Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
「こんにちは。ライランド・グレース博士です」
ライランドというのはグレースの個人名だ。普段呼んでいるのは家名。どちらをメインで呼ぶのかは個人で変わるという。
「おめでとう地球。これを見ているということは解決策が届いたということだ」
そこからグレースはタウメーバに関する取り扱いの話を続けた。窒素に触れさせてはダメとか、耐えられる温度は-180℃から+107℃までとか。一番大事なことだから一番最初に言うのは理にかなっていると僕は思った。
今朝の段階で思考マシンの環境維持装置は正常に機能していた。
充電もしてみた。電圧も電流も問題無い。つまりこれでやるべきことは全部終わり。
そんな時にグレースは「最後にビデオメッセージを撮ろう」と言い出した。悪くないアイデアだと思った。何かすべきことを探していたのは僕だけでは無かったのだろう。
僕は出番が来るまでグレースが喋るのをじっと観察していた。
「ヤオ・リー・ジエとオリーシャ・イリュヒナはタウセチまでの道中で死亡しました。どうか2人のために祈ってください」
タウメーバについて説明し終えたところで、一転して暗い顔でグレースは言う。ヤオ船長とイリュヒナ技師。昏睡中に亡くなった2人のフルネームを僕は初めて聞いた。
「……しかしながら、ぼく1人でミッションを達成したわけではありません」
ぐいっとグレースの顔がカメラに近づく。
「聞いて驚け。タウセチに宇宙船を送ったのは地球だけではなかったんだ」
話の方向が変わったのを察して前に出る。グレースのカメラがこちらに向く。
「紹介するよ。ぼくの友達、ロッキーだ」
『こんにちは地球。僕はロッキー。エリドから来た。映画のロッキーじゃないよ』
つかみとしては上々かな? グレースはニコニコしている。大丈夫なんだろう。たぶん。
「彼はエリダヌス座40番星を回る惑星からやってきた。高度な素材工学で軌道エレベーターも造った種族だ。僕は彼らをエリディアンと呼んでいる」
『僕もグレースと同じ目的でタウセチに来た。僕以外の乗組員は宇宙放射線で全滅したけど、グレースと出会った。協力して解決策を見つけた』
思えば波乱に満ちた旅だった。でも満足感にあふれている。こんなブヨブヨのエイリアンと一緒にいたというのに。不思議なものだ。
『これからタウメーバを持って故郷に帰る。僕はあと400地球年くらい生きる。400年後までにエリドへ来て僕と
カメラに向けて脚を1本突き出す。画角の外でグレースが笑う。サムズアップしてるから何か良いことを言えたらしい。そのまま続ける。
『僕とグレースは友達になった。僕らはここでお別れする。でもいつの日か、エリドと地球が友達になることを願っている』
エリドと地球はこれからどんな歴史を辿るのか。僕には見当もつかない。でも、素晴らしい未来が待っているはずだ。
『2つの惑星の歴史は友情から始まった。僕とグレースに出来たことが他の皆にできないはずがない』
僕とグレース程度にお互いを尊重し合える者であれば、良い未来を選び取れるに違いない。僕らはその最初の、小さくて大きなステップを踏んだのだ。
『これがエリディアン・ロッキーから地球への最初のメッセージだ』
僕は脚を1本掲げ、指を開いた。地球人の挨拶だ。それを合図にグレースが引き継ぐ。
「ありがとうロッキー。それと補足だ。僕はロッキーから燃料を分けてもらったんだ。これから地球に帰る。残りの詳しいことは他に保存されてる動画を見てくれ」
グレースがカメラを操作して録画を終わらせた。
「いや、良かったよ。バッチリだ」
サムズアップする。NGは無しの一発OK。
『地球人がこれを見る。楽しみ』
「このビデオには”まず最初にこれを見て”というタイトルを付けておくよ。みんなビックリするだろうな」
グレースはウキウキしながらカメラを思考マシンとコードで繋いで、先程の映像を移し始めた。この線1本であの膨大なデータを移送できるのが不思議だ。
ああ、これで終わりか。僕はその背中を眺めながら、静かに荷造りを始めた。お互いできるだけ長引かせてきたけど、もう終わりなんだ。
さよならの時間がやってきた。
最後のチェックをして、僕は僕の船に入った。
僕の大気の中でキセノナイトボールから這い出す。もうこいつを使う機会も無いだろう。
僕は壁越しにグレースと向き合った。彼は首から下に宇宙服を纏っていた。ショルダーストラップに思考マシンを取り付けて肩から下げていることを除けば、出会って間もない頃を彷彿とさせる姿だった。
『思考マシンのプレゼント、ありがとう。たくさんの地球の科学。エリドの歴史で最も偉大な贈り物だ』
「ああ。ラップトップが9年間の航海に耐えてくれると良いんだけど」
『壊れても大丈夫。半導体は無理だけど、電気系統なら僕が直す』
ポータブル思考マシンは電源コード無しでも稼働できるよう、リチウムイオンバッテリーが使われている。こいつが厄介で、寿命を迎えると爆発する。地球人はイカれている。
グレースからは半年に一度電源を入れて充電するという長持ちの方法を教えてもらった。起動しない時のマニュアルもだ。まあ適切な電圧と電流は分かっているからバッテリーが壊れても代用品は作れる。
僕は念のためバッテリーを別で保管して、起動する時だけ取り付けることにした。内側に取り付けたロボットアームが役立った。これでエリドまでの9年間を無事に過ごしてくれればいいのだけれど。
9年。僕は改めてその長さを実感する。それだけの時間を僕は1人で過ごすのだ。でもエリドでは14年も経過しているという。
『僕は12年かけて10光年先のエリドに到着する。でも船内時間は9年。グレースは13年かけて12光年先の地球に到着する。でも船内時間は4年、質問?』
「そうだ。計算上はそうなる」
『船外時間はほぼ同じなのに船内時間は全然違う。とても不思議』
グレースに燃料を分けた僕は1.2Gでゆっくり加速する。2年後に光速の80%に到達したら加速を止めて5年間の巡航に入る。巡航期間が終わったらまた1.2Gで2年の減速だ。
グレースと一緒に航路計算して、船の思考マシンにも計算してもらったからこの計算は正しいはずだ。でも外部時間は対して変わらないのに船内時間はあまりにも違う。それが本当に不思議で仕方なかった。
「光速に近くなるほど時間が遅れる。ぼくの船の方が早く光速に近づくから時間の圧縮も顕著なんだ」
『計算上では理解している。でも、とても不思議』
相対性理論の公式は全てグレースから教えてもらった。速度を上げるほど時間は遅れ、強い重力は時間と空間を歪め、質量はエネルギーと裏表。信じがたいが確かに計算上はそうなるし、地球で実証され実用化もされている。
理論は把握した。計算も導出した。結果も理解した。でも実際の現象に納得できるかどうかは別問題だ。
どこまでも不可解で直感に反していて、とんでもなく奇妙な宇宙に我々は生きている。僕は心底そう思った。
「ぼくもそう思う。相対性理論の情報も全部マシンに入っているから、エリドの科学者たちに見てもらってくれ」
『イエス。彼らはとても喜ぶ。とても混乱する』
僕らは笑った。そして何か言葉を紡ごうとして何も出てこないことに気付いた。別れが近い合図だった。
『グレース』
「なんだい?」
『グレースは僕が会った地球人の中で一番勇敢だ』
「ありがとう」
『ジョークだ』僕はおどけるように脚を挙げた。『僕が会った地球人はキミだけだ』
「完璧な地球流ジョークだ」
グレースがニッコリ笑う。一生懸命考えたジョークが成功して何よりだ。寂しそうな笑顔なのは許容すべきだ。
『地球では別れの時になんて言う、質問?』
「……
『もう会えない。それはジョーク、質問?』
「いや、単に間違えただけだ。……
肩をすくめるグレース。実は地球の別れの挨拶は映画で知っていた。でも訊いておきたかった。既知のことを訊くというのも地球人の雑談としてポピュラーだと僕は理解していた。
「エリドではお別れの時、なんて言うんだい?」
『言葉は使わない。こうする』
僕は脚の1本の上を、もう1本の脚先で這わせるように動かした。ポコポコ、ポコポコ、と良い音が響く。さよならの音。送別の音。この音が聞こえている限りはまだ別れではない。
グレースはそれを真似して右腕で左腕を擦った。全然違うけど、まあ良い。この音は個人によって微妙に違うのだ。グレースのさよならの音として記憶しておこう。
「元気でな。我が友、ロッキー」
『1人でちゃんと寝るんだぞ。我が友、グレース』
グレースがヘイルメアリーのエアロックに歩いていく。僕はその足音を聞き続けた。
ふと、思い立ったかのようにグレースは足を止めて、軽妙に身体を動かした。初めて出会った時に彼が調子に乗って踊った即興ダンスだ。
僕もあの時のようにそれをマネした。これは彼なりの別れの儀式だと理解していたから。
ダンスコミュニケーションも遠い過去のようだ。あの時はお互いにファーストコンタクトで必死だった。
ひと通り踊って歩いて、また別のダンスをする。以前とは違う新しいダンスもあった。そしてまた歩いて、止まってダンスをした。
そんな思い出の回想も、エアロックにグレースがたどり着くことで終わりを告げる。船に入るための階段に足をかけて、また僕の方へ振り返る。
最後にグレースは右手を開いて掲げた。僕も掲げる。地球人の挨拶。出会う時も、別れの時も使えるジェスチャーだ。
宇宙服のヘルメットを被ったことを確認してから、僕はグレース側の空気を抜き始める。もともとそういう手筈だった。
音を伝える空気が無くなり音が急速に聞こえなくなる。やがて真空になり、かろうじて通路を媒体としてグレースの姿が認識できる状態なった。
グレースの手には地球人用に改造したアストロトーチ。僕がせめてもの餞別として造って渡したものだ。長い柄がついている。彼はトンネル生成マシンではなくこのトーチを用いてトンネルを切断することにした。
キセノナイトさえ融かすアストロトーチでも、焦点距離を調節すればヘイルメアリー号を傷つけずトンネルを切ることができる。エアロック周辺に大量のキセノナイトが付着するけど、地球人にとってはサンプルが多い方が嬉しいだろう。
円を描くようにトンネルが切断されていく。その動きは地球の時計を思わせた。
トーチの針がゆっくりと1周して、お別れの時間。とうとうグレースの姿が聞こえなくなった。
立ち去ろうとして、やめた。僕からは聞こえなくなっても、グレースはまだ僕が見えているはずだ。エリドでも地球でも、お別れの時は最後まで見送るのが礼儀というものだ。
少し悩んで、最後に
「さよなら、ライランド・グレース」
きっと向こうも同じように
操縦装置を起動しながら船の光センサーでヘイルメアリー号を見る。もうだいぶ離れてしまった。たくさんの思い出が詰まった小さな船だ。
もう見送りは充分だろう。操縦装置を携え、がらんどうになったトンネルを後にする。
この通路は保管しておこう。思い出の場所だ。この程度の質量なら船の制御に影響は少ない。ファーストコンタクトの場でもあるから歴史的にも重要なアイテムだ。
船体の向きを変えて、ヘイルメアリー号に噴射を当てないよう気をつけながらエンジンを吹かす。目指すは10.4光年先の故郷。
弱い加速度が身体を床に押し付ける。あの小さな船の加速度と振動が懐かしかった。酸素に囲まれた狭い気密室に押し込まれていたあの時間を恋しいと思う日が来るとは思わなかった。
感傷を振り払うように通路から走り去る。それでもあのブヨブヨエイリアンの姿が脳から離れることは無かった。
僕は少し戸惑った。そんなに長く一緒に居た覚えは無いんだけどな。
さよなら地球人。
奇妙で、勇敢で、優しくて、賢い科学者。
ライランド・グレース。僕の大切な友達。
どうかその旅路に幸運がありますように。
僕は家に帰る。