死ぬ? アストロファージの捕食者を地球に持ち帰らなくてはならないのに?
『グレース、捕食者を持ち帰る。ヘイルメアリー、地球に帰る』
「ヘイルメアリー号は地球に戻らなくても良いんだ。ビートルズって名前の小さな無人機があってね。それに載せて地球へ送る」
宇宙船に
それは良いとして、なぜグレースは帰らないんだ?
『どうして地球に帰らない、質問?』
「燃料が無いんだ。11.9光年先の地球へ帰るには2000トンのアストロファージが必要になる。ヘイルメアリー号にはもう残り10トンくらいしかない」
エネルギーを蓄えて満腹状態のアストロファージは超高効率の燃料だ。10トンもあれば星系内の探査には充分。でも他星系へ到達するには足りなすぎる。
『どうして黙っていた、質問?』
「言い忘れていたんだ。悪かったね」
嘘だ、と直感した。グレースはずっと理解した上で黙っていたんだ。白状したのは、きっと隠し通すことに耐えられなかったからだろう。
わずかな怒りと、悲しみが湧いてくる。どうしてグレースが死ななくてはならない? 僕は詰問した。
『どうして片道分の燃料しか用意しなかった、質問? どうして地球はそんな決定をした、質問?』
「これが期限内に地球で生成できた限界だったんだ」
グレースは降参するように両腕を広げる。
「ぼくの出発時点の話だけど、地球は30年で総人口の半分、40億の人々が飢えと寒さで死ぬ状況だったんだ。一刻も早く船を送って解決策を探す必要があった」
40億。僕はその数の膨大さに圧倒された。映像内にいた大勢の地球人たち。食べて働いて寝て走って歌って踊って、生きていた人々。あの人達の半数が死ぬ? たった30年で?
「地球とタウセチの往復で26年。何もかも余裕がなかった」
『どうして地球はそんなに早く悪くなる、質問? エリドの環境、致命的になるまで70年以上かかる』
「地球はエリドより小さくて大気が薄い。持ってる熱量が全然違うんだ。人為的に温室効果ガスを放出して耐えるのにも限界がある」
単純な熱エネルギー保存の問題。小さい方が冷めやすい。でもそれだけではないとグレースは続けた。
「それから極地の氷床だ。南極の映像を見ただろう? 氷は太陽光を強く反射する。寒くなると氷が拡大して、さらに寒くなる」
寒冷化の暴走。ただでさえ太陽光が弱くなるのに、地球自身が太陽光を反射してしまうのだ。
「エリドのように70年も待っていたら、地球は完全な氷漬けの惑星になってしまう」
それが意味するのは地球生命の滅亡だ。太陽が10%暗くなっただけでそれほどの災厄が訪れる。
だとしても僕には受け入れられなかった。死ぬことが分かっている任務なんてバカげている。
『それでも、時間をかけても帰りの燃料用意すべき。惑星救った英雄を死なせる。ありえない……』
そこまで言って、僕は気づいた。
違う。帰りの燃料を用意しないことがありえないのではない。地球の環境で2000トンもの燃料を用意できたことが”ありえない”のだ。
空腹のアストロファージをただ増やしても意味が無い。充分な赤外線を放射できるくらい質量変換で肥えさせる必要がある。繁殖適温96.415℃以上の熱が必要だ。
エリドは平均気温210℃だから楽だった。二酸化炭素と一緒に海へ沈めていれば勝手に増えた。しかし地球の平均気温は20℃前後。海も似たような温度だ。どうやっても熱が足りない。
太陽光を集約させたとしても、仮に2000トンの燃料を1年間で作ろうとしたら1000万平方キロメートル分の日光を集めないといけない。これはアメリカの国土面積を上回る。
電力だと原子力発電所200万基分。いずれにせよ途方もない設備が要る。地球人はいったいどうやったんだ?
「往復の燃料を生成する余裕なんて無い。サハラ砂漠にゴビ砂漠、アラビア砂漠。砂漠という砂漠をアストロファージ農場にして、やっと生成した2000トンなんだ」
グレースが答え合わせをしてくれた。地球上でも特に暑くて晴れが多い砂漠。そこなら低効率でも大規模に燃料を生成できる。
僕は映像にあったサハラ砂漠を思い浮かべた。それを埋め尽くす無数のアストロファージ生成設備。想像を絶する膨大な労力だ。
「それにヘイルメアリー号のヌード重量は100トン。燃料は2000トン。1の質量を地球タウセチ間で送るためには20の燃料が必要なんだ。同じように、2100トンの物体をタウセチに送るには行きで4万2000トンの燃料が必要だ」
往復で4万4000トンの燃料が要る。これを太陽光で生成すると……ダメだ。僕は計算して絶望した。海洋を含めた地球の表面全てを使っても500日以上かかる。
「そんな膨大な燃料は作れない。頑張って作ったとしても、今度は軌道に持っていかなきゃいけない。ロケット打ち上げだけで10年はかかるよ」
『他のプランは無かった、質問? 金星をアストロファージから隠す。金星の大気組成を変える』
「ぼくらの文明レベルでそんな壮大なプロジェクトができるわけないことは知ってるだろう?」
だから、最初から飛行士を生還させる選択肢は存在しなかったんだよ、とグレースは締めくくった。どうしようもないくらいの正論だった。
エリドも地球も技術水準は大して違わない。縦横が何百万キロメートルにもなる目隠しを宇宙に浮かべたり、惑星の大気を改変するなんて夢物語だ。
地球人は限られた時間の中で最も現実的な手段を採用したのだ。僕はそれをようやく理解することができた。
片道でタウセチに宇宙飛行士達を送り出し、小さな無人機に探査成果を押し込んで地球へ送り返す。そして飛行士達には死んでもらう。
取れる手段は他に無い。なんて残酷な決断なんだ。
僕がその事実を受け入れるのに手間取っていると、グレースが気密室の前で視線を合わせてきた。キセノナイト壁の向こうに無理やり作ったような笑顔があった。
「良いんだ。ロッキー。ぼくはこの星系で1人死ぬだけかと思ってた。でもキミと出会った。一緒に素晴らしい仕事ができた」
ぼくは納得している、と言ってグレースはサムズアップした。いつもなら同じ仕草を返しているけど、今はそんな気分になれなかった。
『グレース、キミは……』言おうとして気づいた。この言葉はまだ思考マシンに登録されていない。『新しい言葉が必要』
「なんだい?」
『誰かのために自分を危険にさらす行為を指す言葉』
「……それは愚か者だ」
違う。絶対に違う。訂正しようとする前に、グレースは傍らの思考マシンに何か入力していた。キーボードの配置から単語の綴りが分かった。
『グレースは勇敢。とても勇敢』
「……ありがとう」
思考マシンが正しく翻訳してくれた。グレースは呟くように礼を言うと、僕に背を向け、キセノナイト鎖の船外搬出を準備し始めた。
怒っている? それとも悲しんでいる? 恐れている? その全部な気もする。地球人の表情はたくさん見てきたけど、今の彼からは読み取ることができない。
あるいは読み取ってほしくないから背を向けたのかもしれない。良く彼を観察すると、顔のいくつかの筋肉がこわばっている。僕にはそれが感情を押し殺しているように思えた。
自身を愚か者と言い、怒りと悲しみと恐怖に震え感情を押し殺しながら、全地球人のために自殺ミッションに挑む。これが勇敢でなくて何だというのか。
この勇敢な異星人のために、僕ができることは何かないだろうか。グレースの背中を眺めていたら自然とそう考えていた。
『グレースの食料、どのくらい保つ、質問?』
「……死んだ2人の分があるから、節約すれば4年か5年ってところかな」
そっけないグレースの言葉から僕は計算する。ヘイルメアリー号の速度では地球まで13年かかる。でも相対論効果により船内時間は4年。つまり燃料さえ満タンならグレースはギリギリ地球まで生きていられるということだ。
教えてもらった相対性理論の方程式で計算する。タウセチからエリドまでの距離と必要な速度。食料の在庫も計算して……なんとかなりそうだ。
『あげるよ』
「……なんだって?」
『僕の船のアストロファージをあげる』気密室からキセノナイトボールに移りながら言う。『帰郷が6年遅れるけど』
僕の船はヘイルメアリー号よりずっと大きい。それに相対性理論を知らなかったおかげで燃料に余裕がある。なんとか分けられる。
通常加速なら10.3光年先のエリドまで船外時間10.6年、船内時間3年で着く。
ここから燃料を分けると節約のために最高速度と加速度を抑えることになり、相対論効果の恩恵をあまり受けられない。船外時間は12年、船内時間は9年といったところか。でも死んだ22人分の食料を考慮すれば食いつなぐには充分だ。
グレースは作業の手を止めていた。
「そんな、悪いよ。エイドリアンが待ってるんだろ?」
『僕は仲間を助けられなかった』ボールに入って転がりグレースに近づく。『グレースが死ぬ。僕は助ける。23人目の仲間。もう死なせたくない』
エイドリアンには長いこと寂しい思いをさせてしまう。14年後には他の誰かと
でもそれ以上に、この優しくて勇敢な仲間を死なせることが嫌だった。
グレースはとても良いやつだ。出会ってからさほど時間が経ったわけでもないけど、僕は彼を救うためなら大概のことはしてやっても良いと思っていた。
『僕はグレースを助ける。グレースを死なせない』
ただ守ってやりたかった。地球の映像を楽しんだ時に見せた、彼の笑顔を。その喜びを。
「……ありがとう、ロッキー」
しばらくするとグレースは震える声で呟いて、ようやく振り向いてくれた。
彼の眼には幾ばくかの水が溜まっていた。地球人の”涙”というやつだと僕は知っていた。グレースは僕のキセノナイトボールの前にふらふら歩いてきて、座り込んだ。
『まだ死ぬこと、納得してる、質問?』
「納得なんかしていない。ぼくは、死にたくない」
グレースの眼から水があふれた。顔にこぼれ、彼はそれを手でこすった。
『地球人の泣く行為。幸せ、悲しい、両方の意味がある』
映画の登場人物は強い感情を発露させている時に涙を流していた。今のグレースもそうなのだろう。僕は僕の知らなかったグレースの一面を覗いた気がした。
『今グレースは幸せ、質問?』
「うん。うん。もちろん、幸せだよ」
涙の勢いが強まって、彼が頷くたびにポロポロとこぼれ落ちる。ふとグレースは僕のキセノナイトボールにしがみついてきた。涙がボールの表面をつたう。
『これはなに、質問?』
「ハグっていうんだ。地球人の親愛の印だ」
『なるほど』
地球人の抱き合う習慣は知っていたが、ボール越しなので映画の抱き合う仕草とはだいぶ趣が異なってしまう。とりあえず僕は記憶の中にあったハグのマネをして、しがみつくグレースに向けて体重を預けた。
キセノナイト越しにいろんな音が聞こえる。グレースの心臓が血液を送り出す音。肺のガス交換の音。消化器官が動く音。鼻に流れ込んできた涙をすする音。異星人の内臓の音はあまり気分の良いものではない。
でも僕はグレースが満足するまでハグを続けてやった。
僕にとって意味が分からなくても、彼にとっては大切なものかもしれなかったから。