Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
憂鬱な目覚めを僕は受け入れるしかなかった。思考マシンの維持装置と、固定していない工具がそこらへんを漂っている。
光センサーと一緒に、近くへ来たところを掴んで起動してみる。日付は意識しないようにしていたが、思考マシンを開いてみるとカレンダー機能は冷徹に経過時間を示していた。あれから地球時間でざっと50日は経過している。
燃料タンクに窒素ガスを入れたところで効果はほとんど得られなかった。
高濃度の窒素に曝露したタウメーバは確かに死んだが、細かい液滴になったアストロファージの塊の中までは窒素ガスが届かなかった。タウメーバはその中を食い進んだ。守れたアストロファージは100グラム程度。
僕はこの無事なアストロファージを二重の金属製容器に入れて隙間に窒素を充填することで保管した。もちろん全滅を防ぐため小分けにしてある。どうしてもエネルギーが必要な時はこの小分けにした容器からアストロファージを取り出した。
この量はちょっとした機械を動かすには充分な量だ。でも宇宙船を動かすには到底足りない。
船内のアストロファージがほぼ全滅したことで、僕は新たな放射線防御対策を考えなければならなかった。アストロファージは完全な放射線防御を提供してくれるが今や貴重品だ。生活環境を覆うだけの量は無い。
なので僕はタウメーバを利用することにした。
アストロファージを食い尽くしたタウメーバは1週間後に死ぬ。この死んだタウメーバをかき集めて厚さ1メートルの防御層を作った。タウメーバはほとんどが水だ。水も分厚ければ放射線を防いでくれる。
今はこのタウメーバ防御層が頼りだ。防御層が無いところでは放射線測定器がガリガリとうるさく喚く。
タウセチのヘリオポーズを抜けたことで、仲間たちの命を奪った銀河宇宙線が絶え間なく降りそそいでいるのだ。この領域に数日留まるだけで僕は仲間たちと同じ末路を辿るだろう。
今や僕の生活環境は工房とその周辺に限定されていた。それ以外の空間に作ってもしょうがないし、その気にもならない。
メートル単位の放射線防御層は空間を圧迫している。僕は狭苦しくなった工房で、読み上げソフトの音声を聞いて時間を潰すことがほとんどになっていた。マシンの寿命は削れるだろうが、僕の命の方が先に消える可能性が高かった。
タウメーバによる汚染でアストロファージ発電機も止まり、船全体に電気が供給されなくなっている。
タウセチから離れ、生命維持装置の機能しない船の気温は少しずつ下がっていくだろう。外が真空だから温度低下はゆっくり進むはずだが、どのくらいで致命的になるのか計算する気にもならない。
ヘイルメアリー号で使っていた簡易的な生命維持装置が今は命綱だ。船全体の温度が下がっても狭い空間ならこれでなんとかなる。
僕は1.2Gで18日と10時間ほど加速した。今の速度はざっと秒速2万キロメートル弱といったところか。この調子だと故郷に帰るまで167年かかる。
いくらなんでも食料が足りないし、生きて到着できたとしてエリドはすでに気温の下がりきった死の惑星となっているだろう。
僕やグレースがもっと早く気づいていればこの事態は避けられただろうか。生物の進化を完全にコントロールできていると思い上がったりせず、もっと綿密なテストを繰り返すよう進言していれば、あるいは。
過ぎたことを悔やんでも仕方がない。今のどうしようもない状況は変わらない。
グレース側に光でSOSを送るにしても、その正確な位置を確定させなくてはならない。以前は1万キロメートルという比較的近距離だったから適当な方向に噴射しても船を見つけられたのだ。
グレースが僕と同じように18日目で気づいてエンジンを止めたとしても、今頃は1100億キロメートル離れている。太陽地球間の730倍もの距離だ。
この超遠距離ではアストロファージエンジンから出る赤外線の広がりの中にヘイルメアリー号が入っている必要がある。そうしないと見えないほど暗い。そして点滅した時にグレースがペトロヴァスコープを覗いていることが絶対条件だ。
残されたごくわずかなアストロファージで試すには分の悪い賭けだ。
仮に起死回生のSOS信号が届いたとしても、グレースは僕の方を見つけることは困難だ。ヘイルメアリー号のレーダーは半径数千キロメートルくらいしか探知できない。
グレースとて僕の船をずっと見ていたわけでは無いだろう。僕の船がいつエンジンを止めたのか彼には見当もつかないはずだ。計算で軌道予測したとして、予想範囲は数千万キロメートルもの広大な領域になる。
タウセチに近ければ恒星光の反射を捉えることもできただろうが、これだけ離れてしまうと望遠鏡で見ることも難しい。
とてもじゃないけど彼が僕を探し出すのは不可能に近い。
エリドからの救援も期待できない。
しびれを切らして2番艦が建造され出発したとしよう。また放射線で乗員は死ぬだろう。
そして僕のように運よく放射線から生き残った者がいたとしよう。僕の船がゆっくりとエリドへ向かっていることを誰が予想できる? 暗くて広大な宇宙空間を通り過ぎた動かないちっぽけな物体が、同胞の宇宙船だとどうやって知る?
「無理だ」
落胆するまでもない。僕は助からない。タウセチでグレースと巡り合ったことは奇跡に近い幸運だった。奇跡はそう簡単に起きないから奇跡と言うのだ。二度目は無い。
僕は無重力の中で縮こまった。自分の不甲斐なさを呪った。思考マシンで適当に読み上げさせているWikipediaの記事も大した慰めにはならない。
故郷も救えず、仲間たちの無念を晴らすこともできず、愛する者にも会えないまま、この宇宙の果てで死んでいく。それが僕の運命だったのだ。僕はそれを受け入れるしかない。
でも、せめてグレースは生き延びてほしい。あの優しくて勇敢で、泣き虫なエイリアンは自らの故郷で穏やかに生きていてほしい。そう願った。
その時だった。
ゴツン。
音の無くなった宇宙船の隅の方で、何かがぶつかった音がした。酷く既視感のある振動がかすかに船を震わせた。
「なんだ?」
隕石でも衝突したのか? 意識を集中させてみると、エアロックから伸びたトンネルからの音だと分かった。キセノナイトなら多少の衝突は耐えられるけど、隕石の衝突としてはピンポイントすぎる。
続けて音が鳴った。ドン、ドン、ドン。3回の打撃音。
全く同じ位置に3回も衝突が起きるなんてありえない。これは衝突音ではない。何かが壁を叩いたのだ。船の外側は真空だからその姿ははっきりとは分からない。
さらに聴覚を研ぎ澄ませる。何かがトンネルの気密壁にへばりついているんだ。打撃音以外の音が聞こえてくる。短い2本の腕と長い2本の脚。円筒形の胴体部。そこから突き出た球形の突起物。その球体を壁に押し当てて、何かの音を出している。
その音を理解した瞬間、僕は工房から駆け出していた。壁の取っ手を駆使して全速力でエアロックに向かう。
理論上では不可能。計算上でも不可能。そのはずだ。僕はそう考えていた。しかし現実にそれが起きているのなら……!
エアロック抜けてトンネルに入る。もうここまで来るとその存在は確信に変わっていた。
彼がここにいる。僕の大切な友達が。歓喜の予感がする。彼が立ち塞がる不可能をどうやって可能にしてきたのか、不勉強な僕にはさっぱり分からない。
しかしこうして、彼は何百億キロメートルもの距離を飛び越えてきたのだ。数多の星々の中から僕を探し出したのだ。僕を助けるために。
「グレース!」
「ロッキー!」
どうやら奇跡はもう一度起きたらしい。