ミア「クノート様、涙をお拭きください」
クノート「クオンがあんなに楽しそうに友人と過ごしているなど……」
ミア「今日のお仕事は調整しておきますね」
陣と別れたクオンたちは入口近くのエスカレーターに乗り、二階へと移動する。二階は主に衣料品を扱うフロアであり、女性向けだけでなく男性向けのファッションブランドも立ち並んでいた。服だけでなく靴や鞄などを扱う店舗もあり、このフロアだけでトータルコーディネートも可能である。
「うわぁ……お店がいっぱいある!」
「私も初めて来たときはお店の数にびっくりしたんだよね。なんか懐かしいなぁ」
きょろきょろと周囲を見渡しながらうろうろするクオンを見て、美雪は自分も最初はあんな感じだったなぁと目を細め懐かしんでいた。どこか妹を見守る姉のようである。年齢で考えれば逆なのだが、社会経験で考えれば間違いではないのだ。
「クオンちゃん、あんまりふらふらしないの。迷子になるわよ?」
「美冬さん。さすがにそこまで常識知らずじゃないです」
「でも今のクオンちゃん、おもちゃ屋さんに来た子どもみたいだったよ?」
「言いすぎでしょ!」
美冬と美雪の言葉にクオンは頬を膨らませる。あまりにも子ども扱いすぎる。美冬にされるならまだしも、年下の美雪にそのような扱いをされるのは納得できないようでむっとしていた。クオンは知らないのだ。休日のショッピングモールの人の多さとその人混みの恐ろしさを。
「いろいろ買い揃えないといけないんだから。あんまり遊んでる時間はないわよ?」
「えっ? 出かけるための服だけじゃないんですか?」
「なに言ってるの。これからアパートで暮らしていくのよ? お出かけ用の服以外にも下着とか、ルームウェアとかも買わないと。クオンちゃんの荷物には必要最低限しか入ってなかったじゃない。旅行ならまだしも生活していくには足らないものが多すぎるわ」
「そっか。私もこの町で暮らしていくんだ」
口に出したことで、より深くクオンの中に浸透していく。この町で生きていくことが。どれくらい暮らすかはわからない。いずれ実家に戻ることもあるかもしれない。もしかしたら数えきれないほどの朝をこの町で迎えるかもしれない。未来は不定形で不確かだ。ただ一つだけ確かなことがある。この一瞬がかけがえのない時間であることだ。
「クオンちゃん?」
凪いだ海のように静かになったクオンを美雪が心配そうに見つめる。
「大丈夫。ただ噛みしめてただけだから」
「なにそれ! 大げさすぎない?」
「そうかしら? ありきたりな日常が必ずしも当たり前ではない。私たちもよく知ってることじゃない?」
「それはまぁ……そうだよね。陣くんがいなかったら、私やお母さんもこんな風に過ごすことができなかったかもしれないし」
クオンの言葉に美冬と美雪は頷く。人と同じように生きることが亜人にとって、どれほど難しいことか。それを知らない郡親子ではないのだ。彼女たちにも陣に救われた過去があるのだから。
「せっかくお買い物に来たんだから、この話はここまでにしましょ」
美冬がパチンと手を叩いて仕切りなおす。今日の目的はあくまでクオンの新生活の準備なのだ。わざわざ昔話に花を咲かせることもない。
「そうだね! どこから行く? お出かけ用の服もだけど、ルームウェアとか日常使いの服とか下着とかだって必要でしょ?」
「そうね。まずはクオンちゃんの好みを聞いてからにしない?」
「確かにそれも大事だよね! クオンちゃんは実家ではどんな服着てたの? まさかいつもパーカーにショートパンツだったわけじゃないでしょ?」
二階のフロア図を眺めながら、美冬と美雪はクオンに問いかける。せっかく服を選ぶのだ。クオンの好みに合わせて使いやすいものを選んであげたい。そういう心づもりなのだろう。
しかし、この問いかけにクオンは困ってしまう。実家にいたときは主にパーカーにショートパンツだけで過ごしていることが圧倒的に多かったのだ。外に出ることもないし、着飾った自分を見せたい異性も近くにいない。過ごしやすさだけを追求した結果である。
「えっと……そのぉ、ほぼ毎日パーカーでした」
「嘘でしょ!? お母さんとかから何も言われなかったの?」
「ママは仕事で家を空けていることが多かったし、催しがあるときはドレスだったから」
「ドレスって聞くと完全にお嬢様なのに。普段着はパーカーだけってこと?」
「…………うん」
「なんで!? せっかくこんなに可愛いのに! 宝の持ち腐れだよ!」
クオンの答えを聞いた美雪は彼女の肩を掴み、ぐらぐらと揺らした。全身で納得いかないと主張している。
「みっ、美雪、ゆすらないで。なんか世界がぐるぐるしてるから」
「あっ、ごめんごめん。つい」
クオンからの抗議を受け、美雪はパッと手を離す。揺さぶられたクオンは少しだけ目を回していた。
「クオンちゃん、パーカーしか着てなかったとしても好みはあるんじゃないかしら? ほら、アニメや漫画で『この服可愛いなぁ』『着てみたいなぁ』とか思ったことはなかったの?」
「う~ん? あんまりなかったかも。服を買いに行ったこともないし」
「えぇ!? じゃあ、普段着ている服は誰が買ってきてるの!?」
「…………誰だろう? ミアはいつも家のことをしていたから買いに行けないだろうし」
クオンは首を傾げた。改めて考えてみれば不思議な話である。ミアはいつも家にいたし、他に女性の服を買いに行けるような眷属はクオンからすれば思いつかない。父であるクノートもいつも忙しそうにしていたし、母であるカティーレにいたってはそもそも家に帰ってくることが珍しいくらいだ。
「これは想像しているよりも問題児だったかも……」
美雪は信じられないという表情でクオンを見つめる。いくら箱入り娘とはいえ、自分が着ている服を誰が買ってきていたかまでわからないとは思っていなかったのだ。
「そうね。これは思ってたよりも荒療治が必要かもしれないわ」
「……なんか美冬さん、ワクワクしてないですか?」
「ふふっ、腕が鳴るわー!」
「あーあ、お母さんスイッチ入ちゃった」
「ちょっと、美雪! 美冬さんが見たことないくらい笑顔なんだけど! 大丈夫なの!?」
「……ご愁傷様です」
「ダメなやつじゃないの!」
見たことないくらい綺麗な笑顔を浮かべた美冬を見て、美雪は額に手を当てた。彼女もおそらく経験したことがあるのだろう。少し苦い顔をしている。そんな美雪を見て、クオンは何とも言えない不安に包まれるのであった。
「まずは……ホテルに行く服よね! やっぱり綺麗めなコーディネートがいいかしら? でも、大人っぽいシックなコーディネートも映えそうよね。ほら、二人とも早く行きましょう!」
普段の姿からは想像もつかない押しの強さで、美雪とクオンをお店の方へ引っ張っていく。賽は投げられたのだ。
最初のお店に入ると、美冬はすぐに服を持ってきた。白のリボン付きブラウスとオレンジのフレアスカートだ。
「最初はこれから着てもらえる? 試着室ならすぐそこにあるから!」
「わっ、わかりました」
美冬の勢いにクオンも戸惑いを隠せない。一週間程度の付き合いではあるが、こんな美冬は見たことがなかった。クオンは美冬から渡された衣服を持っていそいそと試着室に入っていく。
着替え終えたクオンが試着室のカーテンを開けると、美冬と美雪は目を輝かせた。
「うわぁ~、本当にお嬢様みたい! よく似合ってるよ!」
「うんうん。可愛らしいわ」
「でも、春というか秋っぽいね」
「そうね。似合ってるから買うけど、次のいきましょうか」
「えっ、えぇ? そんなにお金ないですよ!?」
「大丈夫よ。今日は全部私が出すから」
「クオンちゃん、お金の心配は大丈夫だよ。お母さん、こう見えて高給取りなんだから」
「……えぇ」
困惑するクオンをよそに、美冬が新しい服を渡していく。美冬と美雪の後ろには大量の服を持った店員がスタンバイしていた。先は長そうだ。
「次はこれね!」
美冬がクオンに渡したのは、白のワンピースに桜色のカーディガン、ベージュのコルセットだ。先ほどの装いとは違い、今度は春らしい色合いのコーディネートである。
「ほら、着替えてみて」
「……はい」
美冬に押し切られるようにクオンは試着室に戻っていく。
「お母さん、スイーツビュッフェに行くのにコルセットは向いてないんじゃない?」
「……確かに。でも、可愛いからつい」
「それはそうだけど」
「……どうですか?」
美冬と美雪が話しているうちに試着室のカーテンが開いた。
「これもよく似合うわね」
「うぅ~、可愛いなぁ。クオンちゃん、やっぱりスタイルいいよね」
「……そうなのかな?」
「そうだよ!」
「美雪だって、健康的でスラっとしてるじゃない。着物とかよく似合いそうよ?」
「でた! スレンダーな女性に対する常套句! いいもんいいもん、私だっていずれはお母さんみたいなナイスバディになるし!」
美雪が拗ねたように頬を膨らませる。彼女も年頃の女の子。スタイルのよい女性が身の回りに多く、気になってしまうのも仕方ないのだ。
「ほら次いくよ!」
「わわっ」
今度は美雪から少し乱暴に服を渡される。黒のトップスにベージュでチェック柄のミニスカート。美冬のセレクトに比べるとカジュアルな装いである。現役JKらしいチョイスと言えるかもしれない。
「まだまだあるんだから! 急いで急いで!」
「そんなに急かさないでよ。もう!」
美雪に押し込まれるように再び試着室に入るクオン。服をスタンバイしている店員も気づけば一人ではなくなっていた。一体いくつの服を買うつもりなのだろうか。
「ほら着替えたわよ!」
着替えにもなれてきたのか、かなり早いスパンで試着室のカーテンが開いた。
「むむっ、クオンちゃん。なんでも似合うね」
「そうね。ただ、ホテルに行くには少しカジュアルすぎないかしら?」
「そう言われるとそうかも」
「ちょっとしたお出かけには使えるだろうし、これも買っておきましょうね」
「……美冬さん、もう3着目ですよ?」
「大丈夫大丈夫。安心してまかせてちょうだい」
「……はぁ」
その後も目が回るようなスピードで次から次へと様々な服を試着していく。どれくらい時間が経っただろうか、気づけば店員が持っている服も最後の1着になっていた。
「クオンちゃん、お疲れさま! これがラストだよ!」
「……こ、これって」
最後の服を渡されたクオンは思わず美雪の顔をまじまじと見つめた。美雪はにっこりと笑うばかりである。
「この服はタグを切ってもらって、このまま着ていきましょうか」
「はい!」
クオンは嬉しそうに試着室へと服を持って戻っていく。
「クオンちゃんも嬉しそうでよかったわね。美雪?」
「うん!」
和やかにクオンの着替えを持つ二人の後ろには紙袋を抱えた店員の姿がある。相当買い込んだようだ。
「どう!?」
「よく似合ってるよ!」
「いいわねぇ。青春って感じだわ」
今まで以上に勢いよくカーテンが開いた。早く見せたくて仕方なかったのだろうか。クオンのはしゃぐ気持ちもわからなくはない。だが、まだ買い物ははじまったばかりである。
「さて、このお店はこのぐらいにして。次は下着を見にいきましょうか」
「おー!」
「…………おー!」
ノリノリの美冬と美雪に引っ張られ、クオンもやけくそ気味に叫ぶ。クオンの戦いはこれからなのだ。
ミア「最後までお読みいただきありがとうございます。感想や評価もお待ちしております。またお会いいたしましょう」