ロズワールとの賭けは成立した。
屋敷を救う。
聖域を解放する。
エミリアを立たせる。
ベアトリスを連れ出す。
大兎を退ける。
そのすべてを成し遂げれば、ロズワールは叡智の書を捨て、エミリアの王選に本気で力を貸す。
失敗すれば、スバルはロズワールの望む形になる。
一つだけを選び、それ以外を切り捨てる存在に。
ロズワールの部屋を出た後、スバルは廊下で一度だけ息を吐いた。
まだ、怖い。
だが、昨夜とは違う。
今は、何をするべきかが見えている。
まずは、聖域の根に触れる。
リューズと話す。
それから、エミリアだ。
廊下の先に、ラムが立っていた。
腕を組み、壁に背を預けている。
「遅いわね、バルス」
「お前、そこで待ってたのか」
「ええ。バルスが妙に勝負師ぶった顔でロズワール様の部屋に入っていったものだから」
「勝負師ぶった顔って何だよ」
「身の程を知らない顔よ」
「ひでえ」
ラムはいつも通りだった。
そのいつも通りが、少しだけありがたい。
「賭けは成立した」
「聞こえていたわ」
「どこまで?」
「大体」
「盗み聞きじゃねえか」
「聞こえる場所で話したバルスが悪いわ」
ラムは悪びれない。
そして、少しだけ目を細めた。
「エミリア様を信じるのね」
「ああ」
「なら、信じた顔をしなさい」
スバルは言葉を止めた。
「不安そうな顔で信じると言われても、信じられる側が困るわ」
「……そうだな」
「ええ、そうよ」
ラムはロズワールの部屋の扉へ視線を向けた。
「ラムはロズワール様の味方よ」
「知ってる」
「でも、エミリア様が立つことも望んでいる」
「矛盾してないか」
「人は矛盾したままでも動くものよ」
それだけ言って、ラムはスバルの横を通り過ぎた。
「バルス」
「何だよ」
「せいぜい、見苦しく足掻きなさい」
「それ、応援か?」
「応援よ」
扉が閉まる。
スバルは廊下に一人残され、苦く笑った。
「わかりにくい応援だな、ほんと」
それでも、胸の奥に残ったものは悪くなかった。
信じるなら、信じた顔をしろ。
スバルは頬を軽く叩いた。
オットーに殴られた側がまだ痛む。
「……痛って」
その痛みを抱えたまま、スバルは外へ出た。
外には、一本の木があった。
いや、正確には木のふりをしているオットーがいた。
幹の陰に身を寄せ、枝葉に紛れたつもりでいる。
妙に不自然な姿勢だった。
「……何してんだ、オットー」
オットーがびくりと肩を跳ねさせた。
「見つかりましたか」
「見つからないと思ったのか?」
「薄暗ければ木に見えるかと」
「見えねえよ。木はそんなに挙動不審じゃねえ」
「失礼ですね!」
オットーが木のふりをやめて出てくる。
少し離れたところにはユイもいた。
ユイは普通に立っている。
「ユイさんは隠れなかったのか」
「隠れる必要がないもの」
「ですよね」
オットーが肩を落とした。
スバルは二人へ向き直る。
「賭けは成立した」
「条件は?」
ユイが聞く。
「俺が全部救う。屋敷も、聖域も。成功したらロズワールは本を捨てる。失敗したら、俺はあいつの言う通りになる」
オットーの顔が引きつった。
「無茶ですね」
「知ってる」
「でも、やるんですね」
「ああ」
「なら、こちらも予定通り動きます」
オットーは自分の胸に手を当てた。
「ガーフィールさんの方は、僕が引き受けます」
「危険だぞ」
「知っています」
「死ぬかもしれない」
「死にたくはありません」
オットーは即答した。
「ですが、ナツキさん一人では足りないんでしょう」
「……ああ」
「なら、誰かの手を借りるべきです。友達とか」
昨日の夜の言葉が、スバルの胸に蘇る。
夜の森。
深呼吸。
頬への一発。
友達の前でかっこつけるな。
「頼む」
「任されました」
オットーは頷いた。
ユイが口を挟む。
「ガーフィールを相手にするなら、ラムも必要になるわ」
「ああ。オットーだけじゃ厳しい」
「僕としても、そこは全面的に同意します」
オットーが真顔で言った。
スバルは苦笑し、それから顔を引き締める。
「その前に、リューズさんに会う」
「僕も行きますか?」
「いや、オットーは準備をしてくれ。ここは俺一人で行く」
「わかりました。ナツキさんが一人で大丈夫かは、かなり不安ですが」
「不安なのは否定しねえけど、ここは一人の方がいい」
ユイも一歩出かけ、すぐに足を止めた。
「私も?」
「悪い。リューズさんとは、俺が直接話す」
「わかったわ」
ユイはすぐに頷いた。
ここはスバルとリューズの話だ。
聖域の根。
ガーフィールの過去。
複製体。
シーマ。
ユイが横から知った顔で口を挟めば、流れが濁る。
だから彼女は引いた。
「戻ってきたら、聞かせて」
「ああ。話せる範囲でな」
「その言い方、だいぶ聞き慣れたわ」
「悪い」
「責めてない」
スバルは小さく頷き、リューズのいる場所へ向かった。
淡い光に満ちた場所。
そこにいた少女の姿の存在は、スバルを見るなり目を細めた。
「おや、スー坊」
リューズはそう呼んだ。
「朝から妙な顔をしておるの」
「妙な顔って、みんなして言うなよ」
「では、ひどい顔と言えばよいかの?」
「変わってねえ」
スバルは息を吐く。
目の前のリューズは、これまで会ってきたリューズと同じ顔をしている。
けれど、完全に同じではない。
反応。
間。
言葉の選び方。
少しずつ違う。
「リューズさん」
「なんじゃ?」
「俺は、あんたに協力してほしい」
「聖域解放のためにかえ」
「ああ」
スバルは正面から頷いた。
「俺は聖域を解放する。屋敷も救う。ロズワールが俺に選ばせようとしてる盤面を壊す。そのために、あんたの協力が必要だ」
リューズは、じっとスバルを見る。
「スー坊は、わしが聖域の解放に反対しておると思っておるようじゃな」
「違うのか?」
「違う、とは言い切れぬ。だが、単純に反対しているわけでもない」
「どういうことだよ」
「わしらには役割がある。聖域に縛られ、管理し、見守る役割がの。じゃが、閉じたままでよいと思っている者ばかりでもない」
スバルは黙った。
リューズは続ける。
「スー坊は、わしと何度も話したような口ぶりをする」
「……話した。たぶん、何度も」
「ほう?」
「でも、今思えば、同じリューズさんじゃなかった」
リューズの目が細くなる。
「気づいたか」
「顔は同じ。でも、違う。あんたたちは複数いる。俺が話してたリューズさんは、全部同じ一人じゃなかった」
「正解じゃ」
リューズはあっさり認めた。
「わしはリューズ・アルマ。複製体の一人じゃ」
「アルマ……」
「他にもおる。役割を持つ者、従う者、例外となった者」
「例外?」
「リューズ・シーマじゃ」
その名を聞いた瞬間、スバルの表情がわずかに変わる。
「シーマは、かつて契約を破った。墓所へ入ったガーフを連れ戻すためにの」
「ガーフィールを……」
「そうじゃ」
リューズは静かに目を伏せる。
「あの子は、墓所で母親を見た」
「……母親」
「置いていかれたと思っておった。捨てられたと思っておった。じゃが、墓所で見たものは、あの子の中にあった答えを別の形に変えてしまった」
スバルは息を呑む。
フレデリカから聞いた話。
ガーフィールが聖域に残る理由。
外へ出ることを拒む理由。
それが、ようやく一本の線で繋がる。
「それで、外を嫌がってるのか」
「怖い、という言葉だけでは足りぬの」
リューズは言った。
「あの子にとって外は、母を奪った場所であり、姉を連れていった場所であり、自分を置き去りにした場所でもある」
「……」
「だから、ガーフは聖域を守ろうとする。閉じた場所にいれば、これ以上何も奪われぬと思っておる」
スバルは拳を握った。
ガーフィールは敵ではない。
壁だ。
越えなければならない壁。
けれど、壊して終わりにしたい相手ではない。
「俺はガーフィールとぶつかる」
「避けられぬじゃろうな」
「でも、終わった後は友達になりたい」
リューズは、少し驚いたようにスバルを見た。
それから、小さく笑う。
「欲張りじゃな、スー坊は」
「知ってる」
「よかろう。できる範囲で力を貸そう」
「助かる」
「ただし、ガーフを甘く見るでないぞ。あの子は強い。強くて、脆い」
「ああ」
「そして、シーマもまた、あの子に関わる鍵じゃ」
「シーマはどこにいる?」
「今は姿を見せぬじゃろう。必要な時に、必要な場所へ現れる」
スバルは、その言い方に引っかかりを覚えた。
だが、今は時間がない。
「ありがとう、リューズさん」
「スー坊」
「何だ?」
「そなたは、ガーフを敵にしに行くのではないな?」
「ああ」
スバルは答えた。
「連れ戻しに行く」
リューズは満足そうに頷いた。
話を終え、スバルは村へ戻った。
ユイは少し離れた場所で待っていた。
「どうだった?」
「話はついた。リューズさんは、単純に聖域解放へ反対してるわけじゃない」
「ガーフィールは?」
「母親だ」
スバルは短く言った。
「そこが鍵になる」
ユイは頷いた。
それ以上は聞かない。
スバルが知ったことを、スバルの言葉として扱う。
それが今は必要だった。
次はエミリアだ。
スバルはエミリアの部屋へ向かった。
扉を叩く。
「エミリア」
少し遅れて、返事があった。
「……スバル?」
眠ってはいない声だった。
スバルは扉を開ける。
エミリアは部屋にいた。
寝台の上に腰を下ろし、膝の上で手を握りしめている。
顔色は悪い。
目の下には影がある。
眠れなかったのだと、すぐにわかった。
「寝付けなかったのか」
「眠ろうとはしたの」
エミリアは小さく笑おうとした。
だが、うまく笑えていない。
「でも、目を閉じると、知らないはずのものが見えるの」
「知らないはずのもの?」
「うん。森。氷。みんなが眠ってる場所。私も、そこにいた気がする」
スバルはゆっくり部屋に入り、距離を取って座った。
近づきすぎない。
けれど、離れすぎない。
「話せるか?」
「……うん。スバルになら」
エミリアはぽつぽつと話し始めた。
自分は長い間、氷の中にいたこと。
パックに見つけられるまで、ずっと眠っていたようだったこと。
森には、自分以外にも氷に閉ざされた人たちがいたこと。
自分の本当の家族のことは、まだはっきりしないこと。
けれど、母親のように思っていた人がいたこと。
その人の名が、胸の奥に引っかかっていること。
「フォルトナ……」
エミリアは、小さくその名をこぼした。
まだ完全には思い出していない。
けれど、名前だけが先に浮かび上がっている。
「その人が、母親みたいな人だったのか」
「たぶん。すごく、大事な人だった気がする」
エミリアは胸元の結晶に手を触れた。
パックの結晶。
その光は弱い。
「ロズワールがね、言ったの」
「ロズワールが?」
「王になれば、できることが増える。凍った森を解かす方法も、見つかるかもしれないって」
スバルは息を呑む。
それが、エミリアが王選へ向かう理由。
氷に閉ざされた森。
眠ったままの人々。
それを救いたいという願い。
「でもね、スバル」
エミリアの声が小さくなる。
「それって、すごーく個人的な理由なの」
「個人的?」
「みんなのためって言ってるけど、本当は、私が知りたいの。私が取り戻したいの。私が、救いたいの」
エミリアは俯いた。
「そんな理由で王になりたいなんて、言っていいのかな」
スバルは、すぐには答えなかった。
軽く流す場面ではない。
エミリアは本気で、自分の願いを疑っている。
だから、スバルも本気で答える。
「いいと思う」
エミリアが顔を上げる。
「いいの?」
「ああ」
「だって、個人的なんだよ」
「個人的でいいだろ」
スバルは言った。
「俺だってそうだ。エミリアを助けたいのも、レムを取り戻したいのも、ベア子を連れ出したいのも、ペトラたちを死なせたくないのも、全部俺がそうしたいからだ」
「……」
「自分がそうしたいって気持ちが混ざってたって、誰かを救いたい気持ちが嘘になるわけじゃない」
エミリアの目が揺れた。
「スバルは、そう思う?」
「思う」
「本当に?」
「本当だ」
スバルはまっすぐ見た。
ここで不安な顔は見せない。
信じるなら、信じた顔をしろ。
ラムの言葉を思い出す。
「エミリアの願いは、汚くなんかない」
エミリアは、少しだけ息を吐いた。
「スバルは、優しいね」
「そうでもない」
「ううん。優しい」
少しの沈黙。
それから、エミリアの瞼が重そうに落ちる。
眠れていなかった体が、限界を迎え始めているのだろう。
スバルは声を落とした。
「寝られそうか」
「……少しだけ」
エミリアはそう言い、横になった。
呼吸が落ち着いていく。
スバルはしばらく見守ってから、胸元の結晶へ視線を落とす。
「パック」
小さく呼ぶ。
返事はあった。
けれど、その会話の内容は、誰にも聞かせなかった。
スバルとパックだけの会話だった。
エミリアのために必要なこと。
これから起きる別れ。
そして、託されるもの。
スバルは黙ってそれを聞いた。
時間は過ぎ、夕方になった。
エミリアが目を覚ました時、部屋には橙色の光が差していた。
「……パック?」
エミリアは目を開けて、最初にその名を呼んだ。
結晶が淡く光る。
パックの声が聞こえた。
いつものように柔らかい声。
けれど、そこには決意があった。
「どうしたの、パック」
エミリアの声が不安に揺れる。
パックは、契約を解くことを告げた。
エミリアが自分の過去に向き合うために。
封じられていた記憶を取り戻すために。
自分は離れなければならない、と。
「待って」
エミリアは結晶を両手で包んだ。
「待って、パック。どうして? いやだよ。そんなの、急に言われても……」
結晶にひびが入る。
細い音。
エミリアの顔が青ざめる。
「パック!」
ひびが広がる。
光が薄くなる。
最後に、パックの声が何かを残した。
そして、結晶は砕けた。
「――っ」
エミリアの体が強張った。
記憶の蓋が外れる。
押し込められていたものが、一気に流れ込む。
森。
氷。
声。
フォルトナ。
優しかった手。
失われた時間。
「いや……」
エミリアが小さく呻く。
「なに、これ……」
「エミリア!」
スバルが手を伸ばす。
エミリアは、そのまま意識を失った。
倒れ込む体を、スバルが抱き止める。
「エミリア! エミリア!」
返事はない。
気を失っているだけだ。
スバルはそう確認し、彼女を寝台へ戻した。
部屋の中に、砕けた結晶だけが残る。
スバルはしばらくそれを見ていた。
そして、小さく呟く。
「……任されたからな」
夜。
聖域の別の場所で、ガーフィールは白い衣のリューズと向き合っていた。
リューズ・シーマ。
月明かりが、彼女の白い姿を淡く照らしている。
ガーフィールの目には苛立ちがあった。
「なァ、ババア」
「何じゃ、ガーフ」
「あのナツキって奴、何なんだ」
「スー坊のことかえ」
「そうだよ」
ガーフィールは舌打ちした。
「あいつは臭ぇ。魔女の臭いがする。あんな臭いをさせてる奴が、まともなわけねぇ」
リューズ・シーマは静かにガーフィールを見る。
「疑っておるのかえ」
「疑うに決まってんだろ。エミリア様を試練に向かわせようとして、聖域を開けようとして、何を企んでやがる」
「スー坊は、聖域を解放すると言っておった」
「それが気に食わねぇんだよ」
ガーフィールの声が低くなる。
「外に出ることが正しいって、誰が決めた」
リューズ・シーマは、それ以上深くは踏み込まなかった。
母親のことも、墓所で見たものも、ここでは語らない。
ただ、短く言った。
「ガーフ。そなたは、スー坊を見極めねばならぬ」
「言われなくても、そうする」
ガーフィールは背を向ける。
疑念は晴れない。
むしろ、強まっている。
魔女の臭い。
聖域解放。
エミリアの試練。
ナツキ・スバルという異物。
ガーフィールは、その名を胸の奥で噛み潰すようにして、夜の中へ消えた。
同じ夜。
エミリアの部屋で、スバルは目を覚ましたエミリアの傍にいた。
顔色は悪い。
記憶の断片に揺さぶられ、パックを失い、エミリアは不安の底にいる。
「スバル」
「どうした」
「手、握ってて」
小さな声だった。
「いいよ」
スバルは手を差し出す。
エミリアは、その手を両手で包み込むように握った。
「ごめんね、お願い」
「謝らなくていい」
「うん……でも、ごめん」
スバルは首を横に振る。
「ここにいる」
「本当に?」
「ああ」
「いなくならない?」
「いなくならない」
その言葉を口にする時、スバルの胸は痛んだ。
やらなければならないことがある。
動かなければ、屋敷も聖域も救えない。
けれど今のエミリアには、その言葉が必要だった。
「起きた時、いる?」
エミリアが聞く。
スバルは一瞬だけ息を詰めた。
そして答える。
「いる」
エミリアは安心したように目を閉じた。
「なら、寝る」
「ああ。寝ろ」
「手、離さないでね」
「離さない」
エミリアは、スバルの手を握ったまま眠った。
呼吸が静かになる。
スバルはその手を見つめていた。
しばらくして、彼はそっと指を抜いた。
エミリアの手が微かに動く。
スバルは胸を痛めながら、小さく呟く。
「ごめん」
そして部屋を出た。
扉が閉まる。
ほどなくして、エミリアは目を覚ました。
手の中が空だった。
「……スバル?」
返事はない。
部屋は静かだった。
胸元には、もうパックの結晶もない。
あるはずの声も、温もりもない。
「スバル……?」
もう一度呼ぶ。
返事はない。
その瞬間、記憶の断片が胸を刺した。
置いていかれる。
約束したのに。
いると言ったのに。
いなくならないと言ったのに。
「フォルトナ母様の、嘘つき……」
声が震える。
「パックの、嘘つき……」
布団を握りしめる手が白くなる。
「スバルの……嘘つき」
小さな声は、誰にも届かなかった。
翌日。
聖域は朝から騒がしかった。
エミリアがいない。
村人たちが不安げに行き交い、ラムが指示を飛ばしている。
スバルはその場にはいない。
彼はエミリアの向かいそうな場所を探すため、別行動を取っていた。
その騒ぎの中へ、ガーフィールが現れた。
顔には苛立ちがある。
「何の騒ぎだァ?」
ラムが振り返った。
「エミリア様が見当たらないのよ」
「……あ?」
ガーフィールの目が細くなる。
「いなくなったってことかよ」
「言葉通りよ」
「チッ」
ガーフィールは舌打ちした。
捜索に加わるように周囲を見回し、まずは近場の家々へ足を向ける。
誰かが見ていないか。
どこかに隠れていないか。
そうして探すうちに、リューズたちのいる家へ辿り着いた。
扉を開ける。
中を確認する。
そこに、いるはずの白い姿がなかった。
リューズ・シーマがいない。
ガーフィールの表情が険しくなる。
「……なんで、いねぇ」
エミリアの失踪。
聖域のざわめき。
そして、シーマの不在。
嫌な予感が、胸の奥で繋がる。
「まさか……」
ガーフィールは短く吐き捨て、家を飛び出した。
向かう先は、遺跡。
かつて墓所と並んで、聖域の根に触れる場所。
リューズ・シーマがいるとすれば、そこだ。
ガーフィールは迷わず走った。
そして、遺跡へ足を踏み入れた瞬間、声が響く。
「お待ちしていました」
ガーフィールが足を止める。
そこにいたのは、オットーだった。
緊張した顔で、それでも逃げずに立っている。
「……何してやがる、てめぇ」
「見ての通り、お留守番です」
「ふざけてんのか」
「かなり真面目です」
オットーは喉を鳴らす。
怖くないわけではない。
目の前にいるのはガーフィールだ。
まともにぶつかれば、自分など一瞬で潰される。
それでも、ここに立っている。
「ナツキさんはここにはいません」
「あァ?」
「主役が不在の間、相手をするのは脇役の役目です」
ガーフィールの目が細くなる。
「ナツキ・スバルの差し金か」
「友人としての協力です」
「どけ」
「どきません」
オットーは即答した。
その声は少し震えていた。
だが、引いていない。
「僕は、あなたを止めに来たわけではありません」
「なら何だ」
「時間を稼ぎに来ました」
ガーフィールの口元が獣のように歪む。
「正直だなァ」
「嘘をついても見抜かれそうなので」
「見逃すと思ってんのか」
「思っていません」
オットーは一歩、後ろへ引く。
逃げるためではない。
誘導するために。
「ですが、こちらにも準備があります」
「準備ィ?」
「ええ。商人は段取りが命ですから」
その瞬間、遺跡の外で小さな音が鳴った。
鳥の羽ばたき。
草むらのざわめき。
小動物の足音。
オットーの加護が、周囲に張り巡らされている。
ガーフィールの眉が動く。
「てめぇ……」
「では、始めましょう」
オットーは、引きつった笑みを浮かべた。
「ナツキさんが主役をやっている間、こちらはこちらで頑張ります」
ガーフィールが地を蹴った。
遺跡の空気が弾ける。
一方、その頃。
スバルは墓所へ向かって走っていた。
エミリアが向かう場所。
置いていかれたと思った彼女が、それでも隠れに行く場所。
墓所。
白い石の入口が見えた瞬間、スバルの胃が重く沈んだ。
資格はない。
もう、スバルは墓所に受け入れられない。
近づくだけで、体の奥が拒絶に震える。
ここだけは、やせ我慢で行くしかない。
「エミリア!」
声を張る。
返事はない。
スバルは入口へ近づく。
喉が詰まる。
胃がひっくり返りそうになる。
足が震える。
それでも、顔だけは笑わせた。
墓所の薄暗がりの奥。
石段の影。
そこに、白い姿があった。
エミリアだった。
膝を抱え、隠れるように座っている。
銀の髪が顔を覆い、肩が微かに震えていた。
「……エミリア」
呼びかける。
エミリアの肩が跳ねた。
ゆっくり顔が上がる。
目は赤い。
泣いたのだ。
長く。
何度も。
「スバル……?」
怯えた声。
責める声。
縋りたい声。
全部が混ざっていた。
スバルは一歩踏み出そうとして、体の奥が拒絶に震えた。
「……っ」
吐き気を飲み込む。
足に力を入れる。
今、苦しそうな顔を見せるな。
ここだけは、やせ我慢でいい。
スバルは無理やり笑った。
「見つけた」
その一言が、墓所の冷たい空気に落ちた。