石の世界に祝福を   作:stein0630

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第10話 船底の標本

 

 ペルセウスが海へ出た。

 

 帆が張られ、船体が軋み、波が白く割れる。

 

 科学王国の誰もが甲板に集まり、遠ざかる陸を見ていた。石神村。硝酸洞。油田。畑。作業場。復活を待つ無数の石像。

 

 そこから離れる。

 

 戻るために。

 

 龍水は舵を握り、笑っていた。

 

「出航だ! この海も、空も、世界も、すべて欲しい!」

 

 クロムは甲板の縁から身を乗り出す。

 

「すっげえ……地面が動いてるみてえだ!」

 

「落ちんなよ」

 

 千空が言う。

 

「海に落ちたら、百億パー面倒だ」

 

 ゲンは船酔い気味の顔で手すりに寄りかかっている。

 

「いやぁ、文明の船旅ってもっと優雅なイメージだったんだけどね」

 

 フランソワは静かに水と食料を配分していた。

 

 コハクは、陸ではなく船内を見ていた。逃げ場のない空間。揺れる足場。狭い通路。敵よりもまず、この船そのものに慣れる必要がある。

 

 そしてボンドルドは、甲板の隅に立っていた。

 

 黒と濃紺の装甲。異形の仮面。潮風を受ける姿は、研究者というより、海底から引き上げられた古い呪具のようだった。

 

 彼は海を見ていない。

 

 乗組員を見ている。

 

 揺れに弱い者。

 命令を待つ者。

 勝手に動く者。

 船酔いを隠す者。

 恐怖を興奮に変える者。

 

 千空が横に立った。

 

「何を記録してやがる」

 

「航海初日の適応反応です」

 

「消せ」

 

「消す理由を伺っても?」

 

「本人の同意なしに精神状態まで分類すんな」

 

「では、個人名を外します」

 

「そういう問題じゃねえ」

 

 ボンドルドは少し沈黙した。

 

「船は閉鎖環境です。小さな不調が、全体の事故になります」

 

「だからフランソワと律が見てる」

 

「私は、事故になる前の兆候を見ています」

 

「テメーは兆候から人間の値札を作る」

 

「否定はしません」

 

 千空は舌打ちした。

 

「その素直さ、マジで腹立つな」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてねえ」

 

   *

 

 最初の異常は、二日目の夜に起きた。

 

 食料庫の前で、小さな騒ぎがあった。

 

 水樽の封が一つ、勝手に開けられていた。

 

 中身は少し減っている。

 

 船内はざわついた。

 

「誰だ」

 

 コハクの声が低くなる。

 

 龍水は腕を組んだ。

 

「水は船の命だ。盗みは見過ごせん」

 

 ゲンがため息をつく。

 

「初航海あるある……って言いたいけど、これはまずいね。疑心暗鬼コースだ」

 

 千空は樽の縁を見た。

 

 濡れた指の跡。

 床に落ちた水滴。

 揺れでついた傷。

 それとは別に、小さな白い粉。

 

「薬品じゃねえ。塩か」

 

 フランソワが封を確認する。

 

「封の結び方が、通常と異なります。慣れていない方が開けた可能性が高いかと」

 

 その時、ボンドルドが言った。

 

「犯人探しを急ぐべきではありません」

 

 全員が振り向く。

 

「珍しいな」

 

 千空が言う。

 

「テメーなら、即座に分類表でも作るかと思ったが」

 

「作れます。ですが、今それを出せば、集団は犯人を探し始める。船内では、犯人探しより再発防止が先です」

 

 ゲンが目を細めた。

 

「まともなこと言うじゃん」

 

「まず、船酔いと脱水の確認を。水を盗んだのではなく、夜間に錯乱して飲んだ可能性があります」

 

 律が反応した。

 

「あり得る。吐いてる人、昨日いたよね」

 

 フランソワがすぐに名簿を見る。

 

「数名、食事量と水分量が落ちております」

 

 千空はボンドルドを見た。

 

「気づいてたな」

 

「はい」

 

「なぜ先に言わなかった」

 

「本人の羞恥がありました。軽度なら、フランソワさんの食事調整で解決すると判断しました」

 

「で、悪化した」

 

「はい。私の判断ミスです」

 

 あっさり認めた。

 

 それが逆に、不気味だった。

 

 フランソワは静かに言う。

 

「以後、船酔いの方には薄い塩水と軽食を定時で配布いたします。水樽は個人判断で開けないよう、夜間の管理者を置きます」

 

 龍水が頷く。

 

「よし。犯人は責めん。次にやったら責任問題だがな!」

 

 場の緊張が少し緩む。

 

 ゲンが小声で千空に言った。

 

「今の、ボンドルドちゃんが空気を収めたね」

 

「ああ」

 

「怖いね。信頼される動きを覚えてる」

 

 千空は黙った。

 

 その夜、水を飲んだのは、若い復活者だった。

 

 船酔いで吐き続け、喉の渇きに耐えられず、夜中に食料庫へ入ったらしい。

 

 本人は泣いて謝った。

 

 大樹が背中を叩き、フランソワが塩水を渡し、律が診た。

 

 ボンドルドは、その一連の流れを見ていた。

 

 責めない。

 原因を見る。

 仕組みを変える。

 

 千空たちのやり方を、彼はまた一つ学習した。

 

   *

 

 四日目。

 

 海の色が変わった。

 

 龍水が舵を切りながら叫ぶ。

 

「潮が変わる! 島が近いぞ!」

 

 甲板に緊張が走る。

 

 ソユーズは、船首に立っていた。

 

 自分がかつて流れ着いた場所。

 記憶の奥にしか残っていない島。

 

 彼は何度も拳を握った。

 

「……近い、気がする」

 

 千空は地図と方位を確認する。

 

「目標は白金だ。百物語で伝わった宝箱。それを取れば、復活液の大量生産が近づく」

 

 クロムが目を輝かせる。

 

「白金って、そんなにすげえのか?」

 

「硝酸作りの触媒だ。復活液の量産には必須級だ」

 

 ボンドルドが横から言う。

 

「つまり、復活の鍵を、より大規模なものにするための旅」

 

「そうだ」

 

 千空は答えた。

 

「人類全員を戻すためにな」

 

「全員」

 

 ボンドルドは、その言葉を反復した。

 

 それ以上は言わなかった。

 

 ゲンが彼を見る。

 

「何か言わないの?」

 

「今は必要ありません」

 

「今は、ね」

 

 島影が見えた。

 

 緑に覆われた島。

 

 文明の残骸ではない。

 

 人の気配がある。

 

 煙。

 小舟。

 海岸の道。

 そして、遠くに動く人影。

 

 コハクが目を細めた。

 

「人がいる」

 

 龍水が笑みを消す。

 

「歓迎してくれるとは限らんな」

 

「当たり前だ」

 

 千空はすぐに指示を出した。

 

「全員で乗り込むのは愚策だ。まず少人数で偵察。俺、ゲン、コハク、ソユーズ」

 

「俺も行く!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「船に残れ。工作班と通信を見ろ」

 

「くっそ!」

 

 ボンドルドが言った。

 

「私も同行を希望します」

 

「却下」

 

 千空は即答した。

 

「理由は?」

 

「交渉相手がいる可能性が高い。テメーを連れて行くと、初手で警戒される」

 

「妥当です」

 

「あと、テメーは人間を見る目が危険すぎる。島民を観察対象にするな」

 

「それは難しい」

 

「難しくてもやるんだよ」

 

「では、船に残りましょう」

 

 あっさり引いた。

 

 千空は目を細める。

 

「何を考えてる」

 

「船に残る方が、得られる情報もあります」

 

「船を任せるとは言ってねえ」

 

「もちろん。私は隔離区画で待機します」

 

 ゲンが千空に小声で言う。

 

「素直すぎるね」

 

「ああ。嫌な予感しかしねえ」

 

   *

 

 偵察隊が島へ向かった後、ペルセウスは沖で待機した。

 

 龍水は船上に残り、指揮を取る。

 クロムは通信機と工具の間を行き来する。

 フランソワは食料と水を確認する。

 律は医療区画。

 大樹は甲板。

 ボンドルドは隔離区画。

 

 少なくとも、表向きは。

 

 昼過ぎ。

 

 船底から、低い音がした。

 

 木が軋む音ではない。

 

 何かが船体に触れた音。

 

 大樹が叫ぶ。

 

「何かいるぞ!」

 

 甲板が騒然となる。

 

 海中に、泡が見えた。

 

 次の瞬間、船の側面に小さな衝撃。

 

 クロムが駆け寄る。

 

「岩にぶつかったのか!?」

 

「違う」

 

 龍水が舵を見ながら叫ぶ。

 

「海流ではない。何か投げ込まれた!」

 

 ボンドルドは隔離区画の扉越しに言った。

 

「開けてください」

 

 見張りが迷う。

 

「千空の許可がない」

 

「船底に何か取り付けられている可能性があります。遅れれば沈みます」

 

 見張りが龍水を見る。

 

 龍水は一秒で判断した。

 

「出せ! ただしコハク不在だ。大樹、張り付け!」

 

 扉が開く。

 

 ボンドルドは甲板へ出た。

 

 黒い装甲が陽光を吸う。

 

 彼はすぐに船縁へ向かい、海面を見た。

 

「水中からの接近。潜水者か、小型の仕掛け」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「船底なんて見えねえぞ!」

 

「見ます」

 

 ボンドルドは外套の留め具を外した。

 

 中から、細い黒い線と小さな金属筒が現れる。

 

 未開示装備。

 

 大樹が腕を掴む。

 

「何をする気だ」

 

「水中確認です。武器ではありません」

 

「信用できん」

 

「信用は不要です。縄をつけてください。私が戻らなければ引き上げる」

 

 龍水が笑った。

 

「行かせろ。沈むよりマシだ」

 

「龍水!」

 

「大樹、船長命令だ。縄を握れ。こいつが妙なことをしたら、そのまま引きずり上げろ!」

 

 ボンドルドは自分の腰に縄を結ばせると、海へ落ちた。

 

 黒い姿が、青い水中へ沈む。

 

   *

 

 水中は静かだった。

 

 船底に、竹筒のようなものが取り付けられている。

 

 中には、石の重りと、何かの包み。

 

 爆薬ではない。

 

 だが、船底の板の隙間に差し込まれている。

 

 ボンドルドは目を細めた。

 

 船を沈める仕掛けではない。

 

 位置を知らせる目印だ。

 

 海上からでは見えない。

 だが、近づく者にはわかる。

 

 島側の人間が、この船を監視するために付けた印。

 

 彼はそれを外そうとして、手を止めた。

 

 完全に外せば、相手はこちらが気づいたと知る。

 

 残せば、追跡される。

 

 ならば。

 

 ボンドルドは竹筒を半分だけずらし、自分の装甲から外した小さな破片を中へ入れた。

 

 黒い破片。

 

 残留薬品のない、ただの装甲片。

 

 ただし、見た者に疑問を残す。

 

 そして仕掛けを元のように戻した。

 

 縄を引く。

 

 大樹が一気に引き上げた。

 

 ボンドルドは甲板へ上がる。

 

「何があった!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「船底に目印がありました」

 

 龍水の顔が険しくなる。

 

「敵か」

 

「不明です。船を沈めるものではありません。追跡、識別、または警告」

 

「外したのか?」

 

「いいえ」

 

 甲板が静まる。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「外せば、こちらが気づいたことを相手に知らせます。残せば、相手は近づいてくる可能性が高い」

 

 大樹が叫ぶ。

 

「近づかせる気か!」

 

「はい」

 

 その即答に、空気が凍る。

 

 クロムが詰め寄る。

 

「勝手に囮にしたのかよ、この船を!」

 

「沈没の危険は低い。相手を観察できる可能性は高い」

 

「ふざけんな!」

 

 龍水が低く言う。

 

「船長の判断を通さずにやったな」

 

「水中で即時判断が必要でした」

 

「それは認める。だが、報告を省略する権限は与えていない」

 

「報告しています」

 

「事後だ」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 その時、海面の向こうに小舟が見えた。

 

 島の方から来る。

 

 速い。

 

 龍水が舌打ちした。

 

「来たぞ」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「観察機会です」

 

 大樹が怒鳴る。

 

「お前にとってはな!」

 

   *

 

 小舟は二艘。

 

 乗っているのは島の男たちだった。

 

 武器は粗い槍。だが動きが慣れている。海の民だ。

 

 先頭の男が叫ぶ。

 

「その船、どこから来た!」

 

 龍水が前に出る。

 

「俺たちは科学王国! この船はペルセウス! 世界を渡る船だ!」

 

「答えになってねえ!」

 

 ゲンがいない。

 

 千空もいない。

 

 交渉役が足りない。

 

 ボンドルドは一歩前へ出ようとした。

 

 大樹が肩を掴む。

 

「下がれ」

 

「交渉が必要です」

 

「お前は黙ってろ」

 

 龍水が声を張る。

 

「敵意はない! 我々は島を調べに来た!」

 

「調べるだと? 頭首様の島を!」

 

 頭首。

 

 その言葉を、全員が覚えた。

 

 ボンドルドも。

 

 男たちの視線が船を走る。

 

 大きすぎる船。

 見慣れない技術。

 甲板の人間たち。

 そして、黒い装甲の異形。

 

 一人が怯えた。

 

「なんだ、そいつ……」

 

 ボンドルドは丁寧に頭を下げた。

 

「はじめまして」

 

 その礼儀が逆効果だった。

 

 男たちは槍を構える。

 

 その時、海岸の方で光が走った。

 

 小さな光。

 

 投げられた何かが、空中で輝いた。

 

 龍水が叫ぶ。

 

「全員伏せろ!」

 

 しかし、間に合わない。

 

 光は、海上で広がった。

 

 緑の輪。

 

 音もなく、世界が硬直する。

 

 甲板の一部が、石になった。

 

 手すりを掴んでいた船員。

 叫びかけた者。

 縄を持っていた者。

 

 石化は一瞬だった。

 

 ただし、範囲は船全体には届かなかった。

 

 輪の端が、甲板をかすめただけだ。

 

 大樹はボンドルドを庇おうとして、腕の半分を石化された。

 

「ぐっ……!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「大樹!」

 

 龍水は歯を食いしばる。

 

「これが……石化武器か!」

 

 ボンドルドは、動かなかった。

 

 仮面の奥で、彼は緑の光が消えた空間を見ていた。

 

 呼吸すら忘れたように。

 

「すばらしい」

 

 その声は、低かった。

 

 誰も聞き逃さなかった。

 

 大樹が痛みに耐えながら睨む。

 

「今……何て言った」

 

 ボンドルドは答えない。

 

 彼は石化した船員の手へ近づき、膝をつこうとした。

 

 クロムが工具を構える。

 

「触るな!」

 

 龍水も叫ぶ。

 

「ボンドルド! 動くな!」

 

 ボンドルドは止まった。

 

 だが、その声は明らかに熱を帯びていた。

 

「範囲指定。遠隔起動。対象選択は不明。光の到達と石化完了がほぼ同時。これは、復活液の比ではありません」

 

「黙れ」

 

 龍水が低く言う。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「千空さんに知らせる必要があります。この島には、石化技術の実用装置があります」

 

「わかってる!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「わかってるから、そんな嬉しそうに言うな!」

 

 小舟の男たちは、逆に怯えていた。

 

 自分たちの武器を見て喜ぶ異形。

 

 その異常さに、彼らの方が引いた。

 

 龍水はその隙を逃さない。

 

「退け! 次に撃てば、こちらも戦う!」

 

 戦う手段など、まだ整っていない。

 

 だが、船の大きさと龍水の声が、相手を押した。

 

 小舟は離れていく。

 

 海岸の方でも、人影が引いた。

 

 ペルセウスの甲板には、石化した者たちと、腕を半分石にされた大樹が残された。

 

   *

 

 処置は即座に始まった。

 

 千空たち偵察班とは連絡が取れない。

 

 船上にいるのは、クロム、龍水、フランソワ、律、大樹、ボンドルド、その他の乗組員。

 

 律が大樹の腕を見る。

 

「石化が途中で止まってる……境界がはっきりしてる」

 

 大樹は歯を食いしばる。

 

「俺は平気だ! 他のやつを!」

 

「平気なわけないだろ!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

 ボンドルドは一歩離れて見ていた。

 

 龍水が睨む。

 

「何か言え」

 

「言ってよろしいのですか」

 

「今は許す」

 

「部分石化は、非常に重要です」

 

 クロムが怒鳴る。

 

「またそれか!」

 

「大樹さんを救うためにも重要です」

 

 ボンドルドは続けた。

 

「全身石化と異なり、生体と石化部位の境界が存在する。壊死、血流、神経伝達、痛覚、感染。確認すべきことが多い」

 

「実験扱いするな!」

 

 大樹が叫んだ。

 

 ボンドルドは大樹を見る。

 

「大樹さん。あなたの腕を戻すためには、境界を理解する必要があります」

 

 大樹は黙った。

 

「復活液をそのままかければ、石化部だけ解除できる可能性があります。ですが、生体部との境界で急激な反応が起きれば、組織損傷が起きる可能性もあります」

 

 律が悔しそうに言う。

 

「……それは、あり得る」

 

「段階的解除を使います」

 

 龍水が即座に言う。

 

「許可条件は?」

 

「本人同意。医療者判断。船長許可。緊急性あり」

 

 ボンドルドは淡々と答えた。

 

 千空が作った規則を、完全に覚えている。

 

 龍水は大樹を見る。

 

「決めろ」

 

 大樹は即答した。

 

「やってくれ。俺はまだ動ける。みんなを守る」

 

 クロムが拳を握る。

 

「俺も手伝う」

 

 律が頷く。

 

「私が主治。ボンドルドは補助」

 

「承知しました」

 

 処置は始まった。

 

 石化した腕に復活包帯を巻く。

 生体部に霧を吸わせない。

 境界を濡れ布で保護。

 復活液は微量。

 反応を見ながら進める。

 

 ボンドルドの指示は短く、正確だった。

 

「境界からではなく、末端から。血流再開を急がせない。痛みが出たら止める。色を見てください。温度も」

 

 大樹が呻く。

 

 石が少しずつ人の腕へ戻っていく。

 

 痛みが走る。

 

 だが、腕は戻った。

 

 大樹は荒く息を吐いた。

 

「動く……!」

 

 クロムが泣きそうな顔で笑った。

 

「よかった……!」

 

 律も肩の力を抜く。

 

「組織壊死なし。感覚あり。運動もある」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「部分石化からの局所解除、成功ですね」

 

 その言葉に、全員が振り向いた。

 

 成功。

 

 たしかに成功だ。

 

 大樹は助かった。

 

 だが、この男の中では、同時に「実験成功」でもあった。

 

 龍水は低く言う。

 

「記録は残す。だが、お前の手帳には書かせん。船の共有記録だ」

 

「承知しました」

 

 ボンドルドは素直に頷いた。

 

 しかし、クロムは見た。

 

 ボンドルドが、石化した船員たちの方へ一瞬だけ視線を向けたのを。

 

 完全石化。

 部分石化。

 局所解除。

 範囲指定。

 

 彼の頭の中で、何かが繋がっていく。

 

   *

 

 夜。

 

 ペルセウスは沖に退いた。

 

 石化した船員たちは甲板に保護され、大樹は回復した。だが、船内の空気は最悪だった。

 

 島には石化武器がある。

 

 千空たちは島にいる。

 

 通信は沈黙。

 

 船は敵に見つかった。

 

 そして、ボンドルドは石化の光を見た。

 

 龍水は船長室で、ボンドルドを呼び出した。

 

 大樹、クロム、律、フランソワもいる。

 

「お前は、船底の目印を残した」

 

「はい」

 

「それが敵の接近を招いた」

 

「可能性は高い」

 

「結果として、石化武器の存在を確認した」

 

「はい」

 

「船員が石化した」

 

「はい」

 

 龍水の目が鋭くなる。

 

「お前は、これを必要な犠牲だと思っているか」

 

 ボンドルドは、少し沈黙した。

 

 その沈黙が、答えだった。

 

 大樹が立ち上がる。

 

「ふざけるな……!」

 

「大樹さん」

 

 ボンドルドは静かに言った。

 

「あなたの腕は戻りました。船員の方々も、復活液があれば戻せます」

 

「だからいいって言うのか!」

 

「いいとは言っていません」

 

「思ってるだろ!」

 

 ボンドルドは否定しなかった。

 

 律が震える声で言う。

 

「あなたは、最初から石化武器を見たかったんですか」

 

「可能なら」

 

 クロムが息を呑む。

 

「船を囮にしてでも?」

 

「船が沈む危険は低いと判断しました」

 

「人が石化する危険は?」

 

「ありました」

 

 沈黙。

 

 龍水が低く言った。

 

「裏切りに近いな」

 

「そう評価されることは理解しています」

 

「違う。これはもう、裏切りだ」

 

 ボンドルドは黙った。

 

 フランソワが静かに言う。

 

「ボンドルド様。あなたは科学王国の安全より、観察機会を優先されましたね」

 

「はい」

 

「では、以後あなたを協力者として扱うことは困難でございます」

 

「でしょうね」

 

 あまりに平然としていた。

 

 龍水は立ち上がった。

 

「拘束する」

 

 大樹が即座に動く。

 

 だが、ボンドルドは抵抗しなかった。

 

 両手を差し出した。

 

「拘束は妥当です」

 

「なぜ抵抗しない」

 

「まだ船を降りるべきではないからです」

 

 龍水が眉をひそめる。

 

「何?」

 

「千空さんたちは島にいます。島には石化武器がある。船員の一部は石化しました。大樹さんの腕は戻った。つまり、私の知識はまだ必要です」

 

「自分の価値を人質にするか」

 

「はい」

 

 クロムが怒鳴った。

 

「マジで最悪だな!」

 

「理解しています」

 

 大樹が縄でボンドルドを縛った。

 

 強く。

 

 それでもボンドルドは穏やかだった。

 

「龍水さん」

 

「何だ」

 

「船底の目印には、私の装甲片を入れておきました」

 

 全員が止まった。

 

「何のために」

 

「相手がそれを見つければ、こちらに未知の異物があると判断する。彼らは、船ではなく私に興味を持つ可能性がある」

 

「つまり」

 

 龍水の声が冷たくなる。

 

「自分を餌にしたのか」

 

「はい」

 

「こちらの許可なく」

 

「はい」

 

 大樹が拳を震わせる。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「もし島側が私を求めてくるなら、交渉材料になります」

 

「交渉材料はお前自身か」

 

「私で足りるなら、安いものです」

 

「自分の体も道具か」

 

「はい」

 

 誰もすぐには言えなかった。

 

 この男は、他人を道具にする。

 

 そして自分も道具にする。

 

 そこに躊躇がない。

 

 それが、何より恐ろしかった。

 

   *

 

 ボンドルドは船底近くの隔離室に拘束された。

 

 武器なし。

 薬品なし。

 記録具なし。

 見張りは大樹とクロム。

 

 だが、クロムは扉の前で歯を食いしばっていた。

 

「なんでだよ」

 

 中から声がする。

 

「何がでしょう」

 

「お前、今日めちゃくちゃやった。なのに、お前のせいで大樹の腕を戻せた。石化武器のこともわかった。千空たちに知らせなきゃいけねえことも増えた」

 

「はい」

 

「なんで、役に立つんだよ」

 

 ボンドルドは静かに答えた。

 

「役に立たない悪意は、すぐに排除されます」

 

 クロムは息を止めた。

 

「役に立つから、残る。残るから、影響できる」

 

「……お前」

 

「クロムさん。科学は、使えるものを捨てるのが苦手です」

 

 クロムは扉を殴った。

 

「黙れ!」

 

 中は静かになった。

 

 だが、その言葉は残った。

 

 科学は、使えるものを捨てるのが苦手。

 

 千空がいれば、否定しただろう。

 

 だが、今この船に千空はいない。

 

 そしてペルセウスは、石化した仲間を抱えたまま、島の闇を見ていた。

 

   *

 

 同じ頃。

 

 島の森の中で、千空は息を潜めていた。

 

 ゲン、コハク、ソユーズ。

 

 彼らは、遠くの海を見ていた。

 

 ペルセウスの甲板で、一瞬だけ緑の光が広がったのを。

 

 ゲンの顔が青ざめる。

 

「船……やられた?」

 

 コハクの手が震える。

 

「戻るか」

 

 千空は、歯を食いしばった。

 

「戻らねえ」

 

「千空!」

 

「戻っても、真正面から石化武器に突っ込むだけだ。まず島のルールを知る」

 

 ソユーズが震える声で言った。

 

「あの光……知ってる気がする……」

 

 千空の目が鋭くなる。

 

「思い出せ。何でもいい」

 

 森の向こうで、人の声がした。

 

 島の兵だ。

 

 ゲンが小声で言う。

 

「まずいね。こっちも囲まれ始めてる」

 

 千空は海をもう一度見た。

 

 船は沈んでいない。

 

 だが、何かが起きた。

 

 そして、あの船にはボンドルドがいる。

 

 千空は小さく呟いた。

 

「クソ仮面……変なことしてねえだろうな」

 

 その予感は、半分当たっていた。

 

 半分では済まなかった。

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