辺りはシンと静まりかえっていた。
しかし、ただの無音ではない。空気を軋ませているかのような静寂。
辺りには緊張や威圧感などが共鳴し、目に見えない波動となり、空間を満たしていた。
そこは、先が見えないほどの広さを持つ『玉座の間』。
太い柱が幾つも並び、豪勢なシャンデリアが吊るされている。ギリシャやゴシックなど、様式が合わさった荘厳な石造建築。
その奥まった場所に玉座がある。
そして、そこへ座る人影。黒いローブに身を包む、さながら『魔王』であった。
人間ではない。
フードから覗く顔には皮膚がなかった。肉もなく、目も鼻も耳もない。有るのは髑髏であった。眼窩に赤い光が揺れている。
肘掛に置かれている手も、青白い骨が剥き出しになっていた。まるで漆を塗っているかのように艶かしい光沢を放つ。
玉座に君臨する、この魔王こそ、『ナザリック地下大墳墓』の主。
『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスター。
ディスプレイに映る、デジタルの臨場感。
見慣れた光景ではあったが、グラフィックの美しさに、鈴木悟ことモモンガは惚れ惚れとしていた。
ましてや今、目の前にある建造の数々は、自分が、自分達が、一から作り出した物なのだ。
元々はエリアに配置されていたダンジョン『ナザリック地下大墳墓』。偶然見つけ出し攻略、制圧した。
そこを拠点とし、階層を増やし広げ、設備や内装を整えた。まさに城造りだ。言い様のない満足感に、胸がいっぱいになる。
ユグドラシル最大最強のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』。
その居城であり、栄光の象徴であった。
(まさか、そのギルドマスターが自分とはなぁ……)
モモンガは感慨深げに息を吐いた。
しかし、自分の功績よりも一番に思い出すのは“正義降臨”、ド派手な課金エフェクトの文字。
たっち・みーさん。
自分をプレイヤーキラーから救い、仲間に誘ってくれた恩人。
白銀の甲冑を纏う騎士、まさしく正義のヒーロー。
たっちさんや仲間とゲームを楽しむ日々。至福の一時だった。
最初はたっちさんをリーダーとしたクラン『ナインズ・オウン・ゴール』の活動だったが、人数が多くなりクランを解散。
ギルドを結成、チームが再始動するにあたり、自分がギルドマスターへ推された。
たっちさんからも推薦され、断れず押し切られた。
だが、あれから幾年が経った今ですら恐れ多いものを感じる。
(俺は皆のために、頑張れたかな?)
サービス終了という、この今際に改めて、モモンガは思いを馳せる。
手を抜いたつもりは勿論ない。できることは尽くした。
その誠意にギルドメンバー達も真摯に答えてくれた、と思う。
たっちさんのようにチームを牽引するリーダーシップは自分になかったが、上手くメンバー間を調整し華やかさはなくとも堅実なギルドを作れた、はずだ。
その証拠に『アインズ・ウール・ゴウン』はモモンガの代で最盛期、粉うことなきユグドラシル随一のギルドとなった。
メンバーやNPCの強さ、ワールドアイテムなどの装備、拠点の設備。どれを取っても一流であり、運営からも表彰されたほどだ。
プレイヤー1500人の連合に攻められた戦役『審判の日』(タブラさんが名付けた)など、危ない時期もあったが、何とか退けることもできた。
何もかも充実して、足りない物などなかった。
ギルドは高みへと上ったのだ。
しかし──
モモンガは想う。想ってしまう。
その想いはまるで針の筵に座っているかのよう、モモンガを苛む。
ナザリック。アインズ・ウール・ゴウン。そして現在。
栄光の成れの果てとなった場所。
ギルドメンバーは徐々にゲームから離れていき、ログインする人間は極わずか。それも数ヶ月から数年会っていない。最後に全員が集まったのはいつだったか。
壮大な拠点も今やもぬけの殻。ギルドは事実上の解散、自然消滅の状態だった。
どんな立派なお城もがらんどうでは虚しい。
なぜメンバーはギルドを捨てた? 12年の歳月は人の心を変えるのか。モモンガはまだ、ここにいるというのに。
怒りや疑問はある。それでも何をどう、ということはなかった。
メンバーを責めればいい訳でも、ただ自分を責めればいい訳でもない。そんな単純な問題でないことも分かっていた。
何が問題か?
一つ一つ、紐解いたとて出る答えも同じ。
仕方ない、仕方ない、仕方ない、仕方ない、仕方ない。
まるで雑魚キャラを淡々と狩っているかのように、流れていく気持ち。
それでも靄は晴れない。怒りや疑問は決して癒えなかった。
靄の正体。
それはどこかで、自分がメンバーに傷付けられた、裏切られたと思っているから。
──裏切られた? 何故?
モモンガは胸中で首を横に振る。
メンバーは裏切ってなどいない。所詮はゲームなのだ。ログインを強制するものでもない。
どんなに楽しくても、いずれは飽きる時が来る。
それぞれ人生があり、ましてや今は世界情勢も悪く、本来ならゲームなどしてる場合でもない。
12年、このゲームにしがみつく自分こそおかしいのだ。
メンバーは何も悪くない。
では、何故──?
何故、こんなもどかしく、胸が苦しくなるばかりなのか。
あんなに皆で笑いあっていたのに。あんなに楽しかったのに。
何故、ゲームから、皆の居場所から離れていくのか。
笑顔も楽しさも、あれは全部、嘘だったのか。
違う。そんなはずはない。
モモンガは叫び出しそうな衝動を抑える。
血反吐が出そうなほどの葛藤だった。
知りたかった。何をというものではなく。ただ、心の中を。
皆、本当はどう思っていたのか。
──だが、人の気持ちは見えない。
人の心は決して見ることができない。
どんなに言葉で示そうが表現されるのは一部であり、また言葉の意味も自分と相手とで一緒とは限らない。
ましてや顔も見れないネットゲームだ。
当たり前なのだ、そんなこと。
それでも、信じたかった。
もう1人の自分が囁く。
絆ほど、嘲笑に値するものも他にないだろうと──。
絆は本物だったと信じたい。希望を持つ自分。
しかし、それに相反して、どこかで現実を見てる自分。
血反吐を吐くような葛藤の中、そういう自分を冷ややかな眼で見る、もう1人の自分。
懊悩を精算することもできず、身悶える度に、異なる問いが自分の中で木霊する。
「はい」とも「いいえ」とも言わず、モモンガは、ただ瞠目した。
静寂に包まれた場所で衣擦れの音がする。
モモンガは視線を横に向けた。
「おはようございます、モモンガ様。御機嫌はいかがでしょう?」
「おはよう、アルベド。お前の美貌を見れば、例え曇天とて晴れようもの。今日も一段と美しい。さすがは我がナザリックが誇る女神よ」
「まぁ、お上手ですこと」
「フフッ」と笑う妖艷な女性。
スラリと長くグラマーな肢体。白亜のように透き通った肌。清流を思わせる黒く豊かな髪。
一見、優美なドレスを纏う絶世の美女だが、その頭には2つの角、くびれた腰を覆うように黒い翼が生えていた。
異形の悪魔。しかし、その矛盾すら包み込む無機質で圧倒的な美。
ナザリック地下大墳墓。雲霞のごとく犇めく魔獣魔人の頂点。
守護者統括・アルベド。
ナザリックのNPCの中でも指折りの実力者。紛うことなきギルドマスター・モモンガの右腕であった。
「モモンガ様、今日のご予定は?」
アルベドの妖美な唇からの問い。
溢れる言葉すら調べに変わるような美貌もさることながら、一切乱れることのない挙動。その技術力に、モモンガはいつも関心してしまう。
ユグドラシルがゲーム内に導入したAI技術の賜物だった。
本来なら命令や設定したこと以外出来ないはずのNPCだが、何回かのアップデートにより、その自由度は拡大。
不評だった傭兵NPCの廃止、自分が作ったNPCを冒険へ連れていけるようにもなった。
この仕様変更は神アプデと言われ、NPCの育成等やり込み要素も増え、ユグドラシルがDMMORPGの頂点に長年君臨する決定打となる。
特にそのAI技術は群を抜いており、設定に即した言動からスタートし、そこからプレイヤーとの会話や冒険を記憶。
経験を吸収し学習。徐々に性格が変化し成長。それこそ、まるで生きてるかのように振る舞う。
一時期はNPCと本気で結婚しようとするプレイヤーが現れたり、育成したNPCを売買するNPC職人なる商売が流行ったりと、電脳法スレスレの問題も起きたが。
その騒ぎも、ユグドラシルというゲームの隆盛を象徴する出来事となったのだった──。
「あの……モモンガ様? どうかなさいました?」
ハッと顔を上げるモモンガ。
つい考えに耽り、アルベドを無視してしまった。
アルベドがキョトンと不思議そうにこちらを見ている。
「う、ウム。昼にぶくぶく茶釜さん達がギルドへ来る。それまで各階層を巡回する。お前も付き従え」
「かしこまりました。モモンガ様」
誤魔化すように咳払いし、モモンガは玉座から歩き出す。
アルベドもそっと、その後ろをついて行く。
(良かった……不機嫌になってないか)
モモンガは胸を撫で下ろす。
AI技術によりNPCとの交流が楽しくなったのは良いが、リアリティがある分、現実の人付き合いにも似た微妙な関係や雰囲気が生まれてしまう。面白さの反面、疲れを感じる時もある。
幸い、アルベドは数あるNPCの中でも素直な性格で接しやすい。プレイヤーやNPC、誰が相手でも折り合いが良かった。
戦闘面でも活躍。アルベドはタブラさんに可愛がられ、手ずからワールドアイテムも託されている。
レベルはカンストだが、ワールドアイテムを加味すれば100レベル以上の強さを持っているだろう。
まさに守護者統括に相応しい優秀な腹心キャラに育った。
(まぁ、生みの親が良かったのか、な……?)
タブラ・スマラグディナさん。ギルド初期メンバーの1人。アルベドの製作者。
ホラー映画やTRPGを嗜み、神話の知識も豊富で。
拠点の意匠やNPCの作成では、その知識を遺憾なく発揮。
それは周りも引くほどに……。
常に冷静でどんな状況でも頼りになる人だったが、凝り性でありギルドメンバーを振り回す時もしばしば。
アルベドの製作でも一悶着あった。
長文の設定を練りキャラメイクに何時間も費やすなど、タブラさんが手塩に掛けて生み出したは良いものの。
『ちなみにビ◯チである』という、余計な設定を最後に書き加え、ギャップ萌えの性が発動してしまう。
これにはぶくぶく茶釜さんを始め女性メンバーから大ひんしゅくを買い、結局タブラさんは泣く泣くその一文を削除することに……。
あの時のタブラさん、血涙を流さんばかりに悔しがっていたが。
そのおかげか、タブラさんの良い部分だけを引き継いだかのようなアルベドが誕生し、ギルド運営全般でモモンガの助けになっている。
「最近のモモンガ様は物思いに耽ることが多くなりました。何かお悩み事ですか?」
「あ、ああ。少しな」
様子がおかしいのを察したのか、アルベドが後ろから話しかけてくる。さすがは長年付き添っているだけあり敏感だ。
モモンガは思わず唸った。頬を指でかきながら言葉に悩む。
(NPCに気を遣われるなんてな〜。まぁ、アルベドに話したところでどうしようもないんだけど)
『今日、ユグドラシルのサービス終了日で皆の思い出が全部消え去ります』とは口が裂けても言えない。
それにNPCは自身がゲーム世界にいるキャラクターであるという認識はない。
そういうメタ的な理解はユグドラシルの仕様で設定で書いたとしても無効化される。
(例え理解出来たとしても……俺からは言えないよ)
そんな死を宣告するような酷い真似、出来るはずがない。
NPCは何も知らなくていい。全てはモモンガが胸に秘めておけば良い事だ。
そう思い直し、いつも通りの態度で臨むと腹を決める。
モモンガは前を歩きながら、
「ふん、支配者の憂鬱、といったところか」
「あら、てっきりご自身の童貞をまた気にされているのかと」
「ど! どどど、誰が童貞だ!?」
溜息をつきつつサラリと魔王らしい憂いを表現しようと思ったら、まさかのカウンターを食らう。
(タブラさんめ〜〜〜!!!)
怒りの中に、タブラさんの顔が浮かぶ。
今にも笑い声が響いてきそうだった。
モモンガは生まれてから一度も女性と付き合ったことも行為に至ったこともない。独身童貞である。
で、ある日それがギルメンにバレた。というより、モモンガが話の流れでついポロリと言ってしまった。
たっちさんだけは「今時そういう人も多いらしいですよ」と真面目にフォローしてくれたが。
他のギルメンは大爆笑。それからは必ずと言ってよいほどネタにされ散々に冷やかされた。
信頼する仲間と油断した結果、ギルド総出による独身童貞イジリの始まりである。影響はNPCにも及ぶ。
ぶくぶく茶釜さん経由で話が伝わっているアウラなどは鼻で笑いバカにしてきたり。
ヘロヘロさんとペロロンチーノさんはそれぞれソリュシャンとシャルティアを嫁入りさせようとけしかけたり。
アルベドもタブラさんに何を吹き込まれたのやら、イジリもさることながらアプローチも激しい。
ナザリックの第九階層にはギルメンとNPC達の部屋が設置されてるが、実はアルベドの部屋だけがない。
これは別に虐めではなく、モモンガの部屋がアルベドの部屋として設定されている。
モモンガはアルベドと強制的に同棲させられていた。
「そう言えばお姉さん系がタイプなんでしたっけ?」と、モモンガの好みを知っていたタブラさんが図らいという名のおふざけでアルベドとの仲を煽っているのだ。
何が悔しいかと言えば、実際、アルベドはモモンガのタイプど直球で一緒にいると結構ドキドキしてしまうことだった。
アルベドの種族レベルにはサキュバスが入っており、その為か、相手を誘惑するような言動をしてくるので余計に緊張する。
二人きりの部屋で急に垂れかかってきたり、腕を引いて寝室へ連れ込もうとしてきたり。とにかく卑猥なのだ。
ゲーム内で18禁的な行動は出来ないので、それ以上のことはないが、逆に生殺し状態でモモンガをさらに悶えさせた。
思えば初めてアルベドと会った時、目を見張り仰天したのを覚えている。
確かに美人だった。NPCとはいえ、最初は目も合わせられないくらい照れに照れた。
恐らくそういうモモンガの態度も見られていたのだろう。
全てはタブラさんの掌の上だったと思うと、ただただ自分が情けなかった……。
(タブラさ〜ん! 一生恨みますよ〜‼)
今はいない仲間へ怨嗟の念を送る。
そうこうしている間にアルベドの責めが始まる。
「憂鬱というなら、私をお抱きになればよろしいのに。そうすれば支配者としても男としても余裕が生まれて、お悩みにも泰然と構えられるのでは? 僭越ながら私が女の扱いをご教示いたしますよ」
そう言い、モモンガの手に指を絡めてくる。
アルベドの上目遣い。頬、首筋、鎖骨。白い肌が光に反射し輝く。美しさが泉のごとくアルベドの体を溢れ滴っていく。
モモンガの視線は大いに泳ぎ溺れた。
思わず仰け反り、十分に狼狽えながら、
「な、なな、何がご教示だ!? アルベド、お前とて経験はないだろう⁉」
「さあ、どうでしょう? 試しにベッドの中で確かめてみますか?」
「ええい! 確かめんでもお前に彼氏がいたなどと聞いたことがないぞ!」
「はい、寂しい独り身同士。だから、よろしいのではなくて? 小さい灯し火を、互いの身を焦がす情念の炎にまで燃え盛らせましょう? 赤々と熱せられたモモンガ様の魔羅が──」
「おーい! 何を情緒的に誘惑しておるのだ!」
「まあ、モモンガ様こそさっき私の事を女神のようだと言ってくださったのに。今も私の美貌を舐めるように見て、欲情した狼のごとく──」
「あー! もううるさいうるさい!! さっさと行くぞ!」
サキュバスと童貞の言い争い。
最後はモモンガが無理矢理話を打ち切る。
モモンガが地団駄を踏むように、ドシドシ足音を立てながら歩き出す。
ハイハイと鼻で小さい溜息をつき、アルベドが後から着いてくるのを背中で感じ取る。
(全く、何でこんなことに……)
まさかNPCにまで童貞をイジられようとは。
口が滑った日のことを何度後悔したことか。
だが──
(そんな毎日も今日で終わっちゃうのか)
かなり負担の大きい心労だったとはいえ、問題が解決するのではなく、一切が消え去るのだ。
心労の中には楽しみも苦しみもあって、それは等しく全て思い出だ。
モモンガにはこのゲームに出会う前、自分を童貞だの囃し立てるような仲間など、現実にいなかったのだから。
NPCの言動に辟易しても、それも全て、仲間達の思い出から繋がっている残滓だった。
(皆が皆、ギルドに何かを残してくれてるんだよな)
モモンガはしみじみと感じ入る。
人や物、ギルド内に色んな思い出が散りばめられている。
まるで宝石のように。
触れるたび、目に付くたび、思い出が蘇り、光り輝く。
それなのに──。
その思い出も、いつかは全て消える。
元々がゲーム内の話で、虚しいだけだったのかもしれない。
それでも、消えるのか。今日、全て、本当に?
後ろを振り返る。
目が合ったアルベドが微笑んでくれる。
まるで生きてるかのように。
今日、何もかもが、消え去るのに。