●を司る天使:ペンタエル 作:Skcois
死んだら、天使が見えるようになった。
きっかけは、京都に修学旅行で行き、清水寺を訪れた時のこと。
都会よりやってきたメンバーは、普段お目にかかることのない歴史ある建造物と、そこに充満した自然の香り、京都の風情ある景色に、目を奪われた。
その中には自分自身も含まれる。
そんな時、ふとした拍子で欄干から、僕は滑り落ちてしまった。
地面へ向かって真っ逆様に落ちていき、グシャっという音を最後に、意識を失う。
痛みを感じる暇なんて、まるでなかった。
(ああ、死んだのかな……)
次に意識がぼんやりと戻ってきたのは、上も下も分からない、誰もいない、真っ暗闇の中。
自分の最後を他人事のように思いながら、そこに漂っていたのだけど。
その暗闇を切り裂くように、誰かが目の前に現れた。
「全く、こんな急に死なないでくれます?」
そいつは、白と黒の一対の翼を、背中から生やしていた。
身に纏っているのは真っ白なローブ1つのみ。
長い髪は闇の中でも溶けないほど白く、ところどころ寝癖のように跳ねている。
僕の知る中で、天使と呼ぶのが一番相応しそうな、そんな存在に思えた。
「僕、死んだんですか?」
「死んだ衝撃で頭がボケましたか?」
開口一番に質問を投げた僕へ、天使らしき女性は、辛辣な言葉を投げつけてきた。
中学生の僕にとって、女子の思考なんて謎に満ちた領域。
何を考えているかなんて、全然分かんないけど。
今の彼女が不機嫌そうだというのは感じ取れる。
余計なことは言わない方が良さそうだ。
「死んだんですね、僕」
「ええ、死にましたよ。御愁傷様です。こんな平和な国で、辛い病気を抱えている訳でもなく、親の庇護のもと大切に育てられておきながら、あっさりと。いいご身分ですね。いえ、ゴミ分ですか?」
「ちょっと何言ってるか分からないです」
僕は天使の発言に相槌を返しつつ、彼女へ質問を投げた。
「あなたは、天使なんですか?」
「まあ、そうですね。私は……ペンタエルとでも言いましょうか。無を司る天使です」
「死を司る、とかじゃなく?」
死じゃなくて無という表現に、思わず聞き返す。
僕の疑問に対し、ペンタエルと名乗った天使はため息を吐いた。
「死、というのは大したものじゃないんです。貴方達にとって生と対になる概念としては他に挙げられるものはありませんが、私にしてみると死は、境界の線にわざわざ固有の名前が付けられているような話なんです」
例えるなら、スイッチのオンとオフの間、それくらい微妙な状態を指すものだと、ペンタエルは語る。
いまいちピンと来ない。
「よく分からない、と思っている様ですね」
きっと考えが顔に出てたのだろう。
呆れた風のペンタエルに、僕はこくりと頷いた。
「生きとし生けるものは、死んでいった後に何になると思います? 無になるんです」
「無へ……」
僕が呟くと、彼女は続ける。
「生きていたという証拠が少しずつ消えていき、人々の記憶や記録からも、ゆっくりと掠れ、失われていく。そして最後に、そんなものがいた証は、綺麗さっぱりなくなります。全ては、無に行き着くのです」
「そんな無を、ペンタエルさんは司っているんですね」
「そうです」
彼女がコクリと頷いたことで、ちゃんと理解出来たように感じられた。
「貴方は死にました。もしこのまま放っておけば、確実に無へ近づいていくことでしょう。私は、その前に確認をしに来たのです」
確認。
その言葉に、死んで止まったはずの心臓が締め付けられるような感覚を覚える。
唾を飲み込んで、続きを聞く。
「貴方に未練はございませんか? もし、やり残したことがあるなら、それを遂げる時間が、僅かにでも欲しいと思いますか?」
不機嫌そうにしていたペンタエルが、一転して、真面目な顔になって尋ねてくる。
先程まで窺えていた私的な感情や言動が隠れていき、冷たくも温かくもない目で、僕のことをじっと見据えた。
真面目に答えなくてはならない。
冗談を言ったら、後悔することになる。
豹変した彼女を前に直感すると、僕の意識は急速に鮮明になっていく。
「ない訳じゃ、ないです」
いきなり死んでしまったこと。
仲の良いクラスメイトなどの前で落ちてしまったこと。
好きな女子へ想いを打ち明けられなかったこと。
学生時代の良い思い出をと思い、送ってくれた両親へ、申し訳ないことをしたこと。
未練は、いくらでもある。
「時間があったら、欲しいくらいです」
死んだ後にそれを願っても、しょうがないけれど。
今のペンタエルの前で、正直に吐露しない訳にもいかない。
「わかりました」
僕の本音を聞いた彼女は、そう短く返すと、俯き出した僕の方へ、そっと寄る。
「貴方に、時間を与えます。49日の間に、全てを終わらせてきなさい」
「え?」
予想外の言葉に、顔を上げる。
その動きを見ていた彼女は、驚く僕のことなどどうでも良さそうに続けた。
「私の力で、死の結果を遅らせます。一時的なものですから、いずれ死ぬことに変わりはありませんが、残した未練を解消するまでの時間は稼げるでしょう」
「な、なんで……」
どうして、たかが一人の人間にそんなことをするんだろう。
無を司る天使、ペンタエルがそこまでする必要も理由も思いつかず、僕は自然と口に出していた。
「理由が知りたいのですか?」
「だって、ペンタエルさんみたいなすごい人が、僕にそんなことをする意味、どこにもないじゃないですか」
「貴方にはなくても、私にはあります」
「けど……!」
僕が言いかけると、彼女は翼を動かし、口を塞いだ。
「貴方に、そんなことを気にしている時間が残っているのですか? 49日とは、長いようでいて短いのですよ。未練と関わりのないことに頭を使う暇があるのなら、その暇を一秒でも多く、残した未練のために回しなさい」
そう凄まれて、何も言い返すことが出来ぬまま、僕の意識は沈んでいく。
次に目覚めたとき、僕は暗闇の中じゃなく、病院のベッドの上にいた。
医師からどういう経緯で搬送されたのかを聞くと、清水寺の欄干に上体を乗り出した僕は、バランスを崩し、そこから地面へ向かって落ちたという。
不幸中の幸いか、地面に着く前に身体が半回転したお陰で、頭部から落ちずに済んだらしい。
また、落ちる途中で枝葉に引っかかったようで、それが怪我を軽くするのに影響したとの話だ。
……おかしい。
記憶だと、地面へ落ちていく最中に、枝葉になど引っかかっていない。
頭から落下激突したはずだ。
そう、疑問に思った時である。
「私の力で弄ったからですよ」
あの天使の声が聞こえてきた。
声のした方へ首を動かそうとする。
けれど、固定具を付けられているのか、上手く首が回らない。
「即死の結果を大怪我で済むよう変えたんです。今は下手に身体を動かさない方がいいですよ。ほら、痛くてしょうがないでしょう?」
そう言って、ペンタエルは自分の見える位置までやってきた。
闇の中で見た時と、同じ……
いや、なぜか看護師の格好に着替えていた。
「——痛ッ!!?」
膝のあたりをちょんと突かれた途端、僕は激痛に襲われる。
電撃に貫かれたような凄まじい痛みだ。
痛い。痛いのに、それを庇うように動けない。
「馬鹿ですねぇ。当分はベッドから動けませんよ貴方。これに懲りたら、未練を残したまま死なないようにしましょうね」
「あ、あなた……ペンタエルさんですか? その格好……」
「看護師と呼ばれる方が着る服です。ご存知でしょう?」
いや、知ってはいる。
知ってはいるけれど、そういうことを聞いているんじゃない。
なんでそんな格好をしているかについて、聞きたいんだ。
「いや、着ている理由……」
「そんなことですか。別に、深い理由はございません。今を逃したら、この先着る機会なんてそうそうないと思ったからです。あなたみたいに平日休日問わず同じ服を着て過ごすほど、オシャレに無関心じゃないんですよ」
天使とは思えない考え。
それだけでもポカンと口を開けたいくらいだが。
自分のライフスタイルを引き合いに、私はあなたとは違うんですと言われ、困惑を越えムッとなる。
「髪の毛が跳ねまくってるのに、オシャレに無関心じゃない、なんて言われても……」
「こ、これは勝手に跳ねてしまうものなんです。いくら直してもすぐ元に戻ってしまって、思ったように出来ないから、仕方なく……」
髪のことを指摘された彼女は、跳ねている箇所を掴んでそう返す。
情けない言い訳を並べている、という自覚はあるのだろう。
説得力の弱い言葉しか出てこなかった。
そんな姿を見た僕は、これまでやられっぱなしでいた鬱憤を返すように喋っていく。
「そんなこと言って、本当は直すのが面倒だから、あるいは大して意識してないから、そのままにしているんでしょう? 表面だけならなんとでも言えますからね。あ、でも、表面すら繕えていないんじゃ、もっと悲惨に……」
そこまで言いかけた直後、喉元に冷たい何かが当たるのを感じた。
咄嗟に口を閉じる。
そのまま何が当たっているのかを目で追うと、刃物の如く尖った翼が、喉元に触れていた。
「それ以上言うなら、ここで契約をクーリングオフして、臨終まで戻して差し上げますよ?」
「クーリングオフは消費者側の権利じゃ……」
「売った側が自主回収してはいけないという決まりはありませんよね?」
そんな強引なやり方ないだろ。
そう言おうと思ったけれど、やめておいた。
ここで構わず言い返し続けられるほど、僕の心臓に毛は生えていない。
そうして僕が沈黙したのを確認し、ペンタエルは突きつけていた翼を引っ込めた。
「身体の具合はどうですか?」
「めっちゃ痛いです……」
「そりゃ生きてますからね。アレで何も痛いところがなかったら、
それは、どっちの意味だろうか。
ジンジンと続く痛みを抱えながら、彼女の発言を思案する。
残念ながら、答えは出なかったが。
「目覚める前に私と交わした言葉、覚えています?」
「……僕が未練を解消したいと言って、49日の猶予を与えてもらったことなら」
「よろしいです」
聞かれたことに答えたら、首を縦に振ってくれた。
及第点をもらえたらしい。
彼女は冷めた顔をしていたが、機嫌を損ねた訳ではなさそうで、一安心だ。
「あなたが現状を正しく認識出来ているかどうか、それ次第では面倒なことになっていましたからね。あの体験を夢か幻だと思われたら、私としても困ってしまうところでした」
「自分で落ちたのにそんな勘違いはしませんよ」
落ちる瞬間の記憶は鮮明に覚えているし、ペンタエルと出会った時のことも綺麗に思い出せるくらいに、脳裏に焼きついている。
こんな衝撃的な出来事を嘘みたいに感じられるほど、都合の良い考えはしない。
本当ですか? と疑いの目を向けてくる彼女に、僕は尋ねる。
「僕は今、どんな状態なんですか?」
「生と死の、二つの状態が重なっています。具体的には、貴方は物に触れて、人と話すことが出来、それを他の人から見ることが出来る」
ここまでが、生の状態による影響です、とペンタエルは告げる。
「同時に貴方は、一切の摂取・排泄活動がいらない身体になっています。睡眠を取ることも出来ません。どれだけ運動をしても疲れることはなく、本来は見ることの不可能なものを見ることが可能です」
それが、死の状態による影響か。
聞きながら僕は思った。
「ペンタエルさんが見えているのも、それが理由ですか?」
「ええ。死んだ状態にある方や、死の状態へ移行しつつある方は、私を見ることが出来ます。反対に、生の力に溢れている方や、死の淵から回復しつつある方には、私は見えません」
死を迎えようとしている者だけ見える天使。
そんな話をちらほらと耳にしたことはあったけれど。
自分が、この年でそれになるなんて、思いもしなかった。
「貴方の場合は、日が経つにつれ生の状態は弱まり、死の状態が強くなっていきます。今は深刻な影響が出るほどではありません。けれど時間が経つほど、貴方を見える人が減っていき、手紙を記すことも難しくなっていく」
「……最終的には、どうなりますか?」
凡その推測を立ててはいながらも、聞かずにはいられなかった。
僕のぶつけた真剣な問いに、彼女は一度目を閉じてから、静かに答える。
「誰の目にも映ることのない、どんな物にも触れない、死者になります」
その答えを聞いた僕は、天井を見上げた。
頭の中で、これから自分がどう変わっていって、周りがそれにどう反応していくかを、想像する。
そして、一言だけ口にした。
「……寂しいね」
「そう思う心や意識も、なくなっていきますよ」
無常にも思える言葉が、僕の胸を突き刺す。
死んだ人間は、何もかも失うのか。
会話出来る相手も、物に触れる資格も、何かを思う権利も。
全部、消えてなくなるのか。
そう考えると、死とは想像以上に物悲しいことへ思えてきた。
「何も、残らないんですね」
「だからこそ、未練と呼べるものは少ない方が良いのです。最後を迎える時になって、『ああすれば良かった』、『こうしとけば良かった』……そんな風に思うより、『出来ることはやった』、『だからもう十分だ』……そう思える方が、楽になれるでしょう」
静かに語る彼女の顔を、ふと覗く。
それは、辛いことを思い出す時みたく物憂げな顔で。
目を、寂しさと悲しさが入り混じったように細めていて。
窓から入る空気に、翼を揺らめかせる。
「……ペンタエルさんは、優しいんですね」
そんな姿を目に映したとき、無意識のうちに、口からこぼしていた。
すると、彼女はすぐさま顔を上げる。
僕に優しいと言われたペンタエルは。
僕に向かって、キッと睨みつけてきた。
「私は、死んでも喚き続けるみっともない連中を呆れるほど見てきました。そういう愚か者が少しでもこの世から減るよう、望んでいるだけです」
歩き出したペンタエルは、僕の前腕から肩にかけてを、指でなぞる。
そして僕を指差すと、そのまま寝台に腰掛け、ハッキリと告げる。
「どうか、余計なことは考えないように。これは忠告です。その気になれば私は、貴方程度いつでも消滅させることが出来るのだと、肝に銘じておきなさい」
彼女の瞳に、青白い光が灯りだす。
僕は一瞬、目の錯覚かと思い、何度も瞬きをした。
しかし、その瞳は確実に光っている。
太陽が雲に覆われ陰がかかると、そのことがよりハッキリと分かった。
逆らってはいけない。
そう直感した僕は、彼女の忠告を飲む。
「は、はい」
了承を得られたペンタエルは、すっと立ち上がった。
「では、貴方が残した未練について、考えていきましょうか」
*
意識が戻ってから三日経ち、退院出来る日がやってきた。
病院の入り口にて。
松葉杖を使い立っていた僕は、ローブ姿に戻ったペンタエルと共に、病院を見上げる。
「やっと動き出せますね」
「本当にそうだね」
一睡も出来ないから、夜が長く感じた。
最低限の灯りを残して消灯してしまうのと、暇を潰せるようなものが全然ないので、本来寝て終わっていた時間、およそ21時間を、ひたすら耐えなくていけなかったのが、最たる原因だろう。
もうあんな時間は御免である。
入院する機会が二度となくても、そう思わずにいられなかった。
「にしても、あの高さから落ちた怪我が足の骨折くらいで済むなんて、思わなかったな」
「それほど高い建造物ではありませんし、おかしなことはないでしょう。あそこから飛び降りた人は過去に200人以上いますけど、生還率は85%らしいですし」
「嘘でしょ?」
驚愕する僕にペンタエルは反応せず、「迎えが来ましたよ」とだけ返す。
彼女の視線の先を追うと、両親の姿が目に映った。
僕は両親のところへ歩いていき、そのまま駐車場へ向かい、帰路につく。
(やっと帰れる……)
車の中では、運転席と助手席に両親が座り、僕とペンタエルが後ろの席についた。
僕は手慣れた動きでシートベルトを締めたが、ふと思う。
天使である彼女は、シートベルトを締めるのか。
「よいしょ……」
すると彼女は、翼を器用に動かし、ベルトの動きを邪魔しないようにしてから、律儀に締めた。
天使でもそれは守るんだ。
意外に思いつつも、親近感を抱く。
(あっ……)
そのとき、ローブの下にある胸のラインが、ベルトの締めつけで浮かび上がっているのが目に入った。
僕はここで、彼女のプロポーションが抜群に良いことに気付く。
豊満な胸の膨らみを初めとし、輝くような綺麗な素肌に、程よい肉つきの柔らかそうな手足。
美しいイラストの中より出てきたような、洗練された美貌。
まだ中学生の、けれど思春期を迎えた僕にとって、彼女の姿は刺激的で。
一度意識し出すと、ドキドキせずにはいられなかった。
これが、死を迎える時にだけ見える天使の姿なんて。
なんというか、もったいないな。
(…………やばっ!)
ペンタエルがこちらを向く気配がしたので、慌てて顔を逸らす。
心臓がバクバク鳴る。
じろじろと見てしまっていたが、バレなかっただろうか。
彼女の視線が今どこを向いていて、何を考えているのか、ちょっと怖い。
僕は気持ちや胸の鼓動が落ち着くまでの間、窓の外を見続けた。
高速道路を走る車からは、流れるように景色が移り変わる。
何個かのサービスエリアを過ぎた頃、両親が口を開く。
「もうじき家に着くぞ。やれやれ、寺から落ちたって連絡を受けた時は、びっくりしたが……あまり迷惑をかける真似はするなよ」
「本当、生きていて良かった。私、あれから仕事に集中出来なくって……でももう大丈夫ね」
両親は入院した日に様子を見にきてくれたので、僕がどのように落ちたかはもう知っている。
この話題は二度目だった。
「退屈ですね」
今の会話を横で聞いていた彼女が、一言だけ呟いた。
次に彼女が喋ったのは、自宅に着いてから。
長時間の車での移動から解放された僕たちは、両親が開けてくれた玄関を通り、自宅へ入る。
僕が入ると、側にいたペンタエルが、内装を興味深そうに見ていた。
「ここが貴方の部屋なんですね」
自室のドアを開けると、彼女はしれっと先に入っていく。
他人に、しかも異性の相手を上げる用意などしていなかった部屋に。
心は静かに緊張していた。
「な、なんですか」
「いえ、片付いているなと。というよりは、物が少なめ?」
室内を見回しながら、ペンタエルはそう言う。
部屋の中にはベッドや椅子、机、本棚や衣類を入れるクローゼットなどの家具がある。
本棚には教科書や漫画が、ベッドや机の上にはゲーム機、スマホの充電器など。
他にも、お菓子が入った小さめの収納箱も。
なので僕は、ペンタエルの言葉に疑問符を投げた。
「十分ある方だと思いますけど……」
「そうなんですか?」
「どれくらいの量があったら、ペンタエルさんにとって普通なんです?」
「えーと……買っただけで読んでなさそうな本が床に積まれていたり、捨てるのに困って部屋の隅にどかしている機器やオモチャとかがある状態、ですかね」
それは単に片付けが出来てない人の部屋じゃなかろうか。
僕はペンタエルさんへ反論する。
「それは物が多いとかじゃなくて、散らかっているだけです。基準にしたらいけないと思いますよ」
「……そうなんですか」
彼女は、若干衝撃を受けた顔になる。
どうやら僕とペンタエルの間には、持っている常識にズレがあるようだ。
一方は人間で、一方は天使なのだから、別におかしな話じゃないと思うけれど。
にしては、彼女の反応が大仰なような……
そう感じられた僕は、こんなことを試しに呟いてみた。
「ペンタエルさんって、お部屋の片付けとかどうしてます?」
直後、ペンタエルの翼がキュッと縮こまる。
「きゅ、急になんですか」
「ちょっと気になって聞いてみただけです。あ、でも天使って自分の部屋とか持っているのかな」
「それくらいは持っていますよ」
なんだ、持ってるんだ。
あんまり天使のイメージとは合わない気がするけれど。
でもそれなら、答えは持ってるはず。
「じゃあ、部屋の中は」
「ひ、秘密です」
「どうしてですか?」
「そ、それも秘密です」
翼で胴を覆い、回答を拒否する構えを示し続ける。
けれど僕だって、簡単には諦めない。
「別に、どんなものがあるかとか、その細かいところまで言わなくていいです。端的に、どれだけ部屋に物が、どんな風に置かれているかを、聞かせてほしいだけなので」
「そ、それでもダメです」
これでもダメか。
なら、と僕は口にする。
「……僕の部屋の中を勝手に見ておいて、ペンタエルさんは教えてくれないんですね」
酷い人だ、と訴えかけるような目で見つめた。
すると今度は言い返されない。
「ぐっ…………そ、それは」
葛藤が垣間見える。
もう一押しでいけるかも。
「ペンタエルさん、僕の部屋を見たとき、どう思いましたか?」
「さ、さっき言った通りですけど……」
片付いているなと。というよりは、物が少なめ?
そのときの言葉と声を思い返す。
「……物が少ないって言われて、僕、ちょっと傷つきました」
きっと悪気はなかったと思う。
ただ思ったことを口にしただけだろう。
でも、僕にとってはそれが、チクリと刺さった。
心の中に空いている、大きな穴を指摘されたみたいに。
僕はミニマリストじゃないが、心の耐久値はミニマルだった。
「それは、すみません……」
彼女は翼を落とし、頭を下げる。
申し訳ないと思ってくれた。
そのことを、活かさない手はない。
「なので、ペンタエルさんも傷ついてください」
「……え?」
その発言を聞いた彼女は、呆けた顔をした。
「僕は思うんです。痛みを知って思いやれるようになるには、傷つくのが一番の近道だと」
「えっと、あの……?」
「普通、片方が傷つけたことに気付いたらごめんなさいで済ませるじゃないですか。でも、それじゃ傷つけられる痛みを真に理解したとは言えないですよね。傷つけられる痛みを知らなければ、また繰り返すかもしれませんよね」
「あの、ちょっと、待ってください」
語り出した僕を止めようとする彼女だけど、構わずに続ける。
「ペンタエルさんは、自分だけ傷つくようなことがあったとして、それに相手が謝罪を述べるだけで、許せますか? もう相手は同じような真似はしないと、思えますか?」
「思いませんけど……」
「同意見です!!」
思わず声を張り上げてしまった。
急な声量の変化に、ペンタエルがびくっと肩や翼を震わせる。
「あ、すみません……いきなり大声を出しちゃって」
「いえ……大丈夫です」
「つまりですね、僕は……」
そこから先を言おうとした時、彼女の翼がまた口を塞ぐように動いた。
「要するに、気になるんですよね。私の部屋がどうなっているか」
これ以上僕に喋らせるより、自分で話を誘導してしまった方がいいと思ったのか、話をまとめにかかる。
まあ、僕自身話が脱線しかかっている気はしたし、それに乗っかる。
「正直に言えば、見たいです」
「正直に言わないでください……。年頃の女子に言ったら、引かれますよ?」
「確かに。でも、天使の暮らしている部屋って気になるじゃないですか」
「人間が知る機会はまずありませんからね……」
「じゃあ……」
彼女はうんと悩む仕草を挟んだ末、「いいでしょう」と納得してみせた。
「ただし、特殊な空間にあるので直接見には行けません。私の記憶を貴方に流すので、それで我慢してくださいね」
「十分です。ありがとうございます」
「重要な情報は見れないよう、フィルターをかけますから」
そう言ってペンタエルさんは、僕に部屋の中を見せてくれた。
記憶の中にあった彼女の部屋。
それは、想像の四割増しで汚かった。