ミア「クノート様も購入なさいますか?」
「つ、ついた……」
クオンは陣に支えられてなんとかアパートへ帰りついた。まるで大冒険を超えてきたような雰囲気をだしているが、朝のランニングをしてきただけである。それも走っていた時間は10分にも満たないのだ。
「いやぁ、クオンちゃんもいい汗かいたねぇ!」
「……余裕そうね。美雪は」
「うん。だっていつもの半分も走ってないもん」
「……坂道ダッシュしてたじゃない」
「あれも含めて半分以下だよ?」
あっけからんと答える美雪にクオンの顔は引き攣る。少なくとも今のクオンには想像できない領域に美雪はいた。
「二人とも多少は汗もかいているんだし、シャワー浴びるかタオルとかでしっかり拭いとけよ。体冷やすぞ」
「はーい!」
「……私は二度寝したいわ」
「別に二度寝してもいいけど、今日はスマホ買いに行くんだからな。そこは忘れるなよ。平日だし別に午後でもいいけど」
「そうだった……陣と二人で行くの?」
「いや、なんか詩から『休みだからついてくね』って連絡来たし、詩も一緒。あと詩のストッパーとして、美冬さんもだな」
「いいなぁ~。私も学校じゃなかったら一緒に行ったのに。ってか陣くん、ハーレムじゃん! やったね!」
「…………はぁ」
陣は大きくため息を吐いた。傍から見れば美人に囲まれて羨ましいかもしれないが、陣本人としては気疲れしてしまう。郡親子と一緒に買い物へ行くことも多いため、美人と出かけることには多少は慣れているのだが……。
「ふ~ん?」
クオンは陣へ訝し気な視線を向けており、それに気づいた美雪はニヤニヤと笑っていた。
「クオン、どうした?」
「……別に」
「そっ……とりあえず、スマホ買いに行くのはクオンが行けるタイミングでいいから。美冬さんに声をかけてくれれば、オレのとこにも連絡来るし」
「……すぐ行く」
「いや、今すぐは店やってないが?」
さきほどまで疲れて寝たいと言っていたクオンだが、心変わりがあったようだ。ぶすっとした顔にありありと不満ですと書いてある。どうやら自分だけが陣に連絡できない状況が気に食わないらしい。仲間外れのように感じているのか、それとも……。
「クオンちゃん。シャワー浴びて朝ごはん食べて、少しゆっくりしてから行けばいいんだよ。それならちょうど開店するくらいの時間になるし。そのあと、陣くんといっしょに街の中を軽く散歩するか、ドライブにでも連れていってもらったら? 街のことはまだあんまり知らないでしょ?」
「……考えとく」
「予定は空いてるから必要であれば別に付き合うけど。まぁ、決まったら連絡くれ。そんじゃ、オレは先に部屋へ帰るわ。二人ともケアはしっかりな。特にクオンは慣れないことしたんだし、美雪ちゃんにストレッチとかも教えてもらえよ」
陣はそそくさと101号室へ帰っていく。アパートの前に残されたクオンと美雪も陣の背中を見送ったあと、階段を上り201号室へ帰っていくのだった。
「あぁ~、さっぱりしたぁ~」
部屋に戻ったクオンはシャワーを浴びたあと、リビングでゆっくりと涼んでいた。一緒にランニングをした美雪は一足先にシャワーを浴びて、学校へ向かったようだ。
「クオンちゃん、おはよう。朝からお疲れ様。美雪といっしょに走るのは大変だったでしょ?」
「美冬さん、おはようございます~」
キッチンから美冬が朝食を運んできた。薄っすらと焼き目のついたトーストから小麦のいいにおいが漂ってくる。カリカリに焼かれたベーコン、コーンスープ、シーザーサラダ、朝から運動してお腹の空いていたクオンは目を輝かせた。
「ジャムも何種類かあるから、好きなのをトーストに塗ってね。ご飯を食べて少しゆっくりしたら陣くんに連絡しましょ?」
「はいっ」
『いただきます』
クオンはトーストにイチゴジャムを塗ると勢いよく噛り付く。はむはむとハムスターのように頬が膨らむほど詰め込みながら食べている。よっぽどお腹が空いていたらしい。
「クオンちゃん、そんなに急がなくてもご飯は逃げないわよ?」
美冬の言葉にクオンはこくこくと頷くも手は止めない。そんなクオンに朗らかに笑いかけながら、美冬もトーストを口に運ぶのだった。
美冬が陣へ集合時間を伝え、クオンもその時間に間に合うよう身支度を整える。クオンは先日と変わらず、大きめのパーカーにショートパンツというラフな装いで、美冬は白のオフショルダーワンピースに春らしいピンク色の薄手のカーディガンを羽織っていた。
「クオンちゃんってば、またパーカーなの?」
「動きやすいから。いつもこれなんだけど」
「……服もあとで買いに行きましょうね。しばらくはこっちで生活するわけだし、せっかく可愛いんだからお洒落しないと」
「……はーい」
あまり飾り気のないクオンに少し呆れ顔でため息を吐く美冬。母としても、一人の女性としてもクオンの無頓着さは気になるらしい。見た目に頓着しないという点では、クオンも陣と同類なのである。
そんな風にしゃべりながら、二人は201号室を出てアパートの階段を下りる。アパートの前では、陣がすでに車を回して待機していた。その傍らには詩の姿も見える。
「魔女っ子じゃない!?」
「驚くところはそこなのかい? おはよう、クーちゃん。今日も元気そうだね」
詩の姿を捉えたクオンが驚くのも無理はない。今日の詩は、胸元にハートマーク型の穴が空いた白いフリル付きのブラウスにリボン付きで薄紫のカーディガン、黒のフレアミニスカートで足元は小さいリボンがあしらわれた白のニーハイソックスにローヒールパンプスを履いている。昨日の魔女らしい恰好や、住人会議で着ていた和装の印象が強いクオンには衝撃的だった。
「来たな。美冬さんもお疲れ様です」
「陣くんも車だしてくれて、ありがとうね」
「まぁ、このメンバーで車運転できるのオレだけなんで」
陣は七分丈のグレーのジャケットに黒のダメージジーンズという恰好で、おそらく一緒に行く女性陣と並んでも問題ないように身支度を整えてきたことが窺える。元々、見た目は悪くないのだ。それなりの格好をすれば、ちゃんと映える程度には。
「だべってても仕方ないし、乗ってもらっていいですか?」
「じんじん。悪いんだけど、ちょっと待っててくれるかな。これから大事な勝負があるんだ。クーちゃんもこっちにおいで」
陣は女性陣へ車に乗るよう促すが、詩がクオンに声をかけ陣から少し離れた場所へ誘導する。当然のように美冬もついていき三人は輪になった。
「……えっと、詩さん? なにをするつもりなの?」
「なにって、決まってるじゃないか。『じんじんの隣を奪え! 助手席争奪じゃんけん!』だよ!」
「女には譲れないものがあるの。クオンちゃんもわかるでしょ?」
「……ふぇっ?」
詩と美冬は非常に真剣であり、決してふざけているわけではない。その証拠に二人の表情は鬼気迫っていた。しかし、クオンはまだそのステージには辿り着いていないのである。
「クーちゃんだって、助手席には乗りたいだろ!?」
「助手席と後部座席では雲泥の差なのよ?」
ヒートアップする詩と美冬は力強く拳を握り、天高く振り上げた。
『じゃん、けん——』
「——言い忘れてたけど、助手席に座るのはクオンな。詩と美冬さんは後部座席でお願いします」
しかし、その拳は行き場を失い彷徨うことになる。陣の一言によって。
『…………』
美冬は陣へと恨めしそうに振り返り、詩は陣の元へと詰め寄る。
「じんじん!? なぜだい!?」
「なぜって……クオンに街のことを知ってもらうためにも助手席のほうが都合いいでしょ」
「……ぐぅ」
詩は勢いよく詰め寄ったものの、陣の言葉に返す言葉はなかった。そもそも詩の監視役として、美冬が呼ばれている時点で二人には申し訳ないがこの席順は決まっていたようなものである。
「…………今回は大人しく譲ることにするよ」
「…………そうね。あくまで今日の主役はクオンちゃんだもの」
いつの間にか陣のそばへと移動してきた美冬も静かにジト目で陣を見ていた。非常に不満そうではあるが、美冬が言ったようにあくまでクオンのために出かけるのである。その分別がつく程度には詩も美冬も大人なのであった。
そんな二人の姿を見て、きまずいのは主役であるクオンだ。クオンにはなんの落ち度もないのだが、なんとなく居心地が悪く、その矛先は原因である陣に向かう。
「——つぅ!?」
陣が当然のように助手席のドアを開いて待っていたところ、クオンは助手席に座ろうとして、わざと陣の足を踏んだのだ。可愛い反撃ではあるが、痛みは可愛くなかったらしい。陣の口から声にならない音が漏れた。
そんな陣を見て、詩と美冬も少しばかり溜飲が下がったらしく、静かに後部座席へ座る。
「陣、行くんじゃないの?」
「お前なぁ……」
助手席に座ったクオンは陣を煽る。足を踏まれた理由もわからないまま、陣は仕方なく運転席に座りギアをドライブに入れた。急ぐ必要もないが時間を無駄にする意味もない。首筋にちくちくとした視線を感じながら陣は車を発進させた。
「少しアパートの周辺を走ってから、ケータイショップに向かうからな。アパートの周辺にどんな店があるかくらいは把握しておいたほうが生活するのも楽だし」
「……ちゃんと考えてくれてるんだ」
「じんじんは拾ってきた動物の面倒はみるタイプだよ? 釣った魚に餌はやらないけどね」
「詩さん、ペット扱いしないでほしいんだけど……」
「例えだよ。例え」
車が発進した直後とは違い、車中には穏やかな空気が流れている。詩からは若干失礼な発言も聞こえるが、クオンの現状を顧みるにペットと大差ないのは事実である。それをクオン自身も理解しているのか、あまり強くは言い返さなかった。
「詩ちゃん。クオンちゃんはまだ子どもなんだからね? 陣くんに関してはその通りだけど」
「……美冬さんもあんまり子ども扱いしないでください」
「魚だって飼えば面倒みますよ。さすがに」
美冬がやんわりと詩へたしなめるように語りかける。クオンとしては子ども扱いも勘弁してほしいのだが、面倒をみてもらっている以上強気にはでられない。いくら引きこもり吸血鬼でもそこまで厚顔無恥ではないのだ。なお、陣の発言には女性陣全員が『そうじゃない』と思ったことだろう。
和やかな雰囲気の中、車は軽快なエンジン音を奏でながら道を進む。近場のコンビニ。美冬たちがよく使うスーパー。陣が気分転換で使うカフェ。美雪がよく友達とだべっているファミレス。詩がよく行く古本屋。
陣をはじめ、美冬や詩も自身と関りが深いお店があると一言添えてくれる。街の風景に住人たちの影が重なって生活が見えてくる。どこにでもある日常。しかし、クオンにとってはとても新鮮で興味深い話だった。
小一時間、車を走らせたところで目的地へと一行は到着し、クオンはわくわくしながら助手席から降りる。そのわくわくが、世界の広がることに対するときめきからなのか。それとも他にも理由があるのか。それはクオン本人もわからぬことであった。
ミア「最後までお読みいただきありがとうございます」
クノート「また会えることを楽しみにしている」