ヒーリングっど♥プリキュア〜Reunion〜 作:Rain_KCF
虚無が、地平の果てまでを覆っていた。
赤茶けた不毛の大地と燻んだ鈍色の空が、視界の隅々まで切って貼られていた。
花寺のどかは独り目を覚まし、物悲しい光景を只ぼんやりと眺めていた。
意識は熱に浮かされたように朧だった。自分が何故こんな場所にいるのか、はじめはそれすら思い出せなかった。
「お父さん!お母さーん!?」
声を絞り出し、家族を呼んでみる。どこからも返事はない。
「ちゆちゃん!ひなたちゃん!」
次に親友の名を叫ぶ。がらんどうの空に、その声は虚しく響くばかりだった。
声を出したことで、浮遊していた意識が身体に戻り始めた。何とか足に力が入るのを確認し、のどかはふらふらと歩き出した。
おかしい。外を歩けば必ず頬を撫でるはずの、空気の流れを感じない。
遠くを見渡せる程度の明るさはあるのに、陽の当たる感触も全くない。
辺りには生物の影どころか、草木の一つも見当たらない。
自分の足音と息遣いのほかは、一切の音が失われたかのような重苦しい静寂が、荒野を包んでいる。
この世界からは、生気というものがぽっかりと抜け落ちていた。
「なんなの、この嫌な感じ……この場所は……」
「私は、私たち、たしか……」
どくん!と心臓が脈打ち、忌まわしい記憶が一気に雪崩れ込んでくる。
抗いたかった。思い出したくなかった。けれども、忘れられるはずがなかった。
「そうだ、お父さんも、お母さんも……」
「ちゆちゃんも、ひなたちゃんも、他のみんなも!私も!みんなっ……」
叫びながら走り出したくなった。しかし、縺れる足が言うことを聞かない。
無念の涙がぼろぼろと溢れ落ちる。今まで、辛いことや苦しいことを人一倍経験してきた。それでも、この世に生きている限り前を向いてきた。
しかし幾千の涙を拭ってきたその手も、今回ばかりは絶望にがたがたと震えるばかりだった。
ここは“この世”ではないのだから。
暖かく眩しく時に厳しい“生”を感じ、分かち合うことは、もう叶わないのだから。
「みんな、みんなっ!地球から、消され、ちゃったんだっ……」
涙はあとからあとから溢れ出し、声にならぬ嗚咽と共にのどかは崩れ落ちた。
死にゆく者への手向けのように、その背を見下ろす虚無の世界は静けさを奏でていた。
ーー二〇二六年。
全世界を震撼させたキングビョーゲンの侵攻がプリキュアによって阻止され、平和が訪れてから五年の月日が経っていた。
しかしその間も人間の身勝手な行いは止まるところを知らず、地球環境は悪化の一途を辿った。
審判の日。
人類は、地球の守護者たるヒーリングアニマルの手によって、一斉に浄化された。
ーーじゃり。
不毛の大地を踏み締める、足音が聞こえた。
この世界で初めて耳にする、自分以外が発する音だった。
どのくらいの時間、泣き伏していただろうか。憔悴しきったのどかは俯せに倒れ込んだまま、顔を上げることができなかった。
じゃり。じゃり。じゃり。
その音はゆっくりと、着実に近付いてくる。
恐ろしかった。得体の知れぬ世界だ。鬼が出ても蛇が出てもおかしくはない。悪い妄想ばかりが浮かんでは消えていった。
同時に、少しだけ可笑しかった。無様に死んだ身なのに、まだ恐怖という感情が残っている。全てを失った今、なぜ何かを恐れる必要があるのだ。
そんなことを、ぼんやりと考える自分もいた。
じゃり。じゃり。じゃり。
じゃりじゃりじゃりじゃり……
音の間隔が狭まった。早足で、一直線にこちらへ向かってきているようだった。
駄目だ。逃げ出すにしても、今からでは間に合わない。昔よりマシになったとはいえ、のどかは体力に自信がなかった。
どうする。下手に動くと相手を刺激するかもしれない。このまま倒れていれば、物言わぬ屍人と勘違いして見逃してくれはしないだろうか。
じゃりじゃりじゃりじゃり。
じゃりじゃりじゃりじゃりじゃり。
いや、死んだフリは通用しない。そもそもここは屍人が訪れる世界ではないか。
何故、自分が未だ意識を持って存在しているのかはわからないが、聖なる光に浄化され、現世から消滅したことだけは確かなのだから。
ーーまてよ。
そこまで考えて、のどかははっとした。
もし、もしもここが、死後の世界のようなものなのだとしたら。
自分だけが存在しているのはおかしい。
だって、あれだけ多くの人間が、目の前で光に包まれ塵となっていったではないか。
両親。かつて共にプリキュアとして戦った、かけがえのない親友達。すこやか市に生きる人々。
これまでと全く異なる希望的観測が脳裏に浮かぶ。
閉じた瞼を通過する明るさが増したように感じた。
そうであって欲しい。絶対にそうだ。
会いたい。どんな顔をすればいいのかわからない。それでも会いたかった。
浄化されちゃったね、私達。そう言って共に涙を流せたのなら、独りここで絶望に沈むよりも、どれだけ救われるだろう。
足音はのどかの顔の前でぴたりと止まった。
自分のものと全く同じペースで、息遣いが聞こえる。大丈夫だ。鬼でも蛇でもない。人間に違いない。
四肢に力が入るのを感じる。
のどかは意を決し、目を開けて身体を起こした。
瞬間。
戦慄が、全身を駆け抜けた。
目の前でのどかを見下ろしていたソレは、人型をしていたが人ではなかった。
顔立ちは端正な少年のそれだが、耳は尖り、頭には悪魔の如き角が生え、肌は屍よりも青白い。
刃物のような鋭い視線を携えたその男は、のどかと目が合うと驚きの表情を浮かべた。
のどかは、ソレを知っていた。忘れるはずがない。
鬼よりも蛇よりも恐ろしく冷酷な、かつての宿敵。のどかの人生を蝕んだ、因縁の相手。
脳が最大級の警告を発する。全身の皮膚が逆立つ。
尻餅をついたまま、のどかは後退った。視線を外すことはできなかった。
はじめ喫驚に固まっていた少年の口元が、ふっと綻んだ。しかし目は笑っておらず、氷のような敵意と憎悪をのどかに向けていた。
「誰か堕ちてきたと思って来てみたら、こんなところでお前に会うなんて」
久々に聞く、気怠げで不遜な声。
病と戦いの記憶が蘇り、脳を突き抜けてゆく。吐き気が込み上げる。
「そっか、お前らも浄化されたんだ。久しぶり、キュアグレース。この出会いは運命、なんてね」
「ダルイゼンっ……!」
五年ぶりの、再会だった。