ミア「心配しすぎですよ。幼子じゃないんですから」
第13話「吸血鬼と二日目の朝」
絹糸のように美しい金髪が布団から少しだけこぼれている。昨夜は少し冷えたのか、クオンは布団に潜り込んで寝ていたようだ。内容の濃い一日を過ごし疲れが溜まっているのだろう。朝日が昇りはじめた今も布団に潜り込んだまま、静かに寝息を立てている。
そんなクオンにゆっくりと忍び寄る影がある。美雪だ。美雪は足音を忍ばせ、クオンが寝ている布団へ近づくと、掛布団に手をかけ、ひと思いに引きはがした。
「クオンちゃーん! おはようっ! 朝だよー!」
「……うぅ」
掛布団をはがされ、強制的に起こされたクオンは小さくうめき声をあげる。まだ眠いようで瞼は開いていない。掛布団を探して伸ばした腕がもどかし気に宙をさまよっていた。
「ほらほら、起きて起きて! 朝だぞ~」
「……み、美雪?」
「うん、おはよう!」
「おあよ……」
美雪の声で意識が覚醒したのか、瞼をこすりながらクオンが体を起こした。朝から元気いっぱいの美雪に恨めし気な視線を向けるクオンはまだぽけっとしている。
「ほら! シャキッとする!」
「美雪が元気すぎるのよ……今、何時?」
「朝5時!」
「早すぎるわよ……」
美雪にたたき起こされたクオンはしぶしぶ布団から這い出てくる。カーテンを開ければ、まだ薄暗く太陽も顔を出していない。
「ふわぁ~、なんでこんな時間に起こされたの?」
「一緒に朝のランニングをしようと思って」
「ランニング?」
「うん。私、陸上部に入ってて毎朝ランニングしてるんだよ!」
「……偉いわね。いってらっしゃい」
「クオンちゃんも行くんだよ!」
美雪の格好に注目してみれば、水色のジャージを着ている。ランニングに行くのは本当らしいが、クオンはまだお布団でぬくぬくしていたかった。そもそも、引きこもり吸血鬼にランニングをする体力など皆無なのである。
「運動したあとのご飯は美味しいし。それに、この朝を迎える空気って、言うのかな? この独特の空気感が私好きでさ、クオンちゃんにも是非味わってほしいなって思って。ついでに街の案内もできるし」
「…………うぅ」
きらきらとした美雪の視線にクオンからは苦悶の声が漏れる。美雪が気を遣ってくれているのはわかるし、好きなものを共有しようとしてくれているのも嬉しい。しかし、ランニングなのである。
「ちなみに……陣くんも一緒だよ!」
「……なんでそれがセールスポイントみたいなテンションで言うの? てか、陣もランニングとかするんだ」
「作家も体力仕事らしいよ? 締め切りで修羅場ってないかぎり、毎朝付き合ってくれてるし筋トレとかもしてるみたい。アイデアが浮かばないときは気分転換に散歩もしているみたいだし、案外アウトドアだよ?」
「普段から運動しているような血の味はしてなかったけど」
「あははっ、修羅場ってるときは別だよ。強制的にご飯を食べさせないと、幽鬼みたいにひたすらパソコンと向き合って原稿書いてるんだから」
「……大変なのね」
「でも、楽しそうだよ。苦しくても好きなこととかやりたいことがある。それって、すごく充実してると思うんだよね」
美雪がからからと笑っている。好きなことを、やりたいことを仕事にする。その大変さや難しさを美雪もわかっているのだ。身近に陣という前例があるから。そんな美雪が少しだけ、クオンには眩しく羨ましい。
「やりたいことね……」
「クオンちゃんにはないの?」
「うーん、アニメや漫画、ゲームとかは好きだけど。あくまでエンドユーザーとして、楽しんでいるだけだし」
「……あっ」
「? なにか思いついたの?」
「うん。配信とかしてみたらどう?」
「配信?」
「だって、クオンちゃんが決まった時間に会社行って仕事してるところとか想像できないし、そもそも引きこもりだし。接客とかもできそうじゃないし」
「美雪って、けっこう容赦ないわよね」
「だって、事実だよ?」
「うぐっ、そっ、それは……そうだけど。もっとオブラートに包むとか」
「私のオブラートは品切れ中なんだよね」
「発注しときなさいよ!」
「う~ん、気が向いたら?」
美雪はけらけらと楽しそうに笑っている。歳の近い人間の友人はいる。けれど、少しでも亜人が混ざっていれば、それを引け目に感じてしまうこともある。多感な時期だからこそ、周りとの些細な違いが気になってしまうものだ。しかし、クオンは純粋な吸血鬼。亜人であるからこそ、美雪は遠慮なく関わっていけるのだ。ある意味甘えていると言ってもいいかもしれない。
「気が向いたらって、やらないことの常套句じゃないの……」
「へへっ、そうかもね?」
「はぁ~」
「おっ、いいねっ。しっかり息を吐いた後は爽やかな空気吸いに行こっ!」
「そこは『ため息吐くと幸せが逃げるよ』じゃないの?」
「えぇ~? そうかなぁ? 息は吐かないと吸えないんだよ?」
「美雪って、本当に雪女なの? ポジティブお化けとかの間違いじゃない?」
「えへへっ、クオンちゃんってば、褒め上手だねっ!」
「褒めてないわよっ!」
「知ってるっ」
美雪はふざけて逃げるように客間から出ていこうとして、クオンへ振り返り笑顔で真っ直ぐに手を伸ばした。まるでダンスへ誘うように。クオンは仕方ないとでも言いたげに立ち上がると、美雪の手を取った。年下の友人からの提案を無下にはできなかったらしい。
「着替えるから、玄関で待ってて」
「わかった!」
美雪はとてとてと足音をたてながら、玄関へ向かっていく。楽しそうに弾んだ音がフローリングを舞台に舞い踊る。こんなに喜んでくれるなら、走るのも悪くないかもね……と、気の迷いを起こしたクオンはそう遠くないうちに自分を恨むことになるのだった。
着替え終えたクオンが部屋の外に出ると、そこには美雪とシンプルな青いジャージを着た陣が待っていた。美雪の話は本当だったようだ。
「クオン、おはよう。よくこんな早くに起きれたな」
「起きたんじゃなくて、起こされたのよ。そこのポジティブお化けに」
「あー」
玄関から現れたクオンを不思議そうに迎えた陣は、その一言で納得がいったようだ。陣も美雪との付き合いはそれなりに長く、彼女に強引なところがあることも知っている。そして、それが美雪なりの親愛表現であることも。
「歳も近いし、気が楽なんだろ。うまいことやってくれ」
「あっ、そういえばクオンちゃんの年齢知らないや。あんまり年上な気はしないけど……」
「18歳だけど、そもそも美雪はいくつなの?」
「16! 今年17歳になる高校2年生!」
「そこまでは聞いてないんだけど……ってか、やっぱり年下じゃないのっ!」
「1年や2年、大差ないって」
「そうだけど、こう……あるでしょ!」
朝5時にも関わらずじゃれつく二人はまるで姉妹のようで微笑ましいのだが、あくまでランニングをするために集まっているのだ。アパートの共用廊下でだべっていても仕方ない。
「美雪ちゃん、そろそろランニングにいかないか? あんまり騒いでも近所迷惑になるし……」
「それもそうだね! クオンちゃんもやる気をだしてくれたみたいだし、レッツゴー!!」
「やる気ないわよ。仕方なく。あくまで仕方なくなんだから」
美雪は階段を駆け下り、その勢いのまま走り出す。陣とクオンも置いていかれないように美雪を追いかけるのだった。
美雪のあとを追いかけながら走るクオンはすぐに気づく。春を迎えたばかりの朝。少し冷えた空気が肺を満たしていく感覚。涼やかで爽やかなそれはまるで青春の1ページのようで、アニメや漫画でしか知らなかったことを今、体験しているのだと。街道に立ち並ぶ家の窓ガラスに顔を出したばかりの太陽が反射して、舞台照明のようにクオンたちが走る道を照らした。クオンにとって、それはまさに非日常な出来事でだんだんとテンションが上がってくる。
しかし、引きこもりの箱入り娘吸血鬼が現役陸上部についていけるはずもなく、10分もたたないうちにぜーぜーと息を切らし、陣に支えられながらなんとか歩いて美雪を見失わないようにするのが精一杯だった。
「みっ、みゆきぃ~、どこまで走るのぉ~」
「クオンちゃん、まだ10分も経ってないよ!」
「陸上部のエースと一緒にするなって。亜人全員が体力に優れているわけでもないし……」
「むぅ。それなら、私のお気に入りスポットを紹介して今日は終わりにするね。街の案内はいつでもできるし、ゆっくり散策しながら覚えるのも趣があるからねっ!」
美雪も適度な距離感を維持できるようにペースを調整してくれていたが、クオンにはそれでもしんどかったようで支えてくれる陣に体重をかけながら、ふらふらとなんとか歩いている。美雪もこれ以上はトラウマになりかねないと思ったのか、今回のランニングは短時間で終わらせるつもりらしい。
「お気に入りのスポット?」
「うん。住宅街から少し離れたところに、小高い丘があって街の景色が良く見えるんだよ。この街は都会と違って背の高いビルとかはほとんどないから」
「へぇ~。それは確かにちょっと気になるかも……」
「でしょでしょ! じゃあ、そこに向かってラストスパートだよっ! 陣くんも道は知ってるし、クオンちゃんたちはゆっくりくればいいからねっ」
美雪はクオンを陣に任せ、風をきりながら走っていく。あっという間に美雪の背中は小さくなっていった。
「……美雪って、あんなに足速いんだ」
「たしか長距離が専門だったはずだし、大会でもいい記録を残していたからな」
「……よく付き合ってられるわね」
「修羅場も体力がないと乗り切れないからな……それに、いい気分転換になるんだよ。普段知らない街の顔も見えたりしてな」
ぽつんと道端に置いていかれた二人はゆっくりとしゃべりながら歩いていく。陣が前を行くが、歩くペースはクオンに合わせていた。朝焼けに照らされる陣の横顔が自然とクオンの瞳に映る。目を覚ましたばかりの街の片隅で、2つの影がゆっくりと寄り添うように伸びていた。
「……ねぇ、陣?」
「どうした?」
「この坂、上るの?」
美雪が先に行ったあと、陣に案内されながら歩いていたクオンは目的の場所へたどり着くための最後の難関を迎えていた。小高い丘の麓、急こう配というほどではないが傾斜のある長い坂道である。クオンは引き攣った顔で陣の方を見上げた。
「この坂を上りきったらゴールだから、もうひと踏ん張りだな」
「うへぇ」
「美雪ちゃんはよくこの坂道でダッシュしてるぞ。ほら」
陣がクオンに坂の上を見るように促すと、美雪が駆け下りてくるのが見えた。どうやら二人を待つ間、この坂を使ってトレーニングをしていたらしい。
「おっ、意外と早かったねっ!」
「……美雪、あんた凄いわね」
「そう? やってれば慣れてくるよ? 近場にいい坂があって助かるよねっ!」
にこにこと元気よく返事をする美雪に対し、クオンは化け物でも見るような視線を向けている。引きこもりオタク吸血鬼からすれば、未知の感覚なのだろう。
「最後は私も支えるから三人で一緒に上ろうよ」
「はぁ……ペースは合わせてよね」
美雪が少し強引にクオンの手を取る。どうやら手を繋いで引っ張っていくつもりらしい。陣は二人がこけたりしてもすぐ支えられるように後ろで控えるようだ。
爽やかな風に背中を押され、三人は一歩ずつ長い坂道を上っていく。その道すがらクオンは彩夢の言葉を思い返していた。新しい街、新しい出会い、新しい絆。クオンにとっては全てが新鮮な体験である。
美雪に手を引かれ、陣に背中を押してもらい、クオンはなんとか坂道を上りきり目的地であった丘に到着した。そこからは街の風景が良く見える。朝日に照らされた建物たち、芽吹き始めた緑の香り、疲れた体を通り抜ける春風、地面を踏みしめる足音。クオンは疲労を感じながらも五感で世界を味わっていた。
「クオンちゃん、どう? これがこれから一緒に住む街だよ」
美雪がきらきらと眩しい笑顔を浮かべながらクオンへ問いかける。
「…………まぁ、悪くはないんじゃない?」
そう答えたクオンの口元は柔らかく三日月を描いていた。
ミア「最後までお読みいただき、ありがとうございます」
クノート「また会えるのを楽しみにしている」