●を司る天使:ペンタエル 作:Skcois
清水寺の欄干から転がり落ち、死んだ僕の前に、天使が現れた。
彼女の名前はペンタエル。
真っ白な髪、真っ白な肌、真っ白な服に身を包んだ、びっくりするくらい美しい人で。
背中より白と黒の翼を生やしている、無を司る天使だ。
彼女は今、僕の家にお邪魔している。
僕が死んだあとに交わした契約を、履行するために。
「一つ、質問してもいいですか」
「なんでしょう」
「どうして、49日なんですか?」
家に帰って、みんなが寝静まった頃。
部屋の中で僕の所有物を物色しているペンタエルに、ベッドへ腰掛けていた僕は、尋ねてみた。
僕が契約を交わした際、設けられた残り時間。
それがなぜ、49日という中途半端な数字なのかが、僕には分からなかった。
「貴方は、今までに親族の方や兄弟姉妹などを亡くしたことはありますか?」
「いいえ。あまり親族同士の付き合いがないのと、僕は一人っ子なので……」
正直に伝えたところ、ペンタエルは「そうですか」と短く返した。
続けて彼女は物色対象を本棚にあるノートからアルバムに変え、中身を見ながら回答を行う。
「人の魂は、死んだからといってすぐに消滅する訳ではありません。肉体が土に還るまで時間がかかるように、魂が分解して消え去るまでも、相応の期間を要します。これは地域などの環境要因によって多少変化しますが、日本という環境においては49日がこの限界にあたるのです」
「地域によって変わるの? 他の国とかだと何日になるんですか?」
色々と気になることはあったが、僕は真っ先にそれを確認した。
するとペンタエルは、すぐさま答えた。
「0日です」
「えっ」
「死んですぐに消滅します」
予想すらしてなかった数字が飛び出て、思わず唖然とする。
やがてハッと我に返った僕は、彼女に聞き返した。
「今さっき、死んですぐに消滅する訳ではないって言ってませんでした……?」
「地域差があるとも言いましたよ。『すぐに』とは死後一秒とかの話じゃなく、まあ……一分くらい? の話です。大差ないですけれど」
そんな風に説明されたところで、到底驚きを隠せない。
49日と一分なんて、比較するにはあまりに値が開きすぎではないか。
同じ単位で表したらどれくらい桁違いになるのか。
ペンタエルはそれをさも当然であるかのように語っているが。
やはり、彼女は人間の姿をしているだけで。
その内面は人とかけ離れた、価値観で動いているのだろう。
僕はペンタエルとの間に、大きな隔たりがあるのを感じた。
「それって……死ぬ直前のお迎えとか、間に合うんですかね?」
「問題ありません。誰かの死を死んでから把握する訳じゃないんです。死にそうな方はそれ以前から天使が側にいるものなので」
その説明を聞いて、僕はホッとした。
「まあ、最近は手が回らなくて殆どの方を迎えられていない状況ですが」
「えっ」
安堵したところに不意の発言を喰らった僕は、またも、驚きから声を上げる。
アルバムを見ていたペンタエルが、何食わぬ顔で振り向く。
「貴方は幸運でしたね。死んでから消えるまで時間がかかる地域で、私がたまたま手が空いていたお陰で、こうしていられるのですから」
言われて考える。
もし僕が死んだとき、彼女が他の死者の対応をしている最中だったら。
その時僕は、どうなっていたのだろうかと。
少し、寒気がした。
僕の反応を観察した彼女は、アルバムを閉じて本棚に戻す。
「兄弟がいないというのは本当のようですね。アルバムを読んで確認出来ました」
さっきからアルバムを見ていたのはそのためだったのか。
勝手にアルバムを読むなんて、一体何を考えているんだと思っていたが。
「その確認って必要なことなの?」
「必要ですよ。貴方のような若い方が死ぬ場合、未練の対象となりやすいのは肉親を始めとした近しいものか、学校で生まれた人間関係が多いんです。実際、そこに心残りがあるのでしょう?」
「……まあ」
否定はしない。
残された時間で会いたい人の中には、学校の友達もいる。
それを誤魔化したところで、いつかはバレる。
それでも煮えきらない返事をしてしまったのは、思春期の只中にいた影響から、それが子供っぽい話に思えて、素直に認めにくかったから、なのかもしれない。
「次は何を探しているの?」
僕は、彼女が何を求めて棚を見ているのか、その様子を後ろより観察する。
本を撫でるように指先を流していた彼女が、手に取ったのは。
「これにしましょう」
学校の卒業アルバムだ。
家族アルバムの次は、小学校のやつか。
ペンタエルはそれを持って、僕の方へ来る。
そしてすぐ隣に、身体を寄せながら座ってきた。
(ちょっ……!!)
「貴方の通う中学校に、小学からの知り合いはどれくらいいますか?」
「ほ、殆どは一緒です。親の都合で引っ越していった人とか、そういうの以外で違う中学に進んだ人はいなかったと思う……」
「では——」
アルバムを開きながら質問する彼女に、僕は答えていく。
恐らくは未練に関わる相手の、情報を集めるための質問だ。
大事なことを聞かれていると思い、出来るだけ冷静に務めようと試みるが。
(話に集中できない……)
布越しにもハッキリとした、柔らかい肌の感触。
そこから伝わってくる熱や、ほんのりと漂ってくる花のような芳しい匂い。
それらの感覚が、必死に保っている平常心を揺さぶってくる。
(相手は天使だぞ……!)
死者と天使という関係であることを思い起こし、必死に言い聞かせる。
彼女に他意はなく、ただ僕との契約を円滑に遂行するべく協力してくれているだけだと。
いくら思春期で勘違いの多い年頃であるとはいえ、こんなのにコロッとやられたりはしない。
しかし、しかしだ。
自分よりちょっと年上な見た目の、綺麗で美しい女性が。
二人っきりの部屋の中で、無警戒に近づいて接触してくる。
そんなシチュエーションに、内心いつも通りでなどいられるものか。
事実として、アルバムを見ている目が何度も彼女の方へ引き寄せられそうになっている。
その度に視線の向きを直しているものの、絶えず引き寄せられることは避けられない。
僕は挙動不審な男になっていた。
鏡を見なくとも明らかなほどに。
まずい、このままの状態が続いたら僕は。
緊張と興奮のあまり、二度目の死を迎えてしまうかもしれない。
急ぎ対応を行なった。
「あ、あの、もう少し離れてくれると……」
「こうした方がお互い見やすいでしょう。何か問題でも?」
僕は逃げるようにジリジリと動いたところ、ペンタエルは、素早く距離を詰め直してきた。
結果、動く前より肉薄した事態になってしまう。
改善するつもりが悪化だ。
どうする。
「か、体が当たっていますっ」
「この距離なら当たる方が自然では? 気にしないでください。私は気にしていませんから」
そういう問題ではない。
ペンタエルが気にしなくても、僕が大変なんだ。
さっきからずっと、心臓がバクバク鳴っている。
「落ち着かなくてしょうがないんです! 少し離れてください!」
耐えかねた僕が強い声調でそう訴えると、ペンタエルは残念そうな顔になって、
「……仕方ありませんね」
と言い、距離を取ってくれた。
危なかった。
距離感がおかしな天使に、パーソナルスペースを覚えさせた僕は、ほっと胸を撫で下ろす。
「何が不満なんですか、ペンタエルさんは」
「不満なんて思っていませんよ。天使たるもの、担当した方は責任を持って見届けます。なので多少わがままな振る舞いをされようと、目を瞑ってあげますとも」
「はあ……そうですか」
寛大な対応に感謝します、とでも言っておけば良かったかもしれない。
なぜかは分からないが不機嫌になった彼女の機嫌を取るため。
しばらく時間を溶かされた僕は、そう思った。
*
ペンタエルとの契約から四日目。
残された日数が45日となった日の朝を迎えた僕は、閉じていたカーテンを開けた。
「起きてください、ペンタエルさん。もう朝です」
「んん……眩しいですよ」
ベッドに横になっていた彼女が、眠たげに答える。
死者となって、寝ることが出来なくなった僕だったが、天使である彼女は睡眠を取れるらしい。
僕が使わなくなったベッドを利用し、そのまま朝まで爆睡していた。
(なんで僕が一睡も取れなくて天使だけ寝れるんだよ)
不思議とも不服ともいえる感情を、彼女に向けた。
一方、そんなことを思われているとも知らない彼女は、今まさに上体を起こして、思いきり身体を伸ばす。
「ううーん……」
ペンタエルがそう言って背筋を伸ばした際。
引っ張られた服の上、胸元のあたりに丸い輪郭が浮かび上がる。
彼女の動きを目で追っていた僕は、数秒ほど、その膨らみを見つめてしまう。
(何をやっているんだ僕は!!)
気付いた瞬間に、頭を左右に振った。
とりあえず、どこか違うところへ視線を逸らそう。
そう思って、僕は彼女の髪の毛へ注目した。
「寝癖、すごいですね」
「うるさいです」
僕に言われた途端、ペンタエルは頭頂部を手で押さえる。
四方八方にぴょこぴょこ跳ねた髪が、背中から生えている翼と天使のイメージに、あまりにもミスマッチだ。
これが本当に天使の姿なのかと、思わず考えてしまう。
「ちょっと、あんまり見ないでください」
「髪が跳ねていると恥ずかしいんですか?」
「当たり前じゃないですか」
何を当然のことをと言いたげな顔。
髪の跳ね具合は気にするのに、あの距離感は平気なんだ。
世の中には言わない方がいいこともある。
昨日の一件よりそう学んだ僕は、何も言わなかった。
その間に彼女は、どこからともなく櫛とボトルを取り出し、ボトルから出た液体を髪に染み込ませ、梳かし、寝癖を直していく。
(液体が虹色に光ってるし、梳かしたところからサラサラになって乾いていくし、妙な光景だなあ)
僕はそれが終わるのを傍目に眺め、梳かし終えるのを待った。
「終わりました」
「おお」
ペンタエルの声に釣られ、彼女が直したと宣言する髪を確認。
僕は一言、感想を伝える。
「まだ跳ねていますよ」
「これ以上はどんなに時間をかけても無駄なんです。頑固な髪なもので」
「マジですか」
最初に彼女とあった時の髪。
あれが寝癖を直した後のものなのだと、僕はこの時初めて知った。
髪質は人によって差があるとは聞いたことがあるけれど、天使も例外じゃないらしい。
「私の風切羽を賭けても構いません」
髪の先っぽを指に絡ませながら、ペンタエルは言った。
いや、風切羽なんて知らないし、そんなもの賭けられたって困る。
何に使えばいいというのだ。
「羽ペンでも作る材料にすればいいですか?」
「天使の羽を消耗品として使う気ですか? 信じがたい思考ですね。正気を疑います」
おかしな人を見るような眼差しを向けられる。
それを言うなら、自身の羽を賭けに出そうとするペンタエルも大概だと思うけど。
僕は笑顔を貼りつかせながら、「ならどんな風に使うのがいいんです?」と聞き返す。
「無難なところなら丁重に保存しておいて、肌身離さず持っておくのが適しているでしょう。あとは、大切な人への贈り物にも適していますね。この羽には人類が積み重ねてきた善行や徳、神の恩寵が秘められているので、例え一枚でも子々孫々に及ぶ繁栄と幸福が約束されますよ」
自信に満ちた顔で彼女はそう語った。
なるほど、子々孫々に及ぶ繁栄と幸福か。
フィクションとかでありがちなやつだけど。
「具体的には、どんな幸福が得られるんですか?」
「願いが叶いやすくなって、願いを叶えるのに必要な才能も伸びやすくなります。病気に強い体を手に入れ、健康に生きられる時間も伸びるでしょう。良縁にも恵まれるし、悪縁は切れやすくなります。その人の好ましい性質を引き出し、危ない性質が抑えられます」
「それが子々孫々に?」
「数世紀は効果が続きますよ」
……地味にすごい効果なのでは?
羽ペンに使えばいい? と聞いたのは、冗談でも軽率だった。
激レアどころの一品ではない。
値段を付けるのも烏滸がましいほどの貴重品だ。
説明を聞き終えた僕は、天使の羽が持つ力に、内心ビビっていた。
「……ヤバくないですか?」
「天使の一部なのだから、当然と言えますね。ちなみに、今述べた効果は白い羽だった時の場合です。黒い羽だと違う効果が現れます」
「黒い方は……逆に不幸になったりとか?」
白の反対で黒。
良いものの反対なら悪いもの。
だから効果も悪いやつなのかなと、単純に連想して言ってみたところ、
「おや、鋭い」
彼女は否定せず、感心するみたく頷いた。
「具体的にどんな不幸が起こるのか……知りたいですか?」
「それを貰わずに済む方法なら是非」
「賢明で結構です」
そう言って、僕の視界に入るようわざと翼を広げてくる。
何のアピールか、いまいち理解しかねるが。
機嫌は良さそうに見える。
彼女の表情から、それが分かっただけで十分だ。
「さ、良い時間です。そろそろ始めましょう」
「学校に行く準備を、ですか?」
「そうです。他に何かありますか?」
ないので、何も言わずにうなずいた。
言うが早いか、彼女はタンスから僕の制服を取ってきてくれる。
足の怪我で歩きづらい僕の代わりに、わざわざ。
(面倒見がいい、だけなのかな)
疑問に思いながらも、渡された順にパッパと着ていく。
ズボンを履くのに少々手こずったけれど、なんとか自力で履くことが出来た。
よし、と思ったその直後、彼女は僕へ松葉杖が差し出す。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
つい条件反射で畏まってしまった。
すると、それが気になったらしい。
彼女から「敬語はいりませんよ」と言われる。
「慣れない喋り方を無理にする必要はありません。普段通りに話してもらって大丈夫です」
部活の先輩に対して使う機会があるので、敬語はそこまで慣れない喋り方ではない。
だから決して無理をしているつもりはないのだが。
(タメ口でOKって言ってくれてる訳だし、自然体で話そう)
敬語を貫く理由もなかったので、提案を受けることにした。
そうして松葉杖を受け取り脇に挟んだ僕は、その足で居間へ向かう。
彼女も、僕の後ろをついてきた。
「今日は貴方が契約してから、初めて学校に通う日ですね。楽しみです」
「ついてくる気なの?」
「もちろんですよ」
こんな機会は中々ありませんから、と言う彼女。
多分、学校を体験するついでに制服を着たいのだろう。
着たかったからという理由だけで、看護師の格好をするような天使なので。
(まあ、どうせ他の人には見えないだろうし、別にいいか)
僕はそれを問題なしと考えると、頭の傍にどけ、居間に入る。
中では母が忙しなく歩き回っていた。
「——おはよう」
「ええ、おはよう」
母の返事は、急ぐ気持ちが漏れ出たみたいに早口だった。
紺色のスーツに身を包んで、右へ左へと行ったり来たり。
会社に行く前の、荷物の最終チェックを行なっている。
朝の時間、母はいつもこんな感じである。
邪魔をしてはいけないと思い、静かに台所の方へ向かう。
「朝食をとるのですか? しかし、何もありませんが」
食事の置かれてないテーブルの上を見て、ペンタエルが、不思議そうに尋ねてきた。
それはそうだろう。
うちは典型的な共働き家庭。
お父さんもお母さんも平日は早くより家を出て、遅くまで帰ってこない。
朝は当然大忙しだ。
そんな中で、母に朝ごはんを作っている余裕など、あるはずもなく。
故に僕は、いつも通り勝手に冷蔵庫を開いて、中から弁当を取った。
それを見た彼女が再び質問を投げる。
「これは、コンビニ弁当ですか?」
なんでコンビニ弁当という単語がさらっと出てくるのか。
天使にとっては無縁のものだと思うけれど。
言葉の選び方に思わず気になったものの、とりあえず質問に答える。
「違う。スーパーで売られているやつだよ」
「スーパーで買える弁当がお好きなのですか?」
「こっちの方が安いからじゃないかな」
コンビニ弁当とスーパーの弁当。
全く同じ商品ではないため、一概に比較は出来ないけれど。
同じ商品がスーパーとコンビニで売られている場合、スーパーの方が安くなる傾向がある。
多分、同じ理屈だ。
中学生の僕にまで届いてくる物価高の悲鳴が、そう思わせた。
軽くレンジで温めてから、僕は朝食を取る。
「——ごちそうさま」
弁当を食べ終えたら、出かける準備だ。
既に母は家を出ている。
こちらが朝食を取っている間に、玄関が開け閉めされる音がしていた。
僕も鞄など必要なものを用意し、戸締りを行う。
「私も今のうちに着替えましょうか……」
その様子を隣から眺めていたペンタエルは、独りごちた。
直後に、彼女の白いローブが光に包まれ、その上から二枚の翼が覆い被さる。
次に翼を開いた時、彼女の格好はうちの制服と同じものになっていた。
「そんな簡単に着替えが済むんだ」
「羨ましいでしょう?」
「翼が生えている部分とか、どうなっているの?」
「天使の力で解決しました」
天使の力、万能だな。
細かいことは天使パワーでどうにかなってる。
僕はそれで納得することにした。