ペルセウスが海へ出た。
帆が張られ、船体が軋み、波が白く割れる。
科学王国の誰もが甲板に集まり、遠ざかる陸を見ていた。石神村。硝酸洞。油田。畑。作業場。復活を待つ無数の石像。
そこから離れる。
戻るために。
龍水は舵を握り、笑っていた。
「出航だ! この海も、空も、世界も、すべて欲しい!」
クロムは甲板の縁から身を乗り出す。
「すっげえ……地面が動いてるみてえだ!」
「落ちんなよ」
千空が言う。
「海に落ちたら、百億パー面倒だ」
ゲンは船酔い気味の顔で手すりに寄りかかっている。
「いやぁ、文明の船旅ってもっと優雅なイメージだったんだけどね」
フランソワは静かに水と食料を配分していた。
コハクは、陸ではなく船内を見ていた。逃げ場のない空間。揺れる足場。狭い通路。敵よりもまず、この船そのものに慣れる必要がある。
そしてボンドルドは、甲板の隅に立っていた。
黒と濃紺の装甲。異形の仮面。潮風を受ける姿は、研究者というより、海底から引き上げられた古い呪具のようだった。
彼は海を見ていない。
乗組員を見ている。
揺れに弱い者。
命令を待つ者。
勝手に動く者。
船酔いを隠す者。
恐怖を興奮に変える者。
千空が横に立った。
「何を記録してやがる」
「航海初日の適応反応です」
「消せ」
「消す理由を伺っても?」
「本人の同意なしに精神状態まで分類すんな」
「では、個人名を外します」
「そういう問題じゃねえ」
ボンドルドは少し沈黙した。
「船は閉鎖環境です。小さな不調が、全体の事故になります」
「だからフランソワと律が見てる」
「私は、事故になる前の兆候を見ています」
「テメーは兆候から人間の値札を作る」
「否定はしません」
千空は舌打ちした。
「その素直さ、マジで腹立つな」
「ありがとうございます」
「褒めてねえ」
*
最初の異常は、二日目の夜に起きた。
食料庫の前で、小さな騒ぎがあった。
水樽の封が一つ、勝手に開けられていた。
中身は少し減っている。
船内はざわついた。
「誰だ」
コハクの声が低くなる。
龍水は腕を組んだ。
「水は船の命だ。盗みは見過ごせん」
ゲンがため息をつく。
「初航海あるある……って言いたいけど、これはまずいね。疑心暗鬼コースだ」
千空は樽の縁を見た。
濡れた指の跡。
床に落ちた水滴。
揺れでついた傷。
それとは別に、小さな白い粉。
「薬品じゃねえ。塩か」
フランソワが封を確認する。
「封の結び方が、通常と異なります。慣れていない方が開けた可能性が高いかと」
その時、ボンドルドが言った。
「犯人探しを急ぐべきではありません」
全員が振り向く。
「珍しいな」
千空が言う。
「テメーなら、即座に分類表でも作るかと思ったが」
「作れます。ですが、今それを出せば、集団は犯人を探し始める。船内では、犯人探しより再発防止が先です」
ゲンが目を細めた。
「まともなこと言うじゃん」
「まず、船酔いと脱水の確認を。水を盗んだのではなく、夜間に錯乱して飲んだ可能性があります」
律が反応した。
「あり得る。吐いてる人、昨日いたよね」
フランソワがすぐに名簿を見る。
「数名、食事量と水分量が落ちております」
千空はボンドルドを見た。
「気づいてたな」
「はい」
「なぜ先に言わなかった」
「本人の羞恥がありました。軽度なら、フランソワさんの食事調整で解決すると判断しました」
「で、悪化した」
「はい。私の判断ミスです」
あっさり認めた。
それが逆に、不気味だった。
フランソワは静かに言う。
「以後、船酔いの方には薄い塩水と軽食を定時で配布いたします。水樽は個人判断で開けないよう、夜間の管理者を置きます」
龍水が頷く。
「よし。犯人は責めん。次にやったら責任問題だがな!」
場の緊張が少し緩む。
ゲンが小声で千空に言った。
「今の、ボンドルドちゃんが空気を収めたね」
「ああ」
「怖いね。信頼される動きを覚えてる」
千空は黙った。
その夜、水を飲んだのは、若い復活者だった。
船酔いで吐き続け、喉の渇きに耐えられず、夜中に食料庫へ入ったらしい。
本人は泣いて謝った。
大樹が背中を叩き、フランソワが塩水を渡し、律が診た。
ボンドルドは、その一連の流れを見ていた。
責めない。
原因を見る。
仕組みを変える。
千空たちのやり方を、彼はまた一つ学習した。
*
四日目。
海の色が変わった。
龍水が舵を切りながら叫ぶ。
「潮が変わる! 島が近いぞ!」
甲板に緊張が走る。
ソユーズは、船首に立っていた。
自分がかつて流れ着いた場所。
記憶の奥にしか残っていない島。
彼は何度も拳を握った。
「……近い、気がする」
千空は地図と方位を確認する。
「目標は白金だ。百物語で伝わった宝箱。それを取れば、復活液の大量生産が近づく」
クロムが目を輝かせる。
「白金って、そんなにすげえのか?」
「硝酸作りの触媒だ。復活液の量産には必須級だ」
ボンドルドが横から言う。
「つまり、復活の鍵を、より大規模なものにするための旅」
「そうだ」
千空は答えた。
「人類全員を戻すためにな」
「全員」
ボンドルドは、その言葉を反復した。
それ以上は言わなかった。
ゲンが彼を見る。
「何か言わないの?」
「今は必要ありません」
「今は、ね」
島影が見えた。
緑に覆われた島。
文明の残骸ではない。
人の気配がある。
煙。
小舟。
海岸の道。
そして、遠くに動く人影。
コハクが目を細めた。
「人がいる」
龍水が笑みを消す。
「歓迎してくれるとは限らんな」
「当たり前だ」
千空はすぐに指示を出した。
「全員で乗り込むのは愚策だ。まず少人数で偵察。俺、ゲン、コハク、ソユーズ」
「俺も行く!」
クロムが叫ぶ。
「船に残れ。工作班と通信を見ろ」
「くっそ!」
ボンドルドが言った。
「私も同行を希望します」
「却下」
千空は即答した。
「理由は?」
「交渉相手がいる可能性が高い。テメーを連れて行くと、初手で警戒される」
「妥当です」
「あと、テメーは人間を見る目が危険すぎる。島民を観察対象にするな」
「それは難しい」
「難しくてもやるんだよ」
「では、船に残りましょう」
あっさり引いた。
千空は目を細める。
「何を考えてる」
「船に残る方が、得られる情報もあります」
「船を任せるとは言ってねえ」
「もちろん。私は隔離区画で待機します」
ゲンが千空に小声で言う。
「素直すぎるね」
「ああ。嫌な予感しかしねえ」
*
偵察隊が島へ向かった後、ペルセウスは沖で待機した。
龍水は船上に残り、指揮を取る。
クロムは通信機と工具の間を行き来する。
フランソワは食料と水を確認する。
律は医療区画。
大樹は甲板。
ボンドルドは隔離区画。
少なくとも、表向きは。
昼過ぎ。
船底から、低い音がした。
木が軋む音ではない。
何かが船体に触れた音。
大樹が叫ぶ。
「何かいるぞ!」
甲板が騒然となる。
海中に、泡が見えた。
次の瞬間、船の側面に小さな衝撃。
クロムが駆け寄る。
「岩にぶつかったのか!?」
「違う」
龍水が舵を見ながら叫ぶ。
「海流ではない。何か投げ込まれた!」
ボンドルドは隔離区画の扉越しに言った。
「開けてください」
見張りが迷う。
「千空の許可がない」
「船底に何か取り付けられている可能性があります。遅れれば沈みます」
見張りが龍水を見る。
龍水は一秒で判断した。
「出せ! ただしコハク不在だ。大樹、張り付け!」
扉が開く。
ボンドルドは甲板へ出た。
黒い装甲が陽光を吸う。
彼はすぐに船縁へ向かい、海面を見た。
「水中からの接近。潜水者か、小型の仕掛け」
クロムが叫ぶ。
「船底なんて見えねえぞ!」
「見ます」
ボンドルドは外套の留め具を外した。
中から、細い黒い線と小さな金属筒が現れる。
未開示装備。
大樹が腕を掴む。
「何をする気だ」
「水中確認です。武器ではありません」
「信用できん」
「信用は不要です。縄をつけてください。私が戻らなければ引き上げる」
龍水が笑った。
「行かせろ。沈むよりマシだ」
「龍水!」
「大樹、船長命令だ。縄を握れ。こいつが妙なことをしたら、そのまま引きずり上げろ!」
ボンドルドは自分の腰に縄を結ばせると、海へ落ちた。
黒い姿が、青い水中へ沈む。
*
水中は静かだった。
船底に、竹筒のようなものが取り付けられている。
中には、石の重りと、何かの包み。
爆薬ではない。
だが、船底の板の隙間に差し込まれている。
ボンドルドは目を細めた。
船を沈める仕掛けではない。
位置を知らせる目印だ。
海上からでは見えない。
だが、近づく者にはわかる。
島側の人間が、この船を監視するために付けた印。
彼はそれを外そうとして、手を止めた。
完全に外せば、相手はこちらが気づいたと知る。
残せば、追跡される。
ならば。
ボンドルドは竹筒を半分だけずらし、自分の装甲から外した小さな破片を中へ入れた。
黒い破片。
残留薬品のない、ただの装甲片。
ただし、見た者に疑問を残す。
そして仕掛けを元のように戻した。
縄を引く。
大樹が一気に引き上げた。
ボンドルドは甲板へ上がる。
「何があった!」
クロムが叫ぶ。
「船底に目印がありました」
龍水の顔が険しくなる。
「敵か」
「不明です。船を沈めるものではありません。追跡、識別、または警告」
「外したのか?」
「いいえ」
甲板が静まる。
ボンドルドは続けた。
「外せば、こちらが気づいたことを相手に知らせます。残せば、相手は近づいてくる可能性が高い」
大樹が叫ぶ。
「近づかせる気か!」
「はい」
その即答に、空気が凍る。
クロムが詰め寄る。
「勝手に囮にしたのかよ、この船を!」
「沈没の危険は低い。相手を観察できる可能性は高い」
「ふざけんな!」
龍水が低く言う。
「船長の判断を通さずにやったな」
「水中で即時判断が必要でした」
「それは認める。だが、報告を省略する権限は与えていない」
「報告しています」
「事後だ」
ボンドルドは黙った。
その時、海面の向こうに小舟が見えた。
島の方から来る。
速い。
龍水が舌打ちした。
「来たぞ」
ボンドルドは静かに言った。
「観察機会です」
大樹が怒鳴る。
「お前にとってはな!」
*
小舟は二艘。
乗っているのは島の男たちだった。
武器は粗い槍。だが動きが慣れている。海の民だ。
先頭の男が叫ぶ。
「その船、どこから来た!」
龍水が前に出る。
「俺たちは科学王国! この船はペルセウス! 世界を渡る船だ!」
「答えになってねえ!」
ゲンがいない。
千空もいない。
交渉役が足りない。
ボンドルドは一歩前へ出ようとした。
大樹が肩を掴む。
「下がれ」
「交渉が必要です」
「お前は黙ってろ」
龍水が声を張る。
「敵意はない! 我々は島を調べに来た!」
「調べるだと? 頭首様の島を!」
頭首。
その言葉を、全員が覚えた。
ボンドルドも。
男たちの視線が船を走る。
大きすぎる船。
見慣れない技術。
甲板の人間たち。
そして、黒い装甲の異形。
一人が怯えた。
「なんだ、そいつ……」
ボンドルドは丁寧に頭を下げた。
「はじめまして」
その礼儀が逆効果だった。
男たちは槍を構える。
その時、海岸の方で光が走った。
小さな光。
投げられた何かが、空中で輝いた。
龍水が叫ぶ。
「全員伏せろ!」
しかし、間に合わない。
光は、海上で広がった。
緑の輪。
音もなく、世界が硬直する。
甲板の一部が、石になった。
手すりを掴んでいた船員。
叫びかけた者。
縄を持っていた者。
石化は一瞬だった。
ただし、範囲は船全体には届かなかった。
輪の端が、甲板をかすめただけだ。
大樹はボンドルドを庇おうとして、腕の半分を石化された。
「ぐっ……!」
クロムが叫ぶ。
「大樹!」
龍水は歯を食いしばる。
「これが……石化武器か!」
ボンドルドは、動かなかった。
仮面の奥で、彼は緑の光が消えた空間を見ていた。
呼吸すら忘れたように。
「すばらしい」
その声は、低かった。
誰も聞き逃さなかった。
大樹が痛みに耐えながら睨む。
「今……何て言った」
ボンドルドは答えない。
彼は石化した船員の手へ近づき、膝をつこうとした。
クロムが工具を構える。
「触るな!」
龍水も叫ぶ。
「ボンドルド! 動くな!」
ボンドルドは止まった。
だが、その声は明らかに熱を帯びていた。
「範囲指定。遠隔起動。対象選択は不明。光の到達と石化完了がほぼ同時。これは、復活液の比ではありません」
「黙れ」
龍水が低く言う。
ボンドルドは続けた。
「千空さんに知らせる必要があります。この島には、石化技術の実用装置があります」
「わかってる!」
クロムが叫ぶ。
「わかってるから、そんな嬉しそうに言うな!」
小舟の男たちは、逆に怯えていた。
自分たちの武器を見て喜ぶ異形。
その異常さに、彼らの方が引いた。
龍水はその隙を逃さない。
「退け! 次に撃てば、こちらも戦う!」
戦う手段など、まだ整っていない。
だが、船の大きさと龍水の声が、相手を押した。
小舟は離れていく。
海岸の方でも、人影が引いた。
ペルセウスの甲板には、石化した者たちと、腕を半分石にされた大樹が残された。
*
処置は即座に始まった。
千空たち偵察班とは連絡が取れない。
船上にいるのは、クロム、龍水、フランソワ、律、大樹、ボンドルド、その他の乗組員。
律が大樹の腕を見る。
「石化が途中で止まってる……境界がはっきりしてる」
大樹は歯を食いしばる。
「俺は平気だ! 他のやつを!」
「平気なわけないだろ!」
クロムが叫ぶ。
ボンドルドは一歩離れて見ていた。
龍水が睨む。
「何か言え」
「言ってよろしいのですか」
「今は許す」
「部分石化は、非常に重要です」
クロムが怒鳴る。
「またそれか!」
「大樹さんを救うためにも重要です」
ボンドルドは続けた。
「全身石化と異なり、生体と石化部位の境界が存在する。壊死、血流、神経伝達、痛覚、感染。確認すべきことが多い」
「実験扱いするな!」
大樹が叫んだ。
ボンドルドは大樹を見る。
「大樹さん。あなたの腕を戻すためには、境界を理解する必要があります」
大樹は黙った。
「復活液をそのままかければ、石化部だけ解除できる可能性があります。ですが、生体部との境界で急激な反応が起きれば、組織損傷が起きる可能性もあります」
律が悔しそうに言う。
「……それは、あり得る」
「段階的解除を使います」
龍水が即座に言う。
「許可条件は?」
「本人同意。医療者判断。船長許可。緊急性あり」
ボンドルドは淡々と答えた。
千空が作った規則を、完全に覚えている。
龍水は大樹を見る。
「決めろ」
大樹は即答した。
「やってくれ。俺はまだ動ける。みんなを守る」
クロムが拳を握る。
「俺も手伝う」
律が頷く。
「私が主治。ボンドルドは補助」
「承知しました」
処置は始まった。
石化した腕に復活包帯を巻く。
生体部に霧を吸わせない。
境界を濡れ布で保護。
復活液は微量。
反応を見ながら進める。
ボンドルドの指示は短く、正確だった。
「境界からではなく、末端から。血流再開を急がせない。痛みが出たら止める。色を見てください。温度も」
大樹が呻く。
石が少しずつ人の腕へ戻っていく。
痛みが走る。
だが、腕は戻った。
大樹は荒く息を吐いた。
「動く……!」
クロムが泣きそうな顔で笑った。
「よかった……!」
律も肩の力を抜く。
「組織壊死なし。感覚あり。運動もある」
ボンドルドは静かに言った。
「部分石化からの局所解除、成功ですね」
その言葉に、全員が振り向いた。
成功。
たしかに成功だ。
大樹は助かった。
だが、この男の中では、同時に「実験成功」でもあった。
龍水は低く言う。
「記録は残す。だが、お前の手帳には書かせん。船の共有記録だ」
「承知しました」
ボンドルドは素直に頷いた。
しかし、クロムは見た。
ボンドルドが、石化した船員たちの方へ一瞬だけ視線を向けたのを。
完全石化。
部分石化。
局所解除。
範囲指定。
彼の頭の中で、何かが繋がっていく。
*
夜。
ペルセウスは沖に退いた。
石化した船員たちは甲板に保護され、大樹は回復した。だが、船内の空気は最悪だった。
島には石化武器がある。
千空たちは島にいる。
通信は沈黙。
船は敵に見つかった。
そして、ボンドルドは石化の光を見た。
龍水は船長室で、ボンドルドを呼び出した。
大樹、クロム、律、フランソワもいる。
「お前は、船底の目印を残した」
「はい」
「それが敵の接近を招いた」
「可能性は高い」
「結果として、石化武器の存在を確認した」
「はい」
「船員が石化した」
「はい」
龍水の目が鋭くなる。
「お前は、これを必要な犠牲だと思っているか」
ボンドルドは、少し沈黙した。
その沈黙が、答えだった。
大樹が立ち上がる。
「ふざけるな……!」
「大樹さん」
ボンドルドは静かに言った。
「あなたの腕は戻りました。船員の方々も、復活液があれば戻せます」
「だからいいって言うのか!」
「いいとは言っていません」
「思ってるだろ!」
ボンドルドは否定しなかった。
律が震える声で言う。
「あなたは、最初から石化武器を見たかったんですか」
「可能なら」
クロムが息を呑む。
「船を囮にしてでも?」
「船が沈む危険は低いと判断しました」
「人が石化する危険は?」
「ありました」
沈黙。
龍水が低く言った。
「裏切りに近いな」
「そう評価されることは理解しています」
「違う。これはもう、裏切りだ」
ボンドルドは黙った。
フランソワが静かに言う。
「ボンドルド様。あなたは科学王国の安全より、観察機会を優先されましたね」
「はい」
「では、以後あなたを協力者として扱うことは困難でございます」
「でしょうね」
あまりに平然としていた。
龍水は立ち上がった。
「拘束する」
大樹が即座に動く。
だが、ボンドルドは抵抗しなかった。
両手を差し出した。
「拘束は妥当です」
「なぜ抵抗しない」
「まだ船を降りるべきではないからです」
龍水が眉をひそめる。
「何?」
「千空さんたちは島にいます。島には石化武器がある。船員の一部は石化しました。大樹さんの腕は戻った。つまり、私の知識はまだ必要です」
「自分の価値を人質にするか」
「はい」
クロムが怒鳴った。
「マジで最悪だな!」
「理解しています」
大樹が縄でボンドルドを縛った。
強く。
それでもボンドルドは穏やかだった。
「龍水さん」
「何だ」
「船底の目印には、私の装甲片を入れておきました」
全員が止まった。
「何のために」
「相手がそれを見つければ、こちらに未知の異物があると判断する。彼らは、船ではなく私に興味を持つ可能性がある」
「つまり」
龍水の声が冷たくなる。
「自分を餌にしたのか」
「はい」
「こちらの許可なく」
「はい」
大樹が拳を震わせる。
ボンドルドは続けた。
「もし島側が私を求めてくるなら、交渉材料になります」
「交渉材料はお前自身か」
「私で足りるなら、安いものです」
「自分の体も道具か」
「はい」
誰もすぐには言えなかった。
この男は、他人を道具にする。
そして自分も道具にする。
そこに躊躇がない。
それが、何より恐ろしかった。
*
ボンドルドは船底近くの隔離室に拘束された。
武器なし。
薬品なし。
記録具なし。
見張りは大樹とクロム。
だが、クロムは扉の前で歯を食いしばっていた。
「なんでだよ」
中から声がする。
「何がでしょう」
「お前、今日めちゃくちゃやった。なのに、お前のせいで大樹の腕を戻せた。石化武器のこともわかった。千空たちに知らせなきゃいけねえことも増えた」
「はい」
「なんで、役に立つんだよ」
ボンドルドは静かに答えた。
「役に立たない悪意は、すぐに排除されます」
クロムは息を止めた。
「役に立つから、残る。残るから、影響できる」
「……お前」
「クロムさん。科学は、使えるものを捨てるのが苦手です」
クロムは扉を殴った。
「黙れ!」
中は静かになった。
だが、その言葉は残った。
科学は、使えるものを捨てるのが苦手。
千空がいれば、否定しただろう。
だが、今この船に千空はいない。
そしてペルセウスは、石化した仲間を抱えたまま、島の闇を見ていた。
*
同じ頃。
島の森の中で、千空は息を潜めていた。
ゲン、コハク、ソユーズ。
彼らは、遠くの海を見ていた。
ペルセウスの甲板で、一瞬だけ緑の光が広がったのを。
ゲンの顔が青ざめる。
「船……やられた?」
コハクの手が震える。
「戻るか」
千空は、歯を食いしばった。
「戻らねえ」
「千空!」
「戻っても、真正面から石化武器に突っ込むだけだ。まず島のルールを知る」
ソユーズが震える声で言った。
「あの光……知ってる気がする……」
千空の目が鋭くなる。
「思い出せ。何でもいい」
森の向こうで、人の声がした。
島の兵だ。
ゲンが小声で言う。
「まずいね。こっちも囲まれ始めてる」
千空は海をもう一度見た。
船は沈んでいない。
だが、何かが起きた。
そして、あの船にはボンドルドがいる。
千空は小さく呟いた。
「クソ仮面……変なことしてねえだろうな」
その予感は、半分当たっていた。
半分では済まなかった。