Re:虚飾のお姉さんは曇り顔が見たい   作:MトK

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第四話 四度目の手札

 スバルは、まず果物屋の男へ向き直った。

 

 顔色は悪い。

 

 足はまだ震えている。

 

 腹に傷はないのに、短刀が入った感触だけが、生々しくそこに残っている。

 

 けれど、今度はただ震えているだけではなかった。

 

 何かを変えなければならない。

 

 そうしなければ、また死ぬ。

 

 自分だけではない。

 

 銀髪の少女も、ロム爺も、フェルトも、ユイも。

 

 みんな、また血の中に倒れる。

 

 スバルは喉を鳴らし、果物屋の男に声をかけた。

 

「なあ、おっちゃん」

 

「あ? 今度はなんだよ、兄ちゃん。買うのか買わねえのか、そろそろはっきりしてくれ」

 

「悪い。買うのはあとで……いや、買えるようになったら買う。今は聞きたいことがある」

 

「聞きたいこと?」

 

 スバルは一瞬だけ迷った。

 

 あの名前を、もう一度口にすること自体が怖かった。

 

 けれど、知らなければまた同じ間違いをする。

 

 知らなかったでは、もう済まされない。

 

「サテラって名前、この国だとどういう扱いなんだ?」

 

 果物売りの顔色が変わった。

 

 それまでの呆れたような空気が消え、露骨な警戒と嫌悪が浮かぶ。

 

 男は周囲を一度見回してから、低い声で言った。

 

「兄ちゃん。その名前を、冗談で口にするもんじゃねえぞ」

 

 スバルは喉を鳴らす。

 

「……やっぱり、そういう名前なのか」

 

「嫉妬の魔女の名だ。普通は知らねえはずもねえって言いたいところだが……兄ちゃん、本当に何も知らねえ顔してんな」

 

「知らなかった」

 

 スバルは、絞り出すように言った。

 

「俺、本当に知らなかったんだ」

 

 果物売りは眉をひそめたまま、さらに声を落とす。

 

「なら覚えとけ。あの名は、この国じゃ忌み名みてえなもんだ。特に、銀髪だのハーフエルフだのって話と結びつくと、ろくなことにならねえ」

 

 銀髪。

 

 ハーフエルフ。

 

 その言葉だけで、スバルの脳裏に少女の顔が浮かんだ。

 

 紫紺の瞳。

 

 傷ついた表情。

 

 静かな拒絶。

 

 ――その名前で、呼ばないで。

 

 果物売りは知らない。

 

 スバルが、その名を誰に向けて呼んだのか。

 

 知らないまま、ただ一般常識として忠告しているだけだ。

 

 それなのに、その言葉は正確にスバルの胸を抉った。

 

「……最低だな、俺」

 

「何したかは知らねえが、知らなかったなら次から気をつけろ。名前ひとつで、人を傷つけることもある」

 

「……ああ」

 

 スバルは頷いた。

 

「もう呼ばねえ。絶対に」

 

 ひとつ、変えた。

 

 たったそれだけのことなのに、胸の奥に少しだけ芯が戻る。

 

 次に必要なのは、戦力だった。

 

 エルザは強い。

 

 異常に強い。

 

 ユイも強い。あの黒髪の女と真正面から斬り結び、何度もスバルの前に立った。

 

 銀髪の少女も、パックも、ロム爺も戦える。

 

 それでも、死んだ。

 

 なら、もっと強い誰かを探さなければならない。

 

 自分では駄目だ。

 

 それは、嫌というほどわかった。

 

 路地裏のチンピラ三人にも勝てなかった自分が、エルザをどうにかできるはずがない。

 

 頼る。

 

 誰かを頼る。

 

 情けないと思っても、頼らなければまた同じことになる。

 

「おっちゃん。騎士とか衛兵のいる場所、わかるか?」

 

「騎士様に何の用だ?」

 

「人が死ぬかもしれない用」

 

「物騒だな、おい」

 

「物騒なんだよ、今」

 

 果物売りはしばらくスバルを見ていた。

 

 青ざめた顔。

 

 震える手。

 

 けれど、目だけは妙に必死だったからか、深く追及はしなかった。

 

「大通りを真っすぐ行け。噴水のある広場に出る。そこから右手の方に詰所がある」

 

「助かる!」

 

 スバルは走り出そうとして、足を止めた。

 

 路地。

 

 短刀。

 

 血。

 

 その記憶が、足首に絡みつく。

 

 同じ道を通るな。

 

 人の多い場所を選べ。

 

 視界を広く持て。

 

 逃げ道を確認しろ。

 

 スバルは深く息を吸った。

 

 怖い。

 

 まだ怖い。

 

 でも、怖いままでいい。

 

 怖くないふりをして死ぬより、怖いまま生き残る方がいい。

 

 スバルは大通りへ踏み出した。

 

 ユイは、少し離れた市場の影からその背中を追った。

 

 スバルはもう、ふらふらと彷徨ってはいなかった。

 

 足取りは不安定だ。

 

 何度も周囲を見回している。

 

 腰に刃物を下げた者とすれ違うたびに、肩が跳ねる。

 

 それでも、行き先はある。

 

 助けを探している。

 

 自分の弱さを認めたうえで、足りないものを補おうとしている。

 

 ユイは目を細める。

 

 いい。

 

 それでいい。

 

 誰かを救おうとするなら、まず自分が何もできないことを知らなければならない。

 

 スバルはそれを知った。

 

 腹を裂かれて。

 

 刺されて。

 

 泣いて。

 

 ようやく知った。

 

 だから、今の彼は美しい。

 

 頼りなくて、情けなくて、それでも前に進んでいる。

 

 ユイは近づかない。

 

 まだ声はかけない。

 

 彼の決意に、自分の手を混ぜるのはまだ早い。

 

 スバルは広場に出た。

 

 噴水の水音が響いている。

 

 人通りが多い。

 

 商人の声。

 

 子どもの笑い声。

 

 荷馬車の車輪が石畳を叩く音。

 

 平和な日常の真ん中で、スバルだけが別の世界から迷い込んだような顔をしていた。

 

「詰所……詰所ってどれだよ。文字読めねえの、本当にきついな……」

 

 看板はある。

 

 だが読めない。

 

 この世界の言葉は聞き取れるのに、文字は理解できない。

 

 スバルは誰かに聞こうとして、周囲を見回した。

 

 その時。

 

「おい、そこの兄ちゃん」

 

 声がかかった。

 

 スバルの体が硬直する。

 

 ゆっくり振り向く。

 

 三人組。

 

 路地裏の男たち。

 

 スバルを刺した連中だった。

 

 この世界では、まだ何もしていない。

 

 けれどスバルは覚えている。

 

 短刀が腹に入る感触を。

 

 血が抜けていく冷たさを。

 

 あの時の自分の惨めさを。

 

「……っ」

 

 息が詰まる。

 

 一人がにやにや笑って近づこうとした。

 

「なんだよ、そんな怖い顔して。ちょっと話を聞かせてもらうだけだって」

 

「ここで聞く」

 

 スバルは言った。

 

 声は震えていた。

 

 だが、前のように後ずさるだけではなかった。

 

「近づくな」

 

「あ?」

 

「近づくなって言った」

 

 男たちの表情が変わる。

 

 人目がある。

 

 ここは路地裏ではない。

 

 それだけで、スバルはほんの少しだけ踏みとどまれた。

 

「強がんなよ、兄ちゃん」

 

「強がってんだよ」

 

 スバルは、引きつった笑みを浮かべた。

 

「強がらなきゃ、立ってらんねえんだよ」

 

 短刀を持っていた男の手が、腰のあたりへ動く。

 

 その瞬間、スバルの腹が記憶だけで痛んだ。

 

 だが、ここで黙ったら終わる。

 

 スバルは息を吸った。

 

「衛兵! 誰か――」

 

「そこまでにしておいた方がいい」

 

 穏やかな声が、広場に落ちた。

 

 空気が変わった。

 

 スバルも、男たちも、周囲の数人も、声の方を見る。

 

 赤い髪の青年が立っていた。

 

 白い騎士服。

 

 まっすぐな背筋。

 

 腰には剣。

 

 けれど、手は柄にかかっていない。

 

 それでも、男たちの空気が一瞬で萎んだ。

 

「騎士様かよ……」

 

 一人が小さく吐き捨てる。

 

 青年は柔らかく微笑む。

 

「彼に用があるなら、僕を通してくれるかな」

 

「いや、別に。ちょっと道を聞こうとしただけだ」

 

「そう。それならよかった」

 

 青年が一歩近づく。

 

 ただそれだけで、男たちは一歩下がった。

 

「人を怖がらせるような聞き方は、あまり感心しないね」

 

 声は穏やかだった。

 

 だが、逆らう余地はなかった。

 

 男たちは悔しそうに顔を歪め、やがて背を向けて去っていった。

 

 スバルは、その背中が見えなくなるまで動けなかった。

 

 赤髪の青年がスバルへ向き直る。

 

「大丈夫かい?」

 

 スバルは、ようやく息を吐いた。

 

「……助かった」

 

「それならよかった」

 

「いや、本当に助かった。命の恩人って言葉、今の俺にはけっこう洒落にならないんだけど、それでも言わせてくれ。ありがとう」

 

 青年は少し驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。

 

「どういたしまして。僕はラインハルト。ラインハルト・ヴァン・アストレアだ」

 

「ラインハルト……」

 

 スバルはその名前を口の中で繰り返す。

 

 強い。

 

 間違いなく強い。

 

 エルザのような殺意ではない。

 

 ユイのような底の見えなさでもない。

 

 ただ、そこにいるだけで場を正すような強さ。

 

「俺はナツキ・スバル。スバルでいい」

 

「スバルだね。よろしく」

 

 差し出された手を、スバルは握った。

 

 温かかった。

 

 強く握られているのに、痛くない。

 

 こんな普通の優しさだけで、少し泣きそうになる。

 

 だが、泣いている場合ではない。

 

「ラインハルト。頼みがある」

 

「何かな」

 

「盗まれたものを取り返したい」

 

 ラインハルトの目が、少し真剣になる。

 

「盗まれたもの?」

 

「ああ。銀髪で、紫っぽい目の女の子の大事な徽章だ。金髪の小さい子に盗まれて、たぶん貧民街の盗品蔵に流れる」

 

 ラインハルトの表情が、わずかに変わった。

 

「徽章、か」

 

「ああ。大事なものなんだろ? 俺はそれを持ち主に返したい」

 

「君は、その持ち主の知り合いなのかい?」

 

 スバルは言葉に詰まった。

 

 知り合い。

 

 違う。

 

 彼女にとって、スバルは知らない相手だ。

 

 それは何度も突きつけられた。

 

 けれど、スバルにとっては違う。

 

 助けられた。

 

 傷つけた。

 

 死なせた。

 

 今度こそ助けたい。

 

「……知り合いじゃない」

 

 スバルは、絞り出すように言った。

 

「でも、助けたいんだ」

 

 ラインハルトは、スバルをじっと見た。

 

 疑われている。

 

 当然だ。

 

 スバルの話は怪しい。

 

 知らない相手の徽章を取り返したい。

 

 盗品蔵に行くと知っている。

 

 黒髪の女が来ることも知っている。

 

 説明できないことばかりだ。

 

 それでも、ここで黙ったら何も変わらない。

 

「それと、もうひとつ」

 

「なんだい?」

 

「その盗品蔵に、黒髪の女が来る。たぶん、相当強い。そいつは、交渉がこじれたら全員殺す」

 

 ラインハルトの目が細くなる。

 

「なぜ、それを知っているんだい?」

 

 当然の問いだった。

 

 スバルは喉を鳴らす。

 

 死に戻りのことは言えない。

 

 言おうとするだけで、胸の奥に冷たいものが触れる気がする。

 

 言うな。

 

 そう本能が警告している。

 

「……見たんだ」

 

「その女を?」

 

「ああ。目を見た。あれは、人を殺す目だった」

 

 嘘ではない。

 

 全部ではないだけだ。

 

「信じられないのはわかる。でも、放っておいたら死人が出る。俺は、それを止めたい」

 

 ラインハルトは、しばらく黙っていた。

 

 広場の喧騒だけが、二人の間を流れていく。

 

 やがて、彼は頷いた。

 

「わかった」

 

 スバルの目が見開かれる。

 

「本当か?」

 

「君の話には不自然な点がある。だけど、見過ごすには不穏すぎる」

 

 ラインハルトは静かに言った。

 

「僕も動こう」

 

 胸の奥が熱くなる。

 

「助かる。本当に、助かる」

 

「礼はまだ早いよ。全員を無事に帰してからでいい」

 

 全員。

 

 その言葉に、スバルの拳が震えた。

 

 全員。

 

 今度こそ。

 

 銀髪の少女も。

 

 フェルトも。

 

 ロム爺も。

 

 ユイも。

 

 誰も死なせない。

 

「盗品蔵の場所はわかるかい?」

 

「だいたいなら」

 

 スバルは、記憶の中の道を必死にたどりながら説明した。

 

 完全ではない。

 

 だが、貧民街の盗品蔵という情報だけで、ラインハルトには十分だったらしい。

 

「君は先に向かうんだね」

 

「ああ。俺が交渉する。危なくなったら呼ぶ」

 

「わかった。少し離れてついていく。大声で呼んでくれれば、必ず駆けつける」

 

「必ず?」

 

「必ず」

 

 その返事は、まっすぐだった。

 

 スバルは息を吸い、頷いた。

 

「行ってくる」

 

「気をつけて、スバル」

 

 スバルは広場を出て、貧民街へ向かった。

 

 ユイは、そのやり取りを遠くから見ていた。

 

 ラインハルト・ヴァン・アストレア。

 

 やはり、近くで見ると異常な存在だった。

 

 戦えば勝てない。

 

 虚飾を使っても、届かない。

 

 世界そのものが彼の味方をしているような男。

 

 けれど、今はそれでいい。

 

 スバルは自分でその札を掴んだ。

 

 自分の弱さを認め、誰かを頼った。

 

 それは、とても良い成長だった。

 

 ユイは声に出さず、胸の奥で囁く。

 

 よくできました。

 

 その調子で足掻いて。

 

 それでも届かない瞬間が来たら、私は何も知らない顔でそばに立つから。

 

 ユイはスバルとは別の道を選んだ。

 

 同じ道を辿って偶然出会うには不自然だ。

 

 盗品蔵で合流するなら、合流するための理由がいる。

 

 怪しい取引の噂を聞いた。

 

 貧民街に不穏な気配があった。

 

 困っている人を見かけた。

 

 どれでもいい。

 

 頼れるお姉さんは、偶然そこに現れる。

 

 そう見えればいい。

 

 ユイが盗品蔵へ近づいた時、スバルはすでに中へ入っていた。

 

 扉の隙間から、低い声が聞こえる。

 

 ロム爺。

 

 それから、スバルの声。

 

 緊張している。

 

 けれど、前よりはっきりしていた。

 

 少しして、軽い足音が近づいてくる。

 

 フェルトだ。

 

「ロム爺、戻ったぞ……って、なんだよこいつ」

 

 その声を聞いて、ユイは扉の外で足を止めた。

 

 まだ。

 

 もう少し待つ。

 

 今はスバルの交渉の時間だ。

 

 彼が自分で手を伸ばすところを、奪ってはいけない。

 

 中では、スバルが携帯電話を出したらしい。

 

 フェルトの驚いた声。

 

 ロム爺の興味深そうな唸り。

 

 交渉は進んでいる。

 

 悪くない。

 

 ユイはそこで、扉を叩いた。

 

 中の空気が止まる。

 

「今度は誰だ」

 

 ロム爺の声。

 

 ユイは扉を開けた。

 

 薄暗い室内に、三つの視線が向く。

 

 ロム爺。

 

 フェルト。

 

 スバル。

 

 そして、スバルの手の中にある見慣れた携帯電話。

 

 ユイは、それを初めて見るものとして目を細めた。

 

「ここで、盗まれた品の取引があると聞いたのだけど」

 

 フェルトが即座に徽章を隠す。

 

「なんだよ、また客か?」

 

「また?」

 

 ユイは首を傾げる。

 

 フェルトはスバルを顎で示した。

 

「こいつも客。変な光る板と交換だってよ」

 

「そう」

 

 ユイは、そこで初めてスバルを見たように視線を向けた。

 

 柔らかく微笑む。

 

「初めまして。私はユイ。あなたは?」

 

 スバルの喉が動いた。

 

 その目が、一瞬だけ揺れる。

 

 初めまして。

 

 また、その言葉。

 

 けれど今度のスバルは崩れなかった。

 

 奥歯を噛み、震えを押し込める。

 

「……ナツキ・スバル」

 

 声は少し掠れていた。

 

「スバルでいい」

 

「スバルくんね」

 

 ユイが名前を呼ぶと、スバルの表情がわずかに歪んだ。

 

 血の中でその名を呼ばれた記憶があるのだろう。

 

 ユイは知らない顔をする。

 

 今初めて名前を聞いた顔。

 

 今初めて、彼を気にかけた顔。

 

「で、ユイさんは何しに来たんだ?」

 

「盗品の取引があると聞いたから、少し気になって。危ない話なら止めようと思ったの」

 

「頼れるお姉さんかよ」

 

 思わず出たような言葉だった。

 

 ユイは小さく笑う。

 

「そう見える?」

 

「……見えるよ」

 

 スバルは目を逸らした。

 

 その声には、何度も見た者だけが持つ重さがあった。

 

 フェルトが面倒くさそうに割り込む。

 

「で、どうすんだよ。買うのか買わねえのか。こっちは高い方に売るだけだぞ」

 

「買う」

 

 スバルは即答した。

 

「それ、こっちのミーティアと交換だ」

 

「こっちのお姉さんは?」

 

 フェルトがユイを見る。

 

 ユイは徽章へ視線を落とし、少しだけ考えるふりをした。

 

「私は、それが本来の持ち主に戻るなら構わないわ」

 

「持ち主?」

 

「盗品なんだから持ち主がいるのは当然でしょう?」

 

「説教なら帰れよ」

 

「説教ではないわ。ただ、その品はたぶん、あなたが思っているより面倒なものよ」

 

 フェルトの表情が変わる。

 

「脅してんのか?」

 

「忠告よ」

 

 空気が張り詰める。

 

 その時だった。

 

 扉の外に、冷たい気配が立った。

 

 ユイは剣の柄に指を添える。

 

 スバルの顔から血の気が引く。

 

 彼は気配で気づいたのではない。

 

 記憶で気づいた。

 

 エルザが来る。

 

 その死の予感を、体が覚えている。

 

 扉が開いた。

 

 黒髪の女が、優雅に微笑んで立っていた。

 

「あら。先客が多いのね」

 

 エルザ・グランヒルテ。

 

 死の記憶そのもの。

 

 スバルの呼吸が乱れる。

 

 けれど、今度は後ろへ下がるだけではなかった。

 

 震える足で、一歩横へ出る。

 

 ユイの背中に隠れきらない位置へ。

 

「フェルト、ロム爺、下がれ」

 

「あ?」

 

「そいつは客じゃない」

 

 スバルは、腹の底から声を絞り出した。

 

「殺しに来てる」

 

 エルザが楽しそうに目を細める。

 

「あなた、面白いことを言うのね」

 

 ユイは剣を抜いた。

 

「否定しないのね」

 

「否定した方がよかったかしら?」

 

 ロム爺が棍棒へ手を伸ばす。

 

 フェルトが徽章を握ったまま後退する。

 

 スバルは息を吸った。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 だが、叫ぶ。

 

「ラインハルトォォォ――!」

 

 盗品蔵の外へ向けて、スバルは全力で叫んだ。

 

 その声と同時に、エルザが動く。

 

 速い。

 

 ユイも踏み込む。

 

 刃と剣がぶつかり、暗い室内に火花が散った。

 

 ユイの腕に重い衝撃が走る。

 

 エルザは笑っている。

 

 だが、その笑みがほんの少しだけ変わった。

 

 外から、足音が近づいている。

 

 迷いのない足音。

 

 約束された救援の音。

 

 スバルは震える拳を握りしめた。

 

 血の匂いが満ちる前に。

 

 誰かが倒れる前に。

 

 この地獄を、ここで止めるために。

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