Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
意識が浮上する。世界が聞こえてくる。5つの心臓が動き出す。
気密室の中に僕はいた。グレースの呼吸音が聞こえる。どうやら僕らはまだ死んでいないらしい。
グレースは壁を挟んですぐ隣、キセノナイト気密室に寄りかかって寝息をたてていた。口の端からヨダレが垂れている。
指で壁をコツンコツンと叩いてみる。起きない。ねぼすけめ。
僕はゆっくりと起き上がった。眠りにつく直前に何かあった気がするけど思い出せない。身体の損傷が酷すぎて記憶の定着ができなかったのかもしれない。そのせいかいつもより覚醒がゆるやかだ。
周囲を確認してみると、気密室のハッチにキセノナイトボールが接続されていた。身体の具合を確かめながらハッチを開けてボール内部に滑り込んだ。まだ身体のあちこちが痛む。
気密室とのロックを解除。そのままゴロンゴロンとボールで転がりながらグレースの隣に歩いていく。
『グレース』
試しに呼んでみる。翻訳機は正常に機能していた。
「うーん……頼むよ。あと5分寝かせてくれ……」もぞもぞ動いてグレースが起き上がる。「なあロッキー……」
そこまで言ってから僕が気密室に居ないことを理解したらしい。一瞬戸惑ってからようやく視線が僕入りのキセノナイトボールに向く。グレースが固まる。
『グレース、おはよう』
グレースがボールにしがみついてきた。僕もグレースの側に身体を寄せた。
1つだけの心臓が血を送る。肺が新鮮な空気を吸い込む。内臓が必要な栄養を作る。グレースの生きている音が聞こえてくる。
「ロッキー……!」
『イエス。ロッキー、もう大丈夫』
グレースがさらに強くしがみついた。眼からこぼれた涙がボールの表面を伝っていく。
ハグ。地球人の親愛表現。僕はこの行為の意味を理解できた気がした。これはきっと互いが生きていることを確かめ、その命を肯定し合うための儀式なのだ。
「ロッキー、良かった……良かった……」
『捕食者、見つかった、質問?』
「余韻とかそういうの気にしないのかい?」
涙をぬぐってグレースが笑う。それから身体をキセノナイトから離して、大きく頷いた。
「見つけたよ。ロッキーのおかげだ」
『驚き。早く僕に聞かせる』
グレースは研究室の一角に僕を案内した。ゴロゴロとボールを転がしてついていく。
「これがミッションの成果だ」
披露されたのは壁の棚にズラリと並ぶ小ぶりな水槽。他でもない、僕が用意しておいたキセノナイト容器だ。
「水槽、使わせてもらったよ」
『役に立った、質問?』
「もちろん。キミはいつも良い仕事をする」
グレースの言葉に僕は気を良くした。脚を伸ばして身体を高く上げる。誇らしさを示すジェスチャーだ。
採取される捕食者がどんな条件で生きるのか分からなかったので、僕は内部環境が一定に保たれることを念頭にこの水槽を作った。その設計が功を奏したらしい。
グレースが容器の1つを取り出して僕の前に持ってきた。内部には粘性の高い液体が封入されている。これがアストロファージの捕食者?
「この生き物は顕微鏡で見た時、アメーバに良く似た形態をしていた。だから”タウメーバ”って名前をつけた」
アメーバとは変形しながら移動する不定形の単細胞生物の総称だ。タウセチのアメーバ。だからタウメーバ。グレースらしい。
「この中で採取時の大気条件を再現して、アストロファージと一緒に少数のタウメーバを入れてみた」
グレースは水槽をコツコツと指先で叩く。
「すごい食欲と増殖速度だったよ。黒いアストロファージが食い尽くされて、あっという間に透明になったんだ」
それは朗報だ。感染した恒星の回復も早く済む。僕は歓喜した。
『良い、良い、良い。故郷を救うことができる』
「でも金星とスリーワールドを再現した水槽だとタウメーバは死んでしまった」
『悪い、悪い、悪い。故郷を救うことができない』
ダメじゃん。僕は一転して落胆した。
金星というのは太陽系第2惑星の名前だ。90気圧という超濃密な二酸化炭素の大気を持っている。
スリーワールドはエリダニ40星系の第3惑星にグレースが付けた名前だ。小さな惑星だが二酸化炭素で構成された薄い大気を持っている。
これらアストロファージが繁殖する惑星でタウメーバが生きられないなら天敵として導入することなどできない。エリドも地球もおしまいだ。
「まあ慌てないで。おもしろいのはここからだ」
グレースはチッチッチと人差し指を横に振った。
「もちろんタウメーバの死因は調べた。原因はなんと、窒素だったんだ」
窒素? 僕は驚きのあまり自身の聴覚を疑った。二酸化硫黄や硫化水素ではなく、窒素? 酸素より遥かに反応性の低いガスで、死ぬ?
「驚いたよ。温度や気圧をいじっても平気なのに、少量の窒素ガスを入れただけで……ドカン。タウメーバは全滅してしまった」
『とても意外。窒素ガスは反応性が低い。生物にも無害なはず』
「そう。しかも窒素は生物のタンパク質を作るのに不可欠な元素だ。なのにタウメーバにとっては猛毒だ」
奇妙な生態だが、エイドリアンの環境を考えると納得はできる。軌道上からの観測では大気に窒素ガスは無かった。タウメーバは窒素に耐性が無くても生きてこられたのだ。
「惑星エイドリアンには窒素ガスが無い代わりに、アンモニアみたいな窒素化合物は少量あるんだろうね。タウメーバはそれを仕入れてタンパク質を作ってきた」
『でも僕達の星系では生きられない。スリーワールドの大気は8%窒素。金星の大気は3.5%窒素』
エリドや地球の文明レベルでは惑星の大気は変えられない。はっきり言って絶望的だ。
しかしグレースからはそんな陰鬱とした気配が感じられない。むしろおどけている雰囲気まである。彼は何か突破口を見つけたのだろう。
『グレースはこの問題を解決した、質問?』
「イエス。惑星の大気は変えられないけど、タウメーバを変えることはできたんだ」グレースは自慢気に容器を高く掲げた。「品種改良だ。窒素に耐性のあるタウメーバを作ったのさ」
『どうやって作った、質問?』
「タウメーバも生物である以上、何かしらの個体差がある。わずかな窒素で即死する個体もいれば、ちょっとだけ耐えられる個体もいる。ごく少量の窒素を入れてその”ちょっとだけ窒素に耐えられる個体”を生き残らせたんだ」
そうした耐性は次世代に遺伝する可能性が高い、とグレースは続けた。遺伝するまでそれを繰り返したのだ。
「次世代ではさらに窒素を増やすことでより耐性の高い個体が生き残るよう仕向けた。少しずつ濃度を上げて、とうとう8.25%まで耐えられるタウメーバを作り出したんだ」
言うは容易いが、それはかなりの時間と作業量だったはずだ。生物種の変化はほとんどランダムで、思い通りの形質が現れる方が少ない。きっと充分な窒素耐性を得るまで何百世代もかかったのだろう。
「ここにあるタウメーバは、金星やスリーワールドの大気でも生きていけるよう改良してある。惑星の大気に撒けばそれで終わり。タウメーバはアストロファージを食い尽くすだろう」
僕は身体が少し震えるのを感じた。これで故郷が救われる。地球も救われる。多くの人々が死なずに済む。僕の死んだ仲間達が報われる。
『グレースは1人でこれをやった。驚き』
「ロッキーが繁殖容器を15個も作ってくれたからだよ。おかげでタウメーバの改良を並行してできた。しかも頑丈で気密性も完璧。キセノナイトは素晴らしい」
僕らはサムズアップをした後に拳を合わせ、お互い良い仕事をしたことをたたえ合った。死にかけた甲斐があったというものだ。
『僕らは家に帰る。帰ることができる』
「ああ、まだいろいろと準備することはあるけど、これで帰れる」
そうだ。僕らのミッションは山場を越えたというだけで、やるべきことがたくさんある。ヘイルメアリー号は損傷を直さなくてはならないし、帰りの燃料も補給しなくてはならない。
『まず何をする、質問?』
「そうだね。とりあえずキミの船に合流しよう。それまでの間は……」
グレースは僕に微笑みかけながら言う。
「お祝いでもしようか」
いろいろと点検をした後、ヘイルメアリー号は行きと同じように1.5Gで3時間かけて僕の船へ向けて加速した。
遠心重力モードを起動して、また11日間の旅が始まる。体調は万全とは言えないけど、故郷を救えることの高揚感が僕を満たしていた。
特に示し合わせたわけでもないのに僕らは自然と映像ルームに足を運んでいた。僕らが何かお祝いをするとしたらここ以外に無かった。
『この映像は何、質問?』
球形の部屋では爆発するような音が再生されていた。光センサーを起動すると暗い空を背景に、明るい炎が四散しては消えていく様子が映っていた。
「これは花火だ。空中で爆発を起こして楽しむ、地球のお祝いだ」
『お祝いの爆発』
「イエス。夜にやると綺麗なんだ」
やっぱり地球人はちょっと狂ってる気がする。死人とか出てないかそれ。
まあでも地球の音楽ライブでも照明が派手に明滅していたし、地球人は光が煌めくのが好きなんだろう。
「それはいいとして、なんだいその格好」
『これ、特別なお祝いの装い』
グレースが不思議そうに僕を見つめている。これはエリドにおける祝いの礼装だ。
身体のあちこちにぶら下げた飾りが硬い体表に当たって良い音が鳴る。上部に乗せたトゲトゲの飾りがそれを周囲に反射する。今の僕はとても良く音を響かせている。
『地球人は光が明滅するのを好む。エリディアンも良い音が鳴るのを好む』
これは僕の船から持ち込んだものだ。故郷へ凱旋する時に皆で着ようと用意していた祝祭の服。
23人で祝うことはできなかったけど、そのぶん僕とグレースの2人で喜んでおきたかった。
「じゃあ地球のお祝いの装いも披露しよう」
『それはなに、質問?』
「パーティーハットだ。ロッキーの分も作った」
植物から抽出したセルロースの集合体である紙。それで作られた円錐をグレースは頭に載せ、僕のボールの上にも載せてきた。
これは帽子の一種だろう。作りは簡易だが、気軽にお祝いできる良い装いだ。僕は身体を伸ばしてボールの上部に身体を寄せた。被っているように見えるかな?
「似合うぜ相棒」
『良い』
通路に座ったグレースが笑う。でもその笑顔は少し悲しそうに感じられた。どうしたんだろう。また帰還できないとか言い出すんじゃないだろうな。
『これはお祝い。でもグレースは悲しそう。どうして、質問?』
「ぼくらはタウメーバを分け合って、それぞれの家に帰る」
『イエス。故郷、救う。僕らはヒーロー』
「でもそうしたら永遠にさよならだ」
『僕らはアストロファージの技術を持つ。また船を作る。会いに行く』
「それ何年かかると思う? 僕はあと50年もしたら死んでしまうよ」
突きつけられた現実に僕は固まる。
そうだ。エリドと地球の技術力で恒星間航行をするためには、惑星中の力を結集する必要があった。
僕たち個人のためにそんな巨大プロジェクトは立ち上げられない。使節団を送るにしたって滅亡回避に比べたら優先度は低い。きっと長い時間がかかるだろう。
大規模な復興の必要がある地球では、燃料も宇宙船も作るのが難しい。エリドは比較的簡単に作れるだろうけど、地球へ到達する頃にはグレースが寿命を迎えている可能性が高い。
僕はグレースとの別れをやっと自覚した。宇宙のかなたで出会った恩人で親友である彼と、もう会えなくなる。
『では今、多く祝う。多く話す。多く笑う。多く歌う』
「そうだね。今はお祝いなんだから」グレースはキセノナイトボールをポンポンと叩く。「ああ、イリュヒナのウォッカ、残しておけば良かったな」
『それは誰、質問? それは何、質問?』
「イリュヒナかい? この船の技術者だった人だよ。船長のヤオと同じく死んでしまったけど、良い人だった。ウォッカっていうのは、地球人が気持ち良くなるための化合物で……」
どうやらまだ知らないことがたくさんあったらしい。僕らはずっと話し続けた。互いに知らないことが無いくらい、ずっとずっと互いのことを質問した。
恥ずかしい出来事も、ちょっとした悪さも打ち明けた。隠しておきたい気持ちより、全部話しておきたい気持ちの方が強かった。
グレースの心に僕の全てを置いていきたかった。そうすれば16光年のかなたでも僕らは友達でいられる。そんな気がした。
グレースの心の中に僕は居る。僕の心の中にもグレースがいる。
だから寂しくない。きっと寂しくない。