Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
いま僕はすごい勢いでドアを叩いている。時間いっぱいまでのんびりしているのは彼の悪いクセだ。
扉の向こうからドタドタと身支度を整える音が聞こえてから、ガチャリとドアが開いた。
「いつも遅い」
「キミがいつも早いんだよ」
僕が怒るような仕草をするとグレースは肩をすくめた。実際に怒っているわけではない。いつものことだからお互いに慣れっこだ。
「グレース、ドア閉める」
「ここ治安良いのに」
「僕が作ったドアだ。ちゃんと使って」
「アルマンドに新鮮な空気をあげたかったんだ」
他愛もない会話をしながら、キセノナイトスーツに身を包んだ僕の後をグレースが付いていく。
僕らが歩く家の外には、かつて映像で体験した地球の浜辺に良く似た風景が広がっている。風に乗って波の音も聞こえてくる。
でもここは地球ではない。地球人がエリダニ40Abと呼ぶ天体の表面だ。
タウセチから10.4光年、太陽系から16.3光年離れたエリダニ40Aの第1惑星。
またの名を惑星エリド。つまり僕の故郷だ。
タウセチからエリドまでの3年半の間にいろいろなことがあった。
ヘイルメアリー号は太陽系からタウセチまでの片道用に建造された船だ。追加で航行するようにはできていない。誤報から本当のトラブルまであらゆる警報が鳴った。
グレースと何度も喧嘩したし、同じ回数分の仲直りもした。いつの間にかグレースは翻訳機無しにエリドの言葉を聞いて意味を解するようにもなった。
エリダニ40のヘリオポーズに入った頃、エリドでは外宇宙から正体不明の宇宙船が近づいてくることに気づいてパニックになっていたらしい。タウセチ調査隊の船にしては放射光が小さすぎたのだ。
電波通信によってそれが異星人の船であり、タウセチへ派遣した調査隊の生き残りが乗っていると判明した時にはさらに大混乱となった、と僕は聞いている。
遅延する通信に苦戦しながらエリド側に状況を説明した。グレースのために必要な生存環境と栄養素も伝達した。
エリドの周回軌道に入ったあと、エリド赤道からそびえ立つ軌道エレベーターの静止軌道ステーションにヘイルメアリーを横付けして僕らの長い航海は終わった。
エイドリアンは待っていてくれた。
それから地球時間で1年。僕の説明を受けた科学者達は、グレースが快適に過ごせるようあらゆる手段を講じてくれた。
彼は全エリディアンを救った大恩人であると同時に、進んだ知識を有する優秀な科学者で、さらには異星知的生命体の貴重なサンプルでもある。コスト度外視で何としてでも生かさなかればならないと判断されたわけだ。
今では大勢の化学者と技術者がグレースのために必要な栄養素を合成してくれている。
僕とグレースがいるバイオドームも科学者達の成果だ。巨大なキセノナイト製ドームの中に地球環境を丸ごと再現したのだ。
適切な量の窒素と酸素。気温。光。海。ここでグレースは快適に暮らしている。強い重力はどうしようもないので我慢してもらってる。
一方でエリディアンがこの中を活動するためにはキセノナイトスーツが必要だ。いま僕が装備しているのはグレース用に作ったやつのエリディアン版で、自由に脚を動かすことができる。
それからバイオドームの内側には、ヘイルメアリー号の映像ルームを参考に作られたディスプレイもある。これで好きな天気や景色を再現できている。
船内で生き残った植物もここで栽培されている。”火星に取り残された宇宙飛行士がジャガイモを育てて生き延びる映画”を参考に栽培施設を作った。畑としてはまだ小さいが、科学者達の探究心とグレースの舌を満足させることに役立っていた。
ドームの中には僕の指揮でグレースの住む一軒家が建造された。
家にはヘイルメアリー号から移設してきたアルマンドもいて、グレースの健康維持をしてくれている。休みの日にはエイドリアンを連れて皆で地球の映画やゲームを楽しんだりもする。
そうやって過ごしているうちに僕はヘイルメアリー号の名の由来を知った。アメリカンフットボールという球技の試合映像を眺めていた時だった。
ヘイルメアリー。ラテン語でアヴェマリア。宗教の祈りの言葉だ。そしてアメリカンフットボールにおいて、不利なチームが試合終了間際に投げる一発逆転ロングパスの名称として使われていた。
プロジェクト・ヘイルメアリー。イチかバチか計画。地球がどれだけ切羽詰まっていたかがうかがい知れた。
「バイオドームの天候は完璧だ。管理チームに言っておいてくれ」
「明日は晴れにするって言ってた。トウモロコシの生育が悪いらしい」
2Gの重力環境の中をグレースと一緒に歩く。砂利が敷き詰められた浜辺に僕らは2人の足跡が続いていく。機械で作られた波が押しては引いてを繰り返す。
「やっぱり強い日差しじゃないと育たないか」
「霧ばかりだとグレースみたいになる」
「それどういう意味?」
バイオドーム内の天気やら海水温の上下やら、ちょっとしたことを話しながらここを歩くのが毎朝の日課だった。
雑談を交わしながら浜辺を歩いていると、グレースの脚が止まる。今日はここか、と僕も止まる。波が届かない程度の浜辺にグレースは膝を抱えて座り込んだ。
今日のバイオドームに投影されているのは霧。グレースが好きな天気だ。グレースはこうやって霧の浜辺を眺めて物思いにふける習慣があった。僕もそれに付き合っている。
「グレース」
「なんだい?」
「いま、宇宙にたくさんの生命がいること考えてる?」
「それはいつも考えてる。考えない日は無いよ」
僕の問いかけに、グレースは顔を向けずに答えた。
「エリドの生物と地球の生物、そして持ち帰ったタウセチの生物はみんなDNAやミトコンドリアを持っていた」
グレースはエリドの生物学者と一緒に、持ち帰ったタウセチ生物や地球植物のDNAを比較する研究をしていた。
DNAシーケンサーが出した結果を調べてみんな仰天した。かなり遠いが、エリドと地球とタウセチで生命の類縁関係が見つかったのだ。
しかも3惑星の生命は代謝機構までも共通していた。ミトコンドリアもクエン酸回路もみんな持っていたのだ。
「全く異なる3つの惑星で全く同じ生命進化が起きる可能性は限りなく低い。僕でも分かる」
「ああ。共通の祖先がいると考えるのが自然だ」
何光年も離れた恒星系の生命同士が共通の祖先を持つ。そんなありえない事実を説明できる学説が存在する。地球ではパンスペルミア説と呼ばれる生命飛来説だ。
エリド生命の祖先と地球生命の祖先はタウセチから飛来したのだ。タウセチの生命は真空に耐えられるものが多い。何光年もの恒星間空間でも旅できる。
アストロファージの祖先種か、あるいはペトロヴァラインに住んでいたような近縁種かもしれない。
そんな生命群が周辺星系に飛来したとしたら? あるいは隕石に付着して飛んできたとしたら?
「生命はそこらじゅうにいるのかもしれない」グレースは感慨深そうに言った。「恒星間を飛ぶ間に真空と飢餓と放射線によって無数の命が消えていったはずだ。それでも生き残った一握りが新しい惑星にたどり着いた」
その新しい惑星ですらたどり着いた命を淘汰する。エリドに飛来した命は重金属とアンモニアで苦しみ、地球に着いた命は放射線で痛めつけられた。
それでもなお生命は途絶えなかった。わずかな可能性に賭け遺伝子を変異させ、環境に少しでも適応できる子孫を残していった。その積み重ねが今の僕たちに繋がっている。
これは恒星間に放り出されたアストロファージや、猛毒の窒素にさらされたタウメーバにも同じことが言えるだろう。みんな必死だったのだ。この過酷な宇宙で生きるために。
「エリドも地球もタウセチも同じだ。いつだって生命はイチかバチかの賭けに出てきたんだ」
「みんなそうやって命のパスを繋いできた。だから僕はここいるし、グレースもここに生きている」
この宇宙に存在する生きとし生けるもの全ては、それぞれのヘイルメアリー・パスの果てに生きている。それがあの航海で僕らが得た結論だった。
「生命はずっと困難に立ち向かって乗り越えてきた」膝に顔を埋めてグレースが言う。「だから地球もきっと大丈夫だ。知恵を絞って氷河期を耐えているはずだ」
唐突な話題の変更にも思えたが僕は黙ってそれを聞いた。グレースの懸念はもっともだった。
スリーワールドの大気にタウメーバを散布したことでエリダニ40Aの光量は回復した。でも地球はどうなっているのか、まだ分からない。
たとえそれが自分の責任から離れたとしても、彼としてはその顛末を考えずにはいられないのだ。
グレースは続けた。
「計算上はちょうど今ごろビートルズが届いているはずだけど、ここで観測できる太陽系の光は16年前のものだ。今の太陽系は見ることができない」
ビートルズ4機のうちどれか1機が太陽系に到着すれば地球は助かる。でも到着しなければ地球はおしまいだ。恒星間航行は危険に満ちている。はたして小さな無人機達は11.9光年を無事に踏破できただろうか。
しかもそれは到着まで地球人が文明社会を維持していることが前提の話だ。金星までのロケットを打ち上げられなければ意味がない。あるいは気候シミュレーションが間違っていて、すでに地球は何十億もの死体が転がる氷塊になっているのかもしれない。
仮に全て上手くいって、ビートルズを受け取ってすぐに金星へタウメーバを撒いたとしても太陽の回復がエリドから見えるのは今から16年後だ。
地球の回復に賭けて出発するか、あるいは回復が分かるまで待つか。グレースは悩んでいる。
「ヘイルメアリー号はいつでも出港できる。あとはグレースの判断次第だ」
「……しばらく考えてもいい?」
「ああ、時間をかけて考えてくれ」
僕の言葉にグレースは微笑んでくれた。
個人的にはずっと滞在してほしいけど、僕はそれを言わなかった。グレースの意思を尊重したかった。
やるべきことは全部やった。あとをどうするかはグレースの自由だ。異星で休暇を楽しんだって文句を言うやつはいない。
海を眺めながらゆっくり考えれば良い。僕は静かにグレースの隣でたたずんだ。
「仕事頑張れよ、グレース」
「また明日な、ロッキー」
2人の時間を過ごしたあと、僕らはそれぞれの道へ歩いていく。僕はエイドリアンの待つ家へ、グレースは仕事場へ。
グレースの願いでバイオドームの端には教室が作られていた。キセノナイト壁越しの学び舎に来るのは複雑な選抜過程を突破したエリディアンの子供達だ。そこでグレースは地球の科学を教えている。
エリドの科学者達と共同研究して、自分の生体データを提供して、エリドに関する情報をまとめて、僕やエイドリアンと遊んで、とグレースは毎日忙しい。それでもなお彼は教鞭をとることを望んだ。
彼は故郷から16光年かなたに自分の帰る場所を作ってみせた。大したモチベーションだ。
「みんな席に着いて! はじめるよ!」
遠くからグレースの声が聞こえてくる。歩きながら僕はその声に意識を向ける。思考マシンで英語をエリドの言葉に変換しているから子供達でも彼の言葉が理解できる。
グレースの合図を聞いて子供達がササッと席についた。教師が居ない時の子供達というのは無秩序の化身だ。グレースが言うには地球の子供達も似たようなものらしい。
「光の速度が分かる人はいるかな?」
グレースの質問に子供達が一斉に脚を挙げた。身体ごと跳ね回って先生に自分をアピールしている。今日も授業は大盛り上がりだ。
すでに新しい世代にとって地球の進んだ科学は一般常識として広まりつつある。グレースの教えた知識は着実に根付いてきていた。地球人のヘイルメアリー・パスは思わぬところでキャッチされ、僕らの未来を育てている。
子供達は騒がしいけど、それを見つめるグレースはとても良い笑顔をしていた。さっき悩んでいた姿からは想像もできない。虚勢を張っているわけでもない。心の底から楽しんでいる。彼は骨の髄まで教師なのだ。
さて、そろそろ行かなくちゃ。エイドリアンが寝るのを見守らないといけない時間だ。
浜辺に僕1人の足跡が続いていく。グレースが地球に帰ることを考えると寂しさが脳内に滲み出す。いつかは帰るべきなのだろう。
でもそれは今日じゃない。帰るかどうか、また明日考えればいい。僕らはそれができる明日を勝ち取ったのだから。
「また明日、グレース」
先生と生徒達の笑い声を遠くに聞きながら、僕は家に帰る。
THE END