●を司る天使:ペンタエル   作:Skcois

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天使と学校

 学校へ向かう準備をして、家を出た。

 鍵を閉めたあと、これからのことを考える。

 

(どう行こうか……)

 

 学校まで登校するのにかかる時間は、徒歩で10分。

 

 足が万全なら、問題さえ起きることなく行ける距離である。

 しかし、今はハンデを抱えている状態だ。

 

 時刻をスマホから確認する。

 朝の会が始まるまでに間に合うか、頭の中で計算してみる。

 

(遅刻は免れないな)

 

 困ったなあ、と僕はその場で考え始めた。

 その時、制服を着たペンタエルが、僕の足を指さして言った。

 

「その足で歩いていくつもりですか?」

 

 いくらなんでも厳しいだろう。

 彼女の仏頂面からは、そんな気持ちがあるように読み取れた。

 

「仕方ないよ。お父さんは僕が起きる前より早く出てたし、お母さんも先に行っちゃったし」

「待って貰えば良かったのでは? 怪我人なんですから、車で送ってもらっても角が立たないでしょう」

 

 納得のいく意見である。

 実際、その判断でいけば良かったはずだ。

 だけど、僕はそれを選ぶ気になれなかった。

 

「忙しいんだよ。それに、これは僕のせいだから」

 

 そもそも眠る必要のない体なのだから、寝坊して遅刻なんて言い訳は通らない。

 呑気に朝を待っているようなことをしなければ、普通に間に合っただろう。

 

 彼女に向かってそう言うと、僕は一歩一歩前に進み始める。

 遅々としていたが、これ以外に手がない。

 

 学校に着いた後、気まずくなりそうだな。

 僕がそう思った時だ。

 

「全く、しょうがないですね……」

 

 ペンタエルはため息を吐くと、僕の背後に回った。

 白くすらっとした細腕で、僕の腰回りをがっちりと掴む。

 「えっ」と声を上げてしまった僕に対し、

 

「杖を落とさないよう、しっかり握っていてくださいね」

 

 そう返すやいなや、彼女は翼を広げた。

 体が軽くなっていくような感覚に襲われ、地面から足が離れていく。

 

(ま、まって。どうなってるの?)

 

 事態を理解することが、しばらく出来なかった。

 電線より高い場所まで上昇が続いたあと、水平線の見える方へゆっくり加速していく。

 それで僕は、ペンタエルに抱えられながら飛んでいるのに、やっと気付いた。

 

「と、飛んでる!? 飛んでるよペンタエルさん!?」

「何かおかしなことでも?」

 

 こちらの驚く様子など気にする素振りもなく、しれっとした声で答えながら、ペンタエルは飛んでいく。

 眼下に見える住宅地や道路、そこを行き交う車や人。

 全部が小さく見えるくらい、高いところを。

 

「こんな堂々と飛んで、誰かに見られたりしたら……」

「ちゃんと配慮はしています。他の誰にも見えませんから、ご心配なく」

 

 どう配慮しているのか。

 どうやって飛んでいるのか。

 どうのように見えないようにしているのか。

 きっとどれだけ聞いても、有益な回答は得られないだろう。

 

 全ては天使の力によるものだから。

 僕は考えることを諦め、彼女に身を任せることにした。

 

「貴方の学校はどこにあるのでしょう。教えてもらえますか?」

「行き先も分からないまま飛んだの……?」

「高いところからの方が見つけやすいと思ったので」

 

 確かに高いところは見渡しが良いので、校舎を見つけるのも容易ではある。

 運動場やプールなど、特に目立つだろう。

 ただ、それでも遠くにあると小さく見えてしまうもの。

 最低限の方向が分かるよう、案内は必要だ。

 

「……あっちだよ」

「あっち?」

 

 僕が海の見える方を指さすと、彼女もそちらを見た。

 

「真下にまっすぐ伸びている道があるよね? これを辿っていって、しばらくしたら左の方に、学校が見えてくる。そこが僕の通っているところ」

 

 僕の指し示す道を確かめているのか、ペンタエルはしばらく黙り込む。

 道順を確認し終えたらしき彼女は、「なるほど」と頷いた。

 

「学校を目視出来たらもう一度声をかけてください」

 

 目印の道に沿うようルートが変更される。

 とりあえず、これで見当違いな方向へ飛ぶ心配はなくなった。

 

(一先ずは良し、と……)

 

 安心して気が抜けたのか。

 遠くまで広がる風景から、自分の周りへ意識が向かった。

 そして、背中に当たっている柔らかいものの感触に気づく。

 

(これってもしかしなくても)

 

 後ろから抱き抱えられて空を飛んでいる状況である。

 当たっているものがあるとすれば、答えは、予想からそう外れたものではないだろう。

 

「あ、あの……」

「なんですか?」

 

 口が勝手に動いていた。

 しかし、ペンタエルが反応してそれへどう返すかを考えている時に、僕は逡巡する。

 

 彼女が天使であるからか。

 それとも、こうしたことを気にしてなさそうで、疎そうだとしても。

 流石に聞いたら意識してしまうのではと思い、その先を想像するのが不安になったか。

 

 それに思い至った時、僕は質問を取り下げていた。

 

「いえ……なんでもないです」

「変な人ですね、貴方は」

 

 何も知らないペンタエルは、その後も変わらず飛び続ける。

 初めての空の旅は、一秒足りとも落ち着く瞬間のない体験だった。

 

 

*

 

 

 学校のすぐ近く。

 登校中の学生がたくさん見える表道。

 その反対側にある人気の少ない場所へ、翼の生えた女性と共に、僕は下り立った。

 

「た、耐え切った……」

「お疲れ様でした。よく頑張りましたね」

 

 翼を畳んだペンタエルから、労うような声をかけられた。

 地面に足がつき、腰に回された腕が解かれる。

 

 自由に動けるようになった僕は、一歩、二歩前に歩いて、彼女から離れた。

 

(耐えていたのは、高いところの恐怖だけじゃないんだけどね……)

 

 背中に残る温かみと感触は、当分忘れられないだろう。

 さっきまで感じていた落ち着かない気持ち。

 その残響を胸に秘めながら、学校の門を潜った。

 

 周囲からの視線を感じる。

 目立つものを両脇に抱えているせいだろう。

 すぐ傍にはペンタエルもいるけれど、彼女へ注目する人は一人もいない。

 

 天使が見える条件は、死んだ状態にあるか、死の状態へ移行している最中の人のみ。

 こんなところで見える人は僕だけ。

 その事実を示すような視線だった。

 

(スマホで撮られたりしたら、ペンタエルさんは映るのかな? 僕も一応死者だけど、どうなんだろう?)

 

 幸か不幸か、僕の姿をスマホで撮ろうとする人はいない。

 その疑問はふっと浮かんで、すぐ消えていった。

 

「まるで人気者みたいですね」

 

 僕へ向けられる視線を察して、ペンタエルが呟く。

 分かりやすい皮肉だ。

 

 普段の僕は目立ち度でいうと中の中、注目を浴びることもぼっちになることもない程度の存在。

 そんな僕がこうやって視線を集めることなど滅多にない。

 

(言い返したいなあ)

 

 人前で彼女に返したら独り言のように思われてしまう。

 ゆえに、我慢するほかない。

 恥ずかしさに堪えながら、さも気にしてないかのような、そんな態度で歩いていった。

 そうして自分のクラス、2-Bの標識を前に立ち止まる。

 

 修学旅行の後、僕の一件はどのように知らされているのだろう。

 全員に知らされているのか。

 あるいは、一部だけが知っているのか。

 

 不安と緊張が巡っていく。

 

「早く入ったらどうですか」

 

 そうやって立ち止まっていたら、ペンタエルに急かされた。

 ちょっと待ってと言いたかった。

 

 今、気持ちの準備をしているところなんだから。

 

「ここにいると通行の邪魔になりますよ? なんなら、背中を押してあげましょうか?」

 

 文字通り、僕の背中を腕で押し始めてくる。

 

(仕方ない……)

 

 覚悟を決めよう。

 なるようになれと思い、スライド式のドアを引いた。

 開いた時の音に、何人かのクラスメイトがこちらへ振り向く。

 

 声は聞こえてこなかった。

 でも、分かりやすい反応だった。

 

「——あっ!?」

 

 その中の一人が、驚いたような顔を浮かべる。

 続けて席を立ち上がり、駆け寄ってきた。

 

「最高に怪我人って見た目になってるな。調子はどう?」

 

 飛び出てきた第一声に、思わず苦笑すると。

 僕は声をかけてきた友人、鳴門に返事をした。

 

「平気だよ、鳴門」

「何があったか聞いた時はすげえ驚いたけど、思ってたよりピンピンしてんじゃん。お前、ひょっとして不死身だった?」

「そんな訳ないよ。僕だって転べば怪我もするし、骨折だってする、普通の人だ。こんな風にね」

 

 ギブスで固定された左足を、軽く上げる。

 それが鳴門にはウケたらしい。

 

「ならこれからは気をつけろよ! 死なない程度にな!」

 

 僕の肩をパンパンと叩き、嬉しそうに微笑む。

 僕は鳴門の笑顔に合わせ、笑顔を返す。

 

 事実を隠している。

 そのことに、引け目を覚えながら。

 

 ホームルームへ間に合った僕は、その日の授業を順に受けていった。

 数学、国語、社会、英語。

 身体を動かす授業は見学する他なかったが、それ以外は周りと同じように。

 

 ペンタエルも一緒に授業を眺めていた。

 僕以外には見えないのをいいことに、クラスメイトのノートやタブレットの画面を見て、それで聞きたいことがあると、僕が開いてあるノートに文字を書いてくる。

 分かる範囲で答えを書いてあげれば、なるほどと頷く。

 

 ただ、質問の内容が時折相手のプライベートに突っ込んだものだったり、プライバシーに侵入するものだったりするので、残すわけにはいかないのが面倒だった。

 

(消しゴムを忘れなくてよかった……)

 

 授業用のタブレットでやり取りすることも考えたけれど、ペンタエルにはタブレットが使えないらしい。

 何度タップしても画面が反応しなくて、若干拗ねていた。

 

「壊れていませんか、これ?」

 

 多分、正常だと思う。

 天使が使うことを想定していないだけだから。

 不満気に愚痴っていた彼女を横目に、時間は過ぎていった。

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