貞操逆転世界で『くっころの似合う男騎士枠』を狙ってみた。 作:くっ!殺す!!
男の騎士が助けに来た。これは本来、この貞操逆転の世界においては張子の虎くらい頼りない事である。
この世界においては女性の方が筋肉量が多く、騎士や剣士のような筋力がもろに必要になってくる冒険者職では、逆に筋力の乏しい男の騎士は頼りなく映ってしまうのだ。
もちろん努力によってある程度は伸ばすこともできる。だが根本的に筋力が育ちやすい体質と育ちにくい体質の差はある。鍛えたところでトントンがいいところ——それが世間の共通認識だった。
だが、彼……
彼は女性を遥かに超える筋力を手に入れ、その大剣を振り回すほどの膂力を得ている。純粋な暴力の化身。
冒険者ギルドが定めた最も人間離れした
魔術師でも才覚でもなく、ただ純粋な力と暴力だけで魔物の前に立てる人間など――そうそういるものではなかった。それは、彼が男女関係なく畏怖され、例外と呼ばれるにふさわしい力だ。
「んじゃ、行くぞ……!!」
マンティコアは、己の顔に傷をつけた目の前の鎧だらけの人間を見て怒った。と同時にその本能が警告を発していた。
あの手に持った大剣――岩の塊を削り出したかのような、常軌を逸した重量の得物。それを片手で担いでいる。侮るべき相手ではない、と獣の勘が告げている。
ならばこそ、速さで仕留める。正面からではなく、翻弄しながら隙を突く。それがマンティコアの選んだ戦い方だった。
蛇行しながら地を蹴り、素早くアスフィアへと飛びかかる。すれ違いざまに放たれるのは、蠍のように伸びる毒針の尾。鎧の隙間……脇の下、首筋、膝の裏。
どこでもいい、装甲をまとっていても関節部には纏えない、そこに刺されば一刺しで仕留められる。
「ッ!!」
だがアスフィアは咄嗟に体を捩らせ、伸びる毒針を鎧の表面に滑らせた。
乾いた金属音が響く。毒針は鎧の正面装甲を貫くほどの硬度はない……だからこそ蠍のように鎧の隙間へ撃ち込む構造になっているのだが、こうして受け流されてしまえば自慢の毒も意味をなさない。
「頂きッ!」
アスフィアは即座に大剣を振るった。ただし打ち付けられるのは刃ではなく、峰の部分だ。
刃で斬るのではなく、峰でぶっ叩く。高硬度高重量を誇る鉄の塊による峰打ちは、それ自体がメイスで殴られるのと何ら変わらない。
事実……まるで蚊取りラケットに吹き飛ばされる蚊のように、マンティコアは後方へぶっ飛ばされた。
だが
あの一撃を受けてなお動けるのは、さすがの魔物の生命力だった。
しかし……着地した瞬間、目の前に影が迫っていた。
あの大剣だ。咄嗟に身を捩って回避したマンティコアは、距離を取りながら状況を整理した。
後には轟音を鳴らして突き刺さる大剣……咄嗟に振り返れば、そこには信じがたい光景があった。
アスフィアが、鎧を纏ったまま、猛ダッシュで迫ってきていた。
その速さはちょっとしたシーフ並みだ。全身に鉄を纏い、あの巨大な大剣を担いでいた人間とは到底思えない身軽さで、地を蹴って一直線に突っ込んでくる。
だが、狙いは分かる大剣の回収だ……恐らく着地を狙った一撃が外れて慌てて回収に来たのだろうとマンティコアは読んだ。
あそこへ向かい、引き抜いて、また構え直す。ならばその前に動けばいい。横をすり抜けて、あの動けない女を咥えて逃げてしまえば……逃げ切れる。そもそも真正面からやり合う必要はないのだ。
だが次の瞬間。マンティコアが反応するより先に、アスフィアの鋭い左の拳が、左目を潰されたマンティコアの完全な死角からめり込んだ。
「左ストレートでぶっ飛ばす。」
アスフィアの静かな声が響く………そう、彼は大剣の回収など、最初から眼中になかった、初めから直接、殴りに来ていたのだ。鎧の重さごと、全体重を乗せて。
常軌を逸している魔物であるマンティコアですら、本能的にそう感じた。目の前のこの存在は普通の人間ではないと。
恐怖の質が違う。魔物を狩る者のそれではなく、もっと根源的な、何かがおかしい者のそれだ。マンティコアは初めて、真の意味で怯え竦んだ。
再び殴り飛ばされたマンティコアはこんどは完全には体勢を立て直せない……地面を擦りながら転がるマンティコアに対して、アスフィアは平然とその岩石のような大剣を引き抜いた。
マンティコアはそっと、三度アスフィアと相まみえる。
大剣を携えた鎧の男を前にして――
その目には怯えと怒りが混在していた。追い詰められた獣の目だ。それでもまだ、牙を剥く意志だけは失っていない。まだ魔物は魔物のままである、ただの畜生には戻っていない。
「吠えんなよ、猫っころ……がッ!!」
アスフィアが大剣を構えた瞬間、マンティコアが動いた。考えるより先に、相手の動きよりも先に動く――それが獣の戦い方だ。
躊躇なく、迷いなく、ただ目の前の喉元へと食らいつく。鎧と鎧の隙間、首筋のわずかな露出を狙った、本能だけが成せる一撃だった。
だがアスフィアは振りかぶった大剣をくるりと回転させた。刃をマンティコアへと向け直し、そのまま力の限り、振り下ろす。
鮮血が散った。マンティコアの巨体が真っ二つに断裂され、どうと地面に伏す。
断末魔すら上げる間もなく、ほんの一瞬の決着だった。あれほどの殺意と残忍性をぶつけてきた魔物が、今は地面の上でただの無残な骸になっている。
返り血がアスフィアの鎧を濡らし、血の匂いが一層濃く立ち込めた。アスフィアはそんな血の匂いを吸い込んで軽く咳をついた。
「はぁ……咽るな。」
ルナはそんな圧倒的な光景を馬車の瓦礫の山に埋もれたまま、何もすることなく、すべてが終わるのを見届けてしまった。
自分の手は何も届かなかった。仲間の声も届かなかった。ただ、見ていることしかできなかった。二人の仲間を失いながら。
アスフィアは大剣を引きずりながらルナへと歩み寄ると、彼女に覆いかぶさっていた瓦礫を片腕で楽々と退かした。
重い木材も、崩れた車輪も、まとめて脇へと放り投げる。鎧の重さも疲労も感じさせない、相変わらず常軌を逸した力だった。これが本当に男性だとはルナはにわかに信じられなかった……いや、女性の騎士だとしても一人でマンティコア討伐なんて例外でしかない。
瓦礫が取り除かれて、ルナは力なく項垂れた。体の傷はほかの食い散らかされた者達より浅い。だが、それ以外の何かが、深いところで壊れていた。
そして言ってはいけない一言が、零れ落ちた。
「……どうしてもっと早く来てくれなかったの。」
冒険者としてあるまじき一言だった。命が助かっただけでも儲けものだというのに。間に合わなかったというだけの理由で、助けられなかった
冒険者として、女が男を責め立てるなんて、いや人として、あるべきではない姿だ。
だが、ルナにはどうにも止められなかった。人の心なんてそんなもんだ。
「……そうすれば、ジュリは……リクは……」
声が掠れる。続きは出てこなかった。出てきたとして、何になるというのか。もう何も変わらないのに。
アスフィアはその言葉を聞いて、崩れた荷馬車の残骸をゆっくりと一瞥した。リクが消えた雑木林の暗がりをみおろし、そこで見たものに鎧兜の奥で顔をしかめ、馬車の御者が最期を迎えた場所を静かに、ただ静かに見渡す。
何も言わない。何も言えない。言葉は持っていないのか、あるいは持っていても使う気がないのか。ただ目を伏せ、短い黙祷を捧げるように動きを止めた。
やがて、アスフィアは街の方へと足を向ける。その前にルナを顧みて、ただひと言だけ呟いた。
「謝罪も懺悔も俺にはできない。出来るのは、ここでお前を連れて帰してやることだけだ。」
それが、アスフィアの本心だった。飾り気も慰めもない、削ぎ落とされた言葉。だがそれは同時に、彼が出来る精一杯の慰めでもあった。