ミア「泣くのはやめていただけます?」
部屋の中に取り残されたクオンは明らかに彩夢を警戒しており、すぐにでも行動に移せるよう椅子から少しだけ腰を浮かせている。
「ややや、そんな警戒しないでくださいよ~。その姿勢辛くないです?」
そんなクオンとは対照的に彩夢は椅子の背もたれに体を預けてリラックスしていた。トッキョの職員としては褒められた態度ではないが、クオン程度であれば簡単になんとかできるという自信の表れだろうか。
警戒は解かないもののクオンは椅子に再び腰を掛けた。運動不足の引きこもりオタク吸血鬼には、先ほどの姿勢は辛かったらしい。
「なんで陣を追い出したの」
「これからする話は陣さんには聞かれたくないんですよね。陣さんのためにも」
「陣のため?」
「えぇ。先ほど、クオンさんも気になっていたでしょう? 陣さんが『トッキョの要監視対象』であること」
「それは……そうだけど……」
途端に歯切れが悪くなるクオン。確かに気になってはいる。しかし、陣の先ほどの様子からあまり語りたくないようだった。それを自分が本人以外の口から聞いてもいいものだろうかと興味よりも罪悪感に近い感情が彼女の胸中に渦巻いているようだ。
「これからクオンさんにお伝えするのは陣さん自身も知らないことです」
「陣も知らないこと?」
「はい。もちろん他にもお話することはあるんですけど、まずはあのアパートで生活するにあたって覚えておいてほしい陣さんの体質について説明させていただきますね」
「……陣の体質?」
彩夢の言葉にピンと来ないのかクオンの頭の中には?マークが大量発生していた。
「クオンさん、1つお伺いしたいのですが陣さんはとても美味しそうじゃなかったですか?」
「!?」
「……やはりですか。それが陣さんの体質なんですよ」
「……どういうこと?」
彩夢の一言に衝撃を受けるクオン。確かに陣と出会ったとき、陣からはとても美味しそうな匂いがした。実際に血を吸うと生活習慣が乱れておりゲロまずかったが……。
しかし、クオンの脳内ではまだ彩夢の言葉同士が繋がらない。
「簡単に述べますと陣さんは亜人……いやあえて怪異と呼称しますが、怪異に好かれやすく引き寄せてしまうんです。まるで『寄せ餌』のように」
「……」
クオンは言葉が出なかった。陣の体質から嫌な想像をしてしまったからだ。あのときの陣が笑った意味……そして、美冬の視線の意味が頭の中でパズルのピースのように繋がり、1つの答えにたどり着く。
――陣の家族は怪異に殺されてしまったのではないかと。
怪異の中には亜人に分類される知性を持つ人型に近いものもいれば、根源的な恐怖から生まれた知性を持たない怪物もいる。どちらも関係なく引き寄せてしまうのだとしたら……。
「陣さんがトッキョの監視対象になっている理由は複数ありますが、その中でも大きな要因を担う理由は今、お伝えしたとおりです。そして、この体質によってクオンさん……あなたの身も危険に曝される可能性がある」
「……どういうことですか?」
「『アカキア』の意味をあなたは理解していますか」
「『アカキア』の意味? 真祖を束ねる一族だけど……」
「そうです。いくつもの闘争の果てに吸血鬼の上位種である真祖を束ねた家、それが『アカキア家』です。そして、それは怪異側にも人間側にもとても魅力的に映るのですよ」
「……?」
「真祖の一族だけが持つ力は把握してますか?」
「『眷属化』ですよね?」
「はい。真祖の血を与えることで他種族を眷属にすることができる。それが真祖だけの力。そして……眷属になったものは特殊な能力を覚醒させることもあります」
「……確かにミアもパパの眷属になって、影を操る能力を得たって言ってた!」
「それだけではなく、眷属になったものには『血の縛り』が適用されます」
「『血の縛り』? 」
「そちらは知りませんか……。『血の縛り』とは眷属になったものに対して発動することができる強制命令権のことを指します。つまり、真祖を利用すれば命令を忠実に守る軍隊が作れるんですよ」
彩夢の言葉がクオンには信じられなかった。少なくとも真祖である父はミアに対してそんな素振りを見せていなかったし、他の父の眷属たちとも確かな絆を感じていたからだ。何かを強制されているとは思えない。
「これはあくまで可能だという話ですよ。少なくともクオンさんの父親であるクノート様は穏健派を絵にかいたような人ですし、血の縛りを活用していたのであれば『黄金の名君』と呼ばれることもなかったでしょう」
「『黄金の名君』? パパってそんな風に呼ばれてるんだ……」
「ややや、それも知りませんでしたか。クノート様は徹底して、その手のことからクオンさんを遠ざけていたようですね」
「そうだったんだ……」
クオンはあらためて自分がどれだけ家族に守られていたのかを実感したらしい。クオンはまだ18歳である。永い時を生きる吸血鬼としてみれば、あまりにも幼いのだ。
「さて、クオンさん。ここまでお話をしてきましたが、クオンさんはどうなされますか?」
「どうって?」
「陣さんのアパートはクオンさんにとっても都合がいい。ですが、『相谷陣』というリスクがある。もし、アカキア家に戻りたいのであれば、こちらで手配することも可能ですし、別の場所で生活するというのであればできる限り力を貸しましょう」
「…………」
「クオンさん、選んでください。リスクがあるとわかった上で陣さんのそばに身を寄せるのか、陣さんと決別するのか」
重すぎる彩夢の問いにクオンの息が詰まる。しかし、それと同時に蘇ってくるのはこの数時間の記憶だ。陣に助けられここまで導かれたこと、美冬と陣と共に囲んだ食卓、そして……陣のあの笑顔。走馬灯のように駆け巡る数少ないが鮮烈に彩られた思い出たちがクオンの背中を押す。
「正直わかんないです。まだ出会って数時間だし、彩夢さんの語る陣の話は重いし、いきなり選択肢を突き付けてくるし、頭はもうぐちゃぐちゃ……だけど」
クオンは椅子から立ち上がり真っ直ぐに彩夢を見つめる。その視線は確かに力強い光を纏っていた。
「陣には恩がある。今も助けられている。私に何ができるかなんてわからないし、何をすればいいのかもわかんない。でも、もしここで、自分のためだけに陣から離れることを選んだら――きっと明日の私は心の底から笑えない!」
「『明日の私は心の底から笑えない』……ですか。ややや、やっぱりクオンさんはとてもいい」
「……ふぇっ?」
クオンの言葉を真正面から受け止めた彩夢はにやにやと笑う。さっきまでの重い空気は霧散していた。その姿を見たクオンからは間抜けな声が漏れる。つい先ほどの真祖らしい凛々しい姿はどこへ行ったのだろうか。
「今までリスクのお話をしてきましたが、ぶっちゃけあんまり気にしなくていいんですよね~」
「えぇ!?」
彩夢の言葉に驚愕するクオン。今までの張り詰めた空気はどこへやら、室内には少しまったりとした空気が流れはじめる。
「陣さんのアパートに住んでいる亜人は陣さんに助けられた人ばかりでみなさん協力的なんですよ。ですから、陣さん自身もクオンさんと同じように周りに守られているんです。クオンさんが増えたところで正直あまり変わらないんですよね~。それに――私もいるので」
彩夢は椅子から立ち上がり、背中の翼を広げた。烏のような漆黒の翼がクオンの視界に飛び込んでくる。風祭彩夢は烏天狗なのだ。
クオンが彩夢の正体に驚いたその瞬間、クオンの前髪が2㎝ほどひらりと散った。――切られたのだ。彩夢の術によって生じた風の刃で。それはクオンが全く反応できない速度であり、クオンの肌には触れないほどの精密なコントロールだった。クオンは慌ててその場から飛びのく。背筋が凍る。もし、彩夢にその気があればクオンは今の一瞬で死んでいた。
「ややや、ちょっとしたデモンストレーションですよ~」
柔らかく微笑む彩夢にクオンの表情は引き攣る。圧倒的な力の差をクオンは感じていた。
「少し脅かし過ぎちゃいましたかね? もう少しお話がありますので、できれば座っていただきたいんですけど」
彩夢は背中の羽をしまって再び椅子に座るとクオンにも椅子に座るよう促す。しかし、クオンが椅子に座る気配はない。
「……それでは立ったままで構いませんので、お話だけ聞いていただけますかね?」
「……」
彩夢の問いにクオンは無言で小さく頷いた。
「あんまり気にしなくていいとは言いましたが、『アカキア』をそのまま名乗ることは多少なりともリスクがある。そのため、亜人登録時に名前を変えていただきたいのですよ」
「名前を変える?」
「えぇ。変えるといっても苗字、ファミリーネームを一時的にですが」
クオンにとって、『アカキア』という名は誇りであり絆だ。そう簡単に変えることはしたくないと口に出そうとして、彼女はハッとした。まだ幼い頃、父に言われた言葉を思い出したのだ。
『クオン、お前がアカキアの名を誇りだと言ってくれるのは嬉しい。しかし、少し勘違いをしている』
『かんちがい?』
『あぁ、名に誇りが宿るのではない。己が生き様に誇りは宿るのだ』
『よくわかんない……』
『くははっ、いずれわかる日が来るさ。自分に胸を張って生きろ』
クオンの瞳に炎が灯る。今までずっと守られてきた。そのことを自覚したからこそ、その瞬間は訪れる。
「……わかった。一時的にアカキアの名は預ける。でも、私がちゃんと一人で襲い来るもの全てに立ち向かえるようになったら――」
「わかっていますとも。そのときには返させていただきます」
クオンから視線を受けて、彩夢も真っ直ぐに返す。その彩夢の表情に先ほどまでの軽さは一切ない。
「
「赤木ですか。響きがだいぶアカキアに近いですが、まぁいいでしょう。これからよろしくお願いしますね、赤木クオンさん」
家族の覚悟と願いに背中を押され、世界を知らない少女は自らの手で殻を破り産声を上げた。自らの足で立ち、己が生き様を証明するために。
「クオンさん、1つ年上からのアドバイスです」
「アドバイス?」
「えぇ、先ほどクオンさんは『一人で襲い来るもの全てに立ち向かえるようになったら』と言いました。しかし、一人でなくていいのですよ。私たちの両手はとても小さい。一人でできることなんて、たかが知れているのです。ゆえに私たちは出会い、絆を紡ぎ、ときにぶつかり、共存している。クオンさん、あなたの世界はあなただけでは形になりません。互いに手を取り合い、他者と触れ合うことで、はじめて形になるのです」
「小難しいこと言わないでよ! ただでさえ、今は頭の中ぐちゃぐちゃなんだから」
「ややや、つまり周りを頼れってことですよ。それもまた信頼の証ですから」
彩夢はクオンへと優しく微笑みかける。彼女もまた多くの傷を背負いそれを乗り越えてきたのだろう。そんな奥深さをなんとなく感じ取るクオンであった。
「さて、それでは本日最後の実務に移りますか」
「実務?」
「ややや、クオンさん。まさかお忘れではないと思いますが、本日あなたは行政的なサポートを受けるために亜人の登録申請に来たんですよね?」
「…………あっ」
クオンはぽかんと口を開けたまま固まる。トッキョへ来た理由を完全に忘れていたようだ。それもそのはず、いきなりとんでもない情報量で殴られたのである。目的が頭から抜けてしまっても仕方ない。……仕方ないということにしておこう。主にクオンの名誉のために。
固まったクオンの様子を見た彩夢はやれやれと肩を竦め、10枚程度の書類を取り出す。クオンの表情で明らかに面倒くさがっていることがわかるが彩夢とて仕事があるのだ。書類を書いて貰わないと手続きは進まない。
「書類を書くのは面倒くさいかもしれませんが、これが終わらないと帰れませんよ~?」
彩夢の宣告を受けたクオンの判断は早かった。立ったままでいたことも功を奏したかもしれないが、すぐに部屋の扉を開けると人目も憚らずに陣を大声で呼んだのだ。
「陣! 助けて~!!」
トッキョの施設内にいた人たちの視線がクオンと呼ばれた陣へ突き刺さった。トッキョと関りが深いため、トッキョ職員のみならずトッキョへ来る亜人たちも陣の顔を知っているものが多い。
若干、居たたまれない空気の中、陣はクオンへと駆け寄り軽くデコピンをした。
「はぎゅっ!?」
「公共の施設で大声を出すな。……で?」
「とにかく手伝って!」
デコピンを受けて少しばかり赤くなったおでこをさすりながら、クオンは空いている右手で陣の手を掴み室内へと連れていく。
「ややや、この様子なら大丈夫そうですね」
「何がですか?」
「いえいえ陣さん、こっちの話ですよ」
室内に戻ってきた二人の様子を見て、彩夢は朗らかに笑った。
ミア「最後までお読みいただきありがとうございます」
クノート「また会えることを願っているぞ」