Living Stone with Hail Mary 作:スカイリィ
いま僕はものすごい勢いでヘイルメアリー号のエアロックを叩いている。
やったぞ。僕は上手くやったんだ。早くこの成果をグレースに見せてやりたい。開けろ! ロッキーだ!
28回目のノックをしたあたりで船内から物音がした。僕は動きを止める。ところが推進力を失ったことでスロープを転がり落ちてしまう。うおォン、うおォン。平衡感覚が乱れるぅ。
一番下まで転がってようやく止まる。僕が起き上がるのとほぼ同時にヘイルメアリー号のエアロックが開き、グレースが顔を覗かせた。平静を装いつつ僕は脚を1本上げてあいさつをする。
『やあグレース』
「……なんだいそのボールは」
『これならグレースの大気でも死なない!』
グレースはポカンと口を開けて僕の姿を見ていた。僕は透明なキセノナイトの球体に入っている。
球体といっても、実際は30以上のパネルで構成された多面体だ。本当は規則正しい五角六十面体とかにしたかったけど、必要なギミックと強度を両立するために少し歪な形状になってしまった。
球体内部には僕の大気と同じ温度、同じ気圧のアンモニアが充填されている。これで転がれば僕も酸素の中を歩くことができるのだ。
「いやぁ、キセノナイトってのはすごいな。それで強度を維持できるのか」
『キセノナイトを完璧に組み合わせる。僕の技術だからできること』
少しでも狂いがあれば内部の圧力で負荷が集中して破断する。僕のエンジニアとしての力量が試された球体だった。
「どうやってあの壁を越えてきたんだ」
『エアロックを拡張した!』
ボールの中から壁を指差す。以前からあったモノのやり取り用エアロックを改造して、このボールでも通り抜けられるよう大きくしたのだ。
「いつの間に……」
『僕は仕事が早い』
グレースは食事やら何やらで自分の船に籠もることがある。それは僕も似たようなものだが、とにかく工事をその間に終えることができた。
僕が歩くと重心が動いてボールも動く。転がりながら僕は進む。
「ハムスターの散歩用ボールみたいだ」
『キミの船に入る』
「え? ぼくの船にか?」
トンネルの床からエアロックに架けられたスロープの上を、僕はバランスと慣性を駆使してゴロンゴロンと登っていく。
「うわわわ、ちょっと」
エアロックの扉を越えてヘイルメアリー号の床に降り立つ。
すごい! 全エリディアンにとって記念すべき瞬間だ! 僕は今まさに異星の宇宙船に居るんだ!
〈船内に異物を検知〉
『グレース、なにか言われてる』
「キミだよ」
どこからか地球言語の声が聞こえる。機械の合成音声だ。船に搭載された思考マシンによるものだろう。船体構造に意識を集中させてみる。
『驚き、驚き、驚き! この船にはたくさんの思考マシンがある! 地球人の技術すごい!』
床に壁に天井に、あらゆるところに思考マシン内部のそれと似た構造物が埋め込まれている! 興奮のあまり僕はボールの中で跳ね回った。これはもう思考する船と言っていい。なんて技術だ!
「ああ、この船はコンピュータでいっぱいなんだ。それで……」
『こっちには何がある、質問?』
「おいおいロッキー待て待て待て待て」
待たない。こんな大量の高度な技術があるのに、じっとしてられるエンジニアがいるか!
エアロックと船外活動服の保管庫を抜けて突き当たりを左に曲がる。グレースが翻訳用の思考マシンを手に追いかけてくる。
通路が突き抜けるだけの何も無い球形の部屋を通り過ぎ、まっすぐな廊下に到達する。
『ここはすごい! この廊下自体が思考マシンだ!』
「船のメインコンピュータだ。止まって……!」
止まらない。廊下の右にも通路があるので入ってみる。広い部屋に出た。思考マシンだけでなく色々な機械がある。
『ここは色んな機材がある』
「研究室だ! 全ての科学はここから始まる」
おろおろともたついているグレースをよそに、僕はゴロゴロと転がりながら研究室を聞き回す。
脱ぎ散らかした服、ほっぽり出した筆記具、何か入ってたと思われる箱、よく分からない有機物の塊。その他いろいろ。
床には機材以外のあらゆるモノが散らばっていて、お世辞にも整頓されているとは言えない。
『汚い、汚い、汚い。モノが散らかりっぱなしだ』
「来客があると思わなかったからね!」
ガラクタを跳ね飛ばしながら機材のいくつかにキセノナイト球体を接触させ、意識を集中させてみる。
ほとんどは理解不能なほど複雑怪奇だったが、ひとつは近いモノを扱った記憶があった。内部に曲がりくねったガラス管がある。たぶん熱交換器だ!
『これなに、質問? 蒸留器に似てる』
「エバポレーターだ。半分正解。溶媒だけ飛ばして溶質を取り出す機械だ」
迷惑そうな態度をしながらも、律儀なことにグレースは僕の質問にきっちり答えてくれた。
『そっちのはなに、質問?』
「DNAシーケンサー。生物の遺伝子を解析する」
『あれは何、質問?』
「原子分解能走査型電子顕微鏡。原子のひとつひとつを観察できる」
顔にシワを寄せつつグレースは次々と答えていく。
すごい! 原子を直接観察できるなんて聞いたこともない! 本当に地球人の科学はエリドより進んでいるんだ! 分解してみたいけど分解したら使えなくなるかもしれない。悩ましい!
「ロッキー、ストップ、ストップ」
研究室の機材についてどんどん質問していると、グレースが僕の前に立ちはだかった。なんだい。今いいところなのに。
「いきなりボールに入ってよその宇宙船に押しかけて来ちゃダメだろう?」
『グレースとロッキーで星を救う!』僕は身体を高く掲げる。『地球の科学はエリドより進んでる。この船で一緒に研究する!』
「僕らで一緒に?」
『そう。一緒にペトロヴァラインを調べに行く。トンネルで話し合うより効率が良い』
「そうかもしれないけど。そのボールの中でどうやって生活するんだ」
『キセノナイトで大きな気密室を作る。中にアンモニアを充填して暮らす。道具作る。機械直す。グレース寝るのを見守る!』
グレースは顔の筋肉をひくつかせている。地球人の感情表現はまだよく分からない。まあ何も言わないということは異論が無いということで良いだろう。
『大丈夫。グレースでも組み立てられるよう設計する』
「ぼくが組み立てる前提か」
ガックリと肩を下げるグレース。肯定のジェスチャーと似ている。認めてくれたということで良いのかな?
それから僕はグレースに質問しまくった。研究室は聞いたこともない機材で山盛りだ。あとでもっともっと質問しよう。
ひと通り研究室の機材についてゴロゴロ転がりながら訊き終えたところで、僕は研究室の外へ脚を向けた。
『寝室はどこ、質問?』
「今度は寝室!?」
研究室を転がり出る。さっきの通路は左にあるから今度は右に行ってみよう。船尾の方だ。
「頼むから落ち着いてくれ……!」
後方から聞こえるグレースの弱々しい叫びをよそに、僕は船体構造を把握する。多面体が床にぶつかるたびに周囲が少し震えるので、それで船の大まかな立体図を想像できる。
……おや?
僕は思わず脚を止める。急に止まったので追いかけてきたグレースがつんのめった。
「うわぁ! いきなり落ち着くな!」
『グレース、質問がある』
「今度はなんだい! まったく……ここの廊下はデータ保管庫だ」
ほう、ここが記録を保管している場所。やっぱり思考マシンで記憶能力を補助しているのか。
それはともかく、僕はキセノナイトの板越しに床をコンコンと叩く。うん、やっぱりだ。
『なぜ船の隙間にアストロファージがある、質問?』
僕は居住モジュールの外殻に意識を向けた。そこに地球単位にして1ミリメートルほどの小さな隙間が空いている。居住区画全体が二重構造なのだ。
そしてその隙間にはものすごく比重の重い液状物質が詰まっている。まず間違いなくアストロファージだ。
二重構造の隙間に充填されたアストロファージは、窓以外の居住区画全体をほぼ覆い尽くしている。船尾のエンジンに配管が続いているから燃料としても使えるようだ。
しかし予備の燃料タンクとしては奇妙な構造だ。わざわざ二重船殻にせずもう1つタンクを用意すればよほど軽量化できるのに。少なくとも僕ならそう設計する。
「船殻のアストロファージか? それは宇宙線を遮断するためのものだ」
『知らない言葉。それはなに、質問?』
「ああ、そういえば教えてなかったな。やれやれ」グレースは思考マシンを手近な台に置いてから説明する。「うーん、新しい言葉が必要だ。すごく速く動く水素原子。とても速い」
『高温の水素ガス』
「いや、気体よりずっと速い」
グレースの手がビュン、と直線に振られる。速さを表しているのが分かる。
「宇宙空間には、すごくすごく速い水素がある。光速に近い速さだ。ずっと昔に恒星から生まれた」
『宇宙空間に物質は無い。空っぽの空間』
何を言っているんだろう? 宇宙空間には恒星と惑星と小惑星、あとは小さな塵くらいしか無いのは分かっているはずだ。それこそ彼らの”眼”で確認できるはずだ。
「それは間違いだ。宇宙空間には水素原子がある。とても速い水素原子だ」
『知らなかった』
ふむ。とても希薄で高温のガスということか。グレースがここまで言うのだから実際そうなのだろう。とにかくそういう話で進めよう。
でもそれが隙間のアストロファージと何の関係がある?
「……知らなかった?」
グレースの口から出た声が震えている。僕は不安になった。この声は僕の仲間が22人死んでしまったことを聞いた時の声色に似ていた。
なんだ? いったい急にどうしたというんだ? 興奮のあまり、僕が何かものすごく悪いことを言ってしまったのか?
「ああ、そんな、なんてことだ」
そう呟くグレースは、先ほどまでの慌ただしさが嘘のように立ち尽くしている。
自分の口に手を当てている。肺のガス交換すらほとんど止まっているくらいなのに、循環器系の動きが早くなっている。
「……分かったよ。ロッキー」
グレースは思い出したかのようにゆっくり肺からガスを吐き出した。そして言葉を選ぶように少しずつ喋りだした。
「とりあえず、言う通りキミの居住区画を作ろう。指示してくれ。それから、落ち着いて……ゆっくり、しっかり、話を聞いてくれ」