Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
ヘイルメアリー号と僕の船をドッキングする作業は多少の困難があった。
エネルギーも問題ではない。なけなしのアストロファージであってもトンネル生成装置を動かすだけの電力は確保できた。
でも今の僕の船は動けないどころか姿勢維持すら機能していない。以前の合流時とは異なり、少しでもヘイルメアリー号がぶつかればそのまま回転を始めてしまう。エアロックとトンネルを正確に、静かに合わせなければならなかった。
釣り作戦の練習で鍛えられたグレースの操船技術は、この問題をクリアできる程度には高まっていた。
接続されたトンネルの中で68日ぶりに僕らは対面した。
『グレース!』思考マシンの翻訳機能が動いていることを確認して文法を合わせる。『僕を助けに来てくれた、質問?」
「キミが困ってると気づいて引き返してきたんだ。タウメーバはキセノナイトを通り抜ける」
隔離壁にしがみついたグレースは宇宙服のヘルメットだけ外した。グレース側の空気はヘイルメアリー号のエアロックから供給されたものだ。僕の船の酸素ボンベはタウメーバに汚染されている可能性があったので使えない。
「ぼくの方は手遅れにならないうちにタウメーバを抑え込んだ。荷物をまとめてくれ。キミとタウメーバをエリドの星まで連れて行く」
『地球はどうする、質問?』
「タウメーバ農場を載せたビートルズを出発させた。あれは元々そのための機材だ」
4機の無人機部隊ビートルズ。あれに載せたタウメーバ用給餌器は地球の技術を考慮してエリディアン鋼で作られている。外の水槽をビニールか何かで覆えばタウメーバが暴走することはない。
誰がどう見たって目的内の適正な使用だ。これで届かなかったら地球にとって悲劇だろうが、それはどこかのビートルマニアな技術者の責任であってグレースの責任ではない。
『よい、よい、よい!』
絶望から一転して希望が心に満ちあふれる。僕はトンネル内の無重力空間を跳ねまくった。それを見てグレースが笑う。
『窒素洗浄装置を作る。僕と荷物を除染する。ヘイルメアリーにタウメーバを持ち込まない!』
「アンモニアと食料も忘れるなよ。今あの気密室は空っぽなんだから」
『了解した。すぐ作る!』
僕は工房に飛んでいった。アストロファージの出し惜しみをしなくていいのは気が楽だった。
アンモニアのボンベと食料と工具と日用品。キセノナイトのもと。それから貰った思考マシンとお手玉の地球。
それらを窒素で洗浄してからいくつかの箱に詰め込んで、グレースの手でヘイルメアリー号に移し替えた。状況が状況だからかグレースは文句を言わなかった。
トンネル切り離しのための遠隔操作機材も持った。忘れ物は無し。僕自身も窒素で念入りに滅菌してから、あのキセノナイトボールで隔離壁のエアロックを通り抜ける。久々の酸素大気だ。
「待ってたよ相棒」
そして無重力状態をキセノナイトボールごとグレースに運ばれる。エアロックを越えて、船内へ。あの色々とうるさい船が僕を待っていてくれた。
〈搭乗を確認しました。お久しぶりです。ロッキー技師〉
『ヘイルメアリー、久しぶり』
まだ僕のことは搭乗者名簿に記録されていたらしい。船の思考マシンとも挨拶を交わす。
やることはたくさんある。ひとまずは気密室をアンモニアで満たして復活させるべきだろうが、その前にグレースに訊きたいことがあった。
『どうやって僕の船を探し出した、質問?』
「スピンドライヴの放射光を使ったんだ」
持ち込んだいくつもの荷物を取りまとめながらグレースが言う。
「ヘイルメアリー号のエンジンは莫大なペトロヴァ波長を放っている。それをサーチライト代わりに予想範囲を照らして、キミの船を探したんだ」
ヘイルメアリー号や僕の船はエンジン駆動時に強力な赤外線レーザーを放つ。僅かに拡散するのである程度の範囲を照らすことができる。
グレースはそれで予測される軌道をしらみ潰しに照らしたのだ。もし照射範囲に物体があればその反射光がペトロヴァスコープで見える。反射までの時間で大まかな距離も分かる。
考えたこともなかった。スピンドライヴは地球最強の灯台として機能したのだ。
『すごい。キミは賢い』
「タウメーバの脱走まで予想できれば良かったんだけどね」
『それは仕方ない。ぼくも気づかなかった。生命はいつも僕らの想像を超える』
ヘイルメアリー号の燃料はほぼ満タンだ。1.5Gで加減速すれば10.4光年先のエリドまで船外時間11年弱、船内時間3年半で着くだろう。本来の予定よりずっと早く故郷に到達できる。グレースの食料も余裕がある。
『ビデオメッセージ。地球に帰ることを宣言してたのに、ごめん』
「あれかい? あのあとエリドに向かうって訂正しといたから大丈夫だよ」
『それなら良い』
エリドに到着したらものすごくビックリされるだろう。
タウセチへ派遣した調査隊が未知の物理現象でほぼ全滅して、唯一の生き残りが解決手段を携えて異星人と一緒に異星の船に乗って帰還するのだから。
情報量が多すぎる。どこから説明したものか見当もつかない。
そこらへんは帰路の3年間でゆっくり考えるとしよう。エリダニ40のアストロファージをやっつければ万事解決。グレースはエリドを救った英雄として迎えられる。きっと悪い扱いはされないはずだ。
『エリドに着いたら、僕の仲間たちがキミを良く世話するように説得する。キミが地球に帰るためのアストロファージを用意させる』
「ああ、そのことなんだが……ひとつ問題があるんだ」
言いにくそうにグレースは返した。なんだか地球へ帰れないことを吐露した時の雰囲気に似ていた。
『それはなに、質問?』
「食料が足りないんだ。エリドに着くまでの量はある。着いてもしばらくはなんとかなる。でも、地球へ帰るまでの量は無いんだ」
『エリドの食料を食べれば良い』
「エリドの生き物には重金属が大量に含まれている。食べたらぼくは死んでしまう」
エリドの生き物にとってタリウムやカドミウムなどの重金属は健康を維持するために必須の栄養素だが、地球人にとってそれらはごく少量でも健康を害する猛毒となる。グレースはエリド産の生物を摂取できない。
ヘイルメアリー号にはグレースの食料が4、5年分残っていると聞いた。エリドまで3年半の量を消費すると帰りの分が足りない。
『ヘイルメアリーには植物があった。あれを育てる』
僕は思いつく。船内のラボには実験用の植物がいくつも栽培されていた。生物学の実験で良く使われるというモデル生物には食用の種類もあるはずだ。イネとかコムギとかジャガイモとか。
地球人は肉も植物も食べる雑食動物だから、それを食べれば何とかなるはずだ。
「実は……タウメーバをやっつけるために一度船内を真空にしてね。緊急だったからエアロックを開放して直で抜いた」
エアロックの壁をコンコンと叩くグレース。
「急激な減圧でラボの植物はほとんど全滅してしまった。種子はいくらか残っているだろうけど、食いつなぐには全然足りないし、土壌も足りない。増やすにしても時間がかかりすぎる。ぼくが飢え死にすることは変えられない」
僕はその事実にショックを受けていた。グレースはそのことを理解した上で僕を助けに来たというのか? 飢え死にすることを承知の上で、僕以外の者と会ったこともない異星文明のために自分の命を犠牲にすると?
『グレース、死んではいけない。キミは友達。今すぐ地球に戻る』
「ロッキーはどうするんだ」
『ここでエリドからの船を待つ』
「来るかどうかも分からない迎えを待つのか? それで来なけりゃ死ぬのはキミだけじゃない。何億人ものエリディアンとエイドリアンも死ぬんだぞ」
言い聞かせるようにグレースは言う。エイドリアンの名を出されては反論できない。たぶん生徒を叱る時もこんな感じなんだろうと心の隅で思った。
いつぞやのようにグレースがキセノナイトボールの前で視線を合わせてきた。
「いいんだ。ぼくは覚悟の上でロッキーを助けに来たんだ。2つの惑星を救うにはこれしかない」
本当に? 本当にエリドを救うにはグレースが犠牲にならないといけないのか? 僕は必死で考える。何かないか? 何か?
「さっそくだけど、気密室を作ろうか。パネルはそのままだから──」
『待った』僕は指を1本立てる。新たな思いつきがあった。『グレースは自分に必要な栄養素が何か理解している、質問?』
「ああ、もちろん分かるとも」
『その分子構造は理解している、質問?』
「だいたいわかるよ。分からないところもデータ保管庫に記録されてるから見れば分かる」
『なら餓死する心配ない』
「どういうこと?」
『エリドの技術はキセノンを固体にできる』自信たっぷりに僕は言ってやる。『構造が分かる。それを合成する。簡単。エリドの化学は宇宙一だ』
エリドの化学は地球を遥かに凌駕している。グレースが必要とする栄養素の中には地球の化学者が何年もかけて合成したものもあるかもしれないが、エリドの化学者なら短期間で合成できるはずだ。少なくとも合成できないなんてことはない。地球生命はそれを体内で合成できているのだから。
『もし短期間でできなかったらタウメーバを食べればいい』
「タウメーバを? あんなもの食べられ……」
グレースはそのまま腕を組んで考え込んだ。しばらくしてまた口を開く。
「あれ? 食べられるかもしれないぞ?」
アストロファージは96℃で常に一定だ。地球人にとっては熱すぎる。消化管に入れたら火傷してしまうし、あの不可思議な細胞膜を消化できるかも怪しい。
でもタウメーバはアストロファージを食べるだけの普通の生き物だ。惑星エイドリアンの大気に重金属は含まれていなかった。毒があるかどうか調べる必要はあるが、恐らくグレースでも食べられるだろう。
『決まり。エリドに着く。必要な栄養素を合成する。植物も栽培する。間に合わなければタウメーバにアストロファージを食べさせて増やす。それをキミが食べる』
ビシッとグレースに脚を突きつける。グレースは呆けたようにポカンとしている。
『言っただろう。僕はキミを死なせない』