Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
ヘイルメアリー号と僕の船を無事にランデブーさせてから1週間が過ぎた。
遠隔操作でトンネルを接続して、無重力状態の中をグレースに運んでもらって、中間壁のエアロック経由で中に入り、また分離、今度は遠心重力モードにして接続……と、僕が移るだけでも面倒な手順が必要だった。
僕は船に置いていたキセノナイトや金属の在庫を使って必要なものをたくさん作った。毎日が大忙しだった。
ヘイルメアリー号への燃料補給を担う配管やポンプ。切り離してしまった燃料タンクの代替品。とにかく作るものがたくさんあった。作ったものはグレースの手で、あるいは彼の船外活動で必要箇所に設置していく。
そのうちの1つ。無人機に搭載するタウメーバ農場の給餌機構は、試行錯誤の末に螺旋構造の極細チューブを使うことにした。
発想的には地球の「蚊取り線香」なる小型有害生物駆除道具と同じだ。渦巻き状の薬剤燃料を炎が進んでいくように、螺旋状チューブに詰められたアストロファージをタウメーバが食べて進んでいく。
食事にありつけるタウメーバは先頭集団だけなので野放図に増殖し続けるということはない。タウメーバという炎はアストロファージという線香を少しずつ燃やしていく。
この極細チューブを20メートル分巻いて、金星大気を再現した繁殖容器に入れてある。容器込みの総重量は約1キログラム。小さな無人機に搭載するための小さな機構だ。
1日でタウメーバが食い進む距離は2.7センチメートルくらい。計算上はこれで2年間タウメーバが生き残れる。地球までの船内時間1年8ヶ月に対して充分な余裕がある。無人機の高い加速力がありがたかった。
チューブの素材として僕はエリドの高強度鋼を使った。キセノナイトほどではないが頑強だし錆びにくい。グレースはこれをエリディアン鋼と呼んだ。地球の鋼鉄よりさらに高性能な鉄系合金だ。
キセノナイトのチューブだと地球の技術でタウメーバを取り出すことができない。でもエリディアン鋼なら地球のドリルでも穴を開けられる。グレースが開け方のマニュアルを同封するらしいので何とかなるだろう。
給餌機構の他にもう1つ、僕が力を注いだモノがあった。何度も安全を確かめ、グレースにも協力してもらい、ついに実用する日がやってきた。
「グレース!こっちだ!」
ヘイルメアリー号と僕の船を繋ぐトンネルの中、僕はいつになくはしゃいでいた。
「いやあ。これで210℃、29気圧の中にいるとは信じられないね」
ガシャンガシャンと歩いてくるのはグレース。その姿はキセノナイトのパネルに覆われていた。一方で僕はボールの中に入っていない。自分の脚で自分の船に歩いている。
そう。グレースは今、僕の大気の中にいるのだ。
透明キセノナイトで全身を覆い、冷却インナーと宇宙服から流用した酸素ボンベで内部環境を維持しながら歩いている。地球人にとって致死的な大気の中をだ。
お祝いの時にグレースが言った願い。それは「キミの船を見たい」だった。彼は僕の船の中を探検したかったのだ。
モノではなく思い出が欲しい。その申し出を僕は快諾した。
しかしいざ実現させるとなると難題だ。地球の宇宙服は真空に耐えるためのものであって、高温高圧のアンモニアに耐えるようにはできてない。入った瞬間に圧力でペチャンコだ。
その圧力差と温度に耐えるならキセノナイトを使うしかない。僕のようにキセノナイトボールを作るのが一番手っ取り早いが、グレースのサイズに合わせてボールを作ると巨大になりすぎてエアロックも通れない。
そこでグレースの身体に合わせて耐圧服を作った。キセノナイトスーツだ。関節部にキセノナイト小片の多層構造を使ったので折り曲げることができ歩ける。
反響定位で世界を認識するエリディアンの船には照明なんて無い。グレースは左手部分に内蔵したライトで周囲を照らしながら歩いていく。ちょっと動きにくそうだ。
トンネルを越えエアロックの段差を越え、船内の通路に入ったところで僕は脚を2本拡げて言う。
「エリドへようこそ!」
以前に映像ルームで「地球へようこそ」と言われた時のお返しだ。グレースは入り口で呆然としている。あの時の僕のようだ。
「壁は半透明だったのか。タウセチと恒星の光が透けて見える」船内を見渡しながらグレースが呟く。「回転する構造体の中で光が屈折と反射を繰り返していて、これは……万華鏡の中にいるみたいだ」
万華鏡? 知らない言葉だ。でもキセノナイトスーツの中に翻訳用思考マシンを入れるスペースが無かったので今は訊けない。あとで教えてもらおう。
「とても綺麗な宇宙船だ。素晴らしい」
「良い。もっと案内する」
いつの間にかグレースは翻訳機が無くても僕の言いたいことが何となく分かるようになっていた。地球人は記憶力も聴力も低い。その地球人でさえエリドの言葉が分かるようになるくらい、僕らは一緒に過ごしたのだ。
テクテクと歩く僕の後ろをヨタヨタとグレースがついていく。回転中心から遠い船首と船尾は遠心重力が強すぎるので見学できる空間は中央付近に限られる。
船尾にある僕の工房を見せられないのは残念だが、それでも行ける空間はヘイルメアリー号の居住区画よりずっと広い。
船内通信も景気よく鳴らす。おっかなびっくりグレースもマネをする。迷惑がる者は存在しない。操舵関係に触れなければ平気だ。
船内を見回すグレースは笑顔だ。地球の映像を楽しんだ時とはまた違う、好奇心が強く出ているような良い笑顔だった。
地球外生命体の可能性を探し求めた科学者が異星人の宇宙船を訪問したら、そりゃ好奇心が爆発するだろう。今の彼が落ち着いているのは動きにくいキセノナイトスーツで抑え込まれているからにすぎない。
短い時間だけどいっぱい楽しんでほしい。僕は船のいろいろなところを案内した。クルーの待機室、科学者たちの研究室。翻訳機が無くて目の前の光景が理解できなくても構わない。グレースの記憶に楽しかった思い出が刻み込まれてくれればそれでいい。
あとで宇宙放射線を防ぐためにアストロファージの薄い層を作ることになるから、建造された時の姿は今しか見られない。グレースの言う万華鏡のような船内風景も今だけのものだ。
あちこちを巡るうちに僕らは記録の通路へとたどり着いた。
ここは任務が失敗した時に、エリディアンの足跡を記すための墓標だ。エリドの歴史と科学が壁のパネルに刻み込まれている。
その一角には小さなレリーフがある。僕はそれを指し示す。
「これは……」
「僕と、僕の仲間たちだ」
1個の大きな盛り上がりと、その下にある23個の小さな象形。この船と、23人のクルーを示すレリーフだ。僕もこの中にいる。かつての仲間達もここにいる。
「グレース、どうした?」
神妙な眼差しでレリーフを見つめて、グレースは黙っていた。何か思うところがあるのだろうか。
そういえばヘイルメアリー号にも似た金属のパネルがあったなと僕は思い出す。船の絵と地球の絵。生き物たちの絵。それが金でメッキされたパネルに描かれていた。ここのレリーフと同じだ。
それだけじゃない。データとして保管された膨大な地球の記録。科学の論文。映像ルームで観賞できる地球の光景。
いま思えば、あれらは全て地球の証だ。任務が成功しても失敗してもヘイルメアリー号はタウセチを漂流する定めにあった。いつの日か船を発見する異星種族に地球のことを伝える。ここの記録通路と似た役割の装備だ。
危機に対処するための装備でありながら自分たちの墓標としても機能する。ここの通路以上に無駄がない。建造したやつは合理性の塊だったに違いない。
エリディアンも地球人も考えることは同じだったのだ。僕らは諦めなかった証拠を宇宙に刻みつけたかった。僕らは座して死を待ったわけではなく立ち向かって死んだと、この冷酷な宇宙に叫びたかったんだ。
「僕らは勝った。大丈夫だ」
レリーフに刻まれた22人の仲間たち。それからグレースの仲間、イリュヒナ技師とヤオ船長の死も無駄にならなかった。
彼らの無念は晴らした。僕らは危険を冒し死の淵をさまよったけど、いまや危機を乗り越えるための手段を勝ち取った。エリドと地球は救われる。
だからもう心配いらない。隣にいるグレースと今はいない彼らに僕は語りかける。
グレースは何も言わなかった。
船内見学ツアーが終わった後もやるべきことは残っていた。
プレゼントされた小型思考マシンの生命維持装置を作ってやらねばならない。マシンなのに生命維持というのも変な話だが、そのままでは僕の大気の中で壊れてしまうから必須の装備だ。
これはグレースと一緒に考えながら作った。キセノナイトパネルで囲み、内部に操作用ロボットアームを取り付ける。
電源タップはあるけど僕の船の電気規格とは合わない。だからそれ用の変換器も作る。
『なぜこのマシンは直流の電気を使っている、質問? 非効率』
「半導体は電流を一方向に限定する整流作用から発展したんだ。直流以外だと作るのが難しい」
『なぜ電子の上流がマイナス表記で下流がプラス表記なのか、質問? プラスは多い。マイナスは少ない。理屈に合わない』
「200年前、電気はプラスから流れると考えられていたんだ。ボルタって物理学者が間違えて、そのままずっと使われている」
『効率的で正しい方を使わない。地球人は愚か』
「そうだよ。だから狂ってるんだ」
僕はエンジニアだけど思考マシンに関しては素人だ。グレースの意見を参考にしながら保管器を作る。気圧は窒素も足して1気圧。温度は15から20℃に保つ。湿度は約50%だ。
断熱性はかなり高めに設計したけど温度維持機構も必要だ。でも僕が普段使っているアストロファージは熱すぎるので使えない。
なので機械式の冷却機を作った。冷媒をシリンダー内で往復させながら断熱膨張を繰り返すことによって冷却する装置だ。温度が一定以上になるとこれが自動的に働く。
完成した保管容器にグレースがノートパソコンと電源をセットしてスイッチオン。それを今度は僕の大気に入れてみる。グレースがキセノナイト壁越しに覗き込む。
「正常に動作しているみたいだ」
『良い。思考マシンをロボットアームで操作する』
地球人の指の柔らかさを再現したアームで操作する。光センサーでキーボードを確認しながらデスクトップのファイルを開いてみる。
「Wikipediaのトップページだ。記事は全部コピーしてあるよ」
『良い。正常な動作を確認。明日まで様子を見る』
電源オプションからシャットダウンを選択。ロボットアームで優しく閉じる。これで明日まで内部環境が維持されていれば成功だ。
グレースと科学で議論をするのもこれが最後だろうか。そう思うと寂しいものがある。
僕の中で、この維持装置が失敗していてほしいという気持ちが少しだけ湧き上がる。失敗していれば、またグレースと一緒に作ることができる。また失敗すればもっと一緒に過ごせる。
でもそれではせっかくのプレゼントが無駄になるし、不良品をわざと作るなんてエンジニアとしてのプライドが許さない。妙な気持ちを押し込んで僕は休憩に入った。
別れの日は間近に迫っていた。