Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
〈アストロファージは細胞内で陽子同士をぶつけることでニュートリノを自由に生成させることができます〉
作業をする僕の隣でくぐもった機械音声が響く。キセノナイトの箱に入れられた思考マシンの声だ。
ニュートリノというのは地球で発見されている素粒子の一種だ。電気的に中性でとても小さいから物質とものすごく反応しにくい。惑星くらい簡単にすり抜けてしまう。
〈ニュートリノ1個を生成するために必要な陽子の衝突速度は96.415℃の温度環境下と一致しています。この温度以上であればアストロファージはエネルギーをニュートリノの形で溜め込みます〉
アストロファージは単細胞で質量変換をする常識はずれの生き物だ。地球人は優れた科学力でその謎を何とかして解明しようとしていたらしい。
ほほう。エネルギーを吸収するのは細胞内で陽子を加速させてニュートリノを生み出すためか。それでそれで?
〈ニュートリノはマヨナラ粒子と呼ばれる性質を備え、同じ粒子同士で対消滅を起こして光子を放出します〉
対消滅。ある素粒子と電気的性質が反対の反粒子が衝突することで全てエネルギーに変換される現象だ。ニュートリノは自分自身が反粒子となる特殊な粒子ということだ。
〈アストロファージは生成したニュートリノを溜め込み、必要に応じて対消滅させることでエネルギーを生み出します。この際に出る光子のエネルギーは25.984ミクロンの赤外線波長となります〉
ほーん。25.984マイクロメートル。ペトロヴァ波長の起源はそういうことなのか。僕は一旦作業を止めてその説明に聞き入った。
〈これらの事実は、アストロファージを殺した際にニュートリノのバーストが確認されたことから判明しました〉
アストロファージが外部要因で死んでも溜め込んだエネルギーが放出されないことはずっと気になっていた。1匹あたり手榴弾1個分くらいのエネルギーが貯蔵されているはずなのに何も起きない。これはエリドの科学者達にとっても大きな謎だった。
でも今その理由が分かった。爆発しないのではない。「めっちゃ大爆発してるけど放出されてるのがニュートリノだから僕らは何も感じない」だけなんだ。
〈なお、ほとんどの物質をすり抜けるニュートリノがアストロファージの細胞膜を透過できないことは大きな謎とされています。現在の量子力学、生物学の根本的な見直しのために研究が続けられています〉
ふむ。地球人の科学でも分からないことはあったか。これは13年前の情報だから今は違うかもしれないけど。
そこで文章の読み上げが終わる。次の文章を聞こうとしたところでタイマーが鳴った。
「もうそんな時間か」
僕は箱の中のロボットアームを操作して思考マシンをシャットダウンした。今日はここまでだ。
グレースとのお別れから地球時間で18日目。僕は作業の傍らで思考マシンの中の情報をいろいろと聞いていた。エリディアンはこういうマルチタスクをしている時が一番楽なのだ。
僕の経験上、あらゆる機械というのは使いすぎると不具合を起こすが、使わなくても不具合を起こすものだ。思考マシンもたまに通電して使わないと部品が壊れてしまうそうだ。
なので僕は地球時間で6日ごとに電源を入れて、動作確認を兼ねて1時間だけこうして文章を読み上げさせることにした。
グレースは親切なことに思考マシンへ音声読み上げソフトをインストールしておいてくれた。文章を指定しておけばあとは自動で喋ってくれる便利なやつだ。声も指定できる。光センサー越しに画面を読む必要が無いのはありがたかった。
ちょうど作業の方も終わったところだ。キリが良い。少し休憩しよう。僕は工房から離れることにした。
他の乗組員がいない船内はとても静かだった。その静寂の中を僕は歩く。脚がキセノナイトの床に当たるたびにコツコツと音を立てた。
音に鋭敏なエリディアンの宇宙船が静かなのは当然だった。高い防音性は高い居住性の証だ。
エンジンは駆動するたびに振動し、アルミニウムの船体は加速度に軋み、無数の電子回路はコイル鳴きをして、ブヨブヨの宇宙人がいつも変な音を立てていた宇宙船。
思えばろくでもない宇宙船に滞在していたものだ。でもその居心地の悪さが今は恋しかった。奇妙で、懐かしくて。
僕は操縦室に入ると船の光センサーを動かした。タウセチの光が少しずつ小さくなっていくのが表示されている。そしてグレースの乗るヘイルメアリー号がまだ見えた。
正確にはスピンドライヴから放たれる赤外線だ。ヘイルメアリー号は1.5Gで加速し続け、18日目の今日はタウセチ星系の外縁部に到達した頃合いか。これだけの距離でもまだ見えているのだから本当にすごい出力だ。
僕は休憩する時、こうしてヘイルメアリー号の光を眺めていた。グレースの方もそうしているだろう。彼も僕の船が観測できているはずだ。たぶんもう1年くらいはペトロヴァスコープで見えてるんじゃないかな?
ヘイルメアリー号の光を眺めながら、僕はエリドと地球の将来を考えた。
グレースとはもう会えない。でもこれからたくさんの地球人と関わるかもしれない。アストロファージの生産が容易なエリドから使節団を送るのか、それとも技術に秀でた地球から無人探査機を送るのか。どちらになるのかは分からない。
いずれにせよ恒星間で通信を確立する必要がある。僕はアストロファージを用いた巨大な赤外線レーザー照射機を思いついた。ヘイルメアリー号の光が観測できるように、相手の星系へ赤外線レーザーを照射すれば望遠鏡で見えるはずだ。光が届くならモールス信号でも何でも使えば良い。
相手の星系へメッセージが届くには16.3年かかる。返事が来るまで最短でも32.6年。長すぎる。でも挨拶はできる。使節団や無人機の出発を報告しておけば外交もスムーズに進む。
交流が進めば外交に伴ういろんなトラブルが起こるだろう。でも戦争に関しては心配しなくていいのは気が楽だ。
惑星上の戦争と恒星間の戦争はわけが違う。同等の技術レベルだと分かっていて、相手の武器も分からず、送り込める兵士もひどく限られ、占領しても住めない惑星に攻め込む。それで片道16年の戦争、なんてやってられないだろう。
亜光速ミサイルをぶつける攻撃手法も考えられるけど、恒星系は銀河内を移動しているし、惑星はその恒星をぐるぐる回っている。そんな小さくてちょこまか動く目標に亜光速のミサイルを当てるなら、とてつもない技術的ハードルをクリアしないといけない。
そんな無益な争いをするより互いの惑星へ留学でもして技術を学んだ方が有意義だ。エリドは化学と素材工学と数学において地球を圧倒している。一方で地球は天文学と物理学と電子工学と生物学においてエリドよりずっと進んでいる。学び合うには良い相手だ。
戦争の心配はワープ航法の実用化でもされてからすればいい。僕らは争うには遠すぎるし違いすぎる。でも学んで未来へ進むことができる程度には近くて似ているのだ。
ビデオメッセージのように、いつかエリドへ地球人がやってくるかもしれない。あるいは僕が地球へ行くかもしれない。
グレースと映像で楽しんだあの惑星を実際に体験できる。そんな未来。それが訪れる日を僕は夢想しながらしばしの休息をとった。
僕は故郷に帰る。でもそれまで何も仕事が無いわけではない。
毎日、船の隅々までメンテナンスをしているからヒマとはほど遠い。しかも点検項目の中には思考マシンの維持装置と、タウメーバの維持装置が追加されている。
僕は日々のメンテナンス作業の傍ら、放射線測定器を自作することにした。そういう知識もあの思考マシンには入っていた。エリドに存在しない機械を作り出すのは簡単ではないが、原理さえ分かれば何とかできる自信はあった。
地球で100年前に作られたガイガー・ミュラー管という機械を参考に試作してみた。気体中に放射線が通ると電圧が発生することを利用した測定器だ。
僕の船はあと2日くらいでタウセチ星系のヘリオポーズに到達するだろう。これは主星からの恒星風が届く限界距離で、ここを出ると銀河宇宙線が支配的になり、放射線の強さがグンと上がるのだという。仲間達はこれにやられたのだ。
放射線防御のため居住区画のほとんどにはアストロファージの防御層を作っておいた。でも思わぬ見落としがあるかもしれないし、構造的に防御層を設置できない区域もある。放射線がどこからどこまで影響しているのか調べるのは重要だった。
完成した試作機を防御層の無い区域に持っていくとガリガリと音を出して反応した。正常に作動しているらしい。ヘリオポーズを出る前に放射線の影響を調べておこう。
僕は測定器を持って船のあちこちを歩いた。アストロファージ防御層も機能している。あんな薄いのに良く放射線を遮断できるものだ。ニュートリノを通さない細胞膜と何か関係があるのかな?
操縦室、航法室、研究室、エアロック、通路、僕の工房。問題なし。
倉庫も確認する。ここは生命維持装置に保管されたタウメーバがあるから、特に防御層を念入りに仕込んでおいたのだ。大丈夫だろうけど確認は大事だ。
「……は?」
かすかなガリガリとした反応音に僕はしばし呆然とした。
誤作動か? 僕は廊下に一旦戻る。すると測定器の反応が無くなった。また倉庫に入る。やっぱり反応する。出入り口からさらに奥へ行っても反応する。
「そんなバカな」
思考が高速で巡る。倉庫には全面にアストロファージの防御層があるんだぞ。どこから放射線が来ているんだ?
壁を叩いてみる。すると防御層として封じ込めたアストロファージの密度が感じられなかった。嫌な予感がする。どこかの隙間からアストロファージが漏れたのだろうか? 僕は工具を持ってきて穴を開けて壁の中を確認することにした。
キセノナイトの壁の中から出てきたのは、ドロドロの液体。でもアストロファージではない。通常の水と同じくらいの密度をしている謎の液体だ。
いや、こいつの粘性は記憶にあるぞ。僕は光源と光センサーをかざしてその液体を良く観察する。液体越しにキセノナイトの壁の色が透けて見えるからこれは透明だ。アストロファージのように黒ではない。
こんな液体はこの船に1種類しかない。これは……こいつは……。
「タウメーバ!」
僕は愕然として光センサーを取り落とした。考えたくもない最悪の事態が訪れたことを悟ってしまった。
アストロファージが漏れたのではない。
タウメーバが漏れ出してしまったんだ。