クノート「いい刺激になるだろう。何事も経験だ」
「ほう。あの『アカキア』のご令嬢ときたか」
龍の左手前に座っていた巨漢の男が今日はじめて口を開いた。黒く日焼けした筋肉質の体に赤く燃え上がるような赤い髪は短く刈り上げられていて威圧感がある。髪色と同じ赤い着流しに袖を通した姿はまるで用心棒のようだ。
「おや、起きていたのかい毅。ずっと黙っているから寝ているのかと思ったよ」
「なははっ、確かに退屈しとったのは事実だが、さすがに寝はせんよ」
龍の冗談めかした言葉に豪快に笑うこの男は、
「それにしても『アカキア』ですか……陣様はずいぶんと奇妙な縁に愛されているようですわね」
「小夜さん、それは今更だよ」
龍の右隣で秘書のように控えていた糸目で背が高い女性も口を開いた。穏やかな口調だが、芯のある声音が響く。彼女が2階に暮らす最後の住人なのだろう。薄く淡い緑色の髪を大きめのお団子にしてまとめており、口元に黒子がある。このアパートに住む女性の中では一番背が高く胸も美冬より大きい。クオンが思わずガン見するほどだ。
「なるほど。クーちゃんは『アカキア』だったのか。それなら、いろいろと納得できる部分が多いね。特に結界に関するセンスとか」
詩は胸の前で腕を組み、うんうんと頷いている。
住民たちの反応を見る限り警戒はされている。しかし、拒絶されることはなく、少しだけクオンはほっとした。
「クーちゃん、聞きたいことがあるんだけどいいかい?」
「詩さん。なんですか?」
「クーちゃんは、『
「『赤血事変』?」
「う~ん、この反応は何も知らないと……徹底しているね」
詩の質問にクオンは首を傾げる。赤血事変など、クオンは一度も聞いたことがなかったからだ。話の流れからすればアカキア家に関係することのようだが。
「いや、すまないね。知らないならそれでいいんだ」
詩はすぐに話を切り上げた。クオンからすればどこか違和感が残る。自分の知らない何かがアカキアにある。それがもどかしかった。
「赤木さん……いや、クオンさん。ちゃんと名乗ってくれて、ありがとう。もし、隠そうとするのならこちらもそれ相応の『対処』をしなければいけなかったからね」
龍の口調は変わらず穏やかである。しかし、その口から出た言葉は、決して穏やかではない。選択肢を間違えていればどうなっていたかなど、語るべきもないだろう。
「美冬さん。もう遅いし、クオンさんと一緒に帰っていいよ。伝えたいことは伝えたし、聞きたいことも聞けたからね」
「それなら、失礼しますね」
美冬は座布団から立ち上がると、クオンのそばに近寄り微笑んだ。
「あらためて、これからよろしくね。クオンちゃん」
どうやら今日の試練をクオンは乗り越えることができたらしい。
クオンは美冬に手を取られ立ち上がろうとして…………美冬を巻き込んで盛大にこけた。緊張からか足がしびれてしまったらしい。
そんなクオンたちの様子を見て、住人たちは笑っている。なんとも締まらないが、そこも彼女らしいところだろう。クオンは恥ずかしそうになんとか立ち上がると、住人たちに向かってもう一度頭を下げた。
美冬がクオンとともに退出したあと、透香も自室へ帰っていった。
103号室には、龍を含めた四人が残っている。このアパートの自治に最も関わっていると言っても過言ではない四人だ。
「それにしても『吸血鬼』ですか……」
「小夜さんはやはり抵抗があるみたいだね」
「当然のことだ。龍だっていい気はせんだろ」
「毅もかい? まぁ、正直に言えば『吸血鬼』という種族にははらわたが煮えくり返っているよ。あのときからずっとね」
穏やかな言葉とはほど遠い殺意が龍から溢れだしている。いや、龍だけではない。詩を除いた三人からだ。
「ボクはたっつん達と違って、じんじんの両親のことは知らないからね。そこまで強い感情はないけど、同じヨーロッパにルーツを持つ亜人だしね。ただ……『赤血事変』のことは気になるし、アカキアを警戒することに反対はしないよ。じんじんのバックについてくれたら、より立場は盤石になるんだけどね」
アカキア家は現在、吸血鬼の上位種にあたる『真祖』を束ねており、戦力としての危険度は非常に高い。クノート・アカキアが穏健派だからこそ、トッキョも正面からことを構えないだけだ。
逆説的に言えばクノートから代が変わり、思想が変わる。もしくはなんらかの理由があって、クノートが穏健派でなくなる。そのようなことがあればトッキョはアカキア家に対して、全面戦争もいとわないだろう。それだけ『真祖』とは、強大な戦力になりうる特性を持つ。
クノートは『吸血鬼の未来』を理想に掲げ、赤血事変で己の意志を貫いた。多くの同族を失い、大地を血で赤く染め上げてもなお。——それは今も変わらない。しかし、この世界に絶対はなく、理想も願いも夢すらも時には簡単に歪んでしまう。不変でいることは許されないのだ。
「赤血事変でアカキアは吸血鬼の中心となり、今の地位を盤石にした。しかし、その結果割りを食った人もいる」
「それがじんじんのご両親ってことかい?」
「そう。陣くんの両親を襲ったのはアカキアへの反乱を企てていた吸血鬼だった。人間との共生を望まないね」
「じんじんは元をたどれば、高名な陰陽師の血をひく一族。餌としては、完全栄養食と言ってもいい。しかし、アカキアが赤血事変を起こさなければ、今も吸血鬼は人を襲い続けていたかもしれないよ。あくまでたらればだけど」
「それは私だってわかっているさ。でも、理解はしても納得はできないのが心というものだよ。正直、知らない他人が襲われることで、陣くんの両親が生きていてくれたのであれば、私はそれがよかった」
龍の瞳には黒い炎が滾っていた。恨み、憎しみ、怒り、後悔、様々な感情が薪としてくべられている。
「たっつんはよくクーちゃんを受け入れる気になったね」
「彼女に悪意はなかったからね。それに……個人を見ずに種族だけを見て恨み続けるようなことは、彼らの遺志に反する。吸血鬼は憎い。けれど、『吸血鬼だから憎い』にしてはいけないんだよ」
「個人の尊重か……種族の特徴を受け入れた上で、個として接する。当たり前のことだけど、当たり前がゆえに難しい。じんじんの中にはしっかり両親の願いが息づいているんだね」
「あぁ、そうさな。だからこそ、陣の坊主に事件の真相を知られるわけにはいかない」
「真相? じんじんの体質が引き金だったってことかい?」
「それだけじゃないよ。当時からこのアパートは結界で守られていた。そう簡単に悪意あるものが侵入できないようにね」
「……なるほどね。じんじんが招き入れてしまったのか」
「うん。『道に迷った吸血鬼』をね」
「子供の純粋な優しさを利用したのか……下種だね」
珍しく詩が強い口調で吐き捨てた。その言葉には明確な敵意が宿っている。
「陣くんは目の前で両親を殺されたショックで、事件のときのことはほとんど覚えていない。事件のあとのこともね」
「事件のあとも何かあったのかい?」
「精神的負荷による暴走だよ」
「暴走?」
「陣の坊主のあれは体質ってことにしているが、能力と言った方が正しいのさ」
「つまり、事件のあとには多くの怪異が引き寄せられてしまったってことかい?」
「あぁ。トッキョの精鋭や『剣鬼』が駆けつけてくれたから被害はでなかったが……なかなかにひどい有様だったよ。小夜さんもあのときは縛りを解いていたし、毅もかなり深手を負った」
「なに、死ななきゃ安いもんさ。なっはっはっ!」
「……友人として、その考えはやめてほしいのだけどね」
「『わしが倒れん限り、わしの後ろにいるものは安全だ』なんて言って、最前線に立ち続けていましたからね。毅様は」
大口を開けて豪快に笑う毅に、龍と小夜は呆れながら深くため息を吐いた。
「その犯人の吸血鬼はどうなったんだい? 流石につかまったんだろう?」
「いや、怪異騒ぎに乗じて逃げおおせたんだよ。今もトッキョが追っているが、狡猾なようでね。なかなか尻尾を出さないようだ」
「つまり、クーちゃんがその犯人に狙われる可能性もありうるってことだね」
「あぁ、だろうな。アカキアにずいぶんと執着をしていたようだし。クオンの嬢ちゃんのことも気には留めておかんと」
「さようですね。万が一があれば、アカキアと敵対することになる。それは我々としてもトッキョとしても避けたいことです」
「酷な言い方をすれば、このアパートの爆弾がまた増えたということか。いやぁ、ままならないね」
「悲観するばかりじゃないさ。アカキアとの協力関係を作れる可能性もある。クオンさんも陣くんのことを気にかけているようだしね」
龍の口元が少しだけ緩んだ。それは息子のように思っている陣が好かれていることに対するものだったのか、あるいはアカキアとの繋がりを持つことで己の憎悪が銀の銃弾になりうることに対するものだったのか……今はまだ誰も知らない。
「さて、そろそろいい時間だ。今日は解散しようか」
「そうだね。あまり遅くなるとお肌にもよくないし」
「では、小夜も失礼いたしますね」
「みんな、ご苦労様」
龍の声かけで、詩と小夜が103号室の結界から退出した。龍は二人が退出したことを確認すると、パチンと指を鳴らす。すると結界は解かれ本来のアパートの一室へと戻っていた。
「毅は部屋に戻らないのかい?」
「いやいや、夜はこれからだろう? 陣の坊主からいい地酒を土産にもらってなぁ。一人で呑むのももったいないと思って、持ってきておいたのよ」
「小夜さんがいるときでもよかったんじゃないかい? お酒なら彼女も好きだろう?」
「なははっ、たまには男同士腹を割ってしたい話もあるだろうて」
「……見た目によらず気が利くよね。毅はさ」
「一言余計よ。ほれ、つまみもあるぞ」
毅は己の体躯で隠れていた紙袋から、一升瓶と乾きものを取り出す。はなから酒盛りをするつもりだったらしい。
「私はあまり強くないんだけど……
「なに小さいことを抜かしておる。小夜の嬢ちゃんもおるし、詩の嬢ちゃんもおる。……それにわしもな。一日くらいなんとでもなるわい」
「……なるほどね。はなから全員グルだったってことかい」
「龍は休むのが下手くそだからな」
「……いい友人を持てて、私は果報者だね」
龍は苦笑いを浮かべながら、毅からおちょこを受け取る。毅は満足気に顔をほころばせ、龍の持つおちょこへ酒を注ぐのだった。
小一時間経ったころ、龍は顔をタコのように真っ赤にしていた。酒に弱いのは本当らしい。
「陣きゅんもねぇ、しゃっしゃとしょたいをねぇ、もちゅべきなんらよ」
「……ちと、飲ませすぎたか」
龍の口は回っておらず、おちょこを片手にグチグチと文句を言っている。おそらく陣の女性関係のことだろう。さすがに毅もまずいと思ったのか、先ほどから酒のフリをして水をおちょこに注いでいる。しかし、すでに龍はできあがっていた。
「ちゅよし~、このにほんちゅみじゅみたいでのみゅやすいね~。あっはっは!」
「相変わらず酔うと陽気なやつだのう。普段からもっと笑えばいいものを」
「えぇ~」
「まぁ、よい。今は存分に酔え。少しばかり肩の荷を下ろしてな」
笑い声が響くなか、夜は過ぎていく。当たり前の日常は小さな奇跡の上に成り立っている。それを噛みしめながら生きていくのだ。人間も亜人も。今を生きている全ての者が。過去から続く
——漆黒の帳で舞い踊るように星が流れていく。祝うように、蔑むように。また誰も知らない明日が来る。
クノート「最後まで読んでくれて感謝だ」
ミア「感想や評価も常にお待ちしております。またお会いしましょう」