クノート「……ミア、そういうとこだぞ」
ミア「はて?」
203号室をあとにした陣たちは、204号室に早足で向かう。アパートの外はすでに暗くなりはじめ、星の煌めきもはっきりと見えるようになっていたからだ。遅くなれば美冬にも心配をかけてしまう。
「思ったより時間がかかったし、今日は透香のところへ顔を出したら終わりにしよう。あんまり遅くに挨拶へいくのもよくないしな」
「そうだね。クオンちゃんもさっきの詩ちゃんでだいぶ疲れただろうし」
「……そうね。なんというか凄く濃かった」
「一応言っておくけど、詩ちゃんクラスはこのアパートでも珍しいからね?」
疲労が顔に出ているクオンを励ましながら、美雪が先頭を歩く。そんな美雪へクオンはぼそっと小さな声で204号室の住人について問いかける。
「204号室に住んでいる人は、詩さんほどじゃないのよね?」
「うん。基本的に人見知りがちで、静かな子だよ。陣くんが絡むとブレーキ壊れるときはよくあるけど」
「安心できない一言が入ってるんだけど……」
美雪の一言で心配が増えたクオン。それと同時に陣に対しても、胸の内がざわついてしかたなかった。陣とクオンは今日出逢ったばかりである。それでも、なんとも形容しがたいさざめきがクオンの心を揺らしていた。
三人が204号室の前についたところで、美雪が代表してインターホンを押す。すると、少し申し訳なさそうな表情で一人の少女がドアを開けた。大きめのパーカーにショートパンツといったラフな格好で現れたのはこの部屋の住人、
「めっ、メカクレっ娘だぁ!」
「ひぇ……」
詩と遭遇したときを彷彿とさせるクオンのリアクションに陣と美雪はまたかと少し呆れ気味だ。このサブカル大好き吸血鬼の守備範囲はだいぶ広いようである。
「クオンちゃん、びっくりしちゃってるから抑えて抑えて」
「あっ、ごっ、ごめんなさい」
美雪がクオンをなだめるが、透香にとっては衝撃が大きかったようでドアを盾のようにして身を隠してしまった。
「透香ちゃん、びっくりさせちゃってごめんね。でも、大丈夫だよ! クオンちゃんはいい子だから。ねっ?」
まるで泣いた子どもをあやすように美雪は透香に向かって優しく話しかけた。透香の方が年上のはずなのだが、明らかに立場が逆転している。もしかしたら、このアパートを牛耳っているのは美雪なのかもしれない。
「……」
「あちゃあ、完全に警戒モードに入っちゃった。こうなると正攻法でいくのは時間かかるんだよね」
透香は完全に拒絶したわけではないようで、扉はまだ開いている。しかし、その隙間から覗く瞳は明らかに警戒の色を滲ませていた。こうなってしまっては時間がかかることを美雪は知っている。だが、美雪には秘策があった。無論、陣である。
美雪はクオンを扉から遠ざけると視線で陣を呼び、自らも扉から少し離れた。そして、扉の前に陣が立った瞬間。
「先生!」
扉が弾けとびそうな勢いで開き、透香が陣へと飛びつかんばかりの勢いで現れた。美雪とクオンには透香が尻尾をぶんぶんと振っているように見える。
「本当にゴールデン・レトリーバーみたい」
「クオンちゃん、ゴールデン・レトリーバーは知ってるんだ……」
「最近は犬と一緒に終末世界を旅する漫画もあるのよ」
「へぇ~」
陣の影に入った美雪とクオンは透香の視界に入っていないのか、透香の瞳は陣だけを映してきらきらと輝いている。ファンというよりは狂信者に近いかもしれない。
「先生、本日はどのような要件でしょうか!!」
「お、おう。実は新しい住人が増えることになってな? その挨拶回りに来たんだ」
「……先ほどの女の子ですか?」
「そうそう。透香とも年齢は近そうだし、アニメや漫画も好きだから話も合うんじゃないか?」
「先生がそういうなら」
透香は明らかに不満そうである。陣の大ファンであり、少しばかり同担拒否タイプである透香にとっては新たな住人が増えることはあまり喜ばしくない。たいがい住人が増えるときは陣がその手を取ったからである。陣に助けられたのなら、陣に好意を抱いてもおかしくない。むしろ、好意を抱いてしかるべきだと透香は考えている。陣のことになると思い込みが激しくなるあたり、やはり狂信者と言っても過言ではないだろう。
「改めて、やっほー! 透香ちゃん!」
「美雪っちはいつも元気だね。本当に雪女の血をひいてるの?」
「ひいてるひいてる! じゃんじゃんだよ!」
「……こんなテンションの高い雪女は創作でもそういないとうちは思うな」
「確かに、そうかも。って、そんなことより、クオンちゃん!」
美雪はクオンの背中を押して透香の前に立たせる。急に押し出されたクオンは困惑気味だ。心の準備もへったくれもない。
「ちょ、美雪! 急に押さないでよ!」
「いいから! ほら、自己紹介しよ?」
クオンは美雪を恨めしそうに睨むが、美雪は全く気にも留めていない。これが陽キャと陰キャの差だろうか。
「……赤木クオン。吸血鬼です」
「…………どうも。隠透香、ぬらりひょんです」
二人の間に沈黙が満ちた。お互いにどんな会話の手札をきればいいのかわからないらしい。コミュ障あるあるである。いや、違うかもしれないが。
「二人とも緊張しすぎじゃない? ねぇ、陣くん」
「いや、初対面なら多少緊張はするものだろ」
「そう?」
「緊張しない美雪っちが変なんだよ」
「そこは同感ね」
「えー!?」
「だって、これから同じアパートに住むんだからなんかあったらいろいろあれでしょ!」
「そうそう!」
「息あってるじゃん。仲良くなれそうだね!」
「やっぱり美雪もこのアパートの住人なのね」
「クオンちゃん、どういうこと? もしかして、変わってるって言いたいの?」
クオンの言葉に美雪は不満そうな顔をしている。朱に交われば赤くなると言うが、美雪も例外ではないのである。周りが濃すぎて気づいていないだけで。いや、アパートの住人の中では間違いなく常識人枠なのだが。
「透香、悪いんだけど中にお邪魔してもいいか? まだ春先だし、陽が沈んでからは冷えるからさ」
「失礼しました! 先生、どうぞ中へ!!」
透香がさっと道をあけて、陣を部屋の中へと案内する。美雪とクオンもさりげなく陣のあとについていき、無事に透香が住む204号室へと入るのであった。
「ひっ……」
204号室に入った瞬間、クオンが悲鳴を漏らした。それは部屋中に張られたポスターを見たからである。透香の部屋にはいわゆるスプラッタ映画やホラー映画のポスターが張られていたのだ。クオンは美雪に服の袖を引っ張って詰め寄る。
「ねぇ、話が違うんだけど!?」
「えっ、でも、透香ちゃんもアニメや漫画、映画とかも好きだよ。まぁ、特に好きなのはホラーとかスプラッタ系だけど……」
「ジャンルまでちゃんと教えてよ!」
「そういうものなの?」
「オタクはねぇ、広く浅くの人もいるけど、私は狭く深くなの! ジャンルが違えば別物よぉ!」
「へぇ~、面白いね」
「今の状況は全然面白くないけどねっ! って、まさか、陣もホラー作家なの!?」
「いや、違うよ。ラブコメというか群像劇が多いね」
「全然、別ジャンルじゃないの!?」
クオンはだいぶ混乱しているようだ。透香の好きなジャンルと陣のジャンルが同じなら、透香が陣の大ファンになるのはわかる。しかし、美雪の話を聞くかぎり、好みのジャンルが正反対といっても過言ではないのだ。
「確かにそう考えると意外かも? でも、陣くんもホラー系はそこそこ平気だったはずだから、そういう要素がある作品もあったのかな? 私、活字読むの苦手だから陣くんの作品ちゃんと読んだことないんだよねぇ」
「美雪が活字苦手なのは、なんとなく予想できてたわ」
「それはちょっと馬鹿にしてない?」
「そんなことないわよ。ただ、美雪って元気な陽キャってイメージだから」
「まぁ、いいや。それより、これで話題ができたね」
「話題?」
「そうだよ。透香ちゃんに直接聞けばいいじゃん」
「っうぐ、そっ、それはそうだけど」
「美雪っちと赤木さんはいつまでそこでこそこそ話しているの?」
『ひゃわぁ!』
美雪とクオンは背後から急に透香に話しかけられ、声にならない叫びをあげる。二人が内緒話をしている間にお茶の準備が整っていたようで、家主として透香が呼びにきてくれたらしい。それなりには歓迎をしてくれているようだ。主に陣の言葉ゆえにだろうが。
透香は美雪とクオンをリビングのテーブルへ案内すると、そこにはクッキーと紅茶が人数分用意されており、陣が一人で少し疲れた顔をしながら椅子に座っていた。
「なんで疲れてんの陣?」
「……想像に任せる」
「はぁ? なにそれ」
「…………赤木さん、ずいぶんと先生に馴れ馴れしいんですね」
クオンがいつものように陣へ話しかけると、その様子を見た透香の瞳が若干濁る。崇拝する作家に対して、クオンの態度が気に食わないらしい。そんな透香の様子を見た陣はおもむろに椅子から立ち上がると、透香の隣へ移動し頭をくしゃくしゃと犬でも撫でるように撫でまわす。すると透香は嬉しそうに目を細めた。まるっきり犬である。
「やっぱり陣くんって、すけこましだよね」
「…………」
陣と透香の様子を見て、美雪が呆れたようにぼそりとこぼした。クオンも何とも言い難い表情で二人を見ている。陣には作家よりもプロのひもとしての才能があるかもしれない。透香が纏いかけた険悪な雰囲気は霧散し、それを感じた陣は撫でるのをやめて椅子に再び腰を下ろした。撫でられた透香は満足気であり、今なら話しかけても問題はないだろう。
美雪とクオンはそれぞれ椅子に座ると、クオンが小さな勇気を振り絞り透香へ質問を投げかけた。
「隠さんはどうして陣のファンになったの? 美雪から聞いたんだけど、陣が書く小説のジャンルって隠さんの好きなジャンルとは違うじゃない? 部屋を見る限りホラーとかスプラッタ系が好きみたいだけど……」
クオンの声は若干震えている。緊張しているのだろう。それでも、自分から踏み込もうと行動に移したことが成長の証である。大げさに聞こえるかもしれないが、クオンは今日はじめて世界に触れた幼子なのだ。
「……うちが先生のファンになった理由ですか?」
透香はクオンの質問に答えようと大きく息を吸った。どうやら緊張を和らげるためらしい。そして、大きく呼吸をするために視線をあげた透香は壁掛けの時計を見て気づく。18時を過ぎている。足りない。どう考えても、ファンになった理由を、先生の素晴らしさを伝えるには時間が足りない。最低でも3時間は欲しい。
透香は深呼吸をしたあと、少し気まずそうにまたうつむくとクオンの方をちらっと見る。そんな透香を見て、話しづらい理由があるのだろうかとクオンは勘ぐってしまった。
再びリビングに沈黙が重たくのしかかる。その空気を察した美雪が口を開く前に陣が口火を切った。
「オレがいる前じゃ、そういう話はしづらいんじゃないか? オレも反応に困るし……」
「いえ、それはないです。むしろ、先生本人には聞いて欲しいというか、言いたいというか……その時間が」
『時間?』
透香以外の三人の声が揃う。言われて時計を見てみれば、夕食の準備などをはじめていてもおかしくない時間になっている。詩の部屋に少々長居しすぎたようだ。いや、透香の準備もあったのだが。
「もうこんな時間か。確かに夕食の準備とかもあるし……」
「いや、足りなくて」
『足りない?』
再び透香以外の声が揃うが、どうやらクオンにはピンときたようだ。
「語るには時間が足りないってこと?」
「そうですそうです。せめて、3時間は欲しいので」
「言われてみればそうよね」
なぜか通じ合った二人。おそらくはオタクゆえにだろう。一人のオタクとして、好きなものについてはたくさん語りたいのだ。例え、コミュ障の引きこもりでも。
「なので……その……また後日、いらしてもらえませんか?」
おそらく透香も勇気を振りしぼったのだろう。声は震えており、手は緊張からかぎゅっと握りしめられている。
「いいじゃんいいじゃん! お菓子とか持ち合って女子会しようよ! 予定組むためにもL○NEも交換しちゃお!」
ここぞとばかりに美雪が二人の間を取り持とうとする。しかし、クオンには問題があった。
「L○NEってなに?」
『噓でしょ!?』
クオンはL○NEを知らなかったのである。そもそも日本では使っているのが当たり前のメッセージアプリだが、世界でのシェアは限りなく少ない。また、スマートフォンそのものをクオンは所有していないのだ。よく、ここまで生きてたどり着けたものである。
「そういえば、クオンがスマホを触っているところ見たことないけど、まさか……」
「スマホ? そういえば彩夢さんが『陣さんに頼んで買ってもらってくださいね』って言ってたような……」
「陣くん、明日の予定が決まったね」
「そうだな。スマホがあれば連絡を取るのも楽だし、仕事とかを探すためにも必要だしな」
「……仕事」
「すぐにって、話じゃねぇよ。でも、いつまでも支援に頼るわけにはいかないからな」
クオンは自分が仕事をしている姿など、全くイメージできなかった。まだ、世界に飛び出したばかりの幼子である。しかし、いずれは自らの翼で羽ばたいていかねばならぬのだ。この広大で美しく残酷な世界を。
「透香、今日はありがとな」
「いえっ!」
「それじゃ、また遊びに来るね!」
「美雪っち。わかった」
「その……お邪魔しました」
「……うん。その……またね」
「! またね!」
オレンジが紫に変わった空を背に、陣たちは透香と別れた。美雪とクオンは201号室へ向かい、陣は自室である101号室へ向かうために階段を降りようとする。陣も夕食までは一緒に食べないようだ。少しは自炊をしないとなまってしまうと考えたがゆえだろう。
「また明日な」
「また明日」
「私は学校だけどね……」
三人はそれぞれ別れの挨拶を交わし、部屋へと帰っていく。夜の帳は降りて、見上げた空では月明りをバックに星たちが踊っていた。
――怪異の時間がはじまる。
クノート「ここまで読んでくれて感謝だ」
ミア「感想もお待ちしております。またお会いしましょう」