Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
作戦決行の日がやってきた。
鎖を作って繋げるだけで10日を費やし、必要な機器の製作と設置でさらに4日もかかってしまった。
グレースは僕の作った各種装備を船外に取り付けてくれた。5キロメートルの鎖を巻けるような巨大リールはエアロックを通らないので数十個の小型リールに分割している。
僕らは操縦席に着いていた。航行モードのヘイルメアリー号は既に高度120キロメートルの低軌道にいる。操縦室の窓へ光センサーを向けるとエイドリアンの雲海が分かった。
「船体に異常無し。捕獲器の調子は?」
『サンプラーの信号は正常。いつでも実行可能』
鎖の先端に繋がった直径30センチメートルほどの多面体型サンプラーには、データの送受信ができる小さな無線機が搭載されている。サンプラーは僕の制御下だ。
「やれるだけのことはやった」
『準備は万全』
「あとはやるだけだ」
首から下だけ宇宙服を着たグレースは、手の指関節をポキポキと鳴らしてから操縦桿を握った。僕も気密室内側に取り付けた取っ手に掴まる。
〈マニュアルモード起動〉
「さて、行くか」
ヘイルメアリー号が回頭する。船首が進行方向と逆になったところでエンジンを噴射。減速だ。加速度を感じる。エンジンの振動が伝わってくる。
地球人のアストロファージ推進機関「スピンドライヴ」は、三角形の構造体を
この形式は面積当たりの推力に優れる反面、得られる推力が断続的になるという欠点があった。小さなスピンドライヴを1009基搭載することでカバーしているけど、それが独特の微細な振動を生み出していた。
減速によりヘイルメアリー号は衛星軌道に居られなくなる。落下。エンジンを止めても計器の示す高度が落ちていく。
エンジンを斜め下へ向け、再度吹かす。降下速度が遅くなる。高度はあまり変わらず横方向の速度が減少していく。
重力を感じる。僕らはもう落下していない。斜め下方を向いたエンジンがヘイルメアリー号を宙に浮かばせている。僕らは惑星大気の上層部を滑るようにしながら飛んでいるのだ。
そろそろ頃合いだ。僕はサンプラーの制御装置に指をかけた。
『釣り作戦を開始、質問?』
「やるなら今だ」
『サンプラー投下!』
ボタンを押すと、無線信号を受けたブレーキが鎖を解放した。惑星の重力に従って鎖付きのサンプラーが落ちていく。内部の無線機から届く電波でサンプラーと船の距離が分かった。
鎖に引っ張られたリールが高速で回転する。完全に鎖がほどかれたリールは不要なので投棄される。
『3000メートルを超えた。3500、4000』
「いいぞ、順調だ」
5000メートル到達。そこでサンプラーは停止した。すかさず展開ボタンを押す。正常に展開されたことを示す信号が届いた。
丸い多面体型のサンプラーには柱状の捕獲器が20本搭載されている。これが張り出すことで流れてくる捕食者をサンプリングする。回収時にはこの捕獲器が内部へ引き込まれ、その時点の温度が内部で維持される仕組みだ。
『捕獲器を展開。正常』
「ここまでは大丈夫だ」
サンプラーはまだアストロファージの繁殖高度より上にあるけど、ヘイルメアリー号はゆるやかに高度を落としている。このまま行けば繁殖高度を通過するだろう。
グレースは船体角度とエンジン出力を固定してから、シートベルトを外して操縦席から立ち上がった。
「行ってくる。お楽しみの時間だ」
『それは皮肉、質問?』
「これはジョークだ」
『ジョークと皮肉、区別難しい』
ジョークは物事を滑稽に表現する手法。皮肉はあえて事実と反対に言うことで強調する地球人の表現だ。この2つは定義が曖昧で重なり合う部分も多いため僕には理解が難しかった。
『異常があったら知らせる』
「頼む。手早く済ませてくるから」
グレースは宇宙服のヘルメットを被って船のエアロックに向かった。
宇宙遊泳に充分慣れたグレースだけど、重力下で船外活動するのは未経験だ。僕は不安になった。
《うわぁ。なんだか、すごいことになっちゃったぞ》
『何か異常、質問?』
無線から聞こえてきたグレースの声に僕は身を固くする。
《エンジン噴射で惑星の大気が燃え上がってる》
駆動中のスピンドライヴからは一瞬で都市を焼き払うほどの膨大な赤外線が照射されている。超高温になった空気はイオン化して過剰なエネルギーを光として放出する。グレースはその光を見ているのだ。
ヘイルメアリー号は惑星の大気に輝く航跡を残して進んでいる。あまりにも恐ろしい状況だ。ミスが無くても強力なエネルギーのそばで活動するのはそれだけで危険を伴う。
『急いだ方が良い』
《オーケイ。あまり長居したくない》
グレースは命綱を駆使し、鎖と船体を固定するアンカーポイントまで歩く。ドスンドスンという歩行音が聞こえる。
船体構造やらリール配置やらの都合で、エアロックには鎖を固定できなかった。アンカーポイントはエアロックから少し離れている。
グレースが向かう間にサンプラーの高度を確認。順調だ。
高度91.2キロメートルを通り過ぎたあたりでスイッチを操作、捕獲器を格納した。これで捕まってくれれば良いのだが。
『サンプラー密閉完了。ウインチを所定の位置へ』
《了解だとも。ウインチ設置。起動》
引き上げるためのウインチをグレースが起動したことでサンプラーの信号が近づいてきた。加速して秒速300メートルで上がってくる。
ウインチは鎖を引き上げながらひとつひとつ素子を外していく仕組みだ。外的要因ではそうそう外れないが手で組めるし機械で外せる。そういう鎖を設計した。
分離された素子は惑星に落ちていく。こうすれば巻き上げている鎖には干渉しない。巻き取る形では鎖が外れたり絡まる恐れがあった。
『サンプラーの無線信号が近い』
残り1000メートルを切った。ウインチの速度は自動で遅くなる。高速でぶつからないようにするためだ。徐々に遅くなって秒速50メートル。秒速10メートル。あと少しだ。
ガチン、という音が船体に響いた。鎖が引き上げ終わった。サンプラーもウインチもキセノナイト製なので多少の衝突ではびくともしない。
《サンプラーを回収した。これから戻る》
『良い、良い、良い』
成功は間近だ。あとはグレースがエアロックに戻れば惑星大気から離脱できる。ところが跳ね回ろうとする僕をアラームが止めた。
〈警告。高度低下〉
『高度が下がってる。早く戻れ』
光センサーでレーダー高度計を確認する。高度低下が速い。横方向の速度もかなり落ちている。惑星の大気が予想より濃密なのだ。
上昇させたいところだが、気密室の中では操縦桿を握れない。仮に操作できたとしても外にいるグレースが振り落とされてしまう。
〈警告。船体温度、危険域〉
今度は熱警告だ。再度「急げ」と言おうとしたところで妙な音が船体を震わせた。何かがぶつかった音? こんな大気の上層で?
聴覚を船体構造に向ける。グレースが船体に倒れている。
『グレース!』
何が起きた? 彼の周囲を探ると異変があった。船外の懸架ラックが1つ、無くなっている。グレースが命綱を結んでいた大きくて重いラックだ。空気抵抗で船体が歪んで外れてしまったんだ。まさかその直撃を受けたのか?
『グレース、起きろ!』
《……すまない、ちょっと気を失ってた》
生きている。僕は安堵した。外れた懸架ラックはエアロックモジュールに引っかかっている。ラックごとグレースが飛ばされなかった不幸中の幸いか。
《ちくしょう、サンプラーが》
グレースのうめき声。グレースの手にはサンプラーが無い。短いテザーで繋がっていたはずだが引きちぎられている。さらに周囲を探る。
サンプラーはエアロックモジュールの懸架ラックに引っかかっていた。つまり千切れたテザーの一部で船体側面にぶら下がる形。
グレースはそれを取ろうとしている。
『危険すぎる!』
命綱はまだ繋がっている。だが彼のテザーは無重力状態での運用を想定されて作られているはずだ。こんな重力下の、それも高速で動いている大気上層部でぶら下がるなんて無茶だ。
『やり直そう! 鎖ならまた作る!』
《たぶん、二度目はできない》
『よせ!』
船体の各所から嫌な音が響いてくる。曲がりたくない部材が曲げられている音。空気抵抗で船体が歪みかけている。
グレースの視覚では船体のダメージがもっと理解できるのだろう。この作戦をもう一度やったら船体が保たないと。
《すぐ戻る》
『グレース!』
聴覚意識からグレースの姿が消える。僕は絶叫した。グレースは船から飛び降りたんだ。
《うおおおお!》
グレースが無線の向こうで叫んでいた。エアロックモジュールの外側で何かがドタンバタンと暴れている。グレースはまだ死んでいない。しかし何がどうなっているのか船内の僕には分からない。
《タッチダウン!》
エアロックの中に球状の物体が転がり込んできた。サンプラーだ。そしてグレースが腕の力で這い上がってくる。
すごい! 何をどうやってあそこまで登ったんだ?
『グレース!』
《待たせた!》グレースが宇宙服ヘルメットとサンプラーを床に投げ捨てながら操縦室に滑り込んできた。「状況は?」
『船体のあちこちから酷い音がする!』
「大気で反射してきた赤外線が船を焼いているんだ!」
スピンドライヴの膨大な赤外線が惑星大気で跳ね返ってきてる。それで熱せられて剛性の低下した船体が空気抵抗によってゆがめられようとしているのだ。
『急いで離脱する』
「もちろん!」
本来なら進行方向へ船首を向ける予定だったが、僕らは時間をかけすぎた。横方向の速度がほとんど無くなっているし、今は回頭する時間すら惜しい。
「加速度リミッターを船体が耐えられる上限にセット!」
グレースは座席のシートベルトを締めながら思考マシンに命令する。
ヘイルメアリー号は地球出発時点で2100トンの船体を1.5Gの加速度で推進させることができた。今は110トン前後。出発時と同じ推力を発揮したら28Gもの加速度になる。
だから普段は1.5Gでの加速になるようパワーに制限がかかっている。グレースはその制限を船体と僕らが耐えられる程度まで引き上げたのだ。もうそうしないと間に合わない。
「上昇する!」
船尾へ身体が引っ張られる。3Gか、あるいは4Gといったところだろうか。急加速だ。
ただ上昇するだけではダメだ。惑星の軌道に乗れる速度、あるいは重力圏を脱出できる速度まで加速しなくてはならない。
脱出速度を稼ぐのに最も効率が良いのは水平方向への加速だ。でも今いる高度では空気抵抗が強すぎる。だから斜め上方への加速で上昇しながら水平速度を稼ぐ。
仮に4Gの加速なら最低でも5分の加速が必要だ。それまで熱で脆くなった船体が空気抵抗と加速度に耐えてくれることを祈るばかりだ。
「惑星が燃えている」
『恐ろしい』
船外カメラの映像では船の後方がものすごい光を放っていた。超大出力の赤外線を受け止めた大気が大爆発を起こしている。あの衝撃波とプラズマより僕らは速く空を駆け上がっていかねばならない。
『サンプラーを確保した後、どうやって登った、質問?』
「船外ラックの重さを使った」
操縦桿を握り計器を見つめながらグレースは答えた。
「外れたラックはエアロックの向こうに引っかかっていた。ちょっと小突いたら落ちそうに見えたから、僕が飛び降りた時の衝撃で落とした。モジュールを挟んだ僕はその重さで引っ張り上げられた」
つまりエアロックモジュールを滑車に見立てて、その向こうにあった船外ラックを重りに、テザーで繋がった自らを持ち上げたということだ。
『あまり無茶をしない。要請』
僕は唸った。グレースの位置が分からなくなった時は生きた心地がしなかった。
『キミは僕の友達。死ぬ、ケガする、悲しい』
「心配させてごめん。もう二度としない」
『今のはジョーク、質問?』
「正解」
緊迫の中で僕らは小さく笑い合った。そして船体が崩壊することなく時間が過ぎる。窓の外は緑の大気から暗い宇宙に変わっていた。
「カットオフ!」
グレースがエンジンの出力を落とした。身体を抑えつけていた加速度が消える。無重力状態。身体が浮き上がる。
僕はグレースに意識を向けた。グレースも僕に視線を送っている。船は無事。僕もグレースも無事。生きている。
やった。成功だ。
安堵して喜ぼうとした次の瞬間、僕らは大きな力によってガクンと振り回された。